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Muv-Luv Alternative 士魂の征く道

作者:司遼
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第四三話 帰想

「お背中をお拭きしますね。」
「ああ、頼む。」

 深夜、寝具の上に腰かけた忠亮。
 その上半身は衣服をまとわず筋肉の鎧で覆われたような引き締まった上半身を曝け出している。

 そして、唯依はそんな忠亮の背中を湯に浸しておいたタオルで拭ってゆく。シャワーを浴びれないのは聊か不便だろうが、片腕を欠く忠亮では自分の身すら自身で清めることができない。

「お気分はどうですか?熱過ぎたりしませんか?」
「いや、心地がいい。眠ってしまいそうになる。」

 とは言っているものの、どうにかしてあげたい。そんな一念が胸中に宿る。――最後に満足いく入浴ができたのが何時だろう?と思案した瞬間、ボンっ!と瞬間湯沸かし器のように唯依が沸騰した。

 ―――唯依の知る限り、一緒に入浴したのが最も新しい記憶だったからだ。

 水着を着て入るという一般的な混浴ではない。何も身に纏うもののない状態での入浴だった。

「ん?手が止まっているがどうした?」
「い、いえっ!なんでもありま…せん……」

 忠亮からの呼び声に我に返ると慌てて誤魔化し、背を拭くのを再開する―――たくましい背中だ、同じ呼び名の彼女もまた、自分と同じように彼の背を拭ったのだろうか。
 そんな疑念が心を強烈に締め上げた。せっかく動き始めたはずの腕の動きがまた、止まった。

「……何かあるのか?」

 唯依の腕の動きが止まったこと、その声色から唯依の心がなにかしらで揺れていることを悟ると、寝具から腰を上げ慣れた様子でロッカーからバスローブを取り出す。


「その……聞きました。お師匠さんのこと。」

 聞けなかった。なんとなく言いづらく、口から出てきたのは彼の許嫁だった同じ名の女性ではなく、彼の師についてだけだった。

「そうか。それで?疑問には理由があるはずだ唯依、それを知らねば俺は答えを教えることはできない。」
「何が、あったのですか?――私は忠亮さんが自分から人を傷つけるような人じゃないって信じています。」

「唯依、あまり俺に詰まらん期待をするな。師匠が死んだのは単純に俺より弱かったからだ。俺は欠片ほどにも罪悪感を持ってはいない。」

 バスローブを羽織った忠亮が振り返り、唯依をまっすぐと見据えながら答える。―――その様子がどこか作り物めいた、偽悪的に見える。

「忠亮さん!本当のことを言ってください!!」
「………」

 唯依の張りつめた様子、彼女は真摯に己と向き合おうとしてくれている。その眼差し、その言葉に背を向けれるのか――――否、背く事何ぞ出来るわけがない。


「俺は……正義の味方に憧れていたんだ。何てことはない、男児ならば一度は抱く夢想だ。しかし、多くの人間がその徒労と無意味さに気づく中で俺は諦めることが出来なかった。」
「………」

 ぽつり、ぽつりと語りだす忠亮。篁 唯依はその独白に耳を傾ける。
 その自嘲気な眼差し、見ているだけで胸を締め上げられるような錯覚を覚える痛々しいものだ。

「でもな、いつの日か気付いてしまったんだ。この世に公正公平な正義何ぞ無い、俺のなりたい正義の味方は俺の求める正義の体現者でしかない―――とな。」

 人によって正義とは形を変える、他人という人間は列記とした別人であり異なる思考回路と立場を持つ異人なのだ。
 それを真実に理解し、共有する事何ぞ出来はしない―――人は真に分かり合えることはない。
 分かり合っていると思っているのは、そう思い込んでいるだけなのだ。

 かつて彼が口にした言葉の根源を垣間見る。

「忠亮さんの求めた正義は……どんなものだったんですか?」
「ふん……禄でもない物さ、俺は大切な誰かを窮地から救いたい、守りたい。そんな分かり易い正義を求めて居たのさ。」

「それは―――」

 普通の事では無いだろうか、唯依の喉から出かかった問い。
 だがしかし、それを察知した忠亮はただ首を左右に振り、それを否定する。

「いいか唯依、誰かを守りたいという願いは……その守りたい誰かが窮地に立たねば満たされる事のない渇望なんだよ。
 言い換えればそれは、自身の大切な存在の危機を願う破滅の願望だ。……そんな疫病神、居なけばいないほうがいい。」

 正義の味方には倒すべき悪が必要だ。少し考えを巡らせれば子供でも分かる理屈だった。

「剣道の先生が言っていた、武とは戈を止める物だと。だから俺は一心に武を磨いた―――軈ていつか、大切な誰かを守れる武人に……正義の味方になるんだと。
 だけど、その矛盾に気付いた途端馬鹿らしくなってな。だが、心血注いで此処まで鍛えたそれが無意味だとは思いたく無くてな――――気付けば、斯衛の門を叩いていた。」

 忠亮の志願理由を知る。まだ情感が成熟しきっていない時分に自分の今までの苦労が、そもそも根本から禄でもない物だと気付いてしまった時の彼の葛藤は如何ほどなものか。
 きっと、自分には分からないだろう。

 剣の鍛錬は非常に辛いものだ。
 稽古で打ち合えば当然痛いし、怪我も負う。竹刀や木刀を振れば手には肉刺が出来、それが潰れて激痛を伴う。
 そして、治癒しきらない内にその肉が剥き出しの手でまた素振りなどを繰り返し肉刺を潰していく。
 素足でのすり足の鍛錬は素振りと同じように摩擦で皮が捲れても行い、真冬の氷のような地面の上でも鍛錬を行う。

 ―――それだけではない、そんな普通の鍛錬だけを繰り返していたのではあんな肉体が出来上がる分けがない。

 ただ純真に、そうなりたいからと邁進した文字通り血の滲む努力。だが、その願いがそもそも間違っていた。そう気づいてしまったときの彼の苦しみがどれ程のモノか―――分かるはずもない無いのだ。

「なぜ、そこで斯衛軍に入ったのですか。他にも道は……」

 あったはずだ、そう言いかけた。だが忠亮は静かに首を振り否定する。

「例え間違った願いだとしても、それは本当に無価値なのか。俺が師匠から受け継いだ技術は、本当に無価値な時代遅れの骨董品なのか。
 それだけが知りたかった、そして其れを知るには生半可じゃない修羅場が必要だ。諦めが悪かったのさ。」

 自嘲の笑みが、どこか自分を冷静に見つめる冷めた表情へ……そこから更に狂気を含んだ笑みへと変わる。
 ―――彼はきっと武に入れ込み過ぎたのだ。武の鬼道、その道は修羅道だ。

 武術の継承者としては、恐らく彼のような生き方こそが本当の生き方なのだろう。
 それに比べれば自分が継いだ篁示現流何ぞお遊びに等しい、嗜みの一つでしかない。

「仮に死んだとしても、其処には【人類の敵】って分かりやすい悪と戦えたっていう自己満足が残る、生き残れば俺の願いと受け継いだ技術は無価値じゃなかったと証明される。
 いや、それどころか俺の剣技は命がけの人間を超えた存在との闘いで更に高みへと至れる―――そう考えたのさ。」

 狂喜、鬼の笑みを張り付けたまま彼が言う。危うい、放っておけば彼がこのまま何処か遠くに行ってしまいそうにさえ感じる。

「―――――っ」
「唯依!?」

 忠亮の驚きの声、目尻からぽろぽろと熱い滴が止め止めなく零れてゆく。
 想像にしか過ぎないけれど、分かってしまったから―――彼の許嫁がなぜ、彼の後を追ったのか。

 きっと、今の自分と同じ気持ちだったのだろう。
 愛する人の苦悩、それを自分ではそれを癒すことが出来ない無力感、そして彼がどこか遠くに行ってしまい置いてけぼりにされる焦燥感。

 こんな気持ちにされて大人しくいられるわけがない。

「っ―――」

 堪えきれず、目の前の良人の胸元に飛び込んだ。忠亮はそれを受け止めた。

「ど、急にどうした……?」

 珍しく狼狽えた声が耳朶に届く。だが、その問に自分は答えることが全くできない。
 口元から零れそうな嗚咽をかみ殺すので精一杯だったから。

「………ごめんな。」

 何を思ったのか、忠亮はそんな謝罪の言葉を柔らかく口にすると残った左腕で唯依を抱きしめる。
 胸板に顔を押し付けたまま左右に首を振る。その厚い胸板の奥からとくんとくんと彼の心臓の拍動を感じる。

 この人は、人よりも少しだけ……真剣過ぎたのだ。
 人より少しだけ真剣に夢見て、人より少しだけ真剣に努力して、人より少しだけ真剣にその意味について考えた―――そのために、修羅道に足を踏み入れてしまった。

 そして、そんな彼についていくと決めた彼女はもういない。
 置いていったつもりが、いつの間にか置いて行かれてしまった。そのすれ違いは悲しい、そしてその悲劇をどこか喜んでしまっている自分がいるのが……酷く嫌だった。


「――――唯依、俺はお前に言っておかないといけない事がある。」

 胸を打つ共感と、自己嫌悪に苛まれる唯依に忠亮が静かに、しかし重く口を開く。
 ついに、この時が来たのかと覚悟する。

「俺には許嫁が居たんだ……師匠の娘で、名をゆいと云った。」

 ついに、ついに彼が口にした。恐れていた、待ちわびていた事だった。

「……私と、同じ名前なんですね。」
「ああ、正直に言えば……最初、お前の名を聞いたとき思い浮かべたのはアイツの顔だった。
 アイツの名と同じお前を懐かしさからか……自然と目で追っていたよ。だが、直ぐにお前とアイツでは結びつかなくなった。」

「…………」

 自分は彼にとって亡き許嫁の代替えではないのか、その疑念が否定された。

「―――アイツは何時も心からの笑みを浮かべることのできる女だった。強い女だったよ。」

 懐かしさを込めたどこか遠くへと思いを馳せた声で彼が言う。
 聞いていたい話じゃない。彼の体を突き飛ばし耳をふさいで此処から駆け出したくなる。だけど、これをちゃんと聞き届けなければ自分は嫉妬と疑念の泥に足を取られて進めなくなる。

 そんな無様を晒していたのでは彼の隣を一緒に歩いてはいけない。


「アイツは俺が投げ捨てたはしから俺の命を拾い続けて……自分の命を落っことしてしまった。
 俺みたいな人間の命を拾い続けたところで意味なんて無いのにな……だが、アイツが死んで無意味な筈の俺の命が残ってしまった。順位があべこべだッ!!!」

 初めて聞いた、彼の自責の言葉。
 恐らく、彼を追って軍に入った彼女にとっては当然の結末の一つだったのだろうが、彼にとっては違う。
 今、自分自身への運命への憤激を秘めた彼の体は怒りと憎悪でうち震えている。

「だから俺は―――決死で生きてきた。俺が自分のすべてを無意味と感じたまま死んだら、アイツの人生も死も無意味で無価値になってしまう。」

 満足できなくとも、多少の価値がある終わりがあればそれで良かったのに。それで終われなくなってしまった。死ねなくなってしまった。

「自分の命ならば無価値であろうと納得は出来る……だが!自分のために死んだ他人の命の価値が無い何ぞ納得できるわけがないッ!!!……納得…できないんだ…。」

 歯を食いしばって、血を絞り出すようにずっと心に秘めてきた言葉を口にする。夢に裏切られた彼を支え続けてきたちっぽけな意地―――それを口にすると同時に、抱きしめられ密着していたからだが離れる。

「師匠に呼び出されたあの夜、俺は師匠に殺されてもいいと思っていたんだ。いや、殺されるべきだって。」
「………」

 握りしめた拳、震える背を向けた彼が独白する。

「でもそれじゃ、俺を助けるために死んだゆいの死が無駄になってしまう。―――そう思った瞬間、俺は師匠を手に掛けていた。」


 今まで何度もその死を振り返ったのだろう落ち着いた様子で淡々と告げる。きっとそれが今の彼へとたどり着く最後の後押しになったのだろう。


「師匠はきっと……俺の背を押すためにあんなことをしたんだと思う。」

 手に掛けたかったわけではない。だが真剣勝負の結果だ、そこに罪悪感を持つのは剣客の敗者として耐え難い屈辱だろう。
 彼は師を尊敬しているからこそ、そこに罪悪感を持たないのだ。

 師に勝ったことを誇りとし、師から最期に教わったものを信念とし、かつての許嫁の生き様を支えに彼は頑張ってきた。
 本当は投げ捨てたかっただろう、だけど他人の死を悼み、尊ぶ事が出来る彼にはそんな真似は到底できなかった。

「……きっとそうですね。」

 彼の師の思惑は知れない。愛娘の死を無駄にしない為か、愛弟子が満足のゆく最期を迎えることが出来るようにとする最後の指導のためか。
 其れとも単に私怨か……その思惑は露としれない。

 だけど、しかし。
 自身の命を代償としても、愛娘の意をくみ、愛弟子の背を押したのだとすれば―――同じ悲劇だとしても、次への可能性という救いが残る。
 だからこそ、彼は今日まで死中の活を必死につかみ取ってこれたのだろう。生か死かの二択を迫られた時、彼には迷う余地がなかったから。

「……まぁ、こんなところだ。無様を見せたな、幻滅したか?」
「とんでもありません、忠亮さんのことを知れてよかったと思います。」

 切り替えたのか、すっかり普段に戻った忠亮。
 この切り替えの早さは流石というかなんというか―――妙に毒気を抜かれる時がある。

「そうか、正直言えば話すのに臆していたのだが……俺も今は言ってよかったと思っている。これからは、お前を素直に見ることが出来るからな。」
「きゅ、急にそんな事言わないでください!!……恥ずかしくなっちゃいます。」

 穏やかな眼差しと共に放たれた言葉に頬が熱くなる。視線から逃げるように顔を手で覆い背を向ける
 視界が閉ざされる、その時だった。

「唯依……」

 行き成り後ろから抱きしめられる。片腕だというのに力強い、だけど優しい抱擁。――身動きが取れない。

(おれ)はな、無常こそを愛している。一瞬、一瞬が常に変わり続けて同じ一瞬が一つもないという事が好きなんだ。
 同じ物が一つもないという事は、それが尊いって事なんだ。本当に大切なものは代わりが効かないって事だから。
 だから、アイツはお前の代わりにはならないし、お前もアイツの代わりにはならない。―――唯一無二なんだ。」

 唯一つの拠り所、という意味でつけられた己の名の由来に近い言葉。
 無常、常がないという事だ。
 万物諸行無常、物事は常に変化、生滅を繰り返している―――言わば変化の連続性。常に変わり続けているがゆえに、同じ一瞬は絶対に存在しない。

 この、最小の時の単位における変化を表す言葉を刹那無常と呼ぶ。
 刹那は一瞬で消えて、次の刹那へと移り変わってしまうがゆえに、今は替えが効かない大切なものなのだ。

 今という時が絶対に替えが効かないように、唯依自身も彼にとっての刹那無常の刹那。唯一無二のモノであると彼は言った。



「アイツとお前を同一視したことはない。単なるきっかけ……だけど、そのきっかけがあったから俺はお前を見つけることが出来た。
 だから、そのきっかけをくれたアイツに、アイツと歩んできた之までに感謝と愛情の気持ちを持ち続けるのを……お前は許してくれるか…?」

 過ぎ去ってしまった刹那、その刹那があったからこそ今の刹那がある。
 そして今の刹那があるから、次の未来の刹那が訪れる。
 単に未来を求めるのではなく、過去があり、今があるから未来がある。故に、その過去の刹那を尊び続けて、今を確かに踏みしめて、未来へと足を進めたい。

 過去を捨てて未来へ……彼はそのような、変化の連続を断絶させたくないのだ。
 過去を過去とし、大切にしたまま未来へと歩んでいきたい、今この時を。


「………本当のことをいうと、忠亮さんの心にいるのは私だけがいいです。」

 唯依が腕の中で少し震える声で言う。彼女の気持ちはわかる、彼女の心に自分以外の誰かが居るというのは―――ひどく、心がざわつく。

「だけど、自分が愛していた人との思いを簡単に捨てれるような薄情な人は嫌いです。人として信用も出来ません。だから、それを大切に出来るのは尊いことだと思います。
 だけど―――」

 唯依が抱擁を振りほどく。そして、凛とした眼差しで見据えてくる。

「忠亮さん、貴方の言葉で言ってください。私をどう思っているのかを」

「……愛している。唯一無二のお前が愛おしい……!」
「はい、私も大好きです。……それだけあれば十分じゃないですか。」

 そう口にして彼女は笑う、遠い記憶、唯一色あせない鮮明に焼き付いた魂魄に焼き付いた記憶のままに。
 いつか―――君に話せる日が来るのだろうか。

 この荒唐無稽な御伽話(おとぎばなし)のような記憶を。未来への開闢の花と散った俺たちの物語を――――――
 
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