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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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59.第九地獄・死中活界

 
前書き
∑(・口・)(原作を読んである重要な事実に気付いた顔)

 (-"-;)(今から修正するかどうか悩んでいる顔)

 (^_^;)(逆に後で利用する機会がありそうだから放置しようと考え直した顔) 

 
 
 その日、バベルの頂上で優雅に紅茶を楽しんでいた女神の手から、唐突にティーカップが零れ落ちた。

 その日、喧嘩をしていた二人の神が同時に地を仰ぎ、同じ人間の名前を呼んだ。

 その日、隻眼の神が――その日、祈りを捧げる老神が――その日、薬を調合する神が――。

 その日、その世界に降臨し、存在するありとあらゆる全能者たちが、オラリオの奥底で胎動した絶対的なそれの片鱗を知覚し、震えた。


 オーネストに加勢するタイミングを窺っていたリージュも。
 突如として意識が完全に覚醒したユグーも。
 ダンジョン内で戦い、或いは移動し、或いは休息していた者たちも。
 そして、黒竜とオーネストも――それに気付いた。


「………どう、すっかなぁ」


 オーネストがさり気なく守り続けていた静止の氷柱の上で、黒いコートがはためいた。
 掠れた声を上げながら、幽鬼のようにゆらりと長身が立ち上がる。

 既に戦える状態ではないほど疲弊した体が小刻みに揺れ、コートの袖から血が零れ落ちる――否、血のように見えたそれは、斑な血に染まった包帯のような布切れだった。呪帯とでも呼ぶべきか、『死望忌願』の容貌と同じく包帯には赤黒い染みと共にどこの言葉とも知れない呪文がびっしりと書き込まれ、その鬼気迫る文字に込められた行き場の知れない誰かの意志が空間に伝播する。

 いつも手袋もなしに素手で鎖を扱っていた細い指が呪帯に包まれ、アズの素肌が禍々しい文様に隠されていく。顔を覆う寸前まで巻き付いたそれは突如動きを止め、背中にだらりと下がった。その姿はまるで『死望忌願』そのものに近づいているかのような様相だった。

「あぁ……これ、ちょっと足りないな……どうすっかな……」

 どこか普段より力の足りない口調で呟いたアズは、足元に転がっていた氷の破片をおもむろに拾い、握りしめる。その切っ先を右目で覗き込み――。

「脚はちょっとアレだから、選ぶとしたら………」

 ぶつり、と何かを貫く音を立て、その切っ先を躊躇いなく自分の右目に押し込んだ。
 
「ぐ、ぅおおおおおおおおおおおおおお……ッ!!かっ、はぁ……ッ!!あっ、ぐがぁ……ッ!!」

 思わず目を逸らしたくなる程に常軌を逸した光景。氷の破片はミチミチと音を立ててアズの右目を貫き、中ほどまで侵入した所でゴリッと瞳の底で音を立てて停止する。アズにとっては顔面に金槌で(のみ)を叩き込まれるような鈍痛が連続して襲ってくるようなものだ。血管や神経を通して心臓の鼓動と同時に押し寄せる激痛の津波にアズは悶絶している。
 生気を感じなくなりつつあるその顔面は更に蒼く、まるで自傷によって自らの命を貫こうとしているかのように見える。

「はぁ……はぁ……ふぅぅーー……っ」

 最初は多量の出血が氷を濡らしたが、やがてその血や体液は氷の刃が内包する静止の冷気によって凍結し、アズは氷の刃が突き刺さったままの顔を上げて、切れる息を吐き出した。瞬間、首元で止まっていた包帯が右目の周囲に巻き付き、アズの両肩から胸元で交差する鎖が巻き付いた。

 更に一段『死望忌願』の滅死の気配が強まり――。


 瞬間、アズの周囲にいた全員が『自らの首を鎌で落とされたと錯覚した』。


 錯覚の一言で片づけるには余りにもリアリティに溢れ、自分の視界が地面へと落下していく刹那を鮮明に思い出させる程に、それは紛うことなき『死』の感触だった。黒竜さえもが一瞬自らの首がまだある事に疑問を覚えるほどに――熱が無く、つめたく、そして魅入られるように安らかなりし『死』を自覚させた。

 その瞬間アズから発せられたそれは、無差別で一方的で不可避なる力、『死』の波動そのものだった。

「――ッ!!」

 瞬間――60階層から59階層までを埋め尽くす嵐のような量の鎖がアズの周辺から溢れ出た。

 四方八方から空間を塗り潰す冷たい鈍色の鎖はこれまでアズが扱っていたそれとは思えない程に太く頑丈な形状に変化し、その一部は黒竜にも飛来する。弾こうと真空の刃を無数に飛ばした黒竜だったが、瞬時に迎撃から回避に移る。直後、真空の刃を呆気なく弾き砕いた鎖が黒竜のいた空間を通り抜けて壁に突き刺さった。
 これまで黒竜の炎とリージュの氷に彩られていた世界が一気に重苦しい牢獄のように変貌する。それは無数に突き刺さった鎖だけでなく、元来鎖が内包する不可避の運命が黒竜とオーネストの意志だけの空間に割り込んだからだ。

 その鎖の上――とても足を置けそうにない傾斜の鎖の上に、アズはいつの間にか爪先だけで立っていた。右目が氷に塞がれたせいで左目だけになってしまった視界がオーネストを捉える。じろじろとその様子を観察したアズは、やがて少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「お待たせ、風の精モドキ」
「言うに事欠いてそれか?」

 突然目覚め、突然自分の眼を貫き、突然それまでと一線を画す力を発揮したその友人に、しかしオーネストは動じるでもなく呆れ顔を見せる。アズに怒られてすっかり頭が覚めてしまったオーネストからすれば、目の前にこの男がいることは想定の範囲内であるし、謎の自傷行為の理由も凡その見当がつく。

 おそらく、『近づけば近づくほどにいい』のだろう。事実、アズから発せられるそれは余りにも自然に、濃密に、明瞭に、しかし以前より透き通るようだ。より本質的に、アズは『死望忌願』の根源たる部分に触れたのだろう。
 どうやって、何に触れたのかまでは知らない。知る必要もない。それはアズにだけ理解できる領域であり、極端に言えば自分と他人を分ける明瞭な境を越えることだろうからだ。アズの力とは恐らくそれ程に単純で、極めて個人的なものだ。

 しかし、そうして更に平均的な人間から見て遠い領域に踏み込んだくせして、こいつは相変わらずへらへら笑っている。その事実が喜ばしいのか否か、オーネストにはいまいち決めかねる。案外決める必要もないのかもしれないと思い直したオーネストは、色々と思案する自分が馬鹿らしくなってきた。

「なんか俺が寝てる間にめっちゃ風の加護みたいなの受けてるじゃん。昔やったゲームに出てくる風の精っぽいわー。なんだっけ、ジンだっけ?」
「せめて風神モドキと呼んでほしいもんだな、死神モドキ。妖精の加護如きではここには至れない。ついでに言うと、ジンが風の精霊なんて言い出すのは日本人くらいだ」
「そうなん?中東系で砂嵐的な感じだと思ってたんだけど」
「ジンってのは幽霊だの精霊だのといった実体の見えない………ああ、いや、もういい。無駄話は俺の悪い癖だ。この話の続きは酒場でやる」
「おっけい。そんじゃま都合よくパワーアップしたことだし、そろそろシメに掛かりますかね?」
「……大丈夫なんだろうな、テメェ。次に倒れたら俺もどうしようもないぞ?」

 じろりと睨む。そもそもオーネストの頭を冷やすためにアズが無茶しすぎて倒れたのだってオーネストからすれば不測に近い事態だった。次に戦闘中にギブとかほざくようならいっそ死んでいた方が面倒がなくていい。
 そんなオーネストの不信を知ってか知らずか、アズは暢気だ。

「いやぁ、俺も『大熱闘(インテンスヒート)』的なものに目覚めたかな?死にかけた方が調子が良くなったみたいだ。多分両足捥げたら空前絶後の強さになると思うわ」
「目、後で治るんだろうな?それのまま帰ったらお前、メリージアが3日は泣くぞ」
「リージュちゃんの氷ならギリギリセーフかな?『静止』の性質が目の組織を必要以上に傷つけないし、後で引っこ抜いてポーション注いだら引っ付くと思う。あとはアレかな、片目が無くなってはいるんだけど霊能力的(スピリチュアル)な何かが上がってるみたいだから、反応速度とか距離感に関しては無問題だよ」
「このビックリ人間が……」
「お前にだけは絶対言われたくねーっつーの……」

 言い返されて、オーネストは「そうかもな」と呟いた。
 そして、その眼を再び獰猛な獣のように鋭く光らせる。
 視線の先にあるのは、不倶戴天の天災級怪物――黒天竜。

「リージュは温存する。ユグーは好きにやらせる。俺とお前はこの場で絶対に奴を殺す。それが俺達の勝利の最低ラインだ。これが出来なきゃ全滅だと思っておけ」
「あいよ」
「その他いろいろと不測の事態はありうるが、すべてその場で対処する」
「うむうむ」
「お前も死力を尽くせ。勝って生き延びるつもりなら、死ぬまでの散歩がてら、なんて半端な覚悟はやめて泥中で足掻くように生命(いのち)に齧りつけ」
「……………やれるだけやるわ」

 最後の一つにアズは一瞬呆け、少し考え、厳しい顔つきで答えた。
 人にどうこう言ってはいるが、アズとて自分の命に執着する意識はほぼ存在しない。
 生に対する執着の差は死闘の重要な局面で必ず決定的な差を生み出す。
 言ってしまえばオーネストなりの意趣返し。
 ただし、アズはその意味を正しく理解し、自分にそこまで出来るか確信を持てなかったから曖昧な答えを返した。

 アズらしい、とオーネストは思った。
 そして、アズがそれでも結局やってくれる気がした。

「俺はやりたいようにやる。お前もやりたいようにやれ」
「元より俺はそのつもりだよ?さぁて、久しぶりにイカれた騒霊たちの……いいや、違うな」

 言いかけ、アズはすこし考えた。
 騒霊(ゴースト)には実体がないが、今の自分たちは生者として戦おうとしている。
 なれば、騒霊は相応しくない。自分たちに相応しいのは、あれしかない。

「――『狂闘士(ベルゼルガ)』と『告死天使(アズライール)』の最高にサイコで見苦しい醜劇をとくとご覧あれ、ってなぁッ!!」
「――血反吐と臓腑(ぞうふ)をぶちまけて死にな、クソッタレ」

 1柱の化け物と、化け物と呼ばれた二人の人間が、激突した。



 = =



 熱意と脱力の中間。
 存在と消滅の狭間。
 生存と死別の隙間。

 それが今の俺、今のアズライール。

 オーネストが疾風となってその場を離れると同時に、俺は鎖の上を疾走していた。
 それと全く同時のタイミングに、黒竜が動き出す。

「ギュオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!!」

 ちっぽけな人間など軽々しく吹き飛ばす重厚で殺意に満ち溢れた咆哮を聞いたのは、一体何度目となるだろうか。より『深く』なってこそ更に実感する、黒竜の底なしの存在感。成程、個としてここまで洗練され、凝縮された一つの意志とはそれ自体が呪のようなものだ。

 いつだったか、オーネストみたいな滅茶苦茶な男は向こう一億年は現れないだろうとからかった時の事を思い出す。オーネストが人間にとってのそれならば、黒竜とは魔物にとってのそれなのだろう。あれは本当に桁と想像を外れた怪物なのだろう。

 絶対殺を謳う『断罪之鎌』の直撃でも本当に殺しきれるか怪しいまでの生命の輝きは、単に体が強くて偶然現代まで生き残った怪物という過小的な評価で説明しきれない。
 いや、当たれば恐らく死ぬのだろうが、『殺せるイメージに至らない』。
 それだけの存在圧を他人の認識に植え込むほどに強烈なのだ。

 対してこちらは死にたがりと死にぞこないがそれぞれ一人ずつ。
 死にたがりはしかし、やる気になった。ならば死にぞこないもやる気を出さねばなるまい。
 元より、その為に俺は立ち上がり、右の眼を抉ったのだ。

(あれを倒すには魔石を破壊するっきゃないんだけど、魔石ねぇ……大抵は体の中心に近い心臓あたりに存在するものだけど――探るか)

 意識を沈め、存在しない鎖を辿る――かつて戯れに自分の『死』を手繰った感覚が手のひらに宿った。あの時は気付かなかったが、今なら分かる。これは自分や他人の生命を手繰る鎖だ。前から生死の気配は不思議と感受出来たが、これはその曖昧な感覚を技術となるまで絞った代物。

 瞬間、俺の魂の感覚だけが現実世界の時間と空間を解脱し、非物質的領域に至る。
 存在の曖昧な淡い鎖が目の前に突き出される。
 そのすべてが少しずつ違った形状と気質を纏っていた。

 冷たい鎖――リージュだ。精緻で雅やかだが、芯は強い。
 複雑に編み込まれた鎖――これはユグーか。随分複雑な事情があるらしい。
 これはオーネスト――おい、鎖に『触るな』って札が張り付いてんぞ。あいつ何でもありか。
 これも違う、これも、これも、これも――余分な鎖を掻き分け、数多の鎖の中を探す。

(――これだ)

 一際禍々しく、血と茨に塗れ、周囲の鎖をも強引に引き千切るかのように堂々と、それはあった。鎖を掴むと茨が手の平に王者なく突き刺さり激痛が奔り、しかも鎖そのものが焼けるように熱い。
 いや、単に痛いという領域ではない。夥しいまでの生命を荼毘に付し、(ちり)に帰してきた規格外の化け物が抱え込んだ魂の性質は、もはや呪怨という名の毒に等しい。棘を通して俺の全身に毛細血管の端まで爆発するような激痛が迸った。

(ッ!!気配を手繰っただけでこの有様か!しかし、その程度では止まってやれん……ッ!!)

 まるで腕が溶鉱炉にでも突っ込まれて融解しているかのような錯覚を覚えても、『死望忌願』としての力が俺の手に更なる握力を生み出し、鎖を強引に引き寄せる。
 あの大馬鹿(オーネスト)がやっと自分の未来(あす)を背負ったのだ。
 空の雲より朧な俺の命もまた、自らの未来くらいは背負わないと割に合わない。

 生きることは苦痛の連続だ。
 これは、そのほんの一部に過ぎない。
 だから――。


『てめぇの根源。心臓。魂の在処を……見せやがれぇぇぇぇぇーーーーーーッ!!』


 刹那、言葉や視覚を越えた第六感的な情報が脳に叩き込まれると同時に目の前の鎖は視界から消失し、そこで黒竜に向かって駆けだした自分としての物質的領域が戻ってくる。現実世界には存在しない刹那以下の情報世界から、俺は情報を引きずり出した。

 代償として鎖を掴んだ右手が血を噴出して無残に爛れるが、爛れた肉ごと『死望忌願』の呪帯が包み込み、人間の形に押し留める。ポーションはもう手元にないので有難い話だ。感覚も触覚以外は殆どなかった。それはそれで、明らかに危険な領域に文字通り手を突っ込んでいるのだが。

 俺は構わずその手に『断罪之鎌』を構え、黒竜に斬撃を飛ばして牽制しながら叫んだ。

「オーネストッ!!聞こえるかッ!!」
「何だッ!!」
「黒竜の魔石の在処だッ!!」

 オーネストの返答が来るか否かのタイミングで黒竜が鎖を掻い潜って強烈な旋風を飛ばしてくるのを別の鎖に飛んで回避し、更に追撃で迫った熱戦のようなブレスを手元の鎖によって回避しながら跳ね回る。もはや会話が成立していることが奇跡だ。黒竜が更に広範囲の追撃を放とうとするが、オーネストが死角から黒竜に回り込んだために辛うじて余裕が生まれる。

 尤も――俺が引き出した事実は、黒竜が本当の本当に前代未聞の怪物であることの証左だったのだが。

「黒竜の魔石なんだがな!!こいつ、魔石が『三つ』あるッ!!」
「ほう、とうとう魔物の大原則まで破ってきたわけか……ッ!!」

 魔物の体に魔石は一つしかない、という原則を、恐らく歴史上初めてこの黒竜は覆した。
 魔石は魔物の魂と肉体両方の中核であることは言わずもがな、魔物の最大の弱点でもある。極論を言えば魔石さえ破壊出来ればどんな巨大な魔物でも容易に殺害することが出来る。

 そしてこの黒竜は、その弱点を分散することで一撃死のリスクを分散するという極めて合理的かつ悪魔的な進化を遂げていた。

「不思議には思ってた……あの巨大竜が抱え込む魔石となれば人間が抱えられないほど巨大になる筈なのに、巨大化ではなく小型化していたことをなッ!!」
「脳に一つ!!心臓部分に一つ!!あと、翼の付け根部分にもう一つ!!恐らく相互互換機能あり!!ただ、それでも魔石は魔石だ!!ぶっ壊せばその分だけ奴の命のストックは減るし、戦闘能力も下がる!!どれからぶち壊すッ!?」
「翼の根元だッ!そこに魔石があるという事は、巨体を浮かせる四枚羽にそれだけ他の器官以上のエネルギーを送る必要があるという事だ!!背中を抉って機動力を削ぎ、そのまま心臓部分の魔石を破壊するッ!!」
「頭はッ!?」
「あいつの頭はそれ自体が武器だッ!!狙って壊せる状況じゃないッ!!」

 言われて確かに納得する。恐らく眼球を抉られた過去からだろう、黒竜は頭部周辺の反応速度や角を利用した動きが達人級に巧い。頭蓋骨の強度も鱗とは比べ物にならないだろうし、むしろ破壊するのが最も難しい部位だろう。

 黒竜の攻撃による轟音に掻き消されぬよう声を張り上げたオーネストが黒竜の翼を切り裂こうと接近し、黒竜の放つ真空の刃と同じ飛ぶ斬撃を風で再現する。黒竜の放つそれの大きさと遜色ない威力で放たれたそれを見て、オーネストは瞬時に何かに気付いて舌打ちし、すぐさまその場から離れた。直後、オーネストのいた空間をブレスが通り抜け、視界が白熱に染まる。

 真空の刃は黒竜の羽ばたきで発生した風の壁によって威力を減退され、翼のはためきと同時に照準を定めた黒竜のブレスがオーネストに迫ったのだ。状況だけ見れば、オーネストが一度攻撃する間に黒竜は二つの行動をしたことになる。翼と首をそれぞれ独立した武器として使うことによって相手より優位に行動している。
 俺も隙を突いて鎌による死の斬撃を放っているが、回避と攻撃を同時にされるのでオーネストと同じ結果に終わっている。

 自分の体が持つ特性を熟知し、人間の行動を学習した黒竜の鉄壁の戦法には驚かされる。

 真空の刃、真空の爆弾、空気の壁など風と空気を規格外の威力で圧縮した多彩な広域攻撃。
 長い首によって確保された広すぎる射角を誇る、一撃必塵の超火力ブレスによる遠距離攻撃。
 冒険者が装備する一級の武器でさえ弾かれる強靭な鱗、爪、角などの頑強な肉体。
 巨体に似合わぬ驚異的な俊敏性と反射速度、そして的確な思考力。
 更には数段の変身に加えて複数魔石所持などの芸の多彩さ。

 変身するたびに隙が無くなり、戦うほどに動きを覚えられていく。
 だから、あれを葬るにはあちらも知らない不意の一撃で全てを決するしかない。
 二人だけで倒すには、それしかない。

 複雑に入り組んだ鎖の結界も、黒竜は所々邪魔な部分を破壊しながら移動している。翼が引っかかってしまったなどと半端なミスは一切ないし、恐れるに足らずとばかりに自在に隙間を潜り抜けてはこちらやオーネストに攻撃を仕掛けてきた。
 おかげでこちらは黒竜に手が届かず、黒竜は安全圏からじわじわとこちらの体力を削れる訳だ。俺も『死望忌願』に近づいたことで無茶な力を発揮しているが、それも無尽蔵なものではない。むしろ、この力が途切れた時こそが俺の死ぬ時だろう。あちらはリスクを冒さずずっとああして嬲っていれば――。

「――?」

 微かに、引っかかった。

 確かに黒竜はわざわざ接近戦に持ち込まずとも遠距離で攻撃していれば負けはしない。オーネストの速度は黒竜に追いついてこそいるものの、完全な捨て身の戦法を断念したオーネストには致命の一撃を黒竜に叩き込む隙を掴みかねている。

 だが、攻撃が消極的過ぎるのではないか?
 俺はともかくとして、黒竜はオーネストの本気の時に発揮する化け物染みた爆発力と未知の部分を知っている筈だ。魔法を解禁したらしいオーネストは現在風だけで戦っているが、その動きは少しずつ風の特性や鋭さが増幅して強力なものになってきている。
 黒竜がそうであるように、オーネストの学習能力も人知を超えている。発想力、応用性、持続性のどれをとっても化け物クラスの思考力と学習能力は、幼かった彼に8年間ずっと生存という結果を齎してきた。
 そのリスクを考えれば、黒竜はもっと強引で更に広範囲な攻撃を仕掛けてきても全くおかしくはない。

 いや、むしろ既にその考えに至っているのか?
 何をすべきか取捨選択している最中なのか?
 或いは俺と同じで、もう既に切り札を持っている?
 ならばなぜ使ってこない?

 待っているのか、それとも――今、既に準備しているのか?

 ぞわり、と全身に鳥肌が立ち、得体の知れない悪寒が背中の後ろを流れ落ちた。
 こちらは必殺を想定した切り札なのだ。当然あちらも必殺を想定している。
 俺の必殺は当然強力ではあるが、黒竜の必殺とは『どの程度の次元になる』?

 バックステップした先でオーネストの背中と俺の背中が軽くぶつかった。
 偶然ではない、と直感する。オーネストも似たような結論に至ったから合流しに来たのだ。

「顔色が悪いな。気付いたようだから言っておく。奴は必殺の一撃の準備をしている……その証拠にさっきから黒竜の再生した片目に異常なまでの魔力が収束している」
「魔力って……あいつ、何する気?」
「俺達を殺す気なのは確かだろう」

 互いの顔も見えないまま、黒竜にだけ意識を集中させる。黒竜はまとめて俺達を吹き飛ばすように無数の真空の刃を乱れ撃ち、いくつかの鎖を破壊しながらこちらに飛来した。一度別れ、逃げた先で再び背中合わせになる。

「どうやらあれは目ではなく、『別の器官』らしい。考えてみれば当たり前だ、ずっと片目で戦ってきた黒竜に今更もう一方の目が復活しても使い辛いだけだからな」
「何個仕込みすれば気が済むんだあいつ。くそう、地上に戻ったらガウルの義手にも仕込みしてやる」
「勝手に言ってろ。それより、魔力の収束具合からして奴が札を切る時は近いぞ」
「なんとなく想像ついてたわ。甘い話って本当世の中にはないよなぁ……」
「だから……」
「だから、俺たちはどうするんで?」

 大軍師オーネスト様のありがたーい――これは嫌味ではないが――作戦曰く。

「使う前に抉殺(けっさつ)する」
「どシンプルな無茶ぶり来たッ!?」

 やられて嫌ならやらせない。オーネストの思考は常にシンプルで最短の道を行く。
 言葉に出した以上、オーネストは本気である。俺達の人生で一番短く、一番難しく、一番命懸けの作戦を本気で今すぐ決行するからお前もやれと言っているのだ。
 滅茶苦茶である。暴君だ。自分本位にもほどがある。
 しかしこの男がそう言うのなら本当にここで叩かないと詰むんだろう。

「あぁ~………命懸けの闘いってのはこんなに心臓に悪いんだな。背中越しに鼓動が伝わってたりしない?」
「ふん……俺の心臓の五月蠅さで相殺されてるのかもな。まったく、未来(あす)ってのは重いもんだ。何なら緊張が解ける魔法の言葉、使うか?」
「やめとく。あ、いや待てよ?ちょっと思いついちゃった」

 一つ、俺は思い間違いをしていたのかもしれない。今のような状況の場合、自分が生き残る事を優先して考えると絶望しか見えない気がするが、生き残る術をきちんと考えれば勝機がちゃんとある訳だ。すなわち――。

「――ってな感じでマイナーチェンジしたらどうかね?」
「………啖呵としちゃ弱いが、お前らしいか」

 ふっ、と小さく笑ったオーネストが剣を掲げ、俺もそれに合わせて鎌を掲げ、二つの切っ先が同時に黒竜へと突き付けられた。


「「俺達の求める未来(あす)に、黒竜(おまえ)は要らない」」

  
 

 
後書き
アズは『霊〇』を取得した!(〇絡……某死神漫画に登場したがそんなに出番なかった技術)

という冗談はさておき、お待たせしてすみません。
次回、とうとう戦局が動きます。(←今まで動いてなかったのかよ) 
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