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fate/vacant zero

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白き空の国から





 凶乱に包まれた一夜が明けた。

 山と谷の隙間から朝日が顔を見せ、ラ・ロシェールの町並みを明るく照らしだす。

 その陽射しは、昨夜の騒動の中心だったここ、『女神の杵』亭にも朝を告げる。



 入り口前の表通りでは、崩れ落ちた岩人形ゴーレムの欠片が黄金色に染め上げられ、各々が好き勝手に影を伸ばし、奇妙な景観を形作っている。

 柔らかい陽光の射し込む一階の酒場は、足を砕かれた机や椅子、風に割られた酒瓶やら皿の類がごろごろと転がっている。

 壁には一面、ぎっしりと矢が突き刺さっていて、腕に包帯を巻いた太った店主は、その損害総額を考えて思わず天を仰いでいた。



 そしてその最上階。

 一番上等な部屋の、天蓋つきベッドの上では……



「う、ん…」



 陽射しに照らされる前に起き出すことをすっかり義務づけられてしまった才人が、魘うなされながらも意識を取り戻そうとしていた。









Fate/vacant Zero

第十六章 白き空の国から







「……ぅぁ?」



 寝ぼけた声をあげて、才人は瞼まぶたを開いた。

 ぼやけた視界に映っているのは、昨夜や今朝方も見たベッドの天蓋やね。


 ……はて、なぜ俺はこのベッドに寝ているんだろうか?

 確か、俺はルイズたちの囮になって、タバサと一緒に傭兵連中を――


 目を擦ろうとした手がずきりと痛み、思わず歯を噛みしめる。

 いったい何事かと、その眼前に掲げられた手を眺ながめてみた。



「……うげ、なんだこりゃ」


 才人の腕は、ぶっちゃけグロいことになっていた。


 血管は片っ端からみみず腫れになっててマスクメロンみたいだわ、肌はなんだかピンク色に変色しているわ、非常に肉感的(誤用)で生々しい。

 あと、一張羅のパーカーが何故だか半袖になっていた。

 逆の腕も掲げてみたが、まったく同じ状態である。



 そういえばあの仮面男の魔法からタバサたちを庇ったんだっけ。

 ようやく昨夜の最後の出来事を思い出してきた。



 ――そうだ。


 あの後、どうなったんだろう。

 タバサやシェルンノスは、無事だろうか?


 それが気に掛かり、この部屋に居ないだろうかときょろきょろと見回してみる。


 床にはヴェルダンデが丸くなり、デルフリンガーは自分のベッドの枕元に立て掛けられているのを見つけた。

 だが、もう一つのベッドは空っぽで、シーツの上に木彫りの人形が二つ転がっているだけだった。


 タバサたちの姿は、無い。



 まあ自分がここに寝てるんなら無事だったんだろうけど、それでも心配なものは心配なのだ。

 枕もとのデルフリンガーを、力の入りにくい両腕を駆使して引き抜いた。


 重みも正直厳しかったので、両腿ももの上に乗せて話し掛ける。



「デルフ」


「おう、おはよう相棒。手は大丈夫かね?」

「力は入りにくいけど動かないってほどじゃないな。ってそんなことはどうでもいい」


「そんなことって。自分の腕は大事じゃねえのかい?」

「いいから! あれからどうなったんだ? タバサはどこ行った? 俺が気絶してからどれぐらい経ったんだ!」


「ああもう、わかった、わかったからそんな急かすなって。
 そんな焦らんでも大丈夫でえじょうぶだよ」


 それからデルフは、あれからの事を語り始めた。

 まず、あれから半日も経っていないこと。

 タバサを狙った仮面の男は、ヴェルダンデとシェルンノスに倒されてシェルの使ってた体と同じ人形に戻されたらしいこと。



「って、なんで伝聞なんだ?」

「オレはオレで、3分ぐらいかな? 気ぃ失ってたんだよ。
 ていうか直撃したのはオレっちで、相棒はオレから通電しただけな」


 いやいやいや、二次被害でもこんななるのかよあの魔法。

 よく生きてたな俺。



 で。


 それからタバサが腕の治療をして、精神力が尽きたし俺も目が覚めなかったから一泊したこと。

 そのタバサは、今は『桟橋』に行ってるとのこと。



「そっか……。また迷惑かけちまったなぁ……」


 正直、今回はタバサの邪魔しかしてない気がして気が重い。



「なんだからしくねえなあ、相棒。
 もうちょっと前向きにいかねえと身がもたねえぜ?
 『雷撃ライトニングクラウド』を腕だけでも生身で耐え切るなんぞ腕利きの魔法使いメイジでも難しいんだし、もーちょい誇んなって」


 そんなもんなんか?



「そんなもんだよ。
 にしても相棒、なんかあの貴族に負けてから調子狂ってんね」

「ああ……、ワルドにあの時言われた通り、『どんな魔法が来るんかな?』とか、『どんな風に攻撃してくるんだ?』とかの好奇心を抑えてみてるんだけどな。
 なんか、かえって戦いにくくなった気が」


「や、そりゃそうだろ相棒。
 意識的に好奇心抑えてたら、集中力がそっちに回されんに決まってんじゃねえか」


 あ。



「それに、相棒って確か『ガンダールヴ』とかって呼ばれてなかったか?」

「え、ああ。そうだけど、突然なんだよ?」


「あの『雷撃』喰らってちょっと思い出したんだけどさ。その好奇心は、大事にしといた方がいいぜ」


「へ? なんか関係あんのか? それ」


 デルフは少しの間沈黙してから答える。



「ある。と、思う」


「なんだよ、その中途半端な答えは」

「いやぁ、随分昔のことだかんね。
 お前さんの強さに関わることだったとは思うんだけど、なんかこう、頭の隅に引っかかってて」


 なんか、頼りねえ返事だなぁ……。



 ってかまて、頭ってどこだ。



「柄じゃね?」

 そぅなのか。





 さて、そんな馬鹿話をしていると、『桟橋』からタバサが帰ってきた。


「……おはよう」

「あ、ああ。おはよう」


 挨拶もそこそこに、本題に移る。



 なんでも、『桟橋』の入り口に焦げた岩が大量に転がってたり、ロビーそのものがボロボロになってたり、停泊していたはずのフネが一隻なくなっていたりと、港は大騒ぎになっていたらしい。

 そのフネの乗組員の死体の類は無かったらしいので、盗まれたわけではないと思っていい。

 よって、ルイズたちはどうやら無事にアルビオンとやらに出港することができたようだ、とのこと。


 と、そこまで普通に話していたタバサが、唐突に眉尻を少し落とした。



「――あなたさえよければ、すぐにでも後を追う」


 気のせいか、声も少し揺れている気がする。



「怪我は、どう?」



 ああ、と納得した。


 拳を作って、『怪我なんてどうってことない、大丈夫だ』とアピールする。

 なんか痛みが走ったが、我慢だ我慢。男として。


 それを見たタバサは、こう続けた。



「申しわけない」


 ……俺、無意識の内に顔でも引きつってたんだろうか。


 無念、とでも言わんばかりにタバサはしゅんとしている。

 や、なんで?



「あなたに、怪我をさせてしまった。わたしが背後に気をつけていれば、こんな怪我をせず済んだ」


 あ、あー。責任感じちゃってるのか。迂闊うかつ、って感じ?



「気にすんなって。いつも助けてもらってるお礼みたいなもんだし」


 さらにタバサの顔がバツ悪そうに歪む。

 やべぇ、外した。



「そ、そそれにほらなんだあれだそう、俺が勝手にしたことだから!
 ほら、こんな怪我ぐらいどってことないって! な! だからそんな責任感じることないって!」


 がすがすと怪我をぶん殴りながら、笑顔を捻り出してまくし立てる。

 痛覚、ちょっと自重してろ!



「……わかった」



 それで少しいつもの雰囲気に戻ったタバサは、


「1個、借り」


 と――ってコラ、わかってねえじゃんッ?



「いや、借りって言われてもほら、そんなこと言ったら俺なんて借りまみれだし、その、な?」

「でも、借りは借り」


「や、でもな。借りと借りとで相殺ってことにしないか?」

「しない」


 ……むぅ。

 意外と強情なのか、タバサって?


 一応、俺にもプライドってもんはあるんだぞ?

 もうかなり欠片になってるけど。



「じゃあ、俺は借り……あれ、何個目だっけか」


 えーと。


 こっち来て最初の授業で蛇から助けられただろ。


 それと、フーケの土人形ゴーレムの足の下から1回。

 破壊の杖の時はシェルを貸してくれたりもしたし、そもそも土人形ゴーレムの前にもなんかあった気がする。


 ヘタクソなダンスの相手もしてもらっちまってるし、この街の入り口では傭兵から助けてもくれた。

 そんでもってワルドに負けた後は相談に乗ってくれて……、おまけにうっかり抱きついちまったし……、今回の怪我、治してくれてるみたいだし。


 ――うう、いいとこねえな、俺。



「借り……、9個ぐらいか」

「多すぎる。そんなに貸した覚えはない」


「いや、たしかこれぐらいは助けられてたはずだぞ?」


「そんなことない。あなたは、わたしを高く見すぎ」

「タバサこそ、ちょっと自分を低く見すぎだと思うんだけど」


 二人して借りの有無を主張しあっていると、なんか剣やモグラの呆れた(鳴き)声が聞こえてきた。



「なぁ、どっちもどっちだと思うんだけどよ、オレっち。気のせいかなぁ」

「似たモン同士ってのはこういうことなんかな。つうか、恩の貸し借りで喧嘩してたら本末転倒じゃないか?」

「きぃきぃ」



 結局、この自分貶けなし合戦はそれから延々15分ほど続いた。


 結論:この一件でお互いに迷惑を掛けあったので、お互いに一つ借り。

 なにやってんだろうね、俺ら。









 さて、自重の嵐と時を同じくして。

 朝日を背にして空を滑る凧フネの船室で、昨夜の戦闘におけるもう一人の怪我人が目覚めようとしていた。



 どやどやと、遠く聞こえる人の声。

 丸い窓からベッドを照らす朝の日差しが、穏やかにキュルケの意識を呼び覚ます。

 いつものようにぼーっと天井を見上げ、むっくりと身を――


「あたっ!」


 起こそうとして体の脇に手を着いてしまい、肩の痛みに不意を突かれ、ベッドへ背中から逆戻りする羽目になった。



「あいたたたた……」


 そういえば、『石矢ストーンエッジ』が刺さったんだっけ。

 乙女の肌に傷つけてくれちゃって、今度会ったら覚えてなさいよオバサン!


 と声高らかに(胸中で)叫び、逆側の手をついて体を起き上がらせる。

 すると、目と鼻の先に起き上がってきた桃色の長い髪に、ぼふっと顔から突っ込んでしまった。


 (あら、いい匂い)


 そのまま、髪の主がくるりとこっちを振り向いて。

 まあ、当然だけどあたしの顔はそのままの位置なワケで。


 超至近距離に、鳶色の寝ぼけ眼が飛び込んできたかと思うと……。



 んちゅ、っと。



 ……この子の、やたら張りがあるわね。羨ましい。

 なんてバカなことを考えるのは、やっぱり寝起きだからだろう。


 そう思いたいし、あたしにその気はない。はずだ。

 男好きだし。



「な、ぁ、ぁぁあぁあぁああんたツェルプストー!?
 なによなによ朝っぱらから何すんのよこの『お熱』!」

「あたしは『微熱』よ『微熱』。ていうかなんかしたのはあんたでしょうが。
 キス一つで赤くなっちゃって、ウブねぇ」


「な、な、なん……なんですってえッ!」

「ぁた、たたた。……お願い、傷に響くからこんな至近距離で怒鳴らないでくれるかしら?」


 はた、とルイズが動きを止めた。



「ふ、ふん。傷、痛むの?」

「ええ、すっごく痛いわね。
 今すぐ『治癒ヒール』をかけて欲しいくらい」


 なんだか肩の芯辺りまでが、ずきずきと痺れるみたいに痛い。



「ワルドは凧フネを高く飛ばすために精神力を残さないとダメ、ギーシュは……、ドットスペルの『治療ケア』でひいひい言ってた気がするわね。
 別にわたしがかけてもいいんだけど?」


「遠慮させていただくわ」

「よね。『治療ケア』で爆発なんてしちゃったら、シャレにもならないわ」


「……はぁ。水の魔法薬はないの? 例えば、幻油げんゆとか」

「それが、この凧フネには火の秘薬イオウぐらいしか積んでないみたいなの。
 港町になら、あるかもしれないんだけど」


 申し訳無さそうに俯いて、ルイズが呟いた。

 どうやら、まだしばらくはこの痛みに耐えないといけないらしい。



「それで、アルビオンまではあとどれぐらいで着くのかしら?」


 ルイズに尋ねてみると、にっと笑って窓の方を指差した。



「なに? 外がどうしたってーの?」


 ふっ、とその指の指している方を向いて……、窓の外、遠くの方に、何かがあった。

 目を凝らしてみるが、雲を踏みつけた、ところどころがキラキラと輝く何か、という程度にしか、ここからでは分からない。


 体をベッドから起こし、ふらついた所をルイズに支えてもらいながら、窓へ近づく。



「わぁ……」



 その眺望は、幻想的かつ圧倒的だった。


 あちこちが色とりどりに煌めき狂う、琥珀色の巨大な岩壁。

 それが、視界の続く限り、はるか左右の水平線まで延びている。

 わずかに首を仰角に傾ければ、その岩壁の天辺、地表の崖っぷちから、川らしき水の流れが滝となって滴り落ちている。



「驚いたかしら?」

「………………ええ。こんなの、初めてみたわ」


 ほけーっとそれを眺めるキュルケを満足げに見ながら、ルイズはいつもの指を立てたポーズで説明を始める。



「あれがアルビオンの治める浮遊大陸、エタンセル。
 いま見えてるのはビジュの守もりって呼ばれてる、港町の多い大陸南岸の断崖地帯ね。

 この国はああやって空中を浮遊して、主に大洋を彷徨っているわ。
 でも一月ひとつきの内、ほんの数日の間だけ、ハルケギニアを掠かすめるように接近してくる。
 大きさはトリステインの国土ぐらいだったかしらね。で、アレが『白の国』って通称の由来ゆらい」


 ルイズの指は、大陸の下の方、海の方に向いた。


 見れば、先ほど見えた滝は海へと落ち込んでいるらしく、瀑布は白い霧となり、大陸の下半分を覆っている。

 大陸から離れた霧は雨雲へと姿を変え、ハルケギニアの広範囲に大雨をもたらす水源となっている、とルイズは語った。


 そういえば、一月ひとつきに一度ぐらいの間隔で大雨の降る日がハルケギニアのどの国にもある。

 これがその理由か、とキュルケは得心した。



 豪快ねぇ……あら?

 なにかしら、あれ。


「ねえ、ヴァリエール」

「なによ?」


「あれって、凧フネかしら?」


 ルイズに分かるよう、正面の少しずつ大きくなってくる小さな影を指差す。



「……そう、みたいね。まだ遠すぎてよくわかんないけど」


 そう話してる間にも、その影はどんどんと大きくなっていく。

 影の形が小揺るぎもしないところを見る限り、凧フネらしきそれは正確にこちらを目指してきているように思える。



「ヴァリエール。凧フネって、用も無く他の凧フネに向かってくるものなの?」

「まさか。そんなことやるのは軍隊か、空賊くうぞくぐらいなもの……」


 二人して顔を見合わせる。



「――甲板に上がりましょう。この部屋の位置じゃ、大砲おおづつの一発でも撃たれたらアウトよ」


「そうね、それに賛成だわ。……ところで、ツェルプストー」

「ん、何? ヴァリエール」



「寒くないの?」



 はぇ? と体を見下ろしてみた。


 ……左肩と胸を覆う包帯。そして肌色が見える。

 スカートは?


 腰に手をやって触れてみた。

 ……この手触りはいつものシルク。



「……もうちょっと早く言ってほしかったわ」


「そう?」

「ええ。それで、あたしの服は?」


「椅子に掛かってるわよ」


 なんかあたし、ショーツと包帯しか身につけてなかったみたい。

 意外と寒くないものね?









「右舷上方、雲中より凧フネが接近してきます!」


 鐘楼しょうろうの見張りの声が、凧フネ中にこだまする。

 甲板後方にて、ワルドと並んで操船の指揮を取っていた船長にもその声は届き、見張りの指し示す方向を見上げさせた。


 まだ多少の距離はあるが、その黒くタールが塗られた船体は、戦う艦ふねを思わせる威容を持っていた。

 旋回を始めたその船体の、こちらに向けられつつある舷側には、二十云門ほどの砲門がずらりと黒光りしている。



「貴族派レコン・キスタの凧フネか?
 お前たちに荷を運んできた凧フネだと、早く教えてやれ」


 船長が伝声管に喋り、見張り員は船長の指示通り、手旗で信号を送った。


 のだが。

 黒い凧フネからは、なんの反応も返ってこない。


 その時、『遠視の筒』でその凧フネを見ていた副長の声が、伝声管から大きく響いた。



「船長! あの凧フネは旗を掲げておりません!」


 さっ、と船長が青褪めた。



「空賊か?」

「混乱に乗じて、活動が活発化していると聞き及びますゆえ、おそらく間違いないかと!」


「いかん、逃げろ! 取舵いっぱい!」


 船長のこの判断は、結論から言うとあまりに遅すぎた。

 黒凧フネは既に併走をはじめており、大砲おおづつ一門をこちらの進行方向へと撃ち放ったのだ。


 停戦しろ。さもなくば……。


 そんな意味合いのこめられた砲弾は、ぼごん!と鈍い音を響かせて雲を打ち抜き、海に小さく水柱を上げた。

 黒凧フネのマストに、四色の旗がするすると登っていく。


 信号だ。



「停凧ていせん命令です……、船長」


 選択肢は二つ。

 戦うか、奪われるかである。


 とは言ったものの、この凧フネの武装は移動式の大砲おおづつが三門。

 二十云門も片舷側に砲門を並べたあの凧フネとは、比べるまでもなかった。


 助けを求めるように隣のワルドに視線をやる。



「魔法は、高さを稼いだ分で打ち止めだよ。あの凧フネに大人しく従うんだな」


 ワルドはこともなげに言うが、つまるところそれは積荷の全てを受け渡すということだ。

 これで破産か、と口の中だけで呟いて、全凧せん伝声管の蓋ふたを開いた。



「裏帆を打て。停凧ていせんだ」







 キュルケがルイズに支えられながら甲板に上がってきたとき、丁度その声は横殴りに飛んできた。



「空賊だ! 抵抗するな!」


 見れば、黒凧はもはや数メイルの距離にまで接近していた。

 あちらの凧フネの舷側には、拡声具メガホンを手にした男を中央に、弓や火打銃マスケットを構えた男たちがずらりと並んでいる。



「本当に空賊とはねぇ……」


 空賊たちは鉤かぎのついたロープをこちらの帆柱や舷縁に渡すと、それを伝ってこちら側へと飛び移ってやってくる。

 その屈強な男どもの数、およそ数十人。

 各々の手には斧やら曲刀やらの得物がしっかりと握られている。


 それに驚いたのか、前甲板に繋がれていたワルドの獅鷲グリフォンがグォオンと威嚇をしたのだが、次の瞬間にはその頭の周りは青白い雲に覆われた。

 どすんと獅鷲グリフォンは甲板に崩れ落ちる。



「『眠りの雲スリープクラウド』か……、どうやら向こうにも魔法使いメイジがいるようだな。
 懐から手を抜いておいた方がいい。その怪我ではどのみち自殺行為だ」


 いつの間にか背後に現れていたワルドが、キュルケに声を掛けてきた。



「……そうみたいね」


 懐、手持ちの短い杖にかけていた手を外に晒し、呟きを返す。


 ルイズに片腕と体重を預けながらキュルケが視線を向ける先、どすんとこちらの凧フネに降り立つ空賊たち。

 そんな中、一人のやたら目立つ姿をした男がいた。


 黒ずんだ詰め襟えりのシャツの胸をはだけ、よく焼けた逞たくましい胸を覗のぞかせている。

 左手の指には、氷をそのまま固めたような無色の宝石がはまった指輪をつけている。

 ぼさぼさの長い黒髪は赤いバンダナで乱暴に纏められ、顔の下半分は完全に無精ひげで覆われ、左目は眼帯で隠されている。



「船長はどこでえ」


 荒っぽい仕草で低くよく通る声を放つその男が、この空賊たちの頭かしららしかった。



「わたしだが」


 震えながら、だがしっかりと地面を踏みしめ、靴の中で指を強く握り、船長が手を上げる。

 頭かしらは大股で船長に近づくと、曲刀をおもむろに抜き放った。


 びくりと震えた船長の顔を、その腹でぴたぴたと叩く。



「凧名せんめいと、積荷を言いな」

「……トリステインのマリー・ガラント号。積荷は、硫黄イオウだ」


 空賊たちが、一斉に溜め息を漏らす。

 頭かしらはにやりと笑うと、船長から帽子を取り上げ、自分にかぶせた。



「凧フネごと全部買った。料金は、てめえらの命だ」


 船長が屈辱くつじょくに拳を震わす。

 それから頭は仲間に命令を下そうと後ろを振り向き、船内への昇降口に佇たたずむルイズとキュルケ、ワルドに気付いた。



「おや、貴族の客まで乗せてんのか」


 キュルケとルイズに近づくと、品定めするように眺め回す。



「どっちも、上玉だな。どうだ、おれの凧フネで皿洗いでもやらねえか?」


 空賊たちの下卑た笑い声があがり、頭かしらはキュルケの顎を手で持ち上げる。



「あら、間近で見たらいい男ね」


「――キュルケ」

「そんな目でみないでよ、冗談に決まってるでしょ?
 生憎とあたし、空賊の男は好みじゃございませんの。
 ずっとこんな狭い凧フネ暮らしだなんて、酔っちゃいそうですもの」


「ほう。そっちはどうでえ?」


 微塵も気にした様子も無く、頭かしらはルイズへとその手を伸ばす。

 ルイズは、その手をぴしゃりと叩き落した。


 その目に怒りの炎が灯る。



「下がりなさい。下郎」

「こりゃ驚かせてくれる! 言うに事欠いて下郎ときたか!」


 頭を筆頭に、空賊たちが一斉に大きく笑いだした。

 ワルドは、そんな頭を冷たく見やっている。


 頭はひとしきり笑い終えると、三人を指差して命令を下した。



「てめえら、こいつらを倉庫にぶち込んどけ。身代金がたっぷりと貰えるだろうぜ」





 それが、かれこれ四半日ほど前のこと。


 三人はいま、空賊の虜囚として船倉に閉じ込められていた。

 マリー・ガラント号の乗組員たちは、自分たちのものだった凧フネを曳航えいこうさせられているようだ。


 目的地及び進路を変えたり、荷を改めたりしているだけでもかなりの時間が経ってしまったらしい。

 凧フネが再び動き出したのは、三時間ほど前のことであった。


 三人の持っていた杖は取り上げられ、どこへ行ったかもわからない。

 杖のない貴族メイジはただの人なのだ。

 外から鍵を掛けられると、手も足も出せなかった。


 周囲には酒樽やら穀物のつまった袋やら、果ては火薬樽やらが雑然と並んでいる。

 一角いっかくには、一抱えほどの大きさの鉄の砲弾が、こんもりと積みあがっていた。


 ワルドは興味深くそれらを見て回っている。

 ルイズはというと、この部屋に入れられてからずっと、キュルケの左腕に張り付いて、傷口を撫でさすっていた。



「傷は、どう?」


「……あなたね、それもう73回目よ? 大丈夫だって言ってるじゃないの」


 真剣な目のルイズと、何度も何度も尋ねられて呆れ気味のキュルケ。

 ルイズはルイズなりに、何も出来なかったことに対して責任を感じているようなのだ。

 ルイズの手の感触で傷の痛みを忘れられるのはありがたいが、流石にこう繰り返し心配されると、辟易へきえきしてしまうわけで。



「これから、どうなるのかしらね」


 早いところ傷を治療してしまいたい。

 傷さえ治れば、いつものルイズに戻るだろうし。


 正直、こんなルイズを相手にしていても、張り合いが無くてつまらないわけで。


 そう呟いてしまったのも、無理のないことだったわけだが。



 丁度、そのキュルケの呟きと。

 凧フネが、どぉんと音を上げて揺れるのと。

 扉と逆側、板の壁が粘土の様にぐんにゃりと歪んだのは、ほぼ同時だった。









「あれが”フネ”で、こっちの崖の上はアルビオンか……。すげえな、ホントに飛んでやがるなんて」

「相棒相棒、オレっち確かに好奇心は大事だっつったけど、いまはそれよりもやることがあるだろ?」

「きぃきぃ」

「くきゅいくきゅい」



 雲と崖のスレスレを航行する二隻の凧フネを、その下方、雲中から半潜状態で追いかけ見上げる、一塊の怪しすぎる影がある。


 まず、羽ばたいて空を舞う青の風竜。幼生とはいえ、それなりに大きい。

 その口には子熊みたいな巨大ハリモグラが咥くわえられている。

 背中の上、翼の付け根辺りには、奇妙な半袖を着て、長剣を背負い、口元を黒布で隠した黒髪の青年剣士。

 それと、片手に短剣、片手に長い杖を持った、浅緑の貫頭衣と、ナイトキャップと、白地に赤い斑まだらの入った仮面とを身に着けた、小柄な少女が座っていた。



 怪しい。



 十人が目撃すれば、十人が十人とも口を揃えて怪しいと言いそうなほど怪しかった。



「そろそろ」

「だな。向こうも雲海ん中に潜り始めた。準備はいいか?」


 少女が呟き、その手の中の短剣がカタカタと応じ、風竜と少年、あと土竜モグラは大きく頷いた。

 彼女らの視線の先、直列に繋がれた二隻の凧フネは、ずぶずぶと雲中に沈んでいき……、帆柱マストの天辺まで、完璧に雲中へと没した。



「よし、行くぞ!」


 短剣に応じた風竜は鎌首をもたげ、いったん雲から姿を表す。

 弓を引き絞るように身を反そらせた風竜は、勢いよく雲へと吶喊し、土竜モグラの誘導に従って凧フネを目指した。









「また民間の商凧しょうせんとはな。いったいこれで何隻目だ?」

「さあな。数えるのもいい加減に馬鹿らしいが、20は越えてなかったか?」


 霧の雲の中、後甲板で短い杖を腰に差した空賊が二人、自分たちの凧フネに曳かれる今回の獲物を見やりながら呟いた。



「民草も完全に貴族派についちまってる。もうもたねえな」

「まったくだ……、ん? いまなんか聞こえなかったか?」


 空賊の片割れが、きょろきょろと霧に覆われた甲板を見回す。



「何かってなんだ?」

「何かは何かに決まってんじゃ……、うわっ!?」


 凧フネが突風か何かに煽られて、どぉんと大きく揺れた。

 見回していた方の空賊が、バランスを崩して尻餅をつく。



「いってぇ! くそ、なんなんだよ今の。突風か?」


 と隣で後ろの凧フネに視線を向けたままの仲間に話しかけるが、返事が返ってこない。

 それどころか、目を見開いて後ろの凧フネの方を向き、身動きすらも止めている。



「なあ、さっきのは何だと「りゅ、りゅ、りゅ」……は?」


 もう一度尋ねようと口を開くと、その仲間はいきなり変なことを口走りだした。



「りゅ、竜だ! でっかい竜だよ! 目の前を通り過ぎていきやがった!」


「はぁ?
 馬鹿言え、こんな所に飛竜ワイバーンの生息地なんて……」


 はた、と言葉を切る。

 飛竜の生息地は、この沿岸にはない。


 そもそも、野生の竜がこんな視界の悪い雲の中を選ぶことはない。



 つまり、その竜とやらが本物であるなら――



  再び、どぉんと空気が揺れ、凧フネが揺れ、霧が揺れ。



 ソレは、野生のものではなく――



  ばっと視線を向けた甲板のど真ん中。雲に煙る視界の中で、あっという間に船上を横切っていく風竜の姿が映り。



 ――騎士しゅじんを乗せる、刺客。



  その背から跳んだ二つの人影が、音も無く甲板へと降り立った。




 口元を隠した影は長剣を抜き放ち、小柄な仮面の影は抜き身のナイフと杖を持った手をだらりと垂らしている。


「な――」


 声を挙げた途端、長剣を握っている方の人影がぐるりと降り向き、こちらに向かって勢いよく突っ込んできた。

 隣の仲間と共に杖を抜き放つが、その仲間は小柄な影がこちらも見ずにナイフを一振りした途端、ばったりと倒れこんでしまう。


「くそ! なんなんだ、お前らぁッ!」


 毒づきながらルーンを短く唱え、まずはもう目前にまで迫った影を吹き飛ばそうと、杖を振った。

 『突風ガスト』が杖の先から、勢いよく影へと奔る。

 たかが剣士如き、こうして距離さえ空けてしまえば気にすることはない。


 そう、それで充分だったはずだ。

 だというのに、この剣士と来たら。


 わずか一歩。

 わずか一歩、足を横へ踏み出しただけで、紙一重ながらも『突風ガスト』を避けた。


 不可視のはずの風を、この剣士は避けたのだ。

 馬鹿なと叫びたかったが、そんな時間は残されていない。


 それを視認し、理解したコンマ秒後には、影の振るった剣の腹に殴り飛ばされ、体は宙を舞っていた。





「――そう何度もくらってたまるかっつの」



 どがばきゃっ、と平仮名だとコミカルな、実際にはかなり痛い音を立て、殴り飛ばした男は後ろの飛んでる船の船内なかへとホールインワンした。


 ここ数日のうちに、いったい何度『風』の魔法を見たりくらったりしたことか。

 こう何度も何度も繰り返し見せられれば、飛んでくるタイミングぐらいはイヤでも分かるようになる。


 デルフを振りぬいた反動か、ちょっとばかりぴりぴりと両腕が痛むが、今は贅沢を言っていられる場合でもない。

 何かの拍子にデルフを落としたりしないよう、両手でしっかりと握り締め、船尻から下を見遣る。

 雲のせいで、二艘を結ぶロープの下がどうなっているのかはさっぱり分からない。


 ……ギーシュの野郎、うまくやってんだろうな?


 少し不安になりながらも頭を上げ、先ほど唐突にぶっ倒れた男をみやる。

 男は、ぐかーっと高らかに寝息をあげ、大の字になって転がっている。


 タバサの魔法、だよな?


 はて、と先ほど一緒に甲板に降りたタバサの方を振り返ると、なにやらこちらに背を向けて杖を振っているところだった。

 バタドタゴロンと、足を伝わって音が聞こえる。



「今ので全部か?」


 そう声を掛けると、タバサはこちらを振り向き、俺の方にととと・・・と小走りに近づいてきた。

 そのまま俺の前まで来ると立ち止まり、こくりと頷く。



「火傷は大丈夫?」

「ああ、剣を握れないほどじゃないよ。魔法、ちゃんと効いてたみたいだ」

「そう」


 納得したような声はあげているものの、こっちをじーっと見つめてくるタバサ。


 ああ……、心配されるのって、こんなに嬉しいことだったんだな。

 泣けてきそう。



「……相棒、和んでないで早くしたほうがいいぜ?
 『眠りの雲スリープクラウド』は魔法使いメイジみてえな相手だと、抵抗されて効きが悪くなっちまうからな」

「それ以前にさっきのヤツの叫び声、中の連中に聞かれたんじゃねえか?
 後ろの船とか、かなりざわついてんぜ」


 デルフとシェルが急かしてくる。

 わりい、ここが敵地アウェーだってのすっかり忘れてた。

 それじゃ、とっとと船の中へ――



「いまの声はなんだ!」



 入れないらしい。

 黒くて長いぼさぼさ頭の男を先頭に、足下、船の中からどやどやと男たちが現れた。



「そら、言わんこっちゃねえ」

「しっかり中にも響いてたみてえだな」


 デルフとシェルがぼやき、正直ごめんと俺が呟き、男たちがこちらを振り向くまでの間に、隣に立つタバサは詠唱を完成させたらしい。

 いつものように長い杖を振りぬくと、足下からこちらを見つけた男たちの周りの雲が一段と濃くなり、その姿を完全に覆い隠した。



「雲の中でさらに雲を出す、か。
 なんとも地味なこったね。煙幕みてえだ」


 ぼそりとしたデルフの呟きをBGMに、真っ白く染まった眼下を、俺はじっと見据える。


 なんだろうか、この焦燥感。

 俺を睨みながら呪文を唱えるルイズを見ているような、この嫌な感じは。


「…………………………やべえ!」


 膨れ上がる"直感"に耐え切れずに、タバサを巻き込んで俺がその場を飛び退いたのと、



「くっ……、外したか」



 発動中だった『眠りの雲スリープクラウド』をぶち抜いた暴風が、俺たちの頭があった空間を通り過ぎていったのとは、ほぼ同時だった。



「――ひゅう。よく今のに気付けたな、ヒラガ」


 倒れた体の下から、シェルの声が聞こえてくる。



「俺も俺にびっくりだよ……っと、タバサ。怪我はないか?」


 立ち上がって、下敷きにしてしまったタバサの体を、手を取って起こす。



「ない」

「そりゃあよかった。……で、だ」

「で」


 二人して、先ほどまで『眠りの雲スリープクラウド』の溜まっていた辺りへ振り向く。



「てめえら、何者だ」



 男たちの殆どが地に伏すか、膝をつくなりしている中でただ一人。

 小揺るぎもせずに仁王立ち、剣をこちらに向けている男が居た。


 先ほども先陣切ってフネの中から飛び出してきた、汚れ詰襟を羽織った男である。

 無精ひげやぼさぼさの髪・服装の荒っぽさと、眼差しの放つ凛々しさが融合したその雰囲気に、俺は奇妙な違和感を覚えた。


 ……何者か、か。

 そういやこいつら、何者なんだろうな、なんて今さら思ったが、とりあえずは相手に応えておこう。



「ただの使い魔だよ」


 簡潔に。

 なんせこの世界でも使える身分といえば、今の俺にはそれか平民ぐらいしかない。



「使い魔だと?」

「そうだよ。それで、あんたらは何者なんだ?」


 同じ質問を、同じような口調で問い返す。



「俺たちか?」


 男は少しだけ考えるようなそぶりを見せると、にやっと笑ってこう続けた。



「なに、しがない空賊の一団さ。俺はその頭だよ」



 そういうカシラとやらの表情は、なんかこう、激しくガキくさい、爽やかな笑顔だった。

 ヒゲ面に似合わねえったらありゃしないが、なぜかその様子がしっくりと来るから不思議だ。

 それにしても、空賊か。



「ったく、人の仕事は邪魔するもんじゃねえぞ。おちおち休みも出来やしねえ」

「その言葉、そっくりそのまま返すぜ」


 俺とカシラは、そう言ってにやりと笑い合うと、次の瞬間にはガキャァッ! と耳障りな音を立てて、間近で鍔競つばぜり合っていた。



「ほう、速いな」

「そりゃ、どうも。それで、俺の主人は無事なんだろうな?」


 ぱっと距離を取り、三歩ほどの距離を空けて再び向かい合う。



「お前の主人だと? それは、あの貴族派の商凧しょうせんに乗っていた娘のことか?」


 すす、っとカシラが左へ動く。



「貴族派とやらはなんだか知らねえが、あいつの髪のピンク色は目立つからすぐに分かるだろうよ」


 それに合わせて、俺はその場で体の向きだけをカシラの方に向けなおし続ける。



「なるほど、それなら安心しておけ。あの貴族の娘なら、丁重に船倉に閉じ込めてあるからな」


 ぴたりと、カシラが動きを止めた。



「船倉、ね。あんたが負けたら、そこに案内しろ。いいか?」


 俺も、ぴたりと動きを止めて、体の横に垂らしたデルフを両手で握り締める。



「ああ、いいだろう。尤もっとも――」


 ……なんだ? また、なんかいやな空気が……



「お前に勝ちは、ねえだろうがな!」


 そう叫んだカシラが、剣を振り上――

 ! 違う、後ろか!?


 ば、っと体をデルフを持った方に反射的に放ると、さっきまで自分の立っていた床が、綺麗に陥没した。


 見れば、さっき膝を床についてたヤツが、悔しげな表情で崩れ落ちるのが目に入った。

 どうやらそれが最後の力だったらしく、再び"雲"に包まれたそいつは、杖を振るった手もそのままに、呆気なく崩れ落ちた。


 って、やばい!


 肝心のカシラの方に目をやれば、タバサが放っただろう"雲"の効果範囲の中で平然としながら、その剣をいま正に俺の方に振り下ろそうとしているところだった。

 一瞬後には"雲"は吹き飛ばされ、魔法が発動するだろう。

 おまけに俺は、さっき転がったばっかりで、まだ立ち上がれてもいない。


 ――これまでか、と思った時。



「相棒、オレを構えろ!」


 今の今まで沈黙して為すがままに振るわれていたデルフが、いきなりそう叫んだ。

 どうせ他に出来ることもない俺は、その言葉に素直に従う。


 カシラの剣が甲板を叩き、風の刃がその軌道から生まれ、俺へと向かって飛んでくるのが見える。

 俺は膝を立てると、腰だめに近いデルフを勢いよく振り上げ、その風の刃・・・にデルフをぶち当て――



 何の抵抗もなく、デルフは振り抜かれた。



 あまりにも抵抗が無さすぎたせいで、一瞬後に訪れるだろう裂傷を覚悟し、歯を食いしばるほどに。

 だが、いくら待てども風の刃・・・は体に到達する様子がない。

 いや、そもそもそこに風の刃・・・がそこにあるとは思えないほど、雲は静かに先ほどデルフを振りぬいた辺りを通り過ぎていく。



「……馬鹿な。風を、斬っただと?」


 そうカシラが呟いたことで、どうやら先ほどの攻撃からはうまく難を逃れることができたことを悟る。



「デルフ……、お前って、実はすごかったんだなぁ」


 風を切れるなんて予想外にも程がある。



「実はってなにさ。いやまあ、オレにとっても賭けだったんだけどな。魔法を喰えるかどうかってのは」


 さらっとおそろしいことを言うデルフに、冷や汗が隠せない。



「……ま、まあ、なんでもいいや。これで、俺の勝ちも見えて――へ?」


 ほくそ笑みながらカシラの方を見て……、目が点になった。



「カツラ」



 タバサの呟きが、ぽつりと響いた。


 そう、それは正にカツラだった。

 長いぼさぼさの黒髪は、先ほど剣を振りぬいた拍子にでもずれたのか後ろに滑り落ちかけていて、なにやらその下からは豪奢な金の前髪が覗いている。


 ……よくよく見れば、なんか無精ヒゲと目元の境目辺りがたわんでる気がするのは、俺の目の錯覚か?



「な、なに?
 なっ、い、いかん!」


 カシラはカツラがずりさがっているのを確認すると、そそくさとそのカツラを前へと引き寄せる。

 どうでもいいが、カシラとカツラは似ているような気がしないでもない。

 絶対に気のせいだろうケド。



「――ふぅ。これでよし、だ。
 さぁ、戦いの続きといこうじゃないか」


 そう言ったカシラの髪は、左端から一房ひとふさばかり金髪が見えている。

 ……っていうか、なんかこのカシラ、さっきから口調も変わってる気がする。


 すっと横に視線をずらすと、タバサのいつもより困惑気味の視線と目が合った。

 こくりと同時に頷きあうと――



「タバサ、あのカツラ吹き飛ばしちまえ!」


 カシラをデルフで指しながら、大声でそう叫んだ。

 タバサもそれを予想していたのか、"タバサ"と呼び終えた時点で、既に杖を振り下ろしていた。



「な、ぅ、うぉぉおおおおお!?」


 カシラの足下からカシラ自身さえ吹き飛ばしてしまいそうな突風が吹き上げ、ばたばたばたッ! と纏められた黒髪が煽られる。

 カシラが自分を吹き飛ばされないよう甲板に剣を突き刺して耐えていると、黒髪のカツラは突風に巻き上げられ、遥か彼方、雲の海へと吹っ飛んでいった。


 代わって現れたのは、やや短めの豪奢な金髪。

 そして俺は、ルーン全開のダッシュで隙だらけの男に駆け寄ると、先ほど見えていた目元と無精ヒゲの境目のたわみを引っつかみ。



 全力を持って、その手を真下に落とした。



 ビリィイイッ!



 布の破けるような音を響かせ、無精ヒゲ、の付け髭は俺の足元、甲板へと落とされた。

 その下から現れた顔は、どっからどう見ても、俺と同い年ぐらいの若人の顔で。



「……ウェールズ皇太子?」


 いつの間にか隣に居たタバサの、ポツリと漏らしたそんな声が聞こえるまで、その場全体の空気は基本的に死んでいた。



 赤くなった頬をさすっているカシラ=皇太子(仮)然り。

 ようやく目を覚まし始めた、その辺に転がっていた空賊(仮)たち然り。

 本当に取れるとは思っていなかった、この光景を作り出した俺然り。



 ――無事ギーシュによって救出されて船内なかから出てきたルイズ、キュルケ、ワルド然り、である。





 
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