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満願成呪の奇夜

作者:海戦型
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第22夜 人喰

 
 入念な準備をしても、戦いの結果が出るのは一瞬だ。
 数多の呪法師を葬ってきた最悪の呪獣を、生存率50%を、トレックはねじ伏せる事に成功した。

「止めは俺が刺す。ギルティーネさんはもう手出ししなくていいよ」

 そう命じながら、相手を確認する。既に致命傷だろう。辛うじてまだ蠢いてはいるが、この上位種にはもう戦えるだけの力が残っていないらしい。そちらから目を逸らし、上位種から切り離された尻尾のようなものを見やる。槍の切っ先のように鋭角的な爪は赤黒く変色している。これが呪獣の攻撃の正体だ。

 出血が少ないのは脳を正確かつ無駄ない一撃で破壊し、頭蓋ごと持ち上げているから。どうして簡単に持ち上げることができたのかは、切っ先である爪が相手の体内に侵入した瞬間に内側で開き、頭蓋につっかえる構造だったからだろう。その証拠に爪は複数の継ぎ目のようなものがあり、兜に衝突した衝撃で一部が折れている。

「一部の虫の毒針やエイの毒棘は、刺さった後に抜けにくい構造になっている……だが、これは……まるで最初から相手の体内を破壊する為だけに作られたみたいな………」

 人間が釣り針に返しを作ったように、自然な生物が変化したのではなく一定の目的のために――まるで人間を殺すためだけに変化したような構造。本体から切り離された呪獣の体は光を浴びて消滅する。トレックが見つめた爪も、やや間をおいてぼろぼろと崩れ落ちていった。

 これが、正体。けじめの形なのだと思うと、トレックはどう言葉にしていいか分からなくなる。命懸けであったのは確かだが、こうも呆気ないのか。自分を遥かに上回る才覚を見せたあのドレッドが殺されたという事実がまるで嘘のように思えてくる。しかし、現実は目の前にあった。

 これで仕留めた。もう光の中にあって少しずつ体を襤褸にされてゆく上位種の呪獣に抵抗する力も術も残っていない。仕留めて、終わる。そして報告する。あと一歩で敵討ちと、次という名の持続が待っている。トレックは一度息を吐きだし、吸い込み、拳銃のグリップを握りしめて銃口を呪獣に向けた。

「おしまいだ、死んで楽になれ――」
『オ……ア……ダ、イヤ、ダ』
「――ッ!?!?」

 それは一瞬、しかしはっきりと、人間の言葉を発した。そう思って反射的に後ずさる。
 まさか、呪獣が人間の言葉を喋るなどという言葉は聞いたことがない。混乱が加速し、息が乱れる。死に体の呪獣は声にならない唸り声を挙げながらもがき、そして、変化が訪れる。
 ごぼり、ごぶり、と濁った水が泡立つような音を立て、呪獣の腹に巨大な気泡のようなものが現れる。悍ましい体が更に醜く膨れ上がり、べしゃり、と汚らしい音を立てて弾ける。本能が悲鳴を上げた。その中身を見るな、耳を塞いで引金を引けと。しかし、金縛りにあったように指一つ動かせない、欠落者なりえないトレックだからこそ、その本能に瞬時に反応できなかった。

『ドレッドサマ……イヤダ、オヤクニモタテズ………』
「え……あ……ガ、ルド………?」
『ソノコエ……トレッ……タスケ………イヤダァ』

 貌。見知った貌。そして、その横から、下から、上から湧き出る見知らぬ貌。貌。貌。
 形だけの、表情だけの、しかし人間のそれとは違い、冒涜的なまでに現実と剥離した悪夢の具現。

『ミンナドコォ……?クライヨ、アカリガナイヨォ。コワイ、ナンデオイテクノォ』
『ニンムガ、ニンムタッセイガ、エイコウガ』
『イヤダ。オワリハイヤダ。クライ、サムイサムイサムイサムイサムイサムイ………カァサン』
『シラセナケレバ、シラセナケレバキエラレナイ』
『ドウシテダ、シネバラクニナルトセンセイハイッタノニ、ドウシテコンナニクルシイクルシイクルシイクルシイクルシイ……クルシィヨォ』
『ボクハボクガボクノボクハダレダ?ダレダレダレ、ダレデモイイ。キエテナクナル。ヤミガ、ヤミガソコマデ』

 なんだ、これは。こんな、こんな話は聞いたことがない。
 これは、この呪獣に殺された人々の貌か、魂か。
 ここにあるのか。この、呪いの塊の中に、全部閉じ込められて。
 牢獄のように出られず、拷問のようにじわじわと、地獄のように救われず、延々と死苦を味わい続けた末に、望みを捨てることすら赦されない者たちの慟哭。こんなのは知らない、知ったことではないと自分の中の誰かが叫び、引金を引こうとする。そうでもしなければ、この狂気――そう、狂気だこれは。あり得ないほどに狂ったこの光景に、現実に、心が呑まれる。

 貌の中に、自分の貌があって、永遠にそこに閉じ込められて、永遠に。永遠に。

「う、ああ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!」

 助けられないか、なんて、考えられなかった。ただ、恐怖と狂気に呑まれる心を現実に引き留める事しか出来なかった。それでも引金が引けないまま。

『オマエモ、イコウ』

 ガルドの貌を内側から突き破って飛来した赤黒い棘が、トレックの左脇腹を抉り飛ばした。

 衝撃、炎に炙られるような熱、水底のような冷たさ、遅れて激痛。

 トレックの視界は、こんなに暗い夜なのに真っ白に染まった。



 = =



 ギルティーネは、トレックが刺される直前まで彼の「手出ししなくていい」という命令に従うように動かなかったが、トレックに呪獣の不意打ちが飛来した瞬間には動き出していた。それでも放たれた矢より恐ろしい速度で発射された刺突を食い止めるには至らず、彼女の剣が呪獣に止めを刺したのは手遅れになってからだった。

『ヒトクイ……ミステル。ノカ。ヤハリ、キサ……』

 焔を纏ったギルティーネの斬撃を無数に浴びて激しく焼かれる呪獣に浮かぶ顔が、熱に魘されるように融解していく。地を這うような言葉にならない怨嗟の合唱がふつふつと途切れていき、それは数秒後にはただ地面を焦がしただけの痕となった。

 ギルティーネの目が無感動に動く。呪獣を倒した痕に浮かぶように、呪法具のような銀のペンダントが落ちていた。ギルティーネは無造作に剣を振り上げ、それに剣先を定め――。

「あ……かっ」
「………………」

 痙攣しながら吐血するトレックの姿を目に捉え、ほんの僅かな逡巡の後にトレックの下へと向かう。彼の横に燃え盛る剣を突き刺し、彼の法衣を力任せに引き破り、傷を確かめるように抉られた脇腹を凝視する。
 ぼたぼたと、心臓の鼓動に合わせるように噴き出るどろりとした血。覗く桜色の鮮やかな臓物、或いは血色を感じられない青ざめた肉。感情のひとかけも感じさせない無機質な瞳でそれを見たギルティーネは、彼を仰向けにして、その顔を傷口に近づけた。

 そして――。



 = =



 薄れゆく意識の中、ぴちゃぴちゃと、水音が聞こえて消えかけた意識が僅かに覚醒する。

 指一つ動かせない体。背中から感じられる張り付くような感触は、自分の命の源である血。熱さも、寒さも、触覚も痛覚も感じられない肉体になっている事を、心の中の誰かが冷静に自覚する。水音と、やけに大きな心臓の鼓動だけが世界に満ちていた。

 指も動かせない体なのに、視界は微かにあった。試しに視界を水音のする方に向ける。

 そこは自分の抉られた腹で、そこには、女がいた。
 美しく流れるような黒い髪。蒼緑の瞳。絹のような白い肌は、しかし部分的にとても紅い。

(ギル、ティーネ……さん)

 それは一心不乱に、或いは愛しさを込めるように、それでも変化しない平坦な表情で、自分の傷に口をつけて貪るように動くギルティーネの姿が見えた。せっかく綺麗に整えた髪は中ほどまでが血に染まり、口元は童が果実を食べた後のように赤く染まっている。

 浅ましい、獲物を食い散らかす獣のような姿。しかし彼女は人間だ。
 人間が人間を喰らう。嗚呼、なんと冒涜的な事だろう。
 しかし彼女はそれに呵責や躊躇をいった感情を、いや、そも感情などないかのように夢中に死に体の己を貪っている。不思議と恐ろしい、とかやめてくれ、とは思わなかった。

(人喰いドーラット………それも、いいか。どうせ消えてなくなるのなら、呪獣より人の体になって………)

 そこで、意識は再び途絶え、また認識が深い深い、際限などないかのように暗いところへと沈んでいった。



 = =



「回収出来たか?」

「抜かりなく。それと別件が」

「どうした?」

「奇妙な法師を発見いたしました」

「奇妙とは。具体的かつ簡潔に説明せよ」

「言葉を喋らぬ娘です。イエスノーの質問にさえ反応しません」

「……あの老人のか。分かった、こちらでどうにかする」

「それともう一つ」

「他に何か?」
























「その娘、『致死量の出血をした痕跡があるのに生きている男』を連れ、片時も離れようとしないのです」
  
 

 
後書き
ずっとしっくりこなくて書けなかったんですが、きのう風呂に入ってたら急に書ける気がして書きました。 
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