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鋼殻のレギオス 勝手に24巻 +α

作者:
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第五話 INグレンダン(その3)

 
前書き
やっとレイフォンが登場します。 

 
 明くる日、ニーナはクララに連れられ王城へ来ていた。案内するにも仕事を少し片付けてからでないと駄目だというからだ。
「クラリーベル様、おはようございます」
 廊下を歩むうちに横手から声がかけられる。無論城に入る前から幾人もの相手から声を掛けられているが基本一声だけ返して進んでいたクララが立ち止まったことにニーナも興味を覚える。
「おはようございます、エルスマウさん」
 そこにいたのは豪奢な金髪の女性。歳は四十ほどかと見えるがその美しさに陰りはない。
「ニーナ、エルスマウ・キュアンティス・フォーアさん。念威繰者の天剣授受者です、昨日の人ですよ」
「はじめまして、ニーナ・アントークです。昨日はありがとうございます」
 ロンスマイア家の前でどうするか迷っていた時に助け舟を出してくれた人と知りお礼を言う。それに対する答えは一部予想外の所があった。
「いえ、あれが私の仕事ですので。ただ一応は初対面ではありません」
 その言葉に首を傾げるニーナ、記憶を探っても以前顔をあわせた覚えがどうしても見つからないからだ。
「判らないのも仕方ありません。以前サリンバン教導傭兵団に所属していた時はフェルマウスと名乗っていましたから」
 その名前にニーナの脳裏にあまりよくない思い出が浮かび上がる。違法酒に端を発した廃貴族騒ぎから武芸大会、さらにはその後の汚染獣の大規模襲来時まで、散々ツェルニを引っ掻き回してくれたからだ。
 そのあげくツェルニとグレンダンが接触した時に何も言わずにいなくなった事を考えれば、武芸大会直前に短期の教導をしていた事を踏まえても好意を抱けるものではなかった。
 特にニーナは団長であるハイアが個人的に執着していたレイフォンを麾下の小隊員としていた事、教導傭兵団の目的である廃貴族を宿していたことで常に中心にあったといっていい。
 とはいえニーナ自身いつまでも根に持つタイプではなく、今悪感情をもって接するわけでは無い為、もし謝られたりしてもニーナとしても困るというのが本音だ。
「クラリーベル様の所に滞在されるようですが、何かあれば言っていただければ私にできる範囲で手を貸しましょう」
 エルスマウも教導傭兵団がニーナにした事を謝ることは無い。団長でもないエルスマウにそんな資格は無く、あったとしてもそんな傲慢で在れるほど恥知らずではない。
「ありがとうございます。必要な事がありましたらお願いします」
 つまるところ互いに遺恨など存在しないので普通に挨拶を交わすに留まる。
 そのままエルスマウと別れ王宮内を進んでいると新たな声が掛けられる。
「やっほークララ、ちょっといいかな」
 耳にした瞬間クララがピクっと反応し、いささか嫌そうな表情を浮かべる。が無視せず声の元、外に広がる庭園へと歩を進める。
 そこにいたのは長椅子に寝そべった妙齢の女性、けだるげな表情を浮かべたグレンダンの女王アルシェイラ・アルモニスだ。
「あ、あんたも久しぶりね。悪いけどこのままでいさせてもらうわね」
 ちっとも悪びれずにのたまうアルシェイラ、とはいえその体勢に理由が無い訳でもなく腹が膨らんでいる。
 決して昨日の夕食を食べすぎたからでも(食べすぎはしたが)食っちゃ寝の生活で豚になったわけでもない。単なる妊娠である。
「それで陛下、今度は何を押し付けようっていうんですか?」
「あ、いや今回はクララじゃなくってあんたに用があんのよ」
 クララでなくニーナに用があるというアルシェイラに驚く二人。そもそもニーナとアルシェイラは数度しか会ったこともなく声をかけられる動機が判らないからだ。
「私に……ですか? クララにじゃなくて」
「そうよ。あんた……えーっと?」
「ニーナですよ。また忘れたんですか」
 ヴェルゼンハイムとの戦いの前に続きまた忘れているアルシェイラに呆れながらクララが教える。
「うるさいわね」
 クララに向けて一つ噛みつく。
「ニーナ、天剣にならない?」
 グレンダンの一大事をあっさりと切り出す。
「「はあっ!?」」
 驚愕が二重奏を奏でる。新たな天剣、それも外来のぽっと出ともなると生まれる波紋は決して小さなものではない。
「だって実力は問題ないし。今天剣の数が少ないから増やせって官僚どもが五月蠅いのよ」
 レヴァンティンとの戦いの前、二振りの空きを埋めるよう官僚からせっつかれていたが同じ事が今起きているのだ。
 無論実力の無い者をお飾りに据えるつもりはないので未だ一つも埋まっていない。
 終わりの時に備える必要は無くなったがそれは女王など極一部での話で一般の市民は以前と同じく天剣授受者に憧憬と尊敬の眼差しを向けているのだ。
「評価していただけるのは嬉しいですが、私はグレンダンに留まるつもりはありませんので」
 とはいえニーナはあくまでも一時の旅人であるとし丁重に辞退する。天剣となっては世界を旅するという目的も果たせないのだから。
「そう、まあとりあえずはいいわ。気が変わったら歓迎するから何時でもクララに伝えてくれればいいわ」
 特に本気でもなかったのでひらひらと手を振るアルシェイラと別れクララの執務室へ向かう。
 昨日と同じく山の様な書類を処理するクララに先程抱いた疑問を投げかける。
「なあクララ、私を天剣に据えようと思うような状況なのか?」
 他都市から来た人間をいきなりグレンダンの頂点といっても過言ではない地位につけようとするなど普通ならあり得ないのではないか、そんな事をしなければならない状況なのか、と。
「確かに空きは多いですし、揃っていた方が市民の安心感も増しますからね」
 グレンダンの行政に関わるクララも一部に同意を示す。最強の守護者であるため席が埋まっていることによる安心感は決して否定できない。天剣授受者の半数が死亡するという汚染獣の襲来があった後なのだ。空きが少ない方が安心できると考える市民が多くなることは自然であるし、ティグリスとデルボネが戦死する前はレイフォンを除いても十一人いる状態が長く続いており六人しかいないことに違和感を感じる者も多い。
「そんなに少ないのか?」
 天剣の凄さはニーナもその身をもって知っている。身近にいたレイフォンはニーナに向けて本気を出すことは殆どなかったとはいえ、メルニスクの力を使いクララと二人がかりでやっと勝つことができた。
 天剣最強だというリンテンスに至っては手も足も出ず、その卓越した技量にレイフォン以上にその差を思い知らされた。
「今は私含めて六人しかいませんから、丁度半分です。それとグレンダン出身じゃないことは気にしませんよ、なんといってもここはグレンダン、実力だけがものをいう世界ですから」
 そんな超絶の武芸者が多く死んだ事にあの戦いの激しさが表れている。皆亡くなったのはニーナが来る前であったが。
「それでニーナ、そんなに気になるってことは天剣になる気でも沸いてきましたか?」
「いや、それほど亡くなったとは思ってもいなかったから驚いただけだ」
 否定されても期待していなかったクララに失望は無い。逆に『天剣になる』とニーナが主張した日には呆然とすることだろう。
 どこかに根を下ろすなら故郷であるシュナイバル、若しくは学園都市という性質上無理だろうがツェルニだろう、と。戦闘狂でもないニーナがグレンダンに永住しようとする理由が無いと思っていたからだ。



「よし、行きますよ」
 作業を終えたクララが勢いよく立ち上がり扉へと向かう。
 一歩遅れて続くニーナが通路に出たとき、廊下の向こう側から歩いてくる男性が声を掛けてきた。
「クララ、どこへ行くつもりだ」
「あら、ミンスじゃないですか。どうしたんです? 珍しいですね」
 三王家が一、ユートノール家の当主たるミンス・ユートノールだ。グレンダンでの地位は女王に次いで天剣と同様に高いが、本人が王宮に顔を見せる頻度は決して高くは無い。
 それは明確な役職に就いている訳ではないのが一つ、もう一つはクララや女王といった顔触れに振り回されたくないからだ。もっともそれが気休め程度にも意味があるのかというと微妙であるが。
 何故なら二人ともそんな事に気を使うような性格ではないからだ。
「どうしたも何もお前が私を呼んだんだろうが」
 それを聞いたクララは何かを思い出したように大きく頷く。
「ああ、そういえばそんな事もありましたね。でもミンス、また今度にしてください。今日はこれから用事があるんです」
 忘れているにも関わらず悪いと欠片も思っていないようなクララに呆れてため息を吐くミンスの目がニーナを捉える。
「あの時の廃貴族持ちか、何故またここにいる」
「ニーナが私を訪ねて来たんですよ。貴方と違って私には友達がちゃんといますから」
 事実三王家の当主ともなると友人というカテゴリーに分類される相手は極々限られる。
 無論王として即位しているのでなければ臣下ではなく単なる家の大小である。とはいえその差が歴然としすぎていて当然相手からはそうは思われない。『仲間』はいても『友達』は決して多いとは言えない。
 そういう中で堅物なミンスよりフランクなクララの方が間違いなく多いといえる。
「そんなことはどうでもいいが、何をする気だ」
「いえね、ニーナにグレンダンを案内しようかと。前来た時はそんな余裕ありませんでしたから」
 前回はレヴァンティンとの決戦、前々回は拉致からのドゥリンダナとの戦いと観光できるような状況ではとてもなかった。
「そうか、なら好きにするといい」
 あっさりと認めたミンスにクララの方が逆に驚く。
「あら、またグチグチいうのかと思いましたが珍しいですね。どういう心境の変化ですか? いつもこうだといいんですけど」
「大したことじゃない。どうせ今日は絶対にやらないだろう。だったら急かすだけ無駄で徒労だろうが」
「分かってくれてうれしいですよ。出来たら呼び出すのでその時に来てください」
 諦念を抱いたミンスが踵を返し立ち去る。それを見送ったところで再びニーナに向き直る。
「それじゃ、改めて行きましょうか」
「いいのか、わざわざ呼んでいたという事は重要な事じゃないのか」
「いいんですよ、一日二日遅れた程度で変わるような事じゃありませんし、何かはもう解っているんです。形式的な書類は無くてももう準備を始めていると思いますよ」
「それでいいならいいんだが」
 本人たちが問題ないとしているなら部外者であるニーナがこれ以上口を挟むべきことではない。
「それでニーナが行きたいところってどこです? あ、リーリンの所は別ですよ」
「ああ、それなら……」



「なあクララ、本当にここなのか?」
「勿論です。嘘ついて何になるんですか」
「いや……それはそうなんだが……」
 目の前に広がるのは一等地にたたずむ広大な邸宅、その前に立つニーナは違和感を禁じ得なかった。
「ほら、ここに突っ立っていても仕方ないでしょう」
 対するクララは当然だがそんな躊躇いなど皆無で躊躇なく踏み込んでいく。
 正面の扉を開け放ち館の中に踏み込むクララを待っていたのは武芸者の女性だ。
「お久しぶりですね、メックリング夫人」
「ええ、クラリーベル様がいらっしゃるなんて何時ぶりでしょうか」
 にこやかに言葉を交わす二人の後ろでニーナがクララの服の裾を引く。
「おいクララ、この女性は確か……」
「ええ、あの時狼面衆に支配されていた人ですよ。ちょっと待ってください」
 ニーナの手を払うと会話を続けていく。
「彼女たちは今どちらにいますか」
「奥の部屋で調整中ですよ。何でもかなり注文の厳しい方がいるらしく最近は籠ってばかりですわ」
「ありがとうございます。それでは少しお邪魔させてもらいます」
 ニーナに合図して奥の部屋へ向けて歩みを進める。ニーナも慌てて続きながら燻っていた疑問をぶつける。
「クララ、何故ここなんだ? 私が会いたいと言ったのはルシャさんだぞ」
「勿論わかっていますよ、だからここなんです。あの人はルイメイ様の正妻、ルシャさんは妾。全く縁が無いわけじゃないでしょう」
「それはそうだが……」
 以前ルシャの住まいはといえば普通から少し下がった程度の家だったのが、高級住宅となっていれば驚いても当然だと思う。それに正妻が狼面衆に支配されたのは妾であるルシャが子を産んだことに対する嫉妬が原因だったからだ。
 にも関わらず同じ家に住んでいることに驚くのも無理は無い。
「今は仲良いですよ。あれでこう……澱んだ気持ちを吐き出したらしいです。それにルイメイ様が亡くなってしまいましたからね。忘れ形見だって思いが強いんじゃないですか」
「そうなのか、それでいいなら私がどうこう言う資格があるわけでもないしな。ところでクララはルシャさんと親しいのか?」
 迷わずここへ来たという事は知り合いだろうかと思う、彼女は錬金鋼整備士(ダイトメカニック)だと言っていたのでその線で知り合う可能性は十分にある。
「いいえ、一度も会ったこともありませんよ。私の担当でもありませんし」
 だが答えは予想外の接点無しという事だった。
「ルイメイ様の一粒種で武芸者、将来有望でグレンダンとしてマークしている相手ですからね。私個人としては知りませんけど、女王代理としては把握しているって訳です」
 有望な武芸者や親が優秀な武芸者は幼いころから都市がチェックしていく。そういう事もあることを今のニーナは知っている。そして自身もまたリスト入りしていただろうことも。
 案内された先の扉を召使がノック訪いを告げる。
「ああ、いいよ。入って」
 返ってきた言葉に扉を開ける。今度はクララではなくニーナが先に立つ。
「お久しぶりです、ルシャさん」
「あんた、ニーナじゃないか。何時こっちに来たんだい、というかよくここに居るってわかったね」
 マルクートと遊んでいたしきルシャが顔をあげる。ニーナがここに居る事への疑問にはニーナ以外から答えが返る。
「私ですよ」
 クララの方を向くとしばし考え込んだ後、ハッと姿勢を正す。
「クラリーベル様とは確か初めてになりますね」
「いえいえ、気にしないで構いませんよ」
 そんな風に言葉を交わす二人をニーナが僅かな感慨を持って眺める。
「どうしたんですかニーナ?」
「いや、お前もVIPなんだな、と再認識していたところだ」
「どういう意味ですか、それ」
 初対面の時からそういう事を感じさせなかったため、改めてそういう場面を見ると新鮮さを感じる。
 少しむっとしたクララの耳に笑い声が届く。
「ははっ、確かにそういう方が多いけど、無駄に格式ばってばかりよりはよほどいいんじゃないか。しかしあんたが訪ねて来てくれるとは思ってなかったよ、レイフォンの奴も来なかったからね」
「あの時お世話になりましたから。しかしレイフォンは顔見せにも来なかったのですか」
「私に会うとまた何を言われるかわかったもんじゃないとでも思ったんじゃないのか。あいつは父さんやリーリンには会ってたし、時々手紙も来るそうだからそっちで聞いてみるといい。リーリンにはもう会ってきたのかい」
「いや、まだです。これから会いに行くつもりですが。しかし本当にいいんですかここで、気まずそうな気がしますけど」
 クララから聞いてはいたものの、本人からも聞いておきたいと思う。
 正妻と妾、それだけでも微妙な関係だがこれはそれ以上に複雑だ。もし正妻にも子がいれば話はまだ簡単になるだろうが妾に一人だけ、しかもルイメイはもういない。ルイメイが生きていれば当然のこの屋敷も今はマルクートが居るから与えられているようなものだ。
 響きでいうならば正妻の方が上だが、実質的には妾のルシャの方が上だと世間が見るのも無理はない。そんな状態で軋轢が無いと思うのは難しいだろう。
「私は別に気にしちゃいないさ、仲も悪くないと思っているよ。まあそう思われるのも仕方ないと思うけどね。それにマル坊は武芸者だから。私はそういった方面はどうしたって疎いからね、いくらガキどもの面倒を見ていたといっても分からないことだらけさ」
 子育てというものは簡単ではない。ましてや体の構造から違う武芸者を一般人のルシャが一人で育てる困難さは察して余りある。
 その点、武芸者の女性がいれば対応しやすい。無意識に剄を使って暴れられたりしたらルシャでは危ないが、抑えるのは容易となる。
 一人の男と二人の女、男がいる間は子を持たない女から子を持つ女への嫉妬が多分にあったが、それも昇華され男への気持ちで繋がっているのかもしれない。
「そうですか、余計な気遣いだったみたいですね」
「ああ別にいいよ。あんたが私を覚えていてくれたって事だしね。それでまた旅に出ていくんだろ」
「ええ、そうです。何か用があればお聞きしますが」
「なに大したことじゃないよ。あんたが途中でレイフォンに会った時、またヘタレてたら私からだって言ってぶん殴ってやってくれ」
「ははは、わかりました。けどその必要はないと思いますよ」
 実にルシャらしい物言いに軽く笑うニーナ。
「ん、そうなのかい?」
 明快な否定にルシャの方が疑問に思う。孤児院の出世頭にして失墜頭の性格を知るルシャにしてみれば意外なのだ。
 とはいえニーナの否定したのもレイフォンが理由ではない。それはクララも分かっている。
「フェリさんが居ますからね、そんな事になったらすぐに足が飛んでいそうですね」
「ああ、そのとおりだな」
 レイフォンがそうなった時、すぐ横にそうする人がいるというだけだ。
「ん、フェリってあの念威繰者の子だろ、銀髪の。あの子がどうかしたのかい」
 事情を知らないルシャにとってはその名が出てくることが当然ながら理解できない。
「レイフォンはフェリさんと一緒にいるんですよ。私達よりよほど速く手、いえ足を出す人ですよ」
 それを聞いたルシャは感嘆しきりだった。
「あのレイフォンがねぇ。あんな綺麗な子を捕まえるなんて、どういう風の吹き回しなんだい?」
「さてどうなんでしょうね、私が知る限りではレイフォンよりフェリさんの方が積極的でしたが」
「まあそうだね。あいつが女の子に積極的、なんていうは想像できないね」
 何気に酷いルシャの感想だが二人とも同じ感想を持ったので反論はしなかった。
「まあいいや、しばらくいるんだったらいつでも来てくれて構わないよ、歓迎するさ」
「ええ、バスの都合がありますので挨拶に来れないかもしれませんが」
「わかってるさ、元気でやっとくれよ」
「はい、ルシャさんも」
 未だバスは人類の予定通りには動かない為別れも挨拶ができないかもしれないと、今のうちにと別れの挨拶をしてルシャ宅を辞する。
 門を出たところでクララがニーナに確認をとる。
「それでとりあえず希望はリーリンの所だけですよね?」
「まあ他にグレンダンに知人もいないからな」
「そうでもないでしょう。ではリーリンの所に行くと長くなるでしょうから後回しにして次に行きましょう」
 確かにリーリンに会えば長くなるだろうと思うので、クララの言う知り合いが誰の事かと首を傾げながら後についていく。



 クララに連れていかれた場所はこちらもまた一等地の大きな邸宅だった。
 先程のルシャの所と違うのは隣に道場が併設されており、かなり大きな『現役』の武門である事が分かる。
 数多くの門下生がいる中を進んでいく途中で道場内から一人の女性が出てきた。
 波打った赤髪を長く伸ばし見事なプロポーションと類いまれな美貌を併せ持つ美女だ。その腰には剣帯が巻かれ武芸者である事が見て取れる。
「クラリーベル様、お久しぶりです。しかし今日はどのような用件でしょうか」
「クララでいいですって、私たちの仲じゃないですか。それに私が来ると何か都合が悪いことでもあるんですか?」
「いいえ、皆が見ている前で礼儀を欠くわけにはまいりません。それに急にいらっしゃる時はクラリーベル様の機嫌があまりよくないもので。先日もクラリーベル様に打ち倒された門下生のケアが大変でしたから」
 からかうような色の混じるクララに対し、お忘れになったのですか、と淑やかに微笑む女性から怒っている様な気配は感じ取れない。しかしそれを受けるクララは笑みを浮かべつつも明後日の方向を見ていることから事実なのだろうな、と傍で見ていたニーナは思う。
「それは兎も角、今日は珍しい人を連れてきたんですよ、ルッケンス夫人」
「クラリーベル様が人をお連れになること自体珍しいですが。……どなたかと思えばニーナ隊長ですか、確かに珍しい客人ですわね」
 ルッケンスといえばニーナにも覚えがある。元ツェルニ武芸長ゴルネオ・ルッケンスとマイアスで会った天剣授受者サヴァリス・ルッケンスの生家で、グレンダンでも有力な武門だと聞いていた。
 しかし、そのルッケンス夫人だというこの女性にニーナは見覚えが無かった。
 その困った様子を見て取った女性は仕方がなさそうに苦笑する。
「判らなくても仕方ありませんよ、この姿でお会いしたことはありませんから」
 その言葉に不可解に思うが、自身が覚えていないので少し気まずい思いをしているところで男の声が掛けられる。
「こんなところで立ち話をしていては皆の邪魔だろう。クラリーベル様……とニーナ・アントークか、珍しい顔だな」
 その男はニーナもよく知った顔だった。
「ゴルネオ先輩、お久しぶりです」
 ニーナが知るよりさらに肉体に厚みが増したゴルネオ・ルッケンスがいた。もはや先輩後輩の間柄ではないが親しんだ呼称がつい出てしまう。
「今更先輩後輩という間柄でもない、好きに呼んでくれて構わんぞ」
確かにグレンダンにいる数少ない知人の内の一人といえる。が、わざわざクララが自身をここに連れてきた理由まで判らない。
「ゴル、ごめんなさいね。すぐにお通しします」
 女性のかけた『ゴル』という愛称がニーナに一人の人物を思い出させた。ニーナの記憶の人物でそう呼ぶのは一人だけだ。
「まさか……シャンテ・ライテ副隊長なのですか?」
 語尾が疑問に持ち上がるのも無理はない。ニーナの知るシャンテ・ライテという人物はゴルネオの肩に乗るほどに小柄で、振る舞いも野生と称されるほど奔放だった。
「正解です。この姿になってからは小隊戦にも出ていませんでしたから、知らなくても仕方ないかもしれませんね」
 だが目の前で微笑む麗人はニーナより背が高く、貴婦人と称されても可笑しくない空気を身に纏っている。
「ルッケンス夫人、という事はゴルネオ先輩と……」
「ええ、結婚しましたわ」
 薄く頬を染めるシャンテ、記憶に残る姿と今の姿が一致せず激しい違和感に襲われる。
「それはおめでとうございます。ですが何故こんなに姿が変わったのですか?」
「それについては本人達もよく分かっていないようですが、こんな所で立ち話するような事じゃありませんし中へ行きましょう」
 クララの提案に皆頷きルッケンス本邸の客間に通される。
 出されたお茶を飲み、ひとまず落ち着いたところで口を開いたのはゴルネオだ。
「なぜシャンテがこんなにも成長したのかは俺にはわからん。理由があるとすればツェルニとグレンダンが接触した時、出会った男が何かした事しか思い当たらん」
「それでその男というのはどんな奴だったんです?」
 黙って聞くニーナの横でクララが続きを促す。
「赤い髪の鉄鞭使い。一振りだが鉄鞭というより鉄棒と言った方がいいほどのものだ。それに何か獣のようなモノ、ヴェルゼンハイムとか言っていたが」
 その言葉に何故クララが自分を連れてきたのかを理解する。
「思い当たる節があるでしょう?」
「ああ、ある。というか間違いないだろう」
 赤い髪の鉄鞭使い、というだけなら他にもいるだろうがヴェルゼンハイムと関わる者など一人しかいない。
「ディクセリオ・マスケイン。私達より十数年前に過去最高の成績でツェルニの武芸科を卒業した先輩です」
「少し待て、どう見てもそんな歳には見えなかったぞ。二十前後といったところに思えたが」
 十数年前の人物であれば最低でも三十前半には至っているはず、だがゴルネオの目にはどうしてもそのようには映らなかった。
「ええ、ですがツェルニにちゃんと記録も残っています。何故外見が変わっていないのかについては私には分かりませんが」
 時に己自身を賭けて戦わなければならない事もあったが恩人と呼べる相手である。とはいえディック自身の経歴については全く知らないといっていい。
最初に出会った時は現役のツェルニの先輩だと思った。雷迅を教えてくれ自身の悩みに対しアドバイスをしてくれる頼りになる先輩だと。だがそんな事を話すような緩い空気で再会することは無かった。
「まあその人がどんな人かってことはそれほど重要ではないでしょう」
 違いますか、というクララにゴルネオも頷く。
「そうだ、シャンテに何をして何が起きたのか、まだ何かあるのかが知りたい」
 そうしてゴルネオが語ったのは自身が知るシャンテとその異変について。ハトシアの実によって一時的に成長したこと、グレンダンで再び成長したシャンテが男に打ち倒され謎の仮面にエネルギーを吸われたように見えた事、を。
 ゴルネオが語り終わると三人の視線がニーナに集まる。主観的には巻き込まれただけのゴルネオとシャンテはもちろん、クララも狼面衆と争ってきたとはいえ全く関わりにならないようなことまで知っているわけではない。
 ニーナはその視線を受けても何も答えることなく瞑目する。
 ニーナにとってシャンテの変化は初耳だった。ドゥリンダナとの戦いの後シャンテが入院していた事、そして年度が替わる前に退院した事は知っている。だが次年度の対抗戦にシャンテが出場することは無く、入院の影響だとされていたためそれ以上を知事は無く、シャンテ自身混乱を招くだけだと殆ど人前に出ていなかったためツェルニ内での噂にもなっていなかった。
それに加えて運命という大きな流れの本流に乗っていたニーナにはもたらされる情報とその処理をするだけで手一杯で他の事に手を伸ばす余裕など無かったのだ。
 だが、今聞いたところでニーナに理由が分かる訳ではない。運命の真っ只中にいたとはいえ所詮ニーナは末端である。永い刻を経て積み重なり積もりに積もった結果がニーナに結実しただけの事だ。
知らない、と答えるのは簡単だ。だが自分の先輩が大きく関わった事態を捨て置けるような性格はしていない。
 自身に分からないなら知る可能性のある相手に聞くしかない。
『メルニスク、何かわかるか?』
 自身の内にいる廃貴族に問う。この世界を維持し、最後の時に備えてきた電子精霊ならば多くの事を知っている。特にメルニスクはヴェルゼンハイムと同じ『極炎の餓狼』へと達することを望んでいたこともある。
「結論から言えばもう心配する必要はないと思う」
 目を開けたニーナの第一声はそれだった。
 無論それだけで納得する者などおらず、さらなる説明を求めている。
 かつて『火神』という兵器として生み出された者がいた。それはディックの中にいた廃貴族ヴェルゼンハイムを取り込み己の力を増すことに成功した。だが一つ計算違いがあった、何か手違いがあったのか狼面衆のコントロールを離れてしまった事だ。それをディックは奪い自らの力となる時まで隠しておく場所が必要だった。。
「それが森海都市エルパだった」
「へぇ、あいつらもグレンダンの外ではいろいろやっていたんですね。ここでは嫌がらせしかしてなかったですから」
「ならばその火神が、シャンテが兵器だというのか」
 変な方向に感心しているクララと違いゴルネオからは不快感が滲み出ている。
 武芸者とは存在そのものが対汚染獣兵器として認識されているが、明らかにそれとは違う意味での『兵器』でありそれが自分の大切な人間なのだ。不快に思わないはずがない。
「ゴル、落ち着いて」
「そうです、ニーナに向かって文句を言っても何にもなりませんよ」
 シャンテとクララの二人に宥められてゴルネオも冷静を取り戻す。
「すまない、続きを頼む」
 グレンダンでゴルネオが見たものはシャンテの中からヴェルゼンハイムを火神ごと回収するところだ。
「話では途中でゴルネオ先輩が無理に仮面を引きはがしたという事だが、そうしなければ全てを吸われここにはいなかっただろう」
 死を意味する言葉に、そうならなかった事に失わずに済んだ事に安堵の息を吐く。
「恐らくだが、本来は今の姿に成長し火神として完成したのだろう。だがヴェルゼンハイムが火神を喰らう事で成長が阻害されていたのだと思う。だからヴェルゼンハイムがいなくなった事で一気に成長したのだろう、ということのようだ」
 あくまでも推測に過ぎないが、と話を締めくくった。
「では、シャンテはもう問題は無いのだな」
「もし世界に対して害を与えるようであればシュナイバル達が黙っていないだろうし、全部回収できないと言いながらも先輩が去っていったのならもう火神の力はほとんど残っていないと思います。どちらもそこを見逃す人たちではないから」
 世界の安定を第一とするシュナイバルと自身の求めるモノを第一とするディック、その双方がアクションを起こさなかった以上もう心配はないだろう、というのがニーナの結論だ。
 それはよかったと安堵の息を吐くゴルネオ、心配しすぎだって言ったでしょうと宥めるシャンテ、その二人を見るクララ。その光景に感じていた疑問が口を吐いて出る。
「ところでクララは二人と親しいのか? ツェルニでは殆ど親交は無かったと思うのだが」
 ツェルニでクララとゴルネオ達は一年しか重なっておらず武芸長のゴルネオと第十四小隊員のクララで接点は無いに等しかった。
 クララはしたりと頷き。
「それはそうですよ、グレンダンに戻ってからですから。私が化錬剄の道場巡りをしている時ですね」
 道場巡りというと教えを請うように聞こえるが、そんな生温いことをクララがするだろうか、という考えが顔に出たのかゴルネオがため息を一つ吐く。
「そうだ、道場『巡り』ではなく道場『破り』と言った方が正しいだろうな。とはいえグレンダンではそれほど珍しい事ではない……まあ天剣授受者がするなど聞いたことが無いが」
 やはりか、とクララをジッと見るが悪いことは何もしていないとばかりに見返してくる。
「丁度ゴルはその時居なかったので私がお相手したのですが、その縁で時々訪ねて来られるようになりました」
「それでゴルネオさんとも話すことがあって奥さんもツェルニ出身だっていうのにこの実力で私が知らなかったなんて、という事でさっきの話を聞いてニーナ関連だと思ったんです」
 なるほど確かにディックについては自分が詳しいと思うのは当然だと思うし、クララが強い相手に興味を持つのもよくわかる話だ。
「いい機会ですからニーナも少し手合わせしていきましょう。二対二でやるのも面白いですよ」
 クララの誘いに途端に渋面になるゴルネオ、それを見たシャンテがやんわりと断りを入れる。
「今日はニーナさんを案内しているのではありませんか、それに人数が増えますとここでは手狭になってしまいます。また今度ではいけませんか」
 クララから賛同者を求める眼差しを送られるがあいにくニーナもそのような気分ではない。戦ってみたいという気持ちが無いでもないが、次のバスが何時になるのかもわからないのだから先に自分の用事を片付けておきたい。
「クララ、今日は諦めてくれ。今度時間が合えばまた考えよう」
「いやです、ニーナが何時までいるかわからないから先にやっておくんです」
 手合わせをしようとクララが強硬に主張するのには理由がある。例え今手合わせしたことでリーリンに会う前に次のバスが来たとしたらバスを遅らせても会っていくだろう。確とした目的地を持たず放浪するニーナだからリーリンに会うという目的を優先する。
 しかし、リーリンに会った後では時間が在ったらという程度の手合わせの約束よりもバスの方が優先されるからだ。故にクララとしてはやれるときにやっておくというスタンスだ。ニーナと一対一ならできる可能性は高いがこの四人でできる可能性は非常に低い。
「いいからやりましょう、やれる時にやるんです」
 ごねるクララに皆呆れてしまう。全員に僅かに有った少しなら手合わせしてもいいかな、という色が抜けていくのが互いに見て取れた。
「いいからクララ行くぞ、お前以外誰もやる気は無いからな」
 ニーナがクララの襟ぐりを掴んで外に引きずり出す。
「それではまた、時間が有ればですがよろしくお願いします」
 見送りに来たゴルネオ夫妻に暇を告げる。
「そうか、正直俺はそんな事にならないことを望んでいるんだがな」
「時間が合えばお相手致しますから、遠慮はしないでくださって構いませんよ」
 心の底からというのが分かるゴルネオと、それをフォローするシャンテにルッケンス邸から送り出される。流石にクララも無理矢理抜いて襲い掛かるような真似はしない。
 そのまま引きずって屋敷から少し離れるとクララも駄々を捏ねるのをやめた。
「仕方ありません、今日の所は諦めますから今度お願いしますよ」
「クララ……あれだけ拗ねた後では何を言っても格好つかないぞ」
 ぐっと詰まるクララに次の行き先を告げる。
「それで次はいよいよリーリンの所か?」
「ええそうです、クライマックスです。さっさと行きますよ」
 幾らかヤケクソ気味のクララを先導にグレンダンの街を行く、ふと見上げた空は幾らか雲が出ていていた。



「ここか」
「ええ、ここです」
 二人の目の前には多くの子供がいた。それぞれが思い思いに走り、あるいは何人かで集まって遊んでいた。
「孤児院です。こういった施設はどうやっても無くなることはありませんしね、リーリンはここの院長ですよ。もともとリーリンやレイフォンも孤児院育ちでしたから、それを引き継いでいるわけです」
 二人に気付いた子供が幾人か寄ってくる。
「あっクラリーベル様、先生に御用なの?」
「ええそうです、はいこれお土産ですよ」
 道端で買っていたお菓子を渡すと奥に走っていく子供たち。
「結構親しげだがよく来るのか?」
「頻繁ではないけどとりあえず顔を忘れられない程度には来てますね、剄では発散できない憂さもあるってことですよ。ちなみに隣はサイハーデンの道場です、私は用もないのでほとんど来ないですけど」
 武芸の道場なのにクララが見向きもしないのに何か訳があるのかと考えていると、奥から子供たちに手を引かれた一人の女性が出てくる。
「クララお菓子ありがとう……っとニーナじゃない、どうしたの」
「グレンダンに来るつもりがあったからな、リーリンがどうしているかも気になっていたからクララに連れて来てもらったわけだが元気そうで何よりだ」
「それはそうよ、こいつらの相手をするのに元気が無ければやってられないからね。ニーナもまあ元気よね」
「まあな、元気が無ければ旅なんて続けられないからな。今は世界放浪中だ」
「ところでレイフォンから連絡とかありました? レイフォン達も旅してますけど」
 簡潔な近況報告をしたところでクララがリーリンに質問を飛ばす。
「無いわね」
 それをリーリンが切って落とす。
「どうせあんなことがあったから手紙を出しにくい、とでも思っているんでしょ」
 それもそうだ、と頷くクララに今度はニーナが疑問を浮かべる。
「あんなことってなんだ、またあいつは問題でも起こしたのか?」
 それに対し今度はリーリンが首を傾げる。
「ニーナに話してなかったの?」
「ええ、どうせここに来るのは分かっていましたから一度に話した方が早いと思いまして」
 そう、と一つ頷く。
「えっとレイフォンがフェリさん連れで帰ってきたのは」
「あ、それだけは私が話しました。それですぐに出て行ったという事も」
「その時、アンリは大喜びだったし義父さんも祝ってくれてよかったんだけどその後に問題があったの」
「陛下から呼び出しがあったんですよ」
 グレンダンの女王、市民からすれば尊敬と畏怖の対象だがその実態を知っている者にとっては積極的に動くと面倒を引き起こす厄介な存在である。



 グレンダン王宮に幾つかある謁見の間、その中でも小さめの広間にレイフォンの姿があった。
 略式の玉座に腰掛けるアルシェイラの他に女王代理のクララ、レイフォンと共にグレンダンを訪れたフェリ、そしてリーリンの姿もあった。
「さてレイフォン、グレンダンに帰って来たわけだけど天剣になる? もちろん幾つか試合に出て汚染獣戦にも出てっていう段階を踏む必要はあるけど」
 悪い話じゃないんじゃない、と気軽に言うが実際良い話である。
天剣が天剣でなくなるのは天剣争奪戦で敗れるか死亡した時のみだ。その隔絶した実力から天剣の運命を持たない者は相手にならないし、天剣の運命を持つ者ならば天剣授受者に挑まなくてもその座に就くことになる。毎年行われる争奪戦など天剣達からすれば暇つぶしにもならない。十三人目の天剣の運命を持つ者などグレンダン史上現れたことは無い。また名付きの老生体でもなければ苦戦することのない彼らが戦場で危険を感じることは極めて少ない。
つまり天剣とはグレンダンの民衆の憧れの的であるが、本人達には教導の義務もなく、日々を自己鍛錬に充て老生体の襲来を待ちつつ何もせずとも暮らしていくのに十分な給料を貰える楽な役目、という事も出来る。実際ルイメイなどは武門に属さず天剣としての収入しかないにも拘らず巨大な屋敷を維持していくのに金銭面で苦労したことなど無かった。
クララはまだレイフォンという目標の一つが近くにいることになるので歓迎ムードだが、フェリの表情は険しくなった。その雰囲気を感じ取ったのかレイフォンの肩がビクッと震える。
「陛下、僕はまたグレンダンから出るので天剣になることは出来ません。それに僕がツェルニで探したのは武芸者以外の生き方です」
 今度はクララが残念そうに、フェリは険しかった顔をもとの無表情に戻した。とはいえ口の端が微妙に緩んでいて纏う空気は柔らかくなった。その変化をレイフォンは感じとり、あからさまにホッと息を吐いた。
「ん~、残念と言えば残念だけどあんたがきっちり自己主張できるようになったのは成長と言っていいわね。それでどんなことを学んできたわけ?」
「ええと、口で説明するのは大変なので見てもらってもいいですか?」
「ええ、構わないわよ。あんたが武芸者以外の生き方を探した結果を見せてくれればそれでいいわ」



 そこには何とも微妙な空気が漂っていた。満足げなレイフォンに対し呆気にとられたというよりどういう表情を作っていいのか迷うアルシェイラとクララにリーリン、そして頭痛を堪えるかのようなフェリ。
「ねえレイフォン。これが……レイフォンがツェルニで六年を掛けて学んできたことなの?」
 リーリンが否定して欲しそうに震える声を出すがレイフォンはなぜそんな声を出されるのか解らないのだろう、笑顔で頷いている。
「レイフォン、あなたって人は……」
 絶句するクララの横で動いた者がいる。
「あんたはアホか!」
 怒声と同時にレイフォンの姿が消える。
同時に木々が折れ、薙ぎ倒されることでリーリンはレイフォンが吹っ飛ばされた事を理解する。レイフォンが飛んで行った方向とは反対側を見ると拳を振り抜いたアルシェイラがいる。女王がその衝剄でもって打ち抜いたのだと。
 そんなことを思っている間にアルシェイラは土煙の先へ歩み寄るとレイフォンをむんずと掴んで引きずり出す。
「あんたが武芸者以外の道を選ぶっていうのはいいけどね、学園都市に六年もいて学んだ結果がそれなわけ? 家畜をうまく扱えます、ってそれだけなの?」
 一口に一般教養科といっても幅広く、ツェルニではカリアンの司法研究科からフォーメッドの養殖科、ハーレイの錬金科に至るまで武芸科以外の全てを指す。上級生になるとそれぞれの専門に分かれていき、優秀な者は故郷の都市に帰った後上級研究員として迎えられる事も少なくない。『半端物の集まり』と称されることもある学園都市だが決して教育の水準は低くない。剄量という才能によって決して超えることができない限界がある武芸者とは異なるのだ。
 レイフォンが選んだのは養殖科、その中でもいわゆる家畜を専門とする畜産部門である。掛け合わせによる品種改良や患畜の防疫、成育した家畜の出荷などを行う部署になる。
「別に職業に貴賤があるなんて言うつもりはないわよ、それだって大切なことに変わりはないんだから。でもね、あんたの事だから頭を使う職業(もの)は最初から諦めていたんでしょ」
 決めつけるような言い方であるが聞いていたクララは『あり得る』と思ってしまった。それはリーリンも同じだったようで最後の一人の方を向くと明後日の方向を向くフェリに全てを察してしまった。
「ねえあんた、ホントにこんなんでいいの?」
「レイ阿保ンの真正さと脳筋さが並ではないのは知っていましたから」
 突き放すようなフェリに続いてリーリンも意見を述べる。
「陛下、ツェルニが駄目なんじゃなくてレイフォンが駄目だってことはわかってください」
 クララも自身が一時とはいえ在学していたので自身の沽券に関わると必死にフォローしようとする。それにそんなにもレベルが低い学園都市だとは思われたくない程にツェルニでの学園生活で得るものがあった。
「わかってるわよ。こいつがこうだからってツェルニが悪いって事にはなんないことぐらい」
 我が儘で奔放なアルシェイラも都市の主としての公平な視点は所持している。いかにアホ(レイフォン)が居てもその場所(ツェルニ)に問題があるのではない、と。そもそも「問題有り」とするとまずウチ(グレンダン)に問題があることになってしまう。
「まあいいわ。それであんたらはグレンダンに住む気なの?」
 レイフォンの中身に関する問題は放り上げて実際的な質問に移る。二人とも強力な武芸者である為、処遇については一応考える必要も出てくるからだ。おそらくクララに丸投げされることになるだろうが一応考えることはアルシェイラの責任である。
「いえ、私たちはここに住もうとは思っていません」
 しかし、フェリはそれを否定する。
「リーリンさんや孤児院の皆さんに挨拶に寄っただけですから。それにいくらレイフォンが鈍いと言ってもグレンダンに居続けるほどではないでしょう」
「え、何でですか? 別にレイフォンが勉強できなくても誰も何とも思わないですよ」
 酷いクララの物言いだが誰も酷いとは思わないのはレイフォンだからだろうか。フェリもその部分には触れずに答えを返す。
「そうではなく武芸者として生きていくつもりがないという事です。この槍殻都市で元天剣授受者なのに武芸者をやめるのですから」
 武芸者の頂点が武芸を放棄する、ツェルニに来た当初のレイフォンのように誰も知らない場所ならともかくグレンダンでそれをやるのは困難だろう事は理解できる。
「それはわかりましたけど、それならいつ頃まで滞在するつもりです? あまり市民には知られない方がいいでしょう」
「レイフォンが長居したいとは思わないでしょう。私は別に用もありませんから」
 気絶したままのレイフォンを放り出して戻っていったアルシェイラの代わりにクララが聞く。
「まあそうでしょうね。六年かけて学んできた結果がこれなんだから、あの子達に失望される前に出ていきたいんじゃないかしら」
 かつてルシャに『孤児院の出世頭にして失墜頭』と評され、なおかつ孤児院の子供たちからもストップ安の評価を受け続けていたのが些か持ち直してきていた。フェリを連れてきたことで一部(特にアンリ)からは極めて高騰していたがこの様子ではすぐに再び落ち込むことはリーリンにとって容易に想像できた。



「まあそんなことがあってすぐに逃げるように出て行ったのよ」
 二人から語られた事態にニーナも語れる言葉を持たない。
 何とも言えない痛みを共有していると園の方から眼鏡をかけた金髪の女性が出てきた。
「園長、ちょっといいですか……って、あーっ!!」
 リーリンを呼びに来たようであるその金髪の女性はニーナを見ると奇声を発しながら指を指し凍り付いた。ニーナはその女性に見覚えが無かった為、傍らの二人に助けを求める視線を送る。
「どうしたんですかミュンファさん、そんな大声を出して。みんながビックリするじゃないですか」
 リーリンが孤児院の子供たちの方を見ながら窘めるように呼び掛ける。名前を聞いても覚えのないニーナが質問をする前に新たに男の声が響いた。
「どうかしたかさミュンファ、いきなり大声を上げて」
 その男性は孤児院に隣接した建物から出てきた。腰に剣帯を下げた赤い髪の青年で特徴的なのは顔に入った刺青だろう。
「お前はハイア・サリンバン・ライアか?!」
「そういうあんたはニーナ・アントークかさ?!」
 男の方にはニーナも見覚えがあった。サリンバン教導傭兵団の団長、廃貴族メルニスクを狙ってツェルニに現れレイフォンに対し揉め事を起こした相手だ。違法酒がらみで第十小隊との小隊戦の最中に乱入したり、武芸大会当日にフェリを人質にレイフォンとの私闘に及んだ事でニーナも少なからず関りがあった。
 だがそれで女性の反応も腑に落ちた。サリンバン教導傭兵団の一員ならばメルニスクを宿し捕獲対象だった自身の顔を知っていて当然だ。ましてやここグレンダンは傭兵団発祥の地、その団員が居たとしても不思議ではない。
「あーいや、俺っちはもうサリンバン教導傭兵団とは関係ない。というか傭兵団自体とっくに解散してるさ。今の俺っちの名前はハイア・ヴォルフシュテイン・サイハーデンさね」
 告げられた名前に困惑するニーナ、ハイアの新たな名に聞き覚えがあったからこその戸惑いでもある。
 それを見て取ったクララが補足をかける。
「ハイアはレヴァンティンとの戦いの前に天剣授受者になったんです。それに最近サイハーデンの武門を継いだんですよ」
 つまりサリンバン教導傭兵団団長のハイア・サリンバン・ライアが傭兵団を脱退してハイア・ライアとなり、天剣ヴォルフシュテインを継承したことでハイア・ヴォルフシュテイン・ライアとなった。更にサイハーデン武門を継いでハイア・ヴォルフシュテイン・サイハーデンとなったのである。
 余談ではあるが、ハイアと結婚していたミュンファもそれに伴いミュンファ・ライアからミュンファ・サイハーデンと名前が変わっている。
「まああんたにはとっては随分迷惑だったろうけどもう昔の事ってことで」
 迷惑を掛けたという自覚があるにしてはかなり調子のいい物言いだがニーナもどうこう言うつもりもない。実際『昔の事』であり今更何を言ったところで何か変わるわけでもない。それに迷惑だったのは確かだがそれによってどうしようもないような問題に発展したわけではなかった事も一因としてある。
「ところで武門を継いだという事だが経営は大丈夫なのか?」
 レイフォンから道場や孤児院の困窮を聞いたことがあり、それがレイフォンが闇試合に関わる事になった要因だからだ。
「俺っちを誰だと思ってるさ、元とはいえ教導傭兵団の団長だったんさ。他人に教えるのは得意分野さ」
「まあ実際道場は繁栄してますよ。現役の天剣授受者がいる武門は栄えるものですが、念威繰者で流派のないエルスマウさんを除いてもリンテンス様は弟子をとるような方ではないですしバーメリン様もそれは同じです。先生は男には教えないですし女性である程度実力があれば教えてもらえますけどそもそも化錬剄使いは総数からして少ないです。私もこれといった武門に属しているわけではないですから、ハイアの様にちゃんと道場を開けば繁盛しますよ」
「孤児院の経営については私が目を光らせてるから。収入は基本的に補助金と道場の月謝の一部だから裕福とは言えないけど、少しずつ貯えも出来てるよ」
 三者三様だが道場、孤児院共に順調な様子がうかがえる。それを聞いたニーナも心中で安堵する。実際困窮していたとしても何かができる訳ではないが知り合いの所が貧乏に喘いでいたらいい気分になるわけがない。
 そんな風に四人で談笑していると急に空を引き裂く音が響き渡った。
 それはグレンダンに詳しくないニーナにも何の音かはっきりと分かった。それは危険を知らせる音、破滅の足音、戦場の呼び水、数多の都市が滅びる前兆。
 汚染獣襲来を告げる音に空を仰ぎ見る人々の目には急激に風を巻き砂塵を巻き上げ、嵐と化す光景が映っていた。
 
 

 
後書き
 レイフォンが登場、嘘は言ってない。登場した『だけ』だけど。
 ニーナとフェルマウスってツェルニで本当は顔あわせてないけど気にしない方向で。
 アルシェイラの旦那、当然リンテンスです。他はあり得ない。
 レイフォン原作とは違い天剣持って出て行ってません。グレンダンに12本あります。 
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