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ドリトル先生と沖縄の蛇達

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第十幕その十二

「学問だからね」
「神学なんだね」
「もっと言えば宗教学?」
「そちらになるんだね」
「先生って神学でもあって宗教学者でもあるから」
「だから」
「そうだよ、宗教学者として」
 本当にというのです。
「学ぶことだよ」
「そうだよね、先生らしいよ」
「それじゃあこれからもね」
「そちらの学問も頑張ってね」
「是非ね」 
「そうさせてもらうね、それと」
 ここでこんなこともお話をした先生でした。
「今度機会があればお寺にも行くけれど」
「お寺に?」
「仏教のお寺になの」
「行くんだ」
「そうするんだ」
「そう、そしてね」
 そのうえでというのです。
「座禅を組ませてもらったりするよ」
「ああ、座禅ね」
「修行の一つだね」
「あれもするんだ」
「座禅も」
「そうだよ、お経は仏教を学ぶ時も読んでいるけれど」
 詠みもしています、先生は最近では仏教も真剣に学んでいます。先生の学問は本当に広く深いものなのです。
「座禅はね」
「それはまだだから」
「それでなんだ」
「組ませてもらう」
「経験として」
「そうさせもらうんだ、座禅はね」
 先生はその座禅についてさらにお話をします。
「痛いっていうけれどね」
「ああ、足が」
「かなり変わった座り方だよね」
「インドでああした座り方してる人いるけれど」
「どうもね」
「かなり変わった座り方だね」
「だから座れるかどうか問題だけれど」
 それでもというのです。
「やらせてもらうよ」
「色々と気になるけれど」
「じゃあ座禅も組んでみてね」
「そうしてね」
「是非ね」 
 先生は奄美大島でこうしたお話もしました、そしてそのうえででした。ヒヤン達を本島にまで連れて行くのでした。 
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