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猫又

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5部分:第五章


第五章

「ほらね、やっぱり人が多い方がね」
「そうだよなあ」
 トラは目を細めさせてきた。
「阪神が強いのと友達が多いのは実にいいことだよ」
「阪神の方が先なのね」
「だから言ってるじゃないか。俺にとって阪神は浪漫なんだ」
「ロマンじゃないの?」
「その言い方は無粋だぜ。言い方はやっぱり明治だよ」
「明治には阪神タイガースなかったんじゃ」
「まあそれはそれ、これはこれだ」
 彼はそれは誤魔化した。
「けれどまあ、友達が増えるとな、いいことがあるさ」
「そうよね」
「とりわけ男の子の友達はな」
「それどういうこと?」
「言ったままさ」
 言葉にある裏の意味は言わなかった。
「そのまま。まあそれはおいおいわかるさ」
「ふうん」
「で、その転校生だけどさ」
 トラは何も知らないふりを続けて尋ねてきた。
「仲いいみたいだね」
「やだ、そんなのじゃないよ」
 それを言われると顔を急に真っ赤にさせてきた。やはり嘘が下手な娘であった。
「昨日会ったばかりよ、それで」
「それでもこうしたもないものさ」
 トラは達観した様子で言った。新聞を置いて煙草を出す。そこに火を点けて言う。
「人の付き合いってやつはね」
「そうなの」
「急に仲良くなったりするものさ」
「だからそんなのじゃないって」
 沙世はまた言い返す。
「だから私はそんな」
「そうなんだ」
「そうよ」
 真っ赤な顔のまま言っても何の説得力もなかったが表向きは納得することになった。
「別にそんな」
「ふうん」
 トラは煙草を吸って煙を大きく吐き出した。ソファーの上に胡坐をかいてそうする仕草が猫だというのにやけに様になっていた。そいじょそこいらの人間よりもである。
「まあとにかく演劇部に男の子が一人入りそうと」
「そういうこと」
「よかったじゃないか、それは」
 あらためて言う。
「で、どんな役やれそうなんだい?」
「役とかは別にまだ」
 沙世のいるこの学校の演劇部は一年でも芝居に出られるのである。部員が少ない性もあるがそれはそれでいいことであった。だから彼女もズボン役をしているのである。
「まだ正式に入ってもいないし」
「まだこれからってわけか」
「ええ」
 こくりと頷いた。
「主役だといいね」
「まあ主役の男の子も足りないし」
 とにかく人が足りないのである。
「脇役もそうだけれど」
「じゃあすぐに出られるな」
 トラはそれを聞いて言った。
「それで嬢ちゃんと共演だ」
「共演!?」
「そう、若しかしたら主役とヒロインなんてのも」
「だからそれは」
 また顔が真っ赤になっていた。
「決まってもいないから」
「何事もこれからと」
「そうよ。からかわないでよ」
「御免御免」
 煙草を手に持って目を細めて笑った。猫とは思えない笑顔であった。
「じゃあ何かあったらまた言ってくれよ」
「ええ、そうするわ」
「応援するからさ」
「何を?」
「お芝居の方さ」
(おっと、今のは結構鋭かったな)
 表の顔と素顔で違うことを思った。
「じゃあ頑張ってな」
「有り難う」
(さてと、次に仕掛ける時は決まったな)
 トラは煙草を吸ってにこやかに笑いながら思った。
(芝居の時だな。多分それはもうすぐだ)
 人の少ない部である。それならば。
(その時動くとするか)
 今は煙草を吸い続けた。新聞を眺めながら。そこにある阪神の勝利の話を何度も見る。そして勝利の味を噛み締めるのであった。トラにとっては至福の時である。負ければ負ければで何かがある。阪神を応援するということはやはり浪漫なのであった。ある芸能人がそうであるようにだ。
 阪神の試合を観ながら日々を過ごしているとまた沙世から話があった。
「ねえねえ聞いて」
「何だい?」
 トラは今はテレビを観ていた。観ているのはやはり阪神の試合である。
「丁度今いいところなんだけれど」
「うわ、凄いわね」
 沙世はテレビに映る試合を観て思わず声をあげた。
「中日ノーヒットノーラン寸前じゃない」
「どうなってるんだよ一体」
 トラは憮然としていた。
「何で今年は中日ばかりに負けるんだ!?」
 トラはビール缶を片手に不平を漏らす。
「おかしいじゃないか、しかも名古屋ドームで」
「だってうちの監督落合さんなんだもん」
 沙世はにこやかに笑って言う。実は彼女は中日ファンで落合監督が好きなのである。その采配と笑顔がいいというのが彼女の言葉である。
「負ける筈がないわよ」
「ちぇっ」
 トラは憮然として画面を観ている。
「このピッチャーも息が長いな」
「そうよね」
「まさか今になってこんな目に遭わされるとは思わなかったよ」
 目の前で阪神のバッターのバットがスクリューの前に空しく空を切っていた。それがトラの目には阪神の数え切れないまでの絵になる敗北として映っていた。
「それにしても。またナゴヤドームか」
「今年はうちの守護神よ」
「こっちにとっちゃ疫病神だよ」
 猫又としての誇りも魔力もそこにはなかった。
「魔物は甲子園にだけいるんじゃないんだな」
「名古屋ドームのは守護神よ」
「全く。いい加減にしてもらいたいよ」
 もう九回で今にも終わりそうである。こうなっては負けは明らかであった。
「で、何があったんだい?」
 トラは野球から沙世に気持ちを向けた。もっともまだ野球を観ているのだが。
「部活だけれどね」
「落合の野郎が客に来るんなら祟りに行ってやるよ」
「いや、そうじゃないから」
「そうかい」
 無論これは冗談である。トラは中日は嫌いではない。嫌いなのは何と言っても巨人である。とりわけ関西出身のOB二人とフロントは死ぬ程嫌いである。前の監督も嫌いで辞任した時は酒盛りをしていた。
「で、部活で何があったんだい?」
 沙世に問う。
「うん、今度のお芝居ね、何するか決まったの」
「ああ、そうなんだ」
 意外と普通であった。話しているうちに阪神のことが頭から離れていって落ち着いてくる。妖怪でさえ狂信者にさせる、それこそが阪神の恐ろしさなのである。
 
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