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飛海寨城地獄変

作者:藤井機斎
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神門

 払暁を迎えたとはいえ、陽光の恩恵を充分に与れない玄天街六番街のとある雑居ビルの前に浮遊推力二輪車(スラストバイク)が降り立つ。バイザーで包まれたフルフェイスヘルメットがライダーの表情を完全に秘め隠している。

 詰襟の黒いライダースジャケットに似た軍服は、MBライディングに耐えうるよう誂えられた特別製だ。丈夫そうなカーゴパンツに巻かれた剣帯には軍刀を一振り差しており、艶の失せた黒塗りの鞘につながれた、絡みつく龍があしらえられた銀細工の鎖が鏘然(しょうぜん)と耳に心地よく鳴る。

 未明より、飛海(フェイハイ)解放戦線の作戦に参加し、獅子奮迅の活躍を見せたサイクロップスの少年である。

 追尾を躱すため迂回やUターンを繰り返し、ようやく飛海(フェイハイ)解放戦線のアジトまで戻ったのだ。

 アジトである雑居ビルの地下に続く階段の前に浮遊推力二輪車《スラストバイク》を放置する。こうしておけば、五分と経たずに盗人ども(ハイエナ)の餌食になる。彼らも足がつくことはしない。落ち着ける場所に移動させたら即座にパーツに分解し、それぞれ別のルートで売りさばく。彼らも得をし、飛海(フェイハイ)解放戦線にとっても手軽に証拠隠滅を行える。

 ゴッゴッと軍靴(ぐんか)の重い跫音を立てながら、薄暗い階段を降りると、重厚そうな金属製の扉が見える。前には、見るからに屈強な大男が二名、侵入者を遮る門番の役目を担っていた。少々バランスが崩れた感のある体躯は、おそらく人工筋肉を移植しているのだろう。両者ともに、彫りの深い顔立ちに鋭い眼光を放ち、少年を睨みつけるように見据える。

「…………」

 少年から向かって右側――顔にまで刺青を施した白人男が扉を開け放った。

 瞬間、腹の底にまで響くほどの重低音が出迎えた。オーディオアンプより過剰に出力された暴圧的な音の渦に、少年の鼓膜が翻弄される。暴力的で退廃の色濃い、旋律と呼ぶには余りに禍々しいそれを、地の底を思わせる低音からのしゃがれた絶叫が彩る。だが、人ごみの一人が少年を認めると、中にいた十数人の目が少年を射抜く。同時に、アンプから垂れ流されていた、揺れを伴った響動もやんだ。どうやら、誰かプレイヤーを停止させたらしい。

 今では人畜生共の巣と化したここは、かつてはライブハウスだったらしい。向かって正面に一メートルほどの高さのステージがあり、そこには純白のソファーと氷を張ったボトルクーラーをのせたテーブル、そして――人ひとりが入れるほどの大きさの鳥籠が備えられている。

ゆったりとしたソファーに体を沈めているのはボブ・ホークだ。琥珀色に染まったグラスを片手に、十六、七ほどの年の頃の、栗色の髪が映える黒い旗袍(チーパオ)を着た少女をはべらしている。
 少女は、ソファーに腰を下ろす事を許されていないらしく、ボブの足元の床に直接座らされていた。玄天街では珍しい、未だあどけなさを残した面貌(めんぼう)に、失望と愁いに沈んだ色が見える。首には、ライトを反射する金色の首輪がかけられ、つながれた鎖は鳥籠につづいていた。
 そう、鳥籠ではない、これは――『人籠』だ。

 ボブ・ホークは飛海(フェイハイ)解放戦線の頭領でありながら、玄天街六番街の商いを担う女衒(ぜげん)である。この憂いの少女も売り物の中から、自分用として手元に置いているのだろう。少年から見れば、吐き気するほどの醜悪さだ。粗野なボブに対し、少女は余りに正反対で――なおの事痛ましい。だが、今の少年には彼女らを救うすべはない。

 左右に分かたれた紅海を歩いたという伝説もかくや、人ごみがステージ上のボブ・ホークへ歩む少年を避ける。彼らが見せる表情は千差万別ながら、少年に対する嫌悪という点では共通していた。だが、少年の方も彼らに対して親愛の情など持つつもりもない。

 ステージ脇の階段を一段一段踏みしめるように登り、楽しみを邪魔されたといった風に顔をしかめたボブ・ホークと――登りきったステージ上で対面した。黒い旗袍(チーパオ)を着た少女が見せる希望と失望の()()ぜになった視線が、少年に痛ましさを伴う針となって突き刺さる。

 更に、ボブと少女へと向かい歩を進め、およそあと五歩程度の距離になったところで――。

「おい。メット外せや!」

 ボブのがなり声は、好む好まざるは別にして、少なくとも作戦の立役者となった者に対して、余りに横暴な言葉遣いだ。少年は動じなかったが、人籠の少女は自分が叱責を受けたように、体を縮こませる。その、あまりに無力な哀れさと儚かさよ。少女は主の怒りに無力に過ぎ――程度は知る由もないが、激情と劣情の捌け口とされているであろう事は明快に感じられた。

 少年の雇い主はパイソン・プレストンであるのだから、彼にとっては、仕事さえしていれば頭を垂れる義理もへりくだる理由もありはしない――のだが。

「……」

 無言でヘルメットに手をかけると、軽く空気が噴出する音がし、拘束が緩まる。頭を抜くと、ヘルメットの中でこもった熱を振り払い、それから正面からボブを見据えた。

 年齢は、目の前の男に隷属している少女と同世代になる。中性的な外見に、細身の体躯――ライディングに最適な筋肉量を付けているとはいえ――は、女性的な印象を受けるが……その印象を裏切っているのは、ボブを見据える視線だ。

 見え隠れするほどの長さの前髪からのぞく眼光が、抜き身の秋津刀に似た冷厳さでちらりと垣間見え、少年を齢以上の風貌に印象づけている。
 そこが、ボブが少年に対して一番気に食わない点であった。何かを見通されているような、ボブを路傍の石と見つめる視線。

「チッ!」

 全く、気に食わない。ボブは我知らず舌を打つ。

 そういえば、こいつの名前すら知らずに――更に言えば、声すら聞かずにいた事を、ボブはこの時になってようやく気づいた。

 別に少年の名前など興味すらない。だが、このボブ・ホークに対して、名を名乗らないなど舐めた態度を許せるのか。普段ならば、気づいた段階で誅殺(ちゅうさつ)するところだが、この時、ボブの冷徹な本能が警告した。曰く、こいつはまだ使える――と。

 思えば、直情型のボブ・ホークが今まで生き延び、そして、玄天街六番街を仕切る女衒(ぜげん)へと成り得たのも、この自らの内に潜む野生の勘が鳴らす警鐘に従ってきたからだ。

 そうだ。少なくとも、こいつ以上の働きをするMB操縦士(ライダー)は目下のところ、ボブの手勢にはいない。ならば、利用価値がなくなるまで使い倒してもいい。どうせ、『外』から来た人間だ。出て行く時は死体で出て行ってもらえばいいだけの話だろう。

 ただし、気づいたからには、ボブ・ホークの前でいつまでも名乗らずにいるのは許されない。

「お前、名前(なめぇ)聞いとらんかったのぅ? 名乗らんかいや」

 ボブの胴間声に、はたして少年は若干不快そうに眉をひそめると、残り五歩の距離を歩き、ボブの正面のテーブルの前まで来ると、その上にヘルメットを置く。

「龍神だ」
「ぁん?」

 少年の年齢と外見から見れば、幾分低めの声だ。ボブが聞き逃したのも無理からぬだろうか。

龍神(たつがみ)だ――聞こえたか? 龍神神門(たつがみみかど)。それが……名前だ」 
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