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fate/vacant zero

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霧に煙るは颪か灰か





 雲の上、とまでは行かないが、それでも見晴らしのよい空の中。

 ずっと遠く、ハエのような大きさで見えている黒鷲イーグルを追って、背に人二人を乗せたシルフィードはわりと必死に羽叩いていた。

 2頭……もとい2羽?の距離はそれでもじわじわとしか縮まることはなく。

 じれったそうに急ぐシルフィードの背はお世辞にも乗り心地がいいとは言えなかったが、その背の二人……ルイズとタバサは、知ったことでもなさそうに話をしていた。

 もっと正確に言うなら――


「……で、ね。サイト、あれが武器だからって。助けたいって、後悔したくないって……」

「飛び出した?」


 タバサが、ルイズから事のあらましを尋きき問ただしていた。


「なら、この先には」

「攻め込んできてるアルビオン軍が居るはずよ。
 ……何考えてるのよ、あのバカ。
 バカ。ホントバカ。
 一人で軍隊に勝てるはずないじゃない……」


 早く止めなきゃ。

 そう呟くルイズを背にして、タバサはしばし目を瞑る。


 なぜ、相談してくれなかったのか。

 勝算はあるのか。

 怖くは無いんだろうか。

 訊ねてみたいことは後から後から、泉のように湧いてくる。


 だが肝心のそれを尋ねられる彼との間には、まだかなりの広さの空が群がっている。

 学院を出た時に比べたら大分狭まってはきたとはいえ、この調子では追いつく前にラ・ロシェールに到達してしまいそうだった。


 このままなら。

 シルフィードが、"タバサの風竜"である限りは。

 そう考えた時には、もうその手は己が外套の裏へと潜り込んでいた。


「ルイズ」

「……ん? どうしたの?」


 軽く肯く。


「一つ、約束してほしい」

「こ、こんな時に何よ?」

「この件に、"タバサ"は一切関与してない。
  一段落した後で誰かに何か尋ねられることがあったら、それを思い出してほしい」

「?
 別にいいけど……、じゃあここに居るタバサは誰よ?」


 外套から、目当てのものを引き抜いた。

 顔の上半分を隠す仮面を装け、応える。


「『地下水』。
 気紛れな傭兵『地下水』。
 しばらく、そう呼んでほしい」


 ……恥ずかしげもなく、とは流石に行かないけれど。

 仮面が篭って熱い。とても。


「      あ、ぅん。

 分かったわ。
 うちの使い魔が色々迷惑かけてたみたいだし、うん」


 楽しかったから迷惑ではないと思う。

 そしてその間は何。


 ……それどころではなかった。

 ラ・ロシェールまでは……もう10分とかからないだろう。

 急がなければ。


「シルフィード、ナイフを」

「きゅい」


 シルフィードの首に下がっていた地下水シェルンノスが、目の前に差し出される。

 ……括りつけておいた、千切れた縄ごと。

 面倒だからって掻き切らないの。

 詮無いことを思いつつ、差し出された柄を手に取る。

 さっと全身の触覚に波が走り、地下水シェルンノスと意識が接続リンクする。

 使い手の意識を強奪しない場合の、正式な使い方らしいそれを通じ、私の精神力が地下水シェルンノスの鍔を抜け、軽く増幅されて私に還る。

 正しく精神力が循環しはじめたのを確認して、内に向いた意識を外へと戻した。

 異常は無い。

 ならば次だ。



「イルククゥ・ ・ ・ ・ ・」

「きゅ?」 「……誰?」


 私ではない誰かの与えた名で使い魔かのじょを呼ぶ。

 それは、合図。

 明らかに戸惑った目で、私を……正確には、きょとんとしたルイズを見つめるこの幼い竜に、


「気にしなくていい。
 あなたは今からしばらく、『地下水わたし』の使い魔だから。
 気兼ねなく、全力で捕まえて。
 ただし、壊さないように」


 首肯と言葉で、GOしんげきを伝えた。


「……わかった。
 ふりおとされないよう、気をつけてほしいのね、お姉さま。あとピンクいの」

「ぴっ――!?」


 耳元で、引き攣った息を呑む音がした。

 けれどシルフィードには聞こえていないし、私は彼女が振り落とされないよう、彼女の腕を挟みこみながらしがみつくことに全力を注いでいる。

 ついでに構う余裕も無いので、一言だけ伝えた。


「しっかり捕まえてて」


 そうしてルイズが混乱しながらも姿勢を低くするのを確認し。

 シルフィードは、声を紡ぐ。



〔風よ、大いなる大気よ。吾が進路さきゆきを遮ることなかれ〕



 ――顔や衣に叩きつけられていた圧が、それだけで失せた。

 遥か眼下では、絶えず大地が流れている。

 間違いなく空を飛び続けているのに、風をまったく感じないのだ。


「え、え、エぇええ……? りゅ、竜がしゃべっキぃャぁあああああ!?」


 驚くルイズの声が、悲鳴に代わりながら一瞬置き去られた。

 声がちゃんと聞こえているから、『凪サイレント』とも一線を隔している呪文のようだ。

 というか、おなかがとても苦しい。

 抱え込んだ腕が、加速した速さだけで軽くめり込んだ。

 どういう速さをしているのやら、視界の黒い猛禽が見る見る大きくなってくるのもわかる。

 これなら、間に合うだろうか?

 ずきずきとした余韻が少し辛くても、それだけで元は取れたような気がするから不思議だ。


- ――俺はあいつの使い魔だ! 指一本たりとも触れさせてたまるかよ! -


 ふと、あの宿屋で彼がそう叫んだことを思い出す。

 こんな世界に連れられて、それでも尚なお綺麗だと、眩しく映った彼を。

 そんな彼だからこそ。


- ――助けたいって、後悔したくないって―― -


 今、彼があの鉄の大鳥に乗って戦場に向かっていると聞いても、何も不思議ではないと思った。



 では、私はこのまま、どうすればいいのだろう。

 私は、このまま。……どうしたいと、思うのだろう?



 思う間にも彼我距離はざまは狭まり、接触の時は近付いている。

 惑っているのは、問いか、応えか。


 どちらにせよ――想いの答は、未だ見つかりそうにない。







Fate/vacant Zero

第二十九章 続編 霧に煙るは颪か灰か







「な、な、ななな゙……」

《きゅいきゅい、なにコレなにコレ。
 羽動かさないでお空飛んでるのね。
 お父さまみたいにおっきいのに、精霊の助けもなくこんな飛び方できるなんてびっくりなのよ》


 突然の影と振動に、すわ敵襲かとクソ狭いコックピットの中でデルフの柄を引っ掴むほど動転した俺は、頭上から響いた聞き覚えのあるのーてんきな声に脱力するはめになった。

 決して落ち着いたわけではないが。

 とんとん、と鼻面に突付かれた機体が揺れに揺れてるし。

 酔う。


「……いやいやいや待て待て待て。
 なんでシルフィがこんなとこまで憑いてきてんだよおい。
 まさかその、……ひょっとして?」

「あー。相棒がなに考えてるかは大体わかっから、結果だけ言うとだな――」


 デルフが気まずげに言葉を切った一瞬。

 揺れが止まったかと思うと、背筋の粟立ちそうな軋む音を立てて、風防の内に突起と声が一つ増えた。


「そのまさかだぜ」

『ご名答、だよ」


 新たに響いた声の方を仰ぎ見れば。

 頭上、座席シートの真上辺りから文字通りガラスを縫って突き込まれた草銀色の短剣と、風防のガラスに膝を着いてそれを握るいつぞやの仮面姿の少女の姿。

 ……見えそで見えない。

 で、なくて。



「――な、なんで!?
 え、どうしてタバサがこんなところのそんなところに!?
 危ねえって色々!」

「ОК、落ち着こうぜ相棒。
 てか色々って何よ」

「どうしてって言われてもよぉ。
 坊主、分かってて言ってんだろ?」


 どうどう、なんて茶化す様に往いなされる。


「いいから、答えろって!
 ここがどこだか分かってんのかよ!?」

「『勿論。トリステインとレコン・キスタの戦場まで、目測5分くらいの空中。もしくは武器の上』だと。
 もうちょい、早く着きそうだがな」


 タバサの声がシェル越しに聞こえて。

 あんまりなほど他人事な物言いが妙に苛立たしく、気付いたときにはもうそれが口を内から突いて。


「そこまで分かってんならなんで来るんだよ!
 あぶねえんだぞ、死ぬかもしれないんだ「手前ぇが言うな」」


 その殆どが口から出る前に、普段より心持ち3オクくらい低い声のシェルに冷や水を浴びされていた。


「手前ぇこそ何考えてやがる。
 この先は殺し合いころしころされする戦場だ。
 いつもの狩猟場かりばじゃねえんだぞ!
 ナマモノ殺ころすのさえ躊躇うような手前ぇが、人間ヒト殺こわせるとでも思ってんのか!? 」


 ……反論できない。

 ワルド(の分身)を唐竹割った感覚。

 ヒトの中身ぞうもつを裂く触感は呪いの如くこの身に残り、命を奪う都度甦っては意思を蝕み手を止めさせ続けている。

 だけど。


「だからって、黙って観てられっかよ!」


 もう怯んでなんかいられない。

 だから、ただ急ぐためにそう叫んだ。


「『そういうこと』だ」

「……は?」


 何が、と尋ねたらスルーされた。

 あまつさえ、


「そう、そんなことより急がねえとマズいだろう?
 問答してる余裕だって惜しいんだ、さっさと行くぞ。
 ほれ、お嬢も跳んだ跳んだ。おら竜の子、きっちり受け止めろよ!」


 なんぞと論理武装をバラマキながらいきなり空へ跳び出す始末。

 シェルの刺さっていた痕跡きずあとだけが風防ガラスに残っているのが凄いシュールだ。

 とりあえず、「たまには名前で呼んだらどうなのね」とぶつくさ言いながらシェルwithタバサをキャッチして加速しやがるシルフィを追うべく、スロットルを慌てて押し込む。


「どういうことかちゃんと説明していけコラぁ!」

「相棒、相棒。話の流れを思い出してみなって」


 ?

 ……。

 !



「え、ちょ、をま、ずっけえぞそれ――ッ!?」


 なんかもうどーにでもなれーって感じの絶叫が、風防に弾けて潰れた。





 その頃。


 暗い雲がまばらに浮かび、靄とも雨ともつかない霧が淡く立ち込めたラ・ロシェールにおいて。

 やや数を減らした王軍を率いるアンリエッタは、もはや苛立ちを隠しもせずに空のただ一点――恐らくはその厚い蒸気の向こうにいるであろうレキシントン号の方を見つめていた。


「姫様、もう少し気を落ち着けなされ。
 将の焦りは、瞬く間に兵に伝染しますぞ」

「分かっています、分かってはいるのですが……ッ、鷹馬ヒポグリフ隊!
 『幕』を張ります、撃ち墜としなさい!」


 枢機卿へ返す言葉の途中、それの気配を感じたアンリエッタは王杖を振り上げた。

 艦隊壊滅以降、幾十となく繰り返されているその行動は、これまでと同じ様に幾百幾千と雲に穴を空けた鉛の雨を、幾層かの水面に遮らせることに成功した。

 勿論、勢いのついた鉛塊がその程度の水壁に弾かれるわけもなく、空に浮かぶ水の幕は雨に触れる都度、弾け砕かれ霧と戻される。

 だが、それでいい。

 星の求愛をその身から一瞬奪いとりさえすれば、その一瞬こそが杖を構える近衛にとっては復またとない好機と成り得るのだから。

 幕から霧が生まれ、数多の杖は振り上げられ――


 やがて水の幕が全くの霧へと姿を移す頃には、比喩でも何でもなく鉛色した雲が一つ、風に流され緩やかに山の一角へと落ちていく姿が見られた。

 此度の雨もまた、一粒二粒郊外へ飛んでいった物を除いて、全て防ぎ得たようだ。

 そう報告を確認してアンリエッタは、確かに感じる疲労や安堵をノせ、緊張の糸に触れない程度に溜息を溢した。


「……こうもあからさまに牽制され続けるというのは、どうも精神衛生によろしくありませんわね。
 枢機卿、何か他に手はないのですか?」


 かなりうんざりとしているアンリエッタに、マザリーニは首を横に振るう。


「ありませんな。
 先ほど将らにも訊かれましたが、こちらから動いたのでは峠であの巨艦の砲の的になるのが関の山でしょう。
 幸い、向こうの部隊も巻き添えを恐れてか待ちに徹している様です。
 あれだけの巨艦である以上、風石や砲弾の消耗も尋常ではありますまい。
 艦が自滅するのが早いか、姫様か我らの近衛の精神の糸が切れるのが早いか……」

「とんだ我慢比べですわね……」


 アンリエッタは空を仰いだ。


 霧も、雲も。

 彼女を助ける自然現象は、幾人かの近衛メイジが吹かせる風によって、未だそこに留められている。

 水系統の魔法を使う際、最も精神力を消耗するのは水の調達だ。

 発現点の湿度が低いほど、より広範囲に魔力を散らして萃あつめねばならないためだ。

 そのため、これだけの雲とも霧ともつかない水滴が萃まっている内は、それこそ日が暮れるまでであろうとも裕に保たせられるだろう。

 だが、偏り在るものは均ならされるが摂理さだめ。

 霧は散るのだ。

 その場に留め続けるには、それ相応の精神力だいしょうを用いなければならない。

 確かに時を経れば、補給線のないかの巨艦は堕ちるだろう。

 弾薬たまが尽きるのが先かもしれないが。


 だが、その後は?


 ほぼ無傷で残る3,000足らずの降下部隊に、奴らが誇る竜騎士隊に……疲弊し尽くしているであろうほぼ同数の近衛軍で対抗することなど、可能なのだろうか?





 アンリエッタは、重い口を抉じ開ける。


「枢機卿。この戦、勝ちの目はありますか?」

「……太陽が頭上を通る頃。
 それまでにあれが沈黙するようであれば、五分には仕立てて見せましょう」


 マザリーニはそう答えきょせいをみせ、アンリエッタを見た。


 彼は、昨日から何処かアンリエッタに違和感を感じていた。

 既に数十度に及び魔法を行使しているにも関わらず、一向に疲れたそぶりを出さないこともそうだ。

 雲や霧の助けがあるとはいえ、街を丸ごと覆うほど広範囲の・・・・水を操る以上、どう少なく見積もっても一回ごとにドットレベルの精神力は消耗しているはずなのだ。

 トライアングルの限界など、とうに過ぎ去っている。

 いくら彼女が水の王家の者であるとはいえど、これで気だるさ一つ表さないとあってはいささか異常も過ぎるというものだ。

 やせ我慢などではないとは断言できる。

 彼女は、この姫君はその育ちゆえか不都合を誤魔化すことが極端に下手なのだ。

 精神力不足に陥っているならば、一目で見分けられる自信はある。

 では、彼女の精神力を底なしへと変化せしめている源は。

 原因は、何だ?



 普通に考えるならば、精神力とは心の力、魂の力。

 意志と感情の力であったはずだ。

 だが、これほど強い意志や感情となると……その種類は、自ずと限られてくる。

 そして……。


 マザリーニはもう一度、己が主の横顔に目を向ける。

 彼女は、変わらず霧の向こうを――敵巨艦の居るであろう方をじっと睨み、佇んでいた。

 その顔色は重く昏くらく、ただその目だけは燦々爛々とした鈍い光を湛えている。


 ……どうやらその意志か感情は、喜ばしい類のものではないらしい。

 この光がやがて災いを齎すのではないか?

 ぱっと振り向いたアンリエッタと目が合ったのは、ただ邦民の平穏を望むマザリーニがそう不安に駆られかけた時だった。


「ッ、……どうなさいました? 姫様」

「枢機卿。なにか、聞こえませぬか?」


 そう尋ねるアンリエッタに、マザリーニは目を伏せた。



 ……岩に跳ねる、兵たちの靴鋲の音。

 ……少し離れた、幻獣たちの嘶いななき。

 ……さらに遠く幕がかった、竜の雄叫び。

 そして――



「…………これは?」


 マザリーニは目を開き、アンリエッタと顔を見合わせた。

 地鳴りの如く断続的に空を揺るがす、重く低く芯の高い音。

 それがこのトリステイン軍の後背より近づき、高きを乗り越え、敵艦の方へと遠ざかってゆくのが。


 確かに、聞こえた。


「……枢機卿。今の音、心当たりは?」

「分かりませぬ。分かりませぬが……」


 戸惑う二人の耳に、驚き戸惑い焦りを綯交ないまぜにした、怒号と悲鳴と断末魔の阿鼻叫喚が届く。


「……どうやら、敵の隠し玉……と、いうわけでは無さそうですな」


 いかがなさいますか?

 試しをするように尋ねるマザリーニに、アンリエッタは滾る胸中が望むまま答えた。

 これは、機だ。

 根拠は無く、だがその確信だけは確かに得た。


「決まっています。報告が入り次第、撃って出ましょう。
 これほどの混乱、またと願えど至るまい、でしょう?」


 マザリーニはしばし瞑目すると、近くの将らと二言三言話し、大きく頷いた。


「その報告が参りました。所属不明の竜騎士2騎がアルビオン軍と交戦を開始、敵艦の砲火もそちらへ向いたようです」


 マザリーニは、そこで一度言葉を止めた。

 本当に、このままで。

 先の疑念が問い掛ける。

 このまま、姫を信じてよいのかと囁く胸中のそれを――


「では陛下・・。ご命令をどうぞ」


 虚勢イメージをもって、思いっきりストレートで殴り倒した。


「卿?」

「決めていたのです。
 昨日、貴女が誰より速く最前線ここを目指して駆けた時に。

 今、この国に必要なのは平穏を保つ者ではない。
 戦いを完遂する王こそが必要なのです。

 そう……例えそれが、どれほど昏い想いに支えられた力であろうとも」


 びくりと、アンリエッタは体を震わせた。


「……卿。知って……?」

「否。ですが、見ておれば分かりますとも。
 姫様との付き合いも、もう随分になりますでな」

 マザリーニはアンリエッタが何か告げようとするのを制すると、今一度、目を合わせた。

「詳しくは聴きません。ただ、これだけは覚えていてくだされ。
 平民も、貴族も、それが兵であろうともまた、みな等しく民であるのだということを。
 貴女は既に、この国の王なのだから」


 アンリエッタは幾許かの間を置くと、一つ頷きあった。

 何故、マザリーニがその様なことを言うかは分からぬままに。


「よろしい。では、ご命令をどうぞ」


 そうして、停滞していた空気が微かに、仄かに動き始めた。


「――全軍に通達。
 艦が動き次第、獅鷲グリフォン隊乗騎の吐圧ブレスで進路を確保!
 混乱する敵部隊を一掃します!」


 反撃と言う名の、強襲へ向かって。





「……なんだよ、これ」


 霧に煙るラ・ロシェールを越して才人は、風防越しに覘のぞけたその光景にただ呻いた。

 あの日の濃く眩い緑の衣に、黒い大穴をいくつも覗かせる野原。


「何がどうなったんだよ!
 村はどこだ!? 皆は、どこに行っちまったんだよ!?」


 炭と灰に塗れたその穴は、この高さからでもはっきりそれと分かるほどに大きかった。

 それこそ、村一つくらい容易く呑み込んでしまえるほどに。

 そんな黒一色の大地だからこそ、彩りあるその影は、とてもよく映えた。


「野郎ォ、」


 影から、細く赤く揺らめく紐が森の奥へ伸びていくのを見――それが炎であることを認めた時。


「そこで何してやがったぁああああああ!?」

「のぅぁあぁあ!?
 落ち着け相棒腕戻せ落ちる落ちる落ちるって幾らなんでもこの高さはムリムリムリヤメレ死ヌッ――!?」


 鋼の鷹は雷霆らいていと化し、槍の雨を引き連れて、真っ直ぐに彩影を目指した。

 不届き者、侵入者を誅すべく。

 目指すそれが何であるかなど、意識の端にも上らなかった。





 その、ほんの少し前。


「クソ、クソ、クソッ! 何を考えているんだあの生臭坊主が!」


 親の敵でも見るように森を睨む哨戒中の竜騎士が一人、黒い焼け野原に悪態で河を作っていた。


「忌々しいトリステイン人め……戦いに備えろだと?
 体良く的を逃がしただけではないか狸め!
 生臭も生臭だ、功労を無視して裏切り者を祖国に攻め込む軍の総大将にする酔狂者がこの世の何処に居るというのだ!
 こうなることは目に見えていたではないか!」


 騎士は、この遠征で溜まりに堪たまった鬱憤の矛先を探していた。

 レキシントンで5の竜と1の凧を墜としても、ニューカッスルで15の貴族メイジを打ち倒しても手に入らなかった昇格の切符。

 それがただ一人を、将のみを打ち倒してその手にしたトリステイン人が憎かった。

 そうすることを決めた旗頭なまぐさこうていが嫌いだった。

 それだけでやる気を逸した自分に、憤いきどおっていた。

 そんな自分に声を掛ける、奴に従う仲間たちの憐憫れんびんが疎ましくて、ただ悔しかった。

 そうして晴らそうとした憂さの的さえも、陣を張らされる間にその殆どが森の奥へと逃げてしまった。

 挙句、「追う余裕があるならば哨戒でもしていろ」など命じられるこの為体ていたらく。


「畜生、こんな森さえなけりゃ、直ぐにでも的が狩れるのに。
 こんな森さえなけりゃ……」


 時に外的に、時に内的に蓄積されて放たれなかった数か月分の鬱憤は。

 獲物を求め、収まる器を歪めながら、


「こんな森が、あるからァ――」


 矛先を、定めた。


「こんな森――焼け落ちちまえ!
 イルル! やれ!」


 忠実な火竜つかいまは主に従い、数多の同属を炭と換えた強靭な炎ブレスを森へと放つ。

 直撃した木が瞬時に炭化し、……だがそこで勢いを止める。

 湿度の高い今日という日に阻まれたのか、直撃すれば炭化こそすれ、燃え上がり周辺に広がっていくことはなかった。

 それが殊更ことさらに苛立たしく、騎士は更なる獲物やつあたりのたねを探して辺りを見回す。

 そして。


「……ん? 何だ?」


 緩い仰角の視界隅、太陽を少し外した中空にソレを見た。


「あれは、……星か?
 ……いや、そんな馬鹿な」


 自分で自分に失笑し、手で太陽を隠して仰ぎ見る。

 空の一角、太陽を傾かぶいて玄あかく瞬くそれは、星の群のようにも、柱のようにも見え、酷く小気味悪く揺れていた。

 その群の中、一際大きく黒い鳥のようなものを見つけ――





 気付けば。腰の脇と腿ももと臑すねを、その細長い星に抉られ宙に身を投げ出していた。

 目の前には今にも砕けてしまいそうなほど穴と血と赤くて細い星に塗れた、相棒の火竜の首が、胴から千切れて、浮かんで、

破散はじけた。

 意味も音もなく空を震わせ、自覚さえなくただ叫ぶ。

 視界の中、血に紛れて大量の捩れた釘の様なものが、無作為に宙を舞っている。

 狂いそうなほど何かを叫ぶことしかしない意識には、それが星の正体であるとも、自分が相棒に寸手の所で命を救ってもらったとも理解できず。

――畜生――

 ただの男には、叫び続けることしか出来なかった。

 それが何に向けられた不声こえであるのかもまた、当の男には分からないままに。





 部隊の厄除け、『不運』の叫び声を聞きつけることが出来た彼は、不謹慎なれど当然の様に「ああ、またか」と一瞬納得してしまっていた。

 彼が『不運』と同じ部隊に入って以来、『不運』が戦端に関わらなかったことなど一度たりともないのだから。

 とかく先走る『不運』の性格は、誰より多くの敵を見つけ、誰より多くの敵を屠りながらも、誰より多く敵に見つかり、誰より多く最前線を生む。

 そのため功罰相殺され、一介の隊員にその身を留め続けているのだが。

 それでも、敵が何であれ――それこそ凧ふねであってすらも――退かず怯まず挑む姿は、とても頼もしいものだった。

 だから、異様に長く高く意味を成さずに続くそれにようやく違和感を覚え、振り向いた時。

 血の赤に沈む『不運』を見つけ、不覚にも思考がそこで止まってしまった。


 それは、そのまま仇となる。

 乗騎が突如として強く吼え、正面に向き返った時には既に遅く。

 全身を串刺されたような冷気と怖気、空"へ"落ちるような浮遊感と頭の中を揺り砕く顎への衝撃を同時に覚え。



 ソレを最後に、彼の戦は終わりを迎えた。





 なんとか地面という名の壁に衝突する前に正気に戻った才人は、首を起こす機体の中、それを目撃した。


「……なんの冗談だよ、アレ」


 その方角、シルフィードの姿だけが、陽炎のように揺らめいている。

 直下の大地はネガポジ反転の写真の如く真白に染まり、揺らぐ空気以外の全ての物が文字通り凍っていた。

 よく見れば、シルフィードの周りの揺らぎも白っぽく濁っているように見える。

 ……空気まで凍らせたとでも言うんだろうか。

 いや、比喩表現でも何でもなく。


「流石は風韻竜、っつーかなんつーか……やー、青い娘っ子が秘密にしたがるわけだわ。
 ただのブレスのクセに先住魔法と遜色ねぇじゃないのあれ。
 オレっちでも無理、っつかやだ。斬れん。喰う前にまず相棒が死ぬわ」

「普段が普段だから忘れてたけど、そういや伝説の種族だったんだっけ……って、あれタバサ大丈夫なのか?」


 さっき騎士が一人、『風槌エアハンマー』っぽいのに吹っ飛ばされてたのがちらっと見えたから、タバサも多分あの背中に居るんだろうが、角度の加減かさっぱり見えない。


「ああ、その辺は問題ねえだろ。対策もなしにあんなもんぶっ放してたら、敵の前に自分が凍るわ。
 なんかぐにゃぐにゃだし、先住魔法でも使ってるんだろーさ。
 てか相棒、青い娘っ子しか心配しねえのな」



 なんか、デルフが変なこと言った気がする。


「……しか?
 しかってお前、タバサ以外に誰の心配しろってんだよ。
 シルフィが大丈夫なのは見りゃ分かんだろ?
 ……あ、シェルの奴のこと言ってんのか?」


 へ、と間の抜けた声が聞こえた。


「……え、相棒? もしかして素?」


 素て。


「何か、まだ誰かここに来てんのか?
 こっちの貴族は無謀モンばっか……り、か。そーいや」

「うん、オレっち敢えてツッコむけど相棒が言うな。
 ってやべえ、相棒! 上から来てんぞ、かわせ!」

「っの、はぐらかすな、っと! 誰かぐらい言えよ!」


 言い返しながら地面スレスレをスライドさせると、一瞬遅れて機体の居た辺りを炎の塊が通過した。

 まだまだ、気を抜く余裕なんぞ持たせてはくれないらしい。





「避けやがった? 背中に目でもついてんのかよ!?」


 攻撃を行ったトガリ短髪の騎士は、魔法で強化した必殺火焔ブレスを現実感なくかわした翼持つ何かを眺め下ろして、悔しげに空に愚痴撒けた。

 その後ろ両翼に着いている二騎の乗騎も代わる代わる火焔ブレスを放っているが、かする気配さえないそのイカレた速さには文字通り開いた口が塞がらない。


「……呆れた機動力だな、全く。
 どういう類の生物なのだ、アレは?」


 ポツリと、長い髪を三つに編んだ騎士が溢す。


「鴉の類か、って最初は思ったけど、どっちかって言うと魔法人形ガーゴイルの類っぽいみたいだね。
 あんな胡散臭い飛び方で、しかも『不運』を一瞬で仕留める攻撃力つきだなんて、真っ向からは絶対にやりたくないよ。
 ……それで、もう片方は?」


 答えて返したのは、肩甲骨位までの金髪を左耳の上で一まとめにしたえらく小柄な騎士だ。

 年嵩もかなり薄く、線も細い。


「風竜はトムの班が足止めに向かった。
 地上に下りてる連中が集ってくるまでの辛抱だ、それまで何としてもあの猛禽を食い止めるぞ、ネルレ。
 ほら、セルビウムもいつまでも悔しがってないで手伝え。手数が足りん」

「分かったよ、父さん」

「へいへい、了解ですよムルトのおっさん」


 サイドテールの小騎士ネルレと針頭の騎士セルビウムがそれぞれ返すと、三つ編みの騎士ムルトの入れなおした気合は空気と共に砕け、呻いた。


「お前たち……だから、任務中くらいは隊長と呼べといつも――散開!」
「「ッ!?」」


 号に応じ、三騎は手綱を引いて四方さんぽうへ散った。
一瞬遅れて、火焔ブレスの熱が残る中央の空間を、杭のような氷塊が溶けながら通り過ぎてゆく。


「『氷槍ジャベリン』!?」


 ばっと射線を辿ってみれば、少し離れた所にあの風竜の騎士の姿。


「……え、嘘!?」

「ちょっと待て、なんであいつこっちに来てんだよ!
 トム班長んとこは何やってんだ!」


 ネルレが硬直し、セルビウムが焦りと怒りと怖れをヒッ包んで慌わめいた。

 この竜騎士の足止めをしているはずだった班が何をしているかなど、その視界に収まっていれば嫌でも気付く。

 そう、小ぶりな竜の遠く向こう側、枯れ葉のように空を舞い下る、三頭の竜が収まっていれば。


「早すぎる……」「早すぎんぜ!」


 幾らなんでも。

 3対1で専守に勤めてこうも容易く突破されるなど思いもよらなかった彼らは、その瞬間完全に意識を黒の猛禽から離してしまった。

 故に。


「父さん、兄さん! 後ろ!」


 その迫る嘴に気付けたのは、思考すら出来ずに自失していた彼女を置いて他になかった。





「攻撃が止んだ! 今だ、相棒――飛べ!」

「簡単そうに言うな! くっそ、ちょっと無茶すんぞ折れんなよ!?」

「んなあっさり折れてたまっかぃ! オレっち伝説だぞっとぅおぉおおお!?」


 ぐるん。

 操縦桿を斜めに引ききる。

 機首が上がり、翼を平手打つように半回転。

 間の抜ける擬音を連れて、天地をそのままに進路を180゚ターンしたF-15イーグルの真正面、敵の背を捉えることに成功した。


「ぬぉうぁう。気めぇ、もう背後取ったんか。
 んじゃ撃ちな相棒、胴じゃなく翼狙えよ!
 竜の猟奇死体イークラブシューをそう何度も見る趣味はオレっち持ってねえぞ!」

「俺だってねえよ!」


 背後、というか尾を取った竜に機首をあわせ、操縦桿裏で人差し指と薬指――両翼機関砲――のトリガーを握り、


「っくぅ!?」


 赤い絨毯、踊る臓物、ドラゴンムース。

 数と質グロさを増してフラッシュバックが信号無視。

 震える手を押さえるように操縦桿を両手で握り、だがふらついた機体はトリガーを絞るに至れない。

 不運な竜の挽肉と唐竹割ルドの幻影が生んだこの時間。

 竜騎士は一人、動いていた。


「――ッ相棒! おい相棒、早く撃て! 気付かれた!」

「く、っそぉ……!」


 立て直しを試みる視界の中、狙いをつけていた竜が、空を転がりこんだ別の竜に弾かれて照準外に吹っ飛んでいく。

 飛び込んできた竜はその場で前転。

 顔、後頭、主の居ない背、尾。

 次々と目に映る部位が入れ替わり――


「相棒ぉ!」


 再び見えかけた顔、そのギラついた火の燈る目と、大きく開いた顎の奥、赤黒く光る何かが見えて。

 ――。

 ……それは意志の向こうの力、恐怖という名の感情と共に。

 気付けば3つ全てのトリガーは押し込まれ、目の前の炎を吹いた竜は、己の躊躇い諸共に首と翼を砕き散らした。


「あ」「げ」


 それに気付いた時には、既に機体は炎の内。

 終わった、と思った。

 次の一瞬には、熔けて焦げて灰になっているのだろう。

 痛みや熱さのような感覚がどの辺りまで続くのかは知らないが、これで自分は死ぬのだろう。











「……あれ?」


 覚悟を決めて一秒と経たない間に、炎の名残で紫色した空が見えた。

 なんで無事なんだ。


「は、あはははは。マジ感謝しちゃうオレっち。
 とと、呆けてる場合じゃねえか!
  後ろから一騎、下前方の焼け跡から十ばかり来てんぜ、手ぇ動かしな相棒!」

「ん、ぉ、ああ!」


 遍く疑問を投げ捨て桿に手を沿え、近づく小さな翼影を待ち受ける。

 後ろは見ない。

 見当たらない影を思い、見る必要はないのだと、確信に近い何かを信じた。





「イルククゥ、その盾もう少し続けて。
 シェルンノスは『凍える風ウィンディアイシクル』、重ねて撃つ」

「OК、任せな『二代目』。
タイミングは好きに合わせるぜ」

「うー、これそういう長続きさせる効果はないのね、おねーさま。
 精霊さんたちちっちゃった」

「なら、またいつでも使えるように用意だけしておいて」

「ふぇえ、竜使いが荒いのねー」


 前方、慌しさの割にイマイチ緊張感のない戦闘行動を続ける地下水タバサ一同。

 それを見ているだけだったルイズは、羨望と無力感に苛まれていた。

 無謀な使い魔を一人では死なせるまいと手を引かれるままにここまで来たものの、今となってはその思いさえも虚しかった。


 馬鹿使い魔の『武器』は空を縦横無尽に駆け回り、相対した竜を木端微塵と打ち砕く。

 そのバカが窮地に陥れば、気に喰わないナイフの助力を得るタバサの氷の魔法と、その使い魔の韻竜が放つ紫色した風の玉せんじゅうまほうが救い出す。

 『武器』が砕いた竜に乗っていた騎士を回収した竜も、たった今、背後を取ろうとして『凍える風ウィンディアイシクル』の氷の薄刃に翼を抉られた竜の騎士も、共にタルブ領から離脱を始めた。

 そうして戦場に残る竜の姿が減っていく都度、怒りとも悲しみとも解せない言い知れぬ想念が心に満ちていくのだ。


 何もすることのない自分が、情けなかった。

 何も出来ない自分が、みじめだった。

 戦うことの出来る二人(+а)が、羨ましかった。

 ……嫉ましかった。

 そう思えば思うほど、何かあるはずだと、そんなはずもない何かを探し。

 だが、服のポケットをまさぐる片手に、胸を掻き抱いた片手に、それは触れた。


 胸を押さえる手に触れるもの1つ。

 それはぼろぼろの白紙書物、『始祖の祈祷書』。

 それを強く握り締める。

 ポケットの手に触れるもの3つ。

 1つはひらひらした布、未使用の手拭。

 1つは細くしなやかな金属、愛用の杖。

 1つ、小さく硬い指輪リング。水のルビー。

 指を小器用に操ってリングを嵌め、愛用の杖を掴み取る。

 その冷たくも確かな感触を確かめ、胸の祈祷書に、自らの内に問いを投げる。


 自分に出来ることは、今、この戦闘の場において、本当になんにもないのか?


 ――否だ。朧げだけれど、覚えている。

 あのワルドの『偏在ディヴィジョン』の一つを、『失敗した魔法』で確かに打ち倒したことを。

 フーケの土塊人形ゴーレムにこそ通用しなかったが、あれは人形ゴーレムだったから――生き物ではなかったからではないだろうか。

 多分、そうだ。

 そうだ、と思う。

 思いたい。

 ……思わせて、お願いだから。

 もし。もし、そうであるのならば。


「竜にだって……少なくとも、人には効くはず。

 ……よ、ね?」


 自信はない。

 全くもってあるはずもない。

 生身の人間に直撃させたことは、一度もないのだから。


 直接、直撃させたことは。


 けれど。

 今、仮に自分に何か出来ることがあるとすれば、これくらいしか思いつかない。

 もしもダメでも、タバサやあのバカなら、きっと何とかしてしまうだろう。

 なら、今はただ助けになれるように……討つ。

 杖を握りこんだ手をポケットから引き抜いて、そっと唇にあてた。

 ひんやりとした青い宝石が、気分を少しだけ落ち着かせてくれる。


(どうか、見守っていてください、姫さま。わたしが……サイトの主たれるように)


 心の内で祷りを願い、きっ・・とサイトの向かう先を見据える。

 三頭四編隊ばかりの火竜ドレイクの内、半数ほどがシルフィードこちらに向かってきているのが見えた。


 ここから、届くだろうか。

 それだけを気にしながら、ルイズは飛来する影に杖を向けた。





「……すまない、よく聞こえなかった。もう一度報告してくれ」


 レキシントン艦上で砲撃指揮を執るボーウッドは、今にも激発しそうなほど顔をドス紫に染めたジョンストン司令を制し、何故だか憐れなほど怯えている伝令を促した。


「s、サー。斥候よりの報告、我らが艦隊積載部隊の竜騎士ドレイク隊の火竜、全騎撃墜を確認したとのことです。
 本艦居残りの管制番からも同様の報告が――」

「全滅だと!? つい先ほど、敵影発見の報告が挙がったばかりではないか!」


 ものの見事に激発したジョンストンに眉を顰ひそめ、だがボーウッドはなお先を促す。


「それで、敵は何処の騎士隊なのだ?
 トリステインにあってそれを為せるような騎士隊となれば、その名は自ずと限られるが」

「サー。……いえ、それが……敵は二騎です」


風の音が、とても喧しく耳に響く。


「すまない。砲撃音を耳にしすぎて、鼓膜がイカレたらしい。
 もう一度頼む」

「二騎です、サー。
 聞き間違いでも、伝達のミスでもありません。敵は、二騎です!」

「いや……流石に、それは「ふざけるな!!」。」


 桁を一つ何処かに落としてこなかったかと動転しつつあった声が、幸運にも?点火された役立たず炸薬ジョンストンに封をされた。


「二十騎もの竜騎士が、わずか二騎を相手取って全滅だと!? 冗談は休み休み言え!!」


 あまりの剣幕にたじろいだ伝令に、ボーウッドは先を促す。


「それで、その敵とやらはどん「ワルドはどうした! 竜騎士隊を預けたワルドは!
 あのトリステイン人はいったい何をやっておるのか!」……サー、少し落ち着いてください」

「サー。サー・ワルドの風竜が撃墜されたとの報告はありません。
 ですが、艦隊守備隊にも、今朝方のラ・ロシェール攻略から戻ってきた地上部隊にも、今日になってからはその姿を見かけた者はないようです」


 伝令は逃げ出しそうになる身を地を踏みしめることで堪えさせ、耳に届いた問いに答えた。

 ふむ、とボーウッドはラ・ロシェールの方を見やる。

 幾度攻撃を続けようと、晴れる様子のない朝霧の壁。

 確か彼は向こうの指揮に出向いていたはずだが……戻ってきていないというこ

「裏切り追ったな! それとも臆したか!
 どうにも信用ならぬと「そのように兵たちの前で取り乱しては、士気に関わりますぞ」」


 あらぬ邪推で思考の邪魔をしてくるジョンストンを窘たしなめるボーウッド。

 だがこの昂し切った素人ジョンストンはその程度で止まるはずもなく、そのまま怒りの矛先を制止の主へと向ける。


「何を言うか! だいたい、元はといえば貴様のせいだぞ艦長!
 貴様の消極的な指揮が、竜騎士隊の全滅を招いたのだ!
 このことはクロムウェル陛下に報告する! 報告するぞ!」


 ボーウッドは、とても鮮明な切断音を耳元ですらない身近などこかで耳にした。

 叫びながら攫みかかってこようとしていたジョンストンのたるみ気味の腹部へ、カウンター気味に杖のフルスイングを叩き込む。

 腕から伝わる素晴らしい快ジャストミート感が全身を覆い、見下ろす視界に腹を抱えてぴくぴく痙攣するものを瞬きして逡巡。

 はたと自分が何をしたかに気付いて……善よし、と大きく頷いた。


「……よく考えずとも、昨夜の内からこうしておけばよかったな」


 惜しいことをした。

 『元はといえば』、昨日の奇襲の後、降下した兵の陣をしっかり固めさせろ、などと一見まともそうで奇襲としては素敵にイカレたジョンストンの提案にうっかり乗ってしまったのが良くなかった。

 あそこで一気にラ・ロシェールを攻め落としておけば、今ほど面倒な事態にはならずと済んだだろうに。


 ああ、これは間違いなく自分のミスだ。

 油断こそが最大の敵とはよく言ったものだな、と従兵に引き摺られながら起き上がりかけたジョンストンのアゴいしきを爪先で刈けり取り思う。

 ともかく、面目上のとはいえ司令官がこうして凶弾・・に倒れられた・・・からには、一刻も早く港を奪わねばなるまい。


 そのためには、とボーウッドの突然の兇行ぜんこうに脅える兵士へ向き直る。


「それで、だ伝令君。
 竜騎士隊を全滅させたという二騎について、なにか他に報告はないか?
 特徴のようなものでもよいのだが」

「は、え、ふ、ははい、サー!
 一騎は二人乗りの風竜で、やたら強力な冷気の吐息ブレスと『氷槍ジャベリン』並みの氷柱が混ざった『凍える風ウィンディアイシクル』に加え、風弾と火弾を複合使用したような怪爆発で彼我の遠近に関係なく攻めてきておりました!
 もう一騎は並みの竜より巨大な猛禽で、こちらは並みの騎士では有り得ぬほど果敢に懐に飛び込み、『土』系統と思しき高威力の槍をもって鱗など知らぬとばかりに竜を砕いたと報告が挙がっておりますですサー!」


 落ち着けと制したくなるほど慌てた伝令の報告は、あまりにも荒唐無稽で、だが竜騎士隊壊滅を二騎で成し遂げるような非常識げんじつをやらかす輩としてはこれ以上ないほど分かりやすい。

 むしろ、これぐらい常軌を逸していてもらわねば困るというものだ――主に常識セオリーの面子が。


「片方は、竜ではないのか?」

「は、サー!
 羽ばたくことはおろか、首を曲げることさえ致しません故ともすれば鳥どころか生物ですらないやも知れませんが、少なくとも竜よりは鳥に近い形状をしておりました!」


 ふむ、としばし腕を組みボーウッドは予測を煮詰める。

 当面、我ら艦隊が相手をせねばならないのはその二騎だろう。

 竜騎士隊が全滅の憂き目にあった今、対空戦を堅実に行えるのはもはや我ら六隻の砲列艦のみだ。

 おそらくトリステインの管轄にはないであろう竜騎士――竜騎士隊が既に壊滅しているにも関わらず、未だラ・ロシェールのトリステイン軍本隊に動きが見られないということは、恐らくそういうことなのだろう――の撃墜と、トリステイン近衛軍の牽制を同時にこなすのはかなりの激務となるだろう。

 だが、それでも――


「この艦ヘッジホッグと、この艦隊ならば」


 何とかこなせるやも。

 その確信かしんを胸に、ボーウッドは号を発する。


「諸君、油断しろとは言わない。
 だが、敵を過剰に恐れることもない。
 竜騎士隊は居らずとも、レキシントンは、我ら艦隊は健在なのだ。
 我らが任務は、トリステイン航空戦力の壊滅。
 この場に居らぬワルド子爵も、機を窺っておるのだろう。恐らくは、敵陣深くにて。

 ――失われたものへの餞はなむけだ。何としても、双つの騎兵を叩き墜すぞ!」


 彼の剥き身の心を溢しつつ、湧き上がる戦機に令を下す。


「本艦右舷はそのまま、全火力をもってラ・ロシェールへ牽制を続ける。
 左舷及び揮下各艦隊は対空砲戦の準備! 颱暴弾の使用を限定許可する!
 急げ!」


 異口同音の了解が、艦上甲板を埋め尽くした。





「やったな、相棒! ――ん? あいぼー?」

「……」


 降下部隊の方から上がって来た竜騎士隊の尽くを殲滅せしめた才人は、テンションの上がったデルフに何も返さず艦『レキシントン』へ舵を取ると、シートに沈み込むようにもたれこみ宙を見つめだ。


「どしたい相棒。まぁださっきの戦いのこと気にしてんのか?」


 才人は答えず、未だトリガーに掛かったままの両手を見つめる。


「なにか殺すたびにその調子だと、どっかでその内潰れっちまうぜ?
 戦場ん中に飛び込もうってんだ。割り切っちまいなよ、相棒」


 割り切る。


「いや……ダメだ。そんなんじゃダメなんだ」


 一瞬浮かんだそのイメージに首を小さく震い、顔を上げた。


「人を殺すのに、慣れたくないんだ。
 それじゃアイツと、あのヤロウと何もかわらねえじゃねえか。
 出来る限り、それが出来る限りは、オレは人を殺したくない」

「――やっぱバカだね、相棒は。
 嫌いじゃねえが、ホンモノの馬鹿だよ。
 敵を助けて大事なもん失くしちまうような間抜けに成らないことを祈んぜ」


 デルフが、呆れているのか喜んでいるのか微妙なため息をつくようにぼやく。


「流石にそんな状況じゃ体が躊躇わせてくれねえって……。
 いや、そもそも俺が気にしてたのはそっちじゃなくてな」

「あ? ああ、ひょっとしてアレか」

「ひょっとしなくても、アレ以外に何があるかよ。ったく……」


 彼らの間、アレで通じ合ったその対象は羽衣の心持ち前方十時下方を付かず離れず往くシルフィードの背中の上。

 全く失敗しながらも華麗に足止めの役割を果たす『火球ファイヤーボール』の理不尽な、というか不毛な手応えを噛み締めている。


「自分であんだけ危ないから行くなっつっといて、なんで自分が来るんだよアホルイズ。
 タバサたちが来てたから、なんとなく嫌な予感はしてたけどさぁ……」


 才人は、正対した竜騎士隊がその鼻先を前触れなく爆発させるまで、ルイズが来ていることに気付かなかったようだ。


「ま、乙女なんていつの何処で誰だろうが似たり寄ったりなことするもんさね。
 ……ってゆうかさ相棒。もう手遅れかもしれんけど、前見れ前」


 なんだよ、と渋々シルフィードから視線を外して。

 正面を向くと穴。

 丸い穴。

 否、筒。

 それを囲うは四角い穴。

 そして金属装甲の施された壁。


「   !?」


 時を止めたような長い長い一瞬の間を知覚する。

 それがこっちを向いた艦の大砲であると気付いた才人が咄嗟に桿を引き。

 速過ぎるF-15イーグルに攻撃のタイミングを取り損ねた正面の砲がようやく火を噴き。

 つまり、F-15イーグルが砲から飛び出し裂け散りだしたそれ・・を飛び越すようにかわしたのは、必然でありながら偶然だった。


 砕ばらけて弾はじける、玉風黍とうもろこし。

 避けたF-15才人も、船底を潜ろうとしたシルフィードタバサとルイズも、砲はなった『レキシントン』号ボーウッドらすらも巻き込んで、颱暴弾かぜのひまわりが空に開いた。





 颱暴弾ショットガストとは、最低8つ以上の風石と、時限信管的な役割を担う2つの炎石を、鉄鋼獣バレッテの皮製の袋にまとめてぶち込んだだけの簡素シンプルな手製砲弾のことを指す。

 相互に作用し魔法力的過負荷をかけられた炎石が、着弾衝撃などで石の耐久限界を超えることにより自壊発動し、その熱による連鎖自壊に巻き込んで起動する風石から放たれる怒涛の風圧が、皮袋ごと周囲の大気を掻き乱す。

 端的に言わば、一種の爆弾である。

 また、風石の風は微量ながらも冷気を伴っているため、袋が裂ける段階では熱は殆どなくなっており、実質この弾が生じさせる物といえばただ一つ。


「っ、っぉ、の――くそ、言うこと聞きやがれこのポンコツっがぁ!」

「ぁ相棒、推進力がヒキツケ起こしちまったぞ! いっぺん寝かしなおせ!」


 縦に横に、複雑怪奇な回転を加えながら、F-15イーグルを更なる上空へと吹っ飛ばすほどの、アホみたいな威力の突風のみである。

 起爆剤たる炎石から風石への延長線方向に指向性を持つため、風石をケチったものでは発射の際に内部で石がバラけてしまい、指向性なんぞ何処吹く風とあまりにも乱雑に吹きまくる暴風に敵も味方も誰が巻き込まれるか全く分からない単なる危険物と化したりするこの弾だが、竜などの風を頼りに宙そらを漂う者に対しては最も顕著に効力を揮うのだ。

 きりもみする機体の中、才人はコントロールを取り戻すべく奮闘しているが、まったくコントロールが効きはしない。

 回転がむやみやたらと変化していて、翼が風を捉えきれないのである。


 そうこうしている内にも、外の状況は刻一刻の変化を見せる。

 中の一人と一本は気付いていないが、F-15イーグルはその歪な放物線軌道の頂点に到達しつつあった。

 もうあとは、落ちるに任せるのみなのだ。


「くっそ……タバサたちはどうなったんだ!? 無事なのか!?」

「相棒、今はそれどこじゃねえって! 何とかして立て直さねえ、っと!?」


 ガゾン、と。

 何か中身のない物が凹んだような音がして、才人が、デルフが、コックピットの中で上下逆さまに急制動を喰らった。

 ハーネスが体に食い込み、体勢を立て直す。


「今度は何だ!?」

「相棒、左の羽に何かの魔法を喰らってる! 何か、近くに居るぞ!」





 翼に受けた衝撃で、複雑だった回転のうち前転と側転が緩み、回転を落としながらフリスビーのように宙を舞い始めたF-15イーグル。

 それより少しだけ高く浮かぶ雲の中に、その攻撃者は潜んでいた。

 息を殺し、静かに緩やかに風竜を駆って雲の中を旋廻している彼は、見下ろすF-15イーグルの動きが緩んだのを見ると、丁度練り終えた力を杖に乗せて振り下ろした。

 杖から拡がる青い空気の波が狙い通りにF-15イーグルを覆い、情報が意識を覆い潰す。

 『解析ディテクト』の魔法が伝える情報それは、眼下の物が竜などではなく、紛れもない既知にして未知なる物――『槍』であると示していた。


「やはり、これも聖地所縁ゆかりのもの――ということか」


 揮下の竜騎士を悠々屠ほふる、ありえない詠唱速度の遠隔魔法。

 あまりにも異様な加速力と機動力。

 そしてたった今、颱暴弾ショットガストも『風槌エアハンマー』も凌いだ、面の攻撃に対するふざけた耐久力。

 どれ一つとっても、尋常のハルケギニアの錬金術師には為しえないものだ。

 彼、ジャン・フランシスの知る限りでは、このような生物とも道具ともつかぬ何かを作り得る何者かなど、まだ己が青かった頃に手にしていた聖地所縁のそれ・・らの製作者以外に思い当たらなかった。


 侮ってはならない。

 かといって、焦ることは尚更いけない。

 これがかつてのアレらと同じであるならば、ソレを駆っているのがかの左手の小僧・・・・・であるならば。

 油断とは、即ち死そのものだ。

 既に死した部下ら、竜騎士然り。

 アルビオンを陥とした日の『偏在ディヴィジョン』然り。

 遠き日の彼の屋敷で、――――――――――――然り。


 だから彼は、潜伏していたラ・ロシェールの上をこの『槍』が通り過ぎた時、予定を放棄し仕掛けだけを残してここに、艦の死角である直上ここで万全の必殺を狙うべく潜んでいたのだから。


 結果は上々。

 これを駆る騎士が小僧であったことだけは驚いたが、むしろ奴以外の人間がこのような物を駆っていたならば、それこそ驚く間に機を逃していただろう。

 だからこそ、今、こうして静かな気持ちで呪文を紡いでいられる。


「その秘物──何としても――今、ここで、貴様を落とすぞ、神の左手ガンダールヴ、ヒラガ・サイト。
 ソレは。アレらはこの世界ハルケギニアにあってはならぬのだ……!」


 誰に宛てるでもない、怨鎖の声。

 力のなかった己にか。

 ソレを駆る才人つかいてにか。

 はたまた逃げるしか能を持たなかった貴族にか。


 あるいは――全てにか。


 本人にも分からないその呪言の終わりと共に、彼の魔法トライアングル――『斬空エアスラッシュ』は形を成し。

 同時、彼の敵は息を吹き返した。



 鋼と風の三度目にして真なる一度目の決闘。

 それは今この戦場にて、正まさしく杖を交えようとしていた。





「――さっさと起きる」

「きゅう~~」

「や、そこはそっとしといてやれって……。
 どうせ聞こえてねえぞ、殆ど直撃しちまったからな――音が。ていうか音だけ」


 そこは村外れだった森の、少し奥まった辺り。

 シルフィードは、干された布団の様に木に引っかかってノびていた。

 風韻竜の五感は人の何倍も鋭く、精霊やらの魔法に関するものに関しては特にソレが際立っている。

 彼女の纏っていた風の守りは、風は防げども音までは防いでくれなかった。

 むしろ素通しだったのだ。


 つまり何が起きたのかというと、守りを過信したシルフィードは、至近距離で炸裂した颱暴弾ショットガストをたかが風石と侮って防御すらせず、無防備に無作為に風の護りで受け止めたのだ。

 結果、風を通さないはずの守りの裡でビリビリと空気を震わせるほどの音しょうげきはが鼓膜とか翼とかその他諸々を直撃。

 前後不覚に陥り視界すら喪失しかけたシルフィードは慌てて高度を落としたが、森の木々の一本一本がはっきりと視認できる距離になった辺りで意識を手放し。


 当然、そのまま減速もへったくれもなく森の中まで一直線に空を滑り――今に至る、というわけだ。

 マヌケ極まりない。

 まだ少し着地の衝撃でふらついている頭の仮面……ヒビが入っている……を押さえ、タバサは嘆息した。


 この様子では、例え目を覚ましたとしても先ほどまでのような空中戦は不可能。

 それこそ、空に姿を現したと同時に対空砲に迎え撃たれてもう一度墜落する嵌めになるのが関の山。


 ……どうしよう?

 わたしや地下水シェルンノスは、基本的に対人戦や対魔獣などの生物相手の依頼・任務が多く、凧ふねのような建造物を攻撃するのは苦手だ。

 試す機会がまるでなかったというのもないではないけれど。


 ちらと、空高く浮かぶ艦隊を見やる。


 ……もし使えたとしても、この距離では減衰が酷すぎてロクな威力にならないだろう。

 スプーンの先くらいの大きさで映る巨艦など、傷が付くかどうかも疑わしい。

 シルフィードなら何かしらの先住魔法で攻撃できるかもしれないが、それが出来るならそもそも空を飛んでもらったほうが早い。


 ルイズの魔法ばくはつ?は……どうだろう?

 先ほどの空中戦で見た限りでは、彼女の放っている色のない魔法力よくわからないナニカは距離による減衰もなく一直線に騎士に直撃していた。

 にも関わらず、竜と騎士は怯みこそすれど倒れることは終ぞなかったから。

 船を落とすなど、夢のまた夢というもの。



 ……と。

 そこまで考えを進めて、そういえばまだ試していない手があったことに気付く。

 ルイズの魔法を、地下水シェルンノスが強化すればどうだろう?

 元々ドットスペルに使用する程度しか精神力を注いでなくても、竜の鱗は無視していた。

 なら、トライアングルやスクウェアクラスのスペルともなれば。

 もしかすると……?



 "軽い思いつき"は、イメージに膨らまされて"淡い希望"へと変化した。

 他に取れそうな手段もこれとはなく、シルフィードも未だ目を覚まさない。

 先ほどの様子なら、精神力が足りないということもないだろうし、一度試してもらおう。

 そうして、シルフィードのたれている木の方を、改めて振り向いた。


 ルイズは墜落した時から変わらず、その木の根元で足の内側をぺたりと地に付けて座っていた。

 違っているのは……地面に開かれた、何も書かれていない革表紙の本を、彼女は食い入るように睨みつめていること。



「……ルイズ?」



 思わず洩れた不審げな声の問いかけにも答えず、ルイズは只管それに目を通している。


 パラリと、ページのめくられる音が、やけに大きく響いて森に吸い込まれた。






 
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