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トシサダ戦国浪漫奇譚

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第一章 天下統一編
  第九話 招待

 
前書き
 次話は北条攻めで関東入りします。次は劉ヨウ伝を更新しようと思います。 

 
 徳川家康から招待された俺は徳川屋敷にやってきた。既に夕暮れ時である。俺は縁側を歩きながら篝火の灯された庭を眺めつつ案内役の小姓の後を付いていく。俺の後ろには秀清と柳生宗章が順番に付いてきている。前回訪ねた時と違い、屋敷の奥の方に案内されている気がした。俺の視線に桜の木が目に入った。枝を見ると未だ蕾みはついてない。桜の花が見れる頃には俺は関東にいるのか駿河前左大将としみじみと感じた。

「小出相模守様、こちらにございます」

 小姓が歩くのを止め膝を着き俺に部屋に入るように案内した。俺は促されるままに部屋に入っていく。俺と連れ二人が入ると障子戸を閉めた。部屋には別の小姓がいて俺達を席に案内してくれた。

「お席にお座りになってお待ちください。殿を呼んでまいります」

 俺達を席に案内し終わると小姓は立ち去っていった。俺は部屋の中を見回した。前回に比べて調度品が増えている感じがした。徳川家康が座るであろう上座の背後には墨で描いた荒々しい龍が描かれている掛け軸が掛けられていた。その横に大きめの壺があった。俺は工芸品について造形が無いため高価な物なのか分からない。
 俺の左横方向に秀清、柳生宗章と順に座っている。俺の右斜めにある上座は徳川家康が座るとして、俺達三人の正面に席が対面するようにあり三人分用意してある。徳川家康の家臣が座ることは分かる。しかし、誰がここに座るか気になった。
 前回、俺の対応を行った人物は本多正信だ。だから、俺の正面に座るのは本多正信だろう。俺から見て左横の二席には誰が座るか。思い浮かばなかった。だって、俺みたいな小身を饗応する席に重臣はこないと思う。



「小出相模守様、お待たせいたしました。殿が参られます」

 徳川家康が来たようだ。俺は平伏して待った。しばらくすると足音が聞こえ、その後に衣擦れの音とが聞こえ音が止まった。

「小出相模守、よく来てくれた」

 老けた男の野太い声が俺に声をかけてきた。

「駿河前左大将様、小出相模守藤四朗秀定にございます。本日はお招きいただきありがとうございました。左に控えるは小出半三郎助秀清、柳生五右衛門宗章にございます」
「苦しゅうない。面を上げよ」

 徳川家康の許しが出たので俺は身体を起こした。上等な着物を身につけた中肉中背の中年の男が目の前にいた。その後ろに本多正信、厳つい中年の大男、壮年の優男の三人がいた。本多正信以外誰なのか分からない。
 徳川家臣の大男は俺を睨んでいないか? 多分違うな。そう言う表情なのかもしれない。
 徳川家康は俺の顔を見ると上席に座った。すると本多正信、大男、優男も各々の席に腰掛けた。俺の正面に座ると思っていた本多正信は座らず、その席には優男が座った。大男は一番左端に座った。

「小出相模守、自己紹介がまだであったな。本多佐渡守のことは知っているな。その右が井伊侍従直政、左が本多中務大輔忠勝だ」
「小出相模守、私は井伊侍従直政だ。よろしく頼む」

 俺と共達二人は頭を下げる。この男が井伊の赤鬼か。偉そうなのは俺より官位が高いからだろう。この時期の井伊直政の官位は従四位下侍従で徳川家中で唯一の従四位下の官位を与えられたはず。期待の新鋭の若手といったところか。偉そうになるのも頷ける。

「『井伊の赤鬼』と勇名を轟かす井伊侍従様にお会いできるとは嬉しく思います」

 俺の誉め言葉を当然という態度で受け入れていた。井伊直政の勇名は勇猛で知られる武田旧臣を徳川家康の計らいで優先的に家臣団に組み込むことが出来たからだと思っている。まあ、井伊直政自信も阿呆では無いと思う。阿呆では没落したとはいえ武田旧臣も大人しく仕える訳がない。

「小出相模守殿、私は本多中務大輔忠勝にござる。以後お見知りおきを」

 本多忠勝は見た目と異なり井伊直正に比べ礼儀正しかった。厳つい風体なだけで常識人に見える。

「関白殿下より『東国一の勇士なり』と称された本多中務大輔殿に会えること嬉しく思います」
「大したことではござらん」

 仏頂面の本多忠勝は謙遜しながら俺の言葉を否定した。あまり誉められることは好きじゃなさそうだ。この人は三河武士らしい人だな。本多忠勝の口振りに井伊直政は憮然とした様子だった。



「互いに自己紹介も終わったな。小出相模守、ささやかながら料理を用意させてもらった。存分に楽しんでくれ」

 徳川家康が笑顔で俺に声をかけてきた。百三十万石の大大名の饗応だ。どんな料理なのか凄く楽しみだ。毎日食べる玄米飯山盛りと味噌汁も美味しい。でも、たまには美味い物が食べたい。できれば猪肉か鳥肉が食べたい。最近、仕事が忙しくて山に狩りににいけない。お陰で肉も魚もご無沙汰なんだ。
 小姓達が現れ膳を配膳してくれた。膳は三つ。一つの膳には素焼きの徳利が乗っかっていた。酒だろう。俺は無視して料理に視線を落とす。見た瞬間は沈黙してしまった。
 これは。俺は言葉を失ってしまった。
 料理の豪華さに驚いたんじゃない。その粗末さに驚いてしまった。
 料理の品目は、

 ・麦飯
 ・めざしの天日干し二匹
 ・根菜たっぷりの赤味噌の味噌汁
 ・きな粉をまぶした団子

 だった。
 俺は徳川家康になんと言えば迷ってしまった。だが、このまま黙っているのもまずいような気がする。
 俺は気まずく思い目だけ動かし隣の様子を窺った。俺の直ぐ隣りの秀清は分かりやすく落胆の表情を浮かべていた。分かりやい奴だな。五郎右衛門は変わらぬ仏頂面でめざしを無造作に掴みかぶりついていた。この状況で徳川家康が飯に毒を盛る利はないから問題ないと思う。五郎右衛門もそう思ったから食事をはじめたのだろう。それでいいと思う。今の俺を殺しても徳川家に利は全くない。

「駿河前左大将様、これは美味しそうなめざしですね」

 俺は顔を上げ笑顔で徳川家康に言った。普段食べれないからこれでも嬉しいといえば嬉しい。

「儂はこれが一番好物でな」

 徳川家康はそう言うとめざしを手掴みしかぶりついた。彼は美味そうに咀嚼すると、麦飯を持った椀を取り飯をかきこんでいた。
 徳川家康は粗食で有名だったはず。その上、自分で薬を調合して飲むほどの健康愛好家だったな。でも、こんな物を客に出すとは思わなかった。
 普段食べている料理よりは豪華だからまあいいか。俺は気分を取り直してめざしを手掴みして頬張った。程良い塩加減で美味い。ご飯が欲しい。俺は食欲に促されるまま麦飯を口に掻き込んだ。

「良い食いっぷりだ。若い者はそうでないといかん」

 俺の食べっぷりを見ていた徳川家康が俺に声をかけた。

「めざしが美味しいので飯が進みました」
「気に入ってくれたか。これは三河の海で獲れたものなのだ。相模守にもわけてやるから、帰りに持っていくといい」

 徳川家康はそう言うと小姓を呼びつけ「めざしを包んでやれ」と指図していた。

「駿河前左大将様、お気遣いいただきありがとうございます」

 俺は頭を下げ感謝の言葉を伝えた。「大したことではない」と俺に言う徳川家康は俺の抱く狸親父とは随分乖離していた。気の良いおっさんにしか見えない。これが演技なら恐ろしい男だと思う。

「相模守、そちは何か嗜むことはあるか?」
「本を読むことが好きです」

 徳川家康は興味を持った様子で俺のことを見た。

「どのような本を読んでいるのだ?」
「私は長兄、木下侍従勝俊、と仲が良く。兄から本を借りて読んでいました。万葉集、枕草子、源氏物語。でも、兄の貸してくれる本は私の趣味には合いません。しかし、喰わず嫌いはいけないと思い一通り読んでいます」

 俺は苦笑しながら徳川家康に言った。長兄、木下勝俊、の趣味は風流人の好みそうなものばかりだ。だから、本をそれ系統のものになる。長兄は兄弟の仲で唯一学問好きの俺に自分の好きな本を俺に貸してくれる。だが、必ず感想を求めてくるから面倒臭い。お陰で借りた本は一読する羽目になっている。最近は仕事が忙しいから長兄の家臣が持ってくる本に嫌気が出てきている。それでも時々論語などの漢籍を貸してくれるので縁を切れずにいる。

「では、相模守がどんな本が好きなのだ?」

 徳川家康は話に突っ込んできた。徳川家康も十分本好きなはずだ。鎌倉幕府の執権として隆盛を極めた北条氏によって編纂された鎌倉時代の記録、吾妻鏡、を愛読書にしているくらいだからな。吾妻鏡は北条氏を礼賛するための記録だから真実ばかりとは限らないと思っている。それでも当時の状況を知ることができる一級品の資料であることは間違いない。俺も吾妻鏡は武家の心構えを学べる貴重な資料と思っている。

「孫子、貞観政要、吾妻鏡の方が好みです」

 前世で読んだことがあるから問題ない。これ以外にも愛読書はあるけど、この時代は本は中々手に入らないから徳川家康に変に思われるかもしれない。

「貞観政要で思い出しました」
「相模守、どうしたのだ?」
「唐の太宗は質素倹約を率先して実施したとあります。駿河前左大将様は貞観政要に書かれていることを手本とされているのでしょうか?」

 それとなく俺の学問好きだと自分を売り込んでみる。徳川家康は自嘲するように笑った。

「そう大した理由からではない。健康のためだ。儂は健康のために色々している。食事以外では鷹狩りが好きでな。相模守は鷹狩りは嗜まれるかな?」

 徳川家康は愉快そうに笑いながら話を鷹狩りに逸らした。彼は幼少の頃に雪斎から当時最高の教育を受けているはずだ。だから、貞観政要も読んでいると思う。徳川家康は儒学者を当用して儒教を統治に利用している。儒教は権力者にとって都合の良い学問だからな。
 秀吉と徳川家康の決定的な違いは学問を嗜んでいるかだと思う。先例に学ぶことは愚かなことじゃない。過去の積み重ねが現在であるから、今でも通用する先例はあるはずだ。その証拠に徳川家康は吾妻鏡を人生の手本にしているような気がする。その一例として後世に悪行として罵られようと豊臣家を徹底的に叩き潰した。
 だが、秀吉には先例を学び実行することはできない。彼は経験で身につけた知恵はあるだろうが学問の素地がない。学問は一朝一夕で身につくものじゃない。
 でも、秀吉は学問を身につけた者達を側に置けば解決できるだろう。しかし、その者達を上手く使いこなせる保証はない。今の秀吉は独裁者だ。有用な意見でも自分が納得できなければ受け入れることはしないだろう。秀吉の器量なら彼が死ぬまでは歴史が示す通り大丈夫だろうがな。

「鷹狩りはしたことがありません。鷹って格好いいです。一度、自分の手に乗せてみたいなと思っていました」
「そうか。鷹狩りは良いぞ。運動にもなり領民の生活ぶりを目にすることができる」

 徳川家康は鷹狩りを俺に勧めてくれた。勧めてくれても鷹匠を雇う必要があるし、今の俺には経済的に余裕がない。そんな金があればより多くの侍と武器を買った方がいい。
 そんな俺の気持ちを余所に徳川家康は何か思いついた仕草をした。

「そうだな。次に機会があれば鷹狩りに誘ってやろう」

 俺が鷹狩りに興味を持ったことに気を良くした徳川家康は俺を鷹狩りに誘ってきた。

「それは本当でございますか? 是非お誘いください」
「わかった。機会があれば必ず誘おう。ところで。相模守は吾妻鏡を読んだことがあると聞いた」
「はい。あります」
「儂も吾妻鏡は読んでいる。それも何度もな。あの本は飽きない。相模守は吾妻鏡を読んでどう思った」
「武家の者としては大変失礼な意見と思いますが、頼朝公のことは人として好きになれません」

 俺は素直に意見を述べた。ここで源頼朝を絶賛しても、俺は嫌いな歴史上の人物だから会話を続けるとぼろが出るから止めておいた方がいいと思った。徳川家康は俺の意見を聞き何度か頷いていた。

「相模守は予州公贔屓か?」
「はい。私は義経公が好きです」

 徳川家康は愉快そうに小さく笑った。源義経を「予州」と呼ぶ辺りが俺が本当に吾妻鏡を読んだことがあるか引っ掛けたような感じがしなくない。源義経は伊予守に任官された。それで吾妻鏡で源義経のことを「予州」と呼称する場合がある。

「若い者には予州公の戦人(いくさにん)振りは心躍るであろうな。私も若き頃はそうであった」

 徳川家康が源義経のことが好きだったとは知らなかった。でも口振りからして過去形のようだが。でも、優れているのは源頼朝だろうな。源頼朝は己を心を押し殺し、先の先を読み行動することができる人物だ。俺の兄が源頼朝なら俺は武士の身分を捨て名を変えて農民になっていることだろう。源頼朝は利用価値が無くなれば血縁は理由をつけ粛正するに違いない。源頼朝は本当に恐ろしい男だ。

「頼朝公は恐ろしい御方です。ですが、頼朝公ほど傑物した為政者はいないと思っています」

 俺と徳川家康の会話に誰もついて来れない様子だった。本多正信、井伊直政、本多忠勝は話の内容が要領を得ない様子で押し黙っていた。その中で井伊直政は面白くなさそうな表情をしていた。

「『恐ろしい』か。相模守、遠慮することはない。そう思う理由を申してみよ」

 徳川家康は俺の言葉に噛みしめるように反芻すると俺のことを見た。先程までの和やか空気と違い。徳川家康は真剣な表情で俺に話しかけてきた。

「頼朝公は日の本全土に惣追捕使を配置させるために後白河院に要求されました。その名目は弟、義経公、を追討するためとしました。しかし、頼朝公は義経公をなかなか捕まえませんでした。惣追捕使は最初は畿内、そして徐々に範囲を広げていきました。そして、義経公は最終的に奥州藤原氏を頼られました」
「それがどうしたというのだ」

 徳川家康は表情は平静であったが鋭い人を見定めるような目で俺をのことを見ていた。

「都合が良すぎるのです。義経公がご謀反をお越し一番利したのは頼朝公でしょう。大義名分を持って日の本を制する名分を得たのですから。そして、奥州藤原氏の討伐は前九年の役の再現にしか思えません。頼朝公の政治的な動きが早すぎる。私には頼朝公がはじめから絵図を描いていたようにしか思えないのです」
「お主が頼朝公を恐ろしいと思う理由というわけか」

 徳川家康は俺の講釈を聞き終わると腕を組み深く頷いていた。

「相模守、良い話を聞かせてもらった。聡い若武者と聞いていたがここまで故実に通じているとは思わなかった。関白殿下も其の方こと鼻が高かろう」

 徳川家康は平静な表情で俺のことを凝視していた。

「相模守、歳は幾つだ?」
「十二になります」

 徳川家康は驚いた表情に変わる。俺も十二歳で吾妻鏡を読んで自分なりの解釈を持つ子供にあったら驚くと思う。驚くというより気味が悪いというのが正確なところだな。

「北条征伐には出陣するのか?」
「出陣いたします。今回が初陣ですので恥をかかないように心引き締めて望むつもりです」
「相模守は誰の麾下に入る予定なのだ?」

 徳川家康は俺が誰の下で働くか気になる様子だった。

「内々の話ですが石田治部少輔様にございます」
「石田治部少輔の麾下か」

 徳川家康は特に反応を示すことは無かった。徳川家康と石田三成の仲は険悪なのかと思っていたから以外な反応だった。秀吉が決めたことだから徳川家康が難色を示せる訳がないということもあるだろう。でも、朝鮮征伐撤兵時には徳川家康と石田三成は協力して戦後処理にあたったところをみると、現時点では険悪というほどではないのだろう。

「相模守は初陣ということであれば。無難な配置であるな。相模守、精進するのだぞ」

 徳川家康は自分の中で納得している様子だった。口振りから見て俺が後方支援に回されると思っているのかもしれない。
 俺にはそうと思えないんだよな。秀吉は俺に出来るだけ多くの家臣を雇っておけと言っていた。それに石田三成から渡された軍役帳は一万石並の軍役を課していた。軍役に必要な人数は集まっている。だが、不安なのでもう少し増やしたい。致命的な失態をしなければ伊豆国七万石の領地が入るから金と知行の心配はしなくていいと思っている。北条征伐は長期の戦争にはならないことはない。だから、ある程度無理はきくと思っている。
 心配なのは俺の家臣団は火力に隔たっているところだ。津田宗恩は人材紹介してくれる予定だったのに返事が未だない。藤林正保にも引き続き人を探させているが、津田宗恩が人を連れてきてくれることを期待している。

「関白殿下の力になれるように心して精進いたします」

 徳川家康は満足そうに頷いた。この頃の徳川家康は未だ天下を狙っているような気がしない。問題は石田三成にあるのかもしれない。石田三成が反乱を起こしたせいで、徳川家康の目の前に天下が転がってきたのだろう。天下を拾えるなら、ひとかどの武将なら掴まずにはいられない。掴まなければ他の誰かが掴むのだから。
 しかし、徳川家康は用心深い人物であるから今俺に見せている印象が真実とは思えない。それを言えば秀吉もだろうが。その人間の本性は抑える人物が居なくなって初めて現れると思う。その点で言えば徳川家康も秀吉死亡後に律儀者の皮を脱ぎ捨てている。

「相模守、一献とらそう」

 徳川家康は笑みを浮かべ俺に酒杯を差し出してきた。「俺は未成年なんです」とつい口にしそうだったが言葉を飲み込んだ。この時代は酒を飲むのに年齢制限なんてない。断る言葉としては無理だな。それに徳川家康直々だから、ここで断れば興が冷めることになる。

「かたじけなく存じます」

 俺は徳川家康が差し出した酒杯を手に取ると両手で支えるようにした。徳川家康は瓶子(へいし)を傾け酒を注いでくれた。俺は注がれた酒を一気に(あお)った。酒が染みる。十二歳の俺の身体には酒は健康的に良くない感じがしてきた。

「よい飲みっぷりだ。ささ、もう一献」

 徳川家康は俺の気持ちは余所に酒を勧めてきた。

「いただきます」

 俺は徳川家康の申し出を断ることができず、再び注がれた酒を一気に呷った。酒が喉と臓腑を焼きそうな感覚だ。子供に酒を勧めるなよ。俺が徳川家康の顔を見ると上機嫌そうだ。

「相模守、返杯をもらえるか」

 徳川家康から返杯を求められたため、俺は杯に口をつけた部分を指で拭き徳川家康に差し出した。すると徳川家康は杯を手に取った。俺は徳川家康が俺にしてくれた様に瓶子を取り、酒杯に酒を注いだ。徳川家康も酒を一気に呷った。その表情は酒の旨さを味わっている様子だった。普段は酒を飲んでいないのかなとふと思ってしまった。

「もう一献もらえるか」本多

 俺は徳川家康に請われるままに瓶子を傾け酒を注いだ。徳川家康は酒杯に注がれた酒を一瞬眺めそれを一気に呷った。その間が俺は凄く気になった。単に気のせいかもしれない。

「皆も酒を楽しんでくれ」

 酒を楽しむ秀清と本多忠勝を無視して、徳川家康は酒に口をつけない三名に声をかけた。本多正信と井伊直政は主君の命を受けると酒を飲み始めた。柳生宗章は酒を一杯だけ飲んだ後はそれ以上酒を飲まなかった。護衛役として流石に酒は不味いと考えたのだろう。
 俺も瓶子をとり酒を飲み始めた。この流れでは飲まない訳にはいかないよね。つらい。入社したばかりで飲み会に誘われた新人社員の心境だ。この時は石田三成の部下でよかったと感じた。石田三成は無駄なことが嫌いなのだろう。飲みに誘うといったことは一切しないし、食事に誘うこともしない。だが、石田三成の部下からさっさと脱却して独立したい。北条征伐後は伊豆国主になるなら俺は中央との関わる頻度は低くなるに違いない。



 その日、俺は酒を徳川家康から勧められ、断ることもできず酔いつぶれてしまい、客人として徳川屋敷に泊まるはめになった。酒好きの秀清はここぞとばかり酒をたらふく飲んで完全に潰れ、俺と秀清のお守りを柳生宗章がしてくれたそうだ。
 酒に飲まれて意識を失うとは失態だな。酒は気をつけないといけない。障子戸から差し込む日差しの光で目覚めた俺は二日酔いで痛む頭を抑え心に戒めるのだった。 
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