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俺の涼風 ぼくと涼風

作者:おかぴ1129
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17. 戻る日

 ゆきおと提督が鎮守府を離れて二週間が経過した。鎮守府全体がお休みといえば聞こえはいいけれど、言ってみれば機能停止。悪く言えば、『やることがなくてヒマな状況』だ。最初の日からしばらく間はみんなそれぞれ休みを謳歌していたが、3日め辺りから、みんなヒマを持て余し始めたようで、最近は演習場での艦隊演習や危険のない遠征などを中心に、艦娘たちが自主的に活動を行っている。もっとも、潜水艦のみんなだけは、ずっと休日を謳歌しているようだけど。

 私も、最初こそゆきおがいなくて寂しい思いをしていたが、日が経つにつれ、それも徐々に薄れつつあった。日が経てば経つほど、ゆきおが戻ってくる日が近づいてくるということもある。最近では私もみんなと遠征に出たり、摩耶姉ちゃんや榛名姉ちゃんたちと共に演習を行ったり……そんな、楽しい日々を過ごしている。

 今日も私は、暁型のみんなと一緒に遠征に出た。思ったより早く資材の搬入も終わり、今は摩耶姉ちゃんと一緒に昼食を取りに食堂に向かっている。そんな私の肩には、ゆきおから預かったクリーム色のカーディガンが羽織られている。

「なー涼風ー」
「んー? どしたー摩耶姉ちゃん?」
「今日も雪緒のカーディガン羽織ってるのな」
「うん。あったけー」
「そっか。ニッシッシ」

 ゆきおから預かったカーディガンは本当に温かい。こうやって羽織ってるだけなのに、身体がぽかぽかと温かく、そして手触りもとても心地よい。だてにゆきおが『あったかいよ?』と私に貸してくれたわけではない。

 それに、このカーディガンに染み付いたゆきおの消毒薬の香りが、まるでゆきおと一緒にいるかのような気分にさせてくれる。このカーディガンは本当にいい。ちょっと袖が長くて、私の手がカーディガンから少ししか出てこないのが少し悔しいけれど。ゆきおってこんなに腕が長かったっけ……。その事実が少しだけ悔しい。憤りにも似た感情を抑えつつ、私は手の出ていないカーディガンの袖をぶらぶらと揺らした。

「そういやさ。榛名姉ちゃんは?」
「あいつは今、大型艦同士のタイマン演習に出てるから、昼飯は少し遅くなるってさ。金剛型のみんなと食べるから、先に食っててくれって」
「ふーん……」

 カーディガンの袖を少しまくりながら、私は摩耶姉ちゃんのセリフを聞き流す。まくったカーディガンの袖は、すぐにストンと伸びていた。

 みんなが自主的に演習や遠征をやり始めた時、まず最初に榛名姉ちゃんが戦艦のみんなに演習を申し込まれていた。かつてあの鎮守府で揉まれていた榛名姉ちゃんは、みんなの中でもとりわけ練度が高い。よそから来た練度の高い榛名姉ちゃんは、元々この鎮守府にいた血の気が多い戦艦のみんなが気にしていたようだ。長門さんや武蔵さんが、サシの演習を申し込み、演習という名のタイマン勝負が行われていたそうだ。

 結果は常に榛名姉ちゃんの完勝。以来、血気盛んな戦艦や空母のみんなから演習の申し込みが殺到していて、榛名姉ちゃんは困惑しながら日々過ごしている……と金剛さんがこっそりと私に教えてくれたことがある。

 そんな近況報告を行いながら、私と摩耶姉ちゃんは食堂に到着した。今は正午前。昼食にはいささか早い時間帯だが、すでに何人かは昼食を取り始めているようだ。私と摩耶姉ちゃんもそれにならい、厨房の鳳翔さんから昼食の天ぷらそばが乗ったお盆を受け取り、空いてる窓際のテーブルへと移動した。

「いい天気だなー……」
「だな。お日様の光があったけーな」
「うん」

 窓の外はとてもいい天気。風は冷たいけれど、それがなければお日様の光はとても温かい。私と摩耶姉ちゃんは全身で太陽の光を浴び、光合成を行う植物のような気分で、身体をぽかぽかと温めた。

 さて、今日はゆきおが戻ってくる。

「なー涼風。ずずっ……」
「摩耶姉ちゃんなにー? ずずっ……」
「お前さ。ずずっ……提督たちがいつ戻ってくるか、知ってっか?」
「夜の9時頃になるってゆきおが言ってた。ずずっ……」
「そっか……ずずっ……」

 私とゆきおは、離れ離れになっても時々電話で話をしていたのだが……昨晩のゆきおの話によると、どうも戻ってくるのは、今日の夜ぐらいになるらしい。

『そっかー……久々だから早く帰ってきたら一緒にお菓子でも食べようと思ってたんだけど……』
『うん。ケホッ……ぁあそうそう、父さんから伝言』
『なに?』
『晩ご飯は適当に済ませるから、鎮守府のみんなはいつもどおりの時間に晩ご飯食べててくれって。ケホッ……』
『まだ風邪治んないのか?』
『うん。ちょっと長引いてるかも……ケホッケホッ……』

 そのあとはいつものように楽しくおしゃべりをした後に電話を切った。戻る時刻を具体的に聞いたところ、少なくとも夜の9時は過ぎるんじゃないかと言っていた。9時といえば、お子ちゃまならもう眠ってるほどの遅い時間だ。そんな時間になるまで帰れないだなんて……ゆきおが大変なのか提督が大変なのかはわからないけれど、二人も色々と抱えてるものがあるんだなぁと思う。

「提督ももちっと気を利かせて、ずずっ……もっと早く帰ってくりゃいいのにな」
「仕方ないって。ゆきおと提督も、色々あるんだきっと。ずずっ……」
「ふーん……まぁお前は、帰ってきたら一緒に寝りゃ、雪緒と色々話せるもんなぁ。ずずっ……」
「うん。ずずっ……」

 摩耶姉ちゃんの言葉に適当に返事をしながら、私はそばをすすり、海老天を口に放り込む。そばは香りもよくてコシも強く、のどごしつるつるでとても美味しい。海老天も衣はサクサクでエビもぶっとくて、口で噛み切るとプチンと心地良い弾力が気持ちいい。

 ……フと、摩耶姉ちゃんのどんぶりを見た。すでに海老天は食べ終わっているようで、エビのしっぽだけが、どんぶりのそばつゆの中を、ぷかぷかと漂っていた。

「あれ? 摩耶姉ちゃん、海老天のしっぽ食べないの?」
「普通食わねーだろ。ずずっ……」
「ジャリッてしてて美味しいのに……」
「お前の気が知れねー……ずずっ……」

 摩耶姉ちゃんの暴言にいささかの憤りを感じはしたが、そこはあえて聞き流す。私は、この前私の質問に答えてくれなかった姉ちゃんズとは違うんだ。こういう時、自分の気持ちを押し殺して、スッと相手に譲ることが出来る大人なんだ。ゆきおみたいな。ずるっ……

 その後はとりとめのない話をしながら、二人で天ぷらそばに舌鼓を打った。絶品の天ぷらそばを食べ終わり、今の私と摩耶姉ちゃんは、熱いお茶を飲みながらしば漬けをパリパリと食べ、昼食の余韻を反芻している。

「ところで涼風はさ」
「んー?」
「雪緒に何か作ったりはしねーの?」
「何か作ったりって?」
「ほら。雪緒って甘いモノ好きだろ?」
「うん。ズズッ……」
「だから、そんな雪緒のために、お菓子つくったりしねーのかなーって」

 突然何のことかと思えば……私はしば漬けを多めに口の中に運び、必要以上にバリバリと言わせた。こんな私だから、どこをどう切り取っても『料理』なんて柄じゃないだろう。

「あたいが料理だなんて、ガラじゃねーって。ゆきおだって、あたいが作ったお菓子より、鳳翔さんが作ったおいしいお菓子の方が喜ぶだろ?」

 そこが少々シャクだけど……でも実際本当のことだ。下手くそな私が作った出来の悪いお菓子の化物よりも、上手な鳳翔さんが作った豆大福や桜餅の方が、ゆきおだって喜んでくれるはずだ。

 ……なんてことを考えていたら、目の前の摩耶姉ちゃんの顔が、みるみるげんなりしてくる。あからさまにがっくりと肩を落とし、うなだれ、私に対して呆れ返っているようだ。

「はぁー……涼風……」
「んー? バリバリ……」
「……いや、そういやここに来てずっとつるんでたのがあたしだからなぁ。そらぁおしとやかになんかなるはずないか……」
「それもそうだ。バリバリ……」

 いまさら何を言うかと思えば……もっと早く榛名姉ちゃんと仲直りできていれば、五月雨のような可憐な佇まいを教えてもらえていたのかも……いや、ないか。

「でもさー。想像してみろよ涼風っ」

 摩耶姉ちゃんが顔を上げ、目をキュピンと輝かせ、私の顔を見つめはじめた。なんだか輝いてる目が古鷹さんみたいで面白い。そういや二人とも重巡だった。いや全然関係ないけど……そんなどうでもいいことを考えながら、奥歯に挟まったしば漬けのかけらを取るべく、爪楊枝で口の奥を掃除していく。

「なにを? シーハー……」
「おっさんみたいだなお前……いや、お前が上手にお菓子を作ればな?」
「うん」
「雪緒が、満面の笑みで喜んで、お前を褒めてくれるんだぞ?」
「ゆきおが……喜ぶ……」

 その時、私の脳裏に浮かんだビジョン……それは、もっちもちのほっぺたになって幸せそうに、私が作った豆大福を頬張るゆきおの姿だった。なぜかゆきおの背後では眩しい光が輝いていて、豆大福を食べ終わったゆきおの目は、キラキラと輝いていた。

――涼風、おいしいっ。まるでぼくと涼風みたいだっ。

「……にへぇ……」
「ヨダレたれてんぞ」

 不思議だ。私が作ったお菓子をゆきおが喜んでくれる……たったそれだけのことなのに……それをちょっと想像しただけなのに、途端に顔がだらしなくにやけてしまう。ゆきおが、私が作ったお菓子を食べてくれる……そして褒めてくれる……

「なぁ摩耶姉ちゃんっ」
「あン?」

 ダメだ。想像しただけで胸いっぱいになるし、顔がぽかぽかと温かい。これは作らない手はない。私は早速摩耶姉ちゃんにお菓子の作り方を教えてもらうことにした。

「なんかお菓子の作り方おしえてくれ。めちゃくちゃ美味しくてあたいにも作れそうなほど簡単なやつ。んで、出来ればあたいとゆきおみたいなやつ」
「無茶振りすぎんだろッ! だいたいあたしがそんなお菓子の作り方を知ってるはずがねえッ!!」

 無茶振りだったのか……摩耶姉ちゃんは途端に耳から水蒸気をピーと出しながら、ぷんすかと怒りだした。ちくしょう。摩耶姉ちゃんのアホ。あたいだってゆきおにほめられたいのに。『美味しい』って言われたいのに。

 ひとしきりぷんすかと怒りを表現した摩耶姉ちゃんは、イライラしながらお茶をズズズッとすすっていた。そんなに大きな音を立ててはしたない……でも今言ったら余計な怒りを買いそうだ。ズズズ……

「……こういう時の適任がいるだろ?」
「適任?」
「おう」

 私が頭の上にはてなマークを浮かべて首をかしげていたら、摩耶姉ちゃんが得意げに親指を上げ、そのままそれを食堂の出入り口に向けた。そこには……

「ったく……榛名は容赦なしデース……誰も勝てないネ……」
「一航戦の私ですら……ただ艦載機をパラパラと落とされるだけとは……」
「プークスクス……だから濃口醤油なんて言われるのよ」
「開始早々艦載機を飛ばす間もなく大破したウスターには言われたくないわね」
「でもだいぶ連戦してたけど……榛名ー、平気? 疲れてない?」
「はい!」

 ……いた。こういう時の適任者が。今しがた一航戦五航戦とタイマン勝負をしてきて、完膚なきまで叩きのめしてきた、この鎮守府でも筆頭の実力者にして、私と摩耶姉ちゃんが持ってない女子力を存分に秘めた、ザ・大和撫子が。

「榛名は大丈夫です!!」



 榛名姉ちゃんの昼食が終わるのを待ち、私は榛名姉ちゃんに、何かお菓子の作り方を教えて欲しいとお願いしたところ、榛名姉ちゃんは二つ返事でOKしてくれた。

「ところで、何かリクエストはあります?」
「んーと……特に無いけど……」

 強いて言えばゆきおが喜びそうなものだけど……今までゆきおは和菓子を食べてるとこしか見たこと無いけど……思い出してみると、豆大福に桜餅……なんとなくだけど、甘いだけじゃなくて、なにかしら味にアクセントがあるものを好んで食べてるような……

「じゃあマフィンでも作りましょっか」
「まふぃん?」
「平べったく言うとカップケーキです。作り方も簡単ですし、色々アレンジも出来ますから」

 作るものは決まった。かくして『面白そうだからあたしも付き合ってやんよ』と無駄に付き合ってくれることを決めた摩耶姉ちゃんと私の二人が生徒で、榛名姉ちゃんが先生の、お菓子作り教室が幕を開けた。私たちはさっそく鳳翔さんの許可を得て調理室を使わせてもらい、マフィンの作り方を教えてもらうことにする。

「えーと……たしか……」

 榛名姉ちゃんは何かを思い出しながら調理室の中を色々と探しまわり、ホットケーキミックスとバターと砂糖、卵と生クリームと……

「冷蔵庫の中で見つけたので、これも使いましょう」

 冷蔵庫の中からブルーベリーを取り出していた。食材の準備が整った後、榛名姉ちゃんは計りを使って分量を確認しながらバターをボウルに入れ、それを電子レンジでチンして、溶かしバターを作った。

「んじゃ涼風ちゃん、溶かしバターに砂糖を入れて、泡立て機でかき混ぜて下さい」
「はーい!」
「摩耶さんは溶き卵を作っておいて下さい」
「了解だッ!」

 私と摩耶姉ちゃんは、息を揃えてボウルの中身をかき混ぜる。その様子を見る榛名姉ちゃんの眼差しが気になった。

「……」
「……榛名姉ちゃん?」
「はい?」
「……んーん。なんでもない」
「?」

 なんだか私たちを見る、榛名姉ちゃんの眼差しが、とてもうれしそうなんだけど、なんだか嬉しいだけじゃなくて、気を許すと泣き出してしまいそうな、そんな不思議な笑顔に見えた。

 私が泡立て機でかき混ぜたものに、摩耶姉ちゃんが作った溶き卵を数回に分けて加えてかき混ぜていく。充分に混ざったところで、榛名姉ちゃんが……

「じゃあここでホットケーキミックスを入れます」

 と準備していた袋をボウルの上で逆さにひっくり返し、袋の中身のホットケーキミックスを乱暴にすべてドバッと入れてしまっていた。私はよく知らないが、ケーキ作りってけっこう丁寧にやらないとダメだったような気がするんだけど……

「なぁ榛名ー。ケーキ作りの割にはけっこうアバウトに作ってるけど、大丈夫か?」

 摩耶姉ちゃんも私と同じ疑問を抱いたようだけど、まさか摩耶姉ちゃんの口から『アバウトで大丈夫か?』という言葉が出てくるとは思ってなかったため、私はけっこう驚いていた。

「大丈夫です。この作り方なら、意外となんとかなるんです。全体的にぽってりするまでかき混ぜて下さい」
「がってんだぁー」
「ぽってりしてきたら、生クリームを入れてさらにかき混ぜてくださいね」
「はいよー」

 美味しそうな黄色に染まった生地が、ぽってりとまとまってきた。そこで榛名姉ちゃんが準備してくれてた計量カップの生クリームをボウルに加え、さらにかき混ぜていく。生地のぽってり具合が多少緩んできたところで、榛名姉ちゃんは私の手を止めた。

「じゃああとは型に入れて、ブルーベリーを乗せて焼きましょう」

 これまたいつの間にか準備されていた、紙製のカップに生地を入れる。生地は意外と粘り気が強くて、中々カップに入れづらい。6つある型のすべてに苦心して生地をぽてっと入れた後は、榛名姉ちゃんに言われたとおり、ブルーベリーを載せた。

「おい涼風」
「なんだよぅ」
「鼻に生地ついてんぞ」
「ほ、ホントに!?」
「なにやったらそんなとこに生地がつくんだよ」
「へへ……」

 溶き卵を作った後、さして手伝いをせずに私たちに茶々を入れるだけの摩耶姉ちゃんにそんなことを指摘され、私は慌てて鼻の頭を拭く。通りでさっきから、ホットケーキミックスの香りが妙に鼻についてたのか……念の為ゆきおのカーディガンを脱いでおいてよかった。私は反射的に、カーディガンを畳んでしまっておいた、隣の準備室への扉を見た。

 私がうろたえている間に、榛名姉ちゃんがブルーベリーを乗せ終わったらしい。生地が入った6つのカッブをテーブルにトントンと落としている。

「なにやってんだ?」
「空気を抜いてるんです」

 その後は、これまたいつの間にか温められていたオーブンに、6つのカップを入れて、焼くだけだ。オーブンにカップを入れてしばらく経った頃から、調理室内にケーキの甘くてよい香りが漂い始める。漂う香りに気付いた私と摩耶姉ちゃんは、鼻の穴を広げて、すんすんと周囲を空気を堪能した。

「んー……いい匂い……すんすん……」
「だなぁ……すんすん……」
「ですよねー……」
「さすが榛名姉ちゃん。すんすん……」
「ま、まだ出来てないですから……」

 ほどなくして、チンという音が鳴り響いた。榛名姉ちゃんがオーブンの扉を開き、中のマフィンが乗っかった天板を取り出した。

「はいっ! 完成です!!」
「おおっ……」
「こ、これは……榛名姉ちゃん……!!」

 天板に並べられた6つのマフィンは、甘い香りを周囲に漂わせながら、ふっくらと焼きあがっていた。

「すげーな榛名……あんなにアバウトに作ったのに、すんげー美味しそう」
「これはね。特に簡単に出来るレシピなんです」
「へー……」

 思った以上にあっけなく……でもとても美味しそうに仕上がった6つのマフィン。その一つを手にとって、紙のカップを引っ剥がし、早速できたてのマフィンを一つ、味見してみることにする。摩耶姉ちゃんも同じく『あちっ……あちっ……』と言いながらマフィンに手を伸ばし、カップを剥がして、丸々一個をそのまま口に放り込んでいた。

「「んー……」」
「……どうですか?」
「「……ん!!」」
「美味しいですか?」
「おいしい! 榛名姉ちゃんこれおいしい!!」「うめえ!! これうめえぞ榛名!!」
「よかったです」

 あまりの美味しさにため息が出る。こってりというほど甘ったるくもなく、かといってあっさりというほど素っ気ないわけでもない、ちょうどいい甘さの生地に、ブルーベリーのすっぱさがよく合っている。

 試しに生地の部分だけを食べてみたが、やはりブルーベリーも一緒に食べないと物足りない。生地の甘さとブルーベリーのすっぱさが口の中で混ざり合って、ちょうどいい甘酸っぱさになって広がっていく。

 生地の甘い香りとブルーベリーのあまずっぱい香りが、鼻の奥を駆け抜けていくのが心地いい。あんなに簡単に作ったものとは思えない。そこいらで売ってるカップケーキに負けない出来のマフィンだった。

「ホント美味しい!!」
「ブルーベリーだけじゃなくて、桃や他の果物を入れてもいいですし、チーズや野菜を入れる人もいます。甘さを抑えて、そのままプレーンで紅茶と一緒に食べるのも美味しいと思いますよ」

 言われて気付く。確かにこの味は、紅茶に合うはずだ。いつも食べてたのが和菓子だったから、いつもは苦いお茶が欲しくなってたのだが、今日は紅茶が飲みたい……そんなことを考えていたら。

「ホントおいしいなー!」
「……」
「なぁ榛名姉ちゃんも食べな……」
「……」

 榛名姉ちゃんは、焼きあがったばかりのマフィンを一つ手にとって、懐かしそうに……でも、泣きそうな、複雑な眼差しで、そのマフィンをジッと見ていた。そんな眼差しでマフィンを眺める榛名姉ちゃんは今、何を思っているんだろう。

「……榛名姉ちゃん?」
「……ぁあ、どうかしました?」
「んーん……」
「?」
「なんか……ジッとマフィンを見てたから」
「あぁ……」

 摩耶姉ちゃんも、マフィンを食べるのをストップし、榛名姉ちゃんの顔を見ていた。私と摩耶姉ちゃんから見つめられたからか、榛名姉ちゃんはマフィンを見つめるのをやめず、懐かしそうに、静かに口を開いた。

「……これ、あの鎮守府にいた時に、私と金剛お姉様で考えたレシピなんです」
「……へ?」
「いつか、涼風ちゃんと一緒にこれを作って食べるんだって……きっと涼風ちゃんは、難しいのは作れないからって……でも一緒に楽しく作りたいから、できるだけ簡単にシンプルに作れるようにって、二人で色々考えたんです」

 私の胸が一瞬、キュッとしまった感じがした。あの金剛さんの笑顔が頭の片隅をかすめ、鼻の奥がツンと痛くなった気がした。

「あの……榛名姉ちゃん……ごめん……」

 懐かしそうにマフィンを見つめる榛名姉ちゃん。私はつい、榛名姉ちゃんの名を呼んだ。ひょっとしたら……私は、榛名姉ちゃんにつらい思いをさせてしまったのかもしれない。

 でも、私の謝罪を聞いた榛名姉ちゃんは、私の方を向いて、キョトンとした不思議そうな顔をした。

「へ? なんでですか?」
「だって……昔のこと、思い出させちゃって……」
「ぁあ、むしろ逆です」

 手に持っていた出来たてのマフィンをテーブルに置き、腰に手を置いて、榛名姉ちゃんは私に対して笑顔を向けてくれた。その顔に、昔を思い出した悲しさや憤りは感じられない。むしろ嬉しそうに微笑んでいる。

「このレシピはもう、涼風ちゃんに教える機会はないと思ってましたから……金剛お姉様に申し訳ないなぁって、常々思ってたんです」
「……」
「……でも、こうやってちゃんと涼風ちゃんとマフィンも作れましたし」
「うん……」
「それに、その理由がね。大好きな男の子のために作るお菓子ですから。金剛お姉様もケラケラ笑って喜んでくれてるでしょうし、榛名も、なんだかうれしくって」

 そう言って、榛名姉ちゃんはニッコリと微笑んでくれた。どうやら思い出したくないレシピだったわけではなく、本当に私に伝えたかったレシピだったようだ。一安心だし、私もうれしい。金剛さんと榛名姉ちゃんが、私のために必死に考えてくれた、思い出のレシピ……私もなんだか、胸がいっぱいになってきた。

「そっか……あたい、つらい思いをさせたんじゃないかと思って……」
「そんなわけないです。やっとこのレシピを一緒に作れて、榛名はとってもうれしいんですから」

 改めて、残り二つのマフィンを見る。知らない内に摩耶姉ちゃんがいくつか食べてしまったらしいマフィンは、だいぶ冷めてきたようで、湯気がおさまっていた。

――ヘーイ涼風ー ボーイフレンドと仲良くやるデスヨー!!

 なんだか、元気で優しい金剛さんの激励が聞こえてくるようだ。いつの間にか鼻の痛みも収まり、私の身体は、久しぶりに金剛さんに触れることが出来た喜びで、胸がぽかぽかと暖かくなっていた。

「榛名も、一個いただきますね」
「うんっ!」

 榛名姉ちゃんが、さっき自分が持っていたマフィンを再び手に取り、紙のカップをペリペリと器用に向いていく。ある程度紙をむいたところで、榛名姉ちゃんはマフィンを口に運び、『はむっ』とかわいく食べていた。

「……うん。やっぱり美味しいですね。さすがは、金剛お姉様です」
「うん。金剛さん、お料理上手だったもんね」
「もちろん、今のこの鎮守府の金剛お姉様も、負けず劣らず、素敵な人ですけどね」

 そう言って得意げに胸を張り、自分の姉の自慢をしだす榛名姉ちゃんの横顔は、本当にキレイだった。



 その後、何度か繰り返しマフィンを作り、私は金剛さんのマフィンのレシピをできるだけ正確に覚えた。分量さえ覚えてしまえば、この作り方は本当にシンプルかつアバウトで、とても簡単に作ることが出来る。2回ほど繰り返したところで、私の頭の中には金剛さんのレシピが完璧に叩きこまれたようだった。

『気になったら他のフルーツも色々使ってみて下さい。このレシピは応用が効きますから。いろんなフルーツが合うと思います』

 榛名姉ちゃんはそういい、ブルーベリーの他にも、溶かしたグラニュー糖をまぶしたバナナや、チーズなんかを入れたものも食べさせてくれた。そのどれも美味しくて、榛名姉ちゃんと金剛さんには本当に頭が下がる。

 最後に作ったブルーベリーのマフィンを二つ、手の平大のお皿に乗せて、私はそれを自分の部屋に持ち帰ることにする。一つはゆきおに上げるため。そしてもうひとつは、ゆきおと一緒に食べるためのものだ。

「よっし。これでできた! 榛名姉ちゃん! ありがと!!」
「いいえ。……雪緒くん、きっと喜んでくれますよ」
「うん!」

 榛名姉ちゃんと摩耶姉ちゃんには、後ほど夕食時に食堂で落ち合う約束をして、私は一度自分の部屋に戻ることにする。手には、二つマフィンが乗ったお皿。

「へへ……」

 今晩、ゆきおが帰ってきたら、このマフィンを持って、ゆきおの部屋に行こう。そして二人で食べるんだ。金剛さんと榛名姉ちゃんが教えてくれた、とてもおいしいブルーベリーのマフィン……ゆきお、喜んでくれるかな。

「早く帰ってこないかなー……」

 曲がり角を曲がり、珍しく誰もいない廊下を一人で歩いて、私は自分の部屋に向かう。廊下の窓から外を眺めると、まだ午後6時になったばかりだというのに、外は日が落ちて暗い。日が落ちる速さにびっくりしながら、私は自分の部屋へと早足で戻る。

「腹も減ったし……マフィンをしまったら、そのまま晩ご飯食べに行こっと」

 自分の部屋の前に到着した。お皿を両手で持っているから、懐からカギを出しづらい。左手でお皿を持ち、右手でカギをふところから出す。カーディガンの長い袖がちょっと邪魔だったが、そこはうまく調整した。だってゆきおのカーディガンだから。ずっと脱がずに着ていたいから。

 ドアのカギを開け、扉を開いて中に入る。部屋の中は真っ暗で見通しづらい。つい最近まで、この時間でもまだ電気を点けなくても明るいぐらいだったのに、今はもう、電気をつけないと見通せないほど暗い。私は手探りでテーブルの上にマフィンが乗った皿を置き、手を伸ばして、部屋の明かりをつけた。

「涼風……」

 その瞬間、私の身体が凍りついた。

 明かりがついて明るくなった私の部屋の片隅に、いるはずのない……ここにいるはずのない、私が出会ってはいけない男が、見慣れない服装で、じっと静かに、立っていた。

「……やっとだ……やっと会えた……やっと、ここまでこれたんだ……」
「……な、なんで……」
「会えてうれしいよ……涼風……」
「なんで、あんたが……」
「会いに来たんだよ。愛する……涼風に」

 その男が一歩一歩、静かに私に向かって歩いてくる。反射的に身体が後ずさろうとするが、足が言うことを聞かない。

「なんでここに……あんたがいるんだ……」

 私の身体は、問いただすことが精一杯で、それ以上動くことが出来なかった。見慣れないベージュのチノパンに白のトレーナーを着たその男は、私が見覚えのある……夢の中で何度も何度も繰り返し見た歩き方で、私のそばまで歩いてくると、静かに右手を伸ばし、恐怖で震える私の頬にふれ、そして愛おしそうにさすった。

「キレイだ……カワイイよ……素敵だ」
「なんでいるんだよ……あんたがッ……」
「なんでって……」

 ニチャリという音が聞こえた。その男が、ひどく顔を歪ませ、首を左に傾けながら、口角が引き裂かれたのではないかと思うほど釣り上げる。濁りきり、ピクピクと痙攣する眼差しを向け、私の頬をさするその手は、ドライアイスのように冷たい。

「会いに来たんだよ……お前に」
「……ッ!?」
「涼風……俺の、俺だけの……涼風ェェェエエエエ……」

 あったかくて優しいゆきおとは、何もかもが正反対の男……冷たい身体で私の身体を抱きしめ、そして私の身体を冷たく冷たく凍えさせてくるノムラは、私の耳元で、致死の呪詛にも聞こえるおぞましい愛の言葉を、静かに優しく、だがハッキリと禍々しく囁き続けた。

「涼風……寂しかったろう……俺と離れて、つらかったろう……?」
「ヒッ……」
「ずっと一緒だ……これからは、ずっと……ずっと、一緒だからな……」
「……」
「二人でいような。……涼風ぇぇエエエエ」

 逃げたかった。大きな声で悲鳴を上げ。ノムラの手を振り払い、私は、この男の胸元から逃げ出したかった。廊下に駆け出て、摩耶姉ちゃんや榛名姉ちゃんに助けを請いたかった。執務室まで逃げたかった。ゆきおの部屋まで駆けていって、そこで大好きなゆきおが戻ってくるまで、隠れ続けたかった。

 だが、ノムラへの恐怖が、私にそれらを許さなかった。移動を禁じた為にその場から動けず、呼吸を禁じられたために悲鳴も上げられず、行動を禁じられたために腕も振り払えず、そして拒否を禁じられたため、その場から逃げることも出来ない。

 私を抱きしめ、頬や頭、そして身体を執拗に愛撫し続ける、ノムラの身体と腕の感触と嫌悪感に、私は表情を変えず、ただひたすら、涙を流して耐えることしか出来なかった。

 ゆきおが鎮守府に戻るその寸前……私の心は、ノムラに殺された。

 
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