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飛海寨城地獄変

作者:藤井機斎
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悪夢

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。

 龍神神門(たつがみみかど)が意識を取り戻すと、彼は鈍色のコード群に宙吊りにされていた。コード群は彼の手足に絡みつき、更に、丹田の周りにあたかも同化するかの如くに貼り付いている。そして、奇妙な事にそれらは蠕動しているのだ。脈打つ動きに導かれて、淡い光がコード内部を走る。その様は、まるで有機的機械に取り込まれたようで――。自分がどうして、このような縛めを受けているのか――。不可解な事に、神門は、直前の記憶が曖昧だった。

 そして、自身の格好といえば、これもまた不可解なもので、腰に申し訳無さげに布が巻かれ、殆ど全裸といって差し支えない。

 神門はどうにか縛めを解かんと藻掻こうとしたのだが、残念ながら糸繰り人形めいた身体の首から下は彼の意思を認めず――そして、感触も含め何の反応もしない。麻酔で全身の感覚を消し、更に生命機能だけを残し、首を断たれればかくやとこそ思われた。首以外は、指一本に至るまで露ほどの反応もない。

 動くこともままならない己に歯噛みする気分で、神門は目の前の光景を見る。

 洞穴だろうか。
 暗がりと鍾乳石と石筍、そして石灰華柱。鍾乳洞を思わせる空間に、神門はいた。
 吊られた身体より一メートルほど下には、靄々と白霞(しらがすみ)が覆い尽くし、宙と地の境界線もまた朧で茫乎としている。

 いや。

 先ほどよりも視力を取り戻した神門は気づいた。ここは――鍾乳洞では断じてない。

 鍾乳石と石灰華柱と思われたそれは、様々な屍骸の臓腑や骨や角、そして機械部品が融合し、木乃伊(ミイラ)化、若しくは化石へと化したかのような……。よくよく見てみれば、石灰華柱は巨大な腕が地に手を付いているようにも見え、地に根を下ろした巨木でもある。正に、醜怪といった言葉が似つかわしい。それは、暗い茶系の色が複雑に混ざり合った瑪瑙に似て――。

「神門ーー!」

 胸中を侵食しつつあった感懐を、ふいに己の名前を叫ぶ声が打ち切った。

 声の方向――神門からは左の方向へと顔を向けると、鏡写しで鈍色に囚われた少年がいた。

「――虎狛(こはく)!」
「神門!」

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。

 互いの名を呼ぶ少年たちの声を呼び水に、三つの白い影法師が白霧より植物が生えたならばかくもあろうと、ぬきりと姿を現した。それだけで、場の瘴気とも言える、常識の(ひず)みを更に深化させる。何故か影法師の姿を認めた瞬間、神門の本能に近しい部分はそれらを生物的、否、存在的にヒトの上を往く『何か』と捉えた。はたして、予感とも野生とも言える異感覚は正解だったのか。

 三つの影法師は、それぞれ白霧の色の法衣を纏い、表情をフードで隠している。

 小柄な影法師は、少年たちよりも身長は低いだろうが、如何なる左道の業か、身体が中空に浮いていた(ヽヽヽヽヽ)
 すっぽりかぶった外套(クローク)に似た法衣のフードに隠れている相貌の――眼窩があると思しき箇所から木洩れ出る白光が少年たちの瞳を感光させ、視界に青とも赤とも言えぬ残像を灼きつかせる。

 向かって右側は法衣に包まれているとはいえ、かなり筋肉質な長身だ。
 その大樹めいた手足、巨岩の肉体を誇示しているのか、法衣が覆う面積は狭く、上半身は殆ど剥き出しといっていい。
 そして、剥き出しの身体は――人在らざる碧い光沢を放っていた。碧い結晶から偉丈夫を彫り起こしたとでも言えば、かくもあろうかといった威風である。

 そして、最後の左側。
 身長といい、陰翳といい、法衣の意匠といい、女性のそれを思わせる。背中でつながった両袖から上腕を通し(たもと)みたく広がり、腕の長さを越え、最早引き摺るほどに長い。肩を露出したドレスじみた法衣は、身体にフィットする部分とゆとりを持たせた部分が存在し、主のスタイルを際立たせている。
 妖艶な肢体の肌は、病的というより不自然な屍蝋の白さ。ヴェールに見えなくもないフードから覗く淡い緑青色の髪が、少年たちを捕らえている鈍色の枷と同じように、末端へと蛍火を断続的に走らせる。

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。

 中央の、小男とおぼしき法衣の主が少年たちを見上げるように顔を上げる。

 相貌はヒトのそれに準じているのだが、肌膚から目に至るまで人類を逸脱していた。
 先ほどから視界を感光させている双眸|は、黒く小さな瞳孔を覗いて、白く濁った鬼火に燃えている。カサつき罅割れた肌は、産毛もなく、内部を蟲が這いずり回っているかのように蠢き、それに呼応するように、トライバル・タトゥーに似た幾何学的な紋様が赤黒く浮かび上がり、消えていく。
 寄せて返す波じみた紋様は、何らかの文字を象ったかのようでもあり、或いは無作為に書き描いた野放図な芸術の産物にも思えた。

 天啓を授かった聖人の所作で小男が恭しく両腕を天に掲げると、法衣の隙間から六指が顕わとなった。人間で例えるならば、外側にもう一本拇指(ぼし)が追加された六指だ。肌膚は顔のそれと同じく、乾燥した大地の色をしており、紋様が現れては消えていく。

「シュゥワッァ!」

 独特の呼気で放たれた声は六指に変容を齎した。一瞬、脈動よろしく手が撥ねたかと思えば、赤黒い幾何学文様が手の甲を覆うように構成され、指の範囲を越え、猫科猛獣の鋭さをもち、しかし、湾曲せず真っ直ぐ生え揃った爪の様相を(てい)した。紋様拵えの爪はどこか外科医の持つ手術刀(メス)を連想させた。

 爪の怪人(シザーハンズ)は掲げた手をそれぞれ少年たちへと向けると、爪より闇さえ貫通しうるレイザーを放った。赤へ青へ黄へと変色しながら、レイザーは少年たちの身体を舐める動きで這い廻る。這われた肌膚から体組織が変化を齎し、魔物が内より蠢く違和感が痛みとなって襲いかかる。

 神門は恐怖した。何がどうなっているのかは理解できないが、この異常な痛みに恐怖した。

 これより激しく鮮烈な痛みも経験があった。これよりも鈍く沈殿する痛みも経験があった。

 だが、しかし。
 この痛みはまるで――。

 人たらんとする事をせせら笑うかのような、人の殻を引き裂かんとするかのような、そして、人としての存在が裏返っていくような痛み。それは、存在を侵された原初の痛みだったのだろう。

「神門ォォォッ!」
「虎狛ぅう!」

 痛みの中で互いを呼び合う少年たちは、我知らず、コードの絡んだ片腕を互いへと伸ばしていた。先ほどまで露とも反応を示さなかった手が動いていた事にはお互い気がつかなかった。痛みを和らげ合うためか、はたまた、相手を助けようとするためか。

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。

 再誕の儀は続く。

 視界が歪み、霞んでいく。まるで、ここは現実ではないと言わんとばかりに。ここは悪夢。実ではない虚の世界。

 はたしてそうだろうか。
 頭に響く耳鳴りがこびりついて離れない。

 ――宙ぶらりぶらり。

 ――宙ぶらりぶらり。


 * * *


 ――がたりごとりごとり

 ――がたりごとりごとり

『次は玄天街七番街、玄天街七番街』

 ――がたりごとりごとり

 ――がたりごとりごとり

 ……規則正しく、車輪が軌条(レール)の繋ぎ目を通る音が聞こえる。

 ふと、意識を取り戻した神門は、玄天街環状線の車内にいた。
 いつしか眠っていたらしい。神門は横座席の椅子に座り、車窓の枠の段差に右の肘をかけ、二の腕を枕にしている。

 どうやら、昨夜の作戦は思っていたより心身に負担がかかっていたらしい。寝入っていたとしても神門は敵意が近づくと、すぐさま目を覚ますよう訓練されている。更に左手はいつでも軍刀の鯉口が切れる状態である様子を見れば、少しでも聡い盗人ならば安易に手を出そうとは考えはしないだろう。だが、だからといって、我知らず意識を失うなどと不覚にもほどがある。

 念のため、持ち物の確認をして、不備の無しを認めると、眠気を誤魔化すように眉間を揉みほぐす。窓の向こう側は朝だというのに薄暗く、外を眺めた神門の顔を曖昧模糊に映し出し、仄暗い景色と同化させる。

 朝の玄天街環状線は客が少なかった。車輛には神門の他に、船を漕いでいる男と子供が二人――おそらく親子であろう――が乗っていた。
 男はなにか夜半からの仕事を終わったとみえ、眠りの世界からの手招きに抵抗してはいるものの、戦の趨勢は明らかに睡魔にあった。
 そんな様子の父親を起こそうとはせず、子供二人は自分たちだけで騒がぬ程度に遊んでいる。年齢の割に、考えが回る子供達だ。

 そういえば、昨夜から何も口にしていない事に、今更ながらに神門は気がついた。
 懐から、念の為に用意しておいたブロックタイプの携帯食を取り出すと、窓の外を見ながら口に入れようとした時。窓の向こう側、薄闇の景色と合わさり、兄弟が座席の仕切りの先から顔を出し、神門を――正確には神門の持っている携帯食を見つめている様子が、目に入った。

「……」

 おそらくは、飢えるほどではないとはいえ、満足な量の食事はなかなか取れないのだろう。戦争が終結したとはいえ、時代はまだまだ人に優しくない。

 神門は一口囓ると、携帯食を窓枠に置く。

『まもなく玄天街七番街、玄天街七番街』

 車内アナウンスが目的地の到着を告げると、やおら立ち上がる神門を認めて、兄弟が座席の仕切りから出していた顔を引っ込めた。

 列車が完全に停車する前に、鞘鎖を鳴らながら、出口扉へ去る神門を見送ると、兄弟は彼が窓枠に『忘れていった食べ残し』のブロックタイプ携帯食を手に取り、二つに割って分け合っている。

 彼らの様子を、閉まった扉の薄暗い窓の反射から認めると、先ほどの夢を思いだし、神門は今は遠くなってしまった過日へ思いを馳せる。

 断片的に古い記憶から、次第に時代を駆け下りていき、先ほど見た悪夢の光景で鈍い頭痛に阻まれた。未だ、あの記憶は、夢の中で足元をじゃれついていた白靄(はくあい)に包まれている。この記憶さえ完全ならばと幾度となく思っただろう。それが叶わぬからこそ、この玄天街を彷魔酔(さまよ)い続けているというのに。

 気がつけば列車は停車していたらしく、自動扉が開き、六番街とはまた違った匂いの空気を感じた。

 玄天街七番街駅の千鳥式ホームとなっている歩廊(プラットホーム)は、多少列車との間隔が広く、列車の扉の方が高くなっている。列車もそれぞれ別の鉄道列車から買い上げたと思われる、色も大きさも異なる蓄電池式機関車と付随車がチグハグな、どこかコラージュめいた印象を与える。元々、玄天街環状線は正規の鉄道会社が運営しているわけではなく、知識やノウハウを持った有志が集まり、払い下げの列車と軌条(レール)を元に環状線を取り繕っているに過ぎない。この程度の不便もむべなるかな。むしろ未だこれといった事故がないのは、彼らの優秀さの賜物と言えるだろう。

 玄天街七番街の歩廊へと神門は降り立った。前の黒い蓄電池式機関車の車体側面から、機器冷却のためか噴き出された白霧が神門を包み込んだ。白い遮光幕(カーテン)で覆われた視界の向こうには、幾つもの人工の光が透けて見えている。次第に白い靄が晴れていき、神門の視界が玄天街には似つかわしくないきらびやかさを捉えた。 
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