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特設記事2022冬:異常左翼・無責任大学の粛清/伝統的な神社・仏教寺院の再生、他

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追記2、日本の宗教/神道と仏教・カトリック教会

 
前書き
短い追記その2。 

 
まず第一に、日本人の宗教は「日本神道」以外に有り得ない。これは特定宗派という以上に、日本人にとっての伝統的な宗教観なのである。
そして、ヨーロッパのキリスト教徒が自国・地域の守護聖人・天使を信仰するのと同じことで、天照大神をはじめとする神々(八百万の神や伝統的な寺社仏閣)を捨てることは有り得ない。また伝統的な神社・寺院は「公共インフラ」なのであって(それらへのお布施や賽銭・喜捨は「共益費」という正当性がある)、勝手な「私党」でしかないカルト宗教とは全く異なる(そして私党が反社会的行動をとれば犯罪集団やテロリストでしかない)。

日本神道は多神教的一神教と言える宗教観であって、仏教の檀家になっていても矛楯はなく、他宗派の仏教寺院に参拝しても(伝統的な正しい寺院ならば)何の問題もない(キリストを信じて拝んでも全く構わない)。なぜなら日本の八百万の神仏(神社・仏教)はヨーロッパ・キリスト教徒の哲学概念では「天使・聖人・英雄」に相当する。天照大神は宇宙・人類の創造主ではなく(古事記でも書いてある)、ヨーロッパの「神」に相当するのはむしろ東洋的な「天」の観念である。
ただし、日本で「伝統的な正しいキリスト教会」と考えて良いのは、ザビエルが伝えたカトリック(合わせて昔からも古いキリスト教会も)だけだと思われる。それらは本人たち個人がキリスト教徒なだけでなく、日本全体を代表して、善神キリストを祭祀しているのだと思われる(高野山の密教僧や伝統的な孔子廟に近い立場だろう)。新天皇の即位の際にローマ教皇が、国難にある日本を見舞って祝福してくれたことも、事実の裏づけと思う。
ゆえに、私は疑わしい「自称プロテスタント」を信用しない(信教は個々人の自由だが、場合によっては邪教集団として処理すべき)。なぜならばアメリカやヨーロッパの伝統的なプロテスタント(新教徒)・ピューリタン(清教徒)などは、カトリック教会で「千年間の修行修練で免許皆伝」されてやっているのであって、にわかにその格好・体裁だけを真似ても「鵜の真似をするカラス」でしかないだろう(本物に対して失礼だ)。
日本人はたとえイエス・キリストを信じたり、孔子・釈迦の聖人に学んだとしても「神道」なのであると思う。 
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