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星がこぼれる音を聞いたから

作者:おかぴ1129
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9. パンプキンパイと深煎りコーヒー

 翌日、店主との約束を足すため、俺は隼鷹と一緒にトノサマ洋装店を訪れた。俺の隣には今、怪我が完治して上機嫌な隼鷹がいる。

「でもさー。なんであたしが一緒にいく必要があるの?」
「う……ち、ちょっとした理由が……」
「ふーん……まーいいけど」

 上機嫌は上機嫌だけど頭にはてなマークが浮かんでいるのは確実だが……でも言えん……約束の内容なぞ……

 トノサマ洋装店に到着し、ドアを開いた。途端に時が止まったかのような静寂に包まれる俺達。

「すみませーん」

 無粋にならない程度の大きさの声を上げ、店主を呼ぶ。

「……ぉお」
「約束を果たしに来ました」
「待ってたよ」

 お店の奥から、頭に三角巾を巻いてエプロンを身にまとった店主が出てきた。いつもと違うやや分厚いメガネをつけていたが、何か作業中だったのかな?

「取り込み中でしたか?」
「いや構わん。どうせ暇つぶしの道楽だ」

 そう言いながら、店主はメガネと三角巾を外し、穏やかな笑顔で俺達の前に来た。

「ソファに座りなさい。今日はコーヒーでも出そう」

 店主のその言葉に素直に従い、俺と隼鷹はソファに腰掛ける。店の奥に消えていった店主は十数分後、熱いコーヒーとパンプキンパイを3つ持ってきてくれた。

「さぁ味を見てくれ。さっき焼いた自信作だ」
「あれ? てことはこれ……」
「コーヒーは私が豆から焙煎した。パンプキンパイは私が作った」
「へぇ〜……」

 店主ご自慢のパンプキンパイとコーヒーをいただく。パンプキンパイはパイの部分がさくさくして香ばしく、かぼちゃのフィリングがとてもなめらかで美味しい。コーヒーはパンプキンパイに合わせたのか、深煎りのもので香りが強くてコクがある。

「どうかな?」
「ん……美味しいですよ?」
「素直に言いなさい。でなくては私の研鑽にならない」

 実を言うと、ちょっと俺にはこのコーヒーは合わない気が……いや美味しいんだけど、このコーヒー以上に俺好みのコーヒーを淹れてくれる存在が、俺の隣にいる……

「……美味しいんですが……深煎りタイプのコーヒーは、俺はあまり好きではないのかも知れません」
「ふむ……きみはどうだ?」
「んー……あたしが酒飲みってのもあるかもしれないけど、パンプキンパイはちょっと……」
「なるほど」

 隼鷹は隼鷹で、パンプキンパイの方に納得がいかなかったようだ。そんな俺達の辛辣な返答を受けた店主は、別段悔しがるわけでもへそを曲げるでもなく、むしろ……

「ニヤニヤ」

 上品な老紳士たる店主にあるまじき嫌らしいニヤニヤ顔を俺たちに向けていた。

「ん? どうしました?」
「いや、なんとなく私のコーヒーとケーキが気に入らない理由が分かってね」

 ホワイ? どういうこと?

「まぁいい。それで、ちゃんと彼女には伝えたのかな?」
「……伝えました」
「へ? あたしに? 何を?」

 う……マズい。店主と隼鷹の視線が痛い。店主は俺のことをジト目で……隼鷹ははてなマークを瞳の中に湛えた眼差しで俺をじっと見てくる。……人に注目されることがこんなに心にキツいことだとはまったく思ってなかった……。

 『話が違うじゃないか……』とでもいいたげな、店主のジト目。じとっとした眼差しでこっちを見つめ、店主は俺に対して無言の抗議を行っているのが分かる。人に見つめられてこんなにプレッシャーを感じたのは、イタズラが見つかって母親からジッと睨まれたとき以来だ……。

「……どういうことかな?」
「い、いやあの……伝えたことは伝えたのですが……本人、それを聞いて笑ってしまいまして……」
「ほう……」
「へ? 提督、あたしに何か言った?」

 そんな『あたし、何も聞いてないんだけど?』みたいな顔で俺を見るなッ! 確かにお前じゃなくて飛鷹だと思って口走っちゃったけど、伝えたことに変わりはないじゃないかッ!

 店主は昨日のように顎に手を当て、真面目な顔で考え込み始めた。よかった……あのジト目は俺の胃と心臓に悪い。開放されてホッと一安心だ。

「……とりあえず、ポリッシュと布はお返しします」

 ともあれ、まずはこのポリッシュと布を返さないと……

「ぁあすまん。ありがとう」

 考えこんだ顔のままだったが、ハッとした店主は俺からポリッシュと布を受け取ってくれた。受け取ったポリッシュと布は、そのまま店主の腰元に置かれる。

「ふむ……」

 俺と隼鷹の顔を交互に見比べ、ジッと考えこむ店主。なぜだろう……やっとジト目から開放されたというのに、まったく生きた心地がしない。店主にじっと見つめられる度、緊張で心臓がギリギリと締め付けられていく。

 隼鷹は隼鷹で、コーヒーをずずっと飲みながら頭にはてなマークを浮かべているが……隼鷹からしてみれば、今この状況が一体何なのかさっぱりわからないだろう。

「……まぁ、良しとしようか」

 ほっ……全身が安心していくのを感じた。

「ありがとうございます……」
「ただ……もう一度キチンと伝えるべきだな」
「え……」

 冷や汗が止まらない……もう一度、隼鷹の目を見てキチンと伝えなきゃいかんのか……『星が聞こえる音が聞こえる』だなんてドン引きされなきゃいいが……

「自信を持ちなさい」
「……」
「彼女は君の元に帰ってきたんだろう?」
「はい」
「なら大丈夫だ」
「……」
「それに、君は意外と本音が口から漏れやすい。今伝えずとも、遅かれ早かれ自分からボロボロと本音をこぼすだろう」
「う……」
「そうなる前に、自分の意志で言いなさい」

 俺の隣でコーヒーを飲んでいた隼鷹は、いまいち話についてこれないようで、終始頭にはてなマークを浮かべ続けていた……

 トノサマ洋装店を後にした俺達は、そのまま徒歩で鎮守府に戻る。少し歩くが、普段はまったく運動をしない俺にしてみれば、いい運動だ。鎮守府までの長い道のりを、隣で星がこぼれる音を鳴らし続ける隼鷹と二人で歩いた。

「あーそういや提督」
「んー?」
「今日の晩ご飯はなに?」

 さっきの俺と店主の話を忘れたのか何なのかは知らないが……隼鷹は俺と店主の会話のことを深く追求することはなかった。

「そうだなぁ……なんかリクエストあるか?」
「豚汁!!」

 鼻息荒くそう即答した隼鷹は、なぜか盛大なドヤ顔だった。

「あの豚汁そんなに気に入ったのか?」
「そうだねー。傷が治ったら提督に豚汁作ってもらおうって思って頑張った!!」

 くっそ……のんだくれのくせにいじらしいセリフを吐きやがって……

「分かった。さつまいももまだ残ってるし豚もまだあったはずだから、今晩は豚汁にするかー」
「ありがと。楽しみにしてるから!」

 そう言って、ほんの少しだけほっぺたを赤く染めて笑う隼鷹を見て、星がこぼれる音とともに響いた声があった。

――ありがと……冗談でも任務でも、うれしいよ

 何がそんなに嬉しかったんだ? ……いや、分かってる。隼鷹が何に対して喜んでいたのか、俺はよく分かってる。

 分かった。俺も覚悟を決める時なのかもしれない。店主いわく俺は口から本音が漏れやすいタイプらしいし、ボロボロとこぼす前に、自分からしっかり言っておいたほうがいいだろう。

「なー隼鷹」
「んー?」
「昨日結局出来なかったし、今晩一緒に酒でも飲むかー」
「おっ。いいねー。今晩こそ快気祝いだっ」

 残念かもしれんけどな隼鷹。快気祝いにはならないよ。

「んじゃ晩飯終わった後、食堂で二人で一杯やろう」
「あいよー」

 鎮守府に戻った後、おれは書類仕事を隼鷹に任せて夕食の準備をすることにする。飛鷹じゃなくて隼鷹が書類整理というのは少々不安はあるけれど……まぁ大丈夫だろう。

 メニューは隼鷹のリクエストの豚汁。大根はいちょう切り……人参は半月切り……乱切りしたごぼうを水にさらして……

――いんげんはヘタを落とした後で斜め切りにしてください

 懐かしい……料理を教わってる頃の鳳翔のセリフを思い出した。

――がんばってね

 俺の卵焼きの師匠、瑞鳳の激励を聞きながらさつまいもの下ごしらえをする。大根よりぶ厚めのいちょう切りにして……具材をごま油で炒めて……

――味噌を溶かしたら煮立たせないように

 アクを綺麗にとったら味噌を溶かし入れる。鳳翔の指示に忠実に……

 厨房に味噌のいい香りが漂ってきた。取皿に少し取り、味を見る。……よし。隼鷹が褒めてリクエストしてくれた、俺の豚汁の味だ。

――提督、ご武運を

 戦いに行くわけじゃないんだけど……ありがとう鳳翔。

「わぁあ〜いい匂い〜……今日も豚汁?」

 まだ夕食の時間には早いだろうに……食堂に遊びに来たらしい川内が味噌の香りにつられて厨房にやってきた。夜戦の時のように目をらんらんと輝かせ、今まさに出来上がりつつある豚汁の鍋を覗き込んでいる。

――提督 それが叶わなかった私たちの分まで……どうかお幸せに

 幸せをつかむ寸前に、志半ばで鎮守府を去った神通の声が、俺のことを激励してくれた。……ごめんな神通。本当はお前にも、彼と幸せになって欲しかったけれど……

――短い間だけでしたけど、私は幸せでしたよ?

 そっか。ならよかった。

 その後川内のリクエストで、付け合せに卵焼きも作った。瑞鳳直伝のものに大根おろしを乗せた、俺がカスタマイズした自信作。隼鷹も認めてくれた逸品。あとは三度豆の胡麻和えも作って、今日の夕食の準備は終了。

「おなかすいたクマ〜」
「ほら加古……私によりかかって寝ながら歩かないで……」
「うーん……むにゃむにゃ……」

 ほどなくしてタイミング良く食堂に集まってきた艦娘のみんなと共に夕食を済ませ、皿洗いと後片付けに入る。鎮守府のオカンはこう見えて忙しい。

 夕食を済ませた飛鷹が、今日は珍しく手伝ってくれた。

「提督、たまには私も手伝うわ」
「おう。ありがとー」

 俺がジャバジャバと皿を洗いゆすいでいくと、飛鷹がその隣で片っ端から洗った皿の水気を拭きとっていってくれる。

「ねぇ提督?」
「んー?」
「今日は隼鷹とサシ飲みするの?」
「よく知ってるな」
「隼鷹がね。嬉しそうに言ってたわ」

 皿を拭きながら、飛鷹がそんな報告を俺にあげてくれた。皿を拭く飛鷹の手がリズミカルに動いてる。横顔を見た。隼鷹とそっくりだけど、少し違う笑顔がそこにあった。

「ほーん……あいつがねー……」
「『この隼鷹さんのとっておきを飲むんだ〜』って言ってた。ラベルに“獺祭”とか書いてある日本酒出してたわね」
「やっぱ日本酒か」
「ええ」

 満面の笑みでそれを準備する隼鷹が目に浮かぶ。……きっとその時、隼鷹からは星がこぼれる音が聞こえてたんだろうな。

「……提督」
「ん?」
「……今晩、言うの?」

 何を? ……なんてことは言わない。きっと飛鷹は気付いてる。

「言う」
「……」

 しばらくの間、厨房に鳴り響く音が皿をゆすぐ音だけになった。俺はただもくもくと皿を洗い続け、飛鷹はただ皿を拭き続けた。

 皿の残りが五枚ほどになった時。飛鷹が皿を拭く手を止め、俺の顔をジッと見ていたことに気付いた。彼女の顔からは、いつの間にか笑顔が消えていた。

「……提督?」
「ん?」

 その水晶のように美しく澄んだ瞳は、俺の瞳に真っ直ぐに向けられていた。

「隼鷹……お願いね?」

 なんだかその言葉には、儚さや悲壮を含んだ覚悟……そんなものが込められているような……そんな気がした。

「……なんでそんなことを言う?」
「妹のことを提督にお願いしちゃいけない?」

 違う。妹を案じる姉の心だけではない何かが、きっとさっきの言葉にはこもっている。そんな気がする。だから俺は、飛鷹に言葉の真意を聞かずにはいられなかったんだ。

「……ホントはね、隼鷹にも黙ってたけど、私ずっと夢見てたの」
「?」
「ドレス着て、晩餐会に出席して、ダンスを踊って……今はこうやって戦いに身を置いてるけど、いつの日か必ず……そう思ってたの」
「んじゃあの時……本当は自分が行きたかったのか?」
「うん……隼鷹が心底うらやましかった。私もあのドレスを着て、あなたと晩餐会に出たかったわ……」
「……」
「でもね。あなたと隼鷹を見て、気が変わった。あなたのためにがんばる隼鷹と、その隼鷹に楽しそうに振り回されてるあなたを見て思ったの」
「……」

 この時の飛鷹の笑顔を、俺は忘れることはないだろう。いつぞやの小春日和のような笑顔だったが……

「“この人は、私の弟になるんだなぁ……この人が選んだのは、私じゃなくて隼鷹なんだなぁ……”って」

 その暖かい笑顔には、秋風が吹いていた。冷たさが心地いいけれど、春の心地いい風とは違う気持ちを運んでくれる、少しだけ冷たい秋風が吹いていた。

 冷たい秋風が吹く笑顔のまま、飛鷹は俺から視線を外して、再び皿を拭き始める。先程よりも、ゆっくりと丁寧に皿を拭く飛鷹の顔を、俺は見ることができなかった。お互いに顔を見ず、自分が手にした皿に視線を落として、俺達は皿洗いを続けた。

「だから提督……私の妹を……隼鷹をお願いね?」
「……ああ」
「浮気しちゃダメよ? 私の妹を泣かせちゃダメよ?」
「約束する」
「ちゃんと隼鷹を幸せにするのよ?」
「任せてくれ」

 最後の皿を洗い終わり、そして最後の皿を拭き終わった俺達。手を洗い、頭の三角巾を外して割烹着を脱いだ俺は、食堂を見た。……隼鷹はまだ来てないようだった。

「……じゃあ私はそろそろ戻るわ」

 布巾を物干し場に干した飛鷹は、そのままこちらに顔を見せずに厨房の出口の方へと足早に向かっていった。

「飛鷹!」

 たまらず声をかけた。ピタリと足を止めた飛鷹の肩は、少しだけ震えていた。俺にはその両肩が、ひどくもろくて弱々しく見えた。支えてやらねば折れてしまいそうなほど……誰かがそばにいてあげなければ倒れてしまいそうなほど、飛鷹の肩は細く、弱く見えた。

「何?」
「……あの時は……ありがとう」

 どう声をかけていいのか分からず……そうとしか言えなかった。そんな俺に対し飛鷹が向けた顔は……

「いいのよ。妹の幸せの為に頑張るのは姉の努めよ? ……それに、妹だけじゃなくて、弟の幸せもかかってるんだから」

 秋風も吹いていない、小春日和の暖かい……だけど、少しだけキラキラと、涙が輝く笑顔だった。
 
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