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霊群の杜

作者:たにゃお
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以津真天



初秋。

丈の高い桔梗に覆われた参道の端に佇み、俺は手を合わせていた。
凛と立つ花の向こう側に光が見えたとしても俺はもう行かない。参道の両脇を埋め尽くす花が、凄惨な死に方をした無数の武者を封じていると知ったから。
「えー、昔あの辺で玉虫とか捕まえたじゃん」
事情を聴いた縁ちゃんはそう云った。そう、俺も参道脇の林に出入りしていた覚えはある。花を踏み越えるたびに異界へ紛れ込むなら、俺たちは何度戦場ヶ火に襲われたことだろうか。
「結界が綻びていたんだねぇ」
俺が暫く留守にしたから…と奉は嘯いた。あっぶねぇな、そんな事情があるなら怪我が治ったらとっとと巣に帰れ。
それはともかく。俺は少しだけ、奉を見直してもいた。契約としての結界を張るために花が必要なのだとしたら、この花を植えて林を手入れしていたのは奉ということになる。あの自堕落な奉神が、俺に隠れてそんな力仕事をしていたとは。
「成仏していただけますよう…」
手を合わせて呟いたが、そもそもこの結界が彼らの成仏を阻害しているのだとしたら、俺はとんでもなく間抜けなことをしていることになる。少し笑いが漏れた。
供物に、と大福を一つ桔梗の陰に添える。今なら桔梗の向こう側に入っても安全だとは知っていながら、何となく抵抗がある。


「今年は桔梗だねぇ」


いつの間にか、縁ちゃんが後ろに立っていた。
つい2、3日前までは半袖だったのに、今は薄手のカーディガンを羽織っている。これから冬にかけて、この子はどんどん厚着になっていくことだろう。ショートパンツは何月まで履いていてくれるのだろうか。…秋は切ない季節なり。
「去年は、竜胆だったね」
「毎回毎回、いいチョイスだよねー」
「うむ、奴にしては」
「自分とこのパパを『奴』とか云っちゃだめだよ」


―――パパだと!?


「…これやってんの奉じゃないのか!?」
「んん、お兄ちゃんがこんな重労働やるわけないじゃん。向日葵の時は超!例外中の例外だよ?」
―――何という事だ。
何故、俺は気が付かなかったのだ。玉群の出入りの庭師が、玉群神社の整備に関わっていない筈がないじゃないか。そしてなにより、あの自堕落な祟り神が参道の草刈りなど…。
不覚。ほんの一瞬とはいえ、うっかりあいつを見直すところだった。
「…今日は、また差し入れ?」
縁ちゃんは小さめの段ボールを抱えていた。俺は段ボールの下に手を入れて受け取る。縁ちゃんも当たり前のように手を放した。…ずしり、とあり得ない重さがのしかかった。
「宅配便の台車に乗ってた。お兄ちゃん宛てみたいだし、残りの荷物はこれだけみたいだから届けてあげようと思って」
いい子だ。働き者だし。


彼女と肩を並べて歩きながら、ぼんやり考えていたのは、あの戦場ヶ火の草原で出会った血塗れの武者の事だ。俺の最後の質問は、奉の登場で遮られた。


この斬り合う光は、貴方と同じ者ですか。


その答えは奉から聞くことになったが。あの男は今後、月日を重ねて戦場ヶ火となるのだろう。
『さて、どうなるかね…供物を、受け取っているからねぇ』
あの後、妙に上機嫌な奉がそんなことを嘯いていた。供物が彼の運命を変える、そんなことはあるのだろうか。ポケットに残っていた飴一個が。
「もうすぐ階段終わりだよ!がんばれ!」
俺の沈黙が、荷物の重さに閉口していると取られていたらしい。俺は軽く苦笑すると荷物を抱え直した。それにしても重い。あいつはまたろくでもない本を招き入れたのではなかろうな。


「貴様ァ、南条の者ではないと申すかァ!!!」


このでかい声は…。鴫崎。
俺はとりあえず鳥居の脇に段ボールを置くと、本堂の裏に回り込んだ。案の定、今日も配達に来たらしき鴫崎が大音声で叫んでいる。乱暴極まりない配達はいつも通りだが、どうも目つきがおかしい。
「……分からん奴だ。俺は『玉群』だというのにっ……」
岩戸の隙間から、眼鏡の反射光が伺えた。鴫崎は僅かな隙間に掌を突っ込み、思い切り引っ張る。
「おのれ、たばかるかっ!貴様からは『南条』の匂いが漂ってくるわ!!」
「南条ではないと何度云えば」
「ならばお天道様の元で申し開きをするがよい!天岩戸に籠りおって不遜な奴め!!」
岩戸の裏側では奉が頑張っているようだ。…何だこの状況。鴫崎は様子がおかしいし、奉もなんか変だし。
「配達員さん!?」
止める間もなく、縁ちゃんが鴫崎に駆け寄る。奴はこちらにバッと顔を向け、吼えた。



「女子、そなたも南条の者だな!?」
「え…?私も玉群の…」
「ふん、そなたもたばかるか」
くわっと目を見開き、鴫崎はもう一度吼えた。


「だが美しいから良し!!!」


―――おい、どうした!?
お前そんな感じの奴だったか!?もう縁ちゃんドン引きだが!?
「そもそも女子に用はないのだ。南条は私が滅ぼすが、そなたはいい家に嫁に行き、子供と毬でもついて暮らすがよい」
毬て、今どき毬て……。
「それより貴様だ、洞の中の男子!!貴様は南条の者だろうが!!」
「……南条はとっっっくの昔に滅びた、と何度云えばよいのかねぇ、俺は」
心底うんざりしている雰囲気が、その声色に籠っている。おそらくこのやり取りは、少なくとも1時間は続いているのだろう。そんなにも長時間、この巨漢を洞の外に締め出しっぱなしにするとは、奉め、なかなかやるじゃないか。
「かれこれ2時間」
本堂の陰から、きじとらさんがそっと顔を出した。少し厚手のワンピースに紺色のボレロを重ねている。あぁ、秋が深まるにつれ、俺の知っている女子は厚着になっていくのだな。
「私も、入れなくて困っています。奉様、お腹を空かせているのに」
腹が減っている状態で、この状況を2時間!?なにこれ天罰!?
暇人の奉は腹でも何でも減らせばよいが、鴫崎は2時間も配達をほったらかしにしていることになる。子供も生まれるし、これから物入りだというのにだ。なんか事情がよく分からないが、俺は鴫崎の真横に回った。
「なぁ、いいのか?配達途中だろ」
「おぉ!?そなたは!?」


―――誰、こいつ?


咄嗟にそんな疑問が脳裏をよぎった。小さい頃から見慣れている鴫崎の顔のはずだった。しかしこれは。
「鴫崎じゃ、ない…」
そんな筈はない。髪型も制服もホクロの位置も、全て鴫崎のものだというのに、鴫崎の生皮を被った誰か他の人物のような…いや、そんな筈はないのに。
「外にいるのは結貴だな。気をつけろ、そいつは」
「彼の地では…大変世話になった!」
鴫崎…らしき男は、ざっと体を引くと突然膝を折り、深々と土下座を始めた。
「…配達員さん!?」
縁ちゃんは鴫崎から一定の距離を保ちながら俺の背後に回り込んだ。どうやら俺には無害な人間と見做したようだ。…女の子のこういうざっくりした状況把握力は、目を見張るものがある。
「彼の地って?」
本当に何も状況が見えてこないが、とりあえず話を合わせてみる。
「お忘れとは何と奥ゆかしい…普段よりさぞかし徳の高いお方なのでしょうなぁ」
うわこいつ絶対鴫崎じゃない!鴫崎が知るはずのない単語がちょいちょい会話に出てくる!!
「彼の戦場にて、供物を頂戴した!!」
「戦場……」


―――貴様は、どちらだ。


そうだ、この声は。
俺はこの男に、戦場ヶ火の群れ飛ぶ平原で飴を渡した。
何も照らさない無数の光と『玉群』の灯りの中で。
「応、申し遅れ相済まぬ。…我が名は島津清正。南条に仇為す者なり!!」
そう叫んで島津と名乗る鴫崎は、開かない岩戸を振り返り、睨み付けた。
「あ…どうも、ご丁寧に。青島結貴と申します」
10年来の悪友に自己紹介。なんだこの状況は。
「青島殿…何とも清々しき御名である。しばし待たれよ、ここな南条の末裔をば引きずり出して」
「あの…さっきから云う南条とは」
「このっ…岩戸に籠って出てこない卑怯者よ!!」
そう云って島津は岩戸にとって返し、再び引っ張り始めた。やめろよ~、もうこいつ嫌だよ~…と、奉がとうとう弱音っぽいものを吐き始めた。限界近いらしい。…このまま奉が絞め殺されたりしたら、かなりの確率で縁ちゃんの子供が『奉』にされるし、鴫崎は幼子を残して縄を打たれてしまう。…いやいや、その前にきじとらさんがそっと匕首を抜いて構えた!


「―――今日も、供物をお持ちしました」


非常にまずい。このままではお縄どころか鴫崎が幼子残して鬼籍に入る。俺は意を決した。島津が、え、供物?と呟きながら振り返る。奉への差し入れとして持ってきた塩大福を掲げると、岩戸の隙間から『やめろ、それだけは!』みたいな声が聞こえた気がしたが無視する。ほんとふざけんなこのギリッギリな状況下で。
「供物の見返りを、一つだけお願いできますか」
島津は相好を崩して頷いた。
「俺はその、岩戸の男と幼少の頃からの付き合いですが、南条という言葉は聞いた事がありません。本人すら、自分が南条であることを知らないかも」
「しかしこの男からは南条の気配が!」
「貴方が今、南条の『女』を美しいから、と見逃したように」
俺は慎重に言葉を選びながら、島津に向かい合った。
「家は滅び、血だけが、残ったのでは」
「―――うむぅ」
承服しかねる、と云いたげに、島津は俺を見下ろした。平原で会った島津はもっと小さかったが、この猪突猛進な性格には鴫崎のような体格の方が似合っている。
「彼を南条と断定するのは、少し待っていただきたい。そして貴方が使っているその…男は、俺の親友です。人を殺すと、罪人として捕まってしまう」
岩戸に隠れている引きこもりの為でなく、鴫崎の為に…と頼み込み、土下座寸前までいったあたりでようやく島津は渋々、取引に応じた。
「――― 千年を超える程、待ったのだ。いつまで、届かぬ怨嗟を抱えてあの地獄を彷徨い続けるのか、と」
歯の隙間から染み出すような低い声で島津は呟き、岩戸から離れた。
「いつまで、我らの骸は腐り地に還ることすら出来ず、昼も夜も知れぬ闇に打ち捨てられ続けるのか、と」
それは狂気のような時間であった。島津は、そう呟いてがくりとうなだれた。


「……あり?」


俺の前で茫然と佇んでいたのは、今起きたばかりのような顔をした鴫崎だった。
「……今、何時?」
急に時間を聞かれて一瞬戸惑ったが、スマホを取り出して画面をかざす。鴫崎の顔がみるみる強張っていった。
「じ、時間指定!!時間指定の荷物が!!俺2時間も何やってた!?てか何だこの塩大福!?」
「嫁さんに土産だ、持ってけ」
「お、おうサンキュ…また今度ゆっくりな!!」
ほんっとここに来るとロクな事がねぇよ、と叫びながら、鴫崎は慌ただしく石段を駆け下りていった。



「―――『供物』の預け先はアレで間違ってないか」
岩戸の陰で仏頂面をしている奉に声を掛けると、苛立たしげに足を踏み鳴らす音が聞こえた。
「間違っているに決まっているだろうが。…あれは俺への供物」
うっわ、超不機嫌だ。きじとらさんが、小さな風呂敷包みをそっと掲げた。
「奉様、お食事は用意してきましたから…」
「嫌だ。塩大福がいい」
子供か。
「参道の桔梗の陰に一つ置いてきたが…それこそ供物として」
「ならばそれを貰う」
「ちょ…やめなよ!地面に置いたやつだよ!?あそこたまに猫がトイレにしてるよ!?」
岩戸から身を乗り出した奉を、縁ちゃんが押しとどめた。…こいつに関わる女は苦労が絶えないな。
甘いもの買ってきます…と石段を静々と降りていくきじとらさんを追いかけるように、縁ちゃんも『ツタヤ行ってくる』みたいなしょうもない理由で帰って行った。…もう少し、ゆっくりしていけばいいのに。



「…急激に女っ気が消えたな」
「黙れ裏切者。お前は今日いっぱい、俺の敵だ」
きじとらさんの包みを解きながら、相変わらずの仏頂面で呟く。俺はきじとらさんが淹れていってくれたお茶を啜る。
「お前な…俺が供物で交渉しなかったらもっと長引いてたんだぞ。俺はお前の為に何度、人外に土下座させられるんだ」
「……新米だねぇ……」
おむすびを口いっぱいに頬張る奉の表情が、少し緩んだ。腹いっぱいになったら怒りが落ち着いたのか。子供か。
「第一、どうして『彼』が結界の外に出て来ている。出さないための契約じゃないのかよ」
「俺が出した」
「は??」
熱い茶を啜り、奉は小さく息をついた。
「お前だろうが『供物をしたい』と云ったのは」
「直に渡したいって意味じゃねぇよ!?お歳暮じゃねぇんだから!!」
「結界の中に供物は届かない」
―――俺も興味が湧いたんだよねぇ、千年狂わなかった人間の魂に…と恐ろしい事を呟きながら、奉は沢庵を噛んだ。
「幸い、祀りたいと云う知り合いもいるしねぇ。面倒な後処理はそいつに任せて、と」
「あぁ殴りたいなぁこいつ」
声に出た。
「その興味が先立って、ついうっかり忘れてたんだよねぇ、どうしてこいつらが閉じ込められていたのかを」
「なんでそれを忘れるの!?お前なんのためにここにいるの!?」
「祀るとなると、ご本尊がいるねぇ。そう思った矢先、偶然この春手に入れた石像っぽいものが暇そうに横たわっていた」
視線の先に、今年の春先に境内に大量放置されていた遮光式土器が打ち捨てられていた。
「結界の中からあいつを引っこ抜いて、ひとまずコレに宿らせたわけだ」


―――それだよ。


「すると何か、お前はあの武士を遮光式土器に宿らせてそれを俺に拝ませようとしていたのか」
「そしたらもう、怒る怒る。土器も割れんばかりにねぇ」
怒るわそれは。千年の怒りも再燃するわ。いらんことばっかりしやがって、こいつ死んだらいいのに。
「そして通りすがりの鴫崎に飛びかかり、躰を乗っ取り、南条を亡ぼすとか叫びながら岩戸をこじ開けるあの状況に至る」
「徹頭徹尾お前のマッチポンプじゃねぇか」
彼がずっと口にしていた南条…というのは思った通り、玉群が『玉群』を名乗る前の苗字だったらしい。
「……で、鴫崎はこの後どうなる?」
「……ご本尊ってことになるねぇ。普段の生活に差し障りはないが、定期的に祀ったほうがよかろう」
「祀るだと!?鴫崎をか!?」
「あー…甘いものでもやればいいんじゃねぇの?そのうち気が済んだら成仏するだろうねぇ」
「気が済むのって『南条』が滅んだ時じゃね!?」
―――ややこしい状況作りやがって、本っ当にこいつは…。
「内を向いても外を向いても祟り、祟り。業の深い家だねぇ、我が実家は」
くっくっく…と笑いながら、奉は湯呑を置いた。笑ってる場合か、鴫崎が大変な事になってんじゃねぇか。
「その祟りを無駄に撒き散らす祟り神もいるしな…」
「しかしアレだねぇ。千年失われなかった自我というのは…」
二つめのおむすびを咀嚼しながら、奉は小さく息をついた。



「キャラがクドいというか、しつこいねぇ…」


お前が云うんじゃねぇよ、という意味を込めて、俺はおむすびを一つ強奪した。
彼は云っていた。いつまで、我らの骸は腐り地に還ることすら出来ず、昼も夜も知れぬ闇に打ち捨てられ続けるのかと。俺は何となく、昔誰かから聞いた不思議な鳥のことを思い出していた。


それは戦場に現れ、『いつまで、いつまで』と啼き続ける。…いつまで、死体を放っておくのか…と訴える鳥。以津真天、とか云った、確か。彼の結界が果てしなく昏いのは、上空を覆い尽す以津真天の翼のせいか。
「―――啼いてるねぇ、以津真天」
あぁ、お前だったか。俺に以津真天の話をしたのは。

 
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