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魔弾の王と戦姫~獅子と黒竜の輪廻曲~

作者:gomachan
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第9話『戦姫の所作~竜具を介して心に問う』

『ブリューヌ・モルザイム平原荒地』





テナルディエ軍の敗残兵は、暁の落日を背にしてモルザイム平原の荒野を歩いていく。
足取りの悪さが戦果をものがたり、統率の取れない行軍こそ指揮官の不在を語っている。
その敗残兵の集団の正体は、凱によって戦闘力を奪われた、哀れなテナルディエ兵であった。
略奪の限りを尽くそうと、欲望の限りに暴れる予定だった連中は、逃亡する民の姿と遜色なかった。
古くからの名門。栄華を誇ったテナルディエ家の威光。千と揃えた騎士の威圧。それらは完璧に砕かれたのだ。

「あの黄金の騎士に短剣で腕を斬られたかと思ったんだが……なんともなかったんだ」

「オレもだ。なんか不思議な短剣だったな。背中を斬られたかと思ったんだが、打撲以外なんにもなかった」

「ああ……盾や甲冑、剣までも紙切れのように切断されたのに……」

「なぜなんだ?黄金の騎士に……命を奪われた奴が一人もいないなんて……」

「……殺されるかと思った」

「一体……何なのだ?あの黄金の騎士は……」

「て……天罰かもしれない。あれはワルフラーンが人の姿になって、俺達に罰を与えたんだ!」

ワルフラーンとは、ムオジネルの国旗に象徴される緋地に『角突き黄金兜と金剣』を携えた戦神である。
ジスタート介入までの間、アルサスを防衛した黄金の騎士を形容するならば、それが最も適切かもしれない。

確かに、黄金の角突き兜(ホーンクラウンの事)を付けていた。

確かに、黄金の剣(ただし、短剣。ウィルナイフ『不殺』の意志による黄金発光)を携えていた。

確かに、騎兵の能力を封じ、歩兵の大軍という利点を逆手にとり、人智を超えた身体能力で、我が軍を翻弄した。

まさに、戦いの神ワルフラーンだ。
もし、スティードが今回の遠征に従軍していたなら、冷静にこう分析していただろう。「なぜ、あれほどの男が野心をもたず、何を対価にして辺境の領民に力を貸し与えたのだ?」と――
それだけではない。
銀の髪の戦姫が、地竜を大気ごと薙ぎ払った。
赤い髪の若者が、飛竜を穿ち、貫いた。
この二つの人智を超越した事実が、戦神ワルフラーンに対する背信行為を罪深く意識させた。
今はザイアンも捕虜としてアルサスに連行されている。これから彼らが待つものは、テナルディエ公爵による苛烈な懲罰だ。

――その事実が、より一層彼らの帰還の足取りを重くさせた。――






『ジスタート・王宮庭園・中央噴水前』





ライトメリッツ公主のエレオノーラ=ヴィルターリア――エレンが、同じ戦姫であるソフィーヤ=オベルタス――ソフィーをともなって、王宮庭園に訪れたのは、謁見の閉幕から約半刻の事である。
ここを選んだ理由はある。
天を仰ぐような魚が水を定位置に噴き上げて薄い水のカーテンを作り、吹き抜けの天井から差し伸べる太陽の光が虹を彩り、人の姿を隠してくれる。二重構造の防視機能と、水の音が生み出す防諜設備がある為、密会としては手軽に利用されている。ソフィーから後で教えられることとなるが、この噴水設備はいわば、「遮蔽建造物(カモフラージュ)」と言うらしい。
ソフィーにとって、エレンは戦姫になったときからの友人だ。先ほど別れたミラもそう。心の友として二人に友愛を注ぐ共通の友人として、今後の二人の行く末が心配でならないはずだ。
だから、ソフィーはブリューヌとジスタートに関する情報を、エレンに全て話そうと決意した。
早速エレンは深々と頭を下げた。

「ありがとうソフィー。本来なら私が始末をつけなければならないところを、口添えしてくれて申し訳ない」

公国(ライトメリッツ)を敵視しているのか、それとも戦姫(エレン)に敵対しているのか分からない。あるいはその両方かもしれない。
ジスタートの王宮に足を踏み入れた時、既にわかっていたことだ。あまねく謀略が渦を巻いていたことに。だからこそ、エレンはソフィーの弁護に感謝の意を示した。

「ミラの言う通り、ぼろ程度ですまなかったと思うわ。もちろん、私もね」

エレンの顔に隠しきれない驚きの色が浮かんだ。だが、ソフィーはエレンを驚かせる為に、このような自嘲ぎみな事を言ったわけではない。
二人とも用意した果汁水を一口飲み、ソフィーは前置き無く切り出した。

「エリザヴェータは……テナルディエ公爵、ガヌロン公爵と深い交流があるわ。ただし、儀礼上の付き合いね」

僅かに眉を潜ませるエレンだが、次を促した。風姫は異彩虹瞳(ラズイーリス)の戦姫に対しての個人的感情を、この場では押し殺した。

「ヴァレンティナに関しては……ごめんなさい。今は何もわかっていないの。彼女の事は調べてみるわ」

虚影の幻姫は未だに謎が多い。ソフィーが警戒しているためなのか、彼女はソフィーを警戒している。肝心な出所の尻尾を掴ませないあたり、流石は女狐といったところだろう。

「オルガは行方不明。竜具だけ持ち出して、――旅に出る――と書き残して姿を消したわ」

「行方不明?」

思わぬ単語に、エレンはオウム返しのようにつぶやいた。だが、驚いている暇はない。ブレストの公主の現状が分かっただけでも良しとしよう。
そして、エレンは口調を緩めて、最も気にしている戦姫の状況を聞いた。

「……サーシャの具合は相変わらずか」

「良くはなっていないわ。でも悪くなってもいないみたいね。わたくしがジスタートへ来る直前の話だけど」

エレンを安心させる為とはいえ、このような言い方しかできないソフィーは、自分を情けなく思った。

「当面警戒すべきはリュドミラとエリザヴェータだな」

エリザヴェータの公国はリュドミラの公国と違い、ライトメリッツから離れている。厳警戒を取るべき相手は、エレンの公国と隣接しているオルミュッツ公国だ。
警戒すべき戦姫の大将を絞り込めただけでも、エレンには大いに助かった。

「ソフィー。頼みたい事がある」

「戦姫以外に、ブリューヌの情勢に関わる人物を調べてほしいという事?」

「流石だ。実はあと二つ、調べてほしいことがある」

一つは、テナルディエ公爵の間で竜を使役できる者がいないか調べる事。
先日のモルザイム平原での戦いの内容をエレンは「地竜」・「飛竜」と交戦したことをソフィーに話した。実際飛竜の方はティグルの黒弓にて撃墜しているが、戦姫に匹敵するティグルの力を公に出来ないため、2頭ともエレンが打ち倒したことになっている。

「二つ目は……シシオウ=ガイ。この男を調べてほしい」

「シシオウ……ガ……イ?随分と変わった名前ね。できれば、理由を聞いてもいいかしら?」

エレンは事の顛末を出来るだけ詳細に話した。
獅子王凱。ある日、アルサスにふらりと現れて、民を護る為に尽力した青年。
ジスタート軍が介入するまでの間、たった一人で領民を守り抜き、ティグルと邂逅を果たした。
最初に凱と出会ったのがティッタだ。テナルディエ軍撃退後、ひと段落ついてからエレンは凱の事をティッタに聞こうとした。だが、過去や出身等のことについてはティッタも、リムも、ティグルも詳細に聞かされていない。
ただ、「凄く強い」「凄く速い」「凄い剣士」という風潮がアルサスに浸透していると……
あえてこの場では、「不殺」について話さなかった。個人的な感情が表に出てきそうで、押しとどめる自身がなかったからだ。
一騎当千や万不不当とは違う、彼の圧倒的な強さ。私たち戦姫達とは違う強さを、あの青年は持っている。
ひとつの公国を治める立場故か、時代の流れに聡いエレンだからこそ、はっきりと分かることがある。

――あの男が動けば……時代も動く――

強大な力を持つ存在は、時代という大気をうねらせる。そうなれば、当然民衆も大気の流れに巻き込まれ、術もなく時代の渦に飲み込まれる。
眠れる獅子の存在を信じるわけではないが、エレンはなぜかそう思わずにはいられなかった。

「あれほどの戦士なら、ブリューヌやジスタートで既に噂となっているだ。貴族や領主なら、大金を払ってでも抱え込みたいくらいに」

「そんなに凄い人なの?その……シシオウ=ガイってひとは」

「私の見立てでは、単純な戦力なら戦姫と同等かもしれん。私も断片的にしか耳にしていないから、私もここまでしか分からない」

戦姫と同等の力を持つという意味ならティグルも同じだ。正確には、彼の持つ黒き弓の力を指している。
ティグルに関してはエレンにとっての「捕虜」と、「雇い主」という立場が判明している為、自分に対しての「脅威」ではなく「同等、あるいは味方」として見ている。
だからこそ、立場の確定していない凱の行動がもたらす影響を、エレンは警戒しなければならない。

「戦姫と同等……若しくはそれ以上」

ソフィーは形の整った眉を潜めて、つぶやいた。たおやかな彼女もまた、眠れる獅子の存在に興味を持った。

「そういえば、エレン。今回の監査役は誰か知ってる?」

「二人の内の一人は、わたくし」と、ソフィーは自分に指さした。金色の美しい髪が微かに揺れる。

「あと一人はミラ……リュドミラよ」

エレオノーラとリュドミラの不仲を考慮してなのか、あえて青い髪の戦姫を愛称で呼ばなかった。

「ソフィーなら構わないが……リュドミラを監査になんか私は頼んだ覚えはない」

「エリザヴェータでは不適格だから仕方がないわ」

ソフィーの口から異彩虹瞳《ラズイーリス》が出た時、エレンの感情は負の方に傾いた。
監査役とは、今回のブリューヌ内乱における戦後処理の必要常設機関だ。
選任するにあたって、該当する人物としてエリザヴェータとリュドミラが候補に挙がった。結果、選任されたのはリュドミラの方だった。
公国上の位置関係もあって隣接する方が業務監査に支障のないものの、主な理由は極めて政治的過去の背景によるものだった。
過去に、エリザヴェータとエレンの間に貴族の着服問題が発生した。その着服問題の中心人物となったのはエリザヴェータ……彼女の父ロジオンであった。
その事件に対して、ソフィーも決して無関係ではない。横領と着服に際して被害を被った周辺貴族は、そろってヴィクトール王に告訴した。その王が実態調査を命じたのが、情報収集能力に長ける戦姫、ソフィーだった。
ロジオンの有罪が立証されると、ヴィクトール王は彼の領土に最も近いエレンに討伐命令を下した。その時、父の贖罪と処遇を任せてほしいと願い出たのがエリザヴェータだ。
結果、ロジオンは出廷に応じるどころか、ジスタートからの逃亡を図ろうとした。よって、エレンは彼を追跡、討ち果たして事件は終幕した。
ジスタート国の規定通りに従えば、一時的とはいえ、叛逆者の後見人となったエリザヴェータは監査役に不適役とされた。
リュドミラが選定されたのも、ルリエ家が代々ラヴィアスを受け継ぎ、戦姫の模範としてヴィクトール王への信頼を後押ししたのだろう。
こういう国益重視の考えを持つヴィクトールは実に用意周到であり、リュドミラには不仲故に聞き出せない事と、ソフィーには親密故に聞き出せる事での監査役を講じたのだ。

何かを思い出したのか、ソフィーはポンと両手を合わせて話題を変えた。

「そうだわ。エレン。サーシャから伝言を預かっているわ」

「伝言?」

アレクサンドラ=アルシャ―ヴィン。レグニーツァ公国公主の彼女は、エレンにとって多大な恩を受けた相手でもあり、リュドミラとの喧嘩の仲裁、(一度だけ実力行使)を引き受けていた相手でもある。
親友の彼女の言葉となると、二人の戦姫の絡む話題で硬化気味だったエレンは、少しだけ態度を軟化した。

『竜具を介して心に問え』

「竜具……を?」

それからソフィーは一言一句違えることなく続けた。

『例え竜具で心を触れ合えたとしても』

「……心を?」

ソフィーの口調は、まるでサーシャが傍らに立っているかのような錯覚さえ、エレンに覚えさせる。

『竜技に心を呑まれては意味がない』

「心を……呑まれる」

それからエレンは、ソフィーの語る言葉全てを、オウム返しのように繰り返した。一つ一つの言葉を、心に刻みつけるように。
2年近く前、アリファールに選ばれ戦姫になって間もない頃だ。サーシャ竜技の濫用を自戒せよと諭されたのを思い出す。

『戦士なら武具を。戦姫なら竜具を。これはあまねく万物に通ずる(ことわり)だ』

次々と繰り出される言葉は、なぜか自然とエレンの耳にしみ込んでいく。

――戦姫なら……竜具を交わす――

竜具を向ける相手。竜具を向ける時。竜具を向ける場所が分からない程、エレンはもう子供ではない。
エレンも、ミラも、ソフィーにも、それぞれの国があり、責務があり、使命がある。その為に衝突することがある。
それぞれが、それぞれの大義を背負って――
剣腕が卓越していても、未成熟だった心のままで感情に任せてぶつかり合う2年前の頃とはもう違うのだ。
意見の相違や、立場の見解から仕方なく敵対する戦姫も、過去に何度かあったらしい。そうした戦姫同士の激突事例は枚挙にいとまがない。
再びソフィーは口を開く。

『矜持とは違う、僕たち戦姫の「心」の所作なんだ』

「心の……所作……か」

エレンの視線はアリファールの美しい紅玉に移される。そのつぶやきに呼応するかのように、銀閃は軽やかな風を奏でた。

「これから、必要な時に竜具を交えていくエレンへの……叱咤激励だって言っていたわ」

金色の髪の親友の口を介して伝えられた言葉を心に刻み、エレンはふと自嘲気味の笑みを漏らした。

――そうか。サーシャには結局、全部分かっていたんだな……――

問うように自分を見るソフィーに気づき、エレンは静かに言った。
既にジスタート全公国にブリューヌ内乱の介入の報は浸透している。当然サーシャの耳にも届いている。
黒髪の戦姫もまた、ソフィーと同じように、親友たる二人の行く末の心配を捨てきれないのだろう。

「ソフィー」

「何かしら?エレン」

「2年前、竜技について私はサーシャに反論したことがある。『兵の一人でも死なせずにすめば、別に竜技を使ってもいいではないのか?』……と」

「なんて言われたの?」

「兵は君ではなく、竜具しか見ないようになるよ……と」

心の成長しきっていなかった当時のエレンは、竜技という超常の力を受け入れるのに戸惑いを覚えていた。それ故に、竜技という強大な力の使い方を具体的に思い描くことができなかった。
だが、今となっては素直にサーシャの言葉も理解できる。『兵の一人でも死なせない為に、たやすく竜技を振るい続ける』ことが、自分の望もうとしている未来をもたらすとは思えないから。
竜技という爪を振るい続けた結果がもたらす場所――同じ人間が死に絶えて――未来永劫禍根の残る世界に辿り着きたいとは思わない。
自分は『戦姫』ではなく、ただの『エレオノーラ』として、間違っている事は反論し、正しいと信じるものは守りたい。
今はぼんやりとしか道が見えなくても、悩みと失敗を繰り返しながら手探りで道を進むしかない。今日や明日に答えが分からなくても、いつかは分かるかもしれないと信じて。

それから黙り込んだエレンに、ソフィーは優しく微笑んだ。

「わたくしも、多分サーシャも、――竜具を介して心に問う――ことに対して、誰もが明確な答えを持ち合わせていないと思うわ」

「……サーシャの言葉は、リュドミラにも伝えるのか?」

「ええ。それこそ、サーシャがわたくしにお願いした事だから」

再び、2年前の懐かしい思い出がよみがえる。
喧嘩だ。それも、常用化とも言っていいほどの――
何が面白くなかったのか、今となっては原因ですら思いだせない程の些細なものなのだろう。
だが、今は幼稚な振る舞いをしてきた頃とは違う。だからこそ、サーシャはこのような賢人じみた助言をしたのだろうか。エレンにはそう思わずにはいられない。
エレンは謁見の時のリュドミラを脳裏に描いた。
リュドミラ本人はブリューヌ介入に反対の意志を示した。だが、テナルディエ公爵には協力しないとは言っていない。
もし、テナルディエ公爵が何かしらの支援を要請して、オルミュッツ公国公主として、ルリエ家としてのあいつなら、案外やる気かもしれない。話し合いで済むことならば、謁見が終わりリュドミラと顔を合わせた時、既に決着を終えていたはずだ。
いずれにせよ、竜具を介して爪を咬み合ってみなければ、凍漣の雪姫(ミーチェリア)と銀閃の風姫(シルヴフラウ)は先に進めない。

――サーシャ。もし、リュドミラと戦いを避けられなくなった時、私は、あいつの心に触れる事が出来るだろうか?――

そうエレンは自問して、ソフィーとの対談は終わった。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





着なれた軍服に身を包み、エレンは出立の準備を整える。さらにその上を、顔を隠せる毛皮のマントと薄い麻布の服で覆う。
周囲の建造物とほぼ同じ色の麻布なら、それなりの擬態彩色(カモフラージュ)となるのだ。
防諜設備を備えた噴水前でエレンが話を切り出したことは、もちろん意味のないことではない。実はもう一つ理由がある。
用意した果汁水を自然に持ち上げて、噴水設備の死角部をグラスの光沢面で確認したところ、どうも数人の尾行集団が張り付いていたようだ。それに気づいたエレンは、あえてそいつらに聞かせるつもりでソフィーとの対談に臨んだ。
迂闊に周りを見回してしまえば余計に警戒させて、奴らの行方を掴めなくなる。こういう時、所在を掴んでさえいれば対処はそれほど難しくはない。結果、泳がせることにした。

(一体誰の差し金だ?それとも……まあいい。私を追い回す為にこき使われるとは、ご苦労な事だな)

この仕業はだれのものかは差し置いて――
エレンはこれ見よがしに、王宮の長大な廊下を幾重にも交わし、円柱の錯覚を巧みに利用しながら、尾行集団との鬼ごっこを満喫した。
そして、二手に分かれた集団を時間差で巻いてしまうと、彼ら追跡者達の慌てぶりを王宮の城壁から見下ろして楽しんだ。

「先日、ライトメリッツに紛れ込んだ暗殺者より楽しめたな……しかし」

ただ一つ、エレンに疑問符が浮かぶ。

「尾行集団……その割には動く人数が少なすぎる。テナルディエ直属の刺客ではないな。だとすると……諜報部の連中か、それとも……」

エレンは王宮門を抜けると、一般民を装って、走ってくる馬車に手を上げた。広大な王都シレジアでは誰もが有料の馬車で移動する。エレンは馬車に乗り込んだ。
動乱が、待っている。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





エレンと対談を終えて、ソフィーは王宮の長い廊下を一人で歩いていた。

「シシオウ=ガイ。エレンのいう事が本当なら、彼はかつて覇王と呼ばれたゼフィーリア女王のような存在」

戦姫たるエレンを言わしめて、あれほど警戒させなんてね。とも思わざるを得ない。

「眠れる獅子……まさかね」

眠れる獅子の逸話は、何も人物に限った話ではない。そのような国と偉人が歴史上、異国に実在していたからだ。
ソフィーは視線をうつぶせて、アスヴァール王国の歴史を思い出す。
大陸初の女王ゼフィーリア。
建国時代より何世代か後、アスヴァールはカディス王国という侵略被害を受けていた。訪れた国家滅亡の渦中から剣を取り、獅子奮迅と思わせる活躍を見せ、カディス王国軍を撃退したばかりか、攻守を逆転させて敵国の本土に侵撃するに至った。結果、ゼフィーリアは島と陸の領土を得たという偉業を達成した。
カディス王国はゼフィーリアという獅子と、そしてアスヴァールという獅子を眠らせたままにすべきだったと後悔せし。この結果は『獅子の尾を踏んだ故に~』として後生に語り継がれたという。もう、カディス王国は地図に記載されていない。
もしかして、獅子王凱もまた、ゼフィーリア女王と同じ軌跡をたどるのではないか?ブリューヌの内乱に合わせて一斉蜂起するのか?
ヴァレンティナの事を重ねるわけではないが、それだけにエレンが警戒するのもどことなく分かる気がする。
そんな思考を遮るかのように、穏やかな声がソフィーの耳元をくすぐった。

「ソフィーヤ=オベルタスではありませんか?」

「ヴァレンティナ……」

一瞬ソフィーの声がうわずった。脳裏にヴァレンティナの姿が浮かんだ時に本人が現れたからだ。
あの時の謁見と同じように、再びソフィーの表情には驚きの色が浮かんだ。
普段のヴァレンティナは健康に優れないという理由であまり王宮から出ないことで知られる。その為に今回の出廷は辞退するかと思われた。いや、ソフィーが一方的に思っていただけかもしれない。

「珍しいわね。公判には出廷しないと思っていたから……身体のほうは大丈夫なの?」

「あまりいいとは言えませんが……今後のジスタートと隣人のブリューヌの為ですもの。多少は無理をしないと」

口元で手を抑えながら、どことなく咳を払う。その表情にはどこか疲労感が滲んでいた。

「ジスタート中はどこも賑やかすぎて、それだけで疲れてしまいますから」

表にこそ出さないものの、ソフィーはこういったヴァレンティナの病弱体質を欺瞞(ぎまん)情報だと思っている。
大鎌を飾るように担いでいる彼女を疑っているわけではないが、とりわけ信じているわけでもない。
当然かというように、ヴァレンティナもソフィーの出方を伺っている。非合法な方法で自分の情報を得ようとさせれば、必然的にソフィーには虚偽の情報しかいきわたらない。他国の人物の情報を得るには、どうしても人を介さなければならないからだ。
このような情報漏洩の仕組みを知るあたり、やはりヴァレンティナは尻尾を掴ませない女狐と評価するソフィーの弁。

「ではソフィーヤ。一つだけご忠告を」

「何かしら?」

「エレオノーラ姫のおっしゃる通り、眠れる獅子が動けば時代も動きますわ」

「……!!」

かすかな動揺が、ソフィーの瞳に色濃く映る。
ソフィーは気づけなかった。エレンのように尾行集団には気づいていたが、彼女の気配は全く感じられなかった。

(どこから聞かれていたのかしら?)

言われっぱなしも(しゃく)なので、ソフィーヤも嫌味を込めて彼女の耳元で唾を吐く。

「そういう獅子身中の貴女《ヴァレンティナ》は、ブリューヌの内乱に対してどう動くのかしらね」

「まぁ……」

思わぬソフィーの反撃に、ヴァレンティナは口に手を当てて驚いていた。
二人は足並みをそろえて、再び歩き出す。

「でも、大変なのはエレオノーラだけではありませんわ」

それは、光と影の戦姫には分かっていた。
内乱の火種がくすぶっている以上、確実にブリューヌの迷走が始まる。
そして周辺諸国は、その隙を逃さないだろう。

「ヴァレンティナ……あなたは、どうするつもりなの?」

謁見の時に司法席越しに発言したものとは違う、一人の戦姫としての答えをソフィーは求めた。
それを察してか、ヴァレンティナもまた儚げな笑みを浮かべて返事する。

「答えはただ一つ。ジスタートの国益を第一。その中にオステローデがある。そういうことです」

心に重くのしかかるヴァレンティナの言葉を受けて、ソフィーは一人歩みを止めた。
黒髪の戦姫の後姿は、なぜか今にも消えてしまいそうに見えた。





◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇





(シシオウ=ガイ。懐かしい名前。私が殿方に愛称を許したのは、あの方が初めてでしたわ)

ソフィーを一人残して、ヴァレンティナは思い出を噛みしめた。獅子王凱と巡った独立交易都市浪漫譚を。出会いの証として、多目的用通信玉鋼を胸に抱いて――
平たい板をかいつまんで、指で撮影記録を開く。
写真は、凱とヴァレンティナの二人が楽しそうな表情を浮かべていた。

「国民国家《ネイションスティート》……ジスタートが真の理想へと生まれ変わる時、あの人は私の隣にいてくれるかしら……」

誰もいない空間で、ティナは再び儚い表情を浮かべて空を見やる。それは決して、戦姫や公主といった立場に縛られないままの、年相応の女性の儚さがあった。





『アルサス・中央都市セレスタ・ヴォルンの屋敷・裏敷地』





――さて、ジスタ-ト王国において戦姫達の間で、密かに凱の存在が囁かれているとはいざ知らず――

「これ、読める人いるかな?」

「あっ!分かった!ジャガイモだ!」

「ざんねーん。キャベツでした」

「ずるいよガイ兄ちゃん。最初の文字が同じなんて!」

「わりぃ。でも、最初の文字が同じものなんていくらでもあるさ。さあ授業を再開しようぜ」

一人の青年の回答に、一人の小さな子供が頬を膨らませた。ちなみに、他の子供の同じ反応を示していた。
青年は見た目、20代前半(実際は後半)あたり。子供は見た目、10に満たない。
どうしてこのような構図になっているか、理由を述べよう。
現在、アルサスというブリューヌの辺境土地は、ジスタート軍の占領下にある。
占領下にあるという事は、当然駐軍部隊もあるわけで、部隊長組は神殿を貸し切っており、それ以下の兵達は空き家等を利用して夜を明かしている。
他国の、それも見知らぬ軍が駐在することは、セレスタの住民にとって警戒せざるを得ないことだった。
戦争が始まる前までは、この子供達も普通に読み書きや計算を学ぶために神殿へ足を運ばせていた。
しかし、テナルディエ軍の襲撃を知った教導官は山か森へ避難した。正確には、自主的に避難したのだ。神殿には入れる人数が限られるし、自分一人だけでも神殿に入れることが出来れば――そのような想いを託して。
それから数日たってもセレスタの神殿へ戻ることはなかった。おそらく安静の地を求めてアルサスから離れていったのだろうか。それとも、避難空しくどこかで生命を落としたのか――
どのような経緯があるにしても、読み書きと計算を教える教導官がいなければ、子供達は学ぶ機会を失ってしまう。
テリトアールへ向かったティグルを見送った数日後、凱はティッタと相談してみたのだ。

「読み書きを教える?」

「ああ。駄目かな?ティッタ」

ティッタは思わず目を丸くした。そして、思ったことを言葉にした。

「どうして、ガイさんはそこまでしてくれるんですか?」

それから凱は、少し表情を暗くしてつぶやいた。ティッタは不安げに問いただす。

「ティッタ。大人はこれからもずっと大人だ。だけど……」

「ガイさん?」

「子供はずっと、子どもではいられないから」

ティッタは気づかされた。それは、子どもにとって黄金の一粒より貴重な時間だという事を。
神殿も決して無料で講議するわけではない。寄進という形でお金を「奉納」しなければならない。
今でこそティッタは神殿の巫女であったが、決して裕福だったわけではない。ティッタは両親の反対を押し切り、ヴォルン家の侍女になった。
当然、貴族の屋敷に務める以上は、一定以上の識字力と計算力を必要とする。自分を神殿に行かせてくれる両親と、いずれ仕える事となるヴォルン家当主の期待に応えようと、懸命に学んだのだ。

(子供はずっと、子どもではいられない……)

凱にとって、子どもに空虚な時間があるという事実ほど、残酷なものなどないと思っている。

「ガイさんがそうおっしゃるのでしたら、あたしは構いません。ですが……」

「ああ、分かっている。俺が直接子供達の家に迎えに行くよ。ライトメリッツ軍が駐在している以上、万が一という事がある」

直接子供の家に迎えに行く。これには凱にとって大きな理由があった。
義平心のあるライトメリッツ平と、為政者としてのエレンを信用してはいるが、可能性を捨てきれない。

ティグルのように立場のある人間なら、ライトメリッツ兵とて簡単に声を掛けられないからいい。だが、ティッタなどは時折ライトメリッツ兵の目に留まり、声を掛けて呼び止めることが多々あった。これでは子供達も、住民も迂闊に外を歩けない。
今は兵を百程度残しているらしいが、やはり凱が出向くのはありがたかった。
何より凱には、セレスタを襲う野盗ドナルベイン一派を蹴散らし、物の怪の類に誘拐されたティッタを保護し、(ある事情でティグルには伏せるよう、マスハスは住民、凱、ティッタ、バートランに伝えている)さらにテナルディエ軍侵攻からセレスタを防衛しきったという実績がある。
今の凱にはセレスタの住民と深い信頼関係が結ばれている。そして、凱は一つティッタに要望を申し出た。


「あと、教導場所はこの屋敷の裏側を使わせてほしいんだ」

「でもお金が……」そうティッタが言おうとしたとき、凱は手を振って静止させた。

「俺はただの流浪者(るろうに)でヴォルン家の居候だ。できる事は何でもしなければ。それに、子どもに教えるのは俺も楽しいからさ」

遠回しな言い方による、無条件と無償で教えるという条件付き?で、凱は子供達に読み書きと計算を教える事となったのだ。





――再び、ヴォルン邸の裏側へ――





獅子王凱の脳内には、あらゆる言語を介する力『翻訳器官』が存在する。
かつて、エヴォリュダーとなった際、アジャスターを務めていたパピヨン=ノワールとスワン=ホワイトの2名から、凱の秘められた力の一端を知らされた。
右脳と左脳の間にある神経細胞(ニューロン)、さらにその細部には超越意識同調器官(イレインバー)があり、もう一つ、イレインバーの伝達回路がある。それが翻訳器官だ。
判明しているのは、この翻訳器官は日本語を始めとした地球の世界各国の言葉のみならず、異世界での言語識解能力さえも兼ね備えているという事。
例え見慣れない文字でも、既視感のような確かな輪郭を認識させ、はっきりとした情報で凱の脳内に届けられる。
だから、学んだことのないブリューヌ文字でさえ、塾識したかのように筆を走らせることが出来る。発音も、脳内で一度日本語を原文とし、ブリューヌ語を訳文とすることが出来るのだ。
ジスタート語も、アスヴァール語も、ザクスタン語も、ムオジネル語も、例外ではない。それどころか、人間の枠にとどまらず、夜と闇と死の女神さえも例外ではない。

――凱。君に与えられた力は、君一人のものではない。人類が、これから隣人や遠い星や、異なる世界の来訪者たちと付き合っていく為に、これから獲得しなければならない力なのだ。――そう大河長官が言い与えてくれて。

――ケンカだけじゃ、これからの時代はだめだってこったな――ゴジラモヒカンのヘアスタイル、火麻参謀が激を入れてくれた。

かつての上司達のそんな熱い言葉を思い出して、凱は授業を再開した。
そして数日後、ティグル達はオージェ子爵を味方にしてアルサスへ一時帰還した。

NEXT

 
 

 
後書き
捕捉:終盤あたりの凱の子供達に対する教導は、ダイの大冒険の勇者アバン先生の「勇者の家庭教師」を踏襲しています。 
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