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鋼殻のレギオス IFの物語

作者:七織
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第二章 【Nameless Immortal】
  弐 見えぬ分水嶺 

 
前書き
 何度も怪我をした。骨も折れた。暫く痣が残ったこともある。
 錬金鋼が握れないほど手が駄目になったこともある。服を脱げば消えない傷跡が幾つも残っているだろう。
 それでも終われば包帯を巻き、薬を塗ってくれた。
 武芸者としての在り方を優先させてくれてから、家事を無理にさせられることもなかった。

 家族なのだから助け合えばいい。だから、今は気にするな。いつか返してくれればいい。
 そう言われたけれど、それに甘えたくなかった。だから、必死に錬金鋼を握った。
 お金を稼がないといけない。稼いで、家族を助けないといけない。
 日々食べ物が減り、苦しくなっていくのを見てそう思った。

 愛情を向けてくれて、大事にしてくれた。
 それはきっと、家族だったからだろう。無条件での信頼がそこにはあったのだと思う。
 それが嬉しかった。だから自分も家族を大事にしたいと思った。いつか家族ができたら自分もそうしようと。

 だから、それを大事にしたいと思った。
 ずっと思っていた。
 それに疑問を持つ日が来るなんて。
 ずっと、思ってなんかいなかった。
 

 
 不夜城。
 夜も灯が消えぬ家城。眠りもせず動き働き続ける場所の呼び名だ。
 病院やインフラ施設ならば感謝の念を抱き研究室や飲食店ならば恐怖と黒の称号が冠せられる。
 今でこそ減ってきているが汚染獣が襲来してから暫くはそんな不夜城がツェルニでは増えていた。
 生徒会塔もその一つだ。

 膨大な事後処理や建設計画、補給物資や臨時予算の書類の認可。
 情報の収集・処理・告知とその指揮。
 臨時休暇による授業計画の練り直しに各学科長との打ち合わせ。
 今後に備えた対汚染獣戦におけるマニュアル作成や事前防護策の準備。
 などなど。
 
 一言でいえば生徒会の面々はとても忙しかった。
 差し入れの栄養ドリンクで備え付けの冷蔵庫が埋まる。かと思えば次の日には空になる。
 ふと気付けば冷蔵庫の横で詰みあがる箱の山。それくらいには生徒会は忙しかった。
 そしてカリアンはその中でももっと忙しかった。

 それでも一段落の目途が立ち昨日からは日が変わる前に帰れるようになった。
 家のベッドで寝れるのだ。泊まり込みをしていた当初から比べれば大きな進歩だ。

 生徒会長室で執務机の前に座るカリアンはペンを握る手を止めた。
 温くなった手首の冷シップをゴミ箱に捨て軽く伸びをする。
 疲れ故の息苦しさで服装もラフだ。上を脱いだ制服のシャツでネクタイも緩めてある。
 窓の向こうに見える空は既に日が落ち月が見えている。一年前なら既に帰っている時間だ。

 時計を確認しカリアンは椅子から立ち上がる。部屋の隅のハンガーにかけた制服の上着を纏う。
 まだ別室では他の生徒会役員たちが残っているだろう。カリアン自身まだ仕事は残っている。
 だが今日は別件で人と会う用事が入っているため帰らねばならない。もう一、二時間は仕事を片付けては置きたいが相手が相手だ。遅れでもしたら何を言われるか分かったものではない。
 先に帰ってしまうのは心苦しいが仕方ない。帰る際に一言詫びていけばいいだろう。

 栄養ドリンクの瓶を纏めて隅に寄せカリアンは机の上を片付け始める。書類を整理し引き出しや棚に仕舞い家に持ち帰っても問題の無いものを一か所に纏める。他の役員が忘れていった筆記用具も出てきたのでペン立てに差す。
 机の鍵を開け一番奥から封筒を出す。それを持ち帰る物と一緒に鞄に仕舞おうとすると部屋の扉をノックする音が響く。
 カリアンが返事をするよりも早く扉が開く。

「失礼します」

 入ってきたのはクラリーベル・ロンスマイア。
 今日会う予定だったうちの一人だ。

「君は二度目だが、返事があってから入ることを心掛けるべきだね」
「様子を聞いたレヴィさんから勝手に入っていいと聞いたもので。次から善処します」
「……はぁ」

 どっちに向けたのか分からない溜息をカリアンはつく。
 
「それで、どういう要件かな」
「話があるというので呼んだのはそっちでは?」
「ここではなく私の家で、それもレイフォン君も一緒にの予定だったのだがね。時間も早い。……まあいい。君の考えていることは大体わかるから納得しよう。座ってくれ」

 勧められたままクラリーベルがソファに座る。
 カリアンは鞄から封筒を取り出す。部屋の扉の鍵を閉めたのちネクタイを整え、テーブルを挟んでクラリーベルの対面側のソファに座る。
 
「どうかしたかい?」
「ああ、いえ。何も」

 執務机の上を眺めていたクラリーベルが視線を戻す。

「本来ならフェリも交え料理でもつつきながらと思っていたのだがね」
「非常に心そそられる提案ではありますがまた今度ということで」
「何にせよ堂々とここに来るのは避けて欲しかったよ」
「牽制ですかね一応。私を通そうとしたのは義理を感じましたが」
「それはよかった」

 わざわざ手紙を渡す順序をフェリに言ったかいがあったとカリアンは思う。
 もっともこの様子ではレイフォンの方に渡ったのかは疑問だが。

「茶の一つも出せないのは申し訳ないが本題に入ろう。君たちを呼ぼうと思ったのは見て欲しい物があるからだ」

 カリアンは封筒の中から一枚の写真を出しクラリーベルへ向けて差し出す。
 だがクラリーベルは受けとらず口を開く。

「先に言っておきますが私兵になるつもりはありません」
「まだ私は何も言っていないよ」
「人目を避けてわざわざ私たち二人をという時点で想像はつきます。いざとなれば出ていくこと忘れてはいませんよね」
「勿論。だが写真を見てから決めてくれてもいいのでは?」

 クラリーベルの判断基準がどこにあるのか厳密にはカリアンは知らない。知らないからこそ判断を仰ぐ。
 なのにその判断を下すための材料を見ずに決めるのは早計ではと告げる。

「知った責任は? こちらは見ない事を理由に出ていく事も出来ます」

 だがクラリーベルはそれを否定する。
 知ることで生まれる責任というものを懸念する。

「現時点で不誠実と拒絶するならそうだね。だが私はこの間の君を、シェルターは守るといった優しさを信じるよ」
 
 クラリーベルが僅かに眉間にしわを寄せる。
 ポケットを漁ったクラリーベルは小封筒を取り出す。常のそれと違った様相のそれは中を見ずとも何の入れ物か分かる。
 チケット。それも放浪バスの物だ。見せるという事は恐らくは近々出るバスの物だろう。
 封筒の汚れや折れからして今のために買ったわけでは無い。有る程度定期的に買っているのだろうとカリアンは推測する。

 その封筒を数秒眺めたカリアンは口端を緩め小さく笑う。

「わざわざ見せてくれるとはね。ほら、やはり優しい」

 クラリーベルが眉を顰め嫌そうに表情をゆがめる。
 それを見て自分の考えは間違っていないとカリアンはククと笑う。

 チケットを出すなら最初の時点で出してもよかったのだ。十分に脅す道具になる。
 それにその用意を知られるのは不利に働く可能性も大きい。破談したのならチケットを使いさっさと黙って出ていけばいいのだ。
 だからこそ今になって出したのはそれこそ一応の牽制でしかない。

 踏み込もうとしてきたカリアンへの最後通告という見方もあるにはある。
 だがそれにしてはクラリーベルは何も言葉を発しなかった。性格からしてそれと匂わす勧告や軽口があってもいいはずだ。
 ならばこそただの牽制の道具でしかない見せかけの脅しだろうとカリアンは判断した。

 最終的には切る手札だが可能な限り切りたくはない。だから最終的な手段を先に掲示し相手に自制を求めた。
 場合によっては協力してもいい。だがこっちが線引きしていることは弁えてくれ。
 譲歩の余地があることを暗に示している。何とも優しいことだとカリアンは思う。

「君も難儀なことだね」
「色々務めがあるんですよ。そう思うなら自重してください」

 否定しないのだなとカリアンは思う。

「……拝見します」

 実に嫌そうな顔をしたクラリーベルが写真を受け取る。
 正常な方向で、逆さで、少し離して、少し近づけてとクラリーベルは映っている物を見る。
 先ほどまでとは違った意味でクラリーベルは眉をひそめる。

「これはどこで?」
「この間のことを教訓にしてね。探査機を飛ばした外部調査を行う様にしたんだ」
「いい心がけだと思います」
「それはどうも。出来ればそういった意見も君たちからは……そんな目で見ないでほしいね。まあこの話は後にしよう。その写真は先日飛ばした探査機が撮った物だ。現時点でのツェルニの進行方向上にあるものだ。遠くからで画質も荒いが気になったものでね」
「……これを知っている人はどれだけいますか」
「私とその探査機の関係者、それと他数名くらいかな。口止めはしてあるがつまりそういうことだと」

 テーブルの上にクラリーベルは写真を置く。
 写真は荒野の中にある山を映したものだ。緑の欠片もない荒れた山肌の一部が変色していた。ボヤけて見づらいが「ナニカ」が山の斜面に張り付いている様にも見える。
 周辺から推測してその「ナニカ」は小山ほどの大きさだろう。
 
「恐らくは御察しの通りだと。断定できませんが大きさからして期を経た雄性体でしょう」
「そうではないことを願っていたがやはりか」
 
 汚染獣。その脅威が再びツェルニへと鎌首を向けていた。
 
「幼生体と比べるとそれはどれくらい……」
「危険は格段に上がります。脱皮の回数によりますが一期や二期程度ならツェルニの武芸者で対処できるかと。被害を恐れなければ、ですが」

 基本的に汚染獣は脱皮するごとに羽根が発達し飛行機能が優れていく。
 一度飛ばれてしまえばツェルニに到着するまで手出しが出来ない。縁外部で戦えれば御の字だが前回の幼生体では殻を砕くのでさえ小隊員クラスが苦心してやっととのこと。殻の上からの衝撃でどれだけダメージを負わせられるか。
 それに汚染獣は臭いで判断しているのか(えさ)が多い場所へと向かう。
 シェルターへ一直線に飛ばれたら被害の規模も大きくなる可能性が高い。建造物の被害も増える。

 そのようなことをクラリーベルはカリアンに告げる。

 実際のところ、都市の外で迎え撃つとしたらより悲惨な可能性が高いだろう。
 ただの一撃、掠るだけでも致死の傷に繋がるのだ。後ろに下がっても医療的救援も存在しない。
 何よりもまだ幼生体戦の恐れが強い。怯えから一人でも恐慌に駆られれば伝播する。

「運が悪いというよりほかないな。仮にだが、君たちなら対処できるかい」
「雄性体なら問題ありません。ただ見る限り結構大きいので……汚染獣の中でも繁殖を捨てた老成体という個体は危険度が跳ね上がります。グレンダンでは天剣の請負でしたのでそちらの経験はありません」
「そうか……」
「私が言うのは何ですが気負っても何も変わりませんよ 」
「分かっているよ。だからこそこうした時間を設けたのだからね」

 カリアン自身、前回の汚染獣戦を見てこれは荷が重いと判断したのだろう。
 だからこそ曖昧な状態でクラリーベルに見せた。杞憂ならそれでよく、懸念が当たるなら情報を遮断するために。
 クラリーベルもカリアンのその判断は正しいと思っている。何人か死ぬだけで対処できるなら無視するが今のツェルニでは厳しい問題だ。
 現時点では外に出てもいたずらに不安を煽る害のある情報でしかないだろう。
 
「で、あなたの要件は旅行に行って欲しいというわけでしょうか?」
「それも彼とツーリングでね。車体と機材一式、各種手当に休暇と全部用意しよう。日程は一週間後くらいかな。授業が再開する前には終わるよ」
「その情報はどうでもいいです。……この写真、貰っていきますね」

 クラリーベルが写真をポケットにしまう。
 
「引き受けてもらったと考えていいのかな?」
「一応は。レイフォンと話す必要がありますし汚染獣が何期かにもよりますけど」
「ありがとう。実は色々と込み入った事情もあってね。本当に助かる」
「後出しは嫌いなんですが。どういったものか聞いても?」
「ああいや、そういう類ではないよ。簡単な話さ」

 その事情をカリアンは語る。

「……なるほど。確かにありそうですね。まさか週末の再開はそれが?」
「ああ。まあそういうわけでね。肩の荷が下りた気分だよ。少しだけだがね」
「任された方は荷が増えましたがね」
「ふふ、全くだ。なら私はその荷が消える様、ツェルニの進路が変わるかそもそも見間違いだったことを祈るよ」

 都市の行動を統べるという電子精霊。
 未だ見たことの無い存在をカリアンは思い浮かべる。

「必要な人材はこちらで用意しておこう。追加情報が入ればそちらに報告するよ。今後も君を通した方が良いかな?」
「そうして下さい。こういった扱いだと一応私を通して貰わないと陛下に逆らうことになりかねないので」
「了承した。君たちの武力を頼る場合は可能な限りまず君に伝えるよ」

 一通りの話が終わりクラリーベルが立ち上がる。  

「それとこれは話がずれるが……出来ればフェリに余り厳しいことを言わないでくれると嬉しい」
「一応そんなつもりはなかったんですけどね。善処します」
「やはり今日何か言ったんだね。レイフォン君は何も知らなそうだ」
「……そういう引っかけ嫌われますよ」
「よく言われるよ」

 クラリーベルが鍵を解除し部屋の扉を開ける。
 外に出ていこうとし……クラリーベルは視線を部屋の中に戻す。執務机の上を一瞥したのちカリアンへと視線を向ける。

「あの、なんといいますか……ご苦労様です」
「うん? ありがとう」

 よく分からないままカリアンは礼を返す。
 それだけ言ってクラリーベルは部屋を出ていく。

 扉が閉まるのを見届けたカリアンはソファから立ち上がる。
 何事も無く終わればいい。そう思いながら窓の外の月空を見る。

 何はともあれ今日の用事は終わったのだ。
 もう少しだけ仕事を片付けようとカリアンは執務机に戻りペンを握った。
 














 そしてそれは夜遅くのこと。
 時間帯で言えば、グレンダン組三人が夕食の席で汚染獣の情報を共有し、各々が自室に戻りベッドに入った後。

 深夜、帰宅しダイニングの電気をつけたカリアンは思った。
 やっちまった。と。
 テーブルの上に並ぶ実妹の努力の結果がカリアンの良心を殴りに来ていた。

「……」

 カリアンは無言で佇む。ふとキッチンを覗き込み刻まれた努力の跡地に一層恐れが増す。
 完全に妹の事をカリアンは忘れていた。
 クラリーベルとレイフォンを呼ぶから準備をしておいてくれ。そう自分が頼んでおいたのにだ。
 
(フェリは……)

 電気が消えていた所から見て先に寝た、と見るのが妥当だろう。
 それまた良心が抉られるが鉢合わせするよりはまだマシだ。

 それにしても、と、改めてキッチンをカリアンは見る。
 シンク周りには食材の残骸と未洗浄の使用器具がある。
 ワークトップには切り傷が刻まれ真っ白だったコンロ脇の壁に焦げ跡が。
 換気扇が回っているにもかかわらず残留している鼻をつく異臭。
 フェリは料理をしようとしたのだろう。そしてこの惨状が残されたのだ。

 カリアンは料理をしない。フェリとて同じだ。素人ならば不調法であろう。
 それでもどうすればここまで出来るのかとカリアンは畏怖を抱く。
 使い終わった器具を水につけて置く程度の知識はあったのだろう。
 だが上面に張られた油膜と底が見えない水の色が恐ろしい。

 カリアンは気持ちを落ち着けリビングに戻る。
 テーブルの上にあるのはどう考えてもフェリの手料理だ。考えなくてもフェリの手料理である。
 妹の手料理など初めてだ。兄冥利に尽きると言えば聞こえはいい。
 だがカリアンの脳はその料理を料理?と認めていた。料理(仮)でもいい。

 取りあえず黒い。何か融けている。
 辛うじて料理に見えるものもある。だがなぜラップが侵食されている。
 緑のサラダだけがオアシスである。何故か油ぎっているが。

 今まで抱いていた恐れは不安に変わる。フェリがここまでだとは思っていなかった。
 何かの際、無事に生きていけるのだろうかとカリアンは思う。

 テーブルの端にはビニール袋も置かれている。中身はどうやら惣菜品のようだ。
 手料理の不出来を悟り買いに行ったのだろう。カリアンはせめてもの情けに感じられた。

(プライドの高いフェリが自分の失敗を……それだけ気にかけたのか。様子からして時間が足りず慌てて買いに行き洗い物は残ったのか)

 無駄な推理をカリアンはする。未だ思考が現実に半歩追いつけていないのだ。
 
(まて、だとすると何故フェリはいない。先に寝たという推測が正しいなら洗い物は終わっているはずだ。仮にキッチンは覗かれなければ済むと考えたとしても惣菜は袋から――)

 ペタペタ
 ペタペタと
 不意に足音が聞こえた。段々と音は近づいてくる。
 ホラー映画の主人公にでもなった気分だ。事態を理解しているのに体は動かない。
 そしてカリアンの耳は背後でダイニングのドアが開く音を捉えた。

「……兄さん、帰ったんですね」
「あ、ああ。つい先ほどね」

 カリアンは振り返る。制服姿のままのフェリが眠そうな顔でカリアンを見ていた。
 フェリはダイニングにかけてある時計を見る。
 
「済まないね。仕事で帰るのが遅くなった。寝てたのかい?」
「ええ。疲れたので皆が来るまでと自室で……どうやら寝すぎてしまいました」
 
 少し声の調子を落としフェリが言う。

「あの、二人は……」
「……来ないよ。向こうにも都合があったようでね。話し合いは会長室で終わらせてきた」

 嘘は言っていない。言える内容としてはこれが限界だろう。
 信用されてないから家には来ない、などと今のフェリに言う気にはなれない。

「……そうですか」
「悪かったね。もっと早く伝えるべきだった」
「ええ全くです。ただ最近忙しいようですし許してあげます」

 普段よりも悪態に元気がない。傍目からは平常に見えるが心の中は別だろう。
 念威操者特有の変わらぬ表情。それでもカリアンはその奥に予想がつく。
 フェリは来るはずだった二人と多少なりとも友好を築こうとしていたのだろう。

 元々がどうだったのかカリアンは知らない。けれど先日の汚染獣戦でグレンダン組と……正確に言うならクラリーベル・ロンスマイアと隔たりらしきものが生まれた事は知っている。
 向こうがそれをどう思っているかは分からない。けれどフェリは気にしている。
 心を覗くつもりはないが奥底にあるのは才能を持つ者へのシンパシー染みたものだろう。
 近づく気があったのかは不明だが、そんな相手からフェリは明確に拒絶された。されたと考えた。
 今日がその隔たりを近づける役目になればと思っていた。

 だから厭う兄の頼みを素直に受けて伝令役になった。手料理など作ろうとした。
 捻くれているがフェリとしては頑張ろうとしたのだとカリアンには分かる。
 けれどそれは徒労に終わった。
 一端を担ったカリアンは少しばかり居心地の悪さを感じる。
 
「……どうせ食べていないのでしょう。惣菜を買ってあるのでどうぞ」
「ありがとう。フェリは?」
「私は余りお腹が空いてませんので。……それ片づけますね」

 フェリがカリアンの横を抜け袋の中の惣菜をテーブルの上に出し、手料理を片づけ始める。
 片づけるフェリの手に絆創膏が貼られているのをカリアンは気づく。
 慣れない料理で怪我をしたのだ。
 パッド部が薄らと赤く滲んでいる。白く細い指は幾つもの絆創膏に覆い隠す歪で痛々しい。

 恐れから始まった不安は憐憫へと変わる。
 そして全力でカリアンの良心を刺殺しに来る。
 フェリは一つ目の自作料理をキッチンへと運び生ゴミとして捨てる。
 それを認識してカリアンは動く。二つ目のさらに手を伸ばしたフェリの手を掴んで止める。

「あの、何か」

 居心地の悪さと良心の痛みから咄嗟に止めたなどとは言えない。
 カリアンは脳みそを無駄にフル回転させ言い訳を喋り出す。
 言い換えると全力で墓穴を掘り始める。

「折角作ったんだ。全く手を付けないなど勿体ない」
「ですがこれは」
「私も空腹でね。惣菜も貰うが可愛い妹の折角の手料理だ。確かに見た目は難だが……一口くらい良いだろう?」

 今更ながらに実物を見直して咄嗟に一口と限定したのは内緒だ。
 幸いながらフェリは気づかなかったようだ。カリアンはフェリの手を皿からどける。
 席に座りかけたカリアンはフォークが無いことに気付く。

「それなら私が」
「いい。自分で用意するよ」

 キッチンへ入りカリアンは食器棚からフォークとスプーンを取り出す。
 ついでにコップも出してさり気なく冷蔵庫を開け紙パックのミルクも用意する。
 
「兄さん。気を使っているのでしたら私は別に……」
「そんなことは無い。思えばフェリの料理なんて食べた事がないだろう。一度くらいはと思ってね」

 まあ、実を言えば全力でそんなことはあるのだが。
 しかしながら一度発言したら消せないのは政治家業の性。カリアンに撤回する術は無い。
 
「それにその手を見ればわかる。妹の努力の成果だ。兄としてそれをゴミにさせるのはね」

 ペラペラペラペラと舌が回り耳聞こえのいい言葉を吐いて政治家力を発揮していく。
 自分で自分を追いつめるのが趣味なのかと言われそうな光景だ。

「……私たちの立場は悲しいが成果が伴わなければそっぽを向かれるものだろうね。駄目だった結果を見てそれを気にするなとは言えない。だがせめて家の中では……身内でくらいは努力を評価しても罰は当たるまい」

 通り抜けざまカリアンは丁度いい高さにあった軽くフェリの頭をポンと叩く。
 普段のフェリなら下らないと一蹴しただろう。或いは言われるまでもなく無理やりにカリアンの口に料理を突っ込んでいた。
 だが今のフェリはそのどちらでもなく、カリアンの言葉で落ち込んでいた雰囲気が僅かに和らぐ。
 
「そうですか。ならご自由に。クレームは受け付けませんが」
「批評くらいは受けて貰いたいがね」

 軽口を叩いてカリアンは席に座りフォークを握る。
 これで逃げ道は無くなった。というか自分で潰した。
 覚悟を決めて焦げ茶色でデロデロに融けた何かが載った皿を寄せ、辛うじて形を保っている何かをフォークで刺して持ち上げる。するとあら不思議。硬い音がして焦げ茶色のコーティングが剥げ下からは真っ黒な固形物が。黒い物体は刺した衝撃でボロボロと崩れて落ちる。
 どう見ても炭化している。
 
(……私はこれを勿体ないなどと評したのか)

 衝撃が走るが手を止め異常を悟らせるわけにはいかない。すぐさまスプーンに切り替える。
 もうこの時点でカリアンは先ほどまでの自分の行動を後悔していた。

 デロデロの何かを掬いカリアンは口元までゆっくり運ぶ。
 本当なら直ぐに手を止めこの場を去りたい。言った言葉など撤回したい。
 普段のフェリ相手なら、この事態にカリアンの非が無いならそうしていた。
 だが、だが。それはもう無理な話だ。
 僅かに期待を浮かべる妹を追いつめる真似をカリアンは今からなど出来ない。

 せめてもの希望はこの料理に食べられる食材が使われたという事。
 特殊調理が必要なものもあるが買うには資格がいる。フェリには無理だ。
 料理にこんな思考など持ちたくないが、最悪でも死にはしないはず。

 覚悟を決めたカリアンがスプーンの中身を少しだけ口の中へ入れる。
 ドロリとした何かが舌の上を侵していく。
 
「…………………………………………………………………………………………」

 脳を衝撃が突き抜け一瞬意識が飛ぶ。
 噴き出さなかったことをカリアンは自画自賛したかった。
 思わず上がりかけた悲鳴を懸命にこらえる。
 魔女の煮込む鍋のスープを飲んだ気分だ。
 
 洩らさないようにと唇は一文字に引き絞られながら、これ以上味わうなと本能からの指令が飛び舌は微動だにしない。
 まるで自らの舌が溶かされている様な錯覚に襲われる。
 衝撃はそのままに次第に味が薄くなっていく。味覚がマヒしたのか。それとも味蕾が壊されているのか。
 味覚を失う恐怖にカリアンはコップに注いだミルクで口の中の物を流し込む。
 
「ン、んんんん…んン…ふう。そう、だね。フェリ、味見はしたのかい?」
「いえ、していません」
「なるほど」

 二杯目のミルクをカリアンは飲み干す。

「何というか、独創的な味だね。初心者はアレンジをして失敗しがちだと聞くが、まずはレシピに忠実に――」
「取りあえずレシピ通りにしたつもりです」
「なるほど」
 
 在りえないほど基礎が無いのか、それとも「つもり」がズレているのか。
 何故食事で命をかけなばならないのか。
 手料理は時に家庭の味などと評されるが、これがロス家の味なら一族は滅亡している。
 取りあえずスプーンの残りをカリアンはミルクで流し込む。

「疲れているんだろう? 片付けは私がするから先に寝るといい」
「少し寝ましたし自分の後始末くらいはします」
「なるほど」

 さり気なく退出を薦めるが断られる。どうやら逃げるのは無理らしい。
 恐怖と震えを理性で殺し二皿目をカリアンは手元に寄せる。

「あの、無理なら別に」
「不可能という事は無い。それにこの機会を逃せばフェリの手料理何てもう食べられることは無さそうだ」
「……それなら今後も作りましょうか? 練習するいい機会です」

 兄の言葉の変化にも気づかずフェリはぶっきらぼうに、どこか面白げに言う。
 料理を喜ばれたことが多少なりとも嬉しかったのだろう。

 やめてくれと言えたらどれだけいいだろうとカリアンは思う。
 だが最近落ち込み今日追い打ちしてしまったフェリを突き落すことになる。

 どうせ二、三日程度だ。辛辣な言葉は今日でなくても少し落ち着いてからで問題ない。
 フェリとて毎日作りはしないはず。有ってもあと一回程度。どうせすぐ飽きる。
 カリアンはそう思った。思ってしまった。

「それならそれもいいね」

 後日、カリアンは悔悟した。疲れと衝撃で頭がおかしくなっていたと。 
 その日、カリアンは自ら地獄の扉を蹴り飛ばした。

























 何事もなく終わればいい。
 曇り空を見上げてニーナは思う。
 
 ここ数日は晴れていたのに月の姿が視えない。夜空は今日に限って装いを変えていた。
 粗末な水墨を走らせた如く煤こけた空雲は月を隠し、人工の明りが際立っている。
 
 外縁部には放浪バスで訪れた来訪者用の施設が設けられた区画が存在する。
 放浪バスの停留所もあるその区画に存在する宿泊施設。外から来た来訪者は基本的にそこに滞在する。
 都市内部はあくまでも学生たちの物であり、部外者は自由がやや制限されるためだ。

 その宿泊施設が並ぶ通りの片隅にニーナはいた。
 武芸科の制服に身を包み夜闇の中に立っている。
 視界の先には宿泊施設のうちの一つが映っている。  

「アントーク。悪いがもう少しかかる」
「分かりました」

 張りつめた空気の中、何人もの人員が静かに動く。
 今日ニーナがここにいるのは都市警からの要請を受けたためだ。
 ニーナに話しかけた都市警の男子生徒、養殖科五年のフォーメッド・ガランは腕時計で時間を確認する。
 小柄だがしっかりとした体格の彼がニーナに要請を出した張本人だ。鍛冶屋のように太い腕に巻かれた時計でフォーメッドは時間を確認する。

「にしても悪かったな。昨日の今日で忙しいだろう」
「怪我は癒えていますので問題はないかと」
「それもあるが精神的にもだ。もう少し後でもよかっただろうに会長は何考えてるんだか」

 鍛冶屋か大工を思わせるような太い腕を組んでフォーメッドが愚痴る。

「……慣れた事です。それに力が必要だというなら断る理由はありません」
「外聞は余り気にしない方が良いぞ。ここ最近は人員が足りないから正直助かるがな」

 武芸科には都市警に対する臨時出動員枠というものが設けられている。
 元々余り潤沢ではなかったが汚染獣戦以降は大幅に欠員が出ている。だからこそ出られる者がいるなら重宝される。それが小隊員というエリートならば尚更だ。
 エリート意識からか「自分の仕事ではない」と小隊員は臨時出動員にはなりたがらない事情もある。
 
 ニーナが都市警に協力し始めるようになり既に一年以上が経過している。
 そんな中、フォーメッドは度々顔を合わせてきた知人だ。

「特に今回は時間がない。うちの学生の努力を奪う連中を逃がすわけにはいかん」

 フォーメッドが怒り込めて吐き捨てる。
 瞼を閉じ神経を集中しながらニーナは数時間前に要請を受けた時の説明を思い出す。


 事の発端は約二週間前。あるキャラバンの一団がツェルニの到着した。
 碧壇都市ルルグライフに居を構える流通企業ヴィネスレイフ社のキャラバンだ。
 彼らは商業科が主として立つ営業窓口を訪れ複数都市の新聞、映像、小説、雑誌等のデータを売り代わりにツェルニの新聞や新種作物のデータなどを買った。
 以降二週間に渡り一団は宿泊施設に滞在している。
 それ自体は問題ない。放浪バスの往来は基本不規則だ。場合によっては月単位で待つこともある。
 
 だが彼らの目的は通常の商売ではなかった。

「一週間前、農業科の研究室が荒らさデータバンクへの不正アクセスが検出された」

 アクセスされたデータは学園都市連盟での発表前の新種作物の遺伝子配列を複数。
 つまるところ窃盗だ。

 現行犯でない窃盗を捕まえるには証拠が必須だ。
 データチップは小さく発見しづらい。何より交易品のほとんどはデータだ。木を隠すなら森の中である。証拠無しに荷物検査をして見つかりませんでしたは後に尾を引く。
 犯人たちは監視システムも沈黙させて犯行に及んだ。だが沈黙させられ無いものもある。

「連中も人の目は誤魔化せなかったようだ。こっちもそいつを探すのに時間がかかったがな」

 準備が整った今夜、交渉人が赴きデータの返還請求が行われる。
 不正コピーを考慮しデータ関連の商品と所持品の全没収も通達を行う。

 ツェルニには犯罪者を長期収容可能な施設は無い。
 犯罪を犯した場合は学生なら停学か退学。異邦人なら基本的には都市外追放だ。
 レギオスは閉鎖された空間だ。逃げ場があるわけでは無い。抗えば死刑や強制追放という事実上の死刑になる可能性もある。
 馬鹿な真似はせず基本的には都市警の勧告に従う。

 だが何事にも例外はある。

 閉鎖された空間で無くなれば。
 それこそタイミングよく放浪バスが訪れていれば話は変わる。
 色々と理由を付けてバスの出発を遅らせはした。だがそれでも遅くても明日の早朝に出てしまう。 
 退路がある以上、相手方との荒事になる可能性が高い。

「だからお前さんに協力してほしい」

 そうニーナはフォーメッドに頼まれた。
 ニーナ自身断る理由は特に無くそれを受諾した。
 明確に判明している犯行への処罰だ。迷う必要がない。

 
 
 自分に向かってくる気配に気づきニーナは瞼を開く。
 
「お久しぶりですニーナ先輩」
「確か、ナルキだったか。久しぶりだな」

 記憶を探り思い出す。前に一度会っている相手だ。
 久方ぶりにあった後輩はニーナと同じく武芸科の制服に身を包んでいる。

「前の打ち上げ以来か。そういえば都市警にいると言っていたな」
「はい。フォーメッドさんが上司なので今後もお会いする機会があるかもしれません」
「その時はよろしく頼む」

 ナルキが頷く。そして少し困ったような顔をする。
 何か言いたいが、それを言って平気か迷っているのだ。

「その、昨日は……お疲れ様でした。ただ映像を見ましたが尋常ならざる力量に感嘆しました。先輩を始め小隊の方々は流石だと少し奮起させられました」
「ありがとう。慰めてくれるために話しかけてくれたのか?」
「ああいや、そういうわけではなくてその」

 再びナルキは言いづらそうにする。
 ただ今度はどちらかと恥ずかしそうにしている。
 どうやらこちらが本命のようだ。

「……実は私は前回の汚染獣戦で第十七小隊の指揮下に配属されました。直接ではなくとも先輩には多分に助けられました」
「そうだったのか。済まないな知らなくて」
「いえ、あの状況では気づかれなくても仕方ありません」

 ナルキが小さく頭を下げる。

「それでも私はその姿に勇気づけられ、いつかはああなりたいと。その事と礼を伝えたい思いまして、だから今日は……ああいや、元々は窃盗団が許せなくて無理を言ってきたのですが、先輩が来ているというので言いに……いや、違う、ついでというわけでは無くて。その何と言いますか」
「言いたいことは分かる。ありがとう」

 テンパったナルキは酷くばつが悪そうだ。
 それでも純粋な好意を向けてくれることは分かる。それがニーナには嬉しい。

「ところで無理を言ってというのは?」
「え? えっとその、まだ傷が……いや、大したことではないので気にしないで下さい」
「そいつはこないだの汚染獣で大怪我してな。まだ完治してないんだ」

 フォーメッドが横から口をはさむ。
 上司からの告げ口にナルキは慌てる。
 
「ちょ、フォーメッドさん何を」
「お前に何か言う権利は無い。犯罪武芸者が許せないのは勝手だが、治るまで出るなと言ったんだがな。突っ走られても困るしどうしてもと言うから待機要員として連れてきたんだ」

 反論できずナルキが目を逸らす。
 大怪我と言われてニーナはナルキの体を見る。

「大丈夫なのか怪我は」
「……激しい動きをするとまだ痛みますが、普通にしている分には」
「その「普通」じゃこの場で役には立たんだろ。引っ込んでるようにな」

 それ以上言われる前にナルキがそそくさと自分の場所に戻っていく。
 苦笑するニーナにフォメードがぼやく。

「ああいった奴まで動員せなきゃならんとは悲しい話だ」
「時期が悪かっただけです。都市警の不手際ではない」
「そうは言うが結果が伴わなければクレームが入るのは変わらん。本当ならもう一人二人確保できればよかったんだが、流石に忙しいと断られた」
「他にも要請を?」
「……ああ、お前さんは知らんか。うちの班との関わりは少ないが昔から都市警に手を貸してくれる手練れの武芸科生がいる。まあ、本当に時期が悪かったな」

 機動隊員の一人がフォーメッドにサインを送る。
 フォーメッドがそれに答える。

「準備が終わった。頼むぞアントーク」

 ニーナは頷き耳にイヤホンを付ける。
 コードは懐の短距離型通信機に繋がっている。フォーメッド達と連絡を取るためのものだ。
 
 宿泊施設の周辺には都市警の機動部隊が隠れて配置されている。
 ニーナが同行するのはそれとは別の二人組の交渉人の方だ。
 常ならまずは彼ら二人だけで通達に行くが、今回は諸々の状況を考慮しニーナがつくことになっていた。
 ニーナが武芸科の制服なのは中に入る為であり悪戯に相手側を刺激しないためだ。

「よろしくお願いします。相手側への通達は私達が全て行うので近くについていて下さい」
「わかった。では行こう」

 交渉人についてニーナは宿泊施設の中に入る。
 既にフロントには話を通してあるので余計な手間は無い。
 
 外から見た際、該当の部屋に明りは無かった。宿泊施設内で時間を潰す場所は少ない。
 ロビーに隣接している喫茶店。そこに一団はいた。
 
 喫茶店内にはそこそこの客がいた。テーブルの幾つかは埋まっている。
 放浪バスで乗り換えをする際は目的地か目的地に近い場所に向かうバスが来るまで滞在する。それが無理なら引き返す事もある。
 目的のバスが来ず滞在している人が今は多いということだろう。

 壁際のテーブルを交渉人の一人が視線で示す。
 四人掛けのテーブルに男達が座っていた。それぞれ金髪のオールバック、ピアスを付けた黒髪、黒の短髪の三人だ。その中の一人が目撃された人物だ。トランクケースを脇に置きテーブルの上には軽食と酒が並んでいる。

「マズイな」

 交渉人が呟く。
 情報ではキャラバンは男性が五人のはずだ。あとの二人が見当たらない。
 周囲の席を見渡すが二人だけで席に座っている者はいない。
 外へ出ていない事は確認している。食堂など他の場所にいるのだろうか。

 だが一旦引き返すわけにもいかないようだ。
 三人組がニーナたちの存在に気づき視線を向けていた。

 交渉人は三人組に近づいていく。ニーナもその後に続く。
 都市警の身分証を相手にかざす。
 
「都市警の者です。ウォルグ・フィリオさん、並びにヴィネスレイフ社のキャラバンの方ですね」
「あ? しらねーよそんな奴」

 明らかに小馬鹿にした態度で目撃情報のあった男がせせら笑う。
 癪に障る声に怒りを覚えながら、どこかにいるはずの残り二人を見逃さぬようニーナは周囲に意識を割く。
 交渉人は裁判所が出した令状を三人に示す。

「あなた方による農業科のデータ窃盗は判明している。身柄を拘束します。他の二名は――」
「だーかーらー。知らねえってそいつ言ってんじゃん。酒の邪魔だ消えろガキ」

 別の男がテーブルが強く蹴りつけ大きな音が響く。男たちの声も大きく周囲の視線が集まる。
 交渉人たちの体が一瞬ビクつく。それを見て男たちはまた馬鹿にした視線を向ける。

「オイ、見世物じゃねえよ。何見てんだ手前ら」

 再度男がテーブルを蹴りつける。周辺客の大部分の視線がよそを向く。
 
「こないだの汚染獣戦で大変なんだろ。遊んでねぇでもっと都市の為になることしてろよ穀潰しども」
「おいおい、寧ろそれ穀潰しが死んだばっかじゃねェか」
「はは確かにそうだ! ってことはゴミばっかかよ此処!! ……おい、酒が不味くなるからさっさと消えろって言ってんだろ」

 男の一人が酒瓶を交渉人に向かって乱暴に投げる。
 ぶつかる寸前で前に出たニーナの手が酒瓶を掴む。掴み、テーブルの上に叩きつけるように戻す。
 大きな衝撃音が響く。酒瓶に罅が入り衝撃に撓んだテーブルが一瞬浮く。男たちの嗤い声が止まる。
 激しく燃える怒りがニーナの心中で荒れていた。

「死者を愚弄して楽しいか貴様ら。恥を知れ屑が」
「知らねえよ。なら教えてくれんのか? 後ろで黙ってたけど結構見れる顔じゃん。お前だけ残ってってベッドで教えてくれよ。第一何の証拠があって屑呼ばわりしてんだ」

 叩きのめしたくなる怒りを抑えながらニーナは僅かな違和感を相手に感じる。相手の様子にどこか齟齬がある気がした。
 金髪の男から伸ばされた下卑な手をニーナは払い落とす。

「犯行を目撃した証人がいる。捜査も住んでいる。言い逃れはさせん。大人しく従え」
「どこの誰だよそいつ。連れてこい。優しく聞き直してやるよ」
「そんな権利があると思うか貴様らに」
「それ捏造し放題じゃねえか。部外者だからって大勢の前で恥かかせるとかどう落とし前付けてくれるんだよ」
「……話にならん。強制執行させて貰う」

 怒りをこらえながらニーナは抑えていた剄を静かに体に巡らせていく。
 強化されたニーナの瞳は三人の体に流れ始めた剄を捉えていた。三人とも武芸者だ。
 ニーナの眼では細かくは捕捉できないが、三人が少しずつ剄を巡らせていくのが分かる。
 その情報を伝え応援を呼ぶべきかニーナは迷う。だがこの距離では確実に相手に聴かれてしまう。
 もしもの際直ぐに動けるようニーナは意識を張る。

 ニーナは交渉人に視線を向ける。
 ご丁寧に相手の意見など聞かず話しを進めていればよかったのだ。要求をさっさと全て伝えきり相手が拒否するならそれを理由に外の仲間を呼ぶ。それで十分だ。
 意図を察した交渉人が小さく頷き口を開く。もう一人の交渉人が置いてあるトランクに近寄る。

「都市法に基づきそちらの身柄を拘束させて貰う。データ窃盗のためコピー対策に衣類も含めあなた方の荷物の全てをこちらに引き渡して――」

 突然の音がその言葉の続きを止めた。
 ピアスの男がテーブルを蹴り飛ばし、トランクを掴もうとした交渉人の動きを遮った。

「ハハハハ。なるほどなるほど。長い口上並べると思ったらそういうこと」

 感心したように男は柏手を打って笑う。立ち上がり詰め寄るように近づく。
 後ろの仲間どころか喫茶店中の客に聞こえるように男は言う。

「お前ら聞いたかよ。俺たちの荷物を全部だってさ。そうだよなぁ、知ってるぜ。汚染獣戦の影響で大変なんだってな。建設費に医療費にと金が出てるって。大所帯だ、金はいくらでも欲しいわな」

 こいつは何を言っている。
 そう思うニーナの前で男は嗤った。

「いや全く賢い都市だ。どうせ二度と来ないしこっちとしちゃ命握られてるみてぇなもんだ」

 都市ごとに風習も違えば法も違う。前の都市では合法でも次の都市では違法であることもある。
 所詮よそ者はよそ者。法を犯せば逃げる場所は無い。逆らえば汚染された大地に放り出される。
 だから皆、都市警の勧告には従う。
 否、従わざるを得ない。

 不条理だと感じようが、都市の政府には逆らってはならない。
 それが来訪者たちの間に横たわる絶対の不文律。
 だから、と、男は唇の端を歪める。

「金がないなら都市警抱き込んだ捏造で来訪者の積み荷を奪えば楽だよな。穀潰しでも自分の食い扶持だけは稼いでるわけだ」
「――貴様。それ以上言ってみろ」

 怒りが脳を焼く。
 反射的にニーナは剣帯に手が伸びる。
 相手は未だ剣を抜いておらず明確な暴力もない。その事実だけが武器を復元言語を呟きかけたニーナの行動を押しとどめた。
 ピアスの男はそんなニーナを見て嘲笑し、下卑た笑みでニーナの眼前まで近寄る。

「ゴミばかりと言ったのは訂正してやる。ゴミだけだ。盗人都市のゴミども。おいおい皆気を付けろよ! 金目のモン持ってたら隠した方が良いぞ!! 」

 筆舌に尽くしがたい激情がニーナを襲う。
 自分だけならまだしも奮起する都市の皆への愚弄は許せるものではない。それも在りえぬ罵倒をわざわざ大声で他の来訪者にも扇動するかの如く言われたのだ。
 既に通達は成っている。もはやその口を開かせる理由なし。
 強制拘束すべくニーナは剄を巡らせ手を伸ばし

(大声で、言った?)

 自分の思考の可笑しさに気付く。
 そうだ、普通在りえないのだ。
 何故、わざわざ大声で注目を集める。何故、逃げ場のない相手がこちらを煽る。
 何故こいつは――自分の視界を占めるほどの近くに立った。

 ニーナは僅かに体を動かす。
 視えたのは怒りで狭まっていた視野の先、喫茶店の奥。
 殺剄をした二人の男が通用口から逃げようとしていた。

「奥だ!! 二人逃げ――ッ!!!」

 陽動。その事実に気付く。
 外に伝えようと叫ぶニーナに向け一転して笑みが消えたピアスの男が殴りかかる。
 反射的に相手の腕を弾くとともにニーナは後ろへ下がる。追撃をかわし復元言語を呟く。
 舌打ちをした男の背後から金髪の男が前に出る。いつの間にか復元した剣を交渉人に向け振り下ろす。
 
 無防備な人間に対し躊躇いなく振り下ろされる凶器。煌く刃が肉を裂く寸前、ニーナが振り下ろした鉄鞭の切先が辛うじて届く。横から剣を叩き刃の軌道を変化させる。
 交渉人たちが引き攣った悲鳴を上げる。喫茶店内の他の客も遅れて叫ぶ。
 弧を描き剣が戻るより早くニーナは交渉人の前に体をねじ込ませる。
 金髪の男の呼吸が聞こえた。

「誰もかれも気づかれやがって」

 男は滑らせるように一足、体を進める。腰を入れ追撃の横薙ぎを放つ。
 双鉄鞭でニーナは受ける。衝撃が突き抜ける。

「馬鹿ばかりだ」

 無理な態勢で受けたニーナの踏ん張りは弱い。金剛剄も不完全だ。
 轟音と共に走りぬた衝撃に全身が痺れ、通信用のイヤホンコードが断ち切られる。
 剣を振りぬかれ態勢を崩されたニーナの体がグラリと揺れる。
 だが相手も振り切った後だ。
 
 瞳に映る荒々しい剄の輝きと今の衝突が、ニーナに敵が手練れの武芸者であることを伝えた。
 ニーナに迷う暇は無かった。
 右足を後ろに下げ体を踏んばらせる。膝を曲げバネを溜め、背後の交渉人に背中から体当たりをする。
 
「ひっ――ガッ」

 一瞬悲鳴を上げ吹き飛ばされる。
 もう一人の交渉人にもニーナは鉄鞭を振るい弾き飛ばす。勿論、怪我させぬよう可能な限り配慮はしてだ。
 二人の交渉人がテーブルや椅子を巻き込み遠くへ転がっていく。

 瞬く間さえない僅かな停滞。次の瞬間、ニーナと強盗団の男三人は同時に反対の方向へと動いた。
 男三人は宿泊所の入り口の方へ、ニーナは通用口の方へと向かう。

(やはりそうか)

 可能性として相手が交渉役を人質にすることも考えられた。そしてニーナには三人を相手に守りきれる力量は無い。僅かな足止めは出来てもこの場所では周囲に無用な被害を出す。
 籠城戦とは違う。窃盗団の目的は迅速なツェルニからの脱出。相手の迷いも含めそこにニーナは賭けた。 
 宿泊所の出口とは遠ざかる方へ交渉役を突き飛ばした。テーブルなどを巻き込み確保する手間を増やした。
 僅か数秒でも寄り道よりは出口に向かうはず。それに怪我でもしていれば人質は足手まといになる。
 目論見は当たっていたとニーナは安堵する。

 逃げた二人を追おうとニーナは走る。
 通用口へ向かう一直線上は倒れたテーブルや椅子、狼狽える他の客が邪魔をしている。
 仕方なしとニーナは剄を足に集中し地を蹴り壁へ跳ぶ。
 側面への推進力が残るうちに二歩、三歩と壁を足場に駆け抜ける。

 反対側に降りたニーナの腹部に痛みが走る。制服の左肩部分が切れ赤く染まっている。さきの一撃で切られたのだ。
 傷は浅い。痛みは無視しニーナは通用口を通り通路を抜け壊れたドアから外へ出る。
 
「……ッ」 
 
 見えた光景に一瞬足が止まりかけるがニーナは走り抜ける。
 機動隊員三名が呻き声をあげ地に倒れていた。逃げた二人を止めようとして手足や腹部を切り裂かれ血を流していた。
 宿泊施設内での戦闘もそうだが強盗団も殺すつもりはないのか急所は外している。治療すれば体は治るだろう。
 
 都市警の布陣は正面入り口側の方が厚い。調達できた武芸者も動けるのはニーナを含め五名だけ。だからニーナは二人を追った。さきの光景も当然の物だ。
 分かってはいた。だがそれでも振り払えるほど時間は経っていない。
 一瞬、倒れた彼らの姿が汚染獣に蹂躙される武芸者の姿と重なっていた。

 多少は機動隊員の足止めが功を成したのか、逃げた二人との距離はさほど離れていない。
 窃盗団の二人は放浪バスの停留所の方へと走っている。バスを奪い出発するつもりだろう。
 
 二人のうち後方を走っていた眼鏡の男がニーナに気付く。前を走るフードを被った男に向け二三何か言い、ポシェットと時計を投げ渡して反転する。
 足止め役だ。フードの男が背後を見つつ逃げていく。

 技量を鑑みれば一対一の構図はニーナにとって本来は有り難い。
 強盗団全員が宿泊施設内にいた武芸者と同クラスである場合、一人相手なら問題ないが二人からでは少し厳しくなる。
 そしてここでニーナの戦闘スタイルが問題となってくる。ニーナは攻撃よりも防御に重きを置く型だ。双鉄鞭の利点を生かし手数と重さと技量で敵を削る。
 故に速攻型と比べ相手を倒すまでに時間がかかる。相手が守りに入るならなおの事。
 それを補う故に一撃必殺じみた威力を求めた剄技もあるが撃つには多少の時間が必要だ。
 
 そしてそれを悠長に待つ時間は無い。目の前に立ちふさがった相手は時間稼ぎに固執し、倒せた時には逃げた一人が仲間を見捨てバスを出すだろう。
 常のやり方ならば時は足りない。ならば無理を通すまで。

 眼鏡の男が槍を構える。拭い切れていない穂先の血が飛沫を飛ばす。
 男に向けニーナは加速する。剄を足に集中させ、強化した脚力で地を蹴り疾走する。

――内力系活剄・旋剄

 内剄強化による高速移動術。疾走というより半ば跳躍に近い。
 踏み込んだタイルに罅を入れニーナは駆ける。

 旋剄は速さの代わりに動きが直線的になりやすいデメリットがある。故に愚策だと眼鏡の男は断じ軌道上に槍を出す。
 点では外す可能性がある。面で叩くべく剄を纏わせ薙ぎ払われた槍がニーナを捉える。

――活剄衝剄混合変化・金剛剄

 瞬間、金属が金属を握り潰すような硬質で不快な音が響き渡る。
 鋼を叩いたかのごとく男が振るった槍が弾かれる。

「はぁぁ!?」

 男の叫びを背に聞きながら強行突破したニーナは旋剄を維持し続ける。
 バス停に辿り着かせるより早く、活剄で強化し逃げていたフードの男にニーナは追いつく。

 ニーナは男の背に鉄鞭を振り下ろす。だが異音と仲間の叫びを聴いていた男は身を翻し躱す。同時に右手に握っていたレイピアをニーナに向け引き斬るように振りぬく。
 眼前に迫った刃に対しニーナは膝を沈ませ体を下ろす。遅れた髪の一房が斬られ宙に舞う。
 殺せぬ勢いに前へと滑りながらも右足を軸に体を反転。慣性で倒れそうになる体を下げた左足で支えブレーキをかける。

「メスガキが」

 フードの男が悪態をつく。
 腕の力を抜いて脇を締め下がった右腕を体に寄せ、男はレイピアを腰だめに構える。

 前に回り込んだニーナは敵の二人を視界に収める。既にフードの男の背後からは眼鏡の男が向かってきている。
 数秒もしないうちに二人は合流してしまう。

 ニーナは一足の間合いにいる敵を睨む。
 右手には先ほど見えたレイピア。隠すためか(ヒルト)は簡素。ナックルガード無しキヨン小。
 左手側はポシェット。マインゴーシュの判定には時間不足。荷物所持ゆえ今は考慮不要。
 不確定要素は多い。だが、
 
(迷っている暇はない)

 ニーナは歯をかみしめる。
 脚部の力を増大。無理やりに急ブレーキをかけ体を停止させる。
 骨に響く衝撃と負荷を堪え、無理を押して地を蹴る。フードの男に接近し左の鉄鞭を振りかぶる。
 
 ニーナが地を蹴ると同時、男の刺突が放たれる。
 武器の重量の差、タイミング差からしてレイピアの攻撃の方が早く速い。
 それゆえ男にニーナの攻撃を避ける様子はない。

 刺突の放たれる寸前、活剄を強化しニーナは急加速する。一直線に迫る切先を前にニーナは鉄鞭を握る手を離す。
 錘から解放された空手の左が軌道を変える。五指を広げレイピアの正面に突き出される。
 当然の如くレイピアの切先がニーナの掌を抉る。

 武芸者同士の正面からのぶつかり合い。その重さが刃引きをされていない凶器に乗る。
 刃がニーナの手を容易く貫く。スルリと肉を断ち刀身の根本まで突き進む。

「ぁ、――ぃ、ぎ」

 踏み潰された蛙を思わせる濁りくぐもった悲鳴が喉の奥から漏れる。
 背を震わす金属の冷たさが肉を通り抜け、遅れて灼熱がニーナの左腕に伝播していく。
 掌がレイピアの鍔に当たる。ニーナは五指を閉じ、柄を握る男の手を渾身の力で掴む。腕を引き男の体勢を崩す。
 虚を突かれたフードの男が目を見開く。

「ばっ、かかテメ――!!」

 叫ぶ男にニーナは鉄鞭を握った右腕を振り下ろす。男の額を鉄鞭が正面から打ち据え轟音が響く。
 男は勢いよく地面に叩きつけられ意識を失う。落ちたマインゴーシュが地面を転がる。
 ニーナが男を掴んだ左手を離し、その手から落ちた時計を踏み砕く。
 すぐさま地面に落ちたポシェットを近くの建物目がけ蹴り飛ばす。ガラスを砕きポシェットが建物の中へと消える。
 これで拾われることは無い。

 血は掌と甲の両側から滲み溢れ、柄を伝い滔々と滴れ落ちていく。
 柄尻から落ちる滴は途切れることはない。地面に少しずつ血溜まりが出来ていく。

「ぎ……ッ、イぃ……ぁ、ヴ……」

 奥歯が砕けそうなほどにニーナは歯を噛みしめ漏れる悲鳴を抑え込む。
 視界が涙で滲み心臓が早鐘を打つ。呼吸が増大し無意識に腕に力が入る。反射的に筋肉が収縮し刺さったままの刃に肉が裂かれる。
 刺さった刃を抜くわけにはいかない。一番奥まで刺さった刀身は片手では抜けず手間もかかる。まだ残る敵を前に右の鉄鞭は離せない。

 剄を練りながらニーナは腕に意識を集中する。痛みを我慢して活剄を使い筋肉を絞め出血量を抑え剣を固定する。
 身を抉る痛みの衝撃が落ち着くニーナは堪える。
 敵が使ったレイピアが小型だったのは幸いだ。刀身幅は二センチほど。流血もさほど多くはない。
 ニーナもそれを理解した上で行動した。昔似た様な経験があったとはいえ、もし一般的形状の剣ならこんな度胸は持てていない。
 痛みに自分の判断への後悔さえ脳裏をよぎる。

 だが今、その行為は実を結んだ。
 僅か一合での打倒。犠牲を対価に道理を捻じ伏せニーナは届かぬ時間を縮めた。
 
「馬鹿じゃねえのかお前」

 眼鏡の男が気味の悪いモノを見る視線をニーナを向ける。
 
「……他に、出来ないのでな。……ッ昔、釘を踏んだ経験はあるが……流石にそれより痛いな」

 痛みの波は越えた。患部を下手に弄らなければ痛みは十分堪えられる。他を動かすにはさほど支障は無い。
 ニーナは右の鉄鞭を眼鏡の男に向け構える。男は思い出したように槍を構え直す。
 残る敵は一人だ。

「逃しは、しない」





 少しの後、何とかニーナは眼鏡の男を倒した。
 気を失っている二人の男の傍でニーナが座り込んでいると誰かが近寄ってくる。
 ニーナが視線を上げると機動隊員が二人いた。通用口出口で倒れていた内の二人だろう。
 一人は止血帯を巻いた足を引きずり、もう一人は腕に止血帯をしている。

 足を怪我した一人は倒れている男達を後ろ手に拘束具を付けていく。
 腕を怪我したもう一人はニーナに近寄ってしゃがみこむ。手を貫いたままのレイピアに気付き眉をひそめニーナの肩を叩く。

「大丈夫か?」
「ああ、なんとかな。意識はあるから問題ない」

 ずっと握っていた鉄鞭に気付きニーナは右手の力を緩める。
 安堵から意識が緩み疲れが押し寄せる。抑え込んでいた手の痛みが改めてぶり返し小さく呻く。
 レイピアの柄を握り左手から抜こうとする。だが酷く抜きづらい。
 力を入れて引くと激しい痛みが走り再び血があふれ出す。

「ァ、グ」
「時間が経って恐らく硬直してる。麻酔をかけて取った方が良い」
「そう、だな。そうするとしよう」

 活剄で無理やり筋肉を弛緩させる手もあるが現状急は要しない。無理に引き抜けば血も出る。
 下手に抜いて神経でも傷つければ治療も長引くだろう。

「それと、これを」

 回収しておいた敵の錬金鋼を機動隊員に渡す。
 制服はあちこちが斬られ布地に血が滲んでいる。これでは新調するしかない。
 差しのべられた手を断り壁を背にニーナは体を休ませる。
 
 少しして新たに人員が来る。フォーメッドを含め三人だ。その中に機動隊員の姿は無い。彼らは拘束された窃盗団二人の服を脱がせていく。路上で晒される男性の裸体にニーナは視線を逸らす。
 フォーメッドがニーナの元へ来る。

「っ。お手柄だが無茶やり過ぎだ。直ぐに病院に行け」
「なに、見た目ほど酷いわけではない」

 大丈夫だと示すようにニーナは立ち上がる。一瞬ふらつくが自分の足で立つ事が出来た。
 フォーメッドは険しい視線を崩さない。

「そういうわけじゃ……ああいや、そうだな。よくやってくれた感謝する。連中の拘束が終わり次第病院に行こう。治療費や制服代は後で請求してくれ」

 苦笑いしながらニーナは近くの建物を指さす。

「窓が割れた部屋に連中の荷物を蹴りこんだ。回収してくれ」
「分かった」

 フォーメッドが指示し都市警の一人が建物の中へと向かう。
 裸にされた窃盗団の二人は拘束服に着替えさせられていく。

「荷物と服の回収が終わったらそいつらは適当な空き部屋に投げ込んでおけ。次のバスが来次第ブチ込む」

 苛立たしげにフォーメッドが告げる。
 気を落ち着けるように深く息を吐き、改めてフォーメッドはニーナへ視線を向ける。

「本当によくやってくれた。これで少しでも取り返せる」
「……向こうの三人はどうなったんだ?」

 本当はそんなこと聞かなくてもよかった。

 相手の力量は高く、ニーナでさえ道理を蹴り飛ばしてやっと二人を無力化した。
 新たな応援の中に機動隊員の姿はなかった。
 そして何より、明朝に出るバスがあったのに「次の」とはどういうことなのか。
 
 薄々分かってはいた。それでも「もしかしたら」と、ニーナは問うた。
 フォーメッドはニーナに向け、答えとしてその頭を垂れる。

「こんなになって貰ったのに謝りようがない」

 ただただ悔しげにフォーメッドは結果を告げた。

「済まない。逃げられた」







 翌日、都市警の不始末は記事になった。
 事前に情報を得ながら逃がしたという事、動員者に多数の怪我人が出た事で都市警の怠慢と能力不足を論う内容であった。

 不用意な噂が流れぬよう動員者には記者への対応で注意勧告が出された。
 だが宿泊施設にいた来訪者の口に戸を立てる手段は無かった。

 どうせ直ぐに出ていく。何を言おうと知った事ではない。自分も被害者である。金銭が出るならばなおのこと応じよう。
 彼らは自らが見た光景を好きに語った。意識的な、或いは無意識な誇張も含め。
 客観的事実ではなく「発言」だ。記者側で簡単に帳尻は整えても、その内容の精査などは行われない。
 当然その話の中には一人の協力者の姿もあった。

 侮蔑に激情し敵の陽動に引っかかった。
 護衛役だったのに邪魔だと交渉役に自分から危害を加えた。
 そのくせ直ぐにその場から逃げた。
 それだけして結局、窃盗団には逃げられた。
 
 記事に連ねられた事件の経緯と都市警の失態。そこに協力者の行動も記載された。
 協力者であった彼女の名と共に――

































 クラリーベルとカリアンの話し合いがあった数日後の昼。
 何の用もなく惰眠を貪っていたレイフォン、軽くランニングから戻ったアイシャ、閉め切った部屋で黒マント着て鏡見ていた厨二。
 都合が合ったため三人はリビングで一緒に昼食を取る。

「私は大盛りで――」
「マント脱いできて」
「あ、はい」

 昼食を食べ終わり食器を下げ始める。
 三人が揃っている内にクラリーベルが言う。

「レイフォン。今日の夜、時間作ってください」
「暇だから良いけど何で?」
「会長から呼ばれています。準備品や当日の段取りなども含め話し合いたいと。野戦グラウンドの予約も入れてあるそうです」
「打ち合わせも必要か。分かった。用意しとく」

 食器の空いたスペースを拭いていたアイシャが疑問を告げる。

「汚染獣への接近、確認されたって事でいいの?」
「ええ。距離はあと三日か四日ほどだと。写真も頂きました」

 カリアンから貰った写真がテーブルの上に置かれる。
 以前の写真よりも中央に映った山が大きく詳細に撮られている。前回と違い明確に確認できる汚染獣はやはり山肌に張り付くようにしている。
 山の大きさからしてもかなり巨大だ。

「引き受けないとですよねこれは」
「これ、少なくとも一期二期なんて話じゃないね」

 写真を覗き込んだレイフォンが言う。
 一、二期辺りなら武芸科に丸投げする選択肢もあったのだが流石にそうもいかない次第だ。

「かなり大きいし足も退化してる。四期か五期……足から見て微妙だけど、老成体の可能性も?」
「あるでしょうね。嫌ですが」
「そっか。出来ればそうじゃないと嬉しいけど」

 レイフォンが苦い顔をする。

「これ、そんなに危険なの? 二人でも」
「老成体だと何とも……雄性体に比べ危険度が跳ね上がりますし、グレンダンでは天剣の方々の領分で私は経験がありません。レイフォンは?」
「僕もないよ。五期まではあるんだけどね」

 ただ、とレイフォンが言う。

「前に一度、天剣と老成体との戦闘を自分の目で直に見た事がある。アレが普通なのかは分からないけど僕じゃ到底役者不足だと思う。危ないだろうね」

 オブラートに包んだ言い方をしたが実際は危ないでは済まないだろう。
 そういった意味で言えばレイフォンはサヴァリスの事を一応尊敬している。
 二人の話を聞いたアイシャは眉間に皺を寄せる。

「何で、この都市は回避行動をしないのかな」
「汚染獣が休眠状態だからじゃないかな。死体と勘違いしてるとか」
「或いは都市ごとに探査に差があったりするんじゃないでしょうか。ツェルニの交戦経験は前回を除けば十数年前です。判断を下す都市精霊も若いでしょうから」
「怠慢って事?」
「そこは慣れとか経験の差とか言いましょうよ」
 
 クラリーベルが写真を仕舞う。
 両手に食器を持ったレイフォンが言う。

「夜は錬金鋼持って現地集合でいいよね。覚えておくよ」

 レイフォンがキッチンへと消えていく。
 その背中をアイシャは見送る。

「……何で私にも言ったの?」
「知らせないで当日消えたら面倒そうですし」
「別に。二人に迷惑かかることはしないよ」
「またまたー」

 テーブルを拭き残った食器を持ってアイシャもキッチンの方へ消えていく。
 キッチンの方からは楽しげに会話する声が僅かに聞こえてくる。  
 一人残ったクラリーベルは椅子を傾けながら天井を見る。

「マント干して部室行こうかなあ……」












 


 
 薄切れの雲間から月が覗く。
 その日の夜の事。日の明りが絶えた宵のうちにレイフォンは野戦グラウンドにいた。
 照明は無く周囲は暗闇に呑まれている。肌を撫でる風は無く植樹された木々に住まう虫の声が一層強く感じられる。

 レイフォンの手には復元された錬金鋼が握られている。
 物としては前回、外部にいた雄性体を相手した時の大剣と同じモノのはずだ。

(やだな、これ)

 だが前とは形が変わっていた。
 諸刃で左右対称だった形状は片刃になり、刃部分も両刃から片刃になっている。
 反りの無い直刀で頑丈性の重視が見られ未だ剣ではある。雑に表す大きな包丁、とでも言おうか。
 それでも全体の形状として前より刀に近づいている。
 技術者は意識してこの形状にしたのだろう。
 それがレイフォンの心を僅かに揺らす。触れられたくない場所を淡く撫でられた様な思いだ。

 差し迫る汚染獣戦に向けての武器の調整。
 普段使う武器とは別に、敵のサイズに合わせて用意された大剣。
 それを慣れさせるための今日この時間。それは理解している。
 だがら今は小さく波立った心を呼吸とともに抑えつけレイフォンは剣を振るう。
 
 同じ剣でも形状によって運用は異なる。
 重量が重ければ剣を振るのではなく、剣に振られる様に動く。
 重さの分だけ慣性が違う。遠心力が違う。無理に制御しようものなら無駄な力がいる。
 剣の動きによって生まれる力の流れ、それに体を乗せていく。

 一薙ぎし、袈裟に下ろし、逆風に上げる。
 動きを変えたいのなら全身で力の流れに道筋をつける。
 足の捌きや手の捌き、体の捻りでその流れの方向を変えてやる。
 それを繰り返す。
 
 体は一所におらず絶えず動き、次第にその方向を制御していく。
 剣の重さにつられ足が浮く。流れに沿って体が回り剣が振るわれる。
 振り子のように体を動かし、ゆらりふらりと地に足が着く。その度に足が地を蹴り体が浮く。
 繰り返す毎に少しずつ地表を蹴る頻度は減り、宙で剣を舞わす数が増える。

 剣の軌跡に強風が巻き起こり木々が揺れる。
 耳元にノイズ交じりの音が響くが遠くへ追いやる。
 手の内に握る剣。その形に抱いた思いを忘れるように一心に振るう。
 
 暗闇の中、少し離れた場所で別の気配をレイフォンは感じた。
 剄の塊が向かってくる気配も捉える。

(そういえばクラリーベルもいたっけ)

 思考が戻る。
 レイフォンは大きく剣は振るう。クラリーベルからの悪戯を迎え撃つべく衝剄を飛ばす。
 空中でぶつかり合った剄は衝撃音と共に弾け周囲の木々を揺らす。

 足が地表に付くと同時、これで終いだと剣を唐竹に振り下ろす。
 砕かれた地面から土砂が舞いあがり、そして落ちる。
 地面に突き刺さったままの剣からレイフォンは手を離し一息つく。
 それを察したようにグラウンドの照明が付き、同時にレイフォンの耳元で声がした。

『おおおおお凄い!』
「うわっ!?」

 不意打ちのそれに思わずレイフォンは驚く。

『その反応は傷つくかな……』
「すみません。忘れていました」

 途中で感じたノイズはこれだったのだとレイフォンは思う。

 打ち合わせという事で武器だけでなくサポート役の念威操者も来ている。
 事情を知る相手ということで前回に引き続きリント・フィオナがその役だ。
 もっとも本人が直接ではなく端子越しでの参加だが。
 二度目なのでレイフォン側の名前も向こうに伝わっている。

 落ち着きのある声色の印象に会わず次々に端子から声が届く。

『凄く集中してましたね。素晴らしい。ブンブンではなくヒュンヒュンって感じでした』
「そうですか? ニュアンスがどうもよく……」
『綺麗で録画してたけど風に端子が巻かれて目が回りそうでしたよ』
「端子側に意識を割き過ぎでは」
 
 念威操者にとって端子は眼といっても差し支えない。クルクル回れば目も回ろう。
 そのため現実の自分の眼球が得る視界と体幹を意識下のベースにして防止する。繰り返すうちに体に耐性を付けるのだ。
 リントに耐性が無いとは思えないのでそれだけ端子側に意識を偏らせたのだろう。

 レイフォンは地面から剣を抜く。基礎状態に戻し照明の方へ歩いていく。

「というか撮ってたなら消して下さい」
『一応、解析用にと言われてます。ロンスマイアさんの方も撮ってますしあちらも凄かったです』
「それだと……どうなるんだろう」
『本当に問題があるなら消すのでいいのでは。それに暗号化して鍵はかけるし個人的に見たり動作解析したりワイヤーフレーム作ったりするだけですよ。それで思うのですが段々と滞空時間が伸びてましたけどあれって感覚的にやってるの? 流体に関する抗力や揚力に関して知識……は無さそうだから流派の技法でしょうか。流体力学としての理屈ではなく元々はそういった理屈を繰り返しの中で……それともそれだけ凄いとこの場だけの感覚で――』
「……」
『……もしかして煩いかな。ごめんなさい。隊の人や友人にもよく言われます……』
「いえ、別にあまり気にして」
『でも普段は結構静かで居るのに気付かないとか言われることもあってですね』

 こいつ何言ってんだろう。
 オブラートを消して意訳するならそんな感じの事をレイフォンは思った。

 グラウンドの照明の下にいるカリアンとハーレイの元へたどり着く。
 同時にクラリーベルも三人の元へ来る。

「何と言うか、自分の目で見ると改めて驚嘆させられるね」
「ほんと凄かったよ。二人とも使ってて違和感は無かった?」

 クラリーベルの手にも今回用に用意された大剣が握られている。
 レイフォンが持っている剣よりも一回りほど小さく、形状としては胡蝶炎翅剣を模したのか極大のナイフの様だ。
 
「もう少し形状を弄って貰えます? 重心の位置が気になって切り替えの際に気になりそうなので」
「了解。元々今日は実物を握って貰うだけだからね。意見は好きに言ってね」
「そもそも私は複数の錬金鋼や形状を使わないんですけどね。貰えるのはありがたいですが」
「素人考えではあるが、予備は有ったの方が良いのでは。それに大物相手には大きい得物、と思うが違うのかい?」
「また安易な……そういう利点もありますが、大抵は剄技で対策出来ますよ」

 カリアンの疑問にクラリーベルが答えていく。
 ハーレイがレイフォンを見る。

「で、そっちは?」
「前の時に調整したので全体的には特に。ただ前と形が……」

 クラリーベルの方を気にしながらレイフォン小声で言う。

「ああ、それならキリクから言伝を預かっているよ」

 ハーレイが差し出した便箋をレイフォンは受け取る。

「そういえばセロン先輩は?」
「あいつ人嫌いで偏屈だから来てないよ」

 酷い言い方だと思いながらレイフォンは便箋を読む。
 簡単に言うなら前回の使用後、錬金鋼の損傷具合を調べたら運用に偏りがあり、それは片刃を意識したものであった事。それ故に形状を変えた事が端的に書かれていた。
 また今後もデータが集まればその都度変えていく。可能なら使用者本人の言があれば一番早いとも書かれている。
 
 前回、態々複合錬金鋼を使ってしまった事をレイフォンは悔やむ。
 もしあれ以上使っていれば刀にまで辿り着かれかもしれない。
 そしてきっと今回の汚染獣戦で辿り着かれるだろう。
 心に泥が入り込んだような重苦しさをレイフォンは感じる。

 感情が顔に出ていたのだろう。ハーレイの表情が曇る。

「ごめんね。本当ならこんなの使う機会ない方がよかったのに」
「ハーレイさんが気にする必要はありません。しょうがないことですから」
「それでもなぁ。色々と後ろめたさは消えないよ」

 基本部外秘の汚染獣ついてだが必要に応じて開発陣は知らされている。
 つまりハーレイにとってはニーナに……十七小隊に黙っての参加でもある。
 
 ハーレイが場を離れ、メモ片手にクラリーベルの方へ意見を聞きに行く。
 ふわりとレイフォンの傍に端子が近寄る。さっきまでリントは向こう側の会話に参加していたはずだ。
 ああ、追い出されて暇になったんだな。
 そうレイフォンは思った。

『君たちって仲良いですよね。さっきも最後撃ち合ってましたし』
「同郷で付き合い長いですからね。えっと……大体五年近いと思います」

 改めて数えるともうそれだけ経ったのだと少し感慨深くもある。

『いいですねえ昔からの繋がり。私も幼馴染が居るので何となくわかります』
「幼馴染と言うより気が置けない友人ってところですけどね。その人はツェルニに?」
『ええ。成績が悪いのでこの期間を利用して勉強を教える約束をしています。逃げられますけどね。逃がしませんが』

 レイフォンからしたら逃げるその人の気持ちがよく分かる。
 学び場である学園都市では不勉学な人間に居場所はないのだ。世知辛い話である。

『そういえばこの間の試合って見に来ましたか?』
「試合、ですか」
『あら、知りませんか? 対抗試合があったのですけれど』
「……え。早くないですか再開」

 まだ休業期間は明けていない。短縮授業さえ再開されていないのだ。
 思わずレイフォンは口に出してしまう。

「色々と事情があるんだよ」

 横へ来たカリアンが口をはさむ。

「勿論早過ぎると反対意見はあった。だがのっぴきならない事情もあったため合議の結果再開したよ。従来通りとはいかず問題なく試合を行える小隊で組んだら半分程度の試合数だったがね」
「全然知りませんでした。バイトばかりしてたからなあ」

 もう少し情報のアンテナを伸ばすべきかとレイフォンは思う。

「君の知る所ではそこの彼女がいる第七小隊とニーナ・アントークの第十七小隊が参加したよ」
『うちは勝ちました』
「おめでとうございます」
「そうだったね。おめでとう」
『ありがとうございます。サークルで遊び呆けてる隊長がやりました』
「彼か……いつも真面目にやってくれると嬉しいのだがね」

 カリアンが溜息を吐く。
 
「ニーナさん達はどうだったんですか?」
「第十七小隊は負けたよ。人数差もあった。結果だけ見れば善戦とは言えるだろうがね」

 未だ十七小隊は最低人数だ。数の不利は大きく負けても不思議ではない。
 だがカリアンの口調はどこか含みがあり歯切れが悪い。
 後で雑誌で確認しようとレイフォンは決める。

 
 その後、話し合いも終わり五人は野戦グラウンドから出る。
 施錠のためにカリアンは外れ、リントの端子も帰っていく。
 残った三人は途中の分かれ道まで一緒に帰って行った。
 







 
 カリアンが一通りの施錠と消灯を終えたのは他の四人と別れ幾分か経ってからだ。
 無人の野戦グラウンドには静寂の帳が落ちていた。蟲の音も聞こえない。
 ともすれば耳鳴りがしそうな深々とした闇が周囲を包む中、カリアンは施設の外へ出る。

 カリアンは自分が出てきた扉を閉める。
 と、その傍らに淡い光が降りた。
 念威端子だ。それもカリアンが見知った形の。

『終わったようですね』
「フェリか」

 カリアンが振り返った先、少し離れた外灯の下に妹がいた。
 一体いつから居たのだろう。それを思いながらカリアンはフェリに近寄る。

「もう皆帰りましたか?」
「見ていたのだろう。来ていたのなら顔を見せれば良かったのに」
「隠し事があれば見たくなるのが人というもの。ただの興味です。それに部外者です。何と言って顔を見せろと」

 そう思うなら何故来たのか。
 外ではなく中に入ること以外目的であるはずがないのに。
 だが今、藪を突く意志はカリアンには無い。
 それでも少しは言ってもいいだろう。

「思いこむなら行動すべきだ。話して分からない相手では無いと思うがね」
「兄さんが何を言っているのか私には分かりません。勘違いでは」
「そうか。本人が言うならそうなのだろうね」

 呆れたように告げ二人で歩きだす。

「ええ。早く帰りましょう。遅い夕食を用意してます」
「……うん?」

 思わずカリアンの思考が止まる。足も止まる。
 一瞬遅れて理解が及ぶ。何故だか自然とカリアンの手は胃を抑える形になる。

「ああいや、気持ちは嬉しいがねフェリ。時間も遅いし外食で良いと思うんだ」

 死にそうな顔でカリアンが言う。
 フェリは気にもせずカリアンの腕を掴み無理やりに歩き出す。

「美味しい店を知っているんだ。奢ろう。偶には年上として」
「後日でいいです。今日はもう作ってしまったので」
「……実は余りお腹が減っていないんだ。疲労だろうか。帰ったら直ぐにベッドに」
「丁度良かった。疲労防止の食材を使ったんです」
「そ、そんな連日では大変だろう。体を大事にすべきだと私は、私の体は――」

 カリアンの言をフェリはものともしない。
 念威端子がカリアンのすぐ傍に寄る。無理やりに抗えば念威爆雷を落とすとでもばかりに。
 そのまま引きずられるようにカリアンは帰宅していった。








 
 











 


 その彼は不意に湧きあがってきた欠伸を噛み殺した。
 浮かぶ涙を親指で拭い本の続きに目を通す。
 ページを捲ろうとし、けれど指に残る涙の滴が頁の端を滲ませる。
 それが何となく気に障り本を閉じデスクの上に投げ出す。座っている椅子の背に体を大きく預け椅子を傾ける。足をデスクの上に投げ出し帽子を被りなおす。

 居住区郊外にある都市の機関内部に通じる昇降口。その手前に設けられた一応の警備員の詰所。
 通行員の確認をする比較的楽なバイト。肉体労働はせずに済むが常駐するため暇は大敵だ。
 作業服と小さめの帽子にも慣れた。それでも暇には慣れない。
 ゲームの持ち込みでも出来ればいいが許されるのはせいぜい本だけだ。

 時計を確認した彼の中で塞いでいた疑問が再び浮かび上がってくる。
 暫く前に機関部の清掃バイトの面々が内部に入っていった。それは良い。
 だが一人、まだ来ていないバイトがいるのだ。
 何度となく顔を見ている相手で今まで一度も遅刻はしていない。
 珍しい事もあるもんだ。
 そんな事を考えた彼はふと、近寄ってくる気配に気付いた。

 やっと来た。
 そう思い椅子から立ち上がる。だが気配の主を見た彼は直ぐに眉根を寄せた。
 視線の先にいたのは少女だった。
 
 否。少女とは断定できない。
 その相手は個人の特定どころか性別が判別出来るだけの情報を出していなかった。
 気候は春季帯に属しているというのに服を着込んでいる。パーカーの上から体のラインを隠すコートを纏い下も大衆的で動きやすそうなズボンだ。頭には前方につば付きの帽子を被りその上からフードを被っている。
 マフラーかストールか、そういったものに疎い彼には判別できないが相手はそれを首に巻いて口元まで隠している。
 見えるのは縁無しの眼鏡をかけた目元と黒に近い濃い枯茶色の髪だけ。それも右目は髪の陰にある。
 それでもそこに彼は女性的なものを感じ、恐らく女性だろうと判断する。

「ごきげんよう」

 彼が問うよりも先に相手が言葉を発する。
 その口調に、言葉に、声の柔らかさに彼は相手が女性だと断ずる。

「どうも。通行証があるなら出して貰えるかな」

 詰所から出て一応女性――と仮定した――に問いかける。
 明らかに不審ではあるがまだ正規の通行者である可能性もある。
 
「あら、それは困ったわね。連絡が行って無いのかしら」
「どんな連絡か聞いても? そもそも何の用か教えてくれるかな」
「ただ当然の話よ。まだ会った事がないからお話がしたいだけ」

 彼の中で違和感が膨らむ。
 クスクスとでも笑いそうに女性は目元を緩ませ口元へ手を寄せる。

「見た事が無ければ見たい。会った事が無ければ会いたい。特にそれが私たちの生活を支え、不可欠であるとなれば一層興味は湧くでしょう? それゆえの愛情と憎しみも」
「そうかい。一応この先は重要区間でな。誰かに会いたいなら通行証を用意してくれ」

 彼は溜息を吐く。薄々分かってはいたが話が通じない。
 不審者ではあるが武芸者には見えず見た所武装の類はしていない。
 何かあっても取り押さえる分には問題ないだろうと彼は思う。
 それでもどこか残る違和感に相手への意識を彼は切らさない。

「重要、ね。それは都市の保安に対してでしょう。だからこそなの」
「あ?」
「最初は放っておこうと思ったの。労苦や苦役にも種類はあるもの。でも深刻に身を侵す障害は別。そしてそんな事態に気付かない役立たずの担い手何て……ただ私はお話がしたいだけ」

 女性が眼鏡を外す。だから気づけた。
 髪の陰の奥、相手の右の眼が淡く妖しく輝く。
 目を走る傷痕が浮かび瞳が紫紺に変わっていく。
 女性が彼に問いかける。

「あなた、武芸者よね」

 当たりだ。成績は良くないが武芸者という事で彼は贔屓的に採用されていた。
 ほんの一、二分の間で不審者から異常者へと相手の評価が変わる。
 腰の剣帯へ手を寄せていた彼は相手から視線を逸らさない。
 未だに非武芸者の女性など容易く取り押さえられると彼の判断は変わっていない。

「だったら? 無駄な仕事はしたくない。無謀さが分かるなら帰ってくれ。今なら見逃すから」
「聞いただけよ。多分、そっちの方がいいもの。では――」

 女性の瞳の輝きが増す。
 たった一言の優しい呟きが空間に響いた。

「――お休みなさい」

 そして彼の意識はそこで途絶えた。








 
 倒れた警備員の横を通り少女は通路の奥へ向かい地下へと入って行く。
 入ってしまえばロクな認証の類もない。
 名前で気付かれたと思って入り口では出さなかったが、念のためにとバイトの一人から拝借した通行証はどうやら必要無さそうだ。
 
 不意に少女の脳裏にやや大人びた女性の声が響く。

『主よ。さっきのは演技か』
「そうだよお姉ちゃん。変えた方が良いと思ったから」
『ううむ、しかしのう。何故あのように露骨な』
「店長を真似ただけ。変だった?」
『ばいと先の彼奴か……感想に困る。(やつがれ)としては主にこそ女子(おなご)らしさは望ましいが、正直怖気が』
「煩い」
 
 鉄柵で覆われた昇降機の前で少女は立ち止まる。

「見てきて」
『使いが荒いのう』

 少女の傍に光体が現れ、それは半人半獣の女性の姿を取る。
 人から獣に成る途中で止まったかのように狐に似た獣耳と尻尾を生やした女性だ。 女性は少女に言われるまま地下へと行き、少しして戻ってくる。

『今なら誰も居らんぞ』

 二人は昇降機に乗り込み更に地下へと降りていく。

『そういえばよかったのか? 先ほどは呑気な会話をして』
「周囲の確認も必要だったから。それにあれなら、直前の記憶は飛ぶがあやふやになる。平気だよ。それと目立つから消えて」
『ぬぁ!?』

 尻尾を引っ張られた女性が悲鳴を上げる。
 女性の光体が少女の体に重なるように消えていく。

『一応聞くが、言うの僕でいいのだな?』
「同族でしょ。私で伝わるとも限らない。汚染獣見逃した先輩から言ってあげて」
『……辛辣よな。信が軋む』

 一番下まで着いた少女は昇降機から降りる。
  
 機械油と触媒液が混じった空気が充満する中、最低限の照明が都市の内部を照らし出す。
 
「案内お願い、ベリツェン。人の気配も教えて。私も意識を張るから」

 少女の瞳が再び淡く輝き始めていく。

『……もうちっと僕に優しくとも罰は当たらんぞ?』
「これでも大事にしてる。お姉ちゃんは、大切な人だから」

 そう告げ、淡く映し出されたその光景の中へ少女は踏み出す。

「――行こう。役目を果たさない、役立たずの御仕置に」

 








 

 その夜、僅かな間だけツェルニはその歩みを止めた。
 それに気付けた者は極一部だけ。
 だが直ぐに歩みは再開され、気に留める者は皆無だった。 
 

 
後書き
 (敵が)強くてニューゲーム
 そんなお話




 二話投稿。ふっふー

 何か気分じゃないから割烹の更新は多分少し遅れます。
 二章序盤部分終了。後は中盤終盤です。

※12/09に一番最後の辺りを少し改訂しました。 
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