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大淀パソコンスクール

作者:おかぴ1129
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ムカつくけど、安心する
  朝~夕方

 
前書き
※今回の一口メモはお休みします。 

 
「……なんとなくそんな気がしてました。今日はこちらを気にせず、ゆっくり休んで下さい。明日は休校日ですし」
「すみません……本当にすみません……よりにもよって生徒さんの人数が多い時に……」
「それよりも、早く体調を戻してください。お大事に」
「ありがとうございます……すみません……」

 俺の必死の懇願に対し、スマホの向こうの大淀さんは、和やかに優しく、そう答えてくれた。

 昨日、くしゃみと鼻水と咳が止まらず、頭がフラフラして備考欄すら書けない状況に陥っていた俺は、家に戻った後、ベッドに盛大にぶっ倒れて、そのまま眠ってしまった。

 そして今朝。起きるには起きたのだが、どうしても身体が言うことを聞かない。起き上がろうにも身体に力が入らず、ベッドの枕元にあるスマホに手を伸ばすのが精一杯だった。

 危機感を感じた俺は、手を伸ばしてスマホを取り、そのまま大淀さんに連絡を取った。彼女は昨日の段階で、俺が相当に体調を崩しているらしいことに気付いたらしく、すでに俺の代わりに昼の授業に出る準備をすすめてくれていたみたいだった。

「うー……」

 しかし、ここまで酷く体調を崩したのは久しぶりだ……まさか、自分が起き上がれないほどに体調を崩すことになろうとは……無理に上体を起こすと、途端に世界中がトップスピードでぐるんぐるんと縦回転をし始める。これでは起きていられない。無理してベッドから起き上がっても、きっと立つことすら出来ないはずだ。

 おまけに寒い。今はもうほとんど冬だから、掛け布団の上に毛布をかぶせて寒さ対策はバッチリのはずなのに、それでも寒い。昨日みたいに、骨の奥底の冷たさに、体中が悲鳴を上げている。歯がガチガチと音を立て、少しでも身体を発熱させようと必死になっているが、それでも身体は熱を帯びない。寒さが改善されない。寒い。寒すぎる。

「うううう……寒い……寒いよー……」

 情けない言葉が出る。過去最高クラスにひどい風邪だ。医者に行きたいが、立てないんだから、そもそも医者に行くことすら出来ない。これでは治せない。今の俺には、寝ることしか出来ない。でも、あまりに寒くて、寝ることも出来ない……困った……これじゃあ風邪を治せない……。

 こんな時、一人暮らしってのは寂しいなぁ……俺はこうやって、誰にも看取られることなく、たった一人で寂しく、この世を去ってしまうのだろうか……お父ちゃん、こんな情けない息子でごめんよぅ……お母ちゃん、孫の顔、見せてあげられなくてごめんよぅ……ネガティブ妄想の悪循環が止まらない。誰だって体調崩して一人で寝込んでいるときは、大なり小なりネガティブになるはずなのだが、今の俺には、そんなことに気付く余裕すらない。

 まるで死神に取り憑かれたかのように、ネガティブ妄想に囚われた俺。ひとしきりさめざめと泣いた後、俺の体力に限界が来たようだ。段々と天井が三重に見えてきた。焦点が合わない。んー……手すら動かせなくなってきた。

「やば……」

 めちゃくちゃ寒いのに、目が重くなってくる。自分は雪山で遭難してるんじゃないだろうかと思うほど寒い。身体の震えが止まらない。音が聞こえない。視界にモヤがかかってきた……まずい……落ちる……

 すまん……川内……今日の授業……つき……あ……え……

………………

…………

……

うっすらと意識が戻ってきた気がする。少しだけ、部屋の中の様子が認識できた。

「うう……あああ……」

 何かを言おうと思ったわけじゃない。ただ、口から空気がこぼれでた……そんな感じだった。俺は言葉にならない声を、今世紀史上最弱の吐息でこぼした。

「あ、お…た?」

 なんだか誰かの声が聞こえた気がするが……誰だ思い出せん……そもそもここに人がいるわけないだろうが……

「ふぁ……」

 誰かの冷たい手が、俺の額に触れた。その手は妙に冷たくて、触れられた途端、おれはつい情けない声を出した。

 でも。俺は今、雪山で遭難してるほど寒いはずはずなのに……。それなのに、その手の感触がとても心地いい。

「ん…………だあが……うだ………………せー、が……れー」

 やっばり誰かがいる……相変わらず視界にもやがかかっていて物が四重に見えて、自分の周囲に何があるのかわからないけれど。誰かが俺の額に触れていた。そのことが、弱り切って冷えきっている今の俺の心に、じんわりとしたぬくもりをくれた。

「んー……」
「ん? ……せ? ……し……?」

 右手に渾身の力を入れ、額に触れている誰かの手に触れた。小さくて冷たいその手は、俺の右手にも心地よくて、いつまでも、ずっと触れていたいと思える手だった。

「ん……」
「ん?」
「手……きもちい……」
「んー? これ、き……い……?」

 ついポロッと本音をこぼしてしまう。今の俺の頭では、何かを隠したり、何かウソを付いたりするなんて無理だった。感じたことを、感じたままボロボロと垂れ流す、はた迷惑な状態でしかなかった。

「う……ん……」
「んじゃ、しばら…こ…しとく?」
「う……」
「しか……いなぁカシワ……んせーは……」

 俺の額に触れていた手が一度離れ、今度は両手でほっぺたに触れてくれた。相変わらず冷たい手で、触れられてるだけで身体は冷えてきてるはずなのに、その手の感触がとても心地いい。

「う……」
「きもちい?」
「ん……」

 というより……なんだか安……心……

……

…………

………………

 重い瞼が、少しずつ開いてきた。大淀さんに電話をかけた時よりも、多少頭がクリアになっている。身体にも少し力が戻ってきたみたいだ。少し眠って、多少体力が戻ってきたみたいだ。

「今……何時だ……」

 時間の感覚が狂ってる。枕元のスマホを手に取り、時刻を見た。午後6時……だいぶ寝てたみたいだ。

「もう……夕方か……」

 息を吸い、吐く。……浅い呼吸しか出来ない。体力は多少戻ったが、やはりまだ体調は戻ってない。しかも寒い。朝電話した段階で覚悟はしていたが、どうやら俺の身体は熱が出ているみたいだった。

「あ、今度こそ起きた?」
「まぁな……んー……」

 ベッドの隣に折りたたみテーブルを置いて、その前に座っている夜戦バカに返事をする。カーテンから差し込む光が、すでにオレンジ色になっている。もう年の瀬も近い。そら日没も早くなって……

「……って、なんでお前がいるんだよっ!?」

 やっと部屋の中の不自然さに気付いた。一人暮らしのはずの俺の部屋に、夜戦バカの川内がいやがった。

「おはよー」
「おはよーじゃないだろ!? げふっ……なんでここにいる!?」
「いや、カシワギせんせーが熱出して倒れたって聞いたからさ。お見舞いしにきた」

 いやいや、プラスマイナスゼロな表情でそんなこと言われても……。

「そもそも、なんでお前がここの住所を知ってるんだ……げふっげふっ……」
「大淀さんから、『今日の夜の授業は、私が見ますよー』って連絡もらってさ」
「……おう」
「んで、理由を聞いたら、せんせーが熱出したって聞いて」
「お、おう」
「んじゃ、私がお見舞いに行くよーって話したら、住所教えてくれた」
「げふっ……げふっ……鍵はどうした?」
「来たら開いてた。不用心だねぇ先生。……それとも、それに気付かないほど弱ってたのかな?」

 事の真相を、実にあっけらかんと川内は教えてくれた……ケロッとした顔で、『私、何か悪いことした?』とでもいいたげな、きょとんとした眼差しだ。

 そもそも、生徒さんに従業員の住所を簡単に教えるなんて、セキュリティ的にどうなんすか大淀さん……ッ!! 俺は今日、はじめて大淀さんに対する怒りがムラッと沸き起こった。

「んー……まぁわかった。俺は大丈夫だから、とりあえず帰れ」
「なんで?」
「なんでもクソもないだろうが……げふっ……お前は夜の授業だってあるだろ……!」

 急に頭がグラッとして、慌てて右手で頭を支える。何考えてるんだよこのアホ……いくら仲が悪くないからって……

「だいじょぶ?」
「いいからッ……帰れって……」
「帰らないよ?」
「なんでだよ……」
「カシワギせんせー心配だし」
「お前に心配されるほどじゃないって……」
「それに、大淀さんにも『んじゃカシワギさんお願いしますね』って言われたし」

 あまりに間抜けな返答だったためか……それとも、大淀さんらしからぬ非常識な物言いのためか、俺の頭のグラつきがひどくなった。頭がいつもより重く、大きく感じる。まるで誰かから下方向に引っ張られているかのように、俺は上体を前のめりに倒しそうになった。

「う……」
「ほら。せんせー全然大丈夫じゃないじゃん」

 川内が俺のもとに駆け寄り、肩を支えて、そのまま静かに仰向けに寝かせてくれた。俺の後頭部を、枕の上に乗るまで静かに支えてくれる川内の瞳は、ジッと俺を見つめていた。

 いつになくまっすぐに……それこそ、授業中にプリントを作ってる時以上の、真剣な眼差しで俺を見つめる川内。言ってることは血迷ってるとしか思えない、非常識極まりない内容だと思うが、このアホの真剣さは見て取れた。

「お前の心意気は分かったしありがたいけどな……授業あるだろ?」
「休んだ。今晩はずっとせんせー看てるから」

 アホ……それが不味いんだって……。

「んー……そろそろ晩ご飯かなー……せんせーは?」
「俺は……そうでもない……」
「んじゃ適当になんか作ろっか。冷蔵庫の中のもの、使わせてもらうね」
「人の話を聞いて……」
「せんせーの分もまとめて作っちゃうから、おなかすいたら言ってね」
「お、おう」

 くそぅ……悔しいが、こいつが一緒にいるという事実が、妙に嬉しい……なんだか心がホッとする……。台所に向かうこいつの後ろ姿に、こんなにホッとするだなんて……。

 川内がしゃがんで冷蔵庫を開け、『んー……』と唸りながら中を覗いている。

「想像以上に何もないねぇ……」

 そらそうだろう。俺は料理が趣味というわけではない。自炊はしないわけではないけれど、常日頃冷蔵庫に入っているものといえば、お茶とかお漬物とかぐらいだ。

 冷蔵庫の扉をバンと閉じた川内が、すっくと立ち上がった。なんでだ。あいつが台所に立ってる姿を見られることに、ものすごく安心できる……。なんか瞼が重くなってきた……

「ちょっと買い物行ってくる。せんせー、鍵ちょうだい」
「玄関の……げたば……こ……に」

 川内がベッドのそばまで戻ってきた。俺のそばで、優しい微笑みで俺を見下ろしてくる。なんか新鮮だ。なんか……子供の頃に母ちゃんを見上げた時みたいな、妙な安心感がある。

「あと……鍵と一緒に俺の財布置いて……あるから、持って……」

 違う……言いたいのはそれじゃない……。

「いいのいいの! 余計なこと心配しなくても! んじゃ、ちょっと行ってくるね!」

 カラカラと笑いながら俺に背を向けて、玄関に向かう川内。違う、待て。

「ちょ……」
「ん?」

 やってしまった……俺は、今まさに買い物に行こうとしていた川内の、右手を掴んで引き止めてしまった。左手で、身体がだるいのに、わざわざ上体を起こして……。

 振り返り、ちょっと不思議そうに自分の右手を見つめた川内は、次の瞬間、俺に対して、この上なく腹立たしいニヤニヤ顔を向けていた。

「どうしたの? 心細くて寂しい?」
「違うわ……」
「心配しなくても、ちょっと行ってくるだけだから」
「……うるせー……」
「だからいい子で待ってるんだよーせんせー?」

 ちくしょうっ……張り倒してぇ……俺の手を離して、その手で優しく俺の頭を撫でるこいつをッ……!! そして、そんな事で若干安心してしまう、自分自身のことも……。

 病人の俺の目にはまぶしすぎる笑顔を浮かべた川内は、そのまま俺の部屋から出て行った。玄関が閉じる音と一緒に、『ガチャリ』という鍵を閉める音も聞こえてきたから、無事に鍵は見つけられたようだ。俺の財布を持っていってるかどうかは分からないが……。

 一人になった途端、えらく部屋の中が静かになった気がした。

「う……」

 時計の針の音しか聞こえない……くそぅ……あのアホがいないだけで、この部屋をこんなにも静かに感じるだなんて……そしてそれを寂しいと思ってしまうだなんて……屈辱だ……全部、この体調不良のせいだコノヤロウ……帰ってきたら、川内のアホを張り倒してやる……。

 しばらく待てば帰ってくるであろう川内への、本気の折檻を堅く誓った俺の瞼が、強制的に閉じていった。
 
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