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星々の世界に生まれて~銀河英雄伝説異伝~

作者:椎根津彦
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敢闘編
  第六十四話 クロプシュトック事件 Ⅱ

帝国暦484年6月16日19:00
銀河帝国、トラーバッハ星系近傍、銀河帝国軍、討伐軍、ヒルデスハイム艦隊、旗艦ノイエンドルフ、艦隊司令部、
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 クロプシュトック領まであと二日。うちの艦隊だけなら二日前…六月十四日には現宙域に到着していただろう。理由は…そう、リッテンハイム侯が対抗意識から派遣した、五千隻の艦隊だ。ノルデン伯爵中将率いる五千隻の艦隊の士気と練度は、目を覆うとしか言い様のない物だった。
「人の事は言えないな、少し前まではこの艦隊もそうだった」
大スクリーンに映るノルデン艦隊を見ながら、シューマッハ参謀長が苦笑した。
「しかし、ノルデン伯爵の息子の泊付けの為に戦わされる兵士達はたまったものではないな。そもそもノルデン伯爵自身、これまで一度として前線に出られた事はない」
「そうなのですか?」
「ああ。ノルデン伯爵は学芸省に出仕されているからな。次期当主の御子息が軍にいるとはいえ、その御子息殿も正直な話パッとしない。だがすでに伯は高齢だし、御子息殿の次期当主就名の泊付けのいい機会だと思われたのだろう…おっと、この話はここだけだぞ」
参謀長の顔は苦笑からウインクに変わった。
「はい、オフレコと言う事で…泊付けという事は、その次期当主になられる御子息殿とやらも当然従軍されているのででしょう?」
「艦隊参謀長という肩書きでな。リヒャルト殿だ」
携帯端末の画面をどんどんスライドさせてみる…あった、リヒャルト・フォン・ノルデン大佐。年齢に比した階級が正当な評価の結果なら、とんでもなく優秀ということになるが…。
「人事局の評価を信じましょう」
「ハハ…卿もなかなか辛辣だな」

 参謀長が大笑いをしていると、艦橋にヒルデスハイム伯が現れた。
「異常ないか、参謀長」
「異常ありません。ノルデン艦隊、予定通り補給を行っております。まもなく終了の予定です」
「了解した。事前の打ち合わせ通り、クロプシュトック領への進攻序列はノルデン艦隊が先鋒となるが、何かあるかね?」
ヒルデスハイム伯が参謀長と俺を交互に見る。ノルデン艦隊があの体たらく…いや、あの状態なら、対するクロプシュトック艦隊も似たような状態だろう。事前の情報ではクロプシュトック家の艦隊も五千隻程だったが…
「閣下、クロプシュトック軍の情報ですが…最新とは言い難い物で敵の戦力見積に信憑性がありません。先鋒はノルデン艦隊で宜しいかと思われますが、我が艦隊は戦力を二分し、ノルデン艦隊の両翼後方に位置して後方及び側方の警戒を行うべきではないかと愚考致しますが」
「どうかな、参謀長」
「小官も同意見であります」
「了解した…参謀長、クロプシュトック軍の艦隊戦力は確か五千隻程だったな?」
「はい。」
「先鋒のノルデン艦隊が敵を引き付け、その間に我々が二分した艦隊を両翼から進ませクロプシュトック艦隊を包囲体勢に置く…こちらはノルデン艦隊と合わせ二万隻、完勝だな」
全くその通りだ。戦史の教科書に載せてもいい位の包囲殲滅戦。任務とはいえ何故この様な戦いをしなければならないのか。情報通りならクロプシュトック氏は勝算のない反乱をしたことになるが…いくら皇帝を、あの男を憎んでいたとはいえ、算術の初歩も出来ないのだろうか…思わず口にせざるを得ない。
「情報通りの兵力である事を祈るばかりです」
「そうだな参謀長。しかし、味方を討つ事になるとはな…いや、既に味方ではなかったか」
伯爵の顔には憂慮の色が濃く映っていた。
「…畏れながら、クロプシュトック氏はそれほど迄に陛下の事を憎んでいるのでしょうか」
伯は腕を組んで遠い目をした。
「…今回の出征の前にブラウンシュヴァイク公から色々と聞いた。公もまだ若く、公爵家の名跡を継いだばかりの頃だ。当時はまだオトフリート五世陛下の治世中で、後継者争いの真っ最中だった。皇太子は三人、リヒャルト殿下、クレメンツ殿下、そしてフリードリヒ殿下。当時のクロプシュトック侯はクレメンツ殿下の支持者だった。畏れ多い事だが現皇帝陛下のフリードリヒ殿下は当時から放蕩者で、後継者レースから外れている情勢だった。だがリヒャルト殿下が亡くなられ、残った二人で次期皇帝の座は争われる形になった。当然クロプシュトック氏はフリードリヒ殿下を貶め、嘲け笑った。しかしクレメンツ殿下も亡くなられ、残ったフリードリヒ殿下が至尊の座に就かれた。当然クロプシュトック氏は遠ざけられる形になったが、これはフリードリヒ四世陛下よりグリンメルスハウゼン侯やリヒテンラーデ侯が強く望んだ結果らしい」
「…では陛下よりそのお二人を恨むのが筋ではないのですか」
参謀長の疑問はもっともだ。俺もそう思う。
「そうだな。だが至尊の座についたとて二人の兄…前皇太子殿下二人が亡くなられた後だ、陛下もこれ以上の宮中の混乱は避けたかったのだろう、お二人の意向ということではなく、陛下自らが手を下す、という形になったそうだ。まあ、怨恨にも無頓着なお方の様だから、ご自分に向けられるそういう感情は気になさらなかったのだろう」
無頓着か…そして無気力にも見える、灰色の老人…。
「そして現在に至る、という訳ですか」
「そうだな。そしてクロプシュトック氏は息子達も戦死、敵の叛乱軍共も憎かろうが、その結果を引き起こしたのは陛下…と短絡的に考えてもおかしくはない」
「救いの無い話ですな」
「…私はともかく、卿等は気にせずともよい。任務を果たす事だけを考えてくれ。クロプシュトック氏の後は叛乱軍とも戦わねばならんのだからな」
「はっ」
そうだ、こんなどうでもいい戦いは早く終わらせねば…。





6月10日18:00
銀河帝国、ヴァルハラ星系、オーディン、ハウプトバーンホーフ、ブラウンシュヴァイク公爵家別邸
ジークフリード・キルヒアイス

 「まあ、くつろいで下さい。まずは腹ごしらえにしましょう」
案内されるがままに連れてこられたこの居館は、どうやら公に支える者達の宿舎らしい。
フェルナー大尉に指し示されたテーブルの上には山盛りのアイスバインとザワークラウト、ローテプェッファーが用意されていた。男所帯だから味より量なのは分かるがこれはひどい。この部屋には私とフェルナー大尉、ハウプトマン中尉しかいないのだ。一体何人分あるのだろう…。二人は軍服の上着を脱ぐと、食事の支度を始めた。ああ、ワインは結構ですよ……私の視線に気づいたのか、大尉は肩をすくめた。
「公爵邸で戴いた物です、味は保証しますよ」
違う、そうじゃない、そうじゃないんだ……。

 宮内省では、改めてブラウンシュヴァイク公の持つ権力の大きさを感じさせられた。宮内省の役人達は寵姫の弟の幼なじみのいち少佐の顔など誰も覚えていなかった。だが、フェルナー大尉とハウプトマン中尉の顔は知っていた。上手く取り入ろうとする節さえ見てとれたのだ。フェルナー大尉達が居なければ、聞きたい事の一割も聞き出せなかっただろう。
「宮内省は静観、というか関わりたくない、という態度が見え見えですね。妾同士の寵争いなどいつもの事、しかも一方の御仁はベーネミュンデ侯爵夫人だ、慣れっこになっているのでしょう」
「慣れっこになっている…とはいえ、寵姫間の争いは宮廷内の混乱に繋がりませんか?」
私の反論にフェルナー大尉は口を動かしながら答えた。
「意外な事に、侯爵夫人は声は大きくても政治には口を出しません。まあそれはグリューネワルト伯爵夫人もそうですが。言ってみれば、ただの痴話喧嘩ですな。陛下が何か指示をお出しにならない限りは宮内省は動く事はないし、関心を持つ事はない、と言う事ですね」
確かに大尉の言う通りだ。だが害意、殺意となると痴話喧嘩では済まないのではないのだろうか。
「…少佐は、周囲を探るべきだ、と仰っていましたね」
「はい」
「中尉、判った事を少佐に報告しろ」
ローテプェッファーには目もくれず、黙々とザワークラウトばかり食べていたハウプトマン中尉はその手を止めると、姿勢を正してこちらに向き直った。

 「グレーザーという侯爵夫人付の医師がいます。彼に会って話を聞きました」
「何故、その人物に目をつけたのですか」
「はい。宮内省に行った後、侯爵夫人の元に出入りする人物のリストを大尉より渡されました。そこにに彼の名前がありました。医師という立場上、侯爵夫人の邸宅に常勤しているか、往診の機会は多いと思ったのです」
「そういう条件であれば、使用人や執事に話を聞こうとは思わなかったのですか」
「リストを散見しますと…執事や使用人は長年仕えている者が多く、口が固いと考えたのです。その点グレーザーという男は夫人の下に出仕してまだ日が浅く、それほどの忠誠心はないだろう、と判断しました」
「分かりました、続けて下さい」
「目星を付けた通り、投書の主はグレーザーでした。彼は侯爵夫人に仕えた事を後悔している様です。実入りはいいものの、身を滅ぼしかねない、と憔悴しきっていました」

 フェルナー大尉はこちらを見ようともせず、ローテプェッファーをつまみながらTVのワイドショーに釘付けになっていた。中尉からの報告は事前に受けていたのだろう、私が何を質問し、どう判断するか試しているのかも知れない。
「彼は何か、具体的な事を口にしましたか」
「はい。グリューネワルト伯爵夫人を宮中から追い出す方法について相談、いや命令に近い物の実行を迫られたと」
「それはどういった内容ですか」
「伯爵夫人の毒殺、それが無理ならまことに畏れ多き事ながら、陛下と伯爵夫人の会食の折に、陛下のお食事に死なぬ程度の劇物を混ぜろ…まだありますが」
中尉はそこで一端言葉を止めて大尉をチラリと見た。
「構いません、続けて下さい」
「…姦通の罪を着せろ、と。下賤の出ゆえ、それが一番似合うと…」
頭に血が上るのが自分でも解る。中尉の報告が事実だとすれば、いや事実なのだろうが、何と言う事を考えているのだろうか。
「…最初はカウンセリングとして侯爵夫人の話を聞いていたそうです。徐々に内容が抜き差しならぬ物になり、怖くなって救いを求めてあちこちに手紙を書いたと」
「…グレーザーという方も災難ですね。たとえ侯爵夫人付とはいえ、一介の医師に可能な内容ではありません」
……そう、可能ではない。たとえアンネローゼ様を妬んでいるとはいえ、家付の医師にそんな事を命じるだろうか…ふと大尉を見やると、大尉の視線は私に向けられていた。そうか、大尉も同意見か。

 「中尉、グレーザー氏の身上を洗って下さい。どういう経緯で侯爵夫人の下に出入りするようになったのか。家庭環境、学歴、交遊関係、職歴もです。それと再度、彼に接触して下さい。監視の意味も込めて」
「はっ。ただ、身上、職歴についてはすでに一部を把握しています」
「仕事が早いですね。大尉の指示ですか」
「はい。彼は孤児です。ボーダーザクセン中央大学医学部卒、卒業後、同大学附属病院の勤務を経て、ベーネミュンデ侯爵夫人の専属医となっています」
「孤児、ですか。孤児という境遇で現在の処遇を得るのは並大抵の苦労があった筈ですが…」
「はい。医療機器を製作している企業の私設の奨学金を得ています。その企業自体は帝国内にありますが、出資しているのはフェザーン系列の製薬企業です」
「フェザーンの製薬企業が、ですか」
「はい。登記簿に記載されている住所を実際に調べましたが、本社と思われる建物は無人でした。いわゆるダミー会社です。判明している事実は以上になります」
ハウプトマン中尉の報告が終わると、名残惜しそうにナプキンで口をぬぐっていた大尉が大きくため息を吐いた。
「…黒ですな。真っ黒ですよ少佐」
「経歴だけで分かるのですか、大尉」
「ええ。まず彼は孤児だ。その一点だけでもこの帝国では公職には就けません。ましてや宮中となると絶対にそんなことはあり得ない」
「みなし児…というだけでですか」
「はい。どこぞの家庭に養子に入ったとかならともかく、孤児という身分では絶対に有り得ない。『劣悪遺伝子排除法』の適用枠ですから」
「しかしあの法は…」
「有名無実化している、というのでしょう?確かに有名無実化しています。ですが無くなった訳ではない。各官庁出入りの委託業者ならともかく、直接雇用される事は有りません。ましてや侯爵夫人は皇帝陛下の寵姫です。雇おうとしただけで夫人は宮内省から文句をいわれますよ」
「しかし経歴が示している事実はそうではない…」
「はい。宮内省の採用担当者が買収されているのでしょう。そして買収した人間はプロではない。プロならあんな杜撰な経歴は用意しません。多分、経歴は本物でしょう。グレーザー医師本人は何故自分が雇われたのか、よく分かっていないと思いますよ」
「という事は手紙を書いたのは本心から怯えたから、という事でしょうか」
「…そうかも知れませんし、そうではないかも知れません。いずれにしても次の接触は中尉だけではなく、我々も同行しましょう」
「そうですね」
再び彼等は夕食を再開した。二人の食欲を見ていると、とても食事をする気分にはなれない。勿論それだけではないが…。今日はこのまま退散するとしよう…。



6月17日03:00
トラーバッハ星系近傍、銀河帝国軍、討伐艦隊、
旗艦ノイエンドルフ、艦隊司令部、
ラインハルト・フォン・ミューゼル

 通信オペレータが金切り声をあげた。
「ノルデン艦隊より通報、艦隊正面にクロプシュトック艦隊と思われる集団を発見。およそ五千隻、我との距離、約六百光秒、指示を乞うとの事です!」
一気に艦橋内の空気が一変する。
「意外に早く出てきたな。参謀長、アントンとベルタに連絡、現状維持しつつ旗艦からの命令を待つように、と。それからノルデン艦隊に連絡、艦隊速度微速にて前進せよ」
「はっ」
参謀長が目配せすると体操選手を想像させる均整の取れた体格のの中佐が動き出す。その姿を見て、黒髪の両目の色の違う中佐が俺の傍らに近づいて来た。
「大佐、敵の意図をどうご覧になりますか」
黒髪の中佐がそう言い終わらないうちに金髪の中佐も近づいて来る。
「そうだな…彼等には後がない。彼我の戦力差は隔絶している事は向こうからも確認出来た筈だ。…クロプシュトック氏が艦隊に同行しているなら玉砕覚悟だろうし、そうでないならあの艦隊は氏の逃走の時間を稼ぐ為に出てきたのかも知れないな…卿はどう見る、ロイエンタール中佐」
俺とロイエンタール中佐の問答を見る金髪の男、ミッターマイヤー中佐の瞳にはさも面白そうな色が浮かんでいた。
「小官も同意見です。しかし、もし情報通りの戦力なら、反逆とは言いながらなんともお粗末ですな」
「はは…ミッターマイヤー中佐も同意見かな?」
「はい。ですが反乱を長引かせる訳にはまいりません。小官であればすかさずアントン、ベルタの両司令を両翼から迂回させてクロプシュトック軍の後背を扼します。そうすれば敵は混乱し、士気は落ち、総崩れとなる事うけあいです。更に後背を取ったどちらかの分艦隊を前進させ、クロプシュトック領に進ませればなお宜しいかと」
その観察は正しい。俺が答えようとするとロイエンタール中佐が先に口を開いた。
「卿の意図は神速にして理に叶うがミッターマイヤー、今回ばかりはせっかちと言われかねんぞ」
「何故だロイエンタール、犠牲も少なく一挙に片を付けられると思うが」
「それではノルデン学芸省総務局長の出番が無くなるだろう。ノルデン伯爵とてわざわざここまで征旅たもうたのだ、簡単に両司令が勝敗を決められては手柄を取られたと騒ぎかねまい…違いますかな、大佐」
「…と両名は申しておりますが、参謀長」
「俺に振るな」
そう答えた参謀長も俺と同じ様に笑っていた。
確かな戦術眼を持つミッターマイヤー、それに加えて政治的思考も出来るロイエンタール…この二人は当初アントン、ベルタの両分艦隊に配属されたが、キルヒアイスが別任務で下艦した穴を埋める為に、臨時に艦隊司令部に配置した。キルヒアイスは少佐…人事上まだ少佐のキルヒアイスの穴埋めに両中佐を持ってくるのは行き過ぎではないかとも思ったが、俺としても自分の推薦した者達が本当に推薦に値する実力を備えているのか…実際に自分の目で確かめたいという気持ちもあった。だがそれは、どうやら杞憂に終わった様だ。参謀長もこの会話で彼等の能力を把握した事だろう……何やらオペレータ達がざわついている、何かあったか?
「両分艦隊より通報…右翼アントン分艦隊の四時方向および左翼ベルタ分艦隊の八時方向に熱源感知、距離それぞれおよそ七百光秒…熱源の総量からそれぞれ五千隻程の集団の可能性大、との事です」
両分艦隊からの報告が示す事実は明白だった。どうやら我々は三方向から敵に包囲されつつある。









 
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