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ラブライブ!サンシャイン!! Diva of Aqua

作者:ゆいろう
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記憶



 彼女と初めて会話を交わしたのは、私が高校生になって半年程の月日が経ったあたりだった。

 夏が過ぎ去り、頬を撫でる風が少し肌寒く感じるようになったある日の放課後、ピアノの音色に導かれるように私の足は自然と音楽室に向かっていた。

 入学してから放課後になると決まってピアノの音が聴こえていたのだが、それまでその音の正体を探ろうなんて考えもしなかった。

 その日に音楽室に向かったのは、本当にただの気まぐれだった。

 入口に備わる小窓から中の様子を伺うと、長い深紅の髪が、音楽に合わせてふわり舞い踊っていた。

 演奏が終わると、私は扉を開いて中へと入っていた。いつの間にか拍手もしていた。

 奏者の視線とぶつかる。ゆらゆらと揺れる琥珀色の瞳は、どこか寂しさを孕んでいるように感じた。

 彼女の顔には見覚えがあった。確かクラスメイトだった。名前は――。


「桜内梨子さん、だよね」


 それが私――椎名夜絵が桜内梨子に放った、最初の言葉であった。


 *


 それから毎日、私と梨子は放課後の音楽室で会うようになった。教室での会話はほとんどない。放課後の音楽室だけが、私と梨子の密会の場であった。

 梨子がピアノを弾き、私が歌う。その時間は、他の友達と話している時間よりも格段に、私の心を満たしてくれた。

 ピアノと歌をするだけでなく、私と梨子が会話を交わす回数も次第に増えていった。梨子が私の親友と呼べるようになるまで、そう時間はかからなかった。


 *


 季節が冬となり、日に日に寒さが増していくのを肌で感じるようになった頃。いつものように放課後の音楽室に私達はいた。

 一曲の演奏を終えると、思い出したように梨子が言った。


「来月、コンクールがあるの」

「そうなんだ、梨子ならきっと大丈夫だよ」

「夜絵、見にきてくれる?」

「もちろんだよ!」


 梨子が作曲に悩んでいるという話は彼女の口から聞いていた。とてもそんな風には見えなかった、私の歌と一緒に奏でられる梨子のピアノは、とても活き活きとしていたから。

 だけど、それはあくまで私の個人的な感想でしかなく、梨子の胸中までをピアノの音から把握できるはずがない。

 気休めになるかどうかも定かではないが、それでも梨子なら大丈夫だと私は信じて疑わなかった。

 その先に待ち受ける不幸があるとも知らずに。


 *


 梨子のコンクールの一週間前、私は病院へと運ばれた。目が覚めたときには全身が異変を訴えていた。両親にそのことを告げると、手慣れた対応ですぐさま病院へと連れていかれた。

 もちろん学校は休んだ。授業や友達との会話ができないことに悲しさは感じなかったが、放課後の音楽室に行けないことを私はひどく悔やんだ。

 高校生になってからは体調は比較的良好だったのだけれど、ここにきて悪化し始めた。このような体調不良はこれまでにも頻繁に発生してきた。

 生まれつき身体が弱かった私は、これまで何度も入退院を繰り返してきた。中学校の時は酷いもので、出席日数ギリギリでなんとか卒業できた程であった。

 入退院を繰り返してきた弊害は、体力面にも顕著に現れていた。思いっきり身体を動かして遊んだ翌日には、私は体調を崩してしまう。そのせいで体力が全然無くて、運動が大の苦手なのである。

 病院で検査を受けるのもこれで何度目だろうか。検査結果を伝えてくれた主治医の先生も、慣れた口調であった。結果は最低でも一週間の入院が必要とされた。

 私は自分の身体よりも、梨子のコンクールを観に行けるかどうかが心配で仕方がなかった。


 *


 担任の先生から聞いたのだろうか、私が入院した翌日に梨子が病室を訪ねてきた。血相を変えて病院へと入ってきた梨子を見て、思わず笑いが漏れてしまった。

「夜絵、大丈夫なの?」

「平気だよ、入院には慣れてるから」

「慣れてるって、夜絵……」

「生まれつき身体が弱くてね、そのおかげで全然体力がつかなくて運動が苦手なの。梨子も知ってるでしょ?」

「知ってるけど、でも……!」

「先生の話だと一週間で退院できるから、梨子のコンクールにも間に合うよ」

「私のコンクールじゃなくて自分の心配をしなさいよ、ばか」

「えへへ。入院は慣れっこだから、大体のことは分かるんだ。コンクール、絶対観に行くからね」

「……ほんと、バカなんだから」

「私のお見舞いのことは気にしないで、梨子はコンクールに向けて練習して」

「うん、分かったわ。コンクール、必ず来てよね」

「うん! 必ず観に行くから!」


 私達は約束を交わした。

 不幸にもその約束の言葉が、私と梨子が東京で交わした最後の会話となってしまった。


 *


 結論から言うと、私は梨子のコンクールを観に行くことができなかった。それまでに退院することは叶わなかった。先生に外出許可を求めたが、それさえも断固として拒否された。

 まるで小さな子どもが駄々をこねるように大声で泣いてみせたけど、病院はさぞ迷惑したことだろう。そんなこと、知ったこっちゃない。病院にどれだけ迷惑がかかろうと、私にとって梨子のコンクールに行けなかったことの方が大問題なのだ。

 梨子がステージでピアノを弾く姿を見ることが叶わず、その音色を聴くことさえも叶わなかった私は失意の底にあった。

 そんな私を主治医の先生は大事な話があると呼び出した。行くと先生の他に両親もいて、二人はまるでこの世の終わりみたいな表情をしていた。

 呼び出されたわけも、仕事のはずの両親がここにいる理由もわからない。そんな私に、先生は苦虫を潰したような表情で重々しく告げた。


「単刀直入に言います。椎名夜絵さん、あなたが命に関わる重度の難病を抱えていることが判明しました。正直言ってかなり深刻です」


 ――余命は、残り一年程度でしょう。


 絶句した。聞かされた宣告は、あまりにも現実味がなかった。だけど両親の今にも泣き出しそうな顔を見て、私はこれは現実なんだと悟った。

 先生は私に二つの選択肢を提示した。

 手術を受けるか。
 残りの人生を謳歌するか。

 前者は成功率が極めて低く、成功したとしても完治は望めず数年の延命程度にしかならないだろうと。その場合、残りの人生はずっと病室で過ごすことになる。

 後者は言葉の通りだ。手術を受けず、およそ残り一年とされた人生を楽しむ。もう入院する必要はない。

 その選択肢を提示されて、私はひどく憤慨した。どうして今日それを言うのかと。昨日までに難病を見つけて、私に伝えることがどうしてできなかったのか。

 知ったのが昨日だったなら、私は迷わず後者を選んだ。そして梨子のコンクールに足を運んでいただろう。

 どうして今なの。
 もっと頑張って早く見つけて、伝えてくれれば。

 そんな想いばかりが募る。もうどうしたらいいのか分からない。梨子のコンクールに行く約束を守れなかった時点で、そんなことはどうでもよかった。

 今すぐには決めなくていい、じっくり時間をかけて考えればいい。父の発言に私は頷き、返事は保留となった。決断するまでは、引き続き入院生活が続くとのことだった。


 *


 それからも私は決断することができず、ただ病院のベッドで過ごす毎日を送っていた。止まることなく進む時計の病院を、抜け殻のようにただぼんやりと眺めていた。

 もちろん学校に行くことは許されず、梨子が見舞いに来ることも一度もなかった。コンクールに行けず約束を破った私の見舞いになんて、よほどのお人好しでなければ来ないだろう。

 そうやって時間は過ぎ去っていき、季節は夏になった。余命宣告を受けてから半年。あと半年で命が尽きるのだと、私はどこか達観したような気分だった。

 窓の外から蝉の鳴き声が聞こえ始めた頃、ひとりの人物が私の見舞いにやって来た。去年の担任の先生だった。


「椎名さん、桜内さんと仲良かったわよね? 放課後よく音楽室で一緒にいたでしょ?」

「だったら、どうだって言うんですか」


 梨子の名前を聞いたのも半年ぶりだった。この半年は、なるべく彼女のことを考えないように努めてきたから。


「桜内さん、ピアノのことで悩んでいたみたいでね。四月に転校しちゃったのよ。椎名さん、何か聞いてない?」


 梨子が転校した?
 ピアノのことで悩んでいた?

 それから先生から梨子の詳しい話を聞かされて、全身から血の気が引いていくような感覚が襲った。自分の死期が迫っているからではない、先生から梨子の話を聞いたからだ。

 どうしようもない自責の念が押し寄せた。私が梨子のコンクールを観にいかけなかったから、約束を破ったから梨子はピアノで思い悩み、転校してしまったのではないのだろうか。

 思えば、私はまだ梨子に謝れていない。コンクールに行けなかったことを、約束を破ってしまったことを。

 梨子が転校して、私は入院したまま。これじゃあ梨子に謝れないまま、離れ離れになってしまう。


「先生、梨子はどの高校に転校したんですか?」


 聞くと先生はあっさりと梨子の転校先を教えてくれた。静岡にある浦の星女学院高校、聞いたことのない高校だった。

 この時、私は決断した。

 手術を受けず、残り半年の人生を自分の足で歩こうと。梨子のもとまで歩いていき、コンクールに行けなかったことを謝ろうと。

 そして、夏が終わろうとしていた八月の末。私は浦の星女学院に転校した。

 
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