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八神家の養父切嗣

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五十九話:Snow Rain


 迸る魔力を見つめながらはやては思う。人を殺していくだけでは誰も救えないと理解した切嗣のそれからの人生を。あの夜に世界を救済するという理想は砕けたはずだ。だというのにさらに人を殺しながら世界の救済を求める。それは間違いなく矛盾している。

 衛宮切嗣という心の弱い人間が叶わぬ夢を追い続けることができたのは理想を盲目的に信じることができたからに他ならない。だが、真実を知り、女を愛してしまった男はもう以前のようには戻れない。つまり、切嗣は別の願いを抱いているのだ。確実に叶えることができる願いが存在する。だから、どれだけ否定されようとも壊れた車のように進み続けられる。

 父はただ―――償いたいだけ。

「リイン、もっと出力上げて!」
「でも、これ以上ははやてちゃんが―――」
「ええから!」

 赦せなかった。そんな独りよがりで誰も幸せにならない願いなど許容できない。しかも本人は本気で気づいていないなど笑い話にもならない。デアボリック・エミッションの出力を限界以上にまで引き上げ相手の攻撃を飲み込んでいく。痛みが体を駆け巡るが気にしない。

 全力の一撃をもって父を打ちのめす。そして今まで言ってやりたかったことを、十年前のあの日に言いそびれた言葉を言ってやらなければならない。そうでなければこの気持ちは収まらない。

「とっとと―――沈まんかぁーッ!!」
「完全に…飲まれただと…!?」

 遂に切嗣とアインスのデアボリック・エミッションを飲み込み打ち消すはやて。そのままの勢いで黒き天体は二人に近づき―――辺り一帯を更地に変える。

 それはまるで核爆弾が落とされた後のような光景であった。魔力が煙となり黒く空を覆い、弾けた白い魔力光が靄のように周囲を覆い隠す。逃れる場所などなく生き残る術など存在しない天災が如き破壊行為。だが、それを以ってしても―――



固有時制御(Time alter)―――五倍速(quintuple accel)ッ!!」



 ―――男の妄執を止めるには不十分であった。

 爆発の中を何の計算もなくナイフを持ち突き進んでくる男の姿は肉眼で捉えることすらできない。体内で絶えず破滅と再生を繰り返すという地獄の責め苦を受け意識は朦朧としている。そもそもデアボリック・エミッションの時点で一度意識は飛んでいる。体内のレリックも先程の攻撃で壊された。

 しかし、それでも彼は動いている。アインスに無理やり意識を起こさせてもらい最後の魔力を全て使い突進する。全霊を掛けた一撃を避けることなどこの世の誰にもできない。脳が逃げろと筋肉に信号を送る猶予すらなくその心臓にナイフが突き立てられる―――



『―――Snow Rain.(スノーレイン)



 ―――その直前、ナイフを娘の心臓の真上に突き付けた状態で切嗣は停止した。

「……見事です、主はやて。そしてリインフォースⅡ」

 それは切嗣が最後の最後で娘への愛情から手を止めたのではない。嘘偽りなく彼の体は動くことができなくなっていたのだ。二人を称賛するアインスとは違い何が起きているのか理解できない切嗣は愕然とした表情で自身に降り注ぐ雪を見つめていた。

「これは……この雪が僕の体を―――凍結しているのか」
「いつぞやのお返しや。この雪に当たり続けた対象は次第に体が“凍結されていく”」
「ああ……そうか。これが因果応報というやつか……」

 先頭の中盤からツヴァイが秘密裏に準備していた魔法Snow Rain.(スノーレイン)。凍結効果を持つ雪を降らせていき徐々に相手の体の自由を奪っていく。まるで降り積もった雪が屋根を押し潰すように相手を拘束し最後には完全に凍結封印する。

 かつて永久凍結を行おうとした相手へのお礼とも言える皮肉な魔法に切嗣は自嘲気味に笑う。何の罪もない少女を冷たい棺の中に押し込めようとした人間にはお似合いの最後だ。そう、どこか荷が下りたような顔で切嗣は小さく呟き凍り付いていく己の体を見つめる。

「これで勝負ありや、おとん―――clash(クラッシュ)!!」

 はやてが指を鳴らすと同時に切嗣の体を覆っていた氷が音を立てて砕け散る。魔力も気力も全て使い果たしていた切嗣はどうすることもできずに爆発的なダメージを受け地面へと落ちていく。もはや、地面に衝突して死ぬかもしれないという考えすら浮かばない。否、もう自分では奇跡に手が届かないと理解したために死を望んだ。


「ああ……やっとか」


 やっとこの罪深い生を終わらせられる時が来た。そう呟くかのように切嗣は瞼を閉じ体から力を抜く。後は無造作に地面に打ち捨てられこの生を終えるだけ。そう望んだがそう簡単には終わらせてもらえはしない。自身の体に触れる柔らかな手の感触に気づき目を開けるとそこには物憂げな娘の顔があった。

「そう簡単に死なせはせんよ」
「……降ろしてくれないかい? その……この年で女の子にお姫様抱っこされるのは流石に……」
「敗者に権利はない! …って言いたいとこやけどしゃあないなぁ。昔は散々やってもらったんやし」

 渋々といった感じではあるが地面に降り瓦礫に切嗣を持たれかけさせる。既に彼には立つ体力もまともに座る気力もない。そんな状況に甘んじている自分を嘲笑しながらはやてを見つめたところである違和感に気づく。その違和感が何なのかに気付いたところで今度はなぜ今になってこんなことに違和感を覚えるのだろうと笑ってしまう。


「そっか……もう―――1人で立てるようになったんだね」


 座っているとはいえ娘が自分を上から見下ろしている状況に何とも言えぬ声が零れる。一緒に暮らしていた時はこのようなことはなかった。体が大きくなったこともある。だがそれ以上に文字通り一人で立つことができなかった娘は成長し今はその足でしっかりと大地を踏みしめているのだ。

「そらそうよ、もう十年も経ったんや。私だっていつまでも誰かに支えられてるわけやないんよ」
「十年か……通りで僕も老いるわけだ」

 まるで十年分の疲労が一気に押し寄せたかのような脱力感が体を襲う。気づけば四十手前だ。子供のような夢を抱いて生きてきた。それを人の生の半分近くもなのだから笑いが出てくる。

「なあ……なんであの時真正面から破りにきたん。シグナムの時みたいに特殊な銃弾で撃てば私の負けやったのに」
「………弾を入れ替える時間がなかっただけさ」

 少しの沈黙の後に切嗣が答える。それは真実であり嘘でもあった。そもそも今回の戦いで切嗣は一発たりとも起源弾を使用していない。せいぜいが撃つと警戒させブラフ代わりに使った程度だ。本気で殺しにいった。だが、結局のところ致命傷はただの一度も与えられなかった。その理由がなんであるかなど語る必要もないだろう。

「はぁ……結局、肝心なところでへまをする。これじゃあ世界なんて救えなくて当たり前か……」

 この十年間、心のどこかでいつも考えていた。自分に世界を救うことなどできるのかと。そんな自分自身を信じることのできない人間に世界を救えるはずなどない。こうして娘の前に敗れ去るのはあの日から決まっていたのだろう。そう、自嘲する。そんな切嗣に対してはやては。

「まーた、それか!」
「痛ッ!?」

 全力でチョップを食らわした。突然のことに目を白黒させる切嗣にはやてはこれ見よがしに溜息をついて見せる。この男はいつも自分の本当の気持ちを覆い隠して、やらなければならないことを行うから矛盾が生じて結局何一つ達成できないのだ。

「世界を救うのが本当にしたかったことやないんやろ?」
「な、なにを言っているんだい?」
「なら聞くけど、なんで全ての人を生き返らせて不老不死にするっていう方法にこだわるん? 別のやり方じゃあかんのん?」

 切嗣はそう言われて考える。確かに世界を救うというだけなら最高評議会の方法でも構わなかった。だが、自分は世界が救われるというのに彼らを裏切った。その理由は死んでいった者の死が許せなかったからだ。

「それは……僕は全てを救いたいから」
「犠牲にしてきた人達を無駄にしたくないのがおとんの基本やろ。昔っから生き返らせたいなんて願っとったわけやないやろ」
 
 今までの犠牲を無駄にしたくないという理由で娘すら殺そうとした。だが、確かに生き返らせることなど願ってはいなかった。仮にあの時に聖杯が存在していたとしてもただ未来に託すだけだっただろう。ならば、自分は一体いつ過去の人々を生き返らせたいなどと願ったのだろうか。


 ―――ねえ、私を助けてよ、ケリィ。


 ハッと息を呑む。思い出されるのは夢で逢った彼女のこと。全ては彼女を殺せなかったことから始まった。否、彼女を救うことを諦めた時からこの地獄は始まった。何度も何度も罪のない人を殺してきた。その度に思った。彼らを―――救いたかったと。

 ―――君達を助けることができるのなら。もしも、生き返らせることができるのなら。

 ―――その時はやっと死ねるかもしれないね、ケリィ。

 この十年間何度も死にたいと願った。しかし、それは許されなかった。妻のために生きていたのではなく生きなければならないという義務感だけで生きてきた。生きて何をしようとしていたのかようやく気付く。世界を救うなど二の次でしかなかった。ただ、衛宮切嗣は。

「僕は……殺してきた人達に―――生きていて欲しかった」

 殺した者達に人並みの生を謳歌して欲しかった。奪った生を返し笑っていて欲しかった。何よりも自分は彼らに―――


「―――罰して欲しかった」


 罪を償いたかった。項垂れたまま切嗣は思いの丈を吐き出す。それは世界を救うという行為とはかけ離れている。醜い私欲だ。贖罪ですらない。世界を救うという大義名分に紛れさせ我欲を叶えようとしていた。また人を殺して、また娘を殺そうとして。罪を償うために罪を重ね続けた。

「はぁ……やっと気づいたな、おとん? アインスも気づいとったんなら止めんと」
「私は切嗣に地獄の底までついていくと決めていたので……ただ傍にいることを決めたのです」

 アインスの慈愛に満ちた言葉に切嗣はどうしようもなく自分が嫌になる。こんな自分勝手な理由に彼女は文句ひとつ言わずについてきてくれたというのに自分はそのことに気づきもしなかった。やはり自分は彼女に愛される資格などなかったと後悔する。

「ああ……僕は結局、罰が欲しかっただけ。償いがしたかっただけ。……愛される資格なんてない」

 はやての目を見つめることも、アインスと語ることもできずに下を向いたまま頷く。気づく前であればエゴを貫いてでも願いを叶えるつもりではあったが、このような自分以外救われない願いは願えない。曲がりなりにも世界の救済を願った以上それはできない。

「やから―――ええかげんにせーや!」
「ッ!?」

 今度は強烈なデコピンをまともに食らい思わず目に涙が滲む。ユニゾンしているアインスにもダメージが入ったのか何やら声を上げているがはやては気にしない。

「いつまでもうじうじと悩んで自分を卑下してばっかりやな、ホンマ」
「で、でも、実際に僕はどうしようもない人間だろう。誰も救えないだけでなく、だれかを傷つける。こんな人間死んだ方がマシ―――」

 フルスイングのビンタが切嗣に突き刺さる。あまりの威力にツヴァイが若干引いたような声を上げているが怖いのではやてには何も言わない。とばっちりを食らったアインスは納得がいかないような、主に叱られて嬉しいような複雑な声を切嗣の中で出していた。

「死んだほうがマシ? ふざけんといて!! 私はそんな人間のために十年間も頑張ってきたんやないッ!! おとんは自分を愛してくれる人の気持ちを考えたことがあるんかッ!?」

 今までの想いを全てぶつけるような怒鳴り声に切嗣は何も言い返せなかった。考えたこともなかった。自分を愛してくれる人間の気持ちがここまで傷つけられているなど。自分のことしか考えない男は思いもしなかった。

「誰も救えない? 私の目を見て言ってみーや! ここに! ここにおるやろ!! 家族を失った悲しみを救って貰った人が!! おとんに―――救われた人がッ!!」

 涙を流しながら声を上げるはやての姿に切嗣は信じられないといった表情をする。自分が誰かを救ったなど信じられなかった。見捨てたといっても過言ではない娘が自分のことを愛してくれていたなど信じられなかった。

「おとんは私に笑いかけてくれた。私に飛びっきりの魔法を見せてくれた。大切な家族になってくれた。私を―――愛してくれた」

 それまでの大人びた態度はどこにいったのか、まるで子供に戻ったようにはやては泣きじゃくる。そんな娘の姿にオロオロとしながら切嗣は手を伸ばしてしまう。もう二度と、その温もりには触れてはならないと誓った。だが、そんな誓いなど泣きじゃくる娘を前にしては意味がなかった。



「誰がなんと言おうとおとんは私にとっての―――正義の味方やッ!!」



 娘を抱きしめた温もりと様々な想いが込められた言葉に切嗣は何も答えられなかった。
 頬を伝う―――ただ温かい何かがその頬を伝っていく。止めどなく流れていく何かがアインスのものなのか自分のものなのかも分からない。ただ、それが何であったとしても―――

「ああ……そうか…そうだったのか」

 ―――切嗣の心は救われていた。

 男は正義の味方になりたかった。誰もが平和な世界が欲しかった。でも世界は残酷だった。それを知った男は機械となって引き金を引き続けてきた。その人生に後悔しなかったことはない。全てを救いたかった。しかし、全ての人を救う道は閉ざされた。

 光のない夜空に見えない星を求め手を伸ばし続けてきた。きっとその人生は“無意味”なものであったのだろう。だが、それでも―――“無価値”ではなかった。


「僕は―――正義の味方になれたのか」


 世界など救えない。救った数よりも殺した数のほうが多い。それでも、この手には確かに掴み取ったものがあった。誰一人として救えなかったわけではない。確かにこの手で救えた者がいたのだ。世界を救う正義の味方にはなれなかった。それでも―――誰かのための正義の味方にはなれたのだと気づくことができた。

「そうや。ホント、気づくのが遅いんや、おとんは」
「そうだね。本当に……気づくのが遅いね。いつまでも時間はないのに。どうしてこんなに遅いんだろうか」

 もっと早くに気付くべきであった。そうすれば何かが変わっていたかもしれない。しかし、終わってしまったものはどうすることもできない。求めたものは手に入らなかった。大きすぎる大望は身を滅ぼしただけであった。しかし、何一つとして手に入らなかったわけではない。


「でも―――小さな安らぎは得ることができた」


 小さな、小さな安らぎを得た。それは望んだものに比べれば微々たるものであろう。だが、それでよかった。元よりこの身には過ぎた願望。人の器では収まりきらない。しかしながら、この小さな安らぎであれば例え地獄に落ちたのだとしても覚えていられる。

「ありがとう、はやて。僕はこれだけで……満足だ」

 一体いつ以来であろうか、心の底からの穏やかな笑みを浮かべ娘の頭を撫でる切嗣。もう子供ではないと思い恥ずかしがりながらもされるがままになるはやて。確かにそこには十年前に置き去りにされた親子の姿があった。

「何言っとるんや。これからはアインスも含めて家族でもっと―――」



「―――ああ、その通りだよ。衛宮切嗣がその程度の欲望で満足するなど実に下らない」



 突如として親子の触れ合いをぶち破る心底つまらなそうな声が響いてくる。戸惑うはやてとは反対に切嗣はすぐにその正体に気づき殺したはず(・・・・・)の男の方を見ようとする。しかし、相手はその猶予すら与えない。幾重もの魔力で編まれた刃がはやての背を目がけて襲い来る。

「はやてッ!!」

 魔力も失い自由の利かない体をアインスと共に無理やり動かしはやてに覆い被さるように庇う。そんな親の背中に剣は容赦なく降り注いでいく。非殺傷設定などされていないそれは容赦なく肉を突き破り真っ赤な花を咲かせるように辺りに血を撒き散らしていく。しかし、どれだけ剣が降り注ごうとも切嗣は決して動かない。何故なら彼は―――娘を愛する父親だから。

「残念だよ、衛宮切嗣。君は私と同じ無限の欲望の持ち主だと思っていたのだがね」

 はやて達の耳に再び男の声が届くが何の反応も返さない。父は娘を見つめ、娘はコートを血で赤く染める父の姿を見つめる。
 頬を伝う―――父の体から零れ落ちた生暖かい何かがはやての頬を伝っていく。絶望が彼女の心を覆いつくす。

「……無事かい?」
「う、うん。大丈夫や……」
「そっか……ああ――安心した」

 娘とは反対に無事を確認した切嗣は満足げに笑う。ユニゾン中のアインスも良かったと笑う。酷く優し気な微笑み。その微笑みを湛えたまま、切嗣の体は―――崩れ落ちていった。

「おとん…? おとん…! おとん―――ッ!!」

 少女の悲痛な叫びが天に木霊し、消えていく。

 時のある間に薔薇の花を摘むがよい。
 時は絶えず流れ行き、今日微笑んでいる花も明日には―――枯れてしまうのだから。

 
 

 
後書き

ようやくラスボス登場。次回からは本当の最終戦に入ります。
ケリィ? ……惜しい人を亡くしたよ。
 
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