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霊群の杜

作者:たにゃお
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夜怪盗

今年は、桜が遅くなるらしい。
そんな話を、ニュースの気象情報で聞いた。それを裏付けるように、玉群神社の参道を縁取る桜の蕾はみっしりと硬い。


「今度こそ、俺はあいつを殺してもいいと思うんだ」
バーカウンターの端と端を持ちながら、俺達は言葉少なに石段を上る。
俺達が本来の産土神の保護から外され、奉の保護下(!)に強引に入れられてからというもの、奉はある種の責任を感じているようだ。本と机しかなかった書の洞に、俺達の居場所らしきものを作り始めたのだ。
ただ2000年以上もこの地に居着いていた癖に人付き合いを疎かにしていたせいだろうか。居場所を作るということを根本的に勘違いしているようなのだ。例えば俺の夢に出て来たバーカウンターを再現しようとしているが、俺も他の連中も、大して酒を呑まない。唯一酒好きな鴫崎は、宅配ドライバーだ。…バーカウンターなんかより優先順位の高いものが色々あると思うんだが…。
「何とも云えないが…好きで山の上に住んでおいて、思い付きで行動すんなよとは思うね」
「それな。…しかもあいつ、本もいつも通り注文しやがった」
「―――俺が来る前に、すでに一往復してたのか……。」
奉が書の洞の改築にも近いことを始め、そのとばっちりを最も深く重く受けているのは、鴫崎なのだ。ここ最近毎日、死にそうな顔をして玉群神社の石段を何往復もしている。俺に出来るのは、偶然を装って石段で待ち伏せして荷運びを手伝うことくらいだ。…何だこのトキメキのカケラもない待ち伏せは。
「助かったわまじで。お前が友達でよかった」
「報酬に、りんちゃんの最新画像見せてくれ」
仏頂面だった鴫崎が、にんまり笑った。
「この間、寝返りを打ったんだぜ。早いよな?これ絶対早いよな!?」
「お、おう」
3カ月程度での寝返りが早いのか遅いのかはよく知らないが。
「幸せそうで、よかった」
思わず口をついて出た。鴫崎の家に産まれた小さな命は、かつて俺の夢の中に潜み、奉を切り刻ませた子供達のうちの、誰か一人なのだから。束の間の、しかも仮の家族だったが、俺は夢の中でこの子達を慈しみ、育てた。だから良かった…と思う反面、この子以外の子供達のことを思うと、胸の中に暗い影が落ちる。
奉の殺害に失敗した後、彼らは何処に消えたのだろうか。
かつて奉が殺めた子供達の魂は、玉群の屋敷の囚われるように蓄積していき、その空気を澱ませていた。ここ最近、奉がほんのたまに玉群の屋敷に寄りつくようになり、俺も結果的に出入りが多くなっている。…以前に比べ、明らかに澱みが減っているのだ。
―――あいつなりに、何か考えがあってのことだろうよ。命まで落とすようなことはなかろうが―――。
奉が云う『あいつ』とは誰のことなのか、俺は知らない。だが奉は子供達の行き先を何となく、知っているのだろう。それが悪い場所ではないことも。
「ん?…ああ、そんな心配させちまってたか!」
鴫崎が照れたように笑う。…お前の幸せを心配したわけじゃないんだが。
その後は俺達はあまり言葉を交わすことなく…というか交わす余裕もなく、境内に辿り着いた。鴫崎はわざと乱暴にバーカウンターを置くと、肩を回しながら軽快に石段を降りていった。



「――心配なことは、あるんだよな」
「ん?」
鴫崎の速度に合わせて足早に石段を駆け降り、その隣につく。その機敏な動作とは裏腹に、鴫崎はどこかもやもやした顔で足元を見つめていた。
「りんが産まれる少し前くらいからなんだけどな、その…俺、妙に甘い物が欲しくなる時があって」
「食べ物の好みが変わったことが、心配と」
「異常なくらいに、なんだよ。これを食べないと『また』暗闇の中で人魂達と斬り合いを…」
そこまで云って、鴫崎はふいに言いよどんだ。
「……いや、すまん。何云ってんのか分からないよな。とにかくその、すごく厭な場所に戻らなきゃいけなくなる気がして。ごめんな、訳の分からんというかオチのない話で。健康診断でもA判定で、全然困ってないんだけどな!」
「―――そうか」


鴫崎は、ある侍の依代にされている。


それは俺が数カ月前、石段の傍らから視えた光に誘われるように迷い込んだ古戦場での出来事だった。
意識も人格も亡くした人魂が群れ飛ぶ草原で、その侍は俺に話しかけてきた。俺はどうにもその侍が気になって…なんというのか、この人だけならまだ『救える』、そう救えると思って、思わず手を差し伸べてしまったのだ。
しかしその『侍』は、他の侍が軒並み人格喪って人魂化している中、一人だけ意識を保ち続けていただけあり、とても手強い人格の持ち主だった。…そういう所も嫌いじゃなかったが、このまま奉に粘着されつづけても困る。なので苦肉の策として、俺が侍を奉り続けることになった。奉ると云っても大したことはしない。時折鴫崎に『供物』を渡し、こっそり手を合わせる程度のことだ。
「だから最近お前がよくくれる和菓子、すごい助かってるわ。大半は俺が食べちゃってる」
「ははは…」
「…あ、ひょっとして嫁へのお見舞い品のつもりだったか?」
「いやいやいや…食べてくれ。むしろ食べてくれ」
「しかし何だろうな、これ。俺元々甘い物とかそんなに好きじゃないのに」
「あー…あれだよ。こういう仕事が多くて疲れてんだろ」
「違いねぇな!!あいつが洞窟に溜めこんでる甘いものを根こそぎ食い尽くしに行くぞ!!」
リスの餌場を襲撃するアライグマのようなことをする鴫崎、その鴫崎に落ち武者を憑依させてこっそり奉る俺。俺達の関係性もいい具合にこんがらがり始めているなぁ…。


「あ、結貴君だ」


石段を登ってくる少女がある。
「…お、ジェイケイ」
「JKだけど何で今更?」
いかん、あんな下らない夢の世界観に引きずられてしまっている。鴫崎をゴリマッチョとか云いだす前にあの夢の事は忘れよう、早急に。
「この宅配便の車の脇にうち捨てられた段ボールは、やっぱり?」
「おう、あの馬鹿の荷物だよ」
「鴫崎…お前、よその荷物もこんな扱いしてないだろうな…」
縁ちゃんが最後の段ボールを石段の途中まで持ってきてくれていたお陰で、随分と時間が短縮できた。段ボールを受け取り、俺達は再び石段を上る。
通い慣れた石段を、すらりとした脚が軽々と駆け上がり、俺を追い越していく。その瑞々しい脚を少し下のアングルから眺めることに微かな罪悪感を感じ始めたのは、いつからだったろうか…。だが俺はぼんやりと駆け上がる縁ちゃんの後姿を下のアングルから見つめ続ける。
「ねーねー配達員さん、りんちゃんの写真見せて下さいよー」
リスのような目をくりくりさせて、縁ちゃんが鴫崎を覗き込む。思えばこの二人も奇妙な関係だ。随分昔からの知り合いではあるし、昔は一緒に遊んだこともあるのだが、俺ほど深く関わっているわけではなく、近所の知り合いというほど他人行儀でもない。…親戚のおじさんくらいのポジション。そうだ、それが一番しっくりくる。鴫崎がとっとと身を固めて『そういう対象』から外れたことが影響しているのだろうか。
「お、見ちゃう?うちの天使見ちゃう?」
鴫崎が相好を崩して、いそいそとスマホを弄り始める。縁ちゃんもスマホを覗き込んで『キャーまじかわいいー』とか普通に女子高生みたいなことを云い始める。一般人の俺に荷物持たせてゴリマッチョとJKは大盛り上がりだ。
―――しっくりくる関係。この二人を現すのに、とてもピッタリくる言葉を今、思いついた。
丁度いい年齢の離れ具合、性別の違い、相性の良さ。お互い衝突する要素もなく、いつでもしっくりくる関係なのだ。いつか縁ちゃんが選ぶ男は、俺ではなく鴫崎のような豪放磊落な体育会系なのだろうか。…俺にモヤモヤする資格などないんだが。
「んん?なにぼんやりしてんの?」
縁ちゃんが覗き込んできた。柑橘系のコロンが軽く香り、俺は性懲りもなくどぎまぎする。どうも最近、男との距離の取り方とか、声の掛け方とか…周りに悪い見本の影が見え隠れする。
奉は本当に、飛縁魔を放任状態にしてよいのだろうか。
「……や、ちょっと考え事してた」
そう云うしかない。彼女持ちの、しかも3つも年上の俺がJKの恋愛事情を想像してモヤモヤするとかきもい以外の何物でもないからな。
「へぇ、何考えてたの?」
―――責めるねぇ。
まだ早春だというのに、こめかみを一筋の汗が伝う。荷物を持っていて、本当に良かった。
「……いや……なんだ」
「んん?」
「玉群の、子供達のことを…」
思ってもみなかった言葉が咄嗟に口をついて出た。
「……どうして」
縁ちゃんの声が、少し低くなった。事情を知らない鴫崎を警戒しているのだろうか。…いや、鴫崎はあれで意外と勘がいい。奉が鎌鼬に切り裂かれた一件も、相当おかしな事件だったが何一つ追及されなかった。云わずとも、何かを感じ取って質問攻めを避けてくれているのだ。…多分。子供達の事をそこまで気にしているわけではないが、行きがかり上、俺は言葉を続けた。
「少なく、なってるだろ。屋敷の中の子供達」
「………そうかな」
縁ちゃんは言葉を濁した。…意外。俺は縁ちゃんは気が付いていると思っていたのだ。
「出て行ってるのかな。それとも、誰かが手引きをして…」
「何でそう思うの?」
ふいに言葉を遮られ、俺は思わず縁ちゃんを直視した。縁ちゃんは鴫崎に気取られないように、少なくとも俺にしか分からない程度に語気を強め、繰り返した。
「どうして、そう思うの?」


―――俺は、全てを察したような気がした。


「縁ちゃん…だったのか」
我知らず、呟いていた。まだ冷たい風に頬を弄られ、俺達は一瞬歩みを止めた。
「―――何が?」
「いや…何でもないよ」
俺は普通に話せているだろうか。こめかみを伝う汗が二筋に増えた。
「はぐらかさないで」
もはや誤魔化しようもない程、縁ちゃんの語気が強まった。…内心、臍を噛む思いだった。何故俺は、つまらないことを云ってしまったのだろう。こんなことなら向こう1週間程度、からかわれるほうがましだったのに。
「…縁ちゃん、あとにしよう、今は…ほら」


「夜盗怪と成り果てたかの、南条の姫君よ」


からかうような声が、頭上から降り注いだ。縁ちゃんが弾かれたように鴫崎から距離を取る。鴫崎はにんまりと笑い、首を傾げた。俺は一応二人の間に入るが、『彼』から敵意のようなものは感じられない。
「やとう、かい?」
「永のご無沙汰、誠に失礼仕った。供物は有り難く頂戴しておる」
「島津氏…?」


結界のうちに閉じ込められた戦場に迷い込んだあの日、俺が出くわした武士の亡霊。島津清正、といった。
「いかにも」
機嫌よく応じると、島津は再び薄笑いを浮かべて縁ちゃんを見下ろした。
「この間の…!」
かつて鴫崎に憑依して、自分たち兄妹を苛んだ武士の亡霊を縁ちゃんは忘れていなかった。縁ちゃんはそっと俺の背後に回り、俺の上着の裾を掴んだ。…幼い頃からの、何か不安を感じた時のポジションだ。あの頃の彼女は、奉よりも俺を兄のように頼り、ついて回っていたっけ。柔らかい体温が、背中をじわりと暖めた。
「この子はもう南条ではないと、この間、納得したのでは」
少しだけ語気を強めて、俺は鴫崎…いや島津に向き直った。
「ふむ…大恩ある青島殿に弓を引くわけではない。が、我は南条に怨恨を持つものとして、これだけははっきりとさせておきたいのだ。南条の娘」
「南条じゃないもん!」
「玉群とは、嘗てこの一帯を支配した豪族・南条の成れの果てよ」
「………え」
俺の背に寄り添ったまま佇む縁ちゃんの横をすり抜け、島津は参道脇に広がる薄暗がりの雑木林に目を凝らした。
「ふぅむ…一度出てしまうと、戻り方も分からなくなるのだな…」
懐かしさと嫌悪感を少しずつ含んだような奇妙な表情を浮かべ、薄暗がりをひたすら凝視する。
「この男に宿ってのち、郷土史や様々な文献を漁って色々調べたのだ。…この辺りで一番の勢力を誇る豪族であった南条に関する記述は不意に途絶える。そして同時に現れたのが玉群。消えた『南条』とほぼ同等の力を持って突如現れるのだ。…何の準備も前触れもなく。そんなことがあるか」
ぐびり、と喉が動いた。


玉群が南条であることが、島津にばれた。


気取られないようにそっと、島津の様子を伺う。島津は静かに…不気味な程静かに藪の暗がりを見つめている。両腕をだらりと垂らし、とても遠くのものを見つめるように目を凝らす。
「島津は、あの戦の後間もなく途絶えた…らしい」
ふと思い出したように、島津が呟いた。
「えー、島津って結構聞くよね。鹿児島とかで」
「その島津とは違う。女は黙っておれ」
島津はイラついたように縁ちゃんを嗜め、俺に向き直った。
「この辺りの島津は滅びていたのだよ。南条によってではなく、他の豪族によって」
「え…あの戦で島津が滅びたんじゃないんですか」
「あの戦に参加した島津は、我だけよ。まぁ…一種の派遣、だな」
「そんな頃からあったんすか、派遣」
喋りながら俺は、少し妙なことに気が付いていた。
南条への妄執にとり憑かれていたこの男が、穏やかに島津の『終わり』を述懐する。ついこの間まで、あんなにも南条を滅ぼすことに拘っていたのに。そしてこの口調。まるで…。
「……なんか、他の人と話しているみたいな」
つい、口に出してしまった。しかし島津は俺の言葉には答えず、そのまま縁ちゃんに向き直った。
「このまま、屋敷の子を攫い続けるのか?夜盗怪の姫君よ」
「……やとうかいって何?」


「人を攫う、妖よ」


連なる鳥居の出口付近から、その声が聞こえた。島津は弾かれたように振り返り、鳥居の果てを見上げた。薄暮の淡い光を背に、蓬髪と羽織を軽く靡かせる影が、そこに在った。
「……南条の」
奉の口の端が、にぃ…と吊り上がった。
「南条じゃねぇよ。…何度云えば、分かるのかねぇ」
「そのような欺瞞がいつまでも通じると、よもや思ったわけではあるまいな!」
「思ってないねぇ。その上で云うのだ…俺は、南条じゃねぇよ、と」
小さく笑うと、奉は左手で何かを切るような仕草をした。それは何というか…とても禍々しい、何か冒涜的な気配すら感じる動きだった。…久しぶりだ、奉のする事で寒気を催すなど。思わず、口をついて出た。
「……何をした!!」
叫ぶより先に、参道脇の薄暗がりから呪いを帯びた色彩の光が数体、縺れあいながらまろび出て来た。それは周りの草木をじりじりと焦がしながら高速で縺れ、周囲を不規則に飛び回り始めた。
とぷり、と陽が沈んだ。
いや違う、陽が消えたのだ。膝のあたりまで埋まるような草原の只中に俺達は、居た。短い悲鳴と体温が、俺が一人ではないことを教えてくれた。だが。
「信じられん…!!己の妹が居るこの場所で、何故結界を解いた!?」
島津が上ずった声をあげた。
やはり、そうか。ここは嘗て俺が迷い込んだ、戦場が火を閉じ込めた結界だ。
「だから云っているだろうが。俺は、南条じゃねぇんだよ」
ぽう、と奉の手元に灯りがともった。あの日も持っていた、妙に明るい提灯だ。俺は背後で震える縁ちゃんの腕を掴むと、奉の近くに走った。
「ねえ、ここどこ!?」
「玉群が奉との契約で閉じ込めている怨霊の結界だよ。話しただろう」
「……これが!?」
縁ちゃんが息を呑むのが分かった。走る縁ちゃんの足元を人魂が掠めた。きゃっ、と短い悲鳴をあげて、縁ちゃんは立ち尽くした。その小さな声に反応した人魂が、そっと、縁ちゃんに照準を合わせた……。
「こっ…こんな幼い女子をこんな戦場に…!この、人でなしが!!」
島津、いや鴫崎の巨体が矢のように奔った。いつの間にかその手に現れた奇妙な…日本刀とはまた違う形の刀剣が一閃、縁ちゃんに狙いを定めた人魂を両断した。
俺は目を見張った。剣道でもフェンシングでも見たことがないような奇妙な太刀筋…彼が持つ奇妙な剣で戦う為に練り上げられたような、未知の戦い方だ。背中にぞくりと冷たいものが奔った。
「くくく…視たことがないねぇ、こんな太刀筋」
奉が、その目を細めて笑っていた。その目は爛々と、妙に熱を帯びた光を放つ。煙色の眼鏡を通しても抑えきれない程、奉はそう…高ぶっている。剣にまとわりつく人魂の残滓を振り払い、島津は再び剣を水平に構えた。
「よく見ておけ、結貴。あれは遠い古代、滅びた剣術の一種よ」
「…滅びた?」
「まだ一般的な刀剣が両刃だった頃のねぇ」
奉は顎に指先をあて、傍らに居る俺や縁ちゃんのことなど忘れ果てたように島津の動きを目で追う。
「鎌倉時代…武士の台頭により戦乱の世を迎えた頃。剣術も刀剣も爆発的な進化を遂げた。その進化のうちに名も知られず滅びていった剣術や刀剣が数多あった。お前らは勿論、俺も知るよしもない…それが1000年以上、結界に閉じ込められていたのだ。絶え間ない闘争で練り上げられた究極の剣技…」
美しいねぇ…そう呟いて奉がほう…と深いため息を吐いた。
「―――ああ!!」
あの剣にずっと感じていた違和感の正体が、ようやく分かった。島津の剣は両刃なのだ。だからだろうか、振り下ろす動作よりも、左右に薙ぐ動作が多い。それは斬った人魂の残光をまとわりつかせたまま正円の弧を描き、太古の奇妙な舞踊のように草原を舞う。…俺も、見惚れた。
「もういいか」


羽織の中で、奉の掌が動いた。俺達の周囲を覆い尽していた草原が掻き消え、そして…そこは元の、薄暮の石段だった。


「…くそ、何だったのだ今のは」
奇妙な刀剣はいつしか、島津の手から消えていた。薄暗くなった石段の、鳥居が切れるあたりに、奉はまだ立っていた。
「縁」
戦場の余韻に浸るように深く息を吐きながら、奉が呼びかけた。
「お前が屋敷の『子供達』を攫い、何処かに託していることは知っている」
縁ちゃんの肩が、びくりと震えた。その顔は薄暮のせいか、よく見えない。
「お前は『奉』と玉群の契約を切る。そういうことでいいのだな?」
煙色の眼鏡を通して、奉が縁ちゃんを見据えているのが分かった。縁ちゃんは顔を上げない。俺は…ただ、居場所がなかった。縁ちゃんの思惑は最初から、この祟り神には筒抜けだったのだ。縁ちゃんは一瞬だけ戸惑うような視線を俺に向けたが、すぐに反らした。
「お前がこの契約について、どう解釈しているのかは知らないがねぇ…」
この契約はお前が思っているよりも、複雑に出来ているんだよ。そう呟いて、奉は今しがた、人魂が現れた参道脇の藪を指さした。
「少しだけ、結界を切ってやった。今お前が視たのと同じ1000年ものの怨念が、この奥で無数に群れ飛んでいる。それが、玉群を滅ぼすものだ。お前が漠然と考えているような、穏やかで緩やかな『終わり』じゃあないんだよ」
「でも私は…!!」
「お前が屋敷から攫い続けている『子供達』。あの子たちはな」
―――玉群を守るための、人柱よ。
「…酷い」
「万が一、契約の終了や『奉』の消滅によって結界が切れた時、あの子達には解き放たれた怨霊達から玉群を守るという役目があった。その為に、この場所に留まらせていたのだ。家への執着と俺への恨みを糧にしてな。そしてどういう形にせよ、彼らは解放される。この家の人間に害を及ぼさずに契約を切りたければ、子供達を逃がすべきではなかった」
……なんということだ。
子供達の犠牲は契約の副産物ではなく『保険』だったのか。1000年を越える時間をかけて、南条の血を引く子供達を人柱として集めておき、契約を切る時、家を守らせる、という。
「少し人柱が減ったのは心もとないが…今なら選べるぞ、縁。子供達を留めて契約を切り、家を守らせるか?それとも子供達を逃がし、契約は続けるか?…それとも子供を逃がし、契約を切るのか?自殺だぞそれは」
くっくっく…と奉が低く笑う。思わず、傍らに佇む縁ちゃんを抱きしめていた。…なんてむごい十字架を、こんな子供に…!!
「お前が玉群を継ぐ者ならば」「黙れ!!!」


俺は幾重の鳥居を駆け抜けて、拳を振り上げ…奉のこめかみに叩きつけた。


ちゃりん、と軽い音をたてて眼鏡が転がり、その瞳が露わになった。…背中に冷たい汗が伝った。
奉の瞳は、鴫崎を呪った『あの時』と同じ、深紅を宿していた。
「……下がれ!!」
奉が叫ぶや否や、参道を覆う木々の枝がへし折れ、唸りを上げて飛びかかって来た。鋭利な枝が俺の頬を掠めたのを皮切りに、それこそ矢のように降り注いで来た。飛び交う枝が巻き起こす疾風が俺の体中を掠め、切り裂いていく。掠める度に、強引に捥がれた生木特有の強烈な青臭さが鼻を突いた。少し遅れて、切り裂かれた傷口に鈍い痛みが走った。
鎌鼬で凌げたのは半分くらいだろうか。最後に突進してきた松の枝をよけた瞬間、バランスを崩して俺は石段を転げ落ちた。
「青島殿!!」
連なる鳥居の中程まで来ていた島津が、辛うじて受け止めてくれた。
「助かった」
礼を云おうと顔を上げたが、島津は俺を見てはいなかった。
「―――確かに貴様は南条ではないな。貴様は…もっと」
恐ろしい、何かだ。
そう呟いて、島津は突如『抜けた』。薄暮の石段に残るのはへし折られた大量の枝と、呆然と立ち尽くす縁ちゃん、そして血みどろの俺と…何が起こったのかさっぱり分からず、おろおろと辺りを見渡す『鴫崎』だった。俺以外の皆の無事を確認すると、俺は鳥居の果てに立つ奉を見上げた。…只の黒い瞳が、俺を見返してきた。
そう云えば本気で殴るのは初めてだった。場違いにも、そんな事を考えていた。
奉が俺を『呪う』のも、同様に初めてだった。奉の『呪い』が極めて自動的で、自分で制御できないことは知っている。それに奉は俺に『下がれ』と叫んだ。呪いの発動を感じて、咄嗟に警告したのだろう。だから俺は奉を責めないし、奉も言い訳をしない。ただ殴られた頬はそのままに、真っ直ぐに俺を見返していた。


「……いいわけないよ」


ただ立ち尽くしていた縁ちゃんが、ふいに顔を上げた。
「私のやったことで、契約を切りにくくなったことは分かったよ。私が子供達を連れ出さなければ、あの子達は怨霊から玉群を守ってくれたんでしょ」
縁ちゃんは真っ直ぐ、奉を見上げた。子供のような口調なのに、その横顔は妙に大人びて見えた。
「だけどその子達は長いこと苦しんだ上に盾にされて、そんなのいいわけないよ!」
「……そうだねぇ」
奉はとても軽く、相槌を打った。
「ならばお前は、誰も傷を負わない方法を知っているのか?」
「………分からない」
「なら、今はまだ動くな。玉群は既に、誰も無傷ではいられないような業を背負っているんだよ。事情も分からない、力もない子供が考えなしにヤバいものに手を出すんじゃない」
「………」
「長男が家に戻らない限り、どうあがいても次の当主はお前なんだよ。そして俺は『奉』だ。お前の保護者じゃあない。お前が契約を切ると云えば切るし、その後の事は知ったこっちゃないんだよねぇ…決めるのは全部お前だ」
云いたい事を云い終えると、奉はすい、と踵を返した。
「夜盗怪ってな、実は妖じゃねぇよ、只の人攫い…人間だ。人であれば迷いもするし、間違いもする。そもそもお前の先祖が犯した最大の間違いの尻拭いを、お前らは押し付けられてんだよ。今更お前がちょっとくらい間違えても大勢は変わらないんだよねぇ……そうだ、結貴。その荷物は鴫崎に持たせろ。お前はしばらく、俺に近づくな」
傍らに転がる荷物を、鴫崎が抱え上げて俺に頷いてみせた。
「……しばらく、ここには来るな」
声だけが聞こえた。…もう、洞の辺りに居るのだろう。
「しばらくって、どれくらいだ」
「そうだねぇ…この辺に桜が咲く頃まで」
「―――分かった」
俺は縁ちゃんの肩を軽く叩き、踵を返した。
参道脇の藪の奥に、福寿草が咲いている。あれが咲いてから桜の季節まで、どれ程だったか。少し後ろを歩いている縁ちゃんが、おろおろしている気配を感じた。いつもはっきりものを云う彼女にしては珍しい。俺はというと、何故かとても昔の事を思い出していた。酷い目に遭ったが、どこか懐かしさを感じていたというか…。
いや、思い出していたというよりは『既視感』というほうが近いだろうか。
もしも奉が云うように、俺が奉が転生する度にいつも傍にいる何かなのだとしたら…俺は多分。


はるか昔、奉の呪いに殺された事がある。
 
 

 
後書き
現在不定期連載中です。 
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