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大海原でつかまえて

作者:おかぴ1129
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番外編
  妄想シュウくん

 
前書き
飛ばされた先の異世界での弟と無事ケッコンした比叡の、
ダンナ様とのある日の騒動をショートムービー的な感じで。

なおこの話は、下記サイトに短編として載せています。
ハーメルン:http://novel.syosetu.org/66933/
pixiv:http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5997271
 

 
 今日一日の仕事が終わり、私は弟にして愛するダンナ様となったシュウくんの音楽教室に足を運ぶことにする。今日はもうやることもないし、あとはみんなといっしょにご飯食べてお風呂入って、のんびり過ごせばそれで終わりだ。

 シュウくんがこの鎮守府に正式メンバーになってそろそろ一ヶ月が経過する。シュウくんは艦娘のみんなの慰安と福利厚生を目的に、自身の特技を最大限に活かした『シュウ音楽教室』を開校した。

 シュウ音楽教室はこの鎮守府の間宮の隣に建造された。最初シュウくんは司令から『鎮守府の一角を間借りするって形にする』という説明をされていたらしく、自分の音楽教室のために新しい建物を建てるということに当初は困惑していたようだ。

「ちょっと待って聞いてないよ?! 古い建物使わせてくれれば充分だよ?!」

 恐縮しまくるシュウくんに対し、司令は実にあっけらかんと言った。

「いや、岸田が来てから資材の運用効率がめちゃくちゃ上がってな。おかげで資材にかなり余裕があるんだよ。ついでに言うと、間宮とか酒保とか小料理屋鳳翔とか、その辺の慰安施設は全部一箇所にまとめてほしいって要望が艦娘たちからも出ていてな。だったらこの辺に新しく建物作っちゃおうかって話になったんだ」

 かくして甘味処間宮の隣にして、小料理屋鳳翔の向かいという絶好のロケーションを手に入れたシュウ音楽教室は、おかげさまで繁盛しているようだ。お昼は生徒募集に応募してきた艦娘たちに楽器を教えており、『シュウ先生』は教え方が優しく丁寧で、艦娘の間でもとても評判がいい。

 夜は夜で鳳翔さんからのお誘いで、時々小料理屋鳳翔とのコラボをしている。シュウくんのトロンボーンをBGMに鳳翔さんのお料理を食べるという、のんべえさんにはたまらない時間を提供している。やはりというか何というか、のんべえな艦娘たちからの受けがいい。私も欠かさず顔を出しているが、やはり生演奏のBGMがあると食と会話が進む。シュウくんの演奏もいつも気合が入っていて、とても素晴らしい。ここに来て音楽の良し悪しが分かるようになるとは思ってもなかった。

 シュウくんが待っているであろうシュウ音楽教室はまだ見えてこない。私が今いる場所から目的地までは、まだだいぶ離れている。私は、わくわくして自然とサイクルが早くなりがちな自分の足に必死に『急がなくていい』と言い聞かせ、出来るだけゆっくりと歩いた。特に意味はないんだけど……別に急いで向かってもいいんだけど……

 そうやってシュウくんの元に向かっている途中、今日の演習中に金剛お姉様に言われたことをフと思い出した。

――そういえば、ちゃんとシュウくんにキスはしてあげたデスか?

 お姉様……それを追求されると……この比叡は何も言えません……

 私とシュウくんが結ばれた日……つまりシュウくんやお姉様達が私を助けに来てくれた日、私はシュウくんの命を助けるため、やむなくシュウくんのはじめてを奪ってしまった。

 シュウくんは水中で私に指輪をくれた後、意識を失った。危機を脱した後に私がシュウくんの元に駆けつけた時には、シュウくんはすでに呼吸も止まり、顔が青ざめ、脈もすでに止まっていた。

『シュウくんは……お姉ちゃんを捕まえてくれた……お姉ちゃんとケッコンしてくれた!! だから今度は! ……お姉ちゃんが……シュウくんを捕まえるから!!』

 私は必死にシュウくんに心臓マッサージを行い、何度もシュウくんに人工呼吸を行った。ほどなくしてシュウくんは口から大量の海水を吐き出し、何度も何度もむせて、自分の肺から水を絞り出していた。

『よかった! 気がついたんだねシュウくん!! よかった!!』

 私はシュウくんの身体を抱きしめ、弟と会え、こうして触れ合えた喜びを胸いっぱいに感じていた。私だけではない。金剛お姉様や加賀さんといった艦隊のみんなが、私とシュウくんを温かい眼差しと笑顔で見守ってくれた。

 肺に入っていた海水をすべて吐き出したシュウくんはしばらく呼吸を整えたあと、スクッと立ち上がった。私ももちろん立ち上がり、しっかりと甲板を踏みしめて立っている弟を抱きしめてあげた。ずっとこうしてあげたかった。

『シュウくん……助けてくれてありがとう……お姉ちゃんとケッコンしてくれてありがとう……!!』

 シュウくんは無言で私の腰辺りに左手を回した。そして右手で私の頬を伝う涙を優しく拭ってくれた。

『姉ちゃん』

 シュウくんが、私をまっすぐ見据え、私のことを呼んだ。私は、この優しい呼び声をずっと聞きたかった。無線を通してではなく、直接聞きたかった。

 私は自分の顔が真っ赤になっていくのを感じた。耳まで自分の体温以上の熱さになっていることがよく分かる。シュウくんの顔を見る。海水で濡れているためか……それとも久々に会ったせいか……ものすごく端正な顔立ちに見える。いけない。なんだか妙に恥ずかしい……

 さっきまで人工呼吸をしていたためか、不意にシュウくんの唇が目に留まった。さっきはまったく気にしなかったのだが、男の人とは思えないほどに綺麗な唇をしている。恥ずかしくなって目線を動かすと、シュウくんのブラウンの瞳と目が合った。シュウくんの瞳は榛名の瞳の色と少し似ていて、それでいてキッとまっすぐにこっちを見つめる、意思の強い眼差しをしている。

 私の頬に触れているシュウくんの右手が、私の顔を引き寄せはじめた。私も自然とシュウくんに寄り添ってしまう。

『ひ……ひぇぇぇぇ……』

 口から飛び出てしまうんじゃないかと思うほどに、私の心臓がドキドキしている。ま、まさか……この比叡のはじめての相手がお姉様ではなく男の人になるとは……シュウくんと出会う前は考えられないことでしたお姉様……いやもう人工呼吸してるからはじめてじゃないのか……あ、でも、水の中のときみたいに、もう少しギュッて抱きしめて欲しいかも……シュウくん……

 私は意を決し、目を閉じて、自身の唇にシュウくんの唇が重なる瞬間を待った。 

『……そういうことは、意識があるときにやってくれ』
『……へ?』

 そういうと、私のダンナ様は受け身も取らずに盛大に後ろにバターンとぶっ倒れた。あまりに突然過ぎて、私は呆然としてしまった。ホッとしたような……残念なような……

 ほどなくして気がついたシュウくんはそのことをまったく覚えておらず、どうやらあの一言は無意識のうちに発していたらしいことが判明した。

 その後私とシュウくんは、元々姉弟である上にケッコンカッコカリが成立した二人ということで、ずっと一緒の部屋で生活しているわけだが……私に色気がないのが悪いのか、それともシュウくんがその辺にまったくの無頓着なのか……原因はまったくハッキリしないのだが、そういう雰囲気になったことがない。……ちぇ。

 そんなことを思い出しながらシュウ音楽教室へ向かっていると、へっぴり腰でとことこ歩いている司令を見つけた。なんでも酒保に用事があるらしい。

「お、比叡」
「あ、司令」

 一言二言、言葉を交わした後、私と司令は行く方向が同じということで一緒に歩く。司令は司令なりに私とシュウくんの仲のことに興味を持っていたらしく、酒保が近づいてきたところで司令は私に色々と聞いてきた。

「その後どうだ?」
「はい。おかげさまで練度も着実に上がり続けてます!」
「いやそういうことじゃなくてだな……仲良くやってるかなーと思ってさ」

 そういう質問なら、答えはイエスだ。向こうの世界で過ごしていた時以上に、私とシュウくんの仲は親密になっている。この前のお休みの日だって、一緒に手をつないで買い物に行ったし。

「いやいやいやお前らケッコンしたんだろ」
「そうですよ?」
「だったらもっと他にも親密な愛情の確認方法ってのがあるだろう駆逐艦じゃあるまいし。そんなどう見ても思春期でボーイミーツガールなレベルじゃなくてさ……」

 金剛お姉様からの一言のせいで今の私の頭の中は、こんなこと言われたら一つしか思い浮かばない。今日の私は頭の中がまっピンクで浮かれている。

「~~ッ?!! いやちょっとそんなこと言わないでくださいよ司令ってばー!!」

 真っ赤な顔になってしまっているのをなんとか誤魔化したくて、私は司令のケツを思いっきりひっぱたいた。ひっぱたかれた提督は『ばふぉあっ?!』という悲鳴を上げながら上空に吹っ飛び、錐揉みに逆ムーンサルト回転を加えた状態で、放物線を描いて酒保の店内に吹き飛んでいくのが見えた。酒保の奥から『ちょっと提督?! 何やってるんですか?!』という明石さんの悲鳴が聞こえた。

「あれ? なんだか外が騒がしいわね」
「そうね。でも暁は野次馬にはいかないわよ」
「そうねアカツキ。私もいかないわ」
「「なぜなら私たちは一人前のレディーなんだから!!」」
「そうだね。さすが二人とも一人前のレディーだね」
「えっへん! 一人前のレディーである暁をもっと褒めてもいいのよ?」
「そしてこのビスマルクももっと褒めていいのよ!」

 目の前のシュウ音楽教室からビス子さんと暁ちゃん、そしてダンナ様の声が聞こえてきた。そういえば今日はビス子さんと暁ちゃんの練習の日だってシュウくん言ってたっけ。なんでも今日は外で大きな音を出す練習だとか。シュウくんとビス子さんはトロンボーン、暁ちゃんはトランペットをその手に持っていた。

 それにしてもシュウくんは暁ちゃんビス子さんとずいぶん仲がいいように見える。なんだか虫の居所が悪くなってきた……なんてことを考えていたら……

「あ! 比叡さんだ!」
「え?! あ! ほんとだ! ねえちゃーん!!」

 私に気付いて、満面の笑顔で手を振ったあと、こっちに走ってきてくれるシュウくん。シュウくんは私への気持ちを全面に顔に出してくれる人だ。彼を見ていると本当に気持ちがよく分かる。そして、その様子を見て思わず顔がニヨニヨしてしまうあたり、私もシュウくんのことが大好きで大好きで仕方がないらしい。

「姉ちゃん! おかえり!!」
「ただいまシュウくん!!」

 離れ離れになっていた頃は、こんな生活が出来るだなんて思ってもみなかった。ほんの少し前までは思い出の中でしか見ることの出来なかったシュウくんと、いまではこうして気兼ねなく触れ合うことが出来る。シュウくんの感触をこうして実際に確かめることが出来るだなんて、思ってもみなかった。

「お姉ちゃんは今日一日のお仕事は全部終わったから一緒に晩御飯食べに行こうと思ってこっち来たんだけど……シュウくんはまだ終わらなさそうだね」
「そうだけど……でも今日はこれから外で二人におっきな音出してそれで終わりだからね。よかったら姉ちゃんも一緒に来てくれる?」

 行きたい!! ……でもシュウくんのお仕事の邪魔をするわけには……

「んー……じゃあ一応二人に聞いてみよっか」

 シュウくんはそう言いながら後ろの二人を振り返り、大声で叫んだ。

「ねー! あかつきー!! ビス子さーん!! 姉ちゃんも一緒に行っていいかな?!」
「いいわよ! だって私は一人前のレディーなんだもの!!」
「それよりもシュウ! 私をビス子と呼ぶのはやめなさい!!」
「ありがとー! じゃあ姉ちゃんも連れて行くねー!!」
「私の話を聞けーッ!!」

 誇らしげに胸を張る暁ちゃんとぷんすか怒っているビス子さんを尻目に、シュウくんは私のほうを振り返ると『ほら、行こう!』と言い、私の手を取って引っ張ってくれた。私はシュウくんに導かれるままに前に進んだ。さっき司令がスクリューを描きながら突っ込んだせいで想像以上に損壊している酒保が視界の片隅に見えた。よく見たら、司令の上半身が壁を突き抜けて痙攣していた。修理代は司令持ちだろうか。そう思おう。

 真っ赤な夕日が綺麗に映える、鎮守府の埠頭まで来た。ここでシュウくんは自分の生徒たちに時々大きい音を出す練習をさせる。私も帰投するときに、ちょくちょくここで大きい音を出しているシュウくんと艦娘たちの姿を見ることがある。

 シュウくんたちは埠頭のへりに3人並んで立っている。私は少し離れた場所においてあるベンチにこしかけ、3人の様子を眺めることにした。

「ペットもボーンも考え方は変わらないからね。このアサガオから出た音が、まっすぐ飛んでいくのをイメージしながら音を出すんだよ」
「分かったわ。せーの……!」:べー……
「ダメよアカツキ。そんなのでは一人前のレディーとは言えないわね」:ぶー……

 二人が出した音はお世辞にもキレイな音とはいえない。ビス子さんの音にいたっては、例えるとちょっと大きめなオナラみたいな音だ。そんなこと言ったらビス子さんへそ曲げちゃうから言わないけど。そんな二人の音を聞いて、シュウ先生は思わず苦笑いを浮かべてしまう。

「んー……二人共ちょっと音がのぺっとしてるかなー……」
「ぶーぶー!! 出来るわけないわよ! アサガオから出た音をまっすぐ飛ばすだなんていくら私でもイメージつかみにくいわよ!!  ぶーぶー!!」
「そうよ! いくら私が一人前のレディーでもそんなのできるわけないんだからッ! ぷんすか!!」

 生徒二人からの非難を受けて、シュウ先生は困ったように頭をポリポリかいていた。私のダンナ様は、この修羅場をどう乗り越えるのだろう。見ているのが少し楽しくなってきた。

「そうかなー……艦娘の二人なら、音をまっすぐ飛ばすイメージってつかみやすいと思うんだけど……主砲を狙い撃つ感覚で行けばいいと思うんだけどなー」
「分かるわけ無いでしょぶーぶー!! なんならあなたお手本見せなさいよ!!」
「そうよ! そしたらシュウくんのこと一人前のレディーだって認めてあげるんだからッ!」

 暁ちゃん、シュウくんは私のダンナ様だから、どれだけ頑張っても一人前のレディーにはならないんだよ。その前に、すでに私のダンナ様は一人前のジェントルマンなんだけどね……とか考えてみたりウッハァアー。

「お手本か~……よし。二人ともよく聞いててね~……」

シュウくんが海に向かって自身が持っているトロンボーンを構える。ちょうど私に横顔を向けている形になる。楽器を構えた途端、シュウくんは表情が変わる。いつもの柔らかい表情から、キッとした眼差しになり、まっすぐに前を見据え、そして……

――パァァァァアアン

 暁ちゃんとビス子さんが出した音とは明らかに異なる質の音が、シュウ先生のトロンボーンから鳴り響いた。今のシュウくんの音は確かに前方はるか遠くに飛んでいく音という感じがし、それに比べると暁ちゃんとビス子さんの音は、確かに、横にだらしなく間延びした狙いが定まりきれてない音という感じがする。砲撃に例えると、シュウくんの音は狙いすました徹甲弾による敵艦船バイタルパートへの直撃。一方の暁ちゃんとビス子さんの音は、偏差射撃すら満足に出来てない散布界ゆるゆるの銀球でっぽうとでも言うべきか。

「う……」
「や……やるわね……さすが、ヒエイのマンだわ……」

 私と同じことを暁ちゃんとビス子は思ったらしい。ちなみに“マン”というのは、ドイツ語でハズバンドの意味だそうだ(お姉ちゃんの金剛談デース!)

「わかったでしょ。とにかくまずは大きい音を出すこと。次にその音をまっすぐ飛ばすこと。大丈夫! 二人は一人前のレディーなんだから、すぐ出来るよ!」
「そ、そうね! なんせ私は一人前のレディーなんだから!!」:ぷー……
「わ、私も付き合うわアカツキ! 私だって一人前のレディーなのよ!!」:ぷー……
「もうちょっと! おなかに力入れて!」
「やぁー!」:プー!
「フォイヤー!」:プー!

 二人の音が変わってきた。もう一息でシュウ先生の音にだいぶ近づくというのが、私にも分かるほどに。

「あともう一息!! 気合! 入れて!!」
「「~~ッ!!」」

――パァァァァアアン

 暁ちゃんとビス子さんの楽器の朝顔から、とてもキレイな音が鳴り響いた。さっきのシュウ先生ほどじゃないけど、最初の音とは比べ物にならないくらいにキレイな音だ。

「やったー! 私にもシュウくんと同じ音が出せた!!」
「そうだね! これであかつきも一人前のレディーだ!!」
「そうよ! だって私は一人前のレディー!!」

 無邪気に喜ぶ暁ちゃんの頭を、シュウくんがなでなでしていた。暁ちゃんは『こ、子供扱いしないでよ!』と怒っていたが、口調から察するに、そこまで悪い気はしてないのだろう。なんだかお父さんと娘みたいな感じだ。

 一方、気のせいかビス子さんがそわそわしている。心持ちほっぺたが赤くなっており、シュウ先生の方をもじもじしながら見ている。まさかとは思うけど……

「し、シュウ? わ、私も出来たわよ?」
「ビス子さんも良く出来ました! 二人共やっぱりスゴいね。さすが艦娘だね!」
「あ、あの……もしシュウがやりたいなら……私のこと、なでなでしていいのよ?」
「?!」

 ビス子さんからの衝撃の告白を受けてはじめは困惑していたシュウくんだが、やがて観念したかのように、苦笑いを浮かべながら『よくがんばりました』と言ってビス子さんの頭を撫でていた。ビス子さんは頭をしばらく撫でられると、それはそれは上機嫌になっていた。

「フッ……この私には造作もないことよ! 私は戦艦ビスマルクなのよ?!」
「そして私は一人前のレディー!!」

 暁ちゃんとビス子さんが腰に手を当て、大海原に向かって高らかに笑っていた。その様子をシュウ先生は優しいまなざしで見守っていた。なんだか娘達を見守る父親のような表情をしている。暁ちゃんとビス子さんにあんなに優しい眼差しを向けられるのなら、私達の子供にもきっと優しく接してくれるだろう。

 ……ちょっと待って?! 私、今何を考えてた?! 私たちの子供?! 私と?! シュウくんの?!

 その瞬間、私の胸の中に一陣の風がブワッと吹き、脳内が他世界とリンクした。その世界の私は服を着てなくて、同じく服を着てない妄想シュウくんにベッドの中で抱き寄せられていた……

……

…………

………………

『姉ちゃん……僕は……姉ちゃんが欲しい』
『うん……いいよシュウくん……来て……』

………………

…………

……

 不意に誰かに肩を叩かれ、この世界に意識が戻った私は、反射的に叩かれた肩の方の手を振り回した。

「うっひゃぁあああ?!! 突然そんなこと言われてもお姉ちゃんは……ひぇぇええ?!!」
「どゅヴぉはッ?!!」

 どうも私の肩を叩いたのは司令らしい。司令は勢い良く振り回された私の手が頬に当たり、背後の大木まで吹きとんだ後跳ね返って、大海原まで放物線を描きながらコークスクリューで飛んでいった。『ひえーい?! 酒保の修理代はぁぁあああ……』という悲鳴が聞こえたが、気づかなかったことにした。

 その後私たち4人は一度シュウ音楽教室に戻ってそこで解散。私とシュウくんは二人で小料理屋鳳翔に入り、鳳翔さんの料理に舌鼓を打った。頭の中はピンク色一色に染まってしまっていたらしく、晩ごはんを食べてる最中はどうもシュウくんの血管がちょっと浮き出た男っぽい手や、ご飯を口に運ぶたびに大きく開く口とかに意識が向いてしまって、なんだか食事に集中出来ない。

「姉ちゃんどうしたの? なんかあった?」
「な、なんでもないよシュウくん?!!」
「いや、なんでもなくないように見えるんだけど……」

 そんな私達の様子を見て鳳翔さんがくすくす微笑んでいた。バレてるのかな……私が考えてること、バレちゃってるのかな……そんな私の心配をよそに、シュウくんが鳳翔さんに空のお茶碗を差し出した。

「鳳翔さん。なんだか今日はお腹がすいてるんでもうちょっと食べたいです。ご飯おかわりと……あと何かおかずになりそうなのありますか?」
「そうですねぇ……うちでは珍しいんですけど、昨日試しに作ってみた“にんにくのオイル焼き”が岸田くんには好評でしたよ。食べ終わった後目が血走ってたのがちょっと心配ですけど」
「美味しそうですね! それください!」
「はい。じゃあちょっと待っててくださいね」

――にんにく?!!

 “にんにく”という言葉を聞いた瞬間、私の心に一陣の風がゴウッと吹いた。そしてその風に吹き飛ばされた私の意識は、再び別の世界の私とリンクした。別世界の私と妄想シュウくんは、相変わらず服を着ておらず、ベッドの中で抱き合っていた。事後なのか何なのかわからないが、私達二人はしっとりと汗ばんでいた。

……

…………

………………

『姉ちゃん……僕は……僕はもっと……姉ちゃんを感じたい』
『にんにく食べたんだもんね……お姉ちゃんも……もっとシュウくんを感じたい』

………………

…………

……

「うわぁああああ?! シュウくん?! 元気になっちゃうよ?!」

 かろうじて意識が戻ってきた私はシュウくんに大声でそう告げてしまった。いやいいんだけど! 元気になるのはいいんだけど!!

「へ? 元気になるんなら別にいいと思うんだけど……」
「そ、そうだけど……いやそうだよね……うん……いやよくないよシュウくん?!」
「ダメなのか~……しょぼーん……」

 まさかダンナ様に感染してしまった自分自身のしょぼん攻撃に、ここまで翻弄されるとは思ってなかった。目に見えて落ち込むシュウくんに、思わず私は『いいよ』と言ってしまいそうになる。……いや別に食べてもいいんだけど! むしろ食べていいんだけど!

「帰ったあとで匂いが気になるんですか? だったら比叡さんも食べちゃったらどうですか? 匂いも気にならなくなりますよ?」
「そうしよう姉ちゃん! 姉ちゃんも食べちゃえばいいんだよ!!」

 涙目で笑いをこらえる鳳翔さんの提案に、シュウくんも満面の笑みで大賛成をする。分かってない。きっとこの二人は私の葛藤を分かってない。

「そしたら私も元気になっちゃうよシュウくん?!」
「えー……元気になるならいいじゃん。ねえ鳳翔さん?」
「そうですね……プフ……クスッ……」
「ひぇぇえええ?!」

 前言撤回。鳳翔さんはきっと私の葛藤に気付いている……こうなったらもうヤケクソだ。

「……鳳翔さん。私も食べます……」
「はい。じゃあ二人分作りますね。ブフッ」
「やった! 楽しみだね姉ちゃん!!」
「シュウくんのえっち……」
「なぜッ?!」

 十数分後、鳳翔さんお手製のにんにくのオイル焼きが出てきた。それは、ピンク色一色で、今晩のことで頭がいっぱいな私の頭でさえ、『おいしい』と思ってしまうほどの逸品だった。シュウくんも『美味しいです鳳翔さん!!』とたくさん食べていた。……今晩どうするつもりなの……。

 ……あ、あとシュウくんの目は血走ってなかった。

 晩ごはんを食べたあとは一旦部屋に戻り、一緒に大浴場に向かう。最初シュウくんは『今日はちょっとめんどくさいなー……』と部屋でゴロゴロしていたが、私が強引に大浴場に連れて行った。

「ぇえ~一日ぐらいいいじゃん姉ちゃーん……」
「今日はダメなの!」
「なーんーでー?」
「だって……キレイな身体で……ぼっ」
「ん?」

 いけない。どうも今日は考える事考える事ことごとくピンク色だ。顔がまっかっかになってしまったのがシュウくんにバレないように、偶然私たちの部屋の前を通りかかった司令をとりあえずぶっ飛ばしておいた。ぐるんぐるんと回転しながら放物線を描いて窓の外に飛んで行く司令は『なんでクアッドコーク1800ばりのぉぉおおぉぉ……』という悲鳴を上げていたが、そんな悲鳴はなかったと思うことにした。

 浴場前でシュウくんと別れ、私は女湯に入る。身体の汚れを洗い落とし湯船に浸かると、一日の疲れがお湯の中に溶け出していくかのように、全身の疲れが取れていくのが分かった。今日は疲れた……一日中演習をして、帰ってきてから照れ隠しに司令をぶっ飛ばし、シュウくんの教室に付き合った後、妄想のこっ恥ずかしさのドサクサで司令をぶっ飛ばし、晩ごはんを食べてる最中はシュウくんと鳳翔さんに振り回され、食べ終わったあとは司令をぶっ飛ばし……

「ひえーい。ぐっいぶにーん」
「ぁあ。お姉様~」

 私が湯船の中で今日一日のことを振り返っていると、金剛お姉さまが湯船に入ってきた。お姉様は、私が今日こんな風にピンク色で大混乱に陥っていることも、その原因がお姉様自身にあることも知らない。

「ほわっつ? どうしたんデース?」
「いえ。なんでもないですよお姉様~」

 湯船に浸かった途端、思い切り顔がゆるむお姉様。私と同じく、お姉様も今日は疲れきっていたんだろう。お互い今日は忙しかったですもんねーお姉様。

「そういえば比叡は、最近ワタシに抱きついてこないネー。お風呂の時間が平和デース」

 言われてみれば……以前に比べてお風呂場でのお姉様とのスキンシップの回数が極端に減った気がする。

「その分シュウくんとスキンシップを取っているなら、それでいいのデス」

 ゆるみきった顔で金剛お姉さまがそういう。お風呂場でスキンシップ……シュウくんと……シュウくん、肌がすごくキレイなんだよね……すべすべで……でも身体は引き締まっててすごく男っぽくて……おなかとかおしりとかけっこう引き締まってるし……スキンシップ出来たらすごく気持ちよさそう……どうしよう……シュウくん触ってみたくなってきた……

「ひえーい?!! しっかりするデスひえーい?!!!」
「お姉様……比叡は……もうピンク色です……ひぇぇぇ……」

 湯けむりの中にいるお姉様の姿がねじ曲がってきた。頭がクラクラしてくる。視界が遠くなってきた。世界が狭まってくる。そっか。これをのぼせるっていうのか……お姉様の声がものすごく遠くの方で聞こえた。

――シュウくんを……お風呂から上げ……部屋まで……でも……マス

 どうやら、私の意識はまた別世界とリンクするようだ……やった……シュウくんに……さわれる……

……

…………

………………

 身体全体に心地よい振動を感じて私は目が覚めた。私は誰かにおんぶされて運ばれているらしい。おんぶしている人と、その付き添いらしい人の会話が、どこか遠い世界の会話のように、とぎれとぎれに聞こえてくる

『……の姉ちゃん、なん……かし……です……?』
『んー……確かに今日の……心ここ……って感じ……たネー』

 なんだか途切れ途切れですごく聞き取りづらい。そっか。私のぼせて倒れたんだっけ……頭はまだぼんやりしてるけど、私をおんぶしている人はどうも妄想シュウくんみたいだ。身体に伝わる感触でなんとなくわかる。もう一人は声から察するに、きっと金剛お姉さまなのだろう。そっか。やっぱり私いま、意識が妄想シュウくんの世界にリンクしてるんだ。

 その後妄想シュウくんは私をおんぶしたまま金剛お姉さまと別れ、部屋に戻ってきた。妄想シュウくんは私をベッドに寝かせると、冷蔵庫からペットボトルのポカリスエットを持ってきて、それを私のおでこに当ててくれる。ひんやりとしてとても心地いい。でもまだ頭はなんだかボーとする。

「なんでのぼせるまでお風呂浸かってたのさ姉ちゃん……」

 妄想シュウくんが呆れたような声でそういいながら、私の顔の汗を手で拭いてくれた。私の顔に触れてくれる妄想シュウくんの手が、とても男っぽくて気持ちよくて……もっと触ってほしくて……フと、シュウくんに頭を撫でられて上機嫌になっているビス子さんを思い出した。

「シュウくん……」
「ん? 気付いた? 気持ち悪いとかない? 大丈夫?」
「頭なでて」
「ファッ?!」

 私は素直に今やってほしいことを妄想シュウくんに伝えたのだが、ぼんやりしてる意識の中でも、妄想シュウくんがうろたえて金魚のように口をパクパクしているのが分かった。

 その後、妄想シュウくんは少し顔を赤く染めて……

「髪濡れてるけど、いいの?」
「うん」
「んじゃ……」

 なでてくれた。

「ん~……」

 シュウくんを始め、みんなが頭をなでて欲しがる理由がよく分かる。好きな人に頭を撫でられると、それだけで身体中がフワッとして、ふわふわと宙に浮いてる不思議な感覚に襲われてしまう。いけない。どうしよう。すごく気持ちがいい。意識がぼんやりする。目を開いても視界がどうもぼんやりしている。

「気がついた? 姉ちゃん?」

 私の頭をなでてくれるシュウくんがほっぺたを少し赤くしながら、屈託のない笑顔を向けてくれた。その笑顔がとても素敵でカワイイ。こんなカワイイ人が、私のことを追いかけてきてくれて、私を助ける時に周囲を巻き込むほどの怒りを見せたことが、私にはとても嬉しかった。私のために怒ってくれた。私にケッコンしろと言ってくれた。それがうれしい。思い出しただけで胸がドキドキする。それがとても心地いい。

 私は上体を起こした。頭を撫でてくれる妄想シュウくんの手をのけると、妄想シュウくんの身体に手を回し、そのまま自分の身体を妄想シュウくんに預けるように寄り添った。真っ赤になっている妄想シュウくんのほっぺたと私のほっぺたを重ねる。妄想シュウくんのほっぺたがとても熱い。

「?!」

 シュウくんが固まっている。今回の妄想シュウくんは、私が知ってるシュウくんとだいぶ近いみたいだ。この妄想シュウくんは、私が好きなシュウくんだ。

「シュウくん」
「ね、姉ちゃん……?」
「お姉ちゃんね……ギュッてして欲しい」
「~~ッ?!!」

 私の一言に、妄想シュウくんのドキドキが大きくなったのが分かった。どうしよう。すごくカワイイ。私の弟……いや私のダンナ様、ものすごくカワイイ。ダンナ様は震える両手で、ものすごく優しく包み込むように、私のことをふわっと抱きしめてくれた。

「んんっ……」

 妄想シュウくんが私を包み込んでくれた瞬間、全身にぞくぞくっとした快感が押し寄せた。どうしよう。すごく気持ちいい。シュウくんに優しく包まれることは、すごくすごく気持ちがいい。

 ……でもちょっと物足りない。

「シュウくん」
「な、なんでしょうかお姉様ッ?!」

 どうしよう……言ってしまおうか……いいや言ってしまえ。どうせ妄想なのだから。

「もうちょっと……強くてもいいよ」
「~~ッ?!!  ~~ッ?!!」

 シュウくんの震える両手に、少し力が入ったのが分かった。それなのに……ほんの少し力が入っただけなのに、すごく気持ちがいい。好きな人にギュッてされるのが、こんなに気持ちいいだなんて思ってもみなかった。

 それにしてもシュウくん……もっと強くギュッてしてくれていいのに……もっともっと強く抱きしめてほしいのに……さっきまでの妄想シュウくんはあんなに積極的だったのに……積極的? 妄想? ちょっと待って? これってひょっとして?

――妄想ではありません。現実です。

「ひぇえええええ?!!!」
「ね、姉ちゃん?!!」

 バカっバカバカっ。妄想だと思って好き勝手やってた私のバカっ。恥ずかしい。顔から火が出る勢いで真っ赤になっていく。どうしよう! 恥ずかしい!!

「シュウくんッ?!! お姉ちゃんはっ…お姉ちゃんはっ!! ひぇぇえええ?!!!」
「な、何事だ姉ちゃんッ?!! どうしたんだぁあッ?!!」

 私の耳から富士山噴火レベルの水蒸気が吹き出す私は、そのままのけぞってベッドの上をのたうち回った。めちゃくちゃ恥ずかしいッ! “ギュッてしてほしい”とかめちゃくちゃ恥ずかしい!! シュウくん!! お姉ちゃんめちゃくちゃ恥ずかしいです!!

 その後、『落ち着くから』とシュウくんが淹れてくれたココアを飲みながら、私は事の経緯を説明した。いやホント、説明すること自体がすごくすごく恥ずかしいんだけどシュウくん……

「いや姉ちゃん……それ聞いてる僕も恥ずかしい……」
「そ、そんなこと言われても……金剛お姉様がぁああああああ」
「晩ごはんににんにく食べただけで、そこまで妄想できた姉ちゃんがたくましいよ……」
「だって金剛お姉様がぁぁああああああ……司令がぁぁあああああ」
「い、いやまぁ……とにかく落ち着こう姉ちゃん」

 私の今の恥ずかしさのスゴさを知ってか知らずか、シュウくんは冷静に私をたしなめる。それすらなんだか恥ずかしい。今まで妄想シュウくん相手に一人相撲をしていたみたいで恥ずかしくて仕方ない。

 そんなことを考えながらベッドの上でのたうち回ってると……不意に、顔を真っ赤にしたシュウくんが私を呼んだ。

「姉ちゃん!!」
「ひぇええええ?!! は、はいシュウくん!」
「体起こして!」
「へ? なんで?」
「いいから!!」
「は、はい」

 私はシュウくんに言われるままに上体を起こした。シュウくんの顔がものすごくまっかっかだ。すごく真剣な表じょ

――ちゅっ

「……」
「……」
「……ぷはっ」
「ふぅ……」
「……プッ」
「……クスッ」
「ぷふっ……ねえちゃん」
「クスクスッ……なーに?」
「案外……ふふっ……簡単だね」
「そうだね。簡単だね。ふふっ……」
「これなら……次も簡単に出来そうだね」
「うん。次も簡単だね」

――ちゅっ

 お姉様。私たちは今日、やっと“はじめて”を迎えました。

「でも姉ちゃん……顔真っ赤だよ?」
「シュウくんだって……もう一回」
「うん……あ」
「ん?」
「おでこ当たる……」
「んー……」

――ちゅ……

終わり。
 
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