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俺達は何を求めて迷宮へ赴くのか

作者:海戦型
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51.第二地獄・荼毘伏界

 
前書き
お待たせしました。なんとか続きを書き出せたので投稿します。
11/26 すげー恥ずかしいミスを修正しました。 

 
 
 それは、オーネストたちが黒竜討伐に乗り出す4日ほど前のこと――。

 黒竜の行動をひたすら監視していたミリオンの目に、今までに見たことがなかった黒竜の行動が映った。黒竜は岩石だらけのとある階層で、壁に頭を押し付けていた。最初は何をしているのかといぶかしがったミリオンだったが、やがて何をしているのか理解して素っ頓狂な声を上げた。

「なんだコイツ、岩食ってるぞ?」
「え、黒竜がかい?」

 部屋の中で彼女の洗濯物をたたんでいたフーが顔を上げる。あまりに生活力が低いミリオンを見かねて面倒を見始めているフーもフーだが、自分のブラとパンツが知り合ったばかりの男に畳まれていく光景に疑問を覚えない彼女も相当なのかもしれない。
 顎に手を当てて首を傾げたフーは魔物に関する記憶を探る。

「岩を食べる、ねぇ……魔物が食料庫(パントリー)以外で何かを補給するってのは、魔石以外にはあまり聞いたことがないなぁ。アズや『ガネーシャ・ファミリア』の人によると魔物は普通の生物と同じ食べ物を食べられるらしいけど、岩はちょっと……鉱物みたいな外殻を持っている魔物ならありえるかも」
「フーン、鉱物を吸収して自分の体を硬くするとかか。ウチはてっきり胃石かと思ったよ。一応翼もあるしな」
「胃石?なんだいそれ?」
「あん?知らねーのかよフー助。海辺の動物やら鳥やらは腹の中に石を貯めるんだよ。(おもり)代わりにしてたり、石で食ったモン磨り潰したり。『マソ・ファミリア』は海辺のファミリアだかんなー、鍛冶ばっかのフー助と違ってその辺の知識はあるよ」
「知ってるから偉いってわけでもないだろうに……しかもそれ野生生物の話だし」

 なぜか誇らしげにニマッと笑うミリオンの顔は、どことなくいたずらっ子のような印象を受ける。最初は険悪な関係だった二人だが、あまりにも自堕落なミリオンの生活態度に耐えられなくなったフーが彼女の服をむしって以来、二人の関係は妙に精神レベルが低下していて子供っぽいやり取りが増えている。
 曲がりなりにもエルフで、しかも女性のミリオンから服をむしったとなれば普通なら一生口を利いて貰えなくても可笑しくはない。エルフという種族は純潔をモットーとしてプライドが高くて気難しい。……気難しさに関してはオーネストほどではないが。
 なのにこうして微笑ましいとも言えるイヤミを言って笑う上に「フー助」などと呼んでいる姿は、とても邪険な態度には見えない。フーとしても大失敗を犯した自覚はあるので謝ったのだが、なぜか許してもらっていないのに態度が軟化している。

 果たしてミリオンがエルフとして特殊なのか、それともココ曰く「エルフ受けがよさそう」な性格と顔が原因なのかは不明だが、ともかく二人の仲が深まっているのは確かだろう。洗濯物を畳み終えたフーがミリオンが魔法をかけた鏡を覗き込む。

 そして、顔をしかめた。

聖灯(コルポサント)………」
「え?コポ……なに?」
「黒竜が食べている鉱物はただの岩じゃない。あれは聖灯(コルポサント)……現在ダンジョンでしか取ることができない、世界一希少な『石炭』だよ」

 フーの表情は普段の顔から一気に鍛冶師としての、そして冒険に携わる人間のそれに変貌していた。鍛冶師としての知識と少々のカンが、目の前の光景に激しい警鐘をかきならす。

「その世界一希少な石炭が、なんなんだよ?名前だけ知ってるなんて言わねーよな?」
聖灯(コルポサント)………それは嵐の中でもはっきり見えるほどに強く輝き、しかも少量で非常に長時間燃え続けることから灯台として使われている。別名は『セントエルモの蒼い火』だと言えばわかるんじゃないか?」
「あ………あー!あの灯台のあれ!?あれってそのコボルドなんとかの火なの!?」
「コルポサント!コボルドの石じゃないからね!?というか何の石だよそれ!?」

 『セントエルモの蒼い火』といえば海の人――特に船乗りにとっては希望の象徴だ。悪天候な環境でも100KM以上遠くからはっきり目視で確認できるほどに強いその光は、丘に戻ろうとする船を天啓のように導いてゆく。

「聖灯は光源であると同時に、すさまじい熱量を放つ燃料でもある。ヘファイストス・ファミリアをはじめ、鍛冶ファミリアの最高級武具はこの燃料なしには成り立たないともいわれている。恐ろしく扱いが難しいが故に達人級の人間にしか扱うことができない、まさに聖なる灯の源なんだよ、あれは」
「はぁー………そんな高級品をボリボリ食って、いったい何がしたいんだよ黒竜は?まさか地上に持って帰って金儲けに使うわけじゃあるまいし」
「…………燃料、高熱……鱗……ブレス……?」

 もしも鉱物を食べる魔物がいたら、それは硬質の物体を纏っているだろうという推測。
 最高級の燃料が生み出すであろう莫大な熱量。
 黒竜の代表的な技――火炎放射。

 脳裏によぎったのは、オラリオを火の海にする火焔の邪竜の影。

「まさか――まさか、な」
「?」

 フーの脳裏をよぎった絶望的なまでの想像の内容を知らないミリオンは、冷や汗を垂らすフーの顔を見て不思議そうに首をかしげながらMP回復ポーションを呷り、「まずっ」と呟いた。



 = =



 ドラゴンとは、古来より力の象徴であった。

 東洋では万象を司る「龍」として、特に龍の中には神の遣いというだけでなく神格を持つ者も存在する。龍に似た姿をした蛇は龍の遣いとも言われ、主に海神や天候の神として崇められてきた。一部では八岐大蛇のように人に害をなす存在が龍と同格視されることもあったが、東洋人にとって龍とは神秘的で神々しい存在だった。

 しかし西洋ではこれとは対照的に、龍も蛇も忌み嫌われる邪悪な存在として度々物語や神話に登場するなど「邪竜」の側面が強い。竜は巨大な蜥蜴のような姿をし、火を噴き傲慢で人を殺める。故に東洋とはまるで違い、竜を殺す事は人知を超えた悪に打ち勝つ戦士の誉として語り継がれてきた。西洋人にとって龍とは圧倒的で禍々しい存在だった。

 今、このダンジョンに存在するのは後者としての竜。

 火を噴き、暴れ狂い、人を圧倒する傲慢で邪悪な存在。

 そう、火を噴くのだ。

 4人がかりで漸く転倒させたこの黒竜は、今までブレスを吐き出さなかった。

 理由は分からない。黒竜の持つ戦士としての矜持が使う必要はないと判断したのか、温存したのか、或いは温存しなければいけない事情があったのか。或いは――。

「冒険者の能力と手の内を見極めたいから最初は使わなかったんだろ。何せ今回は新顔が3人もいた訳だからな」
「『異端児』でもなしにその知能なのかよ……。あいつ実は人間の姿になれたりしないだろうな?実は『異端児』のプロトタイプとして作り出されたとか」
「アレの創造主に聞いてみろ。どうせアレも今、この光景を楽しそうに見物している」
「……黒竜倒した俺らを放っておいてくれるものかね、その創造主とやらが」
「倒してみれば分かる。なにせ顔も見たことがないからな、全ては推測しか出来ない」
「推測する予想結果の数言ってみ」
「可能性が高いのが3通り、低いのが7通り、限りなく低いのが26通り、ほぼ存在しないパターンは無限大。どれも人にとって快いものではなかろうな。なんならお前が説得していい方向に変えてみるか?低確率の7通りの内の一つは『アズライールと魔王が信頼関係を結ぶ』だ」

 涼しい顔で告げるオーネストの顔はどこか冗談めかしている気がする。しかし、俺は生憎そのジョークに応えられるほど余裕がなく、手に持っていた自作の継続回復ポーションを呷った。ごくごくと喉を鳴らし、微かにフルーティな香りはするが美味とは口が裂けても言えない液体を胃に落とす。
 こいつはいつぞやのじゃが丸くんポーションから着想を得た新しいポーションだ。通常のポーションは飲んだ瞬間に効果を発動して飲んだ薬剤の質と量の分だけ一気に体を回復するのに対し、このポーションは飲むと常に体が少しずつ回復するようになるものだ。短期的には使い勝手が悪いが持続時間が長く、継続的にダメージを受けることが前提の場合はこれが効いてくる。

 では、どうしてそんなポーションを俺が飲んでいるのか。

 簡単な話、俺達が継続的なダメージを受けているからだ。

 今、黒竜との決戦の場は紅蓮の炎によって灼熱の窯と化しているのだ。そこにいるだけで体が焼かれ、吸い込む息で喉と肺がやられかねないほどに、大気は凄まじい熱を帯びている。もしもポーションを飲まなければ、恐らく俺は数分足らずで全身火傷に陥り『生きながらに肺を焼かれて』死に絶えるだろう。

 一度は転倒させた黒竜に、俺達は全力で攻撃を叩き込んだ。
 リージュの氷は羽に大きなダメージを与え、俺も『断罪之鎌』で前足を切断してやった。ユグーの戦車も吹き飛ぶ超重量の拳は立て続けに足に叩き込まれたし、オーネストはこの機を逃す理由がないとばかりに黒竜の首筋を嵐のような斬撃を叩き込んだ。
 だが、オーネストの斬撃が頑強過ぎる黒竜の鱗を断ち切ったその時、黒竜の全身から爆発的な炎が噴出し、一気に形成が変化した。

『ヴルルロロロロロロロ………!!』

 黒竜の全身から陽炎が立ち上り、関節や口、目から青い焔がめらめらと立ち上る黒竜が唸り声をあげる。纏っているのは蒼炎――烈火より更に凄まじい熱量を意味する。口からブレスを吐くことは知っていたが、目の前のそれは最早黒竜というより『炎竜』と呼んで然るべきだった。

 噴火寸前の火山の火口から這い出た、星の内より湧き出る熱の全てを司る怪物。
 その姿は恐ろしくも神秘的で、炎という極めて原始的な危機を集約した『目に見える絶望』として悠然と立ちはだかる。
 これまでに攻撃した分の傷は消滅こそしていないが、内側から噴き出る超高温の炎がまるで物質のように欠損部分を包み込み、まるで弱体化など望めなかった。

「………これまでコイツが全身から炎を放出したことなど一度もない。ブレスの持続時間も長すぎる。熱量も前回と比べて格段に上がっている。なんともはや、成長を通り越して進化していやがるな」
「ノンキ言ってる場合か!この熱量、下手すればダンジョンの酸素を全部燃やし尽くしかねんぞ!」
「いいや、どうやらこのフロアは酸素供給が過剰らしい。当然か……酸素が無くなればあいつも炎を燃やせなくなるからな。恐らく魔王の差し金って所だろう」
「全く以て嬉しくない全面バックアップだなオイ。ま、この上更に敵の援軍が来ないだけマシか。あのパワーと熱量じゃあどんなに頑丈な魔物でも巻き添え一発で肉塊にならぁね」

 強力過ぎる力は時として味方にまで累を及ぼす。黒竜の発生させていた真空爆弾も、このダンジョンの魔物が喰らえば9割以上は一撃で死に至るだろう。援軍が援軍の役割を為さない以上、魔王とやらも援軍を寄越さない。代わりに黒竜の活動する環境はベストなものを整えるということらしい。

 高熱過ぎてかいた汗さえ瞬時に蒸発する環境のなか、俺は鎌を片手に溜息を吐く。本当に、今までのお遊びのような戦いとは桁が違い過ぎる。自慢のコートを今日に備えて耐熱祝福済みのものに変えていなければ、自然発火して火だるまになりそうだ。

「で、こんな予想外過ぎる事態に大軍師オーネスト様はどんな作戦を立てるんで?ユグーはともかくこのままだとリージュちゃんがもたないぞ。この高熱空間で彼女を守れるのは氷の魔法だけだが、魔力が持つものじゃない」
「………アズ、魔力継続回復ポーションと魔力回復ポーションをありったけ寄越して俺とリージュが態勢を整えるまで全力で時間を稼げ。やれるな、親友?」
「考えがあるって事だろう?なら期待に応えるさ、親友――俺は告死天使(アズライール)、死を司る俺にとって、死を退けるなど造作もないことだ」

 懐のポーションをありったけオーネストに押し付けて、俺はオーネストが突きだした拳に自分の拳をこつんとぶつけて笑った。
 こういう時だけは、自分持っている強力過ぎる力があってよかったと思える。大天使なんて御大層な存在とは程遠い俺だが、友達のために大見得を切るときに『死望忌願』は後ろで背中を押してくれる。流れ続ける時間によって運ばれてくる死が訪れるまで、俺の死は俺と共に在る。

(『やれるな、親友?』だってよ………こっ恥ずかしい台詞さらっと言ってくれちゃって。俺って奴は割と冷めた人間の筈なのに、なんでこんな時に嬉しくなっちゃうのかね)

 オーネストがポーションを受けとり、何も言わずにリージュに向かって走り出す。
 その動きを察知した黒竜の口から、マグマより尚熱狂的な火炎の奔流が躍る。直後、まるでレーザービームでも放ったのかと思えるほど凄まじい速度の火炎が閃光となってオーネストに飛来した。オーネストはしかし、それに見向きもしない。

「背中、任せた」
「おう、任された」

 自分と炎の間に、この世で己が最も信頼する男がいることを知っているから。

「さあて、物理的な衝撃波や質量があるんなら鎖しかない訳だが、その炎なら俺でも防げるんでねッ!!さあ、鎌をもう一本追加だ『死望忌願』ッ!!」
『חותכים דרך בשני להב――!!』

 俺の鎌が『死望忌願』の手に――そして虚空に伸ばしたもう一本の手が、『もう一本の鎌』を顕現させてガチリと握る。死神の鎌が一本だけ等とは一言も言っていない。ただ、二本同時は威力過剰で出す必要が無かったから出さなかっただけであり、操ることを考えなければ原理的には何本だって出すことが出来る。それこそ、この世にある死の数だけ出せるだろう。
 俺の手の動きとシンクロした『死望忌願』の両手が一対の鎌をバトンのようにグルグルと回転させ、腰を捻って構えを取る。生半可な回転では意味がない。極限まで指先の神経を尖らせ、鎌が一枚の円盤に見える程の速度に加速させる。

「全てを切り裂いて進め、『断罪之鎌(ネフェシュガズラ)』ッ!!」

 瞬間、眼前に迫る超高熱のブレスを腹で受けとめるように鎌が投擲された。万象に死を齎す鎌は大地さえも溶解させる莫大な熱エネルギーに接触し――まるで流水を押しのけるようにブレスを弾いていく。アズやオーネストの元には火の粉の一つも巻かず、邪竜の息吹は虚しく虚空に霧散した。

 鎌はそのまま黒竜の顔面に迫るが、黒竜は素早く体勢を低くして回避しながら全身を回転させて尻尾をアズの方へと向ける。鞭のようにしなった尻尾は超高熱を乗せてアズの手前10mに着弾し、高熱でガラス化した大地と共に凄まじい衝撃波と熱風が襲いかかる。
 先ほどの衝撃波よりも遙かに性質の悪い灼熱の津波の攻撃範囲はオーネストやリージュにさえ迫る勢いで押し寄せる。

「――ところで、何で俺の苗字がチェンバレットになったか知ってるか?」

 不意に――灼熱の津波に突如として無数の穴が開く。穴は凄まじい速度で灼熱の津波を削り取り、直後に黒竜の顔面に無数の衝撃が奔った。衝撃で首元の鱗が『鱗と言う存在を殺されたかのように』容易に剥ぎ取られ、血液の代わりに灼熱の炎が噴出する。黒竜は何が起こっているのか理解できぬかのように目を見開いた。

 熱波が防がれたその先にあるのは、銃。

 それは、黒竜どころかオラリオの全ての人間が見たことのない兵器。

 現代の死神。あちらの世界で最も多くの人間を殺傷した象徴的な突撃銃――その漆黒の銃はAK-47、カラシニコフと呼ばれるものに酷似していた。そして銃には弾倉がなく、代わりに映画でよく見る琥珀色の弾丸を連ねた『バレットチェーン』が伸びていた。そのバレットチェーンが続いている先は――(アズ)の心臓。

「自分でも使い道の分からない力を色々と調べて探ってたら、俺の心臓からこのチェーンが出てきてな。オーネストが面白がって、バレットチェーンから取って『チェンバレット』の姓を付けたんだよ――ここだけの特別情報だから他言無用だぜ?」

 これはアズライールという男の魂から精製された魂魄を穿つ弾丸。『徹魂弾(アーカードゥーシャ)』と名付けたそれは、殺すことより滅ぼすことによって死を齎す。『断罪之鎌(ネフェシュガズラ)』が切断によって魂を断ち切る力だとしたら、『徹魂弾(アーカードゥーシャ)』とは触れたもの全ての魂をその場で砕け散らせる破壊の力。

「この銃、色々と使いにくいし見た目が周囲に理解されなさすぎて普段は使ってないんだが………」

 こいつは少々『魂が削られる』ので長期間使用すると威力がガタ落ちするが、オーネストが逆転の一手を打つまでは出し惜しみなどしていられない。
 俺の両手に『徹魂弾(アーカードゥーシャ)』が、そして『死望忌願』の両手に新たな『断罪之鎌(ネフェシュガズラ)』が。

「お前ぐらいの相手になると話は別だ。サービスするからたらふく喰っていけッ!!」

 圧倒的な力に対抗する圧倒的な『死』を内包した俺は、全力でその場を駆け出した。



 = =



 轟音に混じり、二人の戦士が戦う音がする。アズライールとユグー。まるで連携などしていないが、ユグーはアズに対応する黒竜の隙をついて攻撃しているため、結果的に黒竜の攻撃は分散されてオーネスト達の所には届いていない。

 本来ならばこの戦いにリージュも踏み込まなければならない筈だったのだが、今、リージュは思うように動けないでいる。理由は彼女の周囲を囲む煉獄のような炎と熱気だ。
 この超高熱にオーネストとユグーは純粋な防御力と耐熱能力で耐えているが、既に並みの冒険者では数秒で蒸し焼きになるほどの気温に達している。アズはポーションと、おそらくあの背中に連れた恐ろしき魔人の加護によって辛うじて動けているのだろう。しかし防御のステイタスがレベル6の中では低い方であるリージュにとって、この環境はいるだけで過酷過ぎた。
 苦し紛れに火避けの加護の効果がある指輪を装備してみたが、効果はあくまでダメージの軽減までだ。これでも非常に貴重なアイテムなのだが、ダメージの遮断までは叶わない。結局リージュは自らの魔法である『絶対零度(アブゾリュートゼロ)』を周囲に展開して冷気のバリアを張るのが精いっぱいだった。

(歯痒い……脆い我が身が歯痒い……!魔力も足りない、この環境では氷壁も形成出来ない!この私が足手まといになるなんて――!!)

 ぎりり、と歯を噛み締める。血の滲むような努力を重ねてやっと想い人の隣に立つことを許されたというのに、いざ黒竜と相対してみればこの有様だ。かつて世界を滅ぼしかけた伝説の三大怪物の一角は18歳の女剣士には余りにも強大過ぎたのかもしれない。
 そう考え、ふと自分があまりに馬鹿馬鹿しい事を考えている事に気付いた。

「強大過ぎる力………ははっ、わたしって馬鹿だ。その力に抗う為に私は――私は戦う事を選んだんじゃないの」

 人生は抗う事の出来ない大きな波が荒れ狂い、それは人の運命を幾度となく狂わせる。こんなはずではなかった運命を引いてしまったあの日の雨が降り注ぐ夜に、リージュはそれを思い知らされ、そして運命を越える力を欲した。

 終わりは突然訪れる。幼馴染のと永遠とさえ思える決別もそうだった。だからその突然が現れても一刀のもとに両断して前へ進めるように、一足先に修羅の道へ足を踏み入れなければいけなかった人に届くように――二度とあのような惨めで苦しい思いを彼にさせないために、自らを磨き抜いた。

 泥も被った。血反吐も吐いた。嘲りと嘲笑は聞き飽きて、女だからと何度も下品な連中に襲われそうになった。裏切り、虚偽、大人特有の薄汚い駆け引き。人間と戦う時は常に格上で、身だしなみを気にする時間が惜しくて常にざんばら髪。今のリージュの姿からは想像も出来ない狼少女は、誰彼かまわず噛みついて、少しでも経験を糧にしようと足掻き苦しんでいた。

 今もそうだ。我儘ばかり言って、自分勝手な事ばかり考えて、身の程も弁えずに前へ進む。

 熱に魘されるような衝動。一歩前へ進めなかったら、一歩分だけ届く場所が遠ざかる。
 
「追いかけるんだ、ずっと……追いかけないと届かない。届かなかったら後悔する。後悔だけは、もうしたくない」
「――そうか、お前は偉いな。俺はそこまで真っ当に物事を考えられなかった。よく知り合いにくそガキ呼ばわりされて、その通りだと思う」

 偉い、だなんて言われたのはいつ以来だろうか――消耗するばかりのリージュを支えてくれる暖かな手に、場違いな安らぎと懐かしさを感じた。もう8年も、これほど優しい言葉をかけられていなかった。いや、優しい言葉の温かみを感じられるほどに心を許せた相手が一人しかいなかった。

 彼が近づいてきているのは分かっていた。今はオーネスト・ライアーと名乗る唯一無二の存在。足手まといになっている私を助けに来たのか、戦力外通告を告げに来たのかまでは分からない。それでも、近くに彼が来たというそれだけで、活力の薪が心臓の炉にくべられる。

「手、貸してくれるか。頼れそうなのがお前しか思いつかなかった」

 目の前で手を差し伸べた男の発した声は、富より名声よりなによりも欲し続けた言葉を象る。

 今日の、今の、この瞬間に「そう」答えるためだけに。たったそれだけの理由で――されどほかの誰よりも、黒竜の吐き出す炎より遥かに熱狂的な覚悟を胸に秘めて戦い続けてきた。

 手を伸ばす。永遠に届かないかもしれないとまで覚悟したそれは、確かにリージュの指に触れた。


「8年前のあの日に、そのセリフを聞きたかったな――進もう、今度こそ一緒に!!」
「お前がついてこれるなら、好きなだけ一緒にいていいぞ」
「もう、追いついたもの。いやだって言っても離れないよ」
「………お前、男の趣味が最悪だな」


 アキくんは、呆れながら微笑んだ。その笑顔が、世界の何よりも愛おしかった。

 今日こそは、出鱈目で理不尽な運命を塗り替える。いや、塗り替えられる。

 この取り合った手の感触を忘れない限り、絶対にーー。
  
 

 
後書き
アーカードゥーシャは語感だけであんまり意味のある言葉ではありません。しかもヘブライ語ではなくロシア語ベース。
ちなみにアーカードゥーシャは銃弾と着弾点が明確な時でないと死の力を発揮できないので、空気や液体、なにやらもやもやしたものには効果が薄いです。実体のないものを攻撃するにはネフェシュガズラが有効ということですね。
なお、アズの攻撃は基本的に全部魂を変換して放出していますが、明確な消耗品である弾丸は他のものに比べてケタ違いに消耗が激しいので今のアズは相当無茶をしています。

戦いは、まだ終わらない。 
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