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飛海寨城地獄変

作者:藤井機斎
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遡行

 玄天街七番街のある雑居ビルに、銀河標準文字で『プレストン探偵事務所』と書かれた立て看板がある。言わずもがなパイソン・プレストンの探偵事務所である。探偵事務所といっても、探偵としての仕事は少なく、仲介屋などの副業で口に(のり)しているのだが。

 玄天街に探偵という職業の需要がないわけではない。
 ただ、パイソンの事務所よりも大きな探偵事務所が既にあり、更には、仕事の正確さには一定の信頼を寄せているのだから、必定、弱小のプレストン探偵事務所がワリを食う事になるのだ。
 加えて、パイソン自身の不承不承(ふしょうぶしょう)とした態度が事務所の評判を落としているのだが、当の本人は自覚しているのかどうか。

 閑散とした事務所に来客を告げるドアベルが鳴り響く。事務所内は、入って右手に来客用のテーブルとソファーがあり、パーテイションで仕切られた向こう側に薄汚れた執務机がある。左側には、ちょっとした空間になっているようだが、遮光幕(カーテン)で遮られていた。

部屋に人がいないせいか、照明付きの天井扇は沈黙しており、薄暗い部屋に、開いたドアの向こうからの光に当たった箇所だけが、ぽっかりと浮かび上がっている。事務所主の趣味か、数着の背中を向けたヨコスカジャンパーが壁に掛けられ、飾られていた。色の違いはあれど、背中の刺繍は全て錦蛇の意匠である。

「帰ったぞ~……」
「……」

 疲労困憊といった事務所の主とMBライダーの少年が、凱旋した。

 ようやく仕事から解放されたパイソンだったが、足取りは重い。ほぼ徹夜で仕事にあたり、しかも、煙草(ガソリン)を絶たれるという無体な宣告があっただけに、心身ともに疲れ果てているのだ。直接壁に打ち込んだフックに着ていたヨコスカジャンパーを掛けると、奥の安っぽい執務机へ向かう。ギシギシとあまり愉快ではない音を立てる椅子に体を沈め、執務机に足を放り出すと、そのまま死んだように眠りについてしまった。事務所に辿り着いてから一分ほどの早業である。

 神門は寝入ったパイソンの代わりに事務所の扉を施錠し、入って左側のカーテンを引いた。果たして、遮光幕の向こうから現れたのは簡易ベッドだった。他には家具がない、お世辞にも広いとは言えない空間である。ベッドの足元には特殊な外殻が備わった背嚢が置かれている。

 寝ていても軍刀をすぐさま抜ける位置に立てかけ、軍服の上着は壁面に設えられたフックに掛ける。ベッドに横たわると、ここ数ヶ月で見慣れた天井が出迎える。瞳を閉じれば、眠りは思うよりも早く訪れた。神門の意識は、ぽっかりと口を開けた無意識の沼に深く沈み込んだ。


 * * *


「――ッ!?」

 覚醒めは突然だった。識閾を揺蕩っていたというよりは、無意識の深海より急浮上したかのような。急浮上にかかる負荷は海でも識でも同様なのか、痛めつけられた肺の悲鳴にむせた。

 酸素不足にあえぐ視界が捉えたのは、広がる荒野と空を刺す一本の(いと)。天から地獄へと伸ばされた蜘蛛の絲の逸話を想起させたのは、完成途上の軌道エレベーターか超高層ビルか。続き、その荒野に座り込んだ軍服を着た己の身体を見下ろす。

「気づいたか」

 どこか枯れた印象と業風を思わせる声の主は、煙草を咥えた暗い金髪の男だ。派手な錦蛇の刺繍が施されたスカジャンを着込んだ中年の男。背は然程高い方ではないが、補って余りある筋肉の鎧を纏っており、強者の臭いを漂わせている。
 だが、一番眼を引くのは面貌(かお)の眼帯だ。左目を覆う眼帯の下には、一体どんな過去と感情が眠っているのだろうか。
 そして、残された右眼は神門の一挙手一投足を逃さぬと、蛇のように油断なく見据えている。

「俺はパイソン・プレストン。お前――名前は?」
「……ぁっ」
「あん?」

 その時、意識を取り戻すまで自分の名を忘れていた事実に気づいた。喉まで出かかって――声に出来ないもどかしさが心を縛る。たとえるなら、不意に思い出そうとする他人の名前だ。喉に引っかかったそれを、蜘蛛の絲の如く細い細い絲を手繰り、なんとか声に乗せようとする。

「……み、かど。た……龍神神門……」

 識閾下の海に沈んでいた自らの名前を神門はようやく口に出来た。前後の記憶はない。識の井戸に置き去りにされたままだ。思い出そうとすると頭に記憶の切れ端と共に鈍痛が趨った。頭痛に苛まれ、切り刻まれた記憶を再構築しようと試みるが、残念ながら整合が取れない一瞬一瞬の記憶では思うようにいくわけもない。
「お前、記憶が喪失(ない)のか? まあ、そう珍しいことでもないか」

 そう、そこまで珍しいことでもない。三年戦争が終結したとはいえ、まだまだ戦後の混乱は人々の限界を試すように精神に負担を与え続けている。戦争帰りの兵士にしても記憶の混乱や、薬物に走ってすすんで脳を壊す輩も後を絶たない。

 実際、今の神門はどうなのだろうか。今、身体を支配している人格(みかど)は薬物で脳を切り刻むなど愚かの極みだと考えている。少なくとも、自ら薬物に手を出そうとは断じて思わない。
 では、戦場のショックで頭をやられたのだろうか。その割には、思考ははっきりしているように思える。

 手がかりを求めて着ている軍服をまさぐると、指先がポケットの中の何かを捉えた。探れば、四つ折りに折りたためられた紙片だった。開けば、そこには秋津語でこうしたためられていた。

 曰く――『私は飛海(フェイハイ)城にいる。 氷月信光(ひづきのぶみつ)

 氷月信光――その名前を認識した瞬間、奔流のように記憶が襲いかかってきた。

 ――氷月信光――養父――虎狛(こはく)――同じ日に生まれた――宙ぶらりぶらり――白い怪人――激痛――再誕――終戦後すぐ――一八の誕生日――存在が裏返る悪寒――そして、そして――

「――ッぁ……はぁはぁ」

 一度に迫り来た記憶は神門の脳をひとしきり打ちのめし、引いていった。その激流の中からなんとか記憶を捕まえ、再構築していくも、とりわけ前後の記憶を中心に神門の過日の物語は欠損している。記憶の波に身体も引きずり込まれたらしく、溺れていたかのように荒い呼吸を繰り返す。耳元で早鐘を打つ心臓ががなり立てているように、鼓動がやけにうるさい。

「おいおい、大丈夫かよ」
「……ええ」努めて息を落ち着かせ、神門は応えた。未だ、心臓の音は耳を聾しているが、鼓動の律動は呼吸に併せて治まってきているようだ。「なんとか……」
「まあ、依頼だし仕方がないか」

 ふう、と紫煙を吐き出し、面倒くさそうに頭を掻きむしりながら男――パイソンはそう結論づけたようだ。

「乗れよ。とりあえず、俺の家まで連れて行ってやる。面倒見るのも依頼の内だったしな」

 親指で指し示したのは軍の払い下げ品とおぼしきトレーラーだ。確か、エクシオル軍の制式トレーラーだったはずだ。

「さっさと乗ってくれ。歩けるんだろ?」

 早く帰りたいという態度を隠そうともせずに、素早く運転席に座ったパイソンが乗車を促す。神門が助手席に身を沈めると同時に、天刺す絲を目指してトレーラーは土煙をまき散らして急発車した。 
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