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ブラック土木の現場監督が戦国時代に転生したら、太閤秀吉に気に入られて徳川家康の親友になりました(旧タイトル:トシサダ戦国浪漫奇譚)

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第一部 小田原征伐と奥州仕置 ——「九戸城のトラウマ」
  第二十二話 公方の姫

 評定から、三日後だった。
「羽柴様。関白様が、お呼びにございます」
 宿所で帳面を広げていた俺は、筆を置いた。
 (……何だ)
 伊豆十万石は、もう頂いた。
 礼も申し上げた。口上も述べた。膝も笑わせてもらった。
 これ以上、あの人に呼ばれる用件が思いつかない。
 (呼ばれて良かった試しがないんだよな、この三月)
 俺は、肩衣を直して、宇都宮城へ向かった。
 評定の間に通されて、俺は、一歩目で足を止めそうになった。

          *

 上座に、関白がいた。
 その脇に、石田三成と大谷吉継が座っていた。
 そして。
 下座に、女がひとり、座っていた。
 俺は、二人の奉行を見た。
 石田三成が、俺を見た。
 ――目を、逸らした。
 大谷吉継は、逸らさなかった。
 逸らさずに、ほんの少しだけ、目で会釈をした。
 (……何だ、その顔)
 (ご愁傷様、って顔してるぞ、二人とも)
「――おお、秀定!」

          *

 関白が、実にいい笑顔で言った。
「よう参った。ささ、これへ」
 (――これは、来るな)
 俺は、平伏した。
「お召しにより、罷り越しましてございます」
 顔を上げると、座は決まっていた。
 俺の席は、女より、上座だった。
 (……上座か)
 四日前まで五百石だった男が、二十いくつの女人より上に座らされている。
 この座り位置そのものが、すでに何かの答えだった。
 俺は、目だけで、その人を見た。
 二十二、三、というところか。
 整った顔立ちだった。だが、頬がこけていた。
 目の下に、黒いものがある。何日も寝ていない目だ。
 着物を見た。
 ――木綿だった。
 絹ではない。染めも粗い。袖口が、少し擦り切れている。
 継ぎこそ当たっていないが、幾度も洗った布の色をしていた。
 髪も、油を使っていない。
 (……国人の娘か、嫁だな)
 俺は、そう当たりをつけた。
 千石か、二千石か。せいぜい数千石の在地領主。
 城と呼んでいるものは実際には館で、家来は五十人もいない。
 奥方が自分で帳面をつけ、自分で味噌を仕込む家。

          *

 俺は、その人の手を見た。
 膝の上に揃えられた指の節が、太かった。
 (――働いてる手だ)
 俺の中で、少しだけ、その人の像が変わった。
 これは、奥で歌だけ詠んでいた姫ではない。
 ――家を、回していた人だ。
 関白が、扇で下座を指した。
「――嶋よ」
「……はい」
「これが、羽柴秀定じゃ」
 関白は、その扇の先を、今度は俺に向けた。
「わしの弟、大和大納言秀長の養子でな。豊臣の一門じゃ」
「此度の小田原で、伊豆一国七万石と、相模のうち箱根・足柄・小田原の西口で三万石――都合十万石をくれてやったばかりの男よ」
 (……紹介された)
 (なぜ、俺が先だ)
 俺は、腹の底が冷たくなるのを感じた。
 この座は、俺のために設けられている。
 でなければ、天下人がわざわざ、下座の女人に、十六の若造の石高まで読み上げてやる理由がない。
 (……品書きだ、これは)
 女が、こちらへ向き直った。
 そして、両手をついた。
「――足利、嶋にございます」
 俺は、息を止めた。
 (……足利?)
 声は、掠れていた。
 顔は、悲しみに沈んだままだった。
 ――だが、所作は、寸分も乱れなかった。
 膝の送り方。指の揃え方。頭を下げていく速さ。
 どれ一つ、崩れていなかった。
 (……綺麗だ)
 俺は、四十年、人の頭の下げ方ばかり見て生きてきた。
 だから、分かる。
 (――これは、習った型だ)
 (それも、俺なんぞが習ったものより、ずっと上等な)
「小弓公方、足利頼純が娘じゃ」
 関白は、こともなげに言った。
「関東の、公方様の家よ」
 俺は、その木綿の着物を、もう一度見た。
 (……嘘だろ)

          *

 足利。

 源氏の棟梁。二百年、京で将軍をやっていた家。
 その分家が関東へ下って、古河と小弓に分かれて、公方を名乗った。

 ――その姫が、洗い晒しの木綿を着て、そこに座っている。
 (家が潰れるって、こういうことか)
「――秀定。下野の塩谷を存じておるか」
「……名のみは」
「五千石じゃ」

 関白は言った。

「宇都宮の下におった国人でな。喜連川に倉ヶ崎という城を持っておった」
 俺は、頭の中で帳面を開いた。
 (五千石。……持っておった、と仰せになった)
 (過去形だ)
「当主を、塩谷惟久と申す。この女子の、亭主じゃ」

 関白は、扇を開いた。

「――逃げおったわ」
 嶋子の肩が、わずかに動いた。
「北条に付くか、こちらに付くか、ぐずぐずしておってな。裁きを恐れて、城を捨てて出奔しおった」

 関白は、面白くもなさそうに言った。

「家来も、城も、田も、女房も、置いてじゃ」
 俺は、動かなかった。
 (……女房を、置いて)
 (そこにおられる人か)
「塩谷は、改易じゃ」

 関白は言った。

「本領安堵はできぬ。当主が逃げた家を残せば、逃げた者勝ちになる。……のう、秀定」
「――仰せの通りにございます」
 俺は、正直にそう答えた。
 これは、庇いようがない。
 現場の頭が、検査の前日に飛んだ。それだけのことだ。
 どんな事情があっても、残された者は元請けから信用されない。
 (……そして、残された者が、そこに座っている)
「じゃがな」
 関白が、扇を閉じた。
「この女子は、亭主の始末をつけに、たった一人でここへ来おった」
 俺は、その人を見た。
 (――一人で)
 夫が逃げた家の妻である。

 行けば、その場で首を刎ねられても文句の言えない立場だ。
 その足で、十万の軍勢がおる城まで、歩いて来た。
「弟がおる」
 関白が続けた。

「足利国朝。十九じゃ。下に、頼氏という十一の弟もおる。……いずれも、領地はない」
「わしはな、秀定」

 関白は、庭を見た。

「名門が絶えるのは、好かん」
 俺は、平伏したまま、頭の中で算盤を弾いていた。
 (――違うな)
 (好き嫌いの話じゃない)
 関東は、今日から徳川大納言家康のものになった。

 二百五十万石。日ノ本で一番大きい家である。

 その関東に、「公方」の家を一軒、独立して置く。
 (――目印を打つんだ)
 徳川の懐に、徳川のものではない旗を一本立てておく。

 それだけで、関東の国人衆は「上には関白様がおられる」と毎日思い出す。
 (うまいな、この人)
 (……で、その旗の番人は、誰だ)
 関白が、わざとらしく咳をした。
「――こほん」
 (来た)
「秀定」

「はっ」
「塩谷の旧領、喜連川より三千五百石を割く」
「――は」
「足利国朝に与え、小弓の家を再興させる。倉ヶ崎の城も、そのまま使わせよ」
「――ははっ」
「そなたが、後見役じゃ」
 (……あ、はい)
 (それは分かる。それは、分かるが)
「それから、な」
 関白は、実に軽い調子で言った。
「この嶋を、そなたの側室にせよ」
 関白は、扇で畳を、こつ、と打った。
「――上意じゃ」
「――ははっ! ありがたき幸せに存じ奉りまする!」
 俺の口は、そう言っていた。
 畳に額をつけて、寸分の狂いもない角度で。
 (――何を言ってるんだ、俺の口はァァァ!)
 条件反射である。
 前世で四十年、俺は上から降ってくるものに「はい、ありがとうございます」と言い続けて生きてきた。

 工期の短縮も、追加工事も、人員の引き抜きも、全部そうだ。

 考えるより先に、腹が動いて、頭が下がって、口が礼を言う。

 ――そういう身体になっている。
 (いや待て、待て待て待て)
 (俺、まだ祝言も挙げてないんだが)
 (正室より先に側室が来るのか。順番が逆だろ。工程が逆だろ)
「――秀定」
 関白が、俺を見下ろしていた。
「そなたには、織田の姫を娶らせる。それは変えぬ」

 男は言った。

「じゃが、関東に足利を置く以上、足利の血を、そなたの家に一筋入れておきたいのじゃ」
「――は」
「箱根の向こうは徳川じゃ。……そなたの家は、それの隣に建つ」
 (――ああ、そういうことか)
 俺の家は、今日から、徳川と関白の間に立つ杭になる。

 その杭に、織田の血と、足利の血を、両方巻きつけておく。
 (……手数料はいただけますかね)
 (いただけないんだろうな。むしろ管理費は俺持ちだ)
「――嶋」
 関白が、下座へ声をかけた。
「そなたの家は、残る。弟に継がせる。……よいな」
 女は、深く、深く平伏した。
「――御恩、生涯、忘れは致しませぬ」
 その肩が、震えていた。
 だが、声は出さなかった。
 (……あの泣き方)
 俺は、それを見ていた。
 声を出さずに泣く人間を、俺は前世で何人も見ている。

 現場の詰所の裏で。会社の階段の踊り場で。

 ――声を出したら、次の日から居場所がなくなると知っている人間の泣き方だ。
 (慣れてるな、この人)
 退出して、廊下に出た。
 石田三成が、書付を持って追ってきた。
「羽柴殿」

「……はっ」
「喜連川三千五百石、検地はまだじゃ。塩谷の帳面も、当主が持ち去ったか焼いたか、残っておらぬ」
 三成は、書付を差し出した。
「――何もないところから起こしていただくことになる」
「……承知いたしました」
 (帳面がない現場を引き継ぐの、この世で一番嫌いなんだが)
 三成は、少しだけ間を置いて、こう言った。
「――ご愁傷様、とは申さぬ」
「……」
「あの女人は、腹を切る覚悟でここへ来た。それだけは、申し上げておく」
 その後ろから、大谷吉継が言った。
「羽柴殿。奥の差配はな」
 男は、笑っていた。
「――普請より、難しゅうござるぞ」
 (分かってるよ!)
 俺は、その足で、蒲生飛騨守の陣へ行った。
 我ながら、情けない。
 だが、他に相談できる相手がいなかった。
 実家の父に言えるはずがない。養父にも言えない。
 弥七や新九郎に言えば、翌朝には四百十六人全員が知っている。
 ――そして、相手は、あの人の娘である。
 蒲生氏郷は、話を最後まで黙って聞いた。
 それから、腕を組んで、長いこと唸っていた。
「……む」
「……むむ」
 (唸ってる)
 (この人でも唸るのか)
「秀定殿」

「はっ」
「上意は、断れぬ」

「……はい」
「断れば、そなたが潰れる。そなたが潰れれば、あの女人も、足利の家も、共に潰れる」
「……はい」
 氏郷は、そこで言葉を切った。
 そして、まっすぐ俺を見た。
「――ならば、春に、正直に申せ」
「包み隠すな。今日聞いたことを、今日のうちに、そのまま話せ」

 氏郷は言った。

「取り繕えば、後から必ず露見する。人の口は塞げぬ。……あれは、他人から聞かされるのが、一番こたえる」
「……」
「これから夫婦になるのだ」
 男は、静かに続けた。
「春も、武家の娘じゃ。……致し方なきことは、分かってくれる」
 俺は、頭を下げた。
「――お恥ずかしい限りにございます」
「なんの」
 氏郷は、立ち上がって、俺の肩を叩いた。
「――わしも、同座しよう。……いや、やめておこう。わしがおっては、あれが言いたいことを言えぬ」
 (……本当に、この人は)
 その日の夕方。
 俺は、蒲生の陣の奥の座敷で、春姫と向かい合っていた。
 二人きりだった。
 俺は、全部話した。
 塩谷という家が潰れたこと。

 当主が城と家来と妻を置いて逃げたこと。

 その妻が足利の姫であること。

 関白が、その人を俺の側室にせよと命じたこと。
 言い訳を、一つも挟まなかった。
 「断れなかった」も言わなかった。

 ――事実だが、あれは自分を守るための言葉だ。
 春姫は、最後まで黙って聞いていた。
 そして、一瞬。
 ――嫌な顔を、した。
 眉が、ほんの少し寄って、目が伏せられた。

 口元が、わずかに引き結ばれた。
 一瞬だった。
 だが、俺は、それを見た。
 (……見えたぞ、今)
 (十三だもんな。そりゃそうだ)
 俺は、待った。
 急かさなかった。
 やがて、春姫が顔を上げた。
 もう、いつもの顔に戻っていた。
「――致し方のなきことにございます」
 娘は、はっきりと言った。
「関白様の上意にございましょう。……お受けなさるより、ほかにございませぬ」
 あっさりしていた。
 あっさりしすぎていて、俺は、少し胸が痛くなった。
 (この子は、たぶん、こういう話を何度も見てきたんだ)
 織田の家で。蒲生の家で。

 女がどこへ嫁ぐか、誰が側に入るか、それを誰も本人に聞かない世界で。
「……申し訳ございませぬ」
 俺は、頭を下げた。
「丘で、家を一緒に作ってくれと申し上げたばかりにございます。……その家に、まだ普請も始まらぬうちから、人が一人増えました」
「殿様」
 春姫が言った。
「その方は、どのようなお方にございますか」
 俺は、顔を上げた。
 (……そこを聞くのか)
 俺は、正直に答えた。
「木綿を着ておられました」

「……木綿」

「洗い晒しの、袖の擦り切れた木綿にございます。手の節が太うございました」
 俺は続けた。
「――あれは、自分で家を回してきた者の手にございます」
 春姫が、目を伏せた。
 しばらくして、こう言った。
「……お可哀想に」
 俺は、何も言えなかった。
「殿様」
「はい」
「奥のことは、わたくしにお任せくださいませ」
 十三の娘が、背筋を伸ばして言った。
「それが、正室の役目にございます」
 (――やめてくれ)
 俺は、内心でそう思った。
 (十三に、そんな顔をさせるな)
 俺は、畳に手をついた。
「――一つだけ、お約束いたします」
「はい」
「隠し事は、いたしませぬ」
 俺は言った。
「これから先も、こういうことは、また起こりまする。……その度に、某は、あなた様に一番先に申し上げます」
 春姫は、しばらく俺を見ていた。
 そして、ほんの少しだけ、笑った。
「……はい」
「今日、真っ先にお話しくださいましたこと。……忘れませぬ」
 陣を辞して、外へ出た。
 日が落ちていた。
 俺は、宿所へ戻って、帳面を開いた。
 ――喜連川 三千五百石。

 ――足利国朝 十九。頼氏 十一。

 ――検地帳、なし。年貢の帳面、なし。家臣の名簿、なし。

 ――後見役 羽柴秀定。
 俺は、筆を止めた。
 (……現場が、また一つ増えた)
 前世で、俺のいた会社は、現場が三つから七つに増えた半年で壊れかけた。

 仕事が増えて死ぬんだ、ああいう会社は。
 伊豆七万石。相模三万石。そこへ、下野の飛び地が三千五百石。

 しかも一番遠い現場に、一番人手がなくて、一番帳面がない。
 (……回るのか、これ)
 俺は、帳面の隅に、もう一行、書き足した。
 ――足利嶋。二十三。
 俺は、その名を、しばらく見ていた。
 (……あの人にも、帰る家がないのか)
 俺には、なかった。

 春姫にも、なかった。
 ――三人目である。
 俺は、筆を置いて、行灯を吹き消した。
 (家を建てるって、言ったもんな、俺は)
 八月一日、関白の本隊は、白河の関へ向かう。

 奥州は、これからだった。
 
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