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渡り鳥が忘れた、古巣

作者:近藤 宏樹
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渡り鳥が忘れた、古巣【A】

 
前書き
※フィクションに付き、内容は架空で事実と異なる処があります 

 
   渡り鳥が忘れた、古巣【A】
※フィクションに付き、内容は架空で事実と異なる処があります
泰弘は、古民家の縁側に座って一人、庭を眺めていた。秋の安藤家の庭は、紅葉の最中だった。黄昏が、優しく庭を照らし、黄金色の銀杏の葉が、地面に覆い被さっていた。一佳(かずよし)とDREAM(ドリーム)の、二人の孫が、山羊を追い回していた。そこには、妻・直子の姿は無かった。軒下に、ツバメが子育てに使った古巣が見えた。雛鳥は巣立って、今頃、両親鳥と一緒に、南国に居るだろう。何年ぶり古民家だろう?長年、海外勤務が長かった泰弘には、我が家の庭を見る時間は、殆ど無かった。我が家に帰っても、ツバメとは違って、泰弘には、家族と一緒に過ごす時間は無かった。縁側の踏み石の脇に、ひと夏の生涯を終えて、地に戻るカブト虫が見えた。泰弘には、カブト虫が自分と同じ、老兵の様に思えた。日が沈んだ。大人達が、4人、畑やNGO未来の倉庫から帰って来た。大人達と孫二人と一緒に泰弘は、夕食を摂った。食後、居間でCDを聴いた。CDは70年代前のポップスや、クラシックが主流だった。書棚から、アルバムを取り出し
た。それは、妻、直子と一緒に撮った写真や、安藤家の、絆で結ばれていた、家族写真だった。暫くして、泰弘は、アルバムを書棚に納め、仏壇に合掌してから、布団に入り眠りに付いた。仏壇には、EKYYNのワンピースを着た妻・直子の、ハガキ大の、遺影写真が飾られていた。泰弘は、役目を終えた、老いた企業戦士の姿だった。
泰弘の父親は、彼の幼い頃、交通事故で他界し、泰弘は母子家庭で育った。事故の犯人は、分からず終いで時効となり、その頃は、交通遺児の施策も不十分だった。彼の母親ヨネは、父親と勤めていた30名程の零細縫製工場で、昼夜を問わず働き、泰弘を、大学まで行かせた。ヨネは、愚痴を溢したり、お金が無いと云う言葉は、一言も口にしなく、泰弘の学校の行事や参観日には、必ず出席した。縫製工場のオーナーは温情家で面倒見が良く、母子家庭のヨネに協力してくれた。泰弘は、毎日、職場でヨネの仕事が終わるのを待ち、一緒に帰宅したので、ヨネの苦労は常に理解していた。ヨネと同年代のオーナー夫婦(安藤栄吉・キク)には、子供が無く、夫婦は泰弘を、我が子の様に接してくれた。コンサートや演劇やスポーツ観戦などは、常に、泰弘を同行させた。ヨネの仕事が終わる迄、泰弘は何時も、職場の二階に在る、オーナーの居間で待った。そこには、70年代前のポップスや、クラシックのレコードが有り、色々な書物も有った。オーナー夫婦も、同じ職場で働いていたので、夫婦は泰弘に、自由に聴いたり読んだりする事を、奨めていた。
泰弘が中学に入って二年生の頃から、周りの友達は、高校進学の準備で、進学塾などに通う様になり、次第に交友関係は希薄になった。ヨネは常日頃、泰弘に「大学まで行かせる」と、言っていた。泰弘は、ヨネに、金銭的な余裕が無い事を、分かっていたので、進学は既に諦めていた。次第に彼の心は荒み(すさみ)、盛り場を(たむろ)する様になり、帰宅時も夜10時を回る事が多くなった。ヨネが自宅で、泰弘の机を開けると、そこには、煙草が入っていた。それは、泰弘の反抗期と、重なっていた。見かねたオーナーの栄吉が、泰弘の家庭教師を買って出た。彼の教育方針は、飴と鞭だった。それを期に栄吉夫婦は、ヨネと泰弘を、縫製工場に同居させた。斯して(かくして)、栄吉の、進学特訓が始まった。栄吉の職場は以前、進駐軍だった。彼の趣味の、ポップスやクラシックは、進駐軍の影響を受けた物で、彼のレコードは、米軍の処分品だった。妻のキクは、進駐軍の米兵専用のレストランで、カウンター係を勤めていて、二人の出会いは、進駐軍だったので、二人とも英語は得意だった。縫製工場の納品先は100%が米軍で、栄吉の進駐軍の人脈により、今も継続していた。栄吉の教育方針が功を制し、泰弘の学力は校内でトップクラス、特に英語は、№ワンになった。泰弘は見事、市内で一番の進学校に、入学した。栄吉夫婦は、泰弘の高校進学を殊の外、喜び、自宅の居間で祝宴を設けた。宴も(たけなわ)に成り、酔いが回った頃、栄吉夫婦はレコードに合せ、二人でダンスを始めた。それは泰弘が、始めて見る光景だった。ダンスは二人が、進駐軍で覚えた。二人は、ヨネと泰弘に、ダンスの手解きをした。泰弘は、母のヨネと踊った。初めての経験だった。楽しかった。
泰弘の高校の成績は抜群で、順調に国立大学の一期校に入学した。その頃、栄吉の縫製工場に、中村直子と云う、中学を卒業したばかりの女の子が、入社した。キクの遠縁の子供で、身なりは貧祖で、頭髪はオサゲ結った、スッピンの田舎者だった。泰弘は彼女に、素朴な美しさを感じた。聞いて見ると、七人兄妹の五番目で、実家は農家だそうだ。それが泰弘と直子の、最初の出会いだった。直子の入社で、縫製工場の住居部分が手狭となり、栄吉は、市内近郊の調整区域に在る、茅葺(かやぶき)の古民家を、購入した。古民家は元々、農家だったので、家の周りは畑で、土地は三反(900坪)有った。価格は、調整区域内の築70年以上経過した古民家なので、大きさに比べ、破格の価格で購入出来たが、修復には、多少費用が掛かった。栄吉夫婦とヨネと泰弘と直子の五人は、古民家に移り住み、縫製工場までは毎日、通う日々になった。栄吉の念願の、住居専用の、家族住宅が誕生した。田舎者の直子は、畑が気に入り、農作業は殆ど彼女が専任し、彼女の仕事は、家事と農作業の家政婦になった。日が経つに連れて、直子の田舎臭さは、薄れて行ったが、彼女の素朴さと明るさは、健在だった。そんな彼女に、泰弘は、心を惹かれていった。貧乏の農家で育った直子は、倹約家で、殆ど衣類は欲しがらず、化粧は、口紅を差す程度だった。栄吉は、縫製工場から、傷が付いて出荷出来ない衣類を、直子に与えていた。彼女は喜んで着用し、余りの品を給料と共に、実家の家族に送っていた。泰弘は、そんな彼女を敬服し、ヨネや栄吉夫婦に、甘えるだけの自分が、情けなかった。一方、直子も泰弘は、頭の良いイケメンの大学生で、憬れ(あこがれ)だった。若い二人は、互いに「泰ちゃん(ヤッチャン)・(ナオ)と、呼び合う様になり、学問の無い直子は、何時も泰弘に教わり、レコードに合せ、二人でダンスをしていた。それを、大人達も、二人を微笑ましく見ていた。
引越しをして間もなく、白い母猫が、三匹の子猫を連れて、古民家に現れた。直子は猫に餌を与えた。翌日も翌々日も、母猫は、子猫を連れて現れ、次第に野良猫達は古民家に住み付く様になった。猫好きの安藤家の人達は、野良猫達を快く受け入れ、各々の猫に名前を付けた。母猫の白い猫にはホワイト、子猫の三毛猫にはミックス、子猫の虎猫にはイエロー、子猫の灰色猫にはグレーと云う、名前が付いた。時が経つに連れて猫達は、主として甘える人物を、特定する様になった。母猫のホワイトは栄吉、子猫のグレーはキク、子猫のイエローはヨネ、子猫のミックスは直子に甘え、一緒に寝た。
直子が、安藤家に来てから最初のクリスマスに、泰弘は直子に、クリスマスプレゼントを渡した。それは、泰弘が安藤家の縫製工場に行き、自分で作った、紺地色に黄色の文字を刺繍した、ワンピースだった。突然の泰弘のプレゼントに、直子はビックリして「ヤッチャン、有難う、有難う」の、連発だった。刺繍は、胸に黄色の英字で大きくEKYYNと縫われ、英字の下には、左から白い母猫を先頭に、子猫の灰色猫・虎猫・三毛猫が、プリントされていた。直子は泰弘に、EKYYNの意味を聞いたら、Eは栄吉のE、KはキクのK、YはヨネのY、Yは泰弘のY、Nは直子のNだと答え、風水に依ると、黄色は[喜び、明るさ、明朗、愉快]を表す色で、青色は[冷静沈着]を表す、知性の色だと教え、ワンピース作りには、栄吉夫婦やヨネにも、協力して貰った事を、話した。子沢山の貧乏農家に育った直子には、クリスマスプレゼントは生れて始めてだった。直子の目には、涙が溢れ、幸せ感で一杯だった。栄吉夫婦が、ビング・ロスビーのホワイトクリスマスの曲に乗って、ダンスを踊り始めた。猫達も首を傾げ、栄吉夫婦を見ていた。静かな、安藤家のクリスマスイブだった。
大学の二年生に成り、泰弘は、得意の英語力を生かして、進学塾の英語教師のアルバイトを始めた。それは、せめて自分の小遣いは自分で稼ぎ、ヨネや栄吉夫婦に、負担を掛けたく無いとの、考えだった。直子は、毎日、四人分の弁当を作った。相変らず直子の料理は、自ら作った野菜が主体の田舎風だった。彼女は最近、養鶏や花づくりも、始めた。猫達は(ひよこ)に、興味津々(きょうみしんしん)だったが、親鶏に蹴散らかされ、タジタジだった。食卓には毎日、新鮮な生卵が載る様になった。直子の料理は、ヘルシーで安藤家の皆が、満足だった。ある日、泰弘は直子を、食事に誘った。待ち合わせ場所は、市内の私鉄の駅前で、約束時間は午後の3時だった。直子は、栄吉夫婦とヨネの夕食を用意し、食卓テーブルに[ヤッチャンに食事に誘われたから、行ってきます。ヨネさんのローヒール、お借りします]と書置きして、出掛けた。駅前で待っていたら「ナオ、待たせて御免」と、言って、泰弘が、改札口から出て来た。直子は何時もの様に、髪は、一本結いのオサゲで、衣服は、泰弘がクリスマスにプレセントしたワンピース、靴は、ヨネの流行遅れのローヒール、手には、縫製工場の傷物のトートバックを持っていた。「ナオ、超可愛い!食事には、未だ時間が有るから、映画でも観ようか?」と、泰弘は言った。「ヤッチャン、これってデート?」と、直子が聞いた。泰弘は頷き「嫌か?」と返した。直子は、恥じらいながら、首を横に振った。歩道で泰弘は、高校時代の二人の女友達から、声を掛けられた。女友達は、ピエロの様なケバイ厚化粧で、頭は金髪に染め、不似合な衣装を纏い(まとい)、手にはブランドのバックを持っていた。高校時代からイケメンで成績優秀な泰弘は、女友達から人気が有った。女友達は「泰弘、久しぶり、その()、彼女?」と、呼び付で言った。「オウ、久しぶり、この()、俺の彼女、可愛いだろう」と、泰弘は答えた。女友達は直子を、品定めするかにように、足元から頭まで、ジロジロと見詰めていた。「趣味、悪い、泰弘、又ね」と、言い残し、ケバイ女友達は去って行った。「ごめんね、ヤッチャン」と、直子は謝った。「気にするな、あんな馬鹿女」と、言い、泰弘は直子と、手を繋いで、歩き始めた。「人が、見ているよ」と、恥じらいながら直子は言った。「大丈夫」と、言って泰弘は、手を繋いだまま、歩き続けた。映画館に着いた。ディズニーの、ピノキオが上映されていた。「入場料、高いよ、大丈夫」と、直子が言った。「心配するな、今日、アルバイト先で、給料を貰ったばかりだ、今は俺、金持ちだ」と、泰弘は答えた。アクションシーンで直子は目を閉じ、泰弘の手の甲を、握り締めた。お爺さんが、ピノキオに唄い始めた。悲しいシーンになると、直子の目には、涙が毀れていた。泰弘は、直子の胸の膨らみを、見ていた。直子は泰弘の視線に気付かなかった。泰弘は、視線を正面に、向き直した。何を考えているのだ。このスケベ野郎、と思い、泰弘は両手で自分の頭を叩いた。「どうしたの?頭痛?」と、直子は聞いた。「何でもない」と、泰弘は惚けた(とぼけた)。直子には、優しさと、癒しと、恥じらいの、女性の要素が、全て備わっていると、泰弘は感じていた。映画館を出て直子は「楽しかった、映画館に行って、映画を観るのは、小学校以来だよ」と、嬉しそうな顔で言った。直子の笑顔を見て、泰弘も嬉しかった。「腹、減った。何が食べたい?」と、泰弘が言った。「何でも、ヤッチャンが決めて、私、分からない」と、直子が答えた。泰弘は「そうだ、焼肉が良い、俺、今年から二十歳(はたち)で大人に成ったから、酒が飲める、そうだ、そうだ」と、言って、二人は焼肉屋に向かった。雨が降ってきた。直子は、トートバックの中から、折りたたみ傘を取り出した。傘を開くと「俺が持つよ」と、泰弘が言った。二人は、歩き始めた。暫く歩くと直子は、泰弘の開いた傘の下は自分だけで、泰弘は濡れている事に気付いた。直子は泰弘の優しさを感じた。「ヤッチャン、濡れているよ。傘の下に入って」と言って、泰弘を引き寄せた。肩と肩を寄せ合った、初めての相合傘だった。焼肉店に着いた。直子は、外食するのが、初めてだった。メニューを見て、直子は驚いた。「ヤッチャン、ここ高いよ、帰って家で食事を仕様」と、言った。「大丈夫、今は金持ちだから」と、言って、泰弘は財布を見せた。直子に取って、牛肉など高級品で、口にした事は無かった。直子は、躊躇しながら食べ始めた。凄く、美味しかった。泰弘は、ジョッキでビールを飲み、未成年で十七歳の直子は、ジュースを飲んだ。未だ、自分の適量を知らない泰弘は、ジョッキ三杯で酔い潰れた。直子は、途方に暮れた。幸い直子の財布には、三万円が入っていた。会計を済ませ、焼肉店の従業員の手を借り、泰弘をタクシーに担ぎ込んだ。途中、(ゲロ)しそうになり、数回タクシーを停め、車外で(ゲロ)した。自宅の古民家に着き、運賃を払い、門から玄関までは、遠いので、運転手に頼み、二人で泰弘を、玄関に運び込んだ。栄吉夫婦とヨネは、帰りの遅い泰弘と直子を心配して、居間で待っていた。酔い潰れた泰弘を見て三人は、ビックリいた。皆で、泰弘を寝室に運び込み、寝かし付けた。散々な、泰弘と直子の、初デートだった。
翌日、二日酔いで、泰弘が起きたのは昼を回っていた。頭痛と吐き気が、続いていた。直子が、水をグラスに入れて、部屋に入って来た。「ヤッチャン、大丈夫?」と、直子が言った。「昨日は御免ね、今、何時?」と、泰弘が言った。「午後一時よ」直子が答えた。泰弘は、目覚まし時計を見ながら「やばい、塾に電話しないと」と、言って、部屋を出て、台所の電話で「すいません、体調が優れないので、今日の授業を、休ませて下さい、すいまさせん、すいまさせん、明日の授業は必ず出ます」と、言って謝っていた。自分の部屋に戻ったら、直子が、泰弘の布団を押入れに、仕舞っている処だった。グラスの水を飲み「御免ね、昨晩の事、全然覚えていないよ」と、泰弘は言った。「大丈夫、映画、楽しかった。焼肉も美味しかった。ヤッチャン有難う、でもヤッチャン、重いね」と、直子が笑いながら言った。既に、栄吉夫婦とヨネは、縫製工場に出勤して居なかった。直子が、台所に戻って行った。泰弘は、記憶を辿りながら[焼肉屋の支払いは?]自分の財布を見た。映画館の入場料を差し引いた金額が、手づけず残っていた。慌てて台所に行き、直子に「焼肉屋の支払いは?」と、聞くと「私が払った」と、直子が笑いながら答えた。尽かさず泰弘が「いくら?」と、聞くと、直子は「忘れた」と、答えた。続け様に泰弘は「家までは、何で帰った?」と、聞くと「タクシーで」と、直子は答えた。「いくら?」と、泰弘が聞くと、又しても直子は「憶えていない、忘れた」と、笑顔で答え、立替分を、全く請求しなかった。泰弘は、電話局の番号案内に問い合わせ、焼肉屋の電話番号を調べた。焼肉屋に電話したら「今は、店長が出社して居ないので、分からないです。再度、夕方に電話して下さい」の、返事だった。合わせて焼肉屋で、何時も、迎車で使っているタクシー会社を、聞いたら「曙タクシーとツバメ交通の二社ですが、多分、ツバメ交通の方が多く使っているので、ツバメ交通だと思います」と、答えた。ツバメ交通に、昨夜の時間帯と出発地と到着地を言ったら、該当する車が、判明し、運賃を教えて貰った。夕方、再度、焼肉屋に電話したら、予め(あらかじめ)、昼間の従業員から、内容を聞いて居たらしく、店長から即座に、昨夜の飲食代を、教えて貰った。「大丈夫だったですか?」と、店長が気遣ってくれた。泰弘は、昨夜、店に迷惑を掛けた事を、詫びた。電話を終えた泰弘は、飲食代とタクシー代に少し上乗せして、直子に返そうとしたら、直子は、実費しか、受け取らなかった。夕方の七時頃、栄吉夫婦とヨネが帰宅した。泰弘は、居間で三人に、昨夜の失態を謝った。さながら居間は、安藤家のミニ法廷に成った。そこには、猫達も同席した。栄吉は「大人に成ったら、大人の責任が或る。酒も、自分の責任が持てる範囲で飲め」と、戒め(いましめ)られた。直子が「ヤッチャンは、私の事を思って、してくれた事なの。私も悪いの。ヤッチャンばかり叱らないで」と、涙声で言った。弁護士は直子だけだった。泰弘は、罰が悪そうに、頭を掻いていた。その日から、泰弘は定期入れに、直子の写真を入れた。
三年生の夏、大学は夏休で、授業は無く、泰弘は自宅に居た。茅葺の古民家は、冬には暖かく、夏には涼しかった。泰弘には、進学塾のアルバイトが有るので、大学の友達の様に、長期の旅行は、不可能だった。夏休は、進学塾の生徒達には、過密スケジュールが、組まれていた。直子が、居間に有った書物を持って、泰弘の部屋に入って来た。夏休で寝坊をして、未だ、泰弘の布団は、敷いて有った。「ヤッチャン、これ何て読むの?教えて」と、言って、書物を開いた。直子の右腕が、泰弘の左腕に触れた。彼女は白のノースリーブで、下着が透けて見えた。暫くして泰弘の手が、直子の胸を掴んだ。直子は少し驚いたが、「恥ずかしい、ナオで良いの?」と、聞いた。泰弘は頷いた。直子は、泰弘の手を、自らの胸に、押し当て、目を閉じた。互いの唇が、触れ合いながら、二人は布団に倒れ込んだ。二人は、愛の契りを結んだ。泰弘は直子の顔を見た。一筋の涙が流れていた。「御免」と、泰弘は謝った。直子は首を横に振り「違うの。ナオは嬉しいの」と、言った。そして「ヤッチャン、大好き」と、言って、直子はハニカミながら、部屋を出て行った。
その日から泰弘は、直子を求め、直子も快く彼を受け入れた。泰弘には、直子は癒され、優しく、恥じらいを持った、最高の恋人だった。
泰弘はアルバイトに、意欲的に取り組んだ。彼には目的が有った。婚約指輪だった。その年のクリスマスに、安藤家は、例年の如く、細やかなクリスマスパーティーを行った。クリスマスケーキを食べ、踊り、ワインを飲んだ。皆が寝静まった頃、直子の部屋を、ノックする音が聞こえた。直子がドアを開けると、そこには泰弘が立っていた。「どうしたの?」と、直子が言った。「入っても良いかな?」泰弘が、少し強張った(こわばった)顔で言った。「良いよ」と、直子が言った。子猫のミックスが、布団に居た。部屋に入り、泰弘は直子と向き合って、畳に座った。「これ」と、泰弘はポケットから指輪を取り出し、言った。「遅くなって御免ね」と、泰弘が言い、直子の指に填めた。直子は指輪を見詰め「本当、本当に、ナオで良いの?」と、聞くと、泰弘は首を縦に振って頷いた。「ヤッチャン、有難う、嬉しい」直子は、涙声で言った。「寒いな」と、泰弘が言うと、「一緒に寝よう」と、直子が言い、二人は布団に入った。子猫のミックスも、布団に入って来た。「ナオを抱きたい」と、泰弘が言うと、直子は、ハニカミながら、小声で「良いよ、でも、ちょっと恥ずかしい」と、言った。泰弘には、直子の言葉や仕草は刺激的で、直子の体は温かかった。
早朝、泰弘は目覚めると、既に、直子はエプロン姿に着替え、左手の薬指のピンクのダイヤを、嬉しそうに眺めていた。泰弘の目覚めに気付くと「お早う。昨夜(ゆうべ)は有難う。高かったでしょう。綺麗ね」と、直子が言うと、「まあね。給料の通常の数月分。アルバイトで頑張ったから。宝石店の話で[ピンクは、恋愛運をアップさせるという意味]と、教えて貰った。栄吉さんやキクさん・母さんに分かると、未だ不味い(まずい)から、指輪ケースに入れて仕舞って置いて」と、泰弘が言った。「分かった。私の一番高価な宝物だから、大事に仕舞って置く」と、言って、直子は、タンスの上部の引出しに、仕舞い込んだ。そして、直子は台所に行き、泰弘は自分の部屋に戻った。
泰弘は、栄吉から言われた、大人の責任を考えていた。泰弘は「新年の元旦0時に、婚姻届を出す」と、直子に告げた。直子は泰弘に抱き付いて喜んだ。
除夜の鐘が、鳴っていた。二人は、市役所の、守衛室の前の長椅子に、座っていた。元旦0時、小林泰弘・中村直子と署名捺印して、婚姻届を提出した。直子は「嬉しい。今日からナオは、ヤッチャンの奥さんね」と、言った。泰弘は優しく頷いた。二人は、古民家の近くの神社に向かった。神社は、初詣の人で賑わっていた。二人は賽銭を入れ合掌した。直子は「ヤッチャン、何を、お願いしたの?」と、聞いた。「安藤家全員の健康と、俺の就職。ナオは?」と、泰弘は言った。「ナオも同じ。もう一つ。ヤッチャンの子供が、早く、出来ますように」と、直子は答えた。二人は、おみくじを引いた。二人とも、大吉だった。二人は笑って喜んだ。古民家に戻り、二人は、栄吉夫婦とヨネに、初詣に行って来た事を話し、おみくじを見せた。栄吉夫婦とヨネは、それを、微笑みながら、見ていた。
官庁の御用始めの日、市役所の戸籍課から、泰弘の元に[婚姻届に、不備が有るので、市役所に、来る様に]との、電話が入った。翌五日に、泰弘と直子は、戸籍課に赴いた(おもむいた)。戸籍課の説明の依ると[直子は安藤家に来た時点に、養子として入籍されていて、中村直子から、安藤直子に移っている]との事だった。直子は、その事実を全く知らなかった。[氏名・住所・戸籍などを訂正すれば、婚姻届は、提出日の日時(元旦0時)で受理出来る]との、内容だった。二人は、婚姻届を訂正して、提出した。二人とも驚いていた。帰りしな、直子が「ナオは、ヤッチャンの、お嫁さんに成りたい、大丈夫?」と、心配そうに言った。「大丈夫。三月には、就職の内定を貰える(はず)なので、その時、母と栄吉さんとキクさんに、結婚の報告をしよう」と、泰弘が答えた。
二月の始めの夜、直子が、神妙な面持ちで、泰弘の部屋に入って来た。「話が有るの」と、直子が言った。「何?」と、泰弘が聞き返した。「わたし、赤ちゃんが出来たの」と、直子が言った。泰弘は、目を丸くして、一瞬、言葉が出なかった。「今日、病院に行って、婦人科に診て貰ったら、妊娠三か月だって」と、直子が言った。泰弘は、あたふたした顔、「俺も、父親か」と、言った。漸く(ようやく)笑顔で、泰弘は「ナオ、有難う。お腹の赤ちゃん、大丈夫?」と、言った。「大丈夫」と、直子は、微笑みながら静かに答えた。「大学のゼミの教授が[君は、優秀だから、来月には必ず就職の内定が貰える。大丈夫だ]と、言ってくれた。来月、母と栄吉さんとキクさんに「結婚した事と、子供が出来た事と、就職の内定を、同時に報告しよう」と、泰弘は言った。直子は、嬉しそうに頷いた。その夜、泰弘は、気が動転して、眠れなかった。
国立大学一期校に在学中で、語学が担当で、成績も優秀な泰弘は、三月に、期待していた通り、早々と、志望していた東証一部上場の、大手商事会社の内々定を、貰えた。夕食を終えた、その日、栄吉夫婦とヨネは居間で寛いていた(くつろていた)。泰弘は三人に「報告が、有るのだけど」と、切りだした。三人は、期待に、目を膨れました。「商事会社の、内々定を貰えた」と、泰弘が言った。「万歳。やった!」と、栄吉が、両手を上げ叫んだ。キクとヨネと直子は、拍手喝采だった。五人の顔は、喜びで溢れていた。「正式の内定は、来月の四月だ」と、泰弘は付け加えた。「報告が、もう二つ・・」と、泰弘が言い掛けると、栄吉が、割って入って、先に、話し始めてしまった。「これを期に、二人は結婚したら?」泰弘と直子は、唖然として、互いの顔を見合った。栄吉が、ヨネの顔を見た。ヨネは、微笑みながら頷いた。キクも、優しく、笑みを浮かべていた。既に、三人の合意は、出来上がっていたのだ。「嫌か?」と、栄吉が聞くと、二人は即座に、首を横に振った。泰弘が、か細い声で、照れ臭そうに「あのー、未だ、話が有るのだけど」と、言った。「何?」と、栄吉が聞いた。「俺達、もう結婚しているのだけど。ナオのお腹には、子供がいる」と、泰弘が言い、直子も、照れ臭そうに、俯いていた。三人は動転して、一瞬、言葉を失った。間を置いて、三人の顔が、満面の笑みに変わった。「やったー!」と、言って、栄吉は再度、万歳をした。ヨネとキクは「おめでとう」と、涙目で言って、二人で、直子のお腹を、擦っていた。「ヨネ婆ちゃんに、キク婆ちゃんに、栄吉爺ちゃんか!我が家は春満開だ」と、言って、栄吉は喜んだ。「婚姻届を出した時、直子が、栄吉さんとキクさんの、養子である事を、俺もナオも、始めて知ったよ」と、泰弘は、栄吉に言った。「自分達夫婦には子供が居ないので、欲しかった。始めは泰弘を、養子にしたいと思ったけど、泰弘には、ヨネさんと云う、立派な実母がいる。それは、叶わない事だと悟った。キクの遠縁に、子沢山の家があると聞き、直子を、養子に迎えたのだ。直子は優しい子で、今は幸せだ。これで法律的に云っても、全員、真の家族だ」と、栄吉は嬉しそうに、物静かに話した。泰弘の胸に熱き物を感じた。「婚姻届を出す時に、俺は、姓を安藤にした。母さん、良いだろう」と、泰弘が言った。「この古民家は安藤家です。同じ屋根の下に暮らす家族は、安藤家が当然です。私も、安藤家の家族であり、貴方の実母で或る事は、変わりありません」と、ヨネは静かに言った。泰弘の脇に居た直子が、涙声で「有難う」と、言った。彼女は、部屋に戻り、タンスの引出しから、婚約指輪を持って来た。三人に見せた。ヨネが「凄く綺麗」、キクが「ヤッチャン、偉い」と、言った。栄吉が「泰弘、直子の指に、填めてみたら」と、言ったので、泰弘は、直子の左手の薬指に、填めた。三人が拍手した。直子は、幸せの絶頂だった。四月に入り、泰弘の就職の、正式な内定が届いた。結婚式は、泰弘が、商事会社へ勤務してから行う事を、安藤家全員の合意で、決めた。
泰弘が、四年生に成った頃から、栄吉の縫製工場は、米軍基地の整理縮小や、安い韓国製品に押され、業績不振に陥った。古民家の敷地内の銀杏が、黄金色に色づいた季節に、直子は、男子を出産した。母子共に健康であった。赤子は、泰弘と直子の一文字ずつを取って、直弘と名付けた。
年末に至り、栄吉の縫製工場は、益々、受注が減り、多額の負債を抱え、ついに倒産してしまった。縫製工場は、借金の担保に取られ、栄吉の財産は、古民家だけに成った。職を失ったヨネは、泰弘の学費を、工面出来なく成った。泰弘は、大学中退を、余儀なくされた。追って、商事会社より、内定の取消の通知が、届いた。栄吉は、従業員を解雇や、泰弘の内定の取消に、自己責任を痛感し、縫製工場の引き渡し直前に、工場内で首をつった。床に[ごめんな]と、書いた遺書が有った。葬儀は、家族だけで、密やかに執り行った。しかし、泰弘と直子の結婚式は、出来なくなった。ヨネ・泰弘・直子の三人は、栄吉に、多大な恩義を感じていた。母猫のホワイトは、古民家の門の前で、(あるじ)の栄吉を、したすら、待ち続けた。皆が家に連れ込もうとしても、拒み、餌も口にしなかった。ホワイトは、一週間程して、門の横で息絶えていた。衰弱死だった。倹約家でしっかり者の直子は、栄吉夫婦が直子に預けた安藤家の生活費や、仕送り以外の自分の小遣いの大半を、備蓄していたので、残された安藤家全員が、その備蓄で食い繋ぐ事が出来た。
葬儀も終わり、一段落した頃、泰弘は、ゼミの教授と面談した。成績優秀な泰弘を教授は、自分の教え子が起業した、貿易会社に、就職を世話してくれた。会社はJATC(Japan ASEAN Trading Company)と云う、社長夫婦とパート従業員二人の零細企業で、夫婦の名前は相川一夫・佳子(あいかわ かずお・よしこ)だった。貿易会社に就職した泰弘は、これから自分が、安藤家の大黒柱だと感じ、家族の為に、長時間働き頑張った。50歳を超えていたキクとヨネには、思った職が無く、要約、公園清掃の仕事に在り付いた。泰弘とキクとヨネを、公園清掃の職場に出し、赤子の直弘の育児と野良仕事と家事が、直子の日課になった。泰弘は、貿易会社に入社してから一年過ぎた頃、フィリピン転
勤への辞令を貰った。マニラのJATCの支社に赴任してからは、泰弘の業績は凄まじく、会社は東証二部に上場し、彼は専務兼、東南アジア統括責任者に就任した。反面、我が家に帰国出来るのは、年一回の一週間程
になった。直弘が幼い頃には、帰国した度に、親子三人は、風呂に入り、キャッチボールやプラモデル作りに興じた。しかし、息子・直弘が年長に成るのに連れて、偶にしか帰って来ない泰弘と、直弘の親子関係は、希薄に成っていった。でも、直子との夫婦の絆は固く、泰弘からの週一回の国際電話が、直子には、唯一の楽しみだった。
軒下には、ツバメの雛鳥が口を開けて、親
鳥が運ぶ餌を待っていた。
直子の畑には、何時も、雀やカラスや鳩などが、播いた種や、作物などを食い荒らしていたが、彼女は、追い払おうともせず、優しい顔で微笑んで、眺めていた。食事の際の野菜には、何時も、鳥が突いた跡が有るのが、当たり前だった。栄吉が祀られている仏壇の花瓶は、サーダーの空き瓶で、常時、四季の野花が飾れていた。直子は、外出日や直弘の参観日には、以前、クリスマスに泰弘から貰った、紺地色に黄色の文字を刺繍したEKYYNのワンピースを、何時も着ていた。泰弘の昇進と共に、安藤家には余裕が出来たが、直子は相変わらずの倹約家だった。
直弘が中学に入学してから、一ヶ月半が過ぎた或る日、直子は買い物の帰り道、歩道のゴミ箱の中に、自分が雑紙で作り、直弘に渡したノートが、目に入った。隣接している公園の中から、少年達の言い争っている声が、聞こえた。その中に、直弘の声も有った。急いで公園に入ると、五人の少年が、直弘を取り囲み「お前は父無し子、お前の母ちゃん、何時も洋服同じ、ノートはパンプレッとの裏紙」と、罵り(ののしり)、殴り掛かる寸前だった。「やめなさい!」と叫び、直子は、少年達と直弘の間に割って入った。少年達が、持っていた雨傘で直子を叩いた。直子は地面に倒れた。尚も、少年達は雨傘で、直子を数回突き裂いた。かばった腕に、雨傘の先端が、突き刺さった。直子の腕は、血だらけに成った。恐れをなして、少年達は、逃げ出した。直弘は茫然して、その場に立ち竦んだ。丁度、犬の散歩で通り掛かった男性が、警察と救急車に通報した。直子は病院に搬送された。救急車に、直弘も同乗した。知らせを受けたキクとヨネが、病室に、飛び込んで来た。処置を終えた医師が「両腕の刺し傷だけなので、一週間程で退院出来ます。でも、傷跡は残ります」と、キクとヨネに言った。直弘は、病室の隅の椅子に座り、床を見詰め終始、俯いていた。夜遅く、中学の校長と、担任教師と、少年達の保護者が、病室を訪れた。校長と、担任教師と、保護者の皆が、平謝りだった。キクとヨネは、毎日、公園の仕事を終えて、病室に訪れたが、直弘だけは、現れなかった。直子は、自分の節約志向や、泰弘の海外勤務が、直弘の心の重荷に成っている事を、悟った。しかし、フィリピンの泰弘には、心配を掛けると思い、この出来事を、一切報告しなかった。自宅での、保護観察を終えた少年達が、保護者と一緒に、病室に現れた。直子は、微笑みながら「直弘の御父さんは、海外で仕事しているので、中々帰れないの。解って上げて。直弘は寂しいから、友達に成って頂戴」と言って、直弘の年少期に、親子三人で撮った写真を、少年達に見せた。少年達は口々に「小母さん、御免なさい。僕達、直弘君と、友達に成ります」と、言った。直子は「お願いね」と言い、少年達と握手を交わした。
十日程で退院し、直子は、キクとヨネと一緒に自宅に戻った。帰宅途中に彼女は、衣料品店と文具店に立寄り、衣服と文具を数点購入した。自宅に着いたが、直弘は、未だ、下校しておらず、猫達だけが出迎えた。直子は早速、購入した衣服に着替えた。暫くして直弘が「ただいま」と言って、学校から戻って来た。直子は、玄関で「どう、似合う?」と言って、一回転して見せた。「何に、それ」と直弘は、面食らった様に言った。「このミニスカート、可愛い?」と、直子は言った。「若すぎるよ」と言って、直弘は苦笑したが、嬉しかった。「ヤッチャン、留守だから直弘、母さんとデートしてくれる?」と、直子が聞くと「良いよ」と、直弘が答えた。直子が「こっちに、来て」と、直弘を居間に手招いた。テーブルには、真新しいノートや文具が、置いて有った。中に、地球儀や世界地図も有った。「凄い!」と言って、直弘は、目を丸くしていた。直子は地球儀で、マニラの位置を直弘に教えた。その日、安藤家は、久しぶりの、和やかな雰囲気に包まれた。
二学期の初頭、直子に危害を加えた少年達が,直弘と一緒に、安藤家に訪れた。直弘と少年達は、既に、気心の知れた雰囲気だった。それを悟った直子は,少年達を快く受け入れた。彼女は、嬉しかった。直子は、腕の傷跡を見ながら[禍転じて、福になる]と、思った。町場の少年達は、古民家の大きさと畑の広さに、驚嘆していた。彼らは居間で、CDの70年代前のポップスや、クラシックを聴き、フィリピンでの、直弘の父親の泰弘の写真も、見せて貰った。未知の時代の70年代前の曲に、少年達は胸が熱くなった。畑で直子が、野良仕事をしていた。直弘と少年達は、野良仕事を手伝った。始めての経験に少年達は「面白い」と、続けざまに言っていた。少年の頭に鳩が停まった。直子の姿は、以前の麦藁帽にモンペと地下足袋とは一変して、野球帽に薄手のブラウスと、ジーパンとスニーカーだった。白いブラウスは、下着が透けて見え、思春期の少年達には、刺激的だった。次第に直子は、少年達の憧れに成っていた。直子が少年達に、畑で取れた西瓜を、振舞った。少年達は、西瓜にガブリ付いた。帰りしなに「これ、虫食いや、鳥が突いた跡が有る野菜だけれど、お母さんに持って行って」と言って、直子と直弘は、少年達に渡しした。「小母さん、有難う」と口々に言い、少年達は帰って行った。それ以後、少年達の安藤家への訪問頻度が増し、必ず居間で、70年代前の曲を聴きいっていた。少年達も保護者達も、生き物を大切にする直子のライフスタイルに、共鳴する様に成っていた。しかし、中学生に成ると、少年達の古民家への訪問頻度が、減っていったが、代りに、少年達の保護者が、頻繁に訪れる様になり、野良仕事を手伝った。直子が心配して、直弘に尋ねても「部活が、忙しくなったから」と答えるのみで、詳細は言わなかった。野良仕事に来た保護者に聞いても、少年達からの返事は、直弘と返事と同様である事を、知った。
二年生の秋の事だった。直弘が突然「俺、一週間、学校休むよ」と、言った。直子が「どうして」と聞くと、「俺、修学旅行の金、払って無いから」と、直弘は言った。直子の節約志向は、我が家に余裕が無いからだと考え、直弘は、直子に、修学旅行の積立金の話を、一切しなかった。直子は、慌てて学校に行き、修学旅行の費用を、払い込みした。教頭から「他にも、行かない女子生徒が、同級生で一人いる」と聞かされた。生徒は、母子家庭だった。直子は、その生徒の旅費も、支払った。帰路、自分も中学時代に、修学旅行に行けなかった事を、思い出していた。自宅に戻り直弘に「ごめんね」と言い[二人の旅費の払い込みを済ました]と報告した。直子は、又しても、自分の節約志向の失態だと反省した。「有難う」と、直弘は言い、女子生徒が正月に、お年玉を500円しか貰っていない事も、話した。「担任の先生は嫌いだ。学校に内緒で、学習塾のアルバイトをしている。授業が終わると、出来ない生徒の補習もしないで、直ぐに帰ってしまう。部活の先生は好きだ。授業が終わっても、遅くまで俺達を指導してくれる」と、付け加えた。直子は、同時に[落ちこぼれを無くすも、教育の役目では]と考えた。「部活は何の部活?」と、直子が問うと「秘密、秘密、後で分かるよ」と、直弘は言葉を濁した。翌日の夕方、女子生徒が母親と一緒に安藤家に来た。女子生徒のセーラー服は、色があせていて、母親の衣服とも貧祖だった。「今日、担任の教師から、呼び出しが有って、御宅様が、娘の修学旅行の費用を、払ってくれた事を、聞かされました。見ず知らずの他人様に、娘の旅費を払って貰う事は、出来ません。明日、学校に行き、旅費を戻して貰って下さい。私には、寝たきりの老いた母親もいます。治療費も掛かりますし、余裕が無い事は、娘も解っています。娘も端から、修学旅行は諦めています」と女子生徒の母親は、言った。「私も、修学旅行には行けませんでした。娘さんも修学旅行には行きたいでしょう?」と直子は、女子生徒に聞いた。女子生徒は、首を横に振った。隣に座っていた直弘が「うそだ!由実子!俺達と一緒に行こうよ!」と、言った。再度、直子が「由実子ちゃんと、云うの?修学旅行に、行きたいでしょう?」と聞いた。由実子は俯きながら小声で「本当は行きたい」と、涙を一杯溜め言った。母親は、由実子を抱き締め、泣きながら「ごめんね」と、言った。安藤家全員が、貰い泣きをした。「借りたお金は、毎月、少しずつ、お返しします」と母親が言うと、直子は首を横に振り「由実子ちゃんが、大人に成ったら、修学旅行に行けない生徒に、返して下さい。上を見て下さい。貴方より頑張っている人がいます。下を見て下さい。貴方より恵まれない人がいます。両方を見る事が出来る人が人間です」と、栄吉から教わった言葉、を引用して言った。猫のイエローが由実子の膝に乗った。「可愛い」と言って、由実子はイエローを撫でた。「今日、学校に行った時、担任の教師から、由実子のアルバイトは、弱年労働に当るから、辞める様に注意された。由実子は、少しでも家計を助けようと、している事です」と、母親が話した。直子は、中学校の教師で有りながら、学習塾のアルバイトで稼いでいる担任教師に、矛盾を感じた。キクとヨネは、納戸から縫製工場時代に作った衣服と、修学旅行の小遣い銭を、由実子に渡し、直子は自園野菜を渡した。母親は、涙を浮かべ「助かります。本当に、有難うございます」と言って、二人は帰路に付いた。
修学旅行を終え、少年達が安藤家に集まった。中に由実子も居た。直弘の土産は八つ橋だった。少年達の土産は、各自、色々だったが、由実子の土産は、舞子の刺繍が施してある小銭入れで、キクとヨネと直子の三人に渡した。ヨネが「やはり、女の子の土産は、見立てが違う」と、言って誉めていた。金閣寺や清水寺、奈良の大仏や大阪城などの、関西の名所の大半が載っている絵葉書を、三人に見せた。三人は、未だ、関西には一度も行った事が無く、少年達の説明を聞きながら、食入る様に見ていた。
少年達は集合写真も、見せてくれた。全ての集合写真に、紅一点、由実子が中心に写
っていた。写真の中に、旅館での枕投げや、担任の教師が、幾重もの生徒の下敷きに成り、モガイテいる、無礼講の写真も有った。下敷きになった、担任教師の苦痛に満ちた顔は、常日頃の、生徒の怨念が込められている様に見えた。
月日が流れ、今日は、直弘達の卒業式だった。例の如く、東南アジア統括責任者の企業戦士・泰弘は、多忙に付き帰国は、出来なかった。その日、泰弘から国際電話が有った。電話に泰弘が出た。「直弘、おめでとう」と、泰弘が言った。「ありがとう」と、直弘が一言だけで返した。味気ない、父と息子の電話の会話だった。直子に換わった。「ナオ、ごめんね」と、泰弘が言った。「ヤッチャン、大丈夫。こちらは皆、元気だから」と、直子は嬉しそうに答えた。電話の会話は30分以上続いた。最後に「仕事頑張ってね。体、気を付けて」と言って、直子は電話を切った。その夜、少年達・保護者・由実子・由実子の母親が、安藤家に集まった。直弘と少年達と由実子は、各々、手に楽器を携えていた。楽器を持って現れた子供達を見て、安藤家の三人はビックリした。直弘と少年達が各々、第二ボタンを直子に渡した。直子は、突然の出来事に、まごついた。直子は「ありがとう」を連発した。演奏が始まった。彼らは、安藤家の居間で、音楽を聴いてから、吹奏楽部に入り、今日の為に密かに練習した。曲目は全て、70年代前のポップスや、クラシックだった。直子とキクとヨネは、又しても驚いた。少年達が、保護者に踊る様に促した。保護者は夫婦で踊り始めた。次に保護者達の父親が、キクとヨネと由実子の母親と、踊った。直子にも、保護者達の父親が踊りに、誘ったが、直子は辞退した。暫くすると、直子の姿が、居間から消えている事に、直弘は気付いた。直弘は家中を探した。直子は自分の部屋に居た。室内は、電気スタンドの灯りだけで、直子は、灯りの下で蹲って(うずくまって)、何かを見ていた。直弘は、静かに近付いた。それは父・泰弘の写真だった。直子の目には、涙が毀れていた。直弘に気付くと、直子は、咄嗟に写真をポケットに隠した。直弘は、直子の手を引いて、居間に戻った。そして直弘は、居間からフィリピンの泰弘に、国際電話をした。「父さん。母さんの写真、持っているだろう。母さんの写真を、父さんの胸に抱いてよ」と、直弘は言った。泰弘は訳も分からず、直弘の、言うが侭に、直子の写真を、胸に押し当てた。「押し当てた?」と、直弘が聞くと「うん」と、泰弘が答えた。「母さんも、父さんの写真を、胸に押し当てて、いるから」と、言い「俺が曲を弾いたら、父さんも、母さんの写真と一緒に踊って」と言い、電話に向かって直弘は、曲を奏で始めた。泰弘は、やっと直弘の言っている事が、理解出来た。「解った」と言い、泰弘は電話に向かって頷いた。直弘がトランペットで奏でた曲は、二人が一番好きな曲の[スリーピー・ラグーン]だった。直弘の幼年期から、二人が常に愛好していた曲を、彼は覚えていた。吹奏楽の仲間が、演奏に加わった。ダンスを終えて泰弘は「ナオ、愛している」と言うと、直子が「ヤッチャン、私も」と言い、互いに「おやすみ」と言って、電話を切った。フィリピンと日本の古民家との、電話を通じての、愛のダンスだった。直弘のサプライズは、皆の涙を誘った。由実子は、皆より一年半遅れて吹奏楽部に入ったが、クラリネットが吹けるまでに、成っていた。「由実子ちゃん、頑張ったね」と、直子が言うと「直弘君から、今日のサプライズに誘われたし、小母ちゃんに、諦めたら駄目と教わったから、私、頑張った」と、嬉しそうに由実子は答えた。「由実子は、高校に行かなくて、地元の会社に、就職が決まったよ。俺達より、頭が良いから、もったいないよ」と、直弘が言った。「仕方ないよ、私の処は貧乏だから」と、由実子が言った。「高校には夜学も有るから、由実子ちゃん、チャレンジしたら」と、直子が言った。「うん、私、頑張ってみる」と、由実子は笑顔で答えた。「小母さんが、第二ボタンを貰ったから、私は、皆の第三ボタンが、欲しい」と、由実子は言った。直弘と少年達が口々に「良いよ。俺達は親友だから」と言い、各自が次々に、ボタンを取り外し、由実子に渡した。「ありがとう、ありがとう・・・」と言って、由実子はボタンを、大切に、自分の財布に入れた。直弘は、泰弘の意向も有って、進学校に進んだが、少年達の高校の進路は、バラバラだった。しかし、卒業後も、親交する事で、皆が、手を合わせ重ねた。その光景を見て、親達は[若いって、良いね。友達って、良いね]と、羨ましく感じていた。
高校に入っても、彼等は吹奏楽同好会を結成して、交流を深めた。由実子は奨学金を貰い、定時制の夜間高校に通った。進学校の直弘に、キクは、昔、進駐軍の米兵専用のレストランで覚えた英語を、教えた。高校を卒業して直弘は大学に、少年達は各々の仕事に就き、定時制の由実子は高校四年生になった。その頃、市の議会選挙が公示された。首都圏のドーナツ化で、土地成金に成った農家の親父が、市議会選挙に立候補した。彼は、市街化地域の周りに、多数のアパートを保有していた。中には、市の職員の独身寮として、市に貸出している物件も有った。彼は支持者を伴い、立候補の挨拶に、祝儀袋を持って、安藤家を訪れた。選挙用パンフレットは、金の掛かった立派な物だった。パンフレットと祝儀袋を持って、地元を個別訪している様子だった。初立候補の彼は無学で、選挙には無知だった。安藤家の玄関広間で、彼は終始低姿勢だった。血気盛んな年代の直弘が、世界情勢や、日本の政治に関して、質問しても、彼はチンプンカンプンで、全く、答える事が出来なかった。利権絡みの自己誇示が強い、田舎の成金親父に思え、彼の笑みは、仮面を被った笑みの様に感じた。翌々日、同じく初立候補した青年が、一人、自転車に乗って、安藤家を訪れた。名前を[山田 魁]と、云った。持参したのは、自分の主義主張を書いた、手作りの、貧祖な選挙チラシだけだった。青年は、真摯に直弘の質問に全て答えた。彼は、自分の信条を持った、知性の高い人物で、弁護士・税理士・行政書士の資格も持っていた。安藤家全員が「成金候補とは、月とスッポンだね」と言った。10日後が投票日で、資金力が有る成金親父は、最下位で当選、英知で勝っても資金力が無い青年は、次点で落選した。市議会選挙は、金の掛かる選挙の典型だった。成金親父は、当選しても、御礼の個別訪問はしなかった。一方、青年は「自分の力が微力だった」と言い、侘びの個別訪問をした。青年が、安藤家に訪れた際「直弘さんは、英語が、上手だそうですね。キクさんから教わったと、人から聞きました。私は、英語だけが苦手です。今度、教えて下さい」と、言った。直弘が「それ程では」と、頭を掻きながら、謙遜して言った。
直弘が二十歳に成った頃、少年達の中の一人・博史が、由実子と一緒に安藤家に来た。博史は、家業に就いていた。彼の実家は、プロパンガス兼、農家専門の上下水道工事店だった。由実子も、今は、博史の実家で事務を執っていた。二人は、相思相愛の仲に成っていた。「俺達、結婚する」と、博史が言った。安藤家の全員が驚いた。「双方の親も了解済だ。二十歳に成ったから、市役所に婚姻届も出した。由実子は母子家庭だから、彼女の母親と婆ちゃんは、俺の家に同居して貰う。俺の両親も、同意してくれた。俺達、まだ金が無いから、結婚式はしない。後日、金が貯まってからする」と、博史が嬉しそうに言った。手を繋いだ二人から、満面の笑みが毀れていた。安藤家・全員が口々に「おめでとう」を連発した。翌々日、同好会の仲間達と彼等の親達が、安藤家に集まり、細やかな結婚式を催した。費用は、全員のカンパ金で賄った。市内の貸衣装店で、タキシードと白いワンピースを借り、小さなウエディングケーキを用意した。結婚指輪だけは、急ぎ博史が、自前で買った。由実子の頭には、直弘と同好会の仲間達が昨夜、白い和紙で作った、七羽の折鶴のリングが、のっていた。直弘が、栄吉の遺品の紋付き袴を着て、即興の神主に成った。二人は小皿で三々九度を交わし、直弘が、庭から切り出した榊で御払いをして、二人の門出を祝った。楽器を持ち寄った同好会の仲間達が、曲を奏で、直子が唄った。サプライの結婚式だったが、そこには皆の絆が有った。感激の余り、博史と由実子の二人は、泣き出してしまった。直子は、腕の刺し傷の跡を、見ていた。直子には、傘の傷跡は、♥(ハート)の様に見えた。
市議会選挙が終わって、一年が過ぎていた。安藤家に、市役所の職員と、民間の水道工事会社の人間が来た。道路を掘り起こして水道管を敷設するそうだ。市役所の職員は、水道課や建設課や都市計画課・・・など、関連する部署から、複数の職員が、各々の部署の車で来た。市の職員の人数は総勢八名に比べ、民間の水道工事会社の人間は一人だった。「市が、水道管を敷設するので、これからは、市の上水道を使って下さい。敷地内の工事費は、若干、市で負担しますが、残額は全て、住民の負担に成ります」と、市の職員が話した。直子が「住民は、各々、井戸を掘って有るので、水は間に合っています。それに、井戸は、水道料金は掛っていません」と言ったら、市の職員が「市の条例ですから、従って下さい。従わないと、条例違反に成ります」と、命令口調で言った。水道管の敷設は終了し、道路は元通り修復された。暫くして、再度、道路を掘り起こして、下水の土管を埋める工事が始まった。その工事が終わって間も無く、今度は、都市ガスの工事が始まった。下水と都市ガスの事前説明も、市の職員の大人数と、民間業者の少人数は、人数差が在った。三度に亘る、道路の掘り起しは、縦割り行政の弊害と、税金の無駄遣いだった。古民家の水道は、ポンプ付きの井戸水で、下水は、バクテリアの地面吸い込み式で、上下水道とも、支障をきたしては、おらず、ガスは、博史の家業の、プロパンガスを利用していた。安藤家は、そのインフラの利用を、全て無視し続けた。後日、市の水道課の職員が二人で、インフラを利用する様に、説得に来たが、直子は取り合わなかった。市の職員の再三の訪問に、業を煮やした直子と直弘は、例の成金議員宅に出向き陳情した。丁度、成金議員がトタクターに乗って、畑から帰ってきた。市会議員の登庁日数は、一般職員に比べ三分の一以下で、登庁時間も、議会が開いている数時間だったので、彼は充分、農作業に従事する時間が有った。議員報酬は高額でありながら、自らの飲食を、公費に回したり、視察旅行と偽って、公費で旅行するのは慣習だった。二人は「インフラを利用するか否かは、住民の自由にして欲しい」と、陳情した。彼は、選挙前とは一変し、上目使いの議員先生に成っていた。成金議員は「今回のインフラは自分が、地元の発展の為に遂行した事業だ。それに真逆の内容で、関係部署に進言するのは、自分の立場もある。水道課に工作するには、費用も掛かる」と、高飛車な態度で、暗に政治献金を求めた。直子は金銭を包み「宜しく、お願いします」と、言って成金議員宅を後にした。帰り道、二人は、国の補助金で造られた、大規模なビニールハウスの脇を、通過した。次に、市が税金で造成した、工業団地の傍を通過した。直弘は[この国は、未だ、封建時代の士農工商(武士→公共団体の役人・農民→補助金農家・職人→工業団地の工場・商人→店舗経営)が、残っている]と、思った。成金議員への陳情以後、市の職員は、安藤家に現れなく成った。農家専門に上下水道の施工していた博史の実家は、市
の指定業者では無く、上下水道工事の入札には、参加する資格が無かった。その上、都市ガスの敷設により、本業のプロパンガス販売も、顧客が激変し、窮地に追い込まれた。博史の実家は、親族会社だったので、家族が一丸に成って、この苦境を、耐え忍んでいた。次に成金議員は、農道の舗装化に、着手した。結果、農耕車優先の舗装農道は、本通りからの、一般車両の抜け道(近道)に成り、農道にトラクターを停めて置いても、通行妨害の警笛を、一般車両から貰い、農民から悪評を買った。「泥まみれの農耕車には、舗装農道は必要ない。一般車両の農道への進入は、俺達の農作業の妨げだ。市に予算が余っているなら、農道の舗装ではなく、俺達の屋敷の中庭を、舗装して欲しい」と、皮肉交じり批判が、農民から続出した。成金議員は、地元の農民
からも、次第に支持を失っていった。腹黒い成金議員は、各々の工事の入札に便宜を謀り、業者から、献金も受けていた。
その年の夏、中規模の直下型地震が、この市を襲った。市内の住宅は、半壊程度が大半だったが、インフラの被害は多大だった。電気は、直ぐに復旧したが、都市ガスと水道の断水は、可なりの時間を要した。多数の職員を抱えている市役所だが、部署間の連携が、全く作動せず、給水車の手配に相当な日数を要した。一方、ボランティアの人々の行動は機敏で、仲間同士の携帯電話で、市内の井戸の所在を調べ合い、井戸水をポリタンクに詰め、自分達の車で、被災した市民に届けた。博史の実家には、仮設のプロパンガスのボンベと、コンロの依頼が、殺到した。実家の倉庫には、都市ガスの敷設で、不要と成ったボンベとコンロが、相当数、山積みされていて、今回の地震被害に、大いに役立った。安藤家にも、ボランティアの人々が、井戸水の給水に来た。ボランティアの人々の職業は、多岐にわたっていた。安藤家全員で握飯を作り、被災者に配った。少年達も、彼らの親達も、安藤家で炊き出しに協力した。成金議員のアパートは、大半が半壊したが、安藤家の古民家は、堅固でビクトモしなかった。成金議員のアパートと古民家は、近隣だったので、アパートの住民が多数、水を求め訪れた。被災者の中に、成金議員の独身寮に住む、市の職員がいた。彼は「自分は、財政課に勤務していて、部署が違うので、救済活動には参加出来ない。自分も被災者だ」と、言っていた。安藤家は自宅を開放し、風呂とトイレを提供した。市民からは、市の災害支援の緩慢さに、不満の声が続出した。この地震災害を期に、市民からの、都市ガスと上水道の解約が、相次ぎ、二つのインフラは、不要化しつつの状態であった。反面、博史の処には、プロパンガスの設置の依頼や、共同井戸の増設が集中し、彼の家業は、急に忙しく成った。その頃、寝たきりの由実子の祖母が、肺炎を併発し、他界した。由実子も母親も、家業の多忙で、祖母の容態に、気付くのが遅れた。二人は、祖母の枕元で、後悔し泣き崩れ、博史も、自分の責任を痛感していた。三人は、枕飾りの香炉に、線香を手向け(たむけ)、合掌した。祖母は、安らかな顔だった。
成金議員のアパートは、地震保険には加入していなかったので、彼は一期に、多大な修繕費を背負った。市議会選挙前の祝儀袋の配りも、明るみに出た。公共工事の入札操作も、露呈した。成金議員は、警察から取調を受け、逮捕に至った。成金議員は
市議会から罷免され、次点の青年・山田 魁が、繰り上げ当選した。
 
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