越奥街道一軒茶屋
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逢魔刻の二人
夜が近づいて風がすこーし冷たくなってきたのを感じたからか、あっしは目を覚ましやした。今日は太陽が傾きかけるまでお客さんはまったくで、いつの間にか縁台に腰掛けて寝てたんですよ。
目を開くと辺りはすっかり夕暮れの色。青々とした木が紅葉したみてぇになる時間だったんでさぁ。
「お、やっと起きた」
突然隣から声がした。びっくりして振り向くと、そこにはなんと宍甘の旦那がいたんでさぁ。
「だ、旦那! 来てたんですかぃ」
慌てて立ち上がりやした。いっぱしの茶屋が、客に気づかねぇで寝てたんじゃあ笑い話にもならねえ。
そんなあっしを見て、旦那はにやっと笑ったんでさぁ。
「構うこたぁねえよ。他の客ならともかく、俺なんだからよぉ。起こさずに寝かせておいてやったのも俺だ。……まぁあんまり起きねぇから、こっそり女物着せてやろうとか思ったんだがな」
笑い飛ばす旦那。この旦那の言うこと、いっつも本気なのかどうかわかんねえから怖い。
とにかく旦那だろうとお客には変わりねぇんで、茶を淹れてきやした。他に誰か来る気配もないもんだから、あっしの分もついでに淹れて、さっきとおんなじように旦那の横に座りやした。
すると旦那は、しょっぱなからあっしの店の景気を聞いてきたんですよ。店主が昼寝するくらいだから察してくれって感じもするんですがねぇ。
「見ての通り、閑古鳥が鳴いてる日も少なくねぇんでさぁ。けどなんでだか、それなりに続けていけてる感じでねぇ……。旦那のほうは?」
仕返しってわけではないが、あっしのほうも聞いたんです。あっしは自分が菓子の材料を買う時以外、旦那の仕事を見た事がない。
旦那は肩を竦めやした。
「俺もおんなじ感じなんだよなぁ。だがな、おめぇに教えてもらった菓子の作り方と、ちょっとした工夫でうまくいってんのよ」
そう言って膝を叩く。
五年くらい前でしたかねぇ。あっしの菓子を気に入った旦那が、それを自分も売りたいってんで、作り方とかを伝授したんですよ。
「うちに来たお客さんをみてりゃ、あっしの菓子の評判はなんとなくわかりやすが、工夫ってのは?」
「それはなぁ――」
いかにも悪い事を考えてるって感じの顔で、旦那はあっしに顔を寄せやした。こういう時はロクなことが……。
「前に一緒に出くわした絵師いたろ? あんとき貰ったおめぇの絵を見せて、町娘たちに言うのよ。『こいつが作った菓子だ。見た目で中身の良さがはっきりわかるのは菓子も同じなんでぇ』ってな。そうしたら飛ぶように売れる」
あぶねえ! 思わず湯飲みを落としそうに……。
なんちゅうアホなことをやってるんですかい旦那……。
自分でもよくできるなってくらいの冷たい目線を旦那に送りやした。
「なんでそれで売れるのか、さっぱり理解出来ねぇんですがねえ」
もう額に手をやるしかねぇです。
旦那は完全にしらを切って、空を仰いだ。
「おめぇ器量はいいのに場所が悪い。これで町の傍とか、もっと人のいるところで店をやりゃ、女の一人や二人簡単だろうなぁ」
言葉の終わりにあっしの頬を指でつつく。
あっしの視線が一層冷たくなるの、多分旦那はわかっててやってるんでしょうなあ。
器量云々に関しては否定しやせん。自分でどう思おうが、人に言われるのが正しいってことになりやすからね。でもおちょくられてる感じがするのはいただけない。
「あっしはそういうのに興味がねぇんでさぁ。ずっと店をやってりゃいいんですよ」
そういうと、旦那はあっしのほうに身を乗り出してくる。
「そうは言ってもよ? おめぇ、欲ってのがないわけじゃないだろう? 本当にこのままでいいのか?」
これには思わず吹き出してしまいやした。旦那、まるで父親みてぇなこと言ってるじゃねえですか。
「あっしは別に……。ここで店やって、偶に来るお客さんと、一日全部みたら一瞬の時間の会話ができればそれでいいんでさぁ。それに――」
「それに?」
「『欲しいなら無欲に』ってぇのがあっしの持論なんですよ。だからあっしのとこにはそれなりの金や物が、向こうからやってくる。旦那だってそうでしょ?」
あっしは旦那に微笑んで聞きやした。
旦那はちょっとの間あっしの顔を見てやしたが、感心したように息を吐いた。そして声をあげて笑うんでさぁ。
「おめぇやっぱそういうの見抜くのは得意なんだなぁ。ちげぇねえ。おめぇはやっぱりここでやるのが一番みてぇだな。俗じゃ駄目だ」
そうして旦那は暫く笑い続けた。それを見てるとこっちもなんだか笑いたくなってきて、結局二人して笑ってたんでさぁ。
笑う門には福来る、ってことなのかどうかはわかんねぇんですがね、実はこのあと、もう日が暮れるのに二人もお客さんが来てくれたんでさぁ。
なんだかんだ言って、わかんないから面白いんでしょうなぁ。
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