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アニー

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1部分:第一話


第一話

                  アニー
「どうですか、この車は」
 その時ヘンリーは車を探していた。今乗っている車がいい加減ガタがきて買い替えようと思っていたからだ。既に友人にただ同然で売り渡すことが決定している。
 それで彼は今車を買いに来ていた。店で品定めをしている。
「そうだなあ」
 彼はその長い足で店の中を歩き回り、店の者の案内を受けている。だが彼の目に適う車は中々なかった。
 金色がかった髪を丁寧に後ろに撫でつけ、青灰色の目で車を見ている。その顔立ちは鼻が高く、彫が深い。まるでギリシア彫刻のように整い、顔と同じくスラリとして整った身体を濃い藍色のスーツで包んでいる。その身なりから彼が非常に恵まれた立場の人物であるとわかる。
 彼は弁護士を営んでいる。このボストンにおいては名の知られた弁護士である。彼はアメリカどころか世界的に有名な大学で法律を学び弁護士となった。家は元々裕福な家であり何もかも恵まれていた。ボストンでも名士として知られている。まだ独身でプールもある豪奢な家で一人暮らしを満喫している。
「乗り心地のいい車が欲しいね」
「乗り心地のいい車ですか」
 黄色い肌のその店の者はそれを聞いて考える顔をした。
「では日本車なんてどうでしょうか」
「日本車か」
 ヘンリーはそれを聞いて考える顔をした。
「トヨタのいいのが入っていますよ」
「トヨタか」
 それを聞いてさらに考える顔になった。
「どうもなあ」
「御気に召されませんか」
「日本車はいいと思うけれどね」
 ヘンリーはそのアジア系の店の者に対して言った。
「ただ、少し狭いような気がするんだ。アメリカの車と比べると」
「実際はそうでもありませんよ」
「いや、それでもね。僕の気のせいだと思うけれど」
「はあ」
「日本車はいいよ。悪いけれどね」
「わかりました」
 彼はそれを聞いて非常に残念そうな顔をした。それを見てヘンリーは彼が日本人か日系人かな、と心の中で思った。そう思うと悪いことをしたとは思うが車を選ぶのなら話は別だ。別の車を選ぶことにした。
「では大きな車が宜しいのですね」
「そうだね」
 彼はそれに頷いた。
「ゆったりできるからね。何かあるかな」
「それでしたらこちらはどうでしょうか」
 アジア系の店員はそう言いながら彼を店の奥へと案内した。
「これはお勧めですよ」
「ほう」
 見れば大きさも外見も見事な車であった。彼の好みにピッタリだった。色は銀色でそれも彼の気に入った。彼は銀色が好きなのだ。
「これはいいな」
「御気に召されましたか」
「うん。早速買いたい。値段は幾ら何だね」
「それでしたら」
 金のことは気にはしていなかった。彼はそれを支払うとすぐにその車を表に出してもらった。早速それに乗って家に帰るつもりであったのだ。
「それで宜しいですね」
「ああ」
 彼は笑顔で頷いた。
「試し乗りの意味も含めてね。それじゃ」
「はい」
 車に乗った。そしてアクセルを踏み発進した。反動が自分にかかってくる。
「いいねえ」
 彼はそれを味わいながら笑った。その反動もいい感触だった。加速の際のそれを味わうのが心地良かった。
 加速も速くスピードもよく出た。それが彼をさらに喜ばせた。
「アメリカの車はこうでなくてはな」
 運転しながらそう思った。彼が日本車をあまり好まないのはそれもあった。性能がいいのは事実だが馬力がもう一つなのだ。アメリカの車は馬力がなくてはいけない、そう考えている彼にとって日本の車はそうした意味でも不満であったのだ。だがこの車は違っていた。そのままのアメリカの車であった。
 瞬く間に家に着いた。彼が思っていたよりもずっと早く家に着いてしまった。
「もう着いたのか」
 彼は車の中にあるデジタル時計を見てそう呟いた。予想していたよりもかなり速い。
「御前はどうやらかなり元気のいい娘みたいだな。ヤンキーガールそのものだよ」
 笑いながら車にそう話し掛けた。
「よし、御前の名前が決まったぞ」
 笑いながら言う。
「アニーだ。ありきたりの名前だがいいだろう」
 この前観たミュージカルのヒロインの名前をとったのであった。
「それじゃあな、アニー。明日から頼むぞ」
 そう言ってこの日はそのままガレージから去って休んだ。その時彼は見ていなかった。車がどういうわけか微かに揺れ動いたことに。まるで喜んでいるように。
 次の日かたヘンリーはアニーに乗って通勤を開始した。通勤は実に快適であり、それが朝から彼を気分よくさせた。
「いいねえ、アニーは上手く動いてくれる」
 彼はハンドルを捌きながらそう呟いた。
「朝から気持ちがいいな。こりゃいい仕事ができるかもな」
 そう言いながら事務所に向かった。彼の勤める弁護士事務所は何人かの弁護士を中心としている。彼はその中の一人であるのだ。
「お早う、ヘンリー」
 事務所に着くと一人の品のいい白人の紳士が声をかけてきた。白い髪を後ろに撫で付けている。四十代後半と思われる顔立ちである。だが歳よりも品性を漂わせた顔をしていた。スーツも高価そうなものを着ている。身体からはオーデコロンの甘い香りが漂っていた。
「お早うございます、所長」
 彼はその紳士に対して挨拶をした。
「元気そうだね、今日も」
「ええ」
 ヘンリーはまた朗らかな笑みをもって言葉を返した。
「実は車を買い換えましてね」
「ほう、そうなのか」
 彼はそれを聞いて笑みを作った。やはり品のいい笑みであった。悪い印象は受けない。
「どんな車だね」
「シルバーの可愛いやつでね。後で御覧になりますか」
「いや、まだ仕事には時間があるな」
 右手にある腕時計をチラリと見てそう言った。
「今見てみたいんだが何処にあるかな」
「事務所の駐車場です。よかったら御一緒しますが」
「うん、頼むよ」
 所長はそれに頷き彼に案内されて駐車場へ向かった。そしてそこに停めてある彼の車を見せてもらった。所長はそれを見るとすぐに賛辞の言葉を述べた。
「いい車だね」
「有り難うございます」
「形も色もいい。立派な車だな」
「立派なのは外見だけじゃありませんよ、中身もですよ」
 彼は笑ってそう説明した。
「乗り心地もね、最高です」
「ほう」
「それだけじゃなくてハンドルもブレーキもね。よくいうことを聞いてくれますよ」
「できた男だな、彼は」
「おっと、彼はないですよ所長」
 ヘンリーはそれを聞いて笑って所長に対してそう言った。
「彼女と言って下さい」
「彼女か」
「ええ。プラチナ=ブランドの美人でしょう?そう思いませんか」
「ふふふ、確かにな」
 所長はそれを聞いて笑った。見れば女性と言った方が近い優美な外見であった。シルバーのボディもそう考えて見ればプラチナ=ブロンドの髪に全身を覆われているように見える。ヘンリーの言葉に頷いた。
「確かに美しい人だ。どうやら君は最高のパートナーを見つけたみたいだな」
「そうでしょう」
 ヘンリーはそれを聞いて笑みを得意気なものにした。
「そういうことだ。これからも頼むぞアニー」
「彼女の名前はアニーというのか」
「ええ。宜しくお願いしますね」
「わかった。ではアニー、宜しくな」
 所長の言葉は戯れが混じっていた。しかしアニーはそれを本気ととったかも知れない。だがヘンリーにも所長にもそれはわからなかった。少なくともこの時は。

 
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