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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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56.第六地獄・凶暴剽界

 
前書き
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 これまで三度繰り返したが、黒竜と戦う際のオーネストの精神状態は常に日常以上に異様だった。
 目に入るありとあらゆる敵を、敵以上に憎い「何か」ごと鏖殺するように、破滅的に、のめり込むように、無為に、無策に、破壊衝動の赴くままにダンジョンを突き進む男を、誰が正気と言えようか。裂かれた腕で敵を斬り、兜もなしに頭突きで敵の牙を砕き、背中から血を噴出させながら正面の敵を蹴り潰す。口から吐き出した吐血と、その血も慄く殺意に満ちた雄叫び。巨人も怯み、獣をも怯えさせ、その隙を逃さず破滅の剣を振りかざして返り血に塗れる。そんなものは既に人間とは言えない。――化け物の類だ。

 そしてその化け物はいつも、どんな敵を殺しても同じ場所で壁に突き当たる。
 血濡れの化け物より更に化け物らしい、太古の怪物に。

 最初は何度前へ進んでも後ろへ吹き飛ばされ続け、それでも前へ進もうとして足が折れ、最終的には気を失った。その時は偶然にも餌を蓄える性質のある特殊な魔物に生餌として黒竜から離れた場所へと連れ去られた。
 目を覚ましたオーネストは、自分を喰らおうとしたその魔物の顎を殴り潰した。依然捕らわれたままの狂気を抱えて奥に進もうとしたが、当時のオーネストの素手では突破できない敵が多すぎて、武器を手に入れに引き返すことで一度頭が冷えた。

 この頃、世間知らずの少年はこの古の覇王を知識としては知っていたが、自分の命さえ見えていない盲目的な彼にはそれが自分の当たった壁の正体だとは思っていなかった。自分が何度も命を捨てる勢いでぶつかり続けた数多の「魔物」という括りの一つに過ぎない。あれは確かに強かったが、倒せば下の階層にもっと強い存在がいるのだろう――そう考えていた。

 二度目はそれから更に成長し、ヘファイストスの剣を手に入れても尚、誰の手助けも求めずに『地獄の三日間』の残滓が潜むこの都市を彷徨い歩いていた頃。今度は以前より遥かに早く、纏う狂気もさらに深く灼熱の溶岩のように滾っていた。そして黒竜のいる場所へと再度辿り着き――この時、やっとオーネストと黒竜は互いに互いを個の存在として認識した。

 オーネストは、二度目の対峙の際にこの漆黒の破壊者と一度戦ったことがある事に気付いた。
 そしてその力の差が、当時自身が思っていたほど埋まっていない事も瞬時に理解した。

 黒竜は、そのちっぽけな人間が以前に珍しく縊り殺し損ねた存在であることに気付いた。
 そしてその力が、自身には及ばずとも以前より爆発的に増大していることを知った。

 オーネストは混沌とした激情の奔流の中で、黒竜との戦いで自分が果てるかもしれないことを期待した。抗っても抗っても届かずに、徹底的な破壊が己の身に返ってくる。その果てに辿り着けるなら、そこが終着点かもしれない。言葉で形容しがたい向死欲動――自殺では意味のない、満足と納得に足るほどの、魂を粉々に打ち砕くほどの永遠の終わりを望んだ。

 黒竜は絶対者然とした姿の裏で、密かにこの人間がほかのありとあらゆる人間と違う特別な存在であることを感じ取った。触れれば崩れる案山子のような存在とは、あらゆる部分が違いすぎる。かつて戦った英雄と呼ばれる連中とも違う。意識と闘争本能が融合した嵐のような存在に、黒竜は「また縊り殺し損ねる」という漠然とした予感を抱いた。

 少年の期待は裏切られ、竜の予感は現実になった。
 オーネストの刃は竜に傷を負わせるには辛うじて至らず、黒竜は自らの引き起こした衝撃波によって巻き起こった瓦礫と砂塵に阻まれてオーネストを見失った。その後、オーネストは『ロキ・ファミリア』に望まずして助けられ、再度オラリオへと戻る事になった。
 
 三度目の対面の際、オーネストは未だかつてない程に強い戦意を以って戦った。目撃者は黒竜しかいないが、見る者が見れば「魂を燃やし尽くすような戦い」と称したであろう。或いは、人間が化け物になる過程を生々しくも悍ましく描いたような戦いだった。

 黒竜は更に成長したその人間に戦士として純粋な敬意を表すると同時に、恐怖を覚えた。この人間をこれ以上取り逃がしたら、いずれ自分をも滅する存在となる。三大怪物の一角をたった一人で下すような存在が人間の側に付いたとなれば、それは黒竜にとっての「母」の命を脅かす。黒竜は今度こそこの人間を確実に殺害せねばならないという強い殺意を抱いて戦った。

 オーネストの刃は黒竜の鱗を切り裂くまでに鋭く、強くなっていた。黒竜の知る限り、古代の英雄や数十年前に現れた戦士たちの中にもこれだけの実力を持った存在は多からずいた。だが、それは人間という限りある器を極限まで使いこなして辿り着いた「境地」と呼べる領域にまで達した戦士達であり、目の前の人間が振るう剣はまだそれに達していないと黒竜は思った。

 黒竜は確実にオーネストを殺すため、体の傷を無視してまで徹底的に痛めつけた。途中で爪や尻尾の一部を斬り飛ばされ、髄に至る寸前の猛攻を受けたが、それでも持ち前の力と実戦経験で圧倒し、最後の最後まで追い詰めてもう抵抗が出来ないことを確認してから食い殺そうとした。

 オーネストは、掠れる意識の中で自分の死期を悟った。
 2度目の瀕死より更に体が砕け、原型を留めているのが不思議な体。もう出せるものは何もなく、あとは刹那と那由他が永遠に交錯する世界へゆくだけだと、意識を落とした。


 オーネストは、『まるで意識がないまま黒竜の顎を殴り飛ばした』。
 

 ――のちに助けに来たアズに聞いたところ、オーネストは意識がないまま戦おうとしていたらしい。いや、確かに意識はあるかのように動いていたが、それが本当にオーネストのパーソナリティに基づいた論理的な動体反応だったのかどうか、アズには判別がつかなかった。
 敢えてそれを理屈に合った言葉にするなら、脳の活動を超越した浅ましき生存本能の塊。まるでオーネストではなく、オーネスト以外の誰かがその肉体の本能を代行させているかのようだったという。その事実を耳にしたとき、オーネストは激しく怒り狂い、苛立ちのあまり自分の膝に拳を叩きつけて膝と手の骨を粉砕骨折し、それでも収まらない怒りで自分のいた病室とその隣の部屋に至るまで半径10Mすべてが破壊されるまで暴れた。

 黒竜は、これを以ってしていよいよオーネストを明確な『敵』と認識した。

 使う未来など来ないだろうと考えていた『深化』をすることも決定した。
 『深化』するまでの戦略を立て、あわよくば肉体が再構成される前に滅ぼすことも織り込んだ。1000年余りの間にため込んだありとあらゆる方法に加え、今まで決して助力は請わなかった「母」の力までもを借りた。万全の布陣で待った。

 オーネストは、以前よりも早く来たためか今までほど爆発的には成長していない代わりに、取り巻きを3名もこしらえて挑みに来た。母すらも警戒する『死を呼ぶ者』、『抑止力』、途中から精霊の加護を得た奇妙な人間。いずれもオーネストには一歩劣るが、『敵』と呼ぶには値する力を持っていた。おかげで「あわよくば」などと甘い見積もりで立てた作戦は水泡に帰した。

 そして今、黒竜はとうとう翼を持たぬ存在への最終手段として空まで飛んでいる。かつて支配した青天井に比べると余りにも矮小だが、ちっぽけな人間を相手にするには十分すぎる程大きな空間を支配下に置いた。

 黒竜は静かに、その人とは思えぬほどに凄まじき剣士を見下ろした。
 オーネストは今度こそ黒竜の手に掛かるのか、それともこの試練を過ぎて尚も生き延びるか。

 依然として力関係は変わらない。
 黒竜は3勝、オーネストは3敗。黒竜は今回も自らが勝つと確信している。
 だからこそ、問題はたった一つ。その敗北が「死」か、それとも「敗走」かの一つ。
 
 黒竜はオーネストを殺すため、少しでも可能性を削ぐ。

 60層のホールに追い詰めることで59層への復帰を困難にし、上空からの攻撃に逃げ場がない環境を作り上げ、広域破壊の波状攻撃で肉の体を徹底的に追い詰める。オーネストだけでなく取り巻きの3人も殺し、危険因子をここで嬲り殺しにする。

 今の黒竜は、「取り逃がすかもしれない」などとは欠片も考えていない。



 漆黒の狩人の眼光を浴び、オーネストは思う。
 今日の自分は、黒竜を相手にするにはいつもの暴走にも似た殺害衝動が足りない。いつもと違う目的でここに来たせいか?我武者羅に、無策無謀に飛び込んでいないせいか?その意志の揺らぎが、甘さが、一方的に嬲られる今の惨状を招いているのか。

(無様――)

 無数の真空の刃によって既に額や体の一部は切り裂かれ、どくどくと心臓の鼓動に合わせて暖かな命の源が零れ落ちていく。骨や筋肉は軋み、自分の体が少しずつ死へと歩み寄る虚脱感が背中に伸し掛かる。
 しかし、この程度は傷とも呼べないし危機とも言えない。これまでの黒竜との死線に比べれば掠り傷と言って差し支えない程度の裂傷が何だというのだ。黒竜を前にしてこんなにものんびり戦っている自分自身への苛立ちさえ湧き出てくる。

(並び立つ存在なんぞ気まぐれで連れてくるからこうなる。アズの口車に安易に乗るから、余計な事柄ばかり頭を過って戦えない。これだから俺は愚かだというんだ)

 これまではアズがいて、黒竜も予想外の行動をし、リージュを庇うような行動をしていたためにギリギリでそのラインを踏まないまま戦いを進めていた。それはオーネスト本人も然程自覚がなかっただろう。アズライールやリージュという存在は、オーネストの心に引かれた最後の一線を越えない為の枷として働いていたのかもしれない。
 そのリージュもアズも、これ以上は庇い切れない。いや、もしかしたらもう死んでいるかもしれない。そもそも黒竜相手に「庇う」などと甘ったれた思考をしていた自分が異常だった。今まで一度も突き破ることが出来なかった理不尽の権化の命を奪うには、「護る者」ではなく「奪う者」でもなく「殺す者」にならなければいけないのに。

(誰が行動を共にしているとか、誰が味方だとか、そんなことはもう忘れろ。あいつらの命の在処はあいつらが決めることなのに、俺がその行く末を気にするのはもうやめろ)

 言い聞かせるように――まるで「きっと生き残るから」と自分に刷り込むように、しかし己がそんな都合のいい幻想を信じているという事実を認めたくないかのように、忘れろ、と何度も何度も自分の心に叫び続ける。
 リージュが黒竜に攻撃をしたのも、アズが鎖を展開して生き延びたのも、オーネストの頭の中で「自分に関係のない事象」と切り捨てられた。そうだ、これでいい。

(本来オーネスト・ライアーが考えて気にするような事柄ではない。オーネスト・ライアーという男は致命的に盲目で、決定的に愚かしく、ただ目の前に存在する現実だけを薬物中毒者のように求め続ける世界最悪の屑――おれは、つまり、そういう存在だったろうに)

 くそったれた世界で、くそったれた存在が暴れて果てて、死ぬ寸前の末期(おわり)最期(おわり)の瞬間に、運命に向かって「俺は最後まで自分のやりたいようにやってやったぞ、ざまぁみろクソッタレ」と吐いて捨てられる自分でいればいい。
 アズは一日くらい未来をねだってもいいと言った。
 だが、俺は殺す者。過去も明日も現在も、貴賤の区別なく粉々に砕く。

 だから――。

(アズ、てめぇは精々てめぇの未来を自力で掴み取るんだな)

 それはきっと、未練という名の枷。

 自ら外して捨ててしまった、オーネストがオーネストになる最後の枷。

 さぁ、オーネスト。お前は空っぽだ。抱えた罪と破滅的な破壊衝動だけがお前だ。

(全部壊れてしまえ。俺の邪魔をする一切有情を、自分諸共殺し尽くせ)

 今のオーネストにあるのは、この世に存在するありとあらゆる憤怒と激情を掻き集めて数万倍の濃度で抽出したような、空間()を飲み込む奈落の狂気。人間として何か致命的なものを喪失した化け物の表情だった。

「お゛おおおおおおおああああああああああああああああああッッッ!!!!」
『グヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!』

 世界に終わりを告げる終末の獣も恐れ戦く巨大な破滅が、この日、ダンジョンに存在するありとあらゆる存在に決戦の刻限を告げた。未知の魔物と戦闘していたココたちも、オーネストの無茶を知って緊急出動した『ロキ・ファミリア』も、ダンジョンの上の神々も、ギルドの依頼を受けて疾走する彼も、悟った。

 古の怪物と現代の怪物のどちらかが、今日、真の敗者となる。



 = =



「――しかし、今のままではオーネストくんに万に一つの勝機もありません」

 ミリオンが魔法で投影する戦いを見つめながら、ロイマン・マルディールは只ならぬ表情でそう呟いた。

「…………そんな馬鹿な。オーネストは死なない」

 頭を振ったフーが呻くようにそう呟く。その言葉の端には自身が道理の通らないことをのたまっている自覚と、それでもやはりあの男が帰ってくるだろうという信頼が入り混じり、ひどく不安定な感情を吐露する言葉だった。
 
「いやいや、人なんだし。死ぬときは死ぬっていうかむしろ今すぐ死んでも可笑しくな――」
「そうですねー、確かにオーネストは死なないかもしれませんねー。援軍も要請してはいますし、きっと手遅れになるギリギリで救い出されるでしょう。本人にとっては甚だ不本意なことにね」
「ええっ!先輩まで何頭おかしいこと言ってるんっすか!?昨今こどもの絵本にだって死人はいますよ!?現実見ましょうやマジで!!」
(それは君の絵本チョイスが独特過ぎるせいだと思いますが……片足のダチョウとか哀れな象とか好きでしたよね、君)

 この中で唯一オーネストという男の事をよく知らないミリオンだけが、訳が分からないとばかりに顔を顰める。あそこはダンジョンでオーネストは冒険者、そして敵は黒竜だ。むしろ死ぬ条件の方が綺麗に揃っているように見えるだろう。しかし、オーネストを知っていれば納得はしただろう。
 オーネストという男は公式には犯罪者だ。だから彼の情報は大っぴらにオラリオの外には伝わっていない。彼女とて本人に出会ったら、完全ではないにしろそう考えるのも無理はないと思えるだろう。
 この街に現れて早八年間、彼の経歴を知っているのもなら誰もが知っている。その血に塗れ、余りにも死と隣り合わせ過ぎた経歴の中で現在まで生き残っているというだけで、彼は既に冒険者の伝説だ。

「しかし、彼と共にいる3人はどうなのでしょうね?一部で『不死者(ノスフェラトゥ)』とまで呼ばれる(ユグー)ならばまた生き残るかもしれませんが、残りの二人の肉体はそこまで頑丈ではありませんし、オーネストの心に占めるウェイトも………代償は余りにも大きいですよ」
「そう、か。俺はあの面子のなかじゃアズしか顔を合わせたことないけど、もしもアズが死んだらオーネストは……」

 オーネストにとってアズライールという男は唯一の友達であり、あらゆる意味でオーネストを止めることのできる最終安全装置(フェイルセイフ)。人間であることを辞めるかのように破滅の道へ突き進み続けるあの救いようのない男を、唯一救えるかもしれない存在だ。

 もしアズが死ねば、彼は恐らく――。
 アズにしかオーネストを変えられなかったのだ。
 アズがいなくなれば、『決定的』になる。

「私の私見ですが、オーネストにとってのアズは既に彼の『家族』に匹敵する程に大きな存在となっています。もしそれを喪えば――今度こそ、彼は崩壊する」
「………え、家族……ロイマンさん、あなた彼の経歴を知って――!?」
「失礼、今の言葉は忘れてください」

 ロイマンは額の汗を高級そうなハンカチで拭い、言葉を濁した。
 オーネストの過去を知る人間は、フーの知る限りではヘファイストスとヘスティア、そしてあのリージュという女性の3人だけだった。そしてその3人も、決して周囲にオーネストの過去を吹聴するような真似はしなかった。そんな彼について、ロイマンはかなり深く知っているらしい。
 本当に、この男はどこまで知って、どこを見据えているのだろうか。これまでギルド代表という犯罪者を遠ざけるべき立場でありながらずっとオーネストの敵にならなかったこの肥満のエルフは、なぜそこまでして。

「………いや、今は詮索は後か。それよりロイマンさん、オーネストに万に一つの勝機もないとはどういう事です?」

 『ゴースト・ファミリア』には目的や過去の詮索は必要ない。あるのはオーネストの味方として動くというただそれだけだ。つまり、この男も自分と同じ穴の狢。そんなことよりもフーにはあの暴力の権化のような男に勝利の女神が振り向かない理由の方が気にかかる。

「あのー。当事者の可愛い後輩ミリオンちゃんがまるで話についていけてないのはスルー?」
「スルーで」
「今シリアスな話してるから状況の変化があったとき以外は黙ってて貰えると助かりますねー」
「味方がいねぇ。ブラック組織だブラック組織………」

 恨めし気な――何故か主にフーに恨めし気な視線を送ったミリオンは、ぶつくさ文句を言いながら鏡の観察に戻る。彼女の物分かりがよくて助かった、などと心の隅でロイマンは一人ごちる。

「………さて、オーネストが勝てないという話の続きですね?とはいっても、理屈は別に難しくないですよ。恐らく本人には逆に自覚がなく、アズ君辺りは察していたのかもしれませんが――」

 少し、間を置いて――。

「オーネスト・ライアーという男はね、生きることに対して真剣になれないのですよ」

 確信を持った声で、ロイマンは断定した。

「すべてが行き当たりばったりなのです。この世への八つ当たりの為に行動してる男なので、明確に何かを守ろうとか勝とうと真面目に考える思考がないのです。戦いで怒ったり暴れているのはただ単に暴れているだけ。陰鬱とした煩わしい感情を爆発させているだけ。逆を言えばそれこそがオーネスト・ライアーなのです」
「………オーネストはオーネストだ。そしてオーネストである限り、彼は自分の命に真摯に向き合えない、と?」
「そうです」

 フーは視界が白んでいくのを自覚しながら、ふらりとよろけて壁に持たれかかった。
 ロイマンの話を聞き、自分の知るオーネストの記憶を必死に掘り起こし、フーは納得した。
 納得して、しまった。

「それじゃあ、オーネストを殺すのはオーネスト自身ということですか!?」
「その通りです」
「そんな馬鹿な話が………」
「そんな馬鹿なことを馬鹿正直に貫き通せてしまうのが、あの男です」

 そんな生き方が長く続く筈がない。究極的に自己中心的で、暴力的で、己を顧みないままに唯々破壊だけを積み重ねていけば、自分も周囲も必ず綻び、いつか崩壊する。

 その在り方を自分で貫き通してしまった狂人は誰だ?
 決壊を防ぐようにどこからともなく集まってきたお節介焼き達を虜にした金色の獣は誰だ?
 虜にされた人間たちを、それでも自分に近づけさせなかった孤独な男は、誰だ?

 つまり、オーネスト・ライアーとは――そういう男なのだ。



 = =



 精神が肉体を超越し、殺すという意識だけが際限なく加速していく。
 自身の脚に掛かる反動を一切無視した踏み込みが地面を割り砕き、踏み出したオーネストの肉体が音速を超えて上空に弾き出される。
 生身の人体が音の壁を越えようとすれば衝撃波で引き裂かれて死亡する。いくらオーネストが超人的な身体能力を持った冒険者だとしても、無事で済むはずがない。自分で自分を押し出してすぐ、オーネストの通った空間から裂けた服の切れ端と血飛沫が下にばたばたと零れ落ちた。

 全身に裂傷が奔るが、どうでもいい。
 それで戦えるならば体が引き裂かれても構わない。
 軋む腕を強引に振りかぶり、ヘファイストスの直剣を抉るように正面に突き出す。狙いすます先は、黒竜の腹部中央。この加速と破壊力ならば、捌かれる前にその肉を抉る。代わりに命中した際の反動は全て自分の体で受け止める。アズの魂が弾丸になるように、オーネストの肉体そのものもまた弾丸になりうる。

 ギャリリリリリリッ!!とけたたましい音を響かせて刃が逸れる。眩い火花を散らしてすれ違ったのは、反応を間に合わせた黒竜の尾だった。昨日戦った蜥蜴の尾を思い出させるが、黒竜が操るとなるとそれは牙より余程厄介な武器だ。恐らくその先端の硬度と速度は爪を上回るだろう、剣を突き出すのではなく斬るために動かしていれば腹を貫かれて上半身と下半身が分断されていただろう。まぁ、どうでもいいが。

 擦れ違い様に浴びせられた黒竜の殺す意志が心地よく背筋を通り抜け――瞬間、身を翻した黒竜の鋼鉄をも粉砕するような鋭い尾がオーネストのどてっ腹に叩き込まれた。べきべき、みちみちと何かが弾け、裂ける音と共に体がダンジョンの壁面に叩きつけられ、吐き出す空気と共に肉片の混じった鮮血が口から噴き出した。

 腹と尾の間に割り込ませたヘファイストスの剣は、衝撃で折れる寸前まで捻じれながらも辛うじてオーネストが水風船のように割れる事を回避したらしい。オーネストは自分の口から何が出て、どれほど危険な状態にあるのかも無視して背筋のみで壁から弾かれ、その下にあるリージュの魔法によって壁から生えた巨大な氷柱を足場に着地。間髪入れずに体を強引に捩じり、反動を乗せて折れかけの刃を矢のように投擲する。

 黒竜はその刃を鬱陶しそうに風で吹き飛ばそうとし――風を起こした反動で素早く刃の射線上から逃れた。

「チッ………人間の道具の良し悪しまで判別がつくとは、つくづく――鬱陶しいぞ手前はぁぁぁーーーーッッ!!!」

 射線上を外れた場所に、壁を蹴った反動で虚空に射出されたオーネストの刃が迫った。
 今度はガリンッと鈍い音を立て、黒竜の右下腹部の鱗が皮膚ごと剝ぎ取られる。傷は浅いが、天黒竜となって初めて黒竜の体からマグマのように熱い血が噴出する。

 一連の流れ――捻じれ曲がっても並の武器を遥かに上回るヘファイストスの剣の強さに気付けなければ、黒竜は風であれを吹き飛ばそうとして失敗していた筈だった。そして、悪態をついた癖にオーネストは黒竜が直前でそれに気付くことを見越して先読みで黒竜を斬りつけた。

 壁の対向にあった氷柱の上に叩きつけられるように着地したオーネストは、既に戦えないほどに傷ついた体を強引に引き起こして立ち上がる。瞬間、噴き出した血飛沫が氷柱の上を真っ赤に染めた。引き裂かれた傷の激痛、折れた骨が内蔵を串刺しにした鈍痛、ありとあらゆる痛みが全身を襲う。

「ぐがあぁ………ア、ああああああああああああああああああああああッッ!!!!」

 人間はここまで理性の剥がれた獣に近づけるのか――そう感じざるを得ない程に激しく浅ましい悲鳴染みた怒声が響き渡る。だがオーネストの咆哮は痛みを誤魔化す為の物ではない。
 ――自分はまだ生きて戦える。その確認だ。

 あの炎の姿の影響か、オーネストが握る二本目の剣の表面に付着した血液が本当に沸騰していた。炎と違って浴びれば皮膚や装備にべったりへばり付き、その体を焼き尽くすだろう。頬に微かに張り付いた黒竜の血が発火して燃えるが、オーネストは無言で燃える自分の頬の皮膚を肉ごと剥ぎ取った。
 ぶじゅり、と音を立てて火の付いた肉片が足元に落ち、燃え尽きた。

「終わりが見えぬ暗夜を、彷徨って彷徨って彷徨って彷徨って………ここにあると思ったから。だのにお前は俺の邪魔をするばかりで、まだ辿り着けない。お前がそうなのか?それとも、お前も俺の終わりではないのか?だとしたら俺は何処へ向かう――何処へ向かってるんだッッ!!!」

 噴き出す血の量が次第に減り、熱した鉄を水に突っ込んだような音と共にオーネストの傷口から白い煙が噴き出る。近くに人間がいたら気付けたろうその煙は、オーネストの体を死ねなくする躰の呪縛。その事実が、今にも崩れ落ちそうなほどに罅割れたオーネストの心を飢えさせる。
 敵より何より恨み続けたこの肉体を殺し尽くすのが先か、黒竜という空前絶後の怪物を殺し尽くすのが先か――殺し尽くした先に更なる殺戮の道が続いているのか。

「道の終わりまで己を殺し尽くせないのなら――次は天界の総てを、それでも届かないのなら今度こそイカレたこの世界ごと殺し尽くしてやるッッ!!!」
『グルルルルルル………ガァァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!』

 天の主が、世界を犯す殺意に応えるように咆哮を上げた。

 叫べば叫ぶほど、暴れれば暴れる程、殺せば殺す程に――オーネストの頭の中で、大事な何かが焼き切れてゆく。心を縛る鎖が脱落し、オーネストの中にいる本当の自分が、擦り切れていく。本当(オーネスト)の自分を(ライアー)の自分が喰らい、貪り、壊す。


 本当に、君はそれでいいの?と――誰かが囁いた気がした。


 聞くための鼓膜は、とうの昔に破れていた。
  
 

 
後書き
このペースだと最悪第12地獄ぐらいまで行ってしまう……。
これがカルピス執筆者の定めなのか。そろそろ戦いも中ごろです。

ちなみにオーネストの傷がなんか治っていますが、あれは傷がついた場所を治すときの方が凄まじい激痛を伴うので今の傷レベルなら常人が10回はショック死するものです。痛みに慣れ過ぎているが故に本人には耐えているという感覚がありません。 
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