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【ユア・ブラッド・マイン】~凍てついた夏の記憶~

作者:海戦型
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凍てついた夏

 
前書き
20話オーバーまで書いておいて何でオリジナル倉庫に放り込んでるんだこの作者(ばか)は、と思って独立させました。内容は現実だってファンタジーにあった頃とほぼ変わりませんが、細かいミスなどを修正しています。 

 
 
 アスファルトの道路を踏み締める。
 しかと踏み締めた筈なのに、しかし言い知れない違和感のようなものがあった。足とアスファルトの間に歯がゆいほど半端な何かがあるような、言語にて説明することが困難な何か。擦り硝子を通して演劇を眺めているような、雑音交じりの名曲を聴いているような、そんな、気持ちの悪さ。

 意識が左右にゆれる。揺れるだけで消えても遠ざかってもいないのが、また気持ち悪い。ただ、ずれている。どこか些細な、しかし決定的に、現実と認識の狭間に差異が発生している。そのことを脳は気付いているのに、理性と直結してくれない。

 ああ――今日はひどく寒い(・・)

 皆あんなにも薄着で汗を垂らしている。当たり前だ。今は夏だ、8月だ。日本の最も暑い季節で、冷房が生活必需品に数えられる環境下だ。なのに、長袖のシャツに袖を通し、長いズボンで足を多い、手袋までしているのに汗が流れないのはどうしてだ。どうして、こんなにも寒い。

 刺すような太陽の光がどれほど体を照らしても、体の芯が震えている。吸い込む息は肺を温めることなく、吐きだす息が真っ白に煙る。薬物を過剰摂取した中毒患者にでもなった気分だった。街の温度計が37度を指し示してることに、諦観にも似た真っ白な吐息が零れた。

 寒い。寒い。足が縺れ、地面に体が投げ出されても尚寒い。

 快晴と呼ばれる炎天下の直射日光に容赦なく焼かれた硬い大地の表面温度は、長時間素肌を接触させていればその熱で蛋白質を収縮、硬化させ、俗に火傷と呼ばれる症状を引き起こすだろう。それはつまり、人間の指が触れ続けるには余りにも熱すぎる事を意味している。

 しかし、何も感じなかった。
 否、触れた場所から温度が消えていく。

 周囲がざわめき、助け起こそうとする。大きな声で何かを聞かれるが、もうその声がどのような発音なのかさえ耳が認識してくれない。意識はあるのに、気持ち悪さが、ずれだけが加速して酩酊したように自由に体が動かなかった。

 どこかから人の声ではない、サイレンのような規則的な音が響く中――氷のように冷たいペットボトルで患部を冷やされながら日陰より見上げた空は、雪をたらふくこさえた曇天のように濁って見える。

 夏の雪原。
 猛暑の吹雪。
 致命的に現実と認識が乖離していくなか、感じるのは疑問でも苦悶でもない。

 この星はいつから氷河期を再開させたのだろう。
 一体何を掴めば、どこへ赴けばこの凍えは収まるのだろう。

 ああ――寒い(・・)。ただひたすらに、寒かった。



 = =



 その少年が病院に運ばれてきたのは、8月初旬。
 日本列島がうだるような暑さに包まれるなかでの事だった。

 患者は、顔色が蒼白な中学生ほどの少年だった。
 寒い。凍える。朦朧とした意識の中で、うわごとのように呟いていた。

 最初、症状を聞かされた時に疑ったのは風邪、自律神経失調症、そして低体温症だった。夏に寒気を感じるものの代表格といえる。しかし少年の体温は寒気ではなく本当に低く、いくら病院内の空調が効いてるとはいえ異常な冷たさだった。これは神経ではなく物理的な寒さだった。
 体温、32℃。それは人間としては、死んでいることに限りなく近かった。生きていることが奇跡だと思いながら、その時は低体温症だと思った。

 夏の低体温症は起きうる事例だ。持病で併発したり、レジャーで長時間水に漬かり過ぎて低体温症になるケースは珍しくない。しかし両親の話を聞いても、応急処置を施しても、少年の体温は上がらなかった。出来る手を施しながら点滴を打ち様々な検査を行うも結果は芳しくなく、命の危機を覚悟した。人間は直腸温度が35℃を下回ると臓器の機能不全を含む様々な不調が体内で発生し、死に至る。

 しかし、少年の臓器は正常に動き続けていた。
 体温の低さ以外は至って健康。
 まるで催眠術でここが寒いと思い込んでいるかのようだった。

 常識的医学的見地からしてあり得ない症例。そこに思い至り、私はやっと一つの可能性が頭をよぎる。

「解離性鉄識症候群――アストラル・フォーカス・シンドロームか……?」

 アストラル・フォーカス・シンドローム。それは製鉄師(ブラッドスミス)の適性を持つ者だけがそう呼ばれる可能性を持つ。
 製鉄師の素養、すなわちOI体質という特殊な観測能力は、その存在が確立される以前は「精神異常者」との区別がつかず、現代では「選ばれし者」という真逆の扱いも受ける特異な世界認識を持つ存在だ。

 OI体質自体はそこまで珍しいものではない。原因不明、現在進行形で増え続けて今や10人いれば2,3人は含まれるこの体質は、認識する現実を一つ上へ押し上げていると言われている。ただしその2,3人の持つ体質的優位性は誤差の範囲と呼ばれる些細なものであり、『世界が歪むほどの認識の違い』が現れるのはその中でも一握りだ。

 OI体質とはとどのつまり、人間の生きる物質界(マテリアル)と隣り合う霊的な世界――霊質界(アストラル)世界を観測することで現実の認識が変貌して見えるということだ。製鉄師云々を抜きに語ると、この変貌度が増加するほどに日常生活に支障が出てくる。

 彼は、その認識の齟齬が恐ろしく大きくなってしまっているのだ。ここまで極端なものは滅多にお目にかからない症例だが、事実としてOI体質にはこのような状態になる可能性があることがデータの上で明らかになっている。それが解離性鉄識症候群――アストラル・フォーカス・シンドロームだ。通常OI能力は精神にのみ変調を来していくことが多いが、AFSは精神のダメージが肉体にまで変調を来すほど重篤なものを指す。

 医学的には、この症状は正確な形で立証されてはいない。
 ただそういった事象が医学的見地を通り越して現実に出現し、医学者たちを嘲笑うように発生し続けているだけだ。
 彼が寒いと言っているのは、彼の歪んだ世界認識によって引き起こされているのだろう。体温まで下がっているという症例は聞いたことがないが、マイナス20度の冷凍庫の中でも人間は思い込めば汗だってかけるし、思い込みでショック死することもある。自己認識とは、そういう危うさを内包したレンズなのだ。

 ともあれ、私が彼に医者がしてやれることなど一つしかない。
 政府にAFSの疑いがある患者が現れたことを報告し、国選魔女制度の適用を求める。たったそれだけだ。

 通常の場合、OI体質は日常生活でそこまで顕在化するものではなく、多くが義務教育の一環として行われる素養検査にて知る事となる。彼は小学校の頃に既にOI体質である事が判明しているものの、現在確認されている段階では症状を表す深度は「埋鉄(ベリード)」――数字で言えばゼロだ。日常生活には支障がなく、能力的にも一般人と大差ない。それがここまで深化することは通常では考えられない。

 普通なら症状がここまで甚大になる前にOI体質の持ち主は聖学校に入学して問題解決を図る。しかし、稀も稀なことではあるが、日常生活に支障をきたす程の症状が突然出てしまった場合、人道的見地『という名目』で患者は政府に保護され、特例として症状緩和の為にすぐさま魔女をあてがって契約を結ばさせられる。でなければ日常生活を送れないからだ。
 だが実際には、それほどの症状を出す患者は非常に高い鉄脈術の素養を持っているから是が非でも見逃したくない、というのが政府の本音だろう。覇権を争う各国に対抗するための製鉄師と魔女の絶対数が圧倒的に劣る我が国では、遊ばせる戦力はない。

 国は決して素質を持つ者に強制はしない。ただ世論を操作して製鉄師と魔女をひたすらに美化、優遇しているかのような喧伝文句を垂れ流し、自然と誘蛾灯に誘われる者を虎視眈々と待っているのだ。実際の所、日本で直接海外からの表立った侵略行為は『今のところは』少なく、殉職者も殆どいない。しかし超大国が水面下で小競り合いを続ける現状、むしろ権力の一極集中が戦争のリスクを高めているとも言える。

 患者を見やる。今も時折受け答えは出来るが、震えながらベッドの上でうわごとのように「寒い」と呟く弱々しい少年は、自分が政府へ連絡することでいつか戦争の参加者となるかもしれない。

 医者が死地に子供を送り出す――これほど酷い話があるだろうか。
 出来る事なら、戦争の参加者となる以外の選択肢を用意したい。医学の力で彼の過剰なまでのイメージ力を抑制し、幸せで普通な生活を送らせてやりたい。しかし、それを叶えるには世界は余りにも戦の熱に熱狂しすぎ、そして医学は未熟過ぎた。

 科学はオカルトに勝てない。ラバルナ帝国が現れた時、人類はそれを知った。


 私は彼の両親に説明責任を果たし、書類を用意し、それを政府へと送った。

 氷室(ひむろ)叡治(えいじ)――いずれ自分に呪詛を吐くかもしれない少年の名だ。
 願わくばこの混迷の時代、彼に一つでも多くの幸運と幸福があらんことを。
  
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