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至誠一貫

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第一部
第六章 ~交州牧篇~
  七十九 ~義姉妹~

 更に一月が過ぎた。
 劉表も劉璋も全く動きを見せず、山越や異民族もなりを潜めている。
「土方様。此方が、先月の報告書になります。ご確認下さい」
 南海郡太守の座に就いた士燮は、見事にその務めを果たしている。
 州牧はおろか、刺史さえ不在であったこの地を実質的に取りまとめてきた手腕、伊達ではないという事か。
「……うむ。愛里(徐庶)、どうだ?」
「はい。完璧だと思います」
「そうか。流石だな、士燮」
「いえ、これが私の務めですから。……土方様」
 士燮は、姿勢を正した。
「如何致した?」
「土方様は、ご自身を武人と仰せでしたが。今も、そのお気持ちに変わりはありませんか?」
「無論だ。如何なる世になろうとも、私は常に刀と共に在る」
「なるほど。……どうやら、少し思い違いをしていたかも知れませんね。申し訳ありません」
 頭を下げる士燮。
「何の真似だ、それは?」
「はい。武人と言い切る土方様が着任と決まってより、きっと他州や他国と無用な軋轢を生むのではないか……それを懸念していました」
「武人が全て、戦いを好むとは限らぬぞ。降りかかる火の粉は払うが、戦えば我が方も傷つき、死ぬ事になる」
「ええ。ですが、そんな武人がおられるのかと、正直半信半疑でした。しかしながら、これまでの間、交州は平和そのものです」
「結果的にはそうなるな。だが、それは私が争いを避けた結果ではないぞ?」
「わかっています。託した兵達の顔つきが、以前にも増して精悍さを感じさせているのが何よりの証拠でしょう」
「ほう。郡太守として多忙だったお前が、兵の様子まで見ていたとは意外だな」
「当然です。少し前まで、私自らが率いていた兵です。その様子を気にかけてもおかしくはないかと」
 澱みなく、答えが返ってきた。
 恐らく、嘘はないのであろう。
「勿論、冀州での事は聞き及んでいましたが、それはそこにおられる徐庶さんや、他の方々の才に拠るもの……そう思っていました」
「その通りだ。間違いではないぞ?」
「そうでしょうか? 徐庶さん、もしお仕えしている相手が土方様ではなかったとしたら。今のご自分はどうなっていると思いますか?」
 愛里は、士燮を真っ直ぐに見返す。
「……少なくとも、こうして日の目を見てはいられなかったでしょう。特に私は、歳三さんに救っていただいた身ですから」
「事情はお察しします。それを抜きにしても、土方様はどうですか。本当に、ただの武人とお思いですか?」
「いいえ。私達を信じて任せていただく度量の広さもありますが、それでいて的確な指示もなされます。武のみの御方ならば、ここまでの目配りは無理でしょうね」
「やはり。政務が滞ったという話も聞きませんが、それも事実ですね?」
「当然です。寧ろ、歳三さんは勤勉過ぎる程で、私達の方が気をつけないといけないぐらいです」
 軽く睨むようにしながら、愛里が答えた。
「そのようですね。武ばかりを重んじ、(まつりごと)や庶人を軽んじるのではないか……そんな疑念を抱いてしまっていました。頭を下げたのは、その事へのお詫びです」
「では士燮さん。歳三さんを認めていただいた、そう解釈して宜しいのですか?」
「ええ。少なくとも、州牧としては適任でしょう。土方様、今後とも宜しくお願い致します」
「うむ」
 何やら含みのある物言いだが、士燮の表情からは何も窺い知れぬな。
 ……だが、要らぬ波風を立てる事もあるまい。


「歳三殿。お耳に入れたい事が」
 夕刻。
 疾風(徐晃)が白兎(董旻)を伴い、執務室に姿を見せた。
「聞こう」
「は。……此処では、些か」
「今は誰もおらぬぞ」
「いえ。念には念を入れて、と思いまして。ご同行願えませんか?」
「……良かろう」
 疾風は慎重な性格だが、その上にここまで神経を配るとは、かなりの大事と見て良い。
「愛里、朱里。まだ落款の必要な書簡は残っているか?」
「ええと、私の方は大丈夫。朱里ちゃんの方は?」
「はい、こっちも片付きました」
「わかった。では少し出て参る、後は頼むぞ」
 二人が頷いたのを確かめ、私は腰を上げた。

「へい! 担々麺と棒々鶏お待ち!」
「老酒と回鍋肉追加で!」
 雑然とした、城下の飯店。
 かなりの繁盛らしく、店は大入りだった。
 話は通っていたのか、店に入るなり一番奥の個室に案内された。
「疾風。此所は?」
「ご心配なく。私の手の者が経営している店で、店員は皆素性が確かな者ばかりです」
「そうか。それに、密談をするならばこのような騒然とした場の方が聞かれにくい……という事か」
「ええ。ふふ、白兎様。言った通りでしょう?」
「はい」
 そう言って、二人は互いを見合わせて微笑んだ。
「何の話だ?」
「疾風様が、父上にはくどくどと説明する必要はないでしょう、と仰せだったのです」
「歳三殿はそういう御方です。白兎様、くれぐれも肝に銘じて下さいませ」
 冗談めかして、疾風が言った。
「随分と、意気投合したようだな。白兎」
「ええ。月姉様とは勿論違いますが、何だか新しい姉様が出来たような気がして……あ、申し訳ありません」
 慌てて赤くなる白兎。
 間諜として厳しい修練を積んでいた筈だが、寧ろ感情豊かになっている気がする。
 ……いや、これが本来の白兎なのやも知れぬが。
「ほう。どうだ、疾風。このような妹ならば申し分ないか?」
「そうですね……。性格も素直ですし、間諜としての才も十二分に備えていますね。確かに、妹であれば良かったかも知れません」
「ならば、義兄弟、いや義姉妹となってはどうだ?」
「義姉妹、ですか?」
 私の提案に、二人は眼を丸くする。
「別に不思議ではあるまい? 血は繋がらずとも、兄弟、いや姉妹の契りを交わす、大いに結構ではないか」
「わ、私は……」
「無理強いをするつもりはないが、そこまで仲睦まじいのであれば、と思ったのだ。どうだ、白兎?」
 照れを隠しきれぬ様子だ。
 まんざらでもないようだが、疾風はそんな白兎をジッと見ている。
「歳三殿。白兎殿が困っておいでですよ」
「そうかな? そう言う疾風、お前はどうなのだ?」
「私は……」
 目を逸らす疾風。
「今すぐに結論を出せとも申さぬ。二人とも、よくよく考えるがいい」
「は、はい」
「……はっ。ところで歳三殿、本題に入らせていただきます」
 居住まいを正す二人。
「うむ」
「まず一つですが、洛陽で不穏な動きが出ていると知らせが」
「また、魑魅魍魎の輩が蠢動していると申すか?」
「はい。ただ、どうやら動いているのは十常侍ばかりではないようです」
「どういう事だ?」
「それが、詳細は未だ掴めていないとの事です」
 無念そうに、疾風は唇を噛む。
 月の力を削ぎ、何進を抑え込んでいる今、奴らが更なる蠢動をする理由がわからぬ。
 それに、宦官共以外に動きを見せているという存在。
 華琳や麗羽らが動く事はまずあり得まい。
 黄巾党の残党という可能性もあるが、如何に宦官共が手段を選ばぬとは申せ、それは己の首を絞める事になろう。
「確かに気になるな。何進殿や詠らにつなぎを付けるか」
「それが宜しいかと。……ただ、私自らは出向く事が出来ません」
 と、疾風は声を潜めて、
「士燮殿の調べが未だついておりません。何か、まだ隠された事実があるのは間違いないのですが」
「うむ。だが、洛陽の方も放置しておく訳にはいかぬな」
「……そこでなのですが。白兎殿を派遣するお許しをいただけないでしょうか?」
「白兎を?」
「はい。本来ならばもう少し修練を積んでいただきたいところなのですが、猶予もどうやらなさそうです。それに、白兎殿にとって洛陽は庭同然です」
「ふむ、確かにその通りだが。白兎」
「はい」
「お前はそれで良いのか? 決意が鈍るやも知れぬのだぞ?」
 白兎は頭を振って、
「いいえ。私は既に父上の娘です。何進様のご恩を忘れるつもりはありませんが、父上の意に背くような真似は出来ません」
「……そうか。それだけではない、かなりの危険を伴う事にもなる」
「父上。お気遣いは嬉しいのですが、疾風様の下にと決めた時から、とうに覚悟は決めています」
「危険を顧みぬ覚悟か? それならば、この話を認める訳にはいかぬぞ」
「いえ。危険に立ち向かい、何があっても生き残る覚悟です。そうでしょう、父上?」
 ふっ、察していたか。
 ならば、とやかく申す事もあるまい。
「うむ。月と何進殿には私が書状を認める。お前に託したぞ」
「お任せ下さい、父上。必ずや、お届けします」
 何とも、頼もしい娘だな。
「では、この件はこの手筈で。ゴホン、今一つ、報告がございます」
 疾風は咳払いをして、続けた。
「孫堅殿と劉表殿に、諍いの兆しがあるとの事です」
「原因は?」
「どうやら、長江水運の利権を巡っての事のようです。此方も、詳細は現在調査中ですが」
 それだけならば、隣接した他州での出来事と片付ければ良いが。
 疾風が態々この場で知らせるという事は、何か裏があるのであろう。
「続けよ」
「はい。どうやら荊州の内部で、この件は我らが荷担、或いは裏で糸を引いているのではないか、という疑念を持たれているようなのです」
「ほう。その根拠は?」
「まず、紫苑殿の事があります。ご承知の通り、この地に対して劉表殿が野心を抱いた際、紫苑殿の働きでそれが水泡に帰しました」
「……うむ」
「その紫苑殿が、劉表殿の元を辞す。……劉表殿ご自身はいざ知らず、周囲の将官が素直に受け取るとは限りませぬ」
「なるほど。全てが我らの仕組んだ芝居、と」
「そうです。無論、紫苑殿が我らのところに帰参するのは、紫苑殿ご自身の意です。ですが、それを証明する手立てがありませぬ」
 睡蓮(孫堅)との諍いを前に、劉表の主将を引き抜いた形になれば、当然睡蓮が有利になる。
 つまり、最初から荊州に野心を抱いていた、と讒訴する事も可能という事か。
 何とも悪意に満ちた解釈だが、考えられぬ訳ではない。
 ましてや、結果的には劉表に煮え湯を飲ませた格好になっているのだ。
「では、どうする? 紫苑に思い止まらせるか?」
「いえ、それは難しいでしょう。紫苑殿の意は固いようですし。それに、今から翻意すれば、それはそれで疑念を呼ぶだけかと」
 何とも、厄介な事態になったものだ。
「むむ……。一度、睡蓮とも話をしておくべきか」
「……難しいところですね。稟や朱里達に諮っては如何ですか?」
「そうだな。疾風、いずれにせよ動いて貰う事になるだろう。用意を頼むぞ」
「はっ!」
 いずれも看過出来ぬ事ばかりだが、必ずや打破出来よう。
 ……いや、打破せねばならん。

「失礼します」
 年配の男が、入口から顔を覗かせた。
 疾風が素早く席を立ち、男のところに寄っていく。
「どうした?」
「は。趙雲様と郭嘉様がお見えですが、お通しして宜しいでしょうか?」
「星と稟が?……歳三殿、二人に知らせてあるのですか?」
「いや。そのような猶予などなかったであろう?」
「確かに。どうなさいますか?」
「隠れる必要もなかろう。此所に通すが良い」
「承知しました。おい、素知らぬ顔で、この部屋に案内しろ」
「畏まりました」
 男もまた、素早い動きをしている。
「あの者がこの店の主人を務めています。機転も利きます故、任せています」
「でも、料理人としての腕も一流なんですよ、父上。話が終わったら是非、何か召し上がってみて下さい」
「わかった。……来たな」
 星と稟は、我らを見て一瞬、驚いた顔をした。
 ……無論、声を上げるような真似はせぬが。
「主達もお越しでしたか」
「星に、最近繁盛している飯店があるから、と連れてこられましたが。まさか、歳三様達まで」
「では、私が此処にいると知らずに参ったのか?」
「はい。この店のメンマ丼は絶品でしてな、是非稟にも試して貰おうと」
 ……またメンマか。
 他人の嗜好に口を挟む気はないが、星の場合はちと異様ではあるな。
「星。お前がメンマを持ち込んでまで、店主に作らせたのだろう? それを聞いた時は呆れたぞ」
「む? 疾風、何故それを知っているのだ?」
「……この店はそういう店だ。私が知っていて当然だろう?」
「なるほどな。道理で、店員の動きに無駄がなかった訳だ。いや、得心した」
 頷く星に、疾風はこめかみに手を当てている。
「とにかく席に着け。話がある」
「はっ」
「御意」

 そして、一通り語り終えた。
 自然、二人もまた難しい顔つきとなった。
「確かにどちらも厄介ですな。あの宦官共以外に、まだ良からぬ事を企む者がいるとは」
「ええ。ただ、喫緊なのは揚州と荊州の方でしょう。歳三様が仰せの通り、火の粉が直に降りかかりますからね」
「うむ。稟、お前ならばどう対処する?」
 腕組みをして、眼を閉じる稟。
 暫し思案の後で、一同を見渡しながらゆっくりと話し出した。
「……まず、紫苑殿については静観した方が宜しいでしょう」
「ですが、稟様。それでは紫苑様が危険ではありませんか?」
「ご心配なく、白兎様。紫苑殿はなかなか機知に長けています、恐らく窮地に陥る事はないでしょう」
「そうでしょうか? 荊州にも謀略に通じた人物がいると聞いていますが……」
 心配顔の白兎を安心させるように、稟は微笑む。
「ふふ。白兎様が思っている以上に、紫苑殿は強かですよ? ただ、手を打って置くに越した事はないでしょう……星」
「む? 私か?」
「ええ。歳三様、星に紫苑殿の支援を任せたいと思いますが、宜しいでしょうか?」
「お前に任せる。手筈は二人で詰めよ」
「ありがとうございます。必ずや、紫苑殿を無事にお連れします」
 稟の事だ、全て任せておいて間違いはあるまい。
「それから洛陽の方ですが。白兎様、出立前に打ち合わせをさせていただきたいのですが」
「わかりました」
「朱里にも加わって貰いましょう。風もいれば万全なのですが……いないものは仕方ありませんから」
 そう言えば、一行は今どの辺りであろうか。
 火急の知らせもない以上、特に変事もなし、と思っているのだが。
「どちらにせよ、今この場で全ては決められません。また明日以降に、という事で宜しいですね?」
「うむ。……では、自慢の料理を味わうとするか」
「父上、宜しいのですか?」
「言ったではないか、是非にとな。親として、子の願いを無碍にするつもりはないぞ?」
 白兎はパッと顔を輝かせた。
「はいっ! じゃあ私、注文して来ます!」
「お待ちなさい、白兎殿」
 苦笑しながら、疾風が白兎を止めた。
 そして、天井から下がっている鈴を鳴らす。
「お呼びでしょうか?」
 間髪入れずに、店主が姿を見せた。
 ……腕が立つ、というのは真のようだな。


 数日後。
 白兎が、番禺(ばんゆ)を発った。
 あまり目立った真似も出来ぬ故、私と疾風のみが見送った。
 供も僅か数名だが、役目上やむを得ぬ。
「では父上、行って参ります」
「うむ。くれぐれも気をつけて行くのだぞ。月に宜しくな」
「はいっ!」
「白兎。私の教え、無にするなよ?」
「わかりました、疾風様……じゃなくって、疾風姉様」
 一礼すると、白兎は馬に跨がった。
 その後ろ姿が、次第に遠ざかっていく。
「星も、夜陰に乗じて発ったようです。……皆の無事を祈るしかありませんね」
「そうだな。……戻るぞ」
「……はっ」
 寂しげな疾風の肩を、そっと抱いてやる。
「歳三殿……」
 疾風の香りが、私の鼻腔をくすぐる。
「……一つ、お聞きしても宜しいですか?」
「何か?」
「……白兎は私の義妹ですが。私もまた、歳三殿の娘と……?」
「そのつもりはない。お前が、それを望むのなら別だが」
「……いえ。私は娘としてではなく、一人の女として歳三様の傍にいたいのです」
「ならば、望むままで良い」
「……はい」
 疾風が、身体を寄せてきた。
 見事な月の下、その温もりを感じながら歩くのも悪くないものだ。 
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