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fate/vacant zero

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第三部
古い凧歌
  亡国なきくにからの便たより




 王都トリスタニアに、極最近に流行りだした噂がある。


 近日中に隣国アルビオンを制圧するであろう『聖邦復興同盟レコン・キスタ』。

 その次の標敵がここ、トリステインである、という噂だ。


 その噂の発端となり、素晴らしい速さで噂が王都を駆け巡った原因は、一重ひとえにブルトンネ街突き当たりの川を挟んだ向こう側。

 丘の上の王宮を守る三つの魔法衛士隊、その全体に張りつめた、このぴりぴりとした空気にある。



 普段であれば難なく潜くぐれる城門は、懇意の仕立て屋や菓子職人、貴族すらも門前で呼び止められ、身体検査、『探査サーチ』(魔法の痕跡の検査)、『解析ディテクト』(催眠状態に陥っていないかの検査)と、慎重すぎるほど慎重に審査される厳重さだ。

 おまけに王宮の上空には、幻獣、凧フネを問わずに飛行禁止の触れが出され、何者もそこを通ることは許されない。



 実はこれ、フーケが脱獄したことに起因する厳戒態勢だったりする。

 脱獄の手引きを行ったものが城下に今なお潜んでいるのではないか、というアンリエッタの懸念に因よるものだった。

 その正体はワルドだったので、こんな所で警戒を強めていてもあまり意味はないのだが、アルビオンで今朝方判明したことがその日の昼までにトリステインの首都に伝わるわけもなく。



 変わらず続く厳戒態勢の中。

 日の傾かぶいた頃、そんな非常態勢を露とも知らないタバサがシルフィードを王城前の広場に降ろそうとしたのは、無理からぬことであった。









Fate/vacant Zero

第二十章 亡国なきくにからの便たより







「――――――――――!」


 王宮を眼下にしながら降下するシルフィードと俺たちに向かって、コウモリみたいな翼を広げて飛ぶ、赤い虎みたいな獣に乗った、鎧を着た男たちが、何やら叫んでいる。



 叫んでいる、らしいんだが。


 ちょっと今飛んでいる辺りは風が強すぎて何を言ってるのかさっぱりわからない。

 ベレー帽が飛ばされないように抑えながら、ラ・ロシェールで仮面を外したタバサに顔を近づけて、どうするかを短く話しあう。



「なあタバサ」

「何」


「あの獣、何ていうんだ?」

「翼虎マンティコア」


 へえ、あれがか。

 じゃねえ。

 自重してろmy好奇心。



「あいつら何て言ってるかわかるか?」

「……(ふるふる)」


 結論。


 とりあえず話を聞くため、下に降りよう、と。



 そんなわけで、翼虎マンティコアに乗った三人ほどの……兵士?を引きつれ、シルフィードは地面に降り立った。

 その途端、周りを同じような獣にのった兵士たちに取り囲まれ、ワルドの持っていたのと同じ、剣みたいな杖を一斉に突きつけられた。

 そんな兵士の中、いかめしいヒゲ面をしたごつい体の男――さっき上空でも怒鳴っていた男が、大声で叫んできた。



「杖を捨てろ!」


 と。

 ……あれ、ここってトリステインで合ってるよな?


 こくりとタバサが頷く。



「でも、宮廷」


 そう言って、タバサは杖を放った。

 後ろの三人を見やると、皆して同じように、不満そうな顔で杖を地面に投げていた。


 デルフは杖じゃないけど、捨てとくべきか?と疑問に思ったが、柄に手を掛ける前にごつい男が言葉を続けた。



「現在、王宮の上空は飛行禁止だ。触れを知らんのか?」


 しらんがな。

 そもそもここ何日かはトリステインにも居なかったし、と心で突っ込む。



「飛行禁止、ね。
 タバサ、知ってたか?」


 ふるふると首が横に振られる。

 だよな。知ってたら手前で降りて歩くだろ。


 後ろを振り返ってみれば、ちょうどルイズがキュルケの腕の中から地面に飛び降りるところだった。

 とん、と軽やかな着地を決めたルイズは、頭二つぐらい違う男に向かって毅然きぜんと名乗る。



「わたしはラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズです。姫殿下にお取次ぎ願います」


 ふむ、と男は顎ひげをなぞると、ルイズを見やった。

 数秒が経ち、男は挙げていた杖を下ろした。



「ラ・ヴァリエール公の三女とな」

「いかにも」


 ルイズは胸を張り、男の目を真っ向から見据えた。

 それを見た男は片手を挙げると、手のひらを地面に向けて軽く振る。

 それを合図に他の兵士たちも杖を下ろした。


 どうも、この男が隊長格らしい。



「なるほど、目元が母君によく似ておられる。では、用件を伺おう」


 首を横に振るルイズ。



「それは……、言えません。密命なのです」

「それでは、殿下に取り次ぐわけにはいかぬ。
 用件も確かめずに取り次いでしまっては、何のための厳戒態勢やら解らなくなってしまうのでな」


 そう困った声で言う隊長(仮)だけどさ。



「密命なんだから、こんなに人が集まってる状態で教えるわけにも行かんだろうに……」


 ギロリと睨まれた。うっわすげえ迫力。

 隊長(仮)の視線は顔を見て、爪先まで下り、また顔に戻って……、いきなり見開かれた。


 怖ぇぞ、おい。



「無礼な、と言いたい所だが……、貴方は?」





 アナタ?



 あの、貴族サマにそんな呼ばれ方したのは初めてなんですケド。

 なんだ、何があった。


 あ、ひょっとしてこの帽子のせいか?



「そこのルイズの使い魔ですよ」


 あんまり待たせるのも悪いので、とりあえず簡潔に答えておく。



「……使い魔だと? 何故、使い魔風情がアルビオンの王族の象徴などを……」


 ――いかん、自然に目が細まる。ちょっとかちんとキた。

 さっきこいつが敬意をもって訊ねたからか、それとも王子さまがそう言うの気にせずに話してくれてたからか。

 ともかく、こういう見下した物言いがものすげえ腹立っちまう。


 無意識に抜き身のままの――形が変わって鞘に入らなくなった――背中に吊るしたデルフの柄に手が行くが、なんだかちっちゃい手の感触がそれを抑えた。


 後ろを振り返ってみれば、回した手の袖口を掴んで、ふるりと首を振るタバサの顔。



「無闇に事を荒立てるのはよくない」


 いや、そうは言うけどさぁ……。



「ダメ、絶対」


 なんか聞き覚えのあるフレーズだこと。

 柄から手を離し、隊長(仮)に向き直れば、何やら困った顔つきになって、腕を組んで悩んでいた。



「お前たち、本当に何者だ……?」


 そう呟いている。

 何者だ、って言われてもなぁ。


「だから、密使だって言ってるでしょう」

「密使です。ぼくはグラモン家のギーシュ・アルマン」

「あたしは付き添いですわ。名前はキュルケ・アウグスタ・フレデリカ」

「同じく、タバサ」

「さっきも言ったけど、使い魔だよ。あ、俺は平賀才人な」


 むぅ、と困り果てたように唸うなる隊長(仮)。


 ……この周りの兵士を下げてくれりゃあ、問題なくルイズも話せると思うんだけどなぁ。

 機転が利かないのかね?


 なんてちょっと失礼なことを考えてたら、



「ルイズ!」


 そんな慌あわてた調子の声が聞こえてきた。

 その声に呼応して、ルイズの顔がぱっと輝き、声の方を振り向く。



「姫さま!」


 そしてルイズと、駆け寄ってきたお姫さまは、俺たちと兵隊たちが見守る衆人環視の中、ひしっと抱き合った。



「ああ、無事に帰ってきたのね。嬉しいわ……、ルイズ、ルイズ・フランソワーズ……」

「姫さま……」


 二人の目から、ぽろりと涙がこぼれる。

 兵士の何人かが、そこで門の方へと戻っていった。



「件くだんの手紙は、無事、このとおりでございます」


 誰か来たんだろうかね。

 寸劇みたいな光景から逃げただけかもしれんけど。



「やはり、あなたはわたくしの一番のおともだちですわ」


 二人の方に視線を戻せば、お姫さまはルイズの手をがっしと包んでいた。



「もったいないお言葉です、姫さま」


 ルイズが一礼する。

 それを見届け、お姫さまは俺たちの方に視線を向けると、きょろきょろ挙動不審に首を振っている。

 そうして俺に視線を向けた時に少し眼まなこを大きくし、顔を曇らせた。


 俺、何かしたか?



「――ウェールズさまは、やはり父王に殉じたのですね」


 ああ……、そういうことか。

 王子さまを、探してたんだな。


 ルイズが、目を閉じて神妙に頷いた。

 ……俺は、王子さまからの、お姫さまに伝えるべきことがあったのを思い出した。



「して、ワルド子爵は? 姿が見えませんが……、別行動をとっているのかしら?
 それとも、まさか…………、敵の手に、かかって?
 そんな、あの子爵に限って、そんなはずは……」


 お姫さまの顔色が、見る見る青くなっていく。

 ルイズの表情も、お姫さまが言葉を紡ぐほどに暗く重く沈んでいく。



 さすがに、これをルイズに話させるのは、いくらなんでも外道すぎるだろう。

 なんせ、信じていた男が、今朝、突然に態度を翻して殺しにかかってきたんだから。

 傷心の傷口を自分の手で抉えぐるのを黙ってみているなんて、気分悪いにも程ってもんがある。


 ……主人の盾が使い魔の役目らしいし、な。


 仕方ない、と俺は口を開いた。



「ワルドは、裏切り者だったんです。お姫さま」

「裏切り、者?」


 さーっ、と血の気の引く音が聞こえた気がする。

 左右をきょどきょどと見渡しながらうろたえるお姫さま、というのはなんとも新鮮で――やめとこう、さすがに不謹慎だ。


 だから自重しろ好奇心。




「彼らは、わたくしの客人ですわ。隊長どの」

「左様でございますか」


 隊長はお姫さまの一言であっさりと納得すると、兵士たちを促うながして、自らの持ち場へと戻っていった。

 そうしてお姫さまは、ルイズに向き直った。



「道中、何があったのですか?
 ……いえ、とにかく今はわたくしの部屋へ参りましょう。
 他の皆様方には別室を用意します。そこでお休みになってください」


 この場合、俺は他の皆様方には含まれるんだろうか。

 いやまあ、含まれても、ルイズについていくけどさ。





 帽子の恩恵なのかはわからないが、どうやら俺は皆様方には含まれなかったようだ。

 タバサたちを謁見待合室?とやらに残して、俺とルイズはお姫さまの居室へと案内された。


 何やら細かい細工の入った椅子に座ったお姫さまが、俺たちの方を向いて、ルイズを促した。



 ルイズが、事の次第を説明し始めた。


 道中、キュルケとタバサが着いてきていたことに始まり。

 運悪く、ラ・ロシェールで足止めを喰らったこと。

 滞在した宿で翌日の夜、フーケからの襲撃を受けたこと。



「あ、ちょっとタンマ」

「なによ?」


 その時に俺とタバサが、仮面を被ったワルドの……、おそらくは、本体に襲撃されたことを補足しておく。

 フーケを脱獄させたのが、ワルドだろうということも。



「そんなことがあったのね……」

「まあ、アレがワルドだって気付いたのは、アルビオンで戦った時だったけどな」


 それらを伝え終えて、ルイズに話の続きを促す。



 アルビオンへの凧フネに乗ったら、今度は空賊に襲われたこと。

 その空賊が、王子さまだったこと。

 王子さまに亡命を勧めたが、断られたこと。


 ……ワルドが、王子さまに結婚式を頼んでいたこと。

 その結婚式の最中にワルドが豹変し、王子さまを亡き者としようとしたこと。

 ルイズの預かった手紙を奪おうと、命を狙ってきたこと。


 だがその目論見もくろみは失敗し、手紙とともに無事に戻ってきた、こと。



 こうして無事にトリステインの命綱、ゲルマニアとの同盟は息が繋がった……、のだが。

 お姫さまは、悲嘆と自己嫌悪のどん底に沈んでいた。



「あの子爵が裏切り者だったなんて……、魔法衛士隊に、裏切り者がいたなんて……」

「姫さま……」


 ルイズが、そっとお姫さまの手を包みこんだ。



「わたくしがウェールズさまを死地に追いやったようなものだわ。裏切り者を使者に選ぶなんて、わたくしは、なんということを……」

「それは違います」


 それを意識した時には、もう口が勝手に動いていた。


「王子さまは、初めから最後まで、あの国に残るつもりでした。
 お姫さまの責任じゃありませんよ」


 それが、欺瞞であっても。

 王子さまの愛した人が自分自身の手で傷ついていくのを、黙って見ていたくなかったから。


 王子さまが、お姫さまに自分のことで悲しんでほしいと思っていたなんて、思えなかったから。

 効果があったとは、思えないけど。



「あの方は、わたくしの手紙をきちんと最後まで読んでくれたのかしら。ねえ、ルイズ?」

「はい、姫さま。ウェールズ皇太子は、姫殿下の手紙をお読みになりました」


 そう、とお姫さまが悲しげに首を振る。



「ならば、ウェールズさまは、わたくしを愛してはおられなかったのね」


   ……違う、と叫びたくなった。



「では、やはり……、皇太子に亡命をお勧めになったのですね?」


   王子さまは確かに言ったのだから。



 お姫さまは悲しげに手紙を見つめて、こっくりと頷いた。


   死ぬのは怖いと。それでも守りたいものがある、と。



「ええ、死んでほしくなかったんだもの。……愛していたのよ、わたくし」


   だからこそ、身を引かねばならない時がある、と。



「わたくしより、名誉の方が大事だったのかしら」

「違う」


 反射的に動きだした口を止めようとしたら、既に口は否定し終えていた。

 止め損なった、なら使ってもいい。


 お姫さまが、ルイズがこちらを怪訝そうに振り向く。



「違います。王子さまは、名誉なんかの為には死にに行かなかった。
 トリステインを……、お姫さまを守りたいって、俺、そう聞きました」

「わたしを……?」


 お姫さまが、呆けたように宙を見つめた。

 その隙に、あの日、パーティの最中に王子さまが溢した言葉を取り急ぎかき集めて伝える。



「自分が亡命してしまったら、『聖』……えーと。連盟レコン・キスタの勢いを止める者がいなくなる。
 無防備なトリステインを、この国を自分の身勝手で潰してしまいたくないって。
 そう王子さまは言っていました」


「ウェールズさまが亡命しようがしまいが、叛乱勢は攻め込んできたでしょう。
 その勢いも止まるときには止まり、止まらぬ時は止まらぬままに。
 戦は、個人の存在だけで発生するものではないのですから」


 そりゃ俺に言われても困る。



「あと、自分は王子であることを辞められなかった、って。
 自分の同胞ともがらを、捨てられなかったんだと思います」


「どちらにせよ、みな死んでしまったではありませんか!
 わたしは、ウェールズさまに生きて欲しかった。


 ……生きて欲しかったのに」



 お姫さまは激情を治めると、窓の外を眺めて溜め息を漏らした。

 一筋の涙と共に。


 ……俺もちょっと落ち着こう。

 なんか、勢いに任せて余計なことまで口奔った気がするし。


 王子さまが伝えて欲しいと言っていたことは、確か――



「――『ウェールズは勇敢に戦い、勇敢に死んでいった』。それだけ伝えてくれ、と」


 空を見上げたまま、寂しそうにお姫さまは哂わらった。

 王子さまは心労は美貌を損ねると言っていたけれど、実はそうでもないらしい。

 お姫さまの顔は、そう、歪んでいてもまた別の美しさがあった。


 ……そう何度も見たいと思えるもんじゃあないけどな。

 見てて胸が痛くなるし。



「勇敢に戦い、勇敢に死んでいく。殿方の特権ですわね。
 では、遺のこされた女は、どうすればよいのでしょうか」


 お姫さまがそう呟いて。

 ――俺の脳裏には、あの一瞬の光景が、まざまざとよみがえった。



 凍りついた半開きの双眸まなこと、唇。

 左胸に空いた、緋あかい穿孔あな。

 散ひろがる血溜りいのち。

 冷たい、亡骸からだ。


 あの時は、人形ニセモノだった。

 幸いにも、運良く、本物じゃあなかっただけだ。



 なら、あれが。

 本物のタバサが、あの場所に居たとしたら――



「姫さま……。わたしがもっと強く、ウェールズ皇太子を説得していれば……」


 申し訳なさそうなルイズの声が、意識を現実に引っ張ってきた。

 気がつけばいつのまにか、顎から滴したたり落ちるほど大量に脂汗をかいていた。



「いいのよ、ルイズ。あなたは立派にお役目どおり、手紙を取り戻してきたのです。
 あなたが気にする必要は、どこにもないのよ」


 ……あまり、あの時のことは思い出さないようにしよう。



「わたくしは、あなたに亡命を勧めて欲しいと頼んだわけではないのですから」


 ……どうせ、忘れようとしても忘れられないだろうし。



「わたくしの婚姻を妨げようとする計画は、未然に防がれたのです」


 ……心臓は心臓で、破裂しそうなほど脈打ってるし。



「わが国は無事、ゲルマニアと同盟を結ぶことができるでしょう。
 そうすれば叛乱勢も、簡単に攻めて来るわけにはいきません」


 ……体に悪いにも限度ってもんが以下略。



「危機は去ったのですよ、ルイズ・フランソワーズ」


 ……流れる汗を腕で拭ぬぐい、思考の中から視界を戻すと、ルイズがなにやらポケットの中をごそごそと漁っていた。



「姫さま、これ、お返しします」


 そう言うとルイズは、出発前夜にお姫さまから受け取った……、えーと。

 『水のルビー』、だったか? ……を取り出した。


 それを見たお姫さまは、何故か首を横に振る。



「それはあなたが持っていなさいな。せめてものお礼です」

「こんな高価な品をいただくわけにはいきませんわ」


 そうルイズが慌ててルビーを差し出すが、お姫さまは受け取らない。



「忠誠には、報むくいるところがなければなりません。
 いいから、とっておきなさいな」


 ルイズは少し悩むようにしながら、それでも頷くと、それを指に嵌めた。

 指輪、か。


 ついと目の前に、王子さまからもらった透明な宝石……『風のルビー』を掲げる。


 ……これを、形見として渡してしまおうか。

 さっき見たお姫さまの涙が、重ねた思いが、それを後押しする。


 親しい人が死ぬことは、辛いことだと。

 タバサだった人形を持ち帰ったのは、そんな感傷からではなかっただろうか。



「お姫さま」


 渡してしまおう。

 そう思って声を掛け、



 指輪を嵌めた手を後ろに回した。







 ってアレ?



「どうしました?」

「え、っと……」


 ……なんで俺は、指輪を隠したんだろうか。



「……その帽子は?」

「え?」


 帽子?

 帽子がどうかし……あ、そうか。



「これ……、ウェールズ皇太子から、預かった・・・・ものです。
 お姫さまに、渡してくれって」


 これも、王子さまからの貰いものだったんだよな。

 頭に乗っけたベレー帽を両手で取り、お姫さまに差し出す。



「この七色の羽、これは……、まさか」

「王子さまの、礼装です。お姫さまに渡してくれ、って言ってました」


 嘘だけど。

 でも、王子さまも言ってたからな。


 『感傷だ』って。

 『捨ててしまってもかまわない』、とも。

 なら、ここでお姫さまに渡してしまっても問題ないと思う。


 思おう、それが正しいと。

 震える手で、お姫さまがベレー帽を受け取った。


 少しの間、それを見つめると……、ぎゅっ、っと。

 胸元に抱きしめて、目を閉じて。

 涙を、さらりと一筋だけその頬に走らせた。

 軽く、はにかむように笑いながら。


 うん、やっぱりこういう笑顔の方が、見ていて気持ちがいい。

 それからお姫さまはふわりと微笑むと、俺のほうを見て。



「……ありがとうございます。優しい、使い魔さん」


 いえその。

 そう面と向かって言われると照れるんですが。



「あの人は、勇敢に死んでいったと。そうおっしゃいましたね」

「……はい。そうです」


 軽く頷いて、そう肯定する。

 お姫さまはもう一度だけ胸に抱いたベレー帽を見つめ、


「ならば、わたくしは……、勇敢に、生きてみようと思います」


 そう、まっすぐな瞳で宣言した。









 王宮から学院へと帰る道すがら。

「――ちょっと!――離しなさいよ!」

 空の上でも道すがらって言うのかね? まあ、どうでもいいか。

「――いいじゃないの、減るもんじゃないし」

 タバサはいつもどおり、俺とギーシュは珍しく、何も話さないでいた。

「――減るわよ! 自尊心プライドとか、なんかそんな感じのものが色々と!」

 並び順は前からタバサ、俺、ギーシュ、ルイズ、キュルケ。

「――ふっふっふ、やめて欲しかったらきりきり吐きなさ~い! 」

 まあ要は、アルビオンを出た時となんも変わってないってことだけど。

「――密命だって言ってるでしょバカーッ!」

 違うのはまあ……、キュルケがルイズを羽交い絞めにして何かやってることぐらいか。

「――なあに? あれだけ危ない橋渡らせておいて、どんな任務だったのかも教えてくれないの? ちょっとそれはヒドいんじゃない?」

 しかしまあ、なんだって俺は、この宝石を、お姫さまに渡さなかったんだろうな。

「――自分からその危ない橋渡りに来たのは何処の誰よ!」

 俺も、形見を持っていたかったとか?

「――つれないわねぇ。ねぇ、ギーシュ」

 それとも、王子さまが俺に、ってくれた気持ちを無駄にしたくなかった?

「――なんだね?」

 いや、そうじゃないと思う。

「――あなた、アンリエッタ姫殿下が、あたしたちに取り戻せと命じた手紙の内容を知ってるんでしょ?」

 っていうか、そうだったらきっと普通に渡してたと思う。

「――いや、あいにくだが僕もそこまでは知らないよ。内容を知ってるのは、ルイズだけさ」

 多分、この宝石は、俺の中で、あの誓いの証みたいになっちまってるんだと思う。

「――もう、ゼロのルイズ! なんであたしには教えてくれないのよ! なんだかとってもバカにされてる気がするわ!」

 これを見てたら、タバサや、ルイズや、こいつらを守ってやりたい。

「――いぃいぃいぃいぃいぃいぃくゎあぁあぁあぁ」

 そんな気持ちで一杯になるからな――って、なんだなんだ。


 ……なんでキュルケはあんながくがくがくがくとルイズを揺らしてんだ?

「げぇえぇえぇえんんんんんんんんんにぃいぃいぃいぃいぃい――」

 おい、なんでルイズは杖を掲げ――



「離ッしなッさぁぁあああああいッ!」



 ルイズが、後ろを振り向かずに、頭の後ろへ手の動きだけで杖を振り下ろした。

 キュルケが一瞬で青褪めながら、回り込むようにそれを回避し――



「げ」


 デルフが声を上げた。







 ズドンッ――!





 ――と。

 盛大に腹底に響く炸裂音を上げて。



 シルフィードの尻尾が、焦げた。







 ぴたり、とシルフィードが翼を静止する。

 って、飛んでる最中にそんなことしたら……。


「ふ――」


 ……ふ?

 って、今の誰の声だ?


 きょろきょろと、左右前後を見渡して――











「あ」(タバサ)

「いッ」(才人)

「う……」(ルイズ)

「え――」(キュルケ)

「お?」(ギーシュ)











 足場せなかが足元から忽然こつぜんと消失した。



「ふぇぇえええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇん!! ぃったいのね――――ッ!!」



 前の方に顔を戻して見れば、そんな泣き声なんだか鳴き声なんだか啼き声なのかもよく分からん大音量を撒き散らして、一瞬で豆になるシルフィード。

 竜って人みたいに泣くんだなぁ。幅涙ってアレのことか?


 あと、地面へダイブを敢行真っ最中のヴェルダンデとタバサ。

 ていうか俺。









 ――――――はっ!



「落ちてるぅぅぅううううう!?」

「こりゃおでれぇええええぇたぁああああぁぁぁ」

「…………あとでおしおき」

「まー竜の子の過失じゃねーからお手柔らかになー落ちる落ちるー」

「ルイズのバカ――――ッ!」

「ごめんなさっきゃあああぁぁぁッ!」

「ヴェルダンデーーーーーッ!?」

「きぃぃぃぃぃ」



あ――――――れ――――――。































 どうにかこうにかタバサを抱え込み、タバサの『空中浮遊レビテーション』によってふんわりと着地することに成功した俺頑張った。

 超がんばった。


 辺りを見渡してみれば、ここは草原のど真ん中だ。

 なにやら土の出た道が、前後に延々と伸びている。

 どうやら、王都と学院の間を走る街道に落ちたらしいが。




 どこだ、ここ。


 上を見れば、キュルケとルイズが抱き合ってしきりに言い争いながら低空にまでふわふわと降りてきていて――視線を外す。

 オレハナニモミテイナイ。


 下ろした視線の先では、ギーシュがヴェルダンデとひっしと抱き合っている。

 無事だったか功労者。



 ――で、だ。



「タバサ。どの辺りに落ちたか分かるか?」


 腕の中からタバサを解放しながら、尋ねてみる。



「さっき、遠くの方に小さく魔法学院が見えた」


 なんか半端な距離だな、それ。



「シルフィード、帰ってくると思うか?」


 ふるふると首を横に振るタバサ。

 まあいきなり体を爆発させられたら怒るよなぁ、普通。



「で、これが一番問題なんだけどさ。

 ……日が暮れるまでに、学院に辿り着けると思うか?」



「……」


 頼むからこっち見てくれ。不安になってしかたない。



「しょうがねえ、歩くか。
 青い方の月はだいぶ満ちてたし、月明かりの中を歩いてみるのも面白そうだしな」


 こくりとタバサが頷いて、すたすた歩き出した。

 あの、キュルケとルイズがまだ空中なんだが……、まあ、いいか。


 それに続いて、俺も歩き出す。



「なんだ、風竜は来ないのかい?」


 ギーシュが、隣に並びながら尋ねてきた。

 後ろにはヴェルダンデを従えている、と思う。

 なんか、もこもこもこもこと地面が盛り上がっていってるからな。



「いきなり背中に魔法くらわされてもまだ戻ってくるような奇特なヤツがいたら、俺はそいつを尊敬するぞ?」

「それもそうか。では、歩くとするかね。
 なに、半日もあればきっと着くさ」


 半日って、今から半日後はもう朝なんじゃねえか?



「……お前って、結構ずぶといのな」


 それか大物か。

 口に出したら確実に調子乗るから言わねえケド。



「気持ち前向きポジティブと言ってくれたまえ。まあ、それはそれとして、だ」


 あん?


「その、なんだ。

 聞きたいことがあるので答えたまえ、いいね?」


 何で命令形かつ断定なんだお前。

 いや、いい加減慣れたし別にいいけど。



「あんだよ?」


「姫殿下は、その、ぼくのことをなにか噂してはいなかったかね?
 頼もしいとか、やるではないですかとか。
 追って恩賞の沙汰があるとか、その、密会の約束をしたためた手紙をきみに託したとか――」







 ……そういや姫さま、直々にギーシュにお願いしてた割には、こいつのことなんも言ってなかったよなぁ。

 王子さまの生死で頭が一杯だったんだろうけど。


 不憫な、ってか哀れな。



「さ、歩こうか」

「その、何か噂しなかったかね?」


 聞こえない聞こえない。

 ついでに俺の目にはてこてこと本読みながら前を往くタバサしか映ってない。


 ああ、小動物っぽくていい癒しだ。

 これで樹にぶつかったりしたら、実に好いい。


 いや良くはないんだが。



「さあさあ、歩こうぜ。
 西日って結構綺麗なんだぜ?
 どこぞの漫画の登場人物も言ってたしな」


「なあ、姫殿下は何か――」


 (∩゚д゚) アーアーキコエナーイ。



「ちょっとー、待ちなさいよー、タバサー!
 置いてかなくたっていいでしょー!」

「そりゃ、わたしたちが悪いけどー!
 待ってよーッ!」


 お前らはもう小一時間ぐらいそこに居ろと言ってもいいだろうか。

 ああ、まったく――、朱い世界は綺麗だなぁ。



「やさぐれてんねぇ、相棒」


 言うな、侘わびしくなるから。

 ……あれ。



「お前、緑色の宝石なんてつけてたっけ?」

「さぁ?」



 首を捻る。

 まあ、変形なんてしでかしたんだから、今さら驚くようなことでもないか。







 かつて名城と謳うたわれたニューカッスルの城は、文字通りに死屍累々の惨状を呈ていしていた。


 城壁は度重なる砲撃と魔法の斉射によって瓦礫の山と化している。

 ニューカッスル岬の付け根からこの城に至るまでには、無惨にも焼け焦げた黒い"人だったモノ"が、ごろごろとそこかしこに転がっている。


 その数、およそ3000体。

 それらの全てが、叛乱軍――否、アルビオン新政府『聖邦復興連盟レコン・キスタ』、後に『神聖アルビオン共和国』の兵士であった。


 浮遊大陸から突き出た、岬の突端に位置したこの城を陥とすためには、ただ一方向、この岬をなぞるように進軍しなければならない。

 そのため密集して押し寄せた連盟軍レコン・キスタの先陣は、城に辿り着くまでに魔法と大砲の斉射による洗礼を幾度となく受けた。

 第一陣は、斉射が四度目を数えた時点で恐慌に陥り、見る陰もなく壊走してしまったのだ。

 5000居た兵の半数は討ち死にし、残る半数の兵にも、無傷の者は皆無だった。



 そんな大損害を被らせることに成功した王軍だったが、多勢に無勢という言葉は正直だ。


 第二陣の投入した巨大土人形ゴーレムによって城壁が崩されてからは、ものの10分足らずでケリがついた。

 王軍の兵はほぼ全てが魔法使いメイジであり、護衛の兵を持たなかったのだ。

 彼らは群がる蟲のような名も無き連盟レコン・キスタ兵によって、一人、また一人と討ち取られていった。


 そうして戦が終わってみれば、王軍は全滅していた。

 真実、一兵たりとも生き残りなど居ない。

 最後の一兵に至るまで王軍は戦い抜き、その悉ことごとくが地に斃たおれたのである。





 ――とはいえ。

 連盟軍レコン・キスタの被害もまた、想定外に大きかった。


 死者3000、怪我人を加えれば8000。

 その3/4が、先陣の出した被害だ。

 死傷者数だけ見れば、どちらが勝ったのかも分からぬ有様ありさまである。


 かくしてアルビオン革命戦争の最終決戦、ニューカッスルの攻城戦は、約160倍の連盟軍に対し、自軍の20倍近い損害を叩き出した王軍最期の戦として、歴史にその名を刻んだ。







 戦の終結より一日後の昼前。

 雲ひとつ無い空の下、死体と瓦礫の入り混じるこのニューカッスルの城中――戦場跡を、目立つ姿の連盟レコン・キスタの将二人が検分していた。

 一人は頭の後ろで一本に纏められた長い灰色の髪をした長身の男。

 もう一人は目深に黒いローブのフードを被った、眼鏡を掛けた女魔法使いメイジ。


 言わずもがな、ワルドと、フ-ケであった。

 ワルドは黒いマントの下に、これまた真っ黒な長袖長ズボンを身に着けている。

 あと、ヒゲがない。これで仮面をつければ、その容貌は紛れも無くラ・ロシェールに現れた仮面の男だ。


 二人はラ・ロシェールで退いた後、才人が起き出すよりも速い便の凧フネに乗り、アルビオンの港より馬を駆って、最後の攻撃準備を進める連盟レコン・キスタ軍へと合流したのだ。

 ルイズらと行動を共にしていた『偏在』が、皇太子殺害を万一失敗した際の予防線フォローを張るために。



「どうした、『土塊』よ。
 貴様もあの連中のように、宝石を漁らんのか。
 貴族から財宝を奪い取るのは、貴様の仕事ではなかったか?」


 周り、財宝漁りに勤しむ連盟レコン・キスタの兵士たちを見やりながら、ワルドが尋ねる。

 視線の先、宝物庫と思しき倉の中から、歓声が聞こえてくる。



「私とあんな連中を一緒にしないで欲しいわね。
 死体から宝石を剥ぎ取るのは、泥棒ハイエナだけで充分よ」


 中庭だった瓦礫の山で装飾品や武器を死体から強奪し、魔法の杖を見つけるたびに大はしゃぎしている傭兵の一団を、汚物でも見るような目で睨みながらフーケが返した。



「盗賊には盗賊の美学があるということか」


 ワルドが笑うのを横目に見ながら、フーケは舌打ちを一つする。



「据え膳に興味はないわ。
 私は、大切なお宝を盗まれてあたふたする貴族の顔を見るのが好きなのよ」


 フーケは王軍の死体の一つに、ちらりと視線をやる。



「こいつらはもう、慌てることもできないからね」

「アルビオンの王党派は貴様の仇だろうに。王家の名の下に、貴様の家名は辱められたのではなかったか?」


「はん。
 そんな恨み、昨日の内に晴らせるだけ晴らしてやったさ」


 第二陣先鉾せんぼうとして。

 ニューカッスル陥落の立役者として。


 城壁を一撃の下にぶち抜いたのは、フーケの巨大土人形ゴーレムであった。



「それにしても、あんたの『偏在』はいったいどうしたんだい?
 あの王子さまに土人形ゴーレムを崩された時は肝が冷えたよ」

「まったくだ。よもや、5体の『偏在』全てを倒されてしまうとは。
 連中の足止めが出来ただけでも喜ぶべきか、不甲斐ないと嘆くべきか、微妙なところだな」


「『裂風エアブラスト』や『焦壁ブレイズウォール』にやられた、ってのはまだ分かるんだけどねぇ」


「『捏土ニィド』による『石突ストーンランス』の真似事、『失敗ゼロ』の魔法。

 挙げ句は形を変えた片刃の剣による一刀両断だ」


「まったく、たいした奴等だね、連中は。
 特に、あの『神の左手ガンダールヴ』は。
 スクウェアのあんたを、薪割るみたいに叩っ斬っちまうなんてね」


「所詮は『ドット』や平民と思って油断したのが拙かった。
 使い魔には、一度勝っていたこともあってな」


「だから言ったじゃない。
 あいつは、盗賊の私を詐欺ペテンに掛けるような奴なんだよ。
 でもまあ、この城に残ってたんじゃあ、生き残りは出来なかっただろうけど」


 ふ、っとワルドの口元が歪んだ。



「いかな始祖の使い魔ガンダールヴと言えども、所詮は人だ。
 攻城の隊員からは、剣士に苦戦したという報告は上がってきていない。
 俺自身とて、奴には出くわさなかった。

 第一、奴は最後の瞬間、間違いなく壊れていた・・・・・からな。
 奴を討ち取った兵士も、それが奴だったとは気付いていまいよ」


 本当にそうだと楽でいいんだけどねぇ、とフーケは鼻を鳴らした。


 どうも、頭の片隅が先ほどからやかましい。

 なにかこう、またもあいつの詐欺ペテンに知らず知らず引っかかっているような。


 そんな気がする。



「……まあいいさ。その時がくればわかるだろうからね」


「? なんの話だ?」

「こっちの話さ。それよりあんたの任務の、手紙とやらはどこだい?」


「そうだな。
 ……奴等がこの場を離れていなければ、だいたいこの辺りの何処かだろう」


 そう言って、ワルドは城の一角、壁も天井も崩れた瓦礫がれきの山を指す。

 その瓦礫の中からは、ところどころ引っくり返った長椅子の脚が突き出ている。


 ここは礼拝堂。

 ワルドが、ルイズたち一行と戦った場所である。



「ふぅん。あのラ・ヴァリエールの小娘……、あんたの元婚約者の胸ポケット、だっけ? その手紙の在り処は」

「そうだ」


 抑揚も変えず、淡々と返事を返すワルド。



「愛してたんじゃなかったのかい?」

「愛する、愛さないなんて感情は、とうの昔に捨ててきたよ」


 ワルドが呪文を唱えて杖を振ると、小型の竜巻があらわれて辺りの瓦礫を吹き散らしだした。

 その間、フーケはすることもなく辺りを見回し、そこから右方によく見える、城壁の大穴を見つけた。



「ありゃ、見覚えがあると思ったら……、そうかい、ここって突破口の真正面だったんだねぇ」

「そうだ。ウェールズの死体もそこらに転がっているだろうよ」


 瓦礫を掘り起こす片手間に、ワルドが生返事を返した。



「おや、本当だ。

 ……あんたも、容赦なく打ち込んだもんだね。
 一息に心臓か頭を撃てばよかったのに」

 3メイルほど離れたところで仰向けに斃たおれているウェールズの体は、三箇所ほどに昏くらい孔が開いていた。


 一つ目は左腕、肘の関節があったところ。

 二つ目は右手、中心ど真ん中を穿って。

 三つ目は右胸、肋骨の隙間を縫うように肺を貫いて。



「私怨だ」

「そう。

 ……ってこら。
 あんた、ひょっとしてウェールズに負かされたの根に持ってない?」


「だから私怨だと言ったろう。
 いいから貴様も手伝え、これを全て掘り起こすのは面倒だ」


 ワルドは自ら殺したウェールズの亡骸には目もくれず、ひたすら瓦礫を弾き飛ばしている。



「無理だね。
 あたしの土人形ゴーレムじゃ、大雑把すぎて手紙ごと握り潰しちまいそうだし」


「使えん奴め」

「ほっときな」







 ――10分後。


「ほんとにあいつらはここで死んだのかい?」

「そのはずだが……」


 瓦礫がれきを尽ことごとく弾き飛ばして礼拝堂全ての床が見えるようになったのだが、どこにも死体が見つからないのはどういうことか。

 もう残っているのは、転がった長椅子や、礼拝堂に飾られていた調度品ばかりである。



「ひどい有様ね。美術品の類も、こうなっちゃぁ……、あら?」


 割れた陶器の欠片を手にしながら侘わびしげに呟くフーケが、床に落ちた一枚の絵を目に留めた。



「これって、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの『始祖ブリミルの光臨』じゃない」


 両手ですっと目の前に持ち上げ、埃を吹き払う。

 さて、真贋しんがんの程は――



「――複製、かぁ。

 まあ、確かこれってロマリアの大聖堂にあるっていう噂だし、こんな辺境の城の礼拝堂なんかに本物があるわけ……

 ……ぁん?」



 先ほど絵の転がっていた床に、丁度絵の横幅と同じくらいの大きな穴が開いているのを見つけた。



「何かしら、これ」


 フーケが穴を覗き込んでみれば、俯角45度ぐらいでその穴は深く暗く、何処までも伸びているようだった。



「――く」


 奥から吹く風で、フードが揺れる。



「ふ――」


 どうやら、この穴はどこかに貫通しているようだ。



「ぷ、ぁっははははははっ!」


 フーケは、胸の奥から込み上げてきた衝動に、耐え切れなくなり――笑い出した。

 何かある、何かあるとは思っていたが、流石にこんな手法は想定外だった。



「どうした、フーケ。気でも触れたか?

 ――む」


 いきなり笑い転げだしたフーケを点になった目で見たワルドが、その足元に開いた穴に気付き、フーケの横に並んで覗き込む。



「これは……」

「ははは、は、まさかこんな手で逃げ出すなんてね!
 まったく、相変わらず驚かせるのが上手い奴だよ! 『神の盾ガンダールヴ』!」


 何が起きたかを理解したワルドの顔が、怒りで歪んだ。

 あの土鼠か、と、忌々しく呪詛を吐き捨てる。



「あっは、あんたも、そんな顔をするんだねぇ。
 仮面無しでも仮面被ってるかと思ってたけど、なかなかどうして、顔に出るクチかい?」


 くつくつと笑いの残滓を残しながら、ワルドへ興味深そうに訊ねるフーケ。

 からかうな、と不機嫌そうにワルドは立ち上がった。



 そんな二人に、元来た通路の方から声がかけられた。

 快活な澄んだ声が、辺りに拡がる。



「子爵! ワルド君! 件の手紙は見つかったかね?
 アンリエッタが、ウェールズに認したためたという、その、なんだ、恋文ラブレターは。

 ゲルマニアとトリステインの婚姻を阻む、救世主は見つかったかね?」



 やってきた男は、縁ふちのない丸い帽子を被り、緑色のローブとマントを身につけて、いわゆる聖職者のような姿をしていた。

 その割には物腰が軽い。

 聖職者特有のもったいぶった空気が無いため、雰囲気はいっそ軍人に近しいものがある。


 高い鷲鼻、理知的な色を湛えた碧眼。

 そして帽子の裾からはカールした金髪が垂れている。


 ワルドはその男に対し、膝をつき、頭こうべを振って答えた。



「閣下。どうやら、手紙は空へと擦り抜けてしまったようです。
 私の失態ミスです。なんなりと、罰をお与えください」


 閣下と呼ばれた男は、にっ、と人懐こく笑うと、ワルドの肩を叩いた。



「何を言うんだ、子爵!
 きみは目覚しい働きをした。敵将を一人で打ち倒すという、偉業を為したのだよ!
 ほら、そこで眠っているのは、あの親愛なるウェールズ皇太子じゃないかね?
 誇りたまえ、きみが倒したのだ!」


「……ありがとうございます」



「彼は随分と余を嫌っていたが……、こうしてみると不思議なものだ、奇妙な友情さえ感じるよ。
 ああ、そうだった。死んでしまえば、誰もが『ともだち』だったな」



「ですが、閣下の望みの品、アンリエッタの恋文を手に入れる任務には失敗いたしました。
 私は、閣下のご期待に沿うことが出来ませんでした」


 ワルドが、再び謝罪を繰り返した。



「気にするな。同盟阻止より、確実にウェールズを仕留めることの方が大事だからな。
 理想とは一歩ずつ、着実に進むことで達成されるものだ」


 ローブの男が、フーケの方に振り向いた。



「子爵、そこの綺麗な女性を余に紹介してくれたまえ。
 未だ僧籍に身を置くものとしては、女性に声を掛けづらくてね」


 フーケは、この一連の会話の間、その男をそれとなく観察し続けていた。

 ワルドが頭を下げている辺りを見る限り、この男は連盟レコン・キスタの中でもよほどの大物なのだろう。


 だが、わからない。


 フーケの目に映る男は、どうみても『普通の男』だった。

 それが逆に怪しすぎるほどに、この男は普通だったのだ。


 ワルドは立ち上がると、男にフーケを紹介した。



「彼女が、かつてトリステインの貴族たちを震え上がらせた盗賊、『土塊』のフーケにございます。閣下」

「おお、噂はかねがね存じておるよ!
 我等が第二軍を勝利に導いた土人形ゴーレムの主、まずは此度の参戦に感謝を。

 ――お会いできて光栄だ、ミス・サウスゴータ」


 そうしてフーケの昔の名を呼んだ男は、手を差し出して。


 ――目を合わせた。



 なんだろうか、この何とも言えない感覚は。

 眼に映る姿は、確かに本物なのに。


「……ワルドにわたしのその名を教えたのは、あなたなのね?」


 何か、それとは違う、違和感がある。



「そうとも。余はアルビオンのすべての貴族を知っておる。
 系譜。紋章。土地の所有権。
 管区を預かる司教時代に、全て諳そらんじたよ。

 おお、ご挨拶が遅れたね」


 にこり、と細められる眼にあわせて、ぞくり、と肌の粟あわ立つ感触が腕を覆う。

 男は胸に手を添えると、名乗りを挙げた。



「余は、オリヴァー・クロムウェル。
 貴族議会の投票により『聖邦復興同盟レコン・キスタ』総司令官を勤めさせていただいているよ」


 男、クロムウェルは苦笑をその顔に抱いた。



「元はこの身なりの通り、一介の司教に過ぎぬのだが。
 貴族議会に選ばれたからには、微力を尽くさねばならぬ。

 微力の行使には、信用と権威が必要でね。
 始祖に仕える聖職者の身でありながらも『余』などと自称することを、赦してくれ給えよ?」


「畏れながら、閣下は既にただの総司令官ではございません。今ではアルビオンの……」

「皇帝だ、子爵」


 クロムウェルは、目の色を変えずに哄わらう。



 まるで、二人の人間が重なっているような。

 暖かい色と、冷たい色が同時にその場に存在しているような、不思議な眼だ。



「確かにトリステインとゲルマニアの同盟阻止は、余の願うところではある。
 だが、それよりももっと大事なことがあるのだ。

 なんだかわかるかね? 子爵」


「閣下の深いお考えは、凡人の私には量りかねます」


 クロムウェルは両手を振り上げると、かっと眼を開いた。



「『結束』だ! 鉄の『結束』だ!
 ハルケギニアは我々、選ばれた貴族たちによって結束し、聖地をあの忌まわしきエルフどもから取り返す!
 それが始祖ブリミルより余に与えられた使命なのだ!」


 双眸から暖かい色は消え、冷たい色が表に出る。

 それでも、二人の人間がそこにいるような、奇妙な気配は残ったままだが。



「『結束』のために必要なものは、お互いの信用だ。
 だから子爵、余はきみを信用する。
 安心したまえ、同盟は結ばれてもかまわないのだ。
 どのみちトリステインは裸でな。余の計画に変更はない」


 そういうクロムウェルのま両眼まなこには、半分だけ暖かい色が戻ってきた。



「外交には二種類あってな。杖とパンだ。

 とりあえずトリステインとゲルマニアにはパンをくれてやる。
 こちらとしても、杖を振るうための精神力が必要だ」


「御意」


 ワルドが深々と頭を下げる。



「トリステインは、なんとしてでも余の版図に加えねばならぬ。
 あの王室には、『始祖の祈祷書』が眠っておるのでな。
 聖地へと赴く際には、是非とも携えたいものだ。

 なに、心配することはない。
 この偉大なる使命のため、始祖ブリミルは余に大いなる力を授けたのだから」


 ぴくりと、フーケの眉が跳ねる。

 大いなる力、とはいったいなんだろうか?


 ……先ほど感じた『普通の男』という第一印象など、どこかへ消え去ってしまっていた。



「閣下、始祖が閣下にお与えになった力とは、なんでございましょう?
 よければ、お聞かせ願えませんこと?」


 フーケが先を促すと、クロムウェルは己が演説に酔ったような口調で続けた。



「魔法の四大系統はご存知かね? ミス・サウスゴータ」


 フーケは頷いた。

 魔法を習った者ならば誰もが知っていることだ。


 火・水・風・土の4つである。



「そう、その4つの系統に加え、系統魔法にはそれとは別の、もう一つの系統が存在する。
 始祖ブリミルが用いし、零番目さいしょの系統。

 真実、根源。
 万物の祖となる系統だ」

「零番目の系統……、まさか」


 『虚無』。

 今は失われた系統だ。

 それがいったい"何"を操る魔法だったのかすら、時の闇の向こうに流れ去ってしまっている。


 この男は、"それ"が何かを知っているのだろうか?

 それはつまり――



「余はその力を、始祖ブリミルより授かった。
 だからこそ貴族議会の諸君は、余をこの世界ハルケギニアの皇帝とすることを決めたのだ」


 この男は、『虚無』の魔法使いメイジだということか。

 この奇妙な目も、『虚無』によるものなのだろうか?


 視線の先のクロムウェルは、腰から引き抜いた杖をウェールズの死体に向けて。

 こんなことを、言い出した。



「ワルド君。

 ウェールズ皇太子を、是非とも余の友人に加えたいのだがどうだろうか。
 彼は確かに余の最大の敵であったが、だからこそ死して後のちはよき友人になれると思うのだ。

 異存はあるかい?」



「閣下の決定に異論が挟めようはずもございません」


 首を振るワルドに、クロムウェルはにっこりと微笑んだ。


 ……何を言っているのだろうか、この男たちは。

 そのようなこと。


 死者と本当の意味で友人になることなど、現実に可能なはずがないではないかと。



「では、ミス・サウスゴータ」


 フーケはそう思っていた。



「貴女に、『虚無』の魔法をお見せしよう」


 この男が、杖を振るうまで。



 低い小さな詠唱が、クロムウェルの口から毀こぼれだす。

 それは、フーケが今まで聞いたことのない旋律だった。


 5秒余りの詠唱を終えたクロムウェルは、そのままウェールズの死体へと優しく杖を振り下ろした。













 フーケがまともな思考の出来る意識を取り戻した時、視線の先には、渇いた血だまりの跡が残る地面だけがあった。



 それが、先ほどの光景が幻覚ではなかったことを教えてくれる。

 クロムウェルとウェールズが歩み去った・・・・・・・・・・・この場で、フーケはやっとの思いで口を開いた。



「あれが、『虚無』……、死者が蘇った?
 そんな、バカな」


「『虚無』は生命を操る系統だと……、閣下が言うには、そういうことらしい。
 俺も今の今まで信じていなかったんだが、目の当たりにしてしまうと、信じざるを得んな」


 現実に、ウェールズは、甦よみがえったのだから。


 クロムウェルの親衛隊として。

 今度は、トリステインの敵として。


 フーケは乾いた笑い声を漏らしながら、ワルドに訊ねた。



「もしかして、あんたもさっきみたいに、『虚無』の魔法で動いてるんじゃないだろうね?」

「俺か? 俺は違うよ。幸か不幸か、この命は生まれつきのものさ」


 そう呟くワルドは、だが空を見上げて呟く。



「しかし。しかし、だ。
 伝承の通り、数多あまたの命が聖地に光臨せし始祖によって与えられたとするのならば――、


 全ての命は、『虚無』の系統によって動いている。

 そう取れはしないだろうか」

 さっと顔から血の気を引かせたフーケは、慌てて胸を押さえた。


 心臓の鼓動を確かめるために。

 自分が生きているという確信を持つために。


 ワルドが、そんな様子を苦笑しながら見つめた。



「そんな顔をするな、これは俺の憶測だ。
 妄想といってもかまわん程度のな」


 ほっとフーケが安心し、長く息を吐いた。



「脅かさないでよ」


 怨めしげに、ワルドを見つめながら。



「でもな、俺はそれを確かめたい。
 これが妄想に過ぎぬのか、それとも真実なのか。

 きっと聖地にその答えは眠っていると、俺は思うのだよ」









 この翌々日のことである。


 正式に、トリステイン王国王女アンリエッタと、帝政ゲルマニア皇帝アルブレヒト三世との婚姻が発表された。

 式はそれより一ヵ月後に行われる運びとなり、それに先立って軍事同盟が締結されることとなった。


 同盟の締結式はゲルマニアの首都、ヴィンドボナで行われ、トリステインからは宰相のマザリーニ枢機卿が出席。

 条約文に署名を行い、ここに同盟は成った。



 そのさらに翌日。


 今度は、アルビオンの新政府樹立の公布が為された。

 三国間には緊張が走ったが、神聖アルビオン共和国が象徴、初代皇帝クロムウェルはすぐさま特使を両国へ派遣。


 不可侵条約の締結を打診した。


 両国は協議の結果、これを受諾。

 ……何かの罠かと両国も警戒はしたものの、"受諾"以外の選択肢など端から用意されていなかった。

 両国の空軍の総勢を混ぜ合わせても、アルビオンの艦隊には対抗しきれないのだ。


 喉元に刃を突きつけられたような状態での不可侵条約。

 未だ軍備の整わない両国にとって、この申し出は願ってもないことであった。



 こうして、ハルケギニアには表面上ながらも平和が訪れた。

 一般的な貴族や平民たちは、いつもと変わらぬ日常の中へと帰っていった。



 唯一部ただいちぶ。

 水面下で鍔競りあう、政治家たちを除いては。







 
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