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霊群の杜

作者:たにゃお
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書に潜む



もう7月も終わりに近いというのに梅雨の明けきらぬ昨今。
蒸し暑い中、俺は今日も玉群の石段を踏む。手荷物は軽いものだ。着替えと、差し入れ。それすらもずしり、と両手を苛む。そんな蒸し暑さだ。まだ半分も登っていないのに、もう汗が滝のように流れる。
「飲むんじゃなかったなぁ…」
小さく一人ごちる。猛暑に負けて麓のコンビニで買った新作の炭酸飲料は、飲めば飲むほど不自然な甘さが口の中にまとわりつく。『爽快飲料!』などと書かれているが、爽快なのは口に含んだ一瞬だけだ。…きじとらさんの麦茶が飲みたい。
 
「甘味はあるか」
―――陽炎立ち昇る灼熱の石段を登り切って辿り着いた俺への第一声が、これか。
奉は相変わらず、涼しい洞の奥底で肘をついて書を繰っている。ちらりと顔を上げるが、俺を見るためじゃなく、俺が提げて来た紙袋を確認するためだ。
「―――文明堂かよ。銅鑼焼きはあるか」
「ほんとムカつくなお前」
いかん、暑さのあまりつい本心が口をついた。横からすっと、結露したグラスが螺鈿の盆で差し出された。思わず口元が緩む。きじとらさんは、このむさ苦しい洞にひっそりと佇む一服の清涼剤だ。今日は珍しく、Aラインの少女っぽいワンピースをさらりと着こなしている。丈が短い。一つ小さく息をはき、自分を鼓舞する。俺は今まで何となく諦めていたきじとらさんに、少しだけ積極的なアプローチを試みると決めたのだ。
「きじとらさん…お、俺はもう、きじとらさんに会うためだけに…」
す…と、横合いから麦茶を奪われた。
「んなっ!?」
変な声が出た。俺の麦茶を奪った男は、腰に手を当てて華奢なグラスを一気に呷った。
「ふざけんなお前!!」
「本当にな。…『ふざけんなお前』だぜ」
背後の男が呟いた。…俺にではなく、奥の机で書を繰る奉に向けてだ。軽く湯気が出る程汗をかいた長身の男は、黒い猫をあしらった緑色の制服に身を包んでいる。そいつはいつも通り、一抱えを超えるレベルの段ボールを足元にずしりと降ろした。そして殺気に満ちた笑顔を浮かべて、伝票を取り出した。

「…Amazonから代引きのお荷物をお届けしました。サインか印鑑をお願いしますよ…玉群、奉さん?」



「ったくな、お前もお前だよ。俺ずっと後ろから声かけてたのに」
クロヌコヤマトの配達担当・鴫崎は2杯目の麦茶を呷って一息つくと、俺にも恨みがましい視線を向けた。
「悪い、暑さでぼんやりしてた」
「なー?…無理ねぇよ、今日なんか陽炎立ってたんだよ、石段に!おいてめぇ聞いてんのかよ!!」
奉が聞いているわけないだろう。ほら、どうせ本から目を上げないんだろう。


―――じゃねぇや、俺の差し入れ勝手に開けて食ってる!!


「なに一人でいいもん食ってんだ!おら、よこせ!!」
鴫崎は強引に文明堂の袋をひったくると、銅鑼焼きの包みを2個引っ張り出した。奉が何か言いたげにするが、2、3秒躊躇った後、諦めて本に目を落とした。

さすが元いじめっ子。堂に入ったジャイアニズムだ。



小学校の頃、一時的に。本当に一時的にだが、奉は所謂『虐め』の対象になったことがあった。あの性格と、ここらの地主の息子というエッジの効いた属性のせいだろうが…。奉を虐めていたのはクラスで一番の荒くれ者、鴫崎だった。体格いいし、運動神経も抜群で、誰も意見出来なかった。
他の子供達は、奉の事はどちらかというと畏れていた。子供特有の七不思議だ。


―――玉群の『奉』に関わると、祟られる。


それは何か、生まれてこのかたずっと関わり続けている俺がそんなに祟られて見えるのか。と納得のいかない噂話だったが、子供というのはとかく怖い話を好むもので、玉群奉 祟り神説はあっという間に定着した。
で、俺以外の子供は自分から関わろうとはしないし、奉も自分から話しかけるタイプではないので、俺は小学校の6年間、恐らく意図的に同じクラスにされ続けた。奉の母さんからは春休み中から『今年も奉をよろしくね』と声を掛けられていたので、玉群の力が働いていたのだろう。
幸か不幸か、そういう事情もあり、奉への虐めは鴫崎のソロ活動にとどまった。そうなると彼は面白くない。いくら周りを誘っても、誰も乗って来ないのだから。いつもなら自分の号令と共に当面の『生贄』が決まったというのに。
「あいつが只のモヤシと証明してやる!!」
そう言い残し、鴫崎は教室を飛び出した。奉はため息混じりに本に目を落とすのみだった。『ま、いいか』とか呟いていた気がする。そして彼は玉群の鳥居に小便を引っ掛けるという暴挙に出たのだ。
どうだ、祟りなんかないんだよ、こいつは只のモヤシだよ!と勝ち誇りながら教室に戻った彼の姿を見たクラスメイト達は、一斉に恐ろしい悲鳴を上げた。
「えっ…な、なんだよ」
クラスメイト達の異常な反応に驚いた鴫崎は、左右をきょろきょろ眺めまわした。そして徐に、自分の足元に目を落とした。
「う…うわぁあああああ!!!」
あの時の、人が虚の状態から恐怖に引きつるあの表情の変化は忘れられない。…その『祟り』も。


鴫崎の体中に浮かび上がった、見た事もない血染めの文字。その文字からは鮮血が、生き物のように滲み続けていた。


そんな感じで奉のえぐい『祟り』は、クラスを恐怖のどん底に突き落とした。女子は泣きじゃくるし男子は逃げ惑うし、奉はまたこいつはこいつで血染めのクラスメイトを前に『神代文字だねぇ…』とか呑気な事云っているし。集団ヒステリーは、鴫崎が早退するまで続いた。
その日以来、鴫崎は暫く学校を休んだが、祟りに巻き込まれる事を畏れたクラスメイト達は誰も鴫崎家に近寄ろうとしない。結局休みの間、プリントを届けるのは俺の日課になった。
そして俺たちは友達になった。
問題児のいじめっ子は家庭環境に悩む普通の子供。そんなテンプレな解答を、荒れ果てた自宅が物語っていた。



「毎週毎週、こんな重いのばっか注文しやがって…嫌がらせか!!」
いつも通り適当なくぼみに腰かけ、鴫崎は荷物を蹴る。顧客の荷物を蹴る。多分中身は本だ。仕事とはいえ、本がぎっしり詰まった箱を抱えてあの石段を毎週登る鴫崎には同情を禁じ得ない。
「お前アレだろ、まだ根に持ってるだろう」
「こっちだって毎週恨み言を云われるこの状況は、閉口だねぇ。エリア替えとかないのか」
「したよ何度も!だがどういうわけか『じゃAエリアと玉群神社』『じゃBエリアと玉群神社』…てな、お前んとことセットにされるんだよ!!」
あぁ…そりゃ100%、玉群家の力が働いてるな。事情を知らない配達員に洞の存在を知られると面倒だ。
「とにかくお前な、俺が云うのもなんだが、外に出ろ!本屋で読みたいのを探せ!!思わぬ出会いがあるかもしれないぞ」
「あるか、今更そんなもん」
「なら手当たり次第に本を買って段ボールに詰めてそのまま石段を駆け上がれ。俺の気持ちを知れ」
「嫌だよ。…いい時代になったものだねぇ、ポチるだけで本が手元に届く」
「そりゃあ引きこもりも増えるわな。…お前はいずれ殺すが」
この一連のやりとりの間、一度たりとも目を上げない。そりゃムカつくわな。俺も手土産から銅鑼焼きを一つ抜いた。



「お前んとこの荷物が殺意を覚える重さなのは毎回なんだが…あ、きじとらちゃん、麦茶もう一杯くれる?」
よく冷えた銀の水差しを持って、きじとらさんがすっと鴫崎の横に立った。
「いいよいいよ、水差しごと置いてよ」
「温くなるので…」
きじとらさんは音もなく麦茶を注ぐと、水差しを持ったまま洞の奥に下がる。
「いいコだよなぁ~、今どき居ないよな、あんなコ。可愛いし」
「荷物が重いのは毎回だが…どうした?」
話題を逸らす。ライバルは少ないに限る。
「お、おう。…偶に、シャレにならないくらい重いやつがあるよな。今日のやつみたいな」
2個目の銅鑼焼きに伸ばしかけた奉の手が、ふと止まった。
「……今日のも、か」
「そうだよ、てめぇの注文内容くらい把握しておけよ!」
麦茶飲んで甘いもの食って落ち着いたのか、語気から殺意が少し抜けた。子供の頃からだが分かりやすい男だ。
「図鑑セットでも買ったのか?殺すぞ」
奉は無言で立ち上がると、荷物の傍らにすいと屈んだ。
「………入ってるねぇ」
にぃ、と唇の端が釣り上がった。煙色の眼鏡の奥は見えない。


ふいに、洞に溶け込んだ書の群れがぐらりと傾いだ。そして身をよじるように左右に揺れた。


「うわっ、地震か!?」
鴫崎が腰を浮かせた。無理もない。地震の時にこんなとこに居たら本で潰されて死ぬ。
「…騒ぐな、騒ぐな。くくく…大物だねぇ」
奉は宥めるように洞の壁を撫でた。その手に絡みつくように、書の群れはざわざわと蠢く。眼鏡の隙間から僅かに覗いた奉の貌は、どういうわけか嗜虐に歪んでいた。
「そ、『そいつ』のせいか!?俺さっき蹴っちゃったよ!!」
「なに、通りすがりのもんに障りはしないよ」
ぴたり、と箱の上に手を当てると、書は益々騒ぎ始めた。開けるな、入れるな、放り出せと洞全体が叫んでいるような…。しかし奉は箱の封を千切った。
「こういう輩は例外なく『持主』に祟る」
もう俺にも分かる。山奥の沼にでも足を踏み入れたかのようなぬらりとした冷たい空気に押し包まれた感覚。…鴫崎は、え?え?なんか重くね?などと呟きながら辺りを見回している。
「大勢の手を渡り、人の業を吸った書の中には稀に、とんでもない『業』を吸い取るものがある」


封が解かれた箱の中。


「う…うわぁああああ!!!」
鴫崎の悲鳴で、俺は我に返った。これは…小人か。
無数の小人の屍が、箱を満たしていた。書の群れは愈々拒むようにゆらめきを増す。奉は…笑いが止まらなかった。
「くくくくく…あはははははは!!まだ居たのか、こんなにも深い業を持つ輩が!!!」
爆発したように笑い続ける奉、狂ったように翻く書の群れ、動けない俺と鴫崎。…永遠にも感じたその空間は、奉が箱を閉じたことで一旦、あくまでも一旦収まった。
「お…おおお俺は何を運んでたんだ…!!」
「本だよ」
奉は面倒そうに封をし直すと、コツコツと箱を叩いた。
「ここに入っている本のどれかに、相当の…そうだな、修羅場をくぐった奴がいる」
「修羅場…?」


「こいつの持主は大勢の人間を殺している」


―――奉は事もなげに呟くと、二つ目の銅鑼焼きを咥えた。
「…え?」
「大勢の…ってなぁ、30人くらいか?」
鴫崎が首を傾けた。…あ、津山の集落殺人事件か。
「あの屍の数が30人に見えたか?」
「…じゃああれか、戦時中の軍関係者だな!」
「違うねぇ。屍の顔が鮮明過ぎる」
口をもごもごさせながら、奉は机に戻った。
「銃や爆弾でドカーンじゃないねぇ。一人一人、個性をよく認識した上で、じっくり殺している」
……厭な事を云う。
「……昔、だよな?」
「今、かねぇ。…これから中身を検める。どうする、見るか?」
御免蒙る。俺と鴫崎は肩を並べて洞を後にした。





「…お前よくアレと付き合ってるな」
一足先に洞の外に出た鴫崎が、強い日差しに顔をしかめた。洞の中は何故あんなにも涼しい…というか寒いのだろう。
「俺もそう思うわ」
つい本音がぽろりと出た。鴫崎が声高に笑う。俺もつられて笑った。
俺と奉は、こんな風に笑い合うことはない。俺が笑う時とあいつが笑う時はいつも、違う。鴫崎が親友なのだとしたら、奉は。
あいつは一体俺にとって何なのだろう。鴫崎とこうして他愛無いことで笑い合うたびに思う。
「…悪いな、仕事辞めないでくれよ」
何で俺が謝っているのだろう。
「辞められねぇんだよ、当分は」
鴫崎が足早に本殿に回り込み、賽銭箱に100円玉をちゃりんと放り込んだ。
「珍しいな」
「厭なもの見たから厄落としだ。あいつの住処に落としてやる。それと」
鴫崎はゆっくりと目を閉じて手を合わせた。手水で清めてもいないし、作法にも則っていない。だが真摯な横顔だ。俺は馬鹿馬鹿しいので一度も拝んだことはない本殿なのだが。
「……子供が生まれるんだ」
鴫崎が呟くように云った。
「……へぇ」
どう云っていいのか分からず、相槌だけうった。結婚もそうだが、子供が出来るのも鴫崎が一番乗りだ。家庭に恵まれなかった鴫崎は高校卒業と同時に家を出て働いた。俺とはほんの少し、見ている世界が違う。…鴫崎が、少し遠くに見えた。
「そか、おめでとう。…飯いく?」
「節約のため弁当生活だとよ。悪いな」
そう云って鴫崎は肩をすくめた。また今度LINEくれよーと叫びながら、鴫崎は石段を軽やかに駆け下りていった。


鴫崎はただ、奉が気に入らなくて虐めようとしただけだろうか。


クラスで浮いている奉の人間らしい感情を引き出して晒してみせ、クラスの皆に『こいつも同じ人間だ』と知らしめ、クラスに溶け込ませようとしていたのではないか。もちろん普通にムカついたのもあるだろうが。それが奇しくも更に周囲をドン引きさせることになったのは子供らしい浅はかな誤算だったのかも知れない。現にそれ以降も、あからさまな虐めがなくなった以外は、鴫崎の態度は変わらなかった。…今度飯に行く時にでも聞いてみようか。
―――とか思っていたら先ほどLINEが届いた。


『本日午後便(時間指定)で楽天から玉群様に10kg米(代引き)のお荷物が届いております。あいつはいつか殺す』


だめだこれは。何を云っても『殺す』しか出てこないパターンだ。無理もないけど。俺は適当にスタンプを返すと、そっとスマホを伏せた。その直後だろうか、再びLINEの着信が響いた。…奉が、画像をアップしました。
『持主はこの近辺にいる。気を付けろ』
そんなメッセージと共に届いた画像を検める。…さっきの本だ。ったく、わざわざ画像まであげて報告してこなくても。こんなもの送られて呪われやしないだろうな…画像の中央に重々しく置かれた紺色の本のタイトルは金押でこう記されていた。


『解剖学』


暑さによるものとは違う汗が、つぅ…とこめかみを伝った。
この本を持つ人物は…かなりの確率で…。


―――この近辺にいる。気を付けろ。


なぜか脳裏を去来したのは、子供が生まれる、と照れたように告げる鴫崎の笑顔だった。

 
 

 
後書き
次回更新は来週予定です 
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