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飛海寨城地獄変

作者:藤井機斎
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帝王

 そこは、古粋(こすい)都雅(とが)が調和された空間だった。

 大胆な空間の使い方は、様々な細工を施された調度品の華やかさを抑え、却って古き時代を思わせる枯淡の味わいを見せている。

 厨子棚(ずしたな)には紙媒体の書籍が数冊、風雅を乱さぬ程度に並べられ、更に職人が手ずから焼いた華麗な皿が飾られ、その白さの見せるコンストラストがえも言われぬ色気を放つ。
 絵師が己の心魂を叩きつけたであろう、古式蒼然とした屏風に描かれた墨の龍虎が相克する姿は、両者の吼え合う声が今にも耳に届きそうだ。重厚な造りの執務机に彫り込まれた文様の……なんと鮮やかたるや。香炉から聞こえてくる香りは、過ぎ去った時代の古雅へ身を連れて行くようだ。

 床はガラスでできており、下には庭石や玉砂利、流水のせせらぎがあり、箱庭的小世界が構成されている。

 窓ガラスの先には、目も綾な摩天楼――さながら現代の灯籠と言うべき輝きが彩りを見せ、新古を交えた独特の美を演出していた。更に今は人型がぽっかりと陰影を作り、鏡写しに床へ伸びたそれが、現代アートの一作品と言える世界観を生み出している。

 人影の主こそ、この部屋の、そして、眼下に跪く摩天楼の王である。

「――来たか」

 声は男のものだった。独特の乾いた声は、どこか幽玄さを感じさせ……。

 男は、経済的にも地理的にも飛海(フェイハイ)城の中心に位置する|、太羲(タイシー)義体公司本社ビル――大仙楼(だいせんろう)の社長室から魔都の夜を睥睨する。摩天楼を生物と仮定すると、眼下を流れる推力式浮遊車輛(スラスターモービル)の群れは、流れる動脈の赤血球か。

 時刻は、少年が丁々発止の立ち回りを見せていた最中である。穢れの驟雨が未だ大地に降り注いでいたはずなのだが、男と外を隔てるガラスには水滴一つすら存在しない。

 ふと顔を上げた男の目に、都市を囲う壁が映る。夜の淵は、上部へ向かうと共に面積を狭め、ドーム状に都市を覆い尽くしていた。中心は大仙楼の頂点と結びついており、太羲(タイシー)義体公司が魔都の中心――魔都の王宮である証明とも言える。その玉座に座るのが、男――メルドリッサ・ウォードランである。

 色が抜けたような金髪と透けるような白い肌。ギリシャ彫刻を想起させる黄金比率の肉体を包んでいるのは、黒地に紅の糸で瀟洒細緻な刺繍も麗しい長衫(ちょうさん)だ。居るだけで漂う、なんとも悩ましい気配は魔性のものか。加えて、作り物と紛うほどに美しい顔立ち。なるほど、確かに魔都を統べる王の貫禄としては申し分ない。ただ、彼の瞳孔がゆらりくらりと尋常にない赫い光をくゆらせているように見えるのは――錯覚だろうか。

 先ほどまで眺めていた摩天楼の情景に背を向け、鏡に見立てて磨き上げられた床面に革靴を響かせて、社長室に備え付けられた専用昇降機の扉を目指す。その様も、舞踏の一部に見紛うほどの所作であり、彼のもつ超然たる気配に華を添えている。ただ歩く姿だけで市井の女性が目を奪われる事は必至であろう。

 昇降機そのものも、電光パネルを排したレトロなデザインではあるが、社長室の雰囲気にはむしろ合っているといえよう。

 階下へ向かうボタンを押すと、昇降機のシャッターが閉まり、古きを感じさせる見た目とは裏腹に、無謬の速やかさと静やかさで動き出した。
 時間にして数秒、エレベーターは目的の階層へと到着。メルドリッサが降りた先は、社長室とは打って変わった、白い無機質かつ脱個性的な研究室(ラボ)であった。

 流石は太羲(タイシー)義体公司というべきか。トップメイカーの名を担う企業にふさわしく、見る者が見れば瞠目するであろう最先端技術の結晶がそこらかしこに鎮座している。それらを淀みない手つきで操作する研究者達も、おそらく他企業から見れば、喉から手が出るほど欲しい人材に違いない。

 メルドリッサは、ラボ内を一瞥すると、奥の強化ガラスで隔てたオブジェへと目を移す。

 実に奇妙なオブジェである。大きさは三メートルほどか。無骨な機械が鈍く黒銀に光を反射しており、中央を挟んで、天地に分たれていた。パネルやボタンなどの操作用装置が排されているのか、全く見当たらない。無機質な工業機械的フォルムは、雅な美しさには程遠いものの、整然とした隙のなさに加え、いぶし銀の()びを感じさせる。ただ……天地に分かたれた機械に挟まれた、麗容な陰翳(シルエット)はなにか。

 天地の機械装置が無骨ないぶし銀ならば、それは鏡面のように艶めいた白銀である。色味や質感の相反さは造形にも及んでいる。楚々とした顔立ちの女の姿である。いや、女というには成熟しきっていない――乙女の姿であった。両の手首から先を天の、そして、薄い太股の半ばから地の――それぞれ機械の(かせ)につながれている。そう、先の無骨な機械群は、少女を囚える拘束具であったのだ。囚われた銀の少女の瞳は閉ざされており、薄く開いた口唇が今にも呼吸しそうなほどの生々しさを持ち……しかし、人形のように無機質な印象も受けるのは、肌の色だけが原因ではないだろう。しかるに、少女はあまりに完成しすぎていたのだ。

 柳腰の裸体は、薄く肋骨が浮くほどに細く、ガラス細工のように華奢である。しかし、胸と臀部はほどよく丸みを帯び、均整の取れた肢体は可憐でありながら艷冶(えんや)な薫りすら感じさせる。肌に流れる長い髪は、真珠の滑らかさをもった銀糸のよう。

 祭壇に供された生贄の痛ましさからか、無表情ながらもどこか憂愁を湛えた銀乙女の麗姿は、彼女の矮躯には無骨かつ巨大にすぎる枷の相反さと引き合い、霊妙な二律背反的官能美を醸し出す。シンプルなガラス枠も額に見立てて見れば、なるほど、鋼鉄に手折られた花の絵には、不思議なほど合っている。

 ――もうすぐだ。

 遂にメルドリッサの計画が動き出す。長年の悲願が実を結ぶか、地獄へ堕ちるか。

 一瞬、白銀の令嬢の瞼が幽かに動いたかのように見えたのは、錯覚か。眠り姫は静かに時を待つ。今はただ、静かに――時を待つ。 
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