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fate/vacant zero

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情熱の舳先





天幕テントを抜ぬけ出だし草くさむらかき分わけ小道こみちを抜ぬけて。

お姫様ひめさまは湖みずうみにやってきました。

二ふたつの月つきにきらきらと輝かがやく湖みずうみは、穏おだやかな風かぜと静しずかな波なみに引ひき立たてられ。

それはそれは美うつくしく染そまっていました。


岸きしにあらわれたお姫様ひめさまもその美うつくしさに魅みせられて。

ふらふら水辺みずべへ近ちかづきました。

これ以上いじょう進すすめば濡ぬれてしまうほど近ちかづいて。

それでももっと近ちかくで見みたいお姫様ひめさま。

少すこし辺あたりをきょろきょろし、近ちかくに人ひとの気配けはいがないことを確認かくにんすると。

おもむろにするりとドレスを脱ぬぎ落おとし。

安心あんしんしたように微笑ほほえみながら、しずしず湖みずうみの奥おくへと進すすんでいきました。


ひんやりした水みずは、心こころに沈しずんだもやもやしたものを押おし流ながしてくれるようで。

お姫様ひめさまはそのままちゃぷちゃぷ水みずを掻かき、気きままに辺あたりを泳およぎ回まわりました。

水みずに揺ゆれる月つきの光ひかりを楽たのしみに、水底みなそこ目指めざして潜もぐってみたり。

空気くうきが足たりなくなって慌あわてて水面みなもを目指めざし、勢いきおいあまって魚さかなの如ごとく宙そらに舞まったり。

静しずかに水面みなもに寝ねそべって、大人おとなしく月見つきみを楽たのしんだり。

しばらくの間あいだ、お転婆てんばさを遺憾いかんなく発揮はっきしたお姫様ひめさまは。


やがてその波なみの音おとに混まじり。

草葉くさはの捩にじり掠こすられる音おとを耳みみにして。

慌あわててお体からだを水みずの内うちに沈しずめました。







Fate/vacant Zero

第三十二章 情熱パトスの舳先みずさき







 肋骨が折れる。

 ここ、夕暮れのヴェストリ広場に立つ才人は、冷や汗垂らしてそう杞憂するほどに緊張していた。

 ブツを購入したその夜、仕立て直しをシエスタに頼もうかどうかを悩んで転がって、あんまりに煩かったからかビリビリをくらったり。

 悩んだ末にシエスタから糸と針と鋏を借り、「これは武器、職人の魂。これは武器、職人の(略)」と念仏みたいに繰り返しながら服を解体したり。

 さて縫い直すかと大体の寸法を思い浮かべようとして、うっかり一緒にお風呂事件の感触の方まで思い出して自己嫌悪に浸ったり。

 良心と葛藤しながら縫い直していたら、ちょうど帰ってきたルイズが一瞬にして般若と化してまたビリビリをくらったり(なんで裁縫できるんだ、だそうだ。わからん)。

 翌日一番、つまりは今朝、食堂でさて渡そうかと懐に手を入れ、(そういえばこれはぢめてのプレゼント?)とか(こんな大勢の前で?)とか雑念アホなことが浮かんでフリーズしたり。

 今度こそはと昼飯時、いざ気合一発タバサに話し掛け、出てきた言葉が「放課後、ヴェストリ広場まで来てくれ」とだけ、なんてヘタレてみたり。


 ……思い返すだに額を割りたくなるほど恥ずかしい。

 と同時に、あんまりにも不審すぎてルイズにバレた可能性が高い。

 血の気が引いたり満ちたり忙しく顔色を変えつつ、後で言い訳を考えとかないとマズいなぁ、と才人は崩れた。




 まあ、そんな具合に間抜けを晒しながらもどうにかこうにか、ブツは渡せたわけである。

 にも拘らず、こうしてまだ広場の片隅で立ち尽くしているのはなぜかというと……まあ、端的に言えば、タバサが受け取りを渋ったからだ。

 “わたし”はこの間の戦いには参加していないから受け取れない、だそうだけれど、だからといって何も無しは才人的に自身が許せなくなるから却下。

 じゃあこうしよう、と才人はそこで一つの提案をしたのだが──



「……やっぱ実は俺が見たかっただけなんじゃないのか、才人オレ。
 なんだよ『着た所見せてくれ』って。
 『俺が、タバサがそれ着てるとこが見たいんだ』ってムキになってまで言うことか……?」



 言った当人は額に手を当てて唸っていたりもする。

 今はそうして、着替えてくる、とタバサが部屋の方へ去ってから5分が経ったか10分が経った頃だ。

 自己嫌悪ループを途切れさせもせずぐるぐると歩き回ったり木に額を叩きつけたり天を仰いだり、非常に挙動不審な趣おもむきの才人。



「──おまたせ」



 その背後に音もなく降り立ち、聞きなれた声を掛けてきた少女が一人。

 思わずびくりとして振り向いた才人の耳に、






 耳に届く、全ての音が己を殺して遠ざかった。





 こっちを見たと思ったら、何だか小揺るぎもせずに全身を固めた彼。

 表情も何となくにやけた風なままで凍り付いていて、少し気味が悪い。

 そんなに似合わなかっただろうかと、胸の前に右手を持ち上げて見れば、だぶついた袖がすっぽりと指先までを覆って垂れていて。


「ふぉぉぉおおおおおおおおォオオオオオヲヲヲヲヲヲヲヲ!」


 そうした途端、音を立てて彼が壊れた。

 声とも呼べない何かをひとしきりシャウトしたかと思うと、


「きた! ぶかぶかたばさキタ!
 さっき罵ってごめんкткрマジ最高よくやったヲレ!
 次からはもっと本気出していいぞ!」


 蕩とろけた目でわたしを見つめつつ自分自身への賛辞を早口言葉のように垂れ流している。

 なんだかあぶないオバケにでも依とり憑つかれたみたいでちょっと怖い。


「タバサも最高! すばらしい!
 何がってまだ何も注文してないのに大事な要所をしっかり絞って登場してくれてるところが!
 タバサ様、お天道様、あとこっちでこの服を考え付いた何方何どなたか様!
 心の底からぁあぁりがとぉおおおおおおおおオオオオオオオッー!!!」


 要所って何だろう。

 彼はそうしてまた一頻ひとしきり絶叫シャウトすると、急にぐっと手を胸の前で握り締め、ぷるぷる震えはじめた。

 よく見れば目の端から涙すら溢れ、「ああ、生きててよかった……」なんて言葉まで呟いている。


 その狂乱振りがことさら珍しく、付け加えるなら何かヘンな危険物でも食べたのかととても不安になり、タバサは咄嗟に尋ねていた。



「大丈夫?」

「あ。うん、とっても元気ダヨ? うん。
 妄想もよかったけど、本人が着るとレベルの桁が7つくらい跳ね上がるネ」



 とても大丈夫ではなさそうで、さらに不安が煽られただけだった。

 それにしても、


「この服、この間のタルブで艦ふねの兵が着「否ッ! いや、俺の世界でも元はそうだったみたいだけど断じて否ァ!」」


 なぜか渾身で否定された。

 拘りでもあるんだろうか。


「それはッ! その服はッ!
 前住んでた世界ではセーラー服と呼ばれておりィ!
 同年齢の女の子たちの制服となっておりまシたァッ!」


彼の世界の服?


「がしかァし!
  ボクはその制服を着た女の子を見たことがなかった!
   一度たりともなかったァアアアッ!
    揃いも揃ってあンのカタブツ教師陣めェええエえヱ!」


 なんだか最後の方の声は怨念が籠っている気がする。

 ……どうして彼が見たことのない服のことを知っているのかも、ちょっと気になる。


「だがしかしそして今ァ! 俺はァ! とうとう、ッついに、ッ念願のオンナのコを見ているゥッ!
  タバサが着てると仕草の可愛さと破壊力が相乗シャァああアアッ!
  アアアア生きててゴメンなシゃいッ! 欲望全開ですイましェんでしたァアアアアァア──!!」


 そうして涙を流しながらもっかいシャウトして何かに平謝る騒がしい彼は、けれどとても嬉しそうだった。

 何に謝っているかは理解してはいけない気がする。

 いや、そんなことよりも。



「……ってる?」

「ん?」



 声が小さすぎた。

 もいっかい。




「そんなに、……似合、ってる?」




 今度は声が届いたみたいで。

 彼は、すごい速さで小刻みに頷いてきた。


 ……ちょっと、楽しい。

 そういえば、こうしてただ誰かに見てもらうためだけに着替えをしたのはいつ以来だっただろう。

 あの日は確か、そう──

────────────

──こんな感じ、だった。


「……“次は、どんなポーズが見たい?”」

「へっ!? ……ぇ、え? いいの? イヌわがまま言っていいの? ホント?」


 卑屈な彼に頷きを返す。だって。


「“喜んでもらえるなら、わたしも”ちょっと楽しい……から」


 それに、少しだけ。

 もう少しだけ、あの頃の──





 タバサが懐かしい思い出を掘り起こす一方、リクエストを求められている才人は、ちょっと悩んでいた。

 タバサは一切の計算なしの自然な行動が素晴らしくツボを突いてくるし似合っていてかわいいのである。

 となると、リクエストすべきは普通にしていてはまずお目に掛かれない何かになるのだが、かといってまるでタイプが違う行動をさせるのもちょっと気が引ける。

 ……見てみたくはあるのだが。

 ふむ、と改めてもう一度、ぶっかりタバサを眺めてみる。


 上は先日のセーラー服、ただし才人自らがっつりと丈を詰めた品だ。

 詰めてなおダブついているのは、タバサのぼでぃが才人の朧おぼろげな記憶を上回ってちっちゃかったから。


 ではなく、才人の無駄なまでの飽くなき執着心の賜物たまものである。

 なにせダブついているのは袖そでだけで、肩首廻りは適幅、裾すそに至っては迂闊うかつに動くと肌がよく見える短め仕様である。

 明らかに狙っている。


 ちなみに色は素地のままだが、白地白襟の長袖は、胸元の深いスカーフや、タバサの澄んだ髪や肌の色と相まって、とても清々すがすがしく映はえている。

 返しの袖口と襟縁えりぶちの柔らかな三本の虹は、アクセントとして丁度よい程度に控えめだ。

 こちらは狙ったわけではなく、単に才人が染物を武器と認識できなかっただけであるのだが、結果オーライだから何の問題もなかった。


 下はタバサの普段着でもある学院指定のスカートだ。

 もともと紺のブリーツタイプだった上、タバサの制服スカートは何やら短めに改造されていたため、何の仕込みもないのにセーラー服によく似合うという奇跡のような逸品であった。

 臍へそを隠すための努力なのか、普段よりも更に短くなっていて very godすばらしい。

 まさかの膝上十五サントである。


 露あらわになった細い足は、腿ももの中ほどまでを真白く長い靴下に包まれている。

 ハイハイ……じゃない、タイハイ……でもない、ハイサイ……だかなんだかまあ、そんな感じの名前のソックスだったか。

 とりあえず絶対領域が眩まぶしいわけだが、これまたタバサの持参品だ。

 靴は残念ながら踝くるぶしの少し上までを覆う黒い編み上げブーツだが、履き慣れているタバサの普段の空気が不思議とその違和感を食っている。



 長々と語ってみたが、つまり要はただ眺めているだけでも充分に堪能できるぜっぴんレベルなわけだ。

 タバサの仕草も、才人が口を挟む必要もないほど自然に映えており。

 下手に何かを請こえば逆に調和を損ねると、才人の直感は告げるのである。



──つまり逆に考えればいい。
   ごく自然な動き、もしくは絶対にタバサからすることが無さそうな動きを頼めばいいのさ。



 お前……お前、アタマいいな。


 澱よどみなく答えを捻ひねり出した直感に自賛のエールを送りつつ、才人はもう一つ考えた。

 脳内に廻めぐるは、もはや動かせないノートパソコンの内で眠る、通販サイトやら検索先生をサーフィンしながら掻き集めた、数々の一級秘匿資料jpgファイルである。

 その内からとりあえず下品とジョークを消し飛ばし、過度に年齢詐称する類のものを後々の関係を踏まえて泣く泣く諦め、上下どちらへシフトするかを大急ぎで頭を螺子ねじって悩み考え吟味して。



「コレダ……」



一つの甘味に到達した。





「タバサ、その服、着心地どうだ?」


 ぼそりと何か呟いたと思いきや、彼は何の脈絡もなくイイ笑顔でそうたずねた。

 着替えたり、こうして人前に立ってみたりした間に感じた事といえば、


「思ったよりさらさらしてて、過すごしやすい」


 少なくとも夏に長袖を着てるとは思えない程度には。


「そかそか。
 それでだな、その……こんな風に、贈り物? とか、受け取るのって……えっと、なんだ。
 どうだ?」


 どう、って何だろうか。


「あいまい。……でも、なんだか嬉しかった」


 彼は、胸の前でこぶしを握る。


「くぅ、そっか。
 喜んでもらえて俺もなんかこう嬉しいんだけど、その喜びをこう、全身で表現してもらえるともっと幸せだ」

「……全身で?」


 疑問が浮かぶ。


「そそ、全身で。
 つまりこう、反応リアクションを普段より大きめに取ってくれるととっても幸せなんだけど」


 ……りあくしょん。

 喜んだ時にとるべき、反応。

 それはどんな動きだったかと、少し迷って。

 まだ皆で笑っていられた頃のことを、少し思い出して。



「……ゎ。

 ──~~わー。」



 手の平は前に向けたまま両手の肘から先だけを挙げて、軽く爪先立ってバンザイしてみる。

 ……思った以上に昔の自分の行動が無邪気でちょっと恥ずかしくて、実際は思い出したそれよりも随分控えめだ。


 こっほ、と彼の吐息みたいな声がした。

 見れば彼は、ぷるぷる震えてうずくまり、これまた震える指を人ひとつ立てて掲げている。

 ……って、え。



「も、もうひとこえ……!」



 えぇぇえ。

  今のを、もう一回。

   もう一回。

    もう一回?



……無理。



「恥ずかし、すぎる」

「う。だ、だめか?」


 ダメ。


「絶対?」


 絶対。


「どうしても?」


 どうしても……しつこい。


「じゃ、じゃあ本一冊」


 う。

  ……も、ものには釣られない。


「(お、反応した)……三冊?」


 くぅ。

 ふ、増やしてもダメ。


「えーと……一週間分?」


 ぅう。

 そうじゃなくて。


「なぁ……、ダメ?」


 ぁぅ。
その小犬みたいな目はズルい。


「(……なら、)」

「え?」


 なんだかこう、餌とかあげたくなってしまう。

 ……は、恥ずかしくても。


「また、授業、させてくれるなら、……いい」

「ぅ」


 あ、胸押さえて倒れた。


「──大丈夫?」

「だ、大丈夫大丈夫ッ。
 ちょっと滾たぎり過ぎタだけだから大丈夫。
 あと、そんなことならお安い御用だぞ」


 たぎ……?

 いや、それより。


「いいの?」

「おう、勿論! むしろイヌ、お願いする立場」


「    ゃたっ」


 ぴょいん。


 そんな不思議な音を連れて、両足首がお尻の辺りに触れた。

 両手は耳の後ろ上辺りを彷徨い、肘が視野を狭めている。

 着た服の裾が上下とも風を孕んで、ふわりと舞った。



 意識もすることなく、昔そのままに喜びを表現していたことに気づき、足を地に着けたと同時に顔が燃えた。

 まあ、目を見開きながら赤い満面で笑う彼が、物凄い勢いで握り拳を突き出して親指を立てているところを見ると、リクエストにはきっちり応えられたみたいだからそれはいい。



 ……良しとしたい。

 むしろさせて欲しい。



 ──良しとして。

 遠目、渡り廊下の辺りからこちらを見ている、派手なのと丸っこいのと砂煙は幻覚だろうか。

 ……………どどど……………

 幻覚だといいな。

 …!…どどどどどどど…!…

 幻覚と信じさせて。

!どどどどどどどどどどど!

 そう願う間にも、影と砂煙はその勢いと大きさを増して。

どだだだだだだだだだッ!!

 現実が来た。





 なんだろう。

 これはなんだろう。


「ぉ、ぉおぉおぉお」
「ぅおぅぉおおおお!」


 ミスタバサが。

 あの、クールと無愛想で通った雪風が。

 とても、非常に、物凄く、こんなにも愛らしいではないか!

 なんだ、これは。


 がっと、すぐ傍にいた男──サイトの肩を掴み、この胸の昂ぶりのままにがくがく揺らして詰問する。


「ああああれは、あれは、なんだね。あの服は何だねッ!?」


 目を白黒させるサイトは答えない。

 それ教えたまえ、左右に揺さ振るもサイトは答えない。

 やれ教えたまえ、前後に揺さ振るもサイトはやっぱり答えない。

 賜たまえたまえ、と足を軸にぐるぐる回してみたが、サイトはどうしても答えない。


「けけけ、けしからん! 全くもってけしからんぞッ!
 そうだろッ! ギィーシュッ!!」


 あらん限りに叫ぶマリコルヌに、質問に応えもせずただ意味不明な声にもならない呻きだけこぼしている彼を放り出し、改めてミス・タバサへと向き直る。


──吽快也すばらしい──


「そうともッ! こんな、ッこんなけしからん衣裳は初めてだッ!」


 実に素晴らしい!


「脳髄を直撃するじゃないか!
 実にけしからん、もっとやりたまえッ!」


 時々きみは愉快な表現の仕方をするなマリコルヌ!

 だがそうだとも!

 さあ、もっとその可憐な姿をこの記憶に焼き付けておくれ──



 そう、言葉に出して一歩を踏み出そうとした時。

 眼前を緞帳どんちょうのようなものが一瞬遮さえぎり、空気と僕たちの昂たかぶりが、音を立てて砕けて割さけた。



 ……思わず止まった足元を見下ろす。

 何やら、大きくしなった枝と思しき節くれ立つ何かが、足先数サントの地面に深々とその全身をめりこませていた。

 そして、その枝の端っこは、ギラギラと光り輝くルーンの刻まれた人の左手に握られており。

 手の先を見れば──



「ヤア、ぎーしゅ クン、まりころぬ クン。

  タノシソウ ダネ。

   イキナリ ノ ゴライホウ ト テアラ ナ アツカイ ヲ ドウモ アリガトウ。


 ──ホら、早くさッきの恍惚こうこつシた顔ンなッて一歩踏み出ソぅ、ネ。

     胴から殴ブッた伐ぎっテやっカラ。

な?」

「「ゴメンナサイ」」



 目以外の全身で笑う鬼がいて、吊り上った口が三日月のようで。

 あまりの恐怖に、気づけば二人揃って額を地に擦り付けていた。





「んで? 何してんだよオマエラ、こんな辺鄙な所で」


 至福の時間に乱入されたからか凄い勢いで黒く焦げてゆく胸奥を抑えこみつつ、才人は目の前で綺麗な土下座を披露していた──今は─とりあえず正座させている─バカ二人を問い質している。

 笑みを浮かべた口元が引き攣り、声の抑揚もサボテン並に棘まみれな辺り、威嚇しているのかもしれない。


「ぼ、ぼくはほら、その、あれだ。
 ちょっと、『戦乙女ワルキューレ』の練習をしにだね」

「は? お前が? 今さら?」

「うむ、その、恥ずかしい話だが、最近少しあの、暴発の練習ばかりしていたせいか、段々と『戦乙女ワルキューレ』が、ハリネズミのような姿に、なってしまって、その、だね。
 一度イメージを一から練り直そうかと」


 へー、と疑いの眼差しながらも才人は軽く相槌を打ち、首を地べたのもう片割れに向ける。


「んで、おまえ。丸マリィの。
 おまえは、何シてンの? お?」

「ぼ、ぼくは何もやましいことはないぞ! 何時もどおりに食前の昼寝をしに来ただけだ!」

「ならいい加減タバサから視線を外さね?
なァ? 昼寝好きなマリコルノクン? やましいことはねぇんだろ?

ぉ?」

「ひっ!!」


 マリコルヌの首筋をぺしぺしさっきの小枝で叩く才人の目が完璧に据わっているのを確認して、ギーシュは視界から三人の姿をそっと外した。

 ついでに話題の転換を計るべく、改めてギーシュは才人に訊ねる。


「なあきみ、いまミス・タバサが着ている衣裳だが、いったいどこで買ったんだ?
 あんな服は今まで、王都でも見た覚えが無いんだが」

「あん? んなこと聞いてどうすんだよ」


 肝もすっかり冷えていたので、先ほどよりは幾らか落ち着いて尋ねることが出来た。

 才人の機嫌の方が変わらず底辺であるので、勢いが減った分だけむしろ効果はマイナスだったが。

 それでも、刺さる視線に怯むことも無く、ギーシュはセーラーなタバサを見てからずっと想像していたイメージを打ち明けた。


「その、あの可憐な装いをプレゼントしたい人が居てだね」

「? 姫さまか?」


 首を傾げたと思いきや、いきなりとんでもない事を抜かす才人。


「バカモノ! 畏れ多い、畏れ多いぞ!
 姫殿下は、今や女王陛下だ!
 ……ああ、もはや心も体も、手の届かない所へ上られてしまった。
 ましてや、女王陛下となられた今となっては……」

 「いや、最初からそもそも相手にされてなかっただろお前」


 ぼそっと判りきった事を言い捨てる才人は無視して、ギーシュは続けた。


「だが、それでようやくぼくは思い出せたんだ。
 ずっと傍で、ふらふらのぼくを見つめ続けていてくれたあの可憐な眼差しを。
 麗しい微笑を。芳しい、香水のような金髪を……」

「ああ、元カノ。
 確か、モンモンだっけ? 超巻き毛の」

「ちゃんと名前で呼びたまえ、失敬な。
 呼びやすくて可愛らしい呼び方とは認めるが、きみには呼んで貰いたくないね」


 つまるところ、と才人は指を立て前置きする。


「ヨリを戻したくなったわけだな?
 かれこれ二ヶ月、お姫さまの背中ばっかり追い回しておいて」

「仕方ないではないかね。
 ぼくは美しいものには目が無いからね。
 麗しい貴婦人の頼みごとは損をしてでも聴くものだよ」

「目が無いじゃなくて、見る目が無いの間違いだろ。
 ちょくちょく私服姿は見かけてたけど、なんだよお前あのラメ塗れの服。
 男のフリルなんぞ誰が見て喜ぶんだ」

「ぼくが喜ぶに決まっているじゃあないか。
 というか、きみも人のことは言えないだろう?
 ずっと着っぱなしのその中途半端な半袖の上着をいい加減にどうにかしたまえよ」

「いいんだよこれは、勲章だからな」

「ならばぼくの服装も問題はないね?」

「いや、大ありだろう」

「ギーシュ。きみのシャツは目が痛い」

「いや、なんできみが言うのかねマリコルヌ。
 というかきみはもうちょっと別の……そんなことより!」


 脇道どころか屋根まで飛んでいった会話を一度割り、ギーシュは再び才人に向き直る。

 才人は軽く舌打ちしていた。


「危うく誤魔化されるところだったが、そうは逝かないぞ。
 さあ、きりきり吐きたまえ。どこで売ってた?」

「そのまま脱線してりゃいいのに……残念ながら王都の祭の特売品だ。
 もうそろそろ非売品だろうよ」

「ふむ、では仕方が無いね。
 予備が無いか、君の主に尋ねてみるとしよう」



 その言葉の効果は、正に魔法であった。

 がきりと、立ち去りかけたギーシュの肩にがんじきみたいに強張った手が掛かる。


「ちょっと待て。なんでそこでルイズが出てくる?」


「そりゃ簡単さ。
 きみが祭の最中の王都へ出向く機会があったのは一日だけ、そして往ゆきも復もどりもミス・ヴァリエールと一緒だったからね。
 きみ本人に聞くより、ずっと確実だろう?
 そう、それこそ今この時間に僕の見たものをこと細かく付け加えればさぞ快く──」


 ぎしりと、一瞬だけ肩に万力並みの力が加わり、才人はころりと笑顔に変わった。


「はっはっは、いやいやギーシュくん。
 きみは実に運がいい。
 いまタバサが着ている分とは別に、予備で買ったものが二着あるんだが、良かったら譲ろうか」

「それは勿論、ぼくとマリコルヌにそれぞれ一着ずつということだね」


 一切の疑問符を挟まずに交わす言葉に、才人はこめかみを軽く震わせて頷いた。


「ああ、ギーシュ。お前は本当に運が良いな。
 こんなことならデルフも連れてきてやるんだったよ」

「はっはっは、もっと褒め称えたまえ」

「てめえは絶対ロクには死なせねえ。
 んで、受け渡しはいつにする?」

「うむ、そうだね。今日の夕食の後、寮塔のロビーでどうかね?
 ぼくたちが女子塔の部屋に堂々と向かうのは流石にマズいし、きみにむざむざ狙われてやるつもりもないからね」

「け、底意地わりいの。
 まあ、話し着いたんだからもう帰れよオマエラ。俺は忙し──あれ?」


 くるり振り返った才人は、眼前に大きく広がる一面の壁と、どこか遠く空を眺めているマリコルヌの姿にしばし唖然とした。


「……あれ? タバサは?」

「彼女なら、ギーシュが脅しに掛かった頃にふくろうの便りが届いて、寮の方に帰ったぞ」


 ぴしりと、凍りつく才人にも構わずマリコルヌは空の方を見て言った。

 ギーシュはそれを見て、こそこそと二人から距離をとり始める。


「うむ。
 あのふくろう、壁の向こうから来て本塔の向こうまで一直線に飛んだと思ったら、随分遠くで右へ曲がった。
 眼福眼福。よく訓練されてるけど、誰かの使い魔かな。
 ぼくの使い魔クヴァーシルにも肖あやからせたい……ん?
 ……ちょ、ちょっと待ちたまえ。な、何のつもりだ、その構えは?」


 マリコルヌが視界を体の傍に戻すと、なにやら才人が片足を膝から持ち上げ、先ほどの棒を両手で握り体の内側へと捻り寄せ、自分の方を物凄い目つきで睨みつつ、半開きの口から「ふ」を垂れ流していた。


 徹夜で服を仕立て上げるほど楽しみにしていた折角の時間が、相次ぐ乱入で堪能する暇も無く有耶無耶の内に終了し。

 実験のために取っておこうとした残りの服は、口止めのために全て手元から失われ。

 なにより、結局なんだかんだで一番セーラーなタバサを眺め回したのが目の前のこの丸っこい生物で。

 ついでに、西ヴェストリ広場から本塔の遥か向こうで右へ曲がった梟を目で追って『眼福』ということは、寮塔を覗いての感想なわけで。


 詰める所。


「……その記憶────麻〆まとめてコこに捨て置ケヤァ唖ァアア阿アあッ!!」

「ノ゙ぁ──ッッ゙!!?」



 主催者を差し置いて散々視ながめマワしてくれやがった不埒フラチモノには、八つ当たり込みで人誅じんちゅうすベシ。

 あまりの怒気に目を黒く染め上げて煌々と光らせている才人は、足音すら無くマリコルヌと相対位置を入れ替えていた。

 そして振り抜かれた枝に背中を強打されてエビ反りで宙に舞うマリコルヌを肩越しに目撃しつつ、ギーシュはこっそりと慌てて逃亡した。





「……ったく、あんにゃろ。いつか覚えてやがれ」


 マリコルヌを本塔の壁に沈めて我に返った才人は、ちゃっかり逃げたギーシュを呪いつつ、寮塔の廊下を進んでいた。

 行き先はもはや勿論、タバサの部屋だ。

 しばらく同じ時間を過ごしてみて分かったことだが、タバサがふらりと姿を消すのはあまり珍しいことではない。

 魔法の練習中に姿を隠して、死角から奇襲して実践訓練に切り替えたり。

 勉強の最中に席を外して、図書館からブ厚めの本を数冊借り出してきたり。

 受講しているはずの授業に素で姿を見せないこともしばしばあった。

 タバサがそうした行動を見せる時は、大抵何かしらの意味が裏にあるのだ。


 だが、だからこそ今回の行動は気に掛かった。

 ふくろうも、そしてその便りも、共に暮らした数日間では終ぞ見る事のなかったモノだ。

 もしかしたら、いつぞやキュルケの話していた“好機”……それが今、来たのかもしれない。

 そう思うと居ても立ってもいられず、才人はこうしてタバサの部屋に到着したのである。

 軽く扉をノックして一言。


「タバサ、入るぞー」
「え」


 言い放ちざまに扉を開き、タバサの声と共に思考が凍りついた。

 開いた扉の陰から見えたのは、幾つかの口を開けて置かれたトランクっぽい鞄。

 無造作に散乱している十数の本と衣類。

 そして上がキャミソ一枚の姿でベッドに腰掛け、空兵服を折りたたんでいるタバサの姿。



 ……いい。じゃなくて。



「ご、ごめん!」


 くるり背を向け、慌てて目の前の扉を閉めた。

 とりあえずこれで人目は防いだ──なんて考え、目の前に扉があることに疑問を持った。


 待て、何してるんだ俺、と。


 自分が部屋の中に残ったままであることに気付いたようだ。

 流石にテンパりすぎである。

 だがそれに気付いても、才人は身動きが出来なかった。

 後ろを振り向くなんてのは論外だし、かといって目の前の扉をもう一度開けると空気とかその後の関係とか色々なものに皹が入りそうな気がしたのだ。


 結果として、扉に手を伸ばしかけた微妙な体勢で、才人は再び凍りついている。

 部屋の中に残っているのも相当マズイと思うのだが、そこまで考えが至らないようだ。


「……もう振り向いていい」


 そうして沈黙と衣の音がこっそりと聞こえる中、タバサの声がした。

 普段どおりの声色に恐る恐る振り向けば、タバサはぶっかりセーラー姿に戻っている。

 ほんのり染まる頬が気恥ずかしく、さっき折りたたんでいた服に戻っている辺りはタバサもテンパっているのかもしれない。

 いや、うん。


「慌てん坊」

「正直すまんかった……。
 と、それは置いといて。どうしたんだこの部屋?
 急に居なくなったのと、何か関係あるのか?」


 そう尋ねると、タバサはバツ悪そうに眉をハの字に変えた。


「呼び出し」


 ふむ、と散乱した衣類を見やり考える。

 衣類の量を見る限り、結構な遠出の準備のようだ。

 この間に出かけた先から帰ってきた時は、こんな荷物は抱えてなかったような気がするが、いつもの行き先とは違うんだろうか。

 というか、タバサを呼び出すような人というと誰だろう?

 タバサは確か騎士だ。

 この国で騎士の主といえば、

 ──貴方には爵位を授けても良いくらい──


「姫さんに、ってわけでも……ないよな」


 予想通り、タバサはそれを否定した

 学院と王都トリスタニアとは目と鼻の先だ。

 明らかに荷物の量がおかしい。

 愚にもつかず悩んでいると、衣服をトランクにしまい始めたタバサの答えにすとんと納得した。


「実家から」


 そっか、と。

 タバサにも両親いるよなと、至極当たり然なことに納得し。

 過保護かなんかな、と少し不思議に思いつつ。

 同時に、実家に帰るだけなら何も危ないことも無いだろうと。

 無理についていくだけの理由が失われたことに気付き、話を逸らすことにした。


「なぁ。何か手伝えることってないか?」


 ……だってほら。

 同年代の女の子の家を特な理由もなしに訪れるのはマズイだろう?


 気が。





 さて、日は同じくしてド真夜中、学生寮の一室にて。

 自慢の巻き毛を後ろで束ねたモンモランシーは、仄暗ほのぐらいランプで手元を探りつつ、用意した『それら』を入念に併あわせていた。

 細く削そいだディバリの香木を大量の粉になるまで挽き、火竜の牙の髄ずいをペーストになるまで裂き潰したものと混ぜ、マンドラゴラの唇を煮詰めたエキスに垂らし込むと、全体がよく気泡を取り込むようにこれでもかと掻かき雑まぜる。

 なかなかにスプラッターな様相を醸かもしてゆく器るつぼの中身をじっと見つめるその瞳は、宝石でも見つめているようにきらきらと輝いていた。


 水のラインメイジ『香水』のモンモランシーは、己がそれを得意とする内に趣味になったのか、それを好んだが故に得意になったのかは定かではないが、水薬ポーションをメインとした魔法薬の調合が趣味であった。

 特に己の二つ名でもある香水──香魔法薬フェロモン作りを十八番とくいとしており、彼女に醸される柑橘かんきつにも似た甘く柔らかなそれは、内外を問わず貴婦人や街女の多くから好評を博している。

 人気のほどは、小瓶一汲み銀貨15枚から売りに出して一季節も経たずに同量で単金貨相当まで跳ね上がった相場と、極少人数ながらも国外からお忍び固定客が現れつつあることから察していただきたい。

 オスマン老から定期的に水煙管キセル用香水の調合を請け負っているとの噂もあるが、こちらは完全に余談である。



 さて、そんな新鋭調合士の彼女はこの夜、とある水薬ポーションの調合に取り組んでいた。

 もはや勿論、幻油げんゆや聖水せいすいなぞといった噂所其処そんじょそこらに出回るような水薬ポーションとは分けが違う。

 彼女の坩堝るつぼは御禁制。

 中身はなんと、三王家どころかハルケギニアの全人間国家において、製作はおろか個人での所持すら禁止されている禁断の医療薬ブツであった。


 顔なじみおとくいさまの秘薬店舗にいつもの様に香水を卸おろしに行き、何気なく置かれていたレシピ束からあからさまに怪しいそれを見出したのが運の尽き。

 狼狽する主人から材料の在庫を聞きだすや否や、表通りの換金所からこつこつ溜め込んだこれまでの香水の売り上げ含む全財産を引きずり下ろし、返す踵きびすで在庫の半分を買い占めたのだ。

 趣味は道徳に勝る。

 標準的な魔法薬など既にレシピを暗唱できるほどに作り倒したモンモランシーはこの時、普通の生き方をしていては絶対にお目にかかれないであろうこの遭遇ぐうぜんに、脅えながらも背徳の感謝を始祖へ捧げていた。


 例え、バレれば社会的に文字通りの致命傷を負うリスクがそこにあろうとも。


 この、自分が見知った調合士の誰もが作ったことのないであろう水薬ポーションという誘惑に、彼女は既に惚れ込んでしまっていたのである。

 そうこうする内、坩堝の中身はすっかりときめ細かく摩り下ろされ、萎しぼんだメレンゲのような液体・・へと変化していた。

 ほんのりとしたピンク色は、火竜の牙髄が適量の比率で満遍なく溶け込んでいる証拠である。

 すり棒を引き上げ、かっちりとしたツノが液体?の表面に現れるのを見てとると、モンモランシーは机の引き出しから布を幾重にも巻きつけた小瓶を取り出した。

 消費した金額の大凡おおよそ八割方をこの香水の小瓶四半満1/4みたしに費やしたという、恐ろしく高価な水の秘薬である。
万一にでも割ったりこぼしたり手についたりしないよう、そっと、そうっと小瓶を傾けて……



とん、とん。



 密やかに響いた扉の音に、全身が一瞬宙に跳ねた。

 反射的に視線を扉に向けかけて、即に自分が手にしているものに気づいて視線を戻す。

ざぁー……

 顔が青を通り越して白く染まるほど勢いよく血の気が退いたのがわかった。

 手の内、傾けられていた小瓶が、逆立ちをしていた。

 当然、中身は既に空になっている。

とんとん。

 それがどういう意味かを凍りついた思考で解し、モンモランシーは慌てて杖を振るうと、部屋中に『探査サーチ』特有の緑の粉をぶち撒けた。

 器用に坩堝の口内だけは避け、床面やら服やらへ撹拌させた魔力に“アタリひやくのはんのう”が来ないことを確認して。



「はあ……、もう。誰よ、こんな時間に……ぁ」


 ほっと一息を吐くと、今度は慌てて机の上を片しはじめた。

 なんせ、ご禁制のブツの残骸がごろごろ転がっているのである。

 レシピを知る者自体は確かに少ないだろうが、如何せんこの時間の来客は非常にまずい心当たりがある。


 オスマン老。


 そういえばそろそろ水煙管用の薬が切れる頃だった、と焦る思考の中片隅に思いつつ、転がる牙を引き出しの奥にごろごろ転がしてゆく。

 あの老体ならば、確証は無いがレシピを知っている気がしてならない。

 もしそうなら、今この部屋に入ってこられたら──

とんとんとん、と音がする。


「モンモランシー……モンモランシー、起きているかい?」



 これで最後、と坩堝を丁寧に置いたと同時、扉の外から聞こえてきたよく知った声に、思わず引き出しを叩き閉めてしまった。

 さっきまでの緊張感はなんだったのかと物凄い脱力感が押し寄せる中、モンモランシーは頬をぬぐうと扉へ向かい。

「どなた?」

 と、既に粗方の輪郭が透けて見えそうな訪問者に問うた。

 返事は予想通り、

「ぼくだ。ギーシュさ。
 きみへの永久の奉仕者だよ! この扉を開けておくれよ!」

 ある意味斜め上になって返ってきた。


「わたしにはそんな奇特な知り合いは居ないわよ」

「そんな、ひどい……」


 当たり前である。

 並んで町を歩いていれば、すれ違う女一人一人に目移りするわ。

 酒場で飲み交わしていれば、ちょっと席を離した隙に給仕の娘を口説きに掛かるわ。

 デートの待ち合わせに暇を潰せば、約束そのものを忘れ去って後輩の女の子のために花を摘みに遠駆けするわ。

 いったい誰への奉仕者なのかと問い質したい。


 まともに相手をしてあげてるだけでも儲けていると思うべきでしょう。


「それで、今更なにしに来たのよ。とっくに、あなたとは別れたはずよ」

「ぼくは、あの日から一日たりとも君のことを想わなかった日はないよ。
 けれど……きみがそう思うのなら、それはぼくの責任だね。
 なにせ、ぼくはほら。
 綺麗なものが、ダイスキだ。
 つまりぼくはきみへの奉仕者でありながらにして美への奉仕者……。
 きみも知っての通り、芸術、そう芸術!
 美しいものには目が無いからね……」


 見る目が無い、の間違いでしょう。

 そう突っ込みたくて、でも突っ込むと話が泥沼になるので口を引き結んで耐えるモンモランシー。

 普段着のフリルのシャツといい、私服に上も下もギンギラの赤と紫を選ぶセンスといい。

 どの辺りが美しいのかも不思議ではあるけれど、そもそも私服を原色ばかりでかためて選ぶのはどうかと思う。


「けれどぼくはもう、きみ以外を芸術とは認めないことにしよう。
 幸い、きみはなんだか級友たちで一番芸術しているからね。
 えっと、金髪ブロンドとか」


 頭痛がしてきた。

 どうしてこう、この男はもう……。


「帰って。忙しいのよ、わたし」

「そっ……」

 そう無碍に背を向けると、幾秒かの空白を挟んで涙声になったギーシュの声がした。

「そう、か。それでは、ぼくは今、ここで朽ち果てるしかないのだね。
 愛するきみにこうまで嫌われてしまっては、ぼくの生涯なんて銅貨ドニェの一枚にも満たないだろうから」

「そ──。

 ……、好きにすれば」


 反射的に否定しかけた声を引っ込める。

 このあたら惚れっぽい男が、自分一人にフラれた程度で絶望なんてするはずもない、とこれまでに幾度も誤魔化されてきた経験が忠告してきた。

 ……と同時に、何だか嫌な予感と、好奇心にもにた不気味な泡肌が立つ。

 こういう時のギーシュは大抵、予想もしないようなことを──

がりがりがりがり

 ──ナニこの音。


「……ギーシュ? あなた、いったい」

「永久の愛に敗やぶれた男、『青銅』のギーシュ、ここに眠る……ん?

いや、ここは『果てる』の方が映えるかな?

どう思う?」

「そこでなにしてるのよッ!」


 それが扉を刻む音だと察するや否や、モンモランシーは勢いよく扉を開け放った。

 だがその先に佇むギーシュは想像していた姿ではなく、青銅の針と変哲も無い板きれを見ぬ方へ放り出し、向日葵みたく弾ける笑みを浮かべると。

 一拍後には姿を現したモンモランシーを腕の中に吸い込んで、扉の内側へするりと上がり込んでいた。


「ああ、モンモランシー、やっと会えた!
 たまらない、愛しているよ! 愛してる、ダイスキだ! ずっと愛してる!」


 嵌められた──そんな思いが自分の意識ではないもっと遠いところで浮かび、だがそれを気付く余裕などとうに失い。

 以前より少し硬くなった体に抱きしめられ、二ヶ月ぶりの人の体温ぬくもりにうっとりと蕩けそうになり、目を閉じかけた段になって慌てて頭かぶりを振るった。


 色んなことを喋るわりにはその実、一貫して愛しているばかり伝えてくるギーシュ。

 だが、モンモランシーはそれに弱い。


 言われ慣れておらず耐性が無いということもあるが、趣向を凝らして綴られた千の修飾よりも、ストレートに伝えられるこの男の『愛』はずっと心地よいのである。

 ……そう、例えその男が過去どれほどの浮名を流していたとしても、その一瞬だけは何もかも許して受け入れてしまいそうになるのだ。

 非常に、相性たちが良わるいのである。


 自分はまだ許していないのだ、と軽く距離を開け──腕の力は思ったよりも緩い──心持ち目を厳しくするよう努めて、新あらためてギーシュに向き直る。


 すると、ギーシュの所在なさげな手に下げられた紙包みが目に写り。

 それに気付いたギーシュは思い出した様にその包みをモンモランシーへ手渡した。


 包みは大きさの割りに軽く、硬いような柔らかいような感触で中身をうまく伝えてこない。


「なにこれ?」

「開けてごらんよ。ぼくからきみへの、心からの贈り物さ」


 贈り物プレゼント。

 ギーシュからの贈り物といえば、花か韻の外れた文ふみか土の秘薬そざいのどれかしか思い出せないモンモランシーとしては、そのどれでも無さそうなこの包みの中身への興味が一気に沸いた。

 何だろうかと興味津々に、だが過去の教訓を踏まえて恐る恐るぺりぺりと開いてみれば、果たしてそれは小奇麗な服であった。

 ただ、そのデザインは何度となく出かけた王都でも見かけたことがない。


 モンモランシーは知る由も無いが、それは食後の才人から快く強請ゆすりうけ、いつかの誼よしみと縁えにしで顔見知りになったシエスタに特急で仕立て直して貰った、例の“空兵制服”である。


「──なにこれ」


 やけに幅広い襟やら、きっちりと締められた袖口やら、その割りには飾り気も碌にない下地やら。

 普段着にするにしてもえらく堅苦しげなその服に、モンモランシーは繰り返し呻いた。


「着てごらん? 清純なきみだから、きっとよく似合うよ。
 さあ。ほら。はやく。
 ああ、なに、ぼくのことは気にしないでおくれ。
 ほら。
 このとおり、明後日でも見つめているから」


 そう捲し立てると、ギーシュは扉脇の壁に伏して貼り付いた。

 そのまま右手が音を立てないようせわしなく壁を叩いていたり、左手が髪をがしがしと掻き立てていたり。

 なんとも落ち着きのないギーシュの姿に軽く頬を引き攣らせて、モンモランシーは手元の服を改めて見やる。


 ……これを、自分が、着る。


 それ以上を想像してしまうと非常に心に優しくない気がして、彼女は取り急いで着替えた。

 着替えを終えて、軽く悔やんだ。



「なによこれ……」



 凄晴すさばらしく、丈が短い。

 おへそが涼しい。

 何考えてこんな服を送ったんだろう、この目の前で爪を噛み刻む男は。


 見たいのか。

 そんなに肌が見たいんだろうか。


「どうする?」


 このまま見せてしまってもいいものだろうか。

 結構かわいらくていい感じに気に入ってしまいそうなのは確か。

 でも、この煌々馬鹿カラスモグラの過去の所業うわつきもまた事実。


「ま、まだかいモンモランシー?」

「あ、もういいわ……よ?」


 悩んでいる内につい反射的に応えてしまい。

 そして勢いよくギーシュは振り返り、凝こごった。


「ぎ、ギーシュ?」

「………………………………………………」

「──あの」

「嗚呼……素晴らしい。
 やっぱりきみは清純だよ……ぼくの可愛いモンモランシー……」


 そう呟くと、ふらふらと頬に手を伸ばしてきて。

 咄嗟に、その手首を押さえてそれを制す。


「モンモン……」


 とても切なげな呟きに力が緩みかけ……いやいやと頭を振るい、危うく流されかけそうな自分を思い直す。

「それ以上はダメよ、勘違いしないで。
 部屋の扉は開けたけど、まだあなたとやり直すって決めたわけじゃないんだから。
 とりあえずそのふざけた呼び方はやめて」


 そこまで話して、改めてギーシュの顔を見上げてみると、ぶわっと花開く満開のひまわりが見えたような気がした。

 しばし眼をしぱたかせる。

 さっきの薬、匂いに幻覚作用なんかあったかしら。

 顔が熱い。


「ああ、ぼくのモンモランシー!
 まだ、まだぼくは諦めなくてもいいんだね!」

「わ、わかったら出てってよ!
 用事の途中だったんだから!」

 顔を直視するのも厳しいので、とりあえずぐいぐいとギーシュを押し出し、扉に錠をかけた。

 とりあえず気が済んだのか、はたまたうっかりこぼした“まだ”に浮かれたのか、部屋に戻ってくる気配も無い。

 どうやらそのまま帰路に着いたらしい。


 ほ、っと一息つくのも一コマ、自分の姿を改めて鏡で見てみる。

 ……バカみたいに赤い顔をして、バカみたいに肌を曝けた自分が写った。


「どうする?」


 許しちゃうの、と問いかける。

 そうして、また浮気するあのもう一人のバカにまた同じ様に泣くのかと。

 またヤキモキするあの頃に戻っていいのかと、浮ついて見える鏡の向こうに尋ねてみた。


「どうしたい?」


 口をついて出た問いに、今度は答えを浮かばせられた。

 それは決まっている。


 許したいのだ。


 距離を離せば、少しは心が楽になるかと思ったけれど、結局は何も変わらない。

 いや、むしろ傍に居た時よりもっと酷くなった。

 ここしばらく調合に精を出していたのだって、どことなく楽しげに、頻繁にどこかへ出かけているギーシュを見るのが辛かったからなのだから。


 今日のことで、まだギーシュに嫌われたりしていないのは判った。

 だが、だからと言ってここで許してしまうと、また前と同じ事の繰り返しになってしまいそうな気がするのも確か。

 心は、今許してしまえと告げていた。

 だが、よく知るギーシュの性格が、最後の一歩をどうしても踏み切らせてくれないのだ。

……どうしよう。

 迷うモンモランシーは、とりあえず体に染み付いた癖が赴くまま、禁薬を仕上げるべく机に向かった。



 そういえば、この薬ってどういう薬だったかしら。

 るつぼの中身を攪拌していると、そういえば作るのに夢中で肝心のそれを忘れていることに気付いた。

 他にも禁制のレシピは山とあったと言うのに、なぜこの薬を選んだのか。

 何かこの状況を打開するための物だったような気がしたモンモランシーは、薄らな記憶を手繰り寄せる。


 そうする内にも手が動きを止めることは無く──直に完成したそれは、手近に空いていた試験管へと移された。


 灯りに透かして見るそれが、淡い薔薇の様に輝いて見えた。





 さて、時間は移り、翌朝の食堂。


「くぁ……ふ、う。一晩経ったのにしんどいぜ」


 才人は食卓に突っ伏して垂れていた。

 結局あの後、休暇願の届出やら通行手形の発行手続きやらのために学院長室まで往復したり、荷造りを手伝ったり、暇になって乱入してきたシルフィードの相手をしたり(重要)と、なんやかんやで体力を使い果たし、夕食の後はすぐに部屋で撃沈していた才人だった。

 武器の無いガンダールヴの体力は有限なのである。

 食堂に来る途中、門の方に馬車が見えたし、当のタバサは今頃は荷物運んでる真っ最中だろうか。

 とりあえず、食堂の中には姿が無かったが。

「……ちょっと」

 しかし、あの荷物の量といい、タバサの実家ってどこなんだろう?

 結構な数の服を詰め込んでいた姿が脳裏をよぎった。

「ちょっと、いつまで突っ伏してるのよ。訊きたいことがあるんだけど」

そう考えた時、なんとなく不機嫌っぽいようなルイズの声が耳に届いた。

はて、何だかそういえばいつもよりもちょっと食堂が騒々しい気がする。


「なんだよ。今、ちょっと起き上がるのだるいんだけど」

「そのままでいいから、ちょっと向こう見なさい向こう」

「向こう?」


 言われるままに首を捻ると、何やら回りの生徒も揃って同じ方を向いているようだった。

 何だ何だとその視線を追い……そして顔から血潮が逃げ出した。


 視線の先では、モンモランシーが丁度席に着こうとしていた。

 ただしいつものモンモランシーではない。

 表情はどことなく得意げで。

 顔色が少し火照っており。



 そして何よりも。



「ねえ、あれってあんたが買ってた服じゃない? なんでモンモランシーが着てるのよ」

「ああ、その、うん、えへ。
 あ、ほらアレだ。
 昨日ギーシュがたのむ、譲ってくれって頼んできたから、それじゃね?」


 そう、何故かセーラー服姿だった。

 まさか公衆の場にも着てくるとはある意味自然だがあんまりにも想定外で、才人は軽くテンパってしまった。

 全然そんな事はないはずなのに、何故かルイズの声が冷えている気がする。

 これが後ろめたさか、と戦慄した。


「ああ、そういえばあの二人って……あれ? なんでギーシュがあの服のこと知って」

「さささささぁ?
 おお俺に訊かれててもわわわわかんねぇえなぁあ?
 でも、うん、女の子に着せるなんて発想はなかったなぁあはははは」


 テンパったまま誤魔化そうと試み、状況悪化。 わーにんわーにんむしろこーしょん。

 ちらっとルイズの顔を見てみれば、なにやらとっても怪訝そうに眉をしかめていらっしゃる。


「……ねえ。なにを、わたしに、隠してるの?」

「え? ええ? な何のことやらバーニィさん。
 なにもかくしてないよ? ボクウソツカナイ」


 誰よバーニィ。

 誰だろうねバーニィ。


 じっとりと背中を這う冷や汗をスルーしつつ、才人は更なる恐怖を思う。

 やべぇ墓穴掘った、と。


 これでもし、万一でもタバサにあの服着てもらった事がバレたら。

 というかやべぇ目撃者よりによってギーシュじゃねぇかあのバカ自慢してうっかりポロリなんて。

 走る思考のままギーシュを見やれば、なんか面白いむずかしい顔で腕組んでだんまりしていた。

 ああ、なるほど大勢に見られているのが複雑なんだなざまぁ。


 とりあえずこれで二次災害の危険は一ヶ減ったと安心……できるだけの余裕は無く。

 ルイズの眉がいい感じにヤバイ角度に釣り上がってきたのを見て取ると、とりあえずタバサの部屋のアレを回収しようと心に決めた。

 ここ最近はルイズが洗濯物を出していることもあり、下手をしなくても何日かすれば、俺の持ち物からアレが全部なくなってるのはバレるだろう。

 さっきうっかり、女の子に着せる・・・とかぽろっと洩らしてしまったので、多分そうなるとルイズは答えに辿りつく気がしてならん。

 そうなった時、タバサの部屋にアレを残したままなのは非常にマズイ。

 なんのかんの言いながらも、女の子相手には節度ある付き合いを求めるルイズのことだ。


Q.友人の女の子を着せ替え人形的に扱うのは、節度ある付き合いか否か?
A.Guiltyひけつ, Guiltyろんがい, Guiltyしぬがよい.


 其は罪なり。

 脳内判決は即決にして無常である。



 ……なんとしても回収しなければ。

 もしアレが見つかったら……もし、アレをタバサに着せて楽しんでたことがルイズにバレたら……。


 ……鞭で百叩き?


 ……電気びりびり?


 ……虚無で粉砕玉砕以下省略?



 …………俺、死ぬかも。


 ガタガタガタ、と音がする。

 何事かと思えば、自分が震えて椅子の天板を揺らす音だった。

 まて、まずい、落ち着け。

 ここで震えるっ……それは自殺行為っ……!


 なんて思えば思うほど、震えは続く。

 きっと顔には縦線がびっしり入っていることだろう。

 逆に考えるんだ、バレてしまってもいいと考えるんだ。 

 故郷の雰囲気を楽しみたかっただけで疚しい気持ちは断じて……ごめん嘘ついた。


「ねえ、なに隠してるの。わたしに隠し事は許さないからね。犬」


 犬キタ。


「な、なにも隠してないよ? カクシテニャイ」


 噛んだところで、食事もキタ。


「あ、ほら。とりあえず食っちゃおう。

 うん。食おう」

「むぅ……、後でちゃんと話聞かせなさいよ。
 ってこら、食前の礼は済ませなさい」


 ひふぁらひまふ。




 ふぉひほうはまでした。


「あ、こらちょっと待ちなさい。
 待て。どこ行くのよ」

「いや、ちょっとデルフに餌やってくる」

「そう、それじゃ仕方な……はぁ?」


 振り向くことなく、才人は食堂を出て行こうとしている。


「待ちなさいって言ってるでしょ!?
 ていうか剣がモノ食べれるわけないでしょうがなに隠してるの!

待てこらーっ!」


 そのまま出て行ってしまった才人を追って食堂を飛び出すと、何やら学生寮の方へ慌しく走っていく後姿が遠目に見えた。


「このっ……待ちなさいってばー!」


 急いで追いかけ、寮塔のロビーまで辿り付いたものの、既にそこには才人の影も跡も無かった。





「くぅ……絶対聞き出してやるんだから。放課後覚えてなさいよ──ッ!」


 ばたばたと引き返す足音がすぐ近くを通り過ぎ──十数秒。


「……行ったか?」


 ロビー隅に置かれた大樽に、そっと蓋を押し上げて辺りを伺う才人の姿があった。

 緊急回避は、相手に時間が無い時ほど友好な常套手段である。

 とりあえず一時を凌げば、後は空いた午前中にどうとでも出来る才人にとっては実に都合のいい選択肢だった。


「……っやべ、また戻ってきたっ?」


 この時までは。



 近づいてきた足音に、慌てて蓋を閉めなおした才人は、マズいバレたかと戦々恐々し、だが別のことに気付いて顔を青くした。


(……そういえばこの樽って確か、タバサが用意してた空樽……)


 その嫌な連想を後押すように、二人分の足音が近づいて、すぐ傍で止まった。


「……これで最後かい?」

「みたいだね。ほらほら、運んじゃお。そっち持ってー」


 マズい……。

 才人が今すぐ飛び出すべきか後でこっそり抜け出すかに迷い、動きを止めていると。


「いやいや、これくらいなら俺一人でも……うん? 何か重いな」

「えー。あ、じゃあさじゃあさ。こうすれば」


 ごとん、といきなり樽が横倒された。

 ただでさえ体勢が不安定だった才人は、考え事をしたまま、後頭部を強したたかに板越しに大理石ゆかへと叩きつけられ、


「お、おいおい。そんな乱暴に扱うと壊れるぞ?」

「だいじょーぶだいじょーぶ。
 ほらほら、早く運んじゃおうよ?」

「あー……まあ、そうだな。
 あんまり待たせて機嫌を損ねても何だしな」


 加えて更に猛烈な回転を掛けられ始めた才人は、成す術も声も無く、意識が飛んだ。


「しかしまあ、変な重心だな。
 もうちょっと詰め込むもんは無かったのかねぇ」

「といっても、他人ひとの荷物を勝手に漁るわけにもいかないしね。
 ほらほら、それ積み込んだらすぐ出発なんだから無駄口叩かないの」

「はいはい。それじゃ急ぐとしますかね」


 回転が加速。

 そして連続する衝撃であえなく気絶。

 見事なコンボで、才人は脱出する機会を失ってしまったのであったとさ。





 放課。


「変ね……どこ行ったのかしらあのバカ」


 不思議なことに、昼食の食堂にも昼休みの広場にも姿がなかったサイトを探し、ルイズは学院中を徘徊していた。

 それはもう、五芳星の頂点に当たる各塔も広場も虱潰しである。

 見つからないのだから仕方あるまい。 



 例えば本塔の厨房。

 昼食の時にも覗いてみたが、変わらずサイトは来ていないようだ。

 なにやらしょんぼりしている黒髪メイドの姿が見えた。



 例えばアウストリ広場。

 食堂を出てぐるりと見渡してみたが、生徒や衛士がちらほら居るだけで、あの目立つ青い半袖は見られなかった。



 例えば土の塔。

 ……は、探しだす直前まで授業を受けていたし、そのあと軽く探してみたけど姿は無し。

 この短時間でもう一度探すのも骨であるので、後に回した。



 例えば、スズリ広場。

 ──の、ミスタ・コルベールの工房。

 広場には玉遊びに興じる一年坊主以外に人影は無かったため、サイトが居ても違和感の無い工房にお邪魔してみた。

 が、ここにはサイトは居なかったようだ。

 工房にはミスタが一人、何やら例の飛行器の翼らしき鉄塊に張り付いてリズミカルな金属音を奏でていた。

 かなりの騒々しさを堪えつつ念のためミスタにサイトの所在を尋ねてみたが、どうもここ2~3日はサイトに会っていないのだとか。

 その後は、うっかり翼を取り外して大丈夫なのか尋ねてしまったため、飛行器の構造について語り出したミスタを放置して逃げた。


 ……そういえば、何やら新しい装備を搭載したとか去り際に聞いた気がしないでもない。

 当面、サイトに伝える気はないが。

 今かけさせられている手間を考えれば、このくらいの仕返しは有ってしかるべきだと思う。



 例えば、火の塔。

 探索中、三階の教室から漏れ出る人の声に釣られ、そっと内側を伺ってみた。

 カラスを肩に乗せて背を向けている誰かと、どこかで見覚えのあるメイドが、やたら和やかな雰囲気で話をしているのが見えた。

 あのカラスは確か……、ド・シェランの使い魔だっただろうか。

 とりあえずここにサイトは居ないようだし、あの雰囲気に割ってはいって所在を尋ねるのもどうかと思ったので、別の部屋を当たることにした。

 それでも、サイトの姿は無かったが。



 そして、今はヴェストリ広場を見渡している。

 と言っても、ものの見事に無人であるが。

 誰かが潜んでいる様子もない。

 片隅に転がっている大釜にも、特に何も隠れていないようだ……?


 広場を眺め渡していたルイズは、今居る渡り廊下の対岸に、風の塔に入っていく人影を捉えた。

 遠目で判りにくいが、首回りで暗い紅色の布と大きな襟が風に吹かれて棚引いていたような気がする。

 とても、サイトの購入していた例の服によく似ていた。

 けれど、アレは誰だろう?

 とりあえず金の髪だったので、サイトではない。

 同時に、あの目立つ長い巻き髪でもなかったのでモンモランシーではない。


……いや、本当に誰?


 ルイズの知る限り、サイトの知人に短髪の金髪の女性は居なかったはず、とルイズは首を捻りつつ、とりあえず後を追いかけた。

 風の塔の門扉を軽く押し開け、中を伺い……真っ直ぐに伸びた廊下の先に、とりあえず誰も居ないことを確認して、体を内へ滑り込ませる。 

 人影はどこへ向かったんだろう?


 とりあえず廊下を進み、両脇にある教室の内、左手のものから覗いてみる。

 ……誰も居ないようだ。というより、鍵が掛かっている。

 反対側の教室も同じ。


 ならば、と門扉脇の螺旋階段へ向かおうとしたところで、頭上の方から、扉が閉まる音が響いた。


(今のは……真上かしら?)


 足音を立てないように注意しながら動き、二階へと歩を進めるルイズは、一階と二階の丁度中間、階段の途中で立ち止まると、そっと耳を凝らした。

 この螺旋階段は、塔の構造上、壁の向こうの声がよく響くのである。


「ぁ……あぁ……はぁあぅ……」


 ……篭った声が聞こえる。

 どうも、男の声のようだ。

 どうやら、この壁の向こうの部屋に誰か居るらしい。


 それを確認したルイズは、そっと移動しながら、風の塔の間取りを思い出す。

 確かあの壁の向こう側は、倉庫になっていたはず。

 この風の塔は基本的に授業以外では使われることが無いため、まず間違いなくこの──

ルイズは、謎の声が聞こえた部屋の扉の前へと辿りついた。

 ──倉庫の中に居るのは、先の風兵服に身を包んだ人物のはずである。

 いったい、こんな所で何をしているのだろう?

 と、そこでふと不思議なことに気がついた。


 そういえば、例の服を着ていた人物は女性ではなかっただろうか?と。

 ……そう、見間違いでなければ、確かに遠めに見えた人物はスカートを身に付けていたはずだ。

 そして、あの声。


 ルイズは、改めて扉に耳を当ててみた。


「はぁ! か、かわいい……かわいいよぉ……」


 うん。やはり男の声だ。

 語尾がえらい緩んではいるが、女性の声とは思いにくい。


 ……つまり、今この塔には自分以外に、男と女が一人ずつ居ると。

 加えて、女性は例の服を身に付けていたと。

 そいでもって、サイトのあの凄い怪しい態度。

 それらを練り合わせて、現在この部屋で起こっていそうな風景を妄想して……。



 コメカミ辺りで、血管が音を立てて弾けた。



「節度を守れと何度言わすかこのバカ犬ぅうううううううううッッッ!!

Va裁──「ひぃいいぃいっ!?」──っ。

……え゙?」             



 扉を蹴破り、妄想の光景に罰を与えるべく拘束具の呪を唱えようとしたルイズは。

 その瞬間、眼に映ったアリエナイ光景に凍りついた。

 突然開かれた扉に背筋を引き攣らせて振り向いた人物。


「る、るるるルイズ!?」


 例の水兵服に身を包み、スカートをはいて、さっきまで間違いなくこの部屋から聞こえていた声で、どもりながら名を呼ぶ、金髪の── 少 年 。


「ま……ま、ま、マリ、コルヌ?」

「ゎ、わわわ」


 完全に石化しているルイズの脇を慌てふためいて通り過ぎようとしたマリコルヌ。

 だが、慣れないスカートに足を縺れさせ、その初速のままもんどりうって壁に衝突した。


「んあっ!
 ……あ、にゃぁ! ふぁ!?」


 そのまま転がって足元まで戻ってきたマリコルヌを、ルイズは咄嗟に背中を踏んづけた。

 ついでに、扉を勢い良く叩き閉める。

 まかり間違ってこんなモノが外に出たら、瘴気で学院が汚染されかねない。

 というか、これが逃げるように去った後で、こそこそ出て行くところを誰かに見られでもしたら死にたくなる。

 そんなわけで、正しく汚物のように妙な嬌声を撒き散らすマリコルヌを踏みつけつつ、ルイズはついさっきまでこれが此処でなにをしていたのかに見当がついた。


 さっきコレが立っていた正面には今、非常に弱気そうな骨ばった細身のスカートをはいた少年と、その骨皮筋少年に踏みつけられて恍惚の表情を浮かべている──思わず足に力を込めてしまった──髪を長く垂らしたぽっちゃりとした可愛らしい少女の姿を写す、古臭い姿見の鏡があった。

 醜いものを美しく、美しいものを醜く映しだす、『嘘吐きの鏡』という魔法道具アーティファクトである。

 姿が美しく映ろうが醜く映ろうが問答無用に割られそうになるので倉庫に死蔵されているという、ある意味で曰く付きの品だと聞いたことがあった。

 どうやらマリコルヌはこれに自分自身を映して、一人悦に浸っていたようだ。

 鏡の角に頭でもぶつけたんじゃなかろうか。


「──で? なんであんたがその服着てるのよ」


 蔑む眼で見下ろしながらルイズは問うた。


「いや、あんまりにも可憐過ぎて……で、でも、ぼくには着てくれる人が居なくって……」

「それで、自分で着てたって?」

「そうだよッ! 悪いかッ!」


 悪いわ。


「だって、自分で着るしかないじゃないかッ!
 ギーシュにはモンモランシーが居るし、きみの使い魔の平民にはタバサが居る!
 でも、でもぼくにはガールフレンドなんて居ないんだよォオォオオオッ!」


──ちょっと待て。


「あら嫌だ、聞き間違えたかしら。
 サイトと、タバサがどうしたの?」

「え?
 だって、あいつがタバサにこの服を着せて、くるくる回らせたり、飛び跳ねさせたり……っ、ああ、思い返すだけで、ぼくの心は可憐な官能に焦げてしまいそうだ!
 だからその想いを縁よすがに、せめて鏡にこの服を着た自分の姿を映して……ああ、ぼくは……踏まれるぼくもなんて可憐な、あぁ! あ、あぁあぁあああ!」


 背筋を走る余りのおぞましさに、ルイズは体をくねらせ始めた怪生物の横っ面へと足を叩きつけ、マリコルヌは絶叫した。

 だが、その顔は更に心地良さそうに歪んでいる。


「おだまり、豚。
 ……いや、その前に一つだけ答えなさい。
 あんたがその二人を見たのは、いつ?」

「あ、あぁ! き、昨日、昨日のっ、あああッ!
 る、ルイズ! ああ! ルイズ!
 きみみたいな美少女に踏まれて、我を忘れそうだ!
 ぼくの罪を清めてくれ! 懺悔させてくれ!
 こんなとこで可憐な妖精さんを気取って、我を忘れたぼくの罪を踏み潰してくれッ!
 ぼくは、ぼくはどうかしてるッ!
 ぁ、あ、んんぁあぁああああああああああッッ!!」











「……ええ、どうかしてるわよ。あんた」

 最後の絶叫に合わせてコメカミを踵で抉ったルイズは、相反する怒気と怖気を振り払うようにきびすを返した。

「そう。そういうことだったの。
 昨日? あれだけ節度を守れって言っておいたのに、一週間も保たないのね?
 おまけに、くるくる回らせた? は、跳ねさせた?

 ……ふ。
 ふ、ふふ、うふふふふふ。

 そう、そうなのね。
 骨の髄といわず、魂の芯まで刻み付けないと理解できないのねあの犬チクショウは」


 うふふと笑いを溢しながら、幽鬼のようにルイズは部屋を後にした。


「上等じゃない。
 貴族の礼儀を、理解出来るまで。
 何度でも。
 何度でも何度でも。
 何度でも何度でも何度でも何度でも。
 嫌と言っても泣き叫んでも、容赦なく教えてあげるわ。

使い魔バカイヌ」





「あら? 丁度いいところにキュルケ」


 不意に掛けられた珍しい声に、何の気なしに振り返ったキュルケは、頭から瞬間冷凍フリーズドライされた。

 なんだアレは。


「ねえキュルケ?

 あなたサイトが何処にいるか知らないかしら?」


 口元は弓幹ゆがらの如く歪んだまま微動だにせず、見開いている様にも見えないのに白目が虹彩の四方を取り囲み、明るい赤紫の長髪が蛇の様に揺らめいている。

 それが一歩を踏み、二歩を踏み、手をこちらに伸ばしたところでルイズであると気付いて。


「ちょっと? なんで 逃げるのよ? 待ちなさい」


 キュルケは本能的に踵を返し、学生寮へ駆け込んだ。





 悲鳴も出なかった。

 むしろ、声を出せることも、息ができるのかすらも、引き攣った呼吸音が聞こえるまで忘れていた。


「待て?」

「ひ……!?」


 よく通る声に思わず振り返った自分を呪い、寸で叫ばなかった自分を褒め称えたい。

 何故姿も見えないのに耳元で声が聞こえるのか。


 キュルケは人生初めての必死の全力疾走を体験しつつ、助けを求めてタバサの部屋を目指した。





 五階。

 到達するや否や脇目も振らずにタバサの部屋へと向かい、勢い良くドアを押し、

ガッッ

「……………………え」

 軽い絶望を覚えつつ、もう一度押したり引いたりを繰り返してみて。

ゴカッ

「ちょっ、えっ」

ガタタタタタタタッ

「鍵!? タバサーッ!?
 タバサ開けて開けて開けてぇええええ!?」


 中の気配の有無なんぞに気付けるわけも無く、来た道からコツコツと響く足音&クスクス聞こえる笑い声に更に焦って、視線を階段に固定したままドア連打。

 パニック状態もいいとこである。

 なんの恐怖舞台グランギニョルかこれは。

 一向に開く気配のない扉と、ついに視界に入った桃色に。


「こ、こうなったら!」


 キュルケは形振り構わず思いっきり扉に体当たりし、部屋の中へと転がり込むことに成功した。


「きゃぁ!?」「のぁーっ!?」


 ただし、対面側の部屋に。勢い良く扉を開いた拍子に、誰かふっ飛ばした気がするが正直ソレどころではない。

「キュ、キュルケ!? なに勝手に入ってきてるのよ! ってちょっと!?」

 窓が閉まっているのを見て取るや否や、キュルケは眼に留まったベッドに飛び込み、シーツを頭から被って息を殺して。

「ちょ、こら! 人のベッドに何してるのよ!?」

「あたた……そ、そうだとも!
そもそもまず何か言うことが

「ここかしら?」

ひッ!?」

 一つ気付いた事がある。

 しまった、隠れてどうする。

 これでは逃げ出せないではないか。

「あっ!」

「ちょっとこれ貰うわよ」

「あ、こら! それはぼくの……あ、なんでもない。うん」

 まだ間に合うか、とシーツを跳ね。


「……あ」

「見ぃつけた ?」


 グラス片手に窓の前に陣取り、杖をこっちに向けたルイズと目が合った。

 逃げ場なんて無かった。

 少しずつ歩を進めてくるルイズ越しに、河が見えたような気さえする。

 あれが忘却の河というものだろうか。


「……キュルケ」

「は、はい! ……はい?」


 一声で幻覚から立ち直されたキュルケは、不思議なものを目にした。


「どうしてよ」

「ルイズ?」


 先ほどまでの張り付いたような表情はどこへやら。

 軽く俯き、眉が下がり、なんだか今にも泣き出しそうな上目遣いで、拗ねた様にこっちを見ている。

 あ、泣いた。


「なんで、いきなり逃げるのよ!
 ばか! このばか!
 嫌いなの? そんなにわたしが嫌いなの!」


 いきなりなにを言い出すんだろうかこの娘は。

 ぽかぽか軽い音のしそうな拳で胸を打ってくるルイズを見ながら、キュルケの思考はつい先ほどまでの恐怖と目の前の娘が≒でも結べず、だらだらと情報を受け流していた。





「ねーねーリュコー。
もう結構な距離進んだけど、今日はこの辺りで良くない?」

 ふと目が覚めた。

「ん……まあ、そうだな。
宿場はとっくに通り過ぎたし、水場も近い。
……お嬢さん、本当に野宿でいいんですね?」

 なんだろう、視界がむちゃくちゃ暗い。

「問題ない」

 というか、全身が隅々まで痛い。

「心得ました。
それじゃあ、野営の準備をしますので。
しばらくお待ちください」
「「ん」」

 ごとりと音がして、重心が前によって、顔面をぶつけて思い出した。

「カル、頷いて誤魔化そうとしても無駄だからな?
水汲むか薪拾うか選ぼう、な?」
「あう。じゃあ、薪で」

 そういえば樽に隠れてたんだったか。

「じゃあ、俺が水な。野良に気を付けろよ?」

 全身が痛いのはあれか、回転くらったからか。

「……水、空の樽が一つあるから、それに」

 あ、思い出したら気持ち悪くなってきた。

 酔う的な意味で。

「うん? 確か運んだ中には、空樽はなかったはずですが……」

 というか、さっきから聞こえるこの声は一体。

「? そんな筈は……」

……ん? 何か外が……

「……サイト?」

「……タバサ?」

樽の中、蹲っている彼と、目が合った。

蓋を持ち、覗き込む彼女と、目が合った。





 
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