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ドリトル先生と和歌山の海と山

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第十二幕その四

「空海さんを見たとかいうお話もあるよ」
「ううん、まだ生きているにしても」
「それでもね」
「お遍路にも行ってるとか」
「それはないんじゃ」
「幾ら何でも」
「僕もそう思うけれどね」
 それでもというのです。
「けれどあるかもね」
「そうも思うんだ」
「先生にしても」
「ひょっとしたらって」
「そういう風に」
「うん、魂がね」
 空海さんのです。
「高野山から出られてね」
「そうしてなんだ」
「お遍路に出ている人達を見守っている」
「そうもしているんだ」
「四国で」
「そうかも知れないね、こうしたお話は天理教にもあるからね」
 日本で生まれたこの宗教でもというのです。
「学園にも教会があるね」
「うん、先生もあの教会によく行ってるね」
「それで天理教のお話も聞いてるね」
「それでだね」
「天理教でもなんだ」
「そうしたお話があるんだ」
「これは前にお話したけれど」
 それでというのでした。
「あの宗教でもそうだね」
「あっ、そうだね」
「あの宗教の教祖様は身体はなくなったんだね」
 うつしみをお隠しになったと天理教では教えています。
「そして魂がね」
「この世に残って」
「この世と世界の人達を助けてるんだね」
「そうなんだ、天理教の方が後に出て来たけれど」
 平安時代初期の空海さんと比べてずっとです。
「けれどね」
「魂が残っているということはね」
「一緒なんだね」
「そして空海さんの魂が」
「お遍路に出ている人達も見守っている」
「高野山だけじゃなくて」
「そして日本もだろうね」
 こうもお話した先生でした。
「何しろ高野山は日本を守護するお寺だから」
「ああ、日本のね」
「都の裏鬼門を護る」
「だからだね」
「日本を守護する為にも」
「日本のあちこちを回っているかも知れないんだね」
「天理教の教祖様と一緒にね」
 中山みき、この方と同じ様にというのです。
「そうかも知れないよ」
「成程ね」
「そうかも知れないんだね」
「そう思うと空海さんって凄いね」
「魂はまだこの世にあって」
「日本を守護しているのなら」
「かなりの徳のある人だったからね」
 それだけにというのです。
「仏教の教えによるとね」
「その可能性もあるんだね」
「じゃあお遍路でも」
「そして他のことでも」
「空海さんを見るかも知れないね」
 こう言う先生でした、そしてです。
 高速道路を進み大阪市内に入ったところで今度はこうしたことを言いました。
「もう大阪だよ」
「あっ、もうなんだ」
 王子は大阪市内に入ったと聞いて声をあげました。
「本当に今日は早いね」
「そうだね」
「帰る時はね」
「何か行く時よりもね」
「速い感じがするね」
 まさにというのです。 
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