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2部分:第二章


第二章

「三試合目も四試合目もな。チケットももう取っている」
「早いね」
「御前もどうだ?」
 小坂に対しても声をかける。
「何ならチケット用意しておくけれどな」
「用意って?」
「ダフ屋だよ」
 いきなりあまりいい話を出さない。
「そっちに話はしておくからな」
「そうなんだ」
「とにかく。巨人の敗北をこの目で見るんだ」
 またそれを宣言する。
「何があってもな」
「そうなんだ」
 最早誰も本田の暴走は止められない。大阪から東京に移り決戦となるがその四試合目が終わった時。本田は飛び上がった後で倒れ込んだ。
「勝った・・・・・・勝ったんだ」
「そうだね。勝ったね」
 南海が勝ったのだ。杉浦忠の四連投四連勝により。締めは何と完封だった。杉浦の熱投が輝く伝説の名シリーズになった。
 巨人は敗れた。しかし小坂は穏やかな顔をしている。冷静なものである。
「南海がね」
「見たか長嶋」
 本田は倒れながらも呻いている。
「見たか長嶋。野球は巨人だけじゃないんだ」
 うわ言の様に呟いている。それは彼にとっては間違いなく至福の時だった。しかし。二年後彼はこの時とは正反対に地獄のどん底に叩き落されていた。
「な・・・・・・」
「不運っていうかな」
「ふざけるな円城寺!」
 グラウンドに向かって叫ぶ。後楽園の三塁側に小坂と共にいる。小坂は本来なら一塁側にいるものだが本田に付き合って三塁側にいるのだ。
「何だあの判定は!ストライクだろうが!」
「あの判定だけじゃないよ」 
 激昂して顔を真っ赤にさせている本田に対して話す。
「ちょっと不運が重なり過ぎたよ」
「不運だと」
「運はね。大きいよ」
 それを本田に告げる。
「だからそれをあれこれ言っても」
「仕方ないっていうのかよ」
「だって。杉浦さんが出られなかったし」
「くっ・・・・・・」
 この時杉浦は利き腕である右腕を壊していた。だから投げられなかったのだ。しかしそれでも一昨年の活躍をナインにも監督である鶴岡一人にも認められてベンチにいたのだ。しかし投げてはいない。投げられたら・・・・・・。本田はそれもまた残念でならなかったのだ。
「仕方ないよ」
「仕方ない仕方ないってな」
「まあまだもう一戦あるよ」
 本田を慰めるようにして言う。
「だからさ」
「もう負けだよ」
 忌々しげに言い捨てる本田だった。
「もうな。この負けは大きい」
「そうなんだ」
 本田の言葉通りになった。結局南海は敗れた。本田はこの時はそれ程怒らなかった。そんなこんなで野球ばかり見ている彼はやがてあるスポーツ新聞の記者になった。その時の面接で立教大学ということが売りになったのだ。
「ああ、長嶋のねえ」
「これはいいですね」
「長嶋ではありません!」
 何と面接の場で面接官達にまでクレームをつけたのだった。これには面接官達もまずは面喰らった。
「長嶋じゃないって」
「君は立教大学なんじゃ」
「確かに立教大学です」
 パイプ椅子から今にも立ち上がらんばかりの剣幕で叫ぶのだった。
「ですが立教は長嶋だけではありません」
「ほう」
「では杉浦かね」
「杉浦も確かに凄いです」
 それもまた認める。
「しかし。大沢や西本さんもおられます」
「おっ、西本幸雄も知っているのか」
「はい」
 毅然として答えた。
「阪急のコーチの」
「前の大毎の監督だったね」
「あのシリーズは残念でした」
 声に本音の無念が込められた。瞬く間にそれで満たされていく。
「スクイズ失敗で。あれは」
「ふむ、よく知ってるな」
「どうもね。巨人ファンばかりなのでね」
「巨人だけが野球ではありません」
 彼の持論であった。数少ないまともな持論だ。
「他にもあります。パリーグも」
「そうだ、パリーグだよ」
 面接官の一人がその言葉を聞いて彼を指差して言った。半分宣言めいていた。
「わかってるじゃないか。野球が」
「いや、これは中々」
「いけますな」
 意外な流れだった。何と彼等は本田を買いはじめたのだ。
「よし、君のことは覚えた」
「楽しみにしておいてくれ」
 事実上の採用通知だった。これで採用が決まった彼は晴れてパリーグ担当になった。しかし担当する球団は大毎でも南海でもなく阪急だった。阪急担当になったのだった。
「弱小球団と言っていられるのは今のうちだ」
 職場のディスクで今日も阪急の熱い記事を書きながら呟く。
「今に西本さんが。阪急を最強の球団にされるんだ」
 西本幸雄が阪急の監督になったのだ。彼はそのことを無上の喜びとしていつも記事を書いていた。それはこの日も同じでその横には小坂もいた。
「本田君」
「何だ?」
「お昼に行かないかな」
 大学の時と同じ穏やかな調子で彼に声をかけてきた。見れば殺風景な部屋の味気ない壁にかけられている時計はもう十二時をかなり回っていた。
「もういい時間じゃない」
「ああ、そういえばそうだな」
 言われてそれに気付いたのだった。
「じゃあ。何処かに行くか」
「何処がいいかな」
「簡単に食べられるのがいいな」
 特に考えずにこう述べた。
「カレーでもな」
「じゃあカレーにする?いい店知ってるんだ」
「いい店?何処なんだ?」
「ちょっとね。馴染みの」
 にこにこと笑って本田に言う。
「洋食の店なんだけれど」
「御前洋食好きだったのか」
 本田はそれを聞いて意外といった目で小坂を見た。
「またそれは思わなかったな」
「そうなの?」
「ああ。和食派だと思っていたよ」
 何となくそう思っていただけだ。何が根拠かと聞かれればそれは主観である。主観だけで小坂が和食が好きだと断定していたのが彼らしい。
「てっきりな」
「そうだったの。まあそれはいいとしてね」
「ああ」
 それについては一言で終わった。
「行く?どうする?」
「カレー大好きだぞ」
 彼はカレー派だったのだ。
「これでわかるよな」
「うん。そういうことなら」
 小阪も本田のその言葉を笑顔で受ける。そのうえで二人でそのカレーを食べに行った。カレーはドライカレーにルーをかけたものだった。本田はそのカレーを見て小坂に対して言った。店のカウンターに二人並んで座っている。頼んだのは同じそのドライカレーにルーをかけたものだ。
 
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