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ありがとう!(Ⅰ幸世の半生)

作者:近藤 宏樹
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ありがとう!(Ⅰ幸世の半生)

 
前書き
「行ってきます」と幸世が言い、「昌五、勉強、頑張れよ」と五郎が言った。「行ってらっしゃい、気を付けて」昌世が言った。毎朝の高木家(たかぎ)の、出勤時の光景だった。 

 
ありがとう!(幸世の半生)
Ⅰ{フィクションに付き、内容は架空で、
  事実とは、異なる処があります}
♪玄関先で「行ってきます」と、幸世(さちよ)が言い、「昌五(しょうご)、勉強、頑張れよ」と、五郎(ごろう)も言った。家の中から「行ってらっしゃい、気を付けて」昌世(まさよ)が、返した。毎朝の高木家(たかぎ)の、出勤時の光景だった。高木家は父・高木五郎、母・高木昌世と、長女・高木幸世、二つ年下の長男・高木昌五の、四人家族であった。父・高木五郎と長女・高木幸世は、地元の同じ地方銀行に勤めていたが、勤務先の店(支店)は違っていた。この町は県庁の所在地で、市内には同一銀行の本店が在り、支店も数多く点在していた。母の昌世は専業主婦、弟・昌五は二浪の浪人生で、地元の予備校に通っていた。父・五郎と娘・幸世の二人は、いつもの様に、自宅の近くのバス停から、バスに乗り込んだ。二人並んで吊革に摑まり五郎が、幸世に言った。「今日から転勤で、店が変わった。以前、同じ店に居た部下が、俺の上司として赴任して来るから、俺は他の店に回された。部下の栄転に対しての、俺は左遷だよ」暫くして五郎は、いつもとは違うバス停で下車した。バスの窓から見る五郎の後ろ姿が、幸世には寂しく思えた。
学歴の無い五郎は主任止まりで、絶えず部下に先を越されていた。出世の道は閉ざされ、苦汁の連続だった。それは息子・昌五への、過度の進学期待願望に繋がっていた。母の昌世も、昌五に対し同様な期待を持っていた。一方、娘・幸世に対しては、五郎も昌世も[いずれは、嫁に出す]と、思い、期待は無かった。幸世は弟・昌五を、密かに自由奔放して上げたいと、思っていたが、厳しい両親の前では、口に出す事が出来なかった。幸世と昌五の姉弟(きょうだい)は、仲が良く、常日頃、ふざけ合っていた。昌五は姉・幸世に「俺は勉強が嫌いだ。本当は大学なんか、入りたく無い。料理人に成って、店を持ちたい」と、絶えず、洩らしていた。そして、両親との会話は殆ど無く、昌五の部屋は始終、内側から鍵が掛かっており、部屋に入る事が出来るのは、幸世のみだった。部屋の中には、料理の本だけが、山積みされていた。
支店では、幸世の仕事は窓口業務だった。幸世は、持前の笑顔と優しさで、御客や同僚に接していた。それは同僚の女子行員から、ブリッ子と反感を持たれたが、男子行員からは受けが良く、御客からは好評であった。次第に幸世は、支店の看板ガールになっていった。
幸世が、支店に勤め始めてから三年が過ぎた或る日、支店長が変わった。新支店長は、氏名を久保信雄(くぼのぶお)と、云い、イケメンの独身で、東京の国立大学一期校の卒業の、超エリート銀行員だった。この銀行には、東京の国立大学一期校の出身者の銀行員は、金融庁から出向した、天下りの頭取以外、一人も居なかった。彼は30歳程で、異例のスピード出世あったが、以前の五郎の部下でもあった。彼の実家は、地元でも有名な大ブドウ園で、ワインの醸造も手掛けていた。彼は、久保葡萄園の御曹司だったので、東京の大企業を選ばず、地元の地方銀行に就職した。即座に新支店長は、支店の女子行員の憧れの的になった。
ブリッ子に見える幸世は、いち早く、新支店長・信雄の目に止まった。新支店長が、着任して三ヶ月過ぎた金曜日の或る夜、自宅の昌五の部屋で、幸世は昌五と戯れていた。幸世の携帯電話が鳴った。新支店長・信雄からの電話だった。「明日の土曜日、食事に誘いたい」との、電話だった。信雄からの突然の電話に、幸世は驚いた。管理職の信雄は、部下の個人情報を、容易に閲覧できる立場にあったので、幸世の携帯電話を知る事も、簡単であった。しかし銀行内では、男女交際は、半ば禁止されていた。幸世は戸惑ったが、新支店長からの誘いなので、断れなかった。そばに居た昌五は「銀行の内規なんて関係ないよ。個人を束縛する物だ。姉ちゃんは優しいから、支店長が気に入ったのだ。御馳走様」と、励ましてくれた。でも、幸世は信雄に対し、好感を持っては居なかった。それは、エリート特有な蔑み(さげすみ)目線と、お坊ちゃま育ちの、我が儘の態度と言動だった。先日も、同僚の女子行員に「入れてくれた珈琲が、温い(ぬるい)。親の(しつけ)が悪い」と、文句を言っていた。見下す(みくだす)目線で御客に接するから、時々、御客とのトラブルも生じていた。翌朝、幸世は渋々、指定された待合場所に向かった。そこは、人目に付かないバス停だった。幸世を降ろしたバスが、行き去った。一台の高級外車が、バス停に停まった。車の窓ガラスが開いた。運転席に乗っていたのは、支店長の信雄だった。幸世は助手席に乗り、シートベルトをした。素人の幸世でも判る高級外車で、支店長の給料では買えない高額な車だった。幸世は信雄の事を、やはり御坊ちゃまだと悟った。信雄は、何時もの支店の背広姿とは異なり、ポロシャツにジーンズのラフなスタイルだった。「この町は小さいから、待合場所は、人目に付かない所が良い」と、言った。「私も、そう思います」と、幸世が敬語調で答えた。信雄は人目を嫌い、信州の諏訪湖まで車を走らせた。車内での信雄の言動は。高飛車だったが、幸世は大人しく聞いていた。諏訪湖の湖面は眩い程、美しかった。湖面の見えるレストランで、二人は食事を摂った。食事を終えた二人は、諏訪湖に浮かんだヨットを眺めていた。信雄が口を開いた。「幸世さんの御父さんは、高木五郎さんだね」幸世は「はい」と、答えた。信雄は「高木さんは、僕の先輩だ。でも高木さんは、銀行では御荷物だ」と、言った。父親を侮辱されたが、幸世は、上司である信雄に口答えが出来ず、俯いて、じっと我慢していた。辺りが闇に包まれた頃、二人は自分達の町に戻った。信雄は幸世を、闇夜の幸世の自宅近くまで、車で送って行った。幸世は「今日は、有難う御座います」と、車を降りて頭を下げた。車は走り去った。昌五が、幸世の部屋に入って来て「どうだった」と、聞いたが、幸世は黙り込んで沈んでいた。以後、信雄から度々誘いが有り、その都度、幸世は断り切れず、誘いに乗った。幸世には、断れば、同じ銀行内の父・五郎にも、禍が転じるのでは?との、恐れが有った。二人のデートコースは、地元の町では無く、日帰りが出来る、伊豆とか駿河湾とか神奈川県の観光地に、限られていた。
或る夜、高木家は家族四人で夕食を摂っていた。「御父さん、話が有るのだけど」と幸世が言った。「何だ」と、ぶっきらぼうに五郎が返した。「今、お付き合いしている人がいるの」と、幸世が言った。「姉ちゃん、やめろ!」と、昌五が叫んだ。昌五は、幸世が信雄を嫌っている事を察していた。幸世が「同じ銀行」と、話し始めたら、再度、昌五が「やめろ!俺は反対だ」と、割り込んだ。再度、幸世が話し始めたら、昌五は自分の部屋に戻って、閉じ籠ってしまった。「支店長の、久保信雄さんなの」と、小声で幸世が言った。「今、何て言った!」と、五郎が聞き返した。「支店長の久保さん」と、幸世が答えた。五郎は度肝を抜かれ、妻・昌世の顔を見た。「久保さんは、我が銀行で、出世の筆頭頭だ。学歴も完璧だ。将来の頭取の椅子は、確実だ。実家の久保葡萄園は、県内では有名な資産家だ。幸世、でかした。玉の輿だ。幸世は将来、頭取夫人で、俺は久保さんの義父だ。昌五も有名大学に進学して、同じ銀行に勤めれば、久保さんが居るから、出世は間違いない。鳶が鷹を生んだ気分だ。母さん、祝杯だ。酒持って来い」と、五郎は上機嫌だった。五郎と昌世の気分は、最高潮に達していたが、幸世には笑顔がなく、沈んでいた。もちろん、諏訪湖に行った際、信雄が口にした「高木さんは、銀行では御荷物だ」の言動は、昌五には話していたが、五郎には、話す事が出来なかった。1
或る日、いつもの様に幸世が、窓口で御客に応対していると、30歳位に見える不細工で無骨者の男が入ってきた。体格は大柄で、ガッシリした男だった。支店の入り口には、一匹の子猿が、ロープで繋がれていた。男は窓口で幸世に「新しく通帳を作りたい」と、言った。「新規の通帳ですね。あちらのテーブルに、用紙が有りますので、記入して、こちらの窓口に提出して下さい」と、優しい笑顔で答えた。男はテーブルで用紙に記入し、窓口に提出した。幸世は「印鑑と本人を確認できる物を、お持ちですか?」と、聞いた。男は頷いて、印鑑と運転免許書と現金五万円を、差し出した。五万円は、道の駅での場所代を引いた、始めての売上金だった。幸世は「本人確認できました。有難う御座います」と、言って、男に運転免許書を返し「こちらの入金伝票に、今日の日付とお名前、入金される五万円を書いて貰えますか?」と、言い、入金伝票を差出した。男は入金伝票に日付・名前・五万円を書き幸世に渡した。「キャッシュカードは、御作りしますか?」と、聞いたら、男は「はい」と、答えた。「キャッシュカードは後日、御自宅に書留で郵送しますので暗証番号を決めて下さい。すぐに通帳を御作りしますので、あちらのソファーに掛けて、お待ちして貰えますか」と、優しく誘導した。男はソファーに掛けて、優しい笑顔の幸世に見とれていた。幸世は、男の書いた用紙を見た。氏名は早川建一(はやかわ けんいち)・住所は此処から三キロ以上離れた山村で、年齢は24歳だった。幸世には、男の年齢が、実際の年齢より、5歳以上老けて見えた。「早川さん。三番窓口にお越し下さい」と、幸世が建一を呼んだ。建一が窓口に行った。「新しく通帳が出来ましたので、お渡しします。通帳の入金金額を、確かめて下さい。印鑑も御返しします。早川さんの子猿さんですか?」と、幸世が言った。建一が通帳と印鑑を、バックに入れながら「そうです」と、答えた。「触っても良いですか?」と、幸世が聞いたら「いいよ」と、建一が答えた。幸世が席を外し、支店の入り口に行った。他の女子行員も二人、支店の入り口に行った。建一が、入り口に繋いであったロープを解いたら、子猿は建一の胸に抱き付いた。幸世と二人の女子行員が、子猿の名前を聞いた。「モンタ」と、建一が答えた。幸世と二人の女子行員は「モンタちゃん、可愛い」と、言って、モンタの頭を撫でた。五分位して「また来るから」と、建一が言って、支店前の駐車場に止めた白色の軽トラックの助手席に、モンタを乗せて立ち去った。幸世と二人の女子行員は、軽トラックに手を振っていた。♪建一は帰路の運転中に、幸世を脳裏に浮かべていた。幸世の優しい笑顔・仕草・話し方、建一は、幸世に一目ぼれだった。今日は、自分の畑で取れた野菜や、山で取れた山菜・キノコを、始めて市内の道の駅に売りに来た帰り道だった。偶々、帰り道に幸世の勤める銀行の支店が在り、幸世との出会いは、全く偶然だった。建一が住んで居る山村は、過疎で高齢化が進み、特定郵便局も無かった。以前には農協の支所が在ったが、統廃合で支所も消えた。
建一は、道の駅に週二回程、出店する様になったが、山菜とキノコの販売は、道の駅では対抗馬が無く好評だった。しかし、山菜やキノコは、山の中に散らばって生息して居るので、採取が大変だった。建一は道の駅に行く度に、幸世の支店に立寄り、窓口で売上金を入金したが、幸世が別の御客に対応している時は、彼女が空くまで待った。フロアーのソファーで待っている間に、建一は携帯電話で、こっそり幸世を撮ったが、幸世は気付かなかった。建一の耳に、幸世の対応している御客の声が、聞き取れた。御客は老婦人なのに、声が大きかった。どうやら、他行から預金を引き出して、この支店に預けにきたらしい。老婦人は、窓口のカウンターに大金を置いた。老婦人は幸世に、内輪話(うちわばなし)を始めた。幸世は微笑みながら、老婦人の話を聞いていた。話し終えた老婦人は、「高木さん、また来るね」と、言って、支店を出て行った。「早川さん、お待たせ致しました」と、幸世が建一を呼んだ。建一は窓口に行った。「前のお婆ちゃん、話が長いね」と、建一は笑って言った。幸世が「ごめんなさい、お待たせして。あの御客さん、一人暮らしで、お子さんは三人、市内に居る様ですが、三人とも、全く自分の処に、顔を出さない。お子さんには、御孫さんも居るそうです。寂しいのですね」と、言った。建一は、老婦人の家族の絆に希薄さを感じ、幸世と老婦人の間に、仄々(ほのぼの)とした明るい触れあいを感じた。幸世は支店での、定期預金の獲得件数が、ナンバーワンだった。建一は、窓口で入金伝票と現金を出し、同時にレジ袋も出した。レジ袋には山菜とキノコが入っていた。「これ、食べて下さい」と、建一が言い、「良いのですか?」と、幸世が問いた。「どうぞ」と、建一が答えた。レジ袋の中味を見て「凄い、有難う御座います。家族で食べます」と、言って、幸世は窓口のカウンターの下の引出しに、仕舞込んだ。建一が、入金を終えて、支店の入り口で、モンタのロープを解いていると、幸世が現れ「モンタちゃんのプレゼントです」と、言って、手作りの猿用衣服を二着、建一に手渡した。薄青色と黄色の二着で、両方とも赤字で、モンタと刺繍がしてあった。「サイズ、合うかしら?モンタちゃんは雄ですか?雌ですか?」と、幸世が言った。建一が「有難う御座います。雄です」と、言って、モンタに、お辞宜をする様に仕向けたら、モンタは幸世に向かって、ペコペコと二回お辞宜をしたら、突然、幸世に抱き付いた。幸世はビックリした。幸世は、モンタに頬擦りをした。モンタは目を白黒と、していた。モンタは、幸世の胸から建一の胸に、飛び移った。「モンタちゃんの写真、撮っても良いですか?」と、幸世は聞いた。「良いよ」と、建一が答えた。幸世は携帯電話を取り出した。建一が「俺がシャッターを切ろうか?」と、言い幸世に抱かれているモンタを撮った。そして建一とモンタは、何時もの白色の軽トラックに乗って帰って行った。幸世は「又ね」と、言って、軽トラックを見送った。建一は、益々、幸世が好きになったが、頬擦りをして貰ったモンタが、羨ましかった。その夜、昌五が、幸世の部屋に入ったら、鼻歌交じりで、幸世が何かを作っていた。「何しているの?」と、昌五が聞くと、幸世が「モンタちゃんの帽子を、作っているの」と、答えた。それは手編みの、小さな帽子だった。「モンタちゃん?」と、訝しげ(いぶかしげ)に昌五が言った。「いつも、山菜とキノコをくれる、銀行の御客さんの子猿さんよ」と、言って、幸世は携帯電話の写真を、昌五に見せた。「可愛いな」と、昌五が言った。久しぶりに見る、姉・幸世の楽しげな心を、昌五は感じ取っていた。
三日後、レジ袋を持って建一が来店した。「これ」と、言って、建一はレジ袋を窓口のカウンターに置いた。奥の支店長の席で、幸世の様子を見ていた支店長の信雄が、幸世の傍に来た。入金伝票の名前を見て「早川さん、困ります。銀行は御客さんに対し、平等に対応しています。特定の御客さんから物品を貰う事は出来ません。それは、お持ち帰り下さい」と、上目線で冷たく言った。建一は、レジ袋を自分の膝の上に戻した。言い終えた信雄は、支店長の席に戻って行った。信雄にとって幸世は、自分の愛人である。他の男が、幸世と親しくなる事に、苛立ちを感じていた。幸世は小声で「ごめんなさい。折角、持って来て下さったのに。先日の山菜とキノコ、美味しかったです。特に弟は、料理が好きなので、誉めていました。有難う御座います。30分程、お時間が有りますか?」と、言った。建一が「はい」と、答えた。「支店の裏に、当店の第二駐車場が在ります。そこに、私の軽乗用車が止めて有ります。色は水色です。ナンバーは10-12で、私の誕生日です。トランクの鍵を、開けておきますので、そのレジ袋を、入れて置いて貰えますか」と、小声で幸世は言った。建一も小声で「分かりました」と、頷いた。「有難う御座います。トランクの中に、モンタちゃんのプレゼントが紙袋に入れて有ります。紙袋をお持ち帰り下さい」と、小声で幸世は言った。最近、幸世は運転免許証を取得した。幸世の勤める支店は、自宅から五キロ程で、近かった。五郎の勤める支店も、以前は自宅から余り距離が無かったので、二人は毎朝、一緒に自宅を出ていた。転勤後の五郎の勤める支店は、遠くなり、バスを乗り継いで行く距離になった。毎朝、五郎だけは朝早く、自宅を出る様になり、二人の出勤時間帯は別々になっていた。建一はモンタと一緒に、30分程時間を潰し第二駐車場に行った。水色の軽乗用車が止めて有り、ナンバーは10-12だった。トランクには、幸世が言った通り、鍵は掛かって居なかった。建一は、トランクを開けレジ袋を入れた。トランクの中に、紙袋が有った。紙袋を取り出し、建一はトランクを閉めた。建一は、自らの白色の軽トラックにモンタと一緒に乗り、紙袋を開けた。紙袋には、モンタの白と黒の帽子が、二つ入っていた。帽子をモンタに被らせて「モンタ、カッコイイな」と、建一は言った。そして軽トラックは、家路に向かった。
それから三日後、幸世は銀行を午前中休み、昌五を誘い道の駅に向かった。駐車場に水色の軽乗用車を止めた。車を降りたら、老人の荷卸しを手伝っている、建一の姿が見えた。老人は同じ山村の住人だった。老人と建一が、軽トラックから、野菜を降ろしている時、老人が、よろけて、通行中の若者にぶつかった。「この(じじい)」と、言って、若者は老人を小突いた。傍に居た建一は、若者に立ちはだかり、空手の型で威嚇した。若者達は、無骨で大柄な建一に威圧感を感じ、逃げ去った。一部始終を見ていた幸世と昌五は、建一に男気(おとこぎ)を感じた。幸世を気付いたモンタが、外れたロープ引き摺り幸世に飛び付いた。モンタは、幸世が作った手作りの帽子と服を、着用していた。幸世はモンタに頬擦りをした。モンタは、道の駅では人気者だった。「先日は、モンタの服と帽子を頂いて有難う御座いました」と、建一がお礼を言った。「此方こそ、沢山の山菜とキノコを頂いて有難う御座いました。両親も美味しかったと、言っていました。今日は、弟の昌五と、早川さんの売店を見たくて来ました」と、幸世が言うと「高木昌五です。姉が常々、お世話になっています」と、言って昌五は頭を下げた。「此方こそ、お世話になっています」と、建一は昌五に頭を下げた。「モンタちゃんに、服のサイズが合って嬉しいです」と、幸世は言った。「今日は、お休みですか?」と、建一が聞いたら「早川さんのお店が見たくて、午前中だけ、休みを取りました。午後は出勤します」と、笑顔で幸世は答えた。二人は建一の売店に入った。隣には、先程の老人の売店が在った。モンタが、道の駅の客と戯れていた。幸世は、建一の売店の山菜とキノコを買い求め、老人の売店からは野菜を買い求めた。大きなレジ袋には、幸世が求めた量より相当多い、山菜やキノコや野菜が入っていた。「こんなに沢山は、買って無いのですが?」と、幸世が言ったら、建一と隣の老人は「サービス・サービス」と、言った。大きなレジ袋は、幸世と昌五が両手に持ちきれない量で、建一とモンタが、駐車場の軽乗用車に運んでくれた。帰りしなに、建一が昌五に「料理が好きだって。料理人になったら?好きな事を、やった方がいいよ」と、言った。昌五は笑いながら、頭を掻いていた。幸世は、建一の作業着の腕が綻びているのに気付いた。「ちょっと待って」幸世が言い、バックから裁縫用具を取り出し、綻びを直した。建一は、緊張して直している間、微動も出来なかった。幸世の甘い香りが、建一に伝わった。銀行に向かう車中で昌五は、建一が、たくましく思えた。「良い人だね」と、昌五が言うと、「うん」と、幸世は微笑みながら、返した。昌五は「予備校に行って、仲間に分けて上げるから」と、言って、野菜などが大量に入ったレジ袋を二つ持ち、途中で車を降りた。仲間に分けるのには、量的に多すぎると、不振を持った幸世は、脇道に入り停車した。車を降りて、徒歩で、元の本通りに戻った。昌五の姿が在った。彼は大レジ袋を両手に持ち、この町でも有名な、日本料理の店に入って行った。昌五の行動に益々、不信が募った。幸世は、店の看板に書いてある電話番号に、携帯から電話した。女性が出た。幸世は「高木昌五さん、居りますか?」と、言った。女性の声で「板前修業の高木昌五ですか?今、出勤しましたので呼んできます。少々、お待ち下さい」と、言った。携帯電話から「昌五君、電話だよ」と、呼んでいる声が聴こえた。幸世は電話を切った。次に幸世は、昌五の予備校に電話した。「高木昌五さんは、暫く登校していません」の、返事だった。幸世は、沈痛な思いに()られた。正午ごろ、幸世は支店に出社した。幸世は、元気が無かった。閉店の間際、建一が売上金を携え訪れた。「先程は有難う」と建一が言うと「此方こそ、沢山頂いて有難う御座います」と、幸世が、軽く微笑みながら言ったが、表情は暗かった。今日、幸世が道の駅に来てくれて建一の心は和んでいたが、支店からの帰路は、幸世の表情が心配になった。幸世は以後、建一が支店に現れる日を予測して、自らの軽乗用車のトランクの鍵を開けておく様になり、建一は、周囲から気付かれない様に、レジ袋をトランクに入れ、幸世の紙袋を持ち去る日々が続いた。2
資産家の御曹司で、イケメンで独身の支店長・信雄は、この町のネオン街の女性にも人気があり、女癖が悪い噂は、幸世の耳にも入っていた。信雄が支店に着任してから時々、スーツ姿の女が、信雄を訪ねて来る様になった。キャリアウーマンの感じの女で、年齢は信雄と同じ30歳位に見えた。在る日、その女が窓口で幸世に「信ちゃん、居ますか?」と、聞いた。随分、親しげな呼び方だった。幸世は「支店長ですか?」と、聞くと、女は「そうよ」と、答えた。幸世が「どちら様ですか?」と、聞くと、女は名刺を出した。名刺には塚本工務店㈱・専務取締役 塚本久子 と、書いてあった。塚本工務店㈱は、この町では中堅の住宅販売会社であった。幸世は「支店長に取り次ぎますので、少々お待ちになって下さい」と、言った。支店長の信雄は、接客室にいた。ドアをノックして、幸世は名刺を信雄に手渡した。接客室から出て来た信雄は「ひー子、入れよ」と、女に手招きをした。女は接客室に入った。30分程で、二人は笑いながら、接客室から出て来た。女は「信ちゃん、今日、待っているから」と、言って、支店を後にした。女を見送って、窓口を通り過ぎようとした信雄に「親しい方ですか?」と、幸世は声を掛けた。「高校時代の同級生だ。今は、うち銀行の大事な御客さんだ」と、信雄は言って、自分の席に戻って行った。幸世は、その日、一端帰宅してから、昌五が気掛かりで、彼のアルバイト先の日本料理店に向かった。幸世は昌五が心配だったが、日本料理店に入る勇気がなく、店の前で、昌五の仕事が終わるのを、車の中で待ち続けた。七時ごろ、店から二人のカップルが出て来るのを見た。支店長の信雄と、塚本工務店の塚本久子だった。二人は、仲睦まじそうに、腕を組んで歩き去った。それは、恋人同士の様な雰囲気だった。幸世は、やはりと思った。九時を回った。昌五が、日本料理店から出て来た。幸世が車を降り「昌五!」と、呼んだ。昌五が、ビックリして、車に近付き助手席に乗った。幸世は運転席に乗った。「バレタか」と、昌五が、苦笑いをしながら言った。「どうするの?」と、幸世が言うと「近々、親父に話すよ」と、昌五が答えた。幸世は「そうしなさい、私もサポートするから」と、言った。「姉ちゃん、支店長と付き合うの、やめた方が良いよ」と、昌五が言った。昌五は「時々、店に来る予約の客で、予約専用の、高級料理を頼む客がいる。気になって、レジのカウンターで予約表を見たら、久保信雄と書いてあった。レジ係に聞いたら、姉ちゃんの銀行の支店長だ。俺が厨房から覗き見ると、支店長が同伴する女性は、何時も同じで、恋人同士の様な雰囲気だ。今日も、店に来て居た」と、言った。「分かっている」と、幸世は暗い痛々しい表情で、答えた。幸世は、信雄の要求を拒み切れず、二人は既に、男と女の関係になっていた。幸世のお腹には、信雄の子供も宿していた。
土曜日の事だった。銀行は休みで、幸世は何時もの様に、信雄に誘われ出掛けた。自宅で五郎は「そろそろ、久保さんが幸世を貰いに来るかも?」と、昌世に期待気に言っていた。「母さん。今日は、幸世も昌五も出掛けて居ない。たまには、二人で贅沢でも仕様か?」と、五郎が言った。「そうね、何年振りかしら、御父さんからデートに誘われるなんて」と、昌世が小笑しながら答えた。「市内で、日本料理が美味しい店が有る事を、同僚から聞いた。そこに行って見よう」と、五郎が言うと「高いでしょう」と、昌世が言った。「今日は、大盤振る舞い」と、五郎が言った。運転免許証の無い五郎は、タクシーを呼んだ。二人は日本料理店に向かった。土曜日で、店内は家族連れで満席だった。暫く待ち、二人は着物姿のウエートレスに、席に案内された。五郎は、店で一番人気のある料理を頼んだ。料理がきた。美味しかった。五郎は、さすが市内でナンバーワンの日本料理店だと、思った。店は通常、客席から、厨房が見られる造りだったが、今日は御客が多く、殆ど厨房を見る事が出来なかった。帰り掛けに五郎は、微かな隙間から、厨房を見る事が出来た。五郎は目を疑った。厨房で働いている料理人の中に、昌五が居た。咄嗟に五郎は、昌世にも確認させた。昌世も昌五だと、確認した。五郎は厨房に踏み込もうとしたが、店員に阻止され、止む無く二人はタクシーに乗り、無音で自宅に帰った。自宅に戻った五郎は、鍵の掛かって居る昌五の部屋を、バールでコジ開けた。部屋の中には、料理の本が山積みで、進学の本は殆ど無かった。五郎は激怒した。五郎は、山積みされた料理の本を、全て紐で束め、縛り始めた。昌世は一端、五郎を止めに入ったが、五郎に強要され、一緒に本を縛った。二人は束め縛った料理の本を、近くのゴミ集積場に捨てた。その夜、昌五が、アルバイト先の日本料理店から帰って来て、自分の部屋に入った。部屋の中に料理の本が、跡形も無く消えていた。食堂に五郎と昌世が居た。三人は、言い争いになった。それは、隣近所にも響き渡る程の、激しさだった。怒り狂った昌五は、台所の包丁を取り出し、五郎と昌世の腹を、数回刺した。悲鳴が聞こえた。隣近所の住人が、驚いて飛び出して来た。玄関から、血の付いた包丁を持った昌五が、放心状態で出て来た。住人の一人が、恐る恐る「昌五くん」と、声を掛けたら、昌五は包丁を持って、咄嗟に何処かへ消えてしまった。
幸世は、信雄と帰宅の途中だった。車の中で幸世は信雄に話した。「支店長の子供が出来た様です」信雄は、咄嗟に、道路沿いの、特定郵便局の駐車場に急停止した。「俺の子か?」と、信雄が言った。「はい」と、幸世が答えた。信雄は、暫し黙っていた。「生んでも良いですか?」と、幸世は聞いた。信雄は、黙り続けていたが、口を開いた。「堕してくれ、費用は俺が持つ、幸世の口座に振込んでおく」と、言った。幸世は「分かりました」と、言った。「俺は幸世とは結婚しない。高木さんと親戚になっても、一文の徳にも成らない。俺には将来が有る。幸世とは、今日で終わりだ。電話もメールも、しないでくれ」と、信雄は言った。女癖の悪い信雄に取って、幸世は単なる愛人で、遊びの対象であった。幸世は黙っていた。信雄は、特定郵便局の駐車場から車を出した。幸世は、車窓から街の灯りを、見詰めていたが、彼女には涙は無かった。音自宅付近に差掛った頃、数十台のパトカーの赤い灯りが、目に入った。信雄は、急遽、車から幸世を降ろした。幸世は、歩いて自宅に向かった。自宅付近には、ロープで非常線が引かれ、パトカーの赤色灯が散乱し、野次馬で騒然としていた。近所の住民が、幸世を見て、警察官に話した。警察官が幸世に「高木さんですね」と、言った。幸世は「はい」と、答えた。「此方に来て頂けますか?」と、言い、幸世を刑事に引き合わせた。刑事は「御両親が、殺されました」と、言った。幸世の顔が、一瞬凍りついた。報道陣がカメラを持って、幸世に詰め寄った。フラッシュの嵐だった。刑事は「弟さんの所在が、分かりません。心当たりが、ありますか?」と、聞いた。幸世は首を横に振った。刑事が「御両親は、警察の安置室に運んであります。署まで同行して下さい」と、言った。「はははい」と、幸世は動揺して答えた。幸世は、パトカーの後部席に乗った。後部席で、幸世の携帯電話が鳴った。昌五からだ。「昌五、今、何処に居るの、何処に居るの」と、幸世は矢継ぎ早に聞いた。「姉ちゃん、ごめんね、俺、本当は板前になって、日本食の店を持ちたかった、ごめんね」昌五は、声を詰まらせ泣いていた。プー・プー・プー。携帯電話が切れた。隣に座っていた刑事が急ぎ「携帯電話、貸して下さい。彼の携帯電話の番号は?」と、聞き、無線で本部に連絡し、携帯電話の位置情報で、昌五の居場所を探した。居場所を確認できた。別のパトカーが数台、居場所に急行した。幸世を乗せたパトカーは、警察署に着いた。幸世は安置室に通された。二つの遺体が有った。幸世は二つの遺体の面覆いを外した。血の気がない、五郎と昌世だった。幸世は号泣して泣き崩れた。刑事が「御両親に間違い無いですね」と、言った。幸世が首を縦に振り「はい」と、答えた。昌五は、自宅から二キロほど離れた公園の雑木林で発見されたが、自ら、包丁で胸を刺し、生きは絶えていた。夜明け頃、昌五の遺体も、警察署に運ばれて来た。生気を失い、涙も枯れた幸世は、昌五の遺体も確認した。刑事が「今日は疲れたでしょう。別の部屋を用意したので、そこで仮眠を取って下さい。携帯電話は御返しします。後で、未だ聞きたい事が有ります」と、言って、幸世を別の部屋に案内した。部屋には、簡易ベッドと毛布が用意されていた。窓の外は夜明けで、明るくなり始めていた。刑事はブラインドを閉め、スイッチの位置を教え、部屋を出て行った。疲れた。幸世は消灯して眠りに付いたが、幸世は何度も、うなされて、飛び起きた。正午を回った頃、幸世は信雄に電話したが、電話もメールも受信拒否の状態だった。支店に電話した。「今、警察が来ているの。支店には電話しない方が良いよ。支店長も[信用を重んじる銀行の名前が,汚れた]と、迷惑がっていた。此れからも、電話しない方が良いよ」との、同僚の冷たい返事だった。親戚にも数件、電話した。「親族に殺人犯が出て、大迷惑だ」と、言われた。中には、受信拒否をする親戚も有った。友達にも電話したが同様に、関わりたく無い態度だった。幸世は、一度に家族全員を失ったが、周りは、四面楚歌だった。午後、幸世は取調室で刑事から、家族関係や昌五の動機などに付いて、訊問を受けた。「未だ、聞きたい事が有るかも知れないので、旅行など、遠方には行かないで下さい」と、担当の刑事から、告げられた。訊問は長時間に及んだ。幸世はパトカーで送られ、帰宅したのは、その日の夜だった。3
翌朝、幸世が表に出ると、周りの住民が、ひそひそ話をしていた。幸世が挨拶しても返す人は無く、皆、余所余所しい態度だった。翌日、担当の刑事から「検案が終了したので、遺体を取りに来る様に、して下さい」との電話があった。幸世は途方に暮れ、刑事に「如何すれば、良いのですか?」と、聞くと「葬儀社は、職業別電話帳でも、NTTの電話案内の104でも、調べる事が出来ます。貴方が葬儀社に依頼して、遺体を取りに来る様に、手配して下さい」と、言われた。幸世は戸惑った。以前、同僚の親が亡くなった時の葬儀で、自分が、受付係を担当した事を思い出した。親切な葬儀社だった。幸世は、その葬儀社に電話した。幸世は警察署に直行した。葬儀社は即、警察署の安置室に来て、三人の遺体を、葬儀社の霊安室に搬送してくれた。霊安室で葬儀社は、三人の遺体を棺に納めた。迅速な対応だった。幸世が「式はしないで、火葬のみで、お願いします」と、言った。葬儀社が「分かりました。火葬場の費用も全てを入れて、一遺体当り35万円位掛かります」と、言った。幸世は「解りました。宜しく、お願いします」と、言った。「導師は居ますか?」と、葬儀社に聞かれ、幸世は「何の事ですか?」と、聞いた。葬儀社は「お坊さんや、宮司さんや、牧師さんの事です」と、答えた。幸世は「無宗派で、お願いします」と、言った。葬儀社は「分かりました」と、言い、携帯電話で何処かに電話した。「高木さん、明後日の火葬で宜しいですか?」と、聞き、幸世が「はい」と、答えると、葬儀社は「明後日で、お願いします」と、言って、携帯電話を切った。葬儀社は火葬場に、空き状況を調べる為に電話していたのだと、幸世は悟った。幸世は、葬儀社に質問した。「火葬を終えたら遺骨は、如何するのですか?」葬儀社は「自宅に安置するか、墓地に埋葬します。高木さんは、お墓が在りますか?」と、言った。「在りません。今、私一人で、自宅に住んでいます。亡くなった家族の面影を、思い出してしまうので、自宅に遺骨は、置きたく有りません」と、幸世は言った。葬儀社は「解りました。寺か民間霊園に、預かって貰う方法が有ります。いずれも、そこで墓を購入するのが前提です。墓地は墓石を入れて、一坪位の大きさで約300万円です」と、言った。幸世は「相続が完了していないので、手元に300万円のお金が有りません。終了すれば、支払が出来ます」と、言った。葬儀社は「高木さんの事情は、充分認識しています。高木さんは無信教なので、寺の墓地よりも、宗派を問わない民間霊園が、良いと思います。市内の外れに、私の知っている民間霊園が有ります。事情を話して、遺骨を預かってくれる様に、頼んでみます。私に任せて下さい」と、言った。幸世は「宜しく、お願いします」と、安堵の気持ちで言った。一日おいて、三人の遺体は荼毘に伏した。親戚には、火葬の日時を知らせたが、誰も参列しないで、立合ったのは幸世一人だった。火葬を終え、葬儀社に案内され、幸世は霊園に向かった。霊園は偶々、建一の山村の近くだった。幸世は、自らの携帯電話の画面を見た。モンタを抱いた建一の画面写真が、表示された。遠い昔の思い出の様に、感じた。幸世は墓を建立する迄、霊園の安置室に三人の遺骨を預けた。葬儀社の対応に感謝して、礼を言った。葬儀社は「これから、分からない事や困った事が有ったら、何でも相談して下さい」と、言って、その場を立ち去った。翌日、市役所の市民相談室に行き、司法書士を紹介された。その司法書士に相続を一任し、幸世は後日、両親の財産を全て相続した。その中には、父・五郎の死亡退職金も含まれていた。相続した自宅は、司法書士に、売却する様に依頼したが、殺人事件が起きた家屋なので、全く買い手が付かず、空き家の状態になった。しかも、自宅には、未だ五郎の相当な住宅ローンが残っていた。
次第に幸世は、隣近所の村八分的な重圧に、耐えきれなくなった。幸世は、自宅から遠く離れた場所に、アパートを探した。不動産屋に「保証人は有りますか?」と、聞かれた。「親と喧嘩して出て来たので、保証人はいません」と、幸世は嘘を付いた。不動産屋は「何か、身分を証明する物が有りますか?」と、聞かれたので、幸世は、写真入りの銀行の身分証明書と、運転免許証を提示した。「銀行に御勤めですか。私も貴方の銀行には、お世話になっています。分かりました。部屋は、ワンルームで良いですね」と、不動産屋が言い、幸世が「はい」と、答えた。不動産屋は数件の物件を案内したが、その中で駐車場付の物件と契約した。翌日、幸世は、当面必要な物を詰め込んだスーツケースと布団を、軽乗用車に積み、アパートに向かった。事前に担当刑事に転居先を電話したが、その後、警察からの幸世への呼び出しは、無かった。幸世は、支店を欠勤していた。三週間ほど過ぎて、幸世は支店に出勤した。支店では、同僚から冷たい視線に晒され(さらされ)、尚且つ、信雄と顔を交わすのが、耐え難かった。幸世は、支店に辞表を郵送した。間も無く、幸世の通帳に退職金が振り込まれた。在職期間の短い幸世の退職金は、微々たる金額だった。通帳には、久保葡萄園からの、50万円の振込も載っていて、振込人の名前は、久保信雄ではなかった。振込人名が、久保葡萄園になっているのは、幸世との関係を断ち切る為の、信雄の策略だと察した。信雄の手切れ金としては、50万円は雀の涙だった。幸世が辞表を郵送してから二ヶ月位で、信雄と久子が結婚した。地元で有名な資産家の久保葡萄園の御曹司、信雄の結婚式は、地元のローカル放送で放送され、幸世の耳にも入った。4
アパートに転居してから、三ヶ月以上が経過していた。幸世のお腹は、七ヶ月に達していた。幸世は、胎児が、日の目を見ないで、親の身勝手で中絶するのは、罪悪だと考えていた。生れてくる子供が、男なら(つよし)、女なら揺子(ようこ)と、名付けようと思っていた。それは、自分の様な弱い人間ではなく、力強く、何事にも揺るぎない人間に育って貰いたいと、云う、幸世の願望が有った。身重の幸世は仕事が出来ず、預金を取り崩しての日々だった。その頃、霊園から、墓が完成したと云う連絡が有った。丁度、相続も完了して、幸世の口座には、相続金が振り込まれていた。幸世は葬儀社に電話した。葬儀社は、快く納骨に立ち会ってくれた。無信教の幸世は、墓の開眼供養はせず、墓誌にも両親と弟の俗名を刻んだ。幸世は霊園に、墓地の購入代金を支払った。幸世は葬儀社に「墓地って、高いですね」と、言った。葬儀社は「私も、そう思います。この辺りは、市街化調整区域で家は建ちません。たぶん地価は、一坪2~4万円だと思います。墓地で造成すれば一坪、100倍以上です。墓地は民間企業では出来ません。墓地を造れるのは、宗教法人(お寺など)と地方公共団体だけです。民間企業は墓地を造成する為に、宗教法人の名義を借ります。地方公共団体は、民間企業に、名義を貸す事は出来ません。宗教法人は、墓地を造成した民間業者より、名義貸し料と、分譲した墓地の多額の永代使用料を、受け取ります。無信教の高木さんも、お寺に永代使用料を払っているのです。これが、墓地が高額になる絡繰り(からくり)です。更に葬儀の際、御布施として、100万円を貰っている坊さんは、ザラにいます。高木さんの無宗派の葬儀は、賢明だと思います。あそこに停まっている高級車は、この霊園に名義貸している、坊さんの車です。キャバグラで、豪遊している坊さんもいますよ。仏教の開祖、釈迦は、金銭欲や出世欲や性欲などの、現世の全ての欲を超越することが大事だと、説いています。宗教法人の坊さんには、税金は有りません。坊主、丸儲けですね。矛盾していますね」と、言った。幸世は、別世界の醜さを垣間(かいま)見た。そして、葬儀社に、親近感を覚えた幸世は「葬儀屋さんの仕事は、大変ですか?」と、訊ねた。「はい、365日24時間、無休です。真夜中の遺体搬送も有ります。警察官や消防士などの公務員は、労働基準法で、当直と非番が有ります。葬儀社は殆ど、人員に余裕が有りません。公務員の様に、人員に余裕を持てば、葬儀社は倒産します。葬儀社の、労働基準法違反は現実です。有休なんて、夢の世界の話しです。事故の遺体や、腐乱した遺体や感染症の遺体にも、触れます。求人を掛けても、私達の様な、時間的にイレギラーで汚い仕事は、すぐ辞めてしまいます。私達は3K(きつい・危険・きたない)の仕事です。坊さんは遺体には触れません。崇められ、高飛車な態度を取っているだけです。聖職者は[神や仏を信仰すれば助かる]と、言います。信仰心を持っている坊さんが、如何して病院に行くのですか?解りません。聖職者は口先で、如何様にでも、立派な事は言えます。一般人の様に、自分の糧を得る為に、汗水を流してはいません。私共は仕事的に、人から差別的な用語を浴びる事も、有ります」と、言った。幸世は「結婚していますか?」と、聞いた。葬儀社「離婚しました。私の様な、時間的に不規則な仕事に、嫌気が差し、妻は出て行きました」と、言った。「如何して、お仕事を続けるのですか?」と、幸世は聞き返した。「私の様な者でも、社会で必要だと思うからです。[お客様に有難う御座います]と、言われた時、一番嬉しく、喜びを感じます。昔、私の若い頃に担当した葬儀の事です。葬儀の依頼が入って、その御宅に出向きました。♪家は極、小さな貸家でした。家に入ると、40歳位の女性が、布団に寝かせてあり、傍に、女の子と男の子と小柄な老人が、座っていました。聞くと、女の子は今年、高校を卒業して仕事に就いたばかりで、男の子は中学生で、小柄な老人は遠縁の小父さんでした。家族は三人で、母親と女の子と男の子の、母子家庭でした。女の子が[お母さん、死んじゃいました。葬儀屋さん、このお金で、お母さんの御葬式をして貰えますか?]と、言いました。傍に、割られた陶器の貯金箱が二つ有りました。それは、母子家庭の姉と弟が、小遣いを節約して貯めた、細やかな貯金でした。当然、葬儀を賄える金額では、ありません。私は[解りました]と、言い快く、その葬式を受けました。老人が[私も、僅かな年金暮らしで、生活費で精一杯です。後日、子供達が成人したら、お返しします]と、言いました。私は、[今、お子さんから葬儀料は、全額頂きました。お金には代え換えがたい、心で支払って頂きました]と、言いました。老人と女の子は、涙を浮かべ[有難う御座います]と言い、頭を畳に付けていました。私は、ドライアイスを入れ様と、母親の上掛け布団を取り外しました。母親は、痩せ細った体でした。女の子を就職させるまで頑張って、肩の荷が降り、息絶えたと、私は思いました。母親の人生に、無情な物を感じました。今も、私は、その葬儀を思い出すと、目頭が熱くなります。葬儀屋名利(みょうり)に尽きた、葬儀でした。当社の社長に、一部始終を話しました。社長は目頭を押さえ、息を詰まらせて[お前も、一人前に成ったな]と、言い、私の肩を叩きました。成人してから、女の子より、お金が送られて来ましたが、私は辞退し、送り返しました。今は、女の子は結婚して子供がいる様です。たまに、電話が有ります。弟の男の子も、就職した様です。♪私は、田舎に老いた母が居ました。父は私の幼い頃、他界しました。その葬儀以後、私は母を呼び寄せ、今は母と一緒に住んでいます。妻とは、母と同居する前に離婚し、子供はいません。同居する時[母は、住み慣れた田舎の方が良い]と、言いましたが、説得して、我が家に連れて来ました。今は家事をし、大人の私の世話を焼くのが、生甲斐みたいです。親にとって子供は、何歳に成っても子供の様ですね。母は田舎者で、スーパーの惣菜は殆ど買いません。料理は田舎風で、彼女の手作りです。母には、現代風の料理は作れません。漬物も漬けています。私は、外食を殆どしません。朝と晩は自宅で、昼は母の手作り弁当を、食べます。私は毎日、御袋の味を満喫しています。それが、私の親孝行だと思っています。母は御近所に、自分で作った料理や漬物を配るのが、大好きです。今では我が家は、御近所の奥さん方の溜まり場です。昔の菓子も作り、子供達に配っています。次第に、我が家に寄り付く様になり、子供達の溜まり場にも成りました。母は[町場も、捨てたものじゃないね]と、言って、張り切っています。子供達は母の事を、婆ちゃんと呼んでいます。孫がいない母は、近所の子供達を、孫と思っています。子供達の中には、成人した子供もいます。私ども仕事は、御客さんも家庭に入って行くので、内情が見えてしまいます。中には故人の棺の前で、遺族の方々が、相続の内輪揉めをする様な、見苦しく、嫌な葬儀も有ります。高木さんの葬儀は、私の記憶に刻まれます」と、葬儀社は、自分の身の上話まで、話してくれた。高木家は、隣近所とは希薄な付き合いだけで、絆は乏しかった。幸世の目に、一筋の涙が流れた。幸世は、実直な葬儀社が、真のお坊さんの様に思えた。葬儀社は「これで失礼します」と、言って、自分の車に向かって帰って行った。幸世は、葬儀社の後ろ姿に、温かさを感じ、同時に物悲しさも感じていた。
幸世は産婦人科に居た。定期健診で事前に赤子は、女の子だと告げられていた。出産前に、産衣は買い求め、ベビー服は手作りで用意した。それらに幸世は、揺子(ようこ)の名前を刺繍した。その中には、モンタをモデルにした、帽子を被り、服を着た、猿の縫いぐるみも含まれていた。幸世は、赤子を孤児として児童養護施設(孤児院)に預ければ、赤子に、新規の戸籍が出来る事を、調べ済みだった。私生児の赤子・揺子には親族に殺人者がいる汚れた戸籍を、継がせたくは無かった。赤子・揺子が予定日より一日遅く生まれた。揺子は、標準体重を若干上回る、すこぶる元気な可愛い赤子だった。一週間程で幸世は、産婦人科を退院し、アパートに戻った。揺子は、懸念していた信雄には似ないで、幸世とソックリだった。翌日から、幸世は揺子を背負って職を探したが、保証人も居なく、増して、乳飲み子を抱えている幸世を雇ってくれる所は、何処にも無かった。保育園も満員で、頼る親戚も無かった。アパートで揺子に、刺繍で名入いたベビー服を、着せては替え、着せては替え、携帯電話で、揺子の写真を撮り溜めした。それは、丸で着せ替え人形の様だったが、幸世には、別れる可愛い揺子の写真を、撮っておきたかった。自宅の売買を一任しておいた司法書士から、電話があった。「自宅が空き家だから、隣近所から、不用心で火災の危険も有るなどの、クレームが殺到している。丁度、知り合いの不動産屋から[更地にして、評価額の、三分の一で買いたい]と、云う話がある。問題が有る家屋と土地なので、早く処分した方が良いのでは?」との、打診の電話だった。幸世は自宅には、全く帰っていなかった。幸世は、その話を受諾した。自宅の住宅ローンの残債は、自宅と土地を売った金額を当てたが、若干不足が生じた。不動産屋は更地にして、子供の遊び場として、幸世が売却した三倍の公示価格で、市に買い上げて貰った事を、葬儀社から聞いた。幸世は通帳を見た。墓地購入などの出費が加わった、通帳には、未だ500万円強の金額が有った。揺子の戸籍には、忌まわしい過去を、断ち切りたかった。幸世は、預金を全額降ろした。手紙を書き、封筒に入れた。手紙は[子供の名前は、揺子です。私生児です。鞄の中に、お金が入っています。揺子の為に使って下さい。お願いが有ります。揺子に新しい戸籍を、作って下さい。絶対に、絶対に、作って下さい。堅く、お願いします]の内容だった。深夜、幸世は、降ろした金の全額と、手紙の入った封筒を鞄に詰め、揺子の衣類など全てを、別の鞄に入れた。そして、助手席のチャイルドシートに揺子を乗せ、軽乗用車を走らせた。♪辿り着いたのは、児童養護施設だった。幸世は、児童養護施設の玄関に、ベビー籠に入れた揺子と、鞄を二つ置いた。今まで眠っていた揺子が、目を開きニッコリ笑った。幸世は、思わず、ベビー籠から揺子を取り出し、抱きしめた。「ごめんね、ごめんね」幸世の目に、大量の涙が溢れた。揺子をベビー籠に戻した。揺子は、可愛い眼差しで、じっと幸世を見詰めていた。「ごめんね」幸世は、後ろ髪を引かれる思いで、児童養護施設を後にした。
幸世はアパートに戻った。そこには、誰もいなかった。幸世は、途轍もない寂しさと、途方もない無気力に陥った。幸世は床に泣き崩れた。
音翌日、幸世は谷川の崖の上に居た。傍に、水色の軽乗用車が停まっていた。谷川は建一が住む山村で、中学時代に幸世が遠足できた所だった。車の中で幸世は、携帯電話の揺子と、モンタを抱いた建一の写真を、何回も見入っていた。目には、大粒の涙が溢れていた。幸世は車を降りた。靴を脱ぎ、バックを置いた。そして崖の上から、谷川に飛び込んだ。♪
谷川は、紅葉が真っ盛りだった。谷川の古びた吊り橋には、建一が作った母猿とモンタの口を開けた吹き流しが、秋の風に舞っていた。5 
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