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ホテル

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「僕まだ死にたくない・・・・・・っていうかあっちの世界には行きたくないですし」
「そうか」
「本当のことですよね」
「新宿署の奴等に聞いてみろ」 
 この場合この言葉は本当だという意味である。それだけに異様なまでに説得力のある言葉であった。恐ろしいまでにである。
「知りたければな」
「聞きたくなかったですね」
「けれど知っておいて損はない」
 山根はこうも述べた。
「危ない世界っていうのはな。何処にあるか覚えておくといいものだろ」
「はあ」
「それであそこもな」
「そうした場所が一杯あるんですね」
「一応新宿程じゃない」 
 そう前置きはした。しかしだ。
「だがな、やっぱり多いんだ」
「やっぱりそうなりますか」
「そうだ、裏道とかには注意しろよ。それにホテルの部屋にも」
「あの部屋だけじゃなくて」
「聞かないか?部屋の中から呻き声が聞こえるとか」
「そうしたプレイをしている最中じゃないんですか?」
 こう思いたい話ではあった。尾松は何か背筋が嫌らしい寒気に襲われていた。
「そういう場合は」
「空室でもか」
「・・・・・・・・・」
 それを聞くと完全に沈黙せざるを得なかった。話の流れとしては当然の言葉であったがそれでも聞きたいものではない。むしろ絶対に聞きたくないものであった。
「これでわかったな。そういった話も集めておいた方がいい」
「聞きたくなかったですね」
「もう彼女とは行きたくないか」
「絶対にですよ」
 はっきりと言い切った。
「あちらに行くのは一人でも二人でも嫌ですから」
「普通はそうだな」
 山根は三本目の煙草を吸いながらポツリと呟いた。
「誰だってな。生きたまま行きたくはない」
「そうじゃないのもいるんでしょうね」
「自殺マニアはな。何処にでもいる」
 山根はまたそんな話をした。嫌な話といえばそうなる種類のものであった。
「それこそ何処にもな。山にも川にも」
「ホテルにもですか」
「そうしたのが手首切ったり首括ったりした部屋があるんだ。何処のどの部屋かなんてのはわかっているのはホテルの人間と」
「他には?」
「その筋の女の子だけだ。試しに聞いてみるといい」
 山根は言う。
「どの部屋かな。嫌な顔をして答えてくれるぞ」
「遠慮します」
 この返事もむべもないものであった。知ってしまうとかえってということである。
「何かこの街ってそんな話ばかりですね」
「そうだぞ、昔から」
 山根はしれっとして返した。
「本所七不思議とかな」
「江戸時代からですか」
 実はこの街は出来た頃、いやその前からそうした話には事欠かないのである。知れば恐ろしいことがその身に降りかかる。そうした話まである。
「人の集まるところにはそういうものも集まる。だがこの街はそれが特に多い」
「嫌なことですね」
「でだ。同じ位多いのが」
「また別のあっちの世界ですか」
「そうだ、今回はそれを念頭に置いて捜査をしていくからな」
 山根は身を乗り出して言った。
「それでいいな」
「じゃああの一連の事件はやっぱり」
「これは勘だ」
 刑事としての長年の経験の勘である。これが間違うこともあるが彼はこの時はそれを信じてみようと思ったのだ。外れたとしても捜査が動くからだという読みも実はあったが。
「あれはそのあっちの世界じゃない」
「別のあっちの世界ですか」
「そうだ、かなりやばいぞ」
 山根の目に剣呑な光が漂った。
「洒落にならない連中かもな、やっているのは」
「向こうの連中ですかね」
 尾松もまたその連中について考えはじめた。
「やっぱりそいつ等が」
「その可能性もある」
 そして山根もそれを否定しない。
「一応密かに考えてはいくがな」
「はい」
「署長にもお話しておこう」
 この言葉がこの事件がどれだけ危険なものであるかということを雄弁に物語っていた。
「うちの署長にですか」
「他に誰がいる?」
 そう言って尾松に顔を向けてきた。
「いえ、そう言われると」
「大丈夫だ、あの署長はやる時にはやる」
 そしてこうも述べた。
「だから信頼しろ」
「ですかね。あの昼行灯に」
 今のこの署の署長は大学を出たインテリである。所謂キャリアではないが大学を出ているのでわりかし昇進が早かったのである。なお山根も尾松も高卒である。高卒と大卒で昇進に差が出るのは警察でも同じである。むしろ警察はかなりそれが顕著である。
「ここにおられるのも長かったしな」
「知ってるってことですか」
「そうだ、だから大丈夫だ」
 だが何故か安心させる言葉には聞こえはしなかった。というよりは覚悟を迫る言葉に聞こえる。これはどうしたものなのかと尾松は思わざるにはいられないがその結論は結局彼が望まないものであるとわかっているので深くは考えないことにした。
「だといいですけれど」
「そういうことがあるからな。後ろは安心しろ」
「じゃあ警部の話信じますね」
 念を押すように言う。
「ああ。それでな」
「はい」
「あのホテルの周りも調べていく」
「周りも」
「そうだ、どちらかというと周りに重点を置きたい」
「他のホテルが密集していましたね、確か」
 尾松はあのホテルの周りを頭の中で思い出しながら述べた。何度も行き来しているのでもうその地図は頭の中にインプットされてしまっているのだ。
「高さも似たり寄ったりのが」
「高さか」
 それを聞いた山根の頭の中で何かが閃いた。稲妻の様に。
「それだ」
「それだって!?」
「高さが一緒のビルが並んでいるんだな」
「ええ、そうですけれど」
 尾松は戸惑いながら言葉を返す。
「それが何か」
「そこにトリックがある」
 山根は言った。
「犯人がいるとするとだ」
「ええ」
「その建物の何処かにいるな」
「何処かに」
「まずはそれを調べるぞ」
「ビルをですね」
「わかるか」
 尾松の言葉を聞いてニヤリと笑った。あの不敵な笑みを戻していた。
「その中にいる人間だ」
「まずはそれを」
「そうだ、一つずつ調べていくぞ」
 山根は早速動きはじめた。だが。
「ただ、これかなり厄介ですよ」
 尾松が止めてきた。
「どうしてだ?」
「あそこ結構風俗の事務所がありますよね」
「ああ」
 そういう街なのである。当然のことであった。 
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