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手のなる方へ

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10部分:第十章


第十章

「この一年御苦労じゃったな」
「春日ちゃん、お疲れじゃったな」
「春日ちゃん」
 恭子はその名前を聞いて。ふと何かを思い出した。それは。
「鈴沖先輩ですか?」
 彼女の一つ上の先輩である。今何故か急に思い出したのである。
「確か鈴沖春日先輩」
「ああ、そうじゃよ」
「その娘じゃ」
 村長と神主も答えたのだった。そうであると。
「思い出したようじゃの」
「いつも通りな」
「いつも通りって」
「さあ春日ちゃん」
 村長は恭子の問いには答えずにその春日という少女に声をかけるのだった。その両肩を抱いて優しく声をかける。
「最後の仕事はな。最初と同じじゃよ」
「最初と同じ」
「そう」
 こう春日に囁く。
「そうじゃよ。だからさあ」
「では村長さん」
 神主も恭子から離れた。そうして村長の横に来て彼に声をかけた。春日は日の光を背に受けて長い影を見せていた。逆行の中で黒い大きな目だけが恭子を見ている。
「わし等はこれでな」
「うむ。毎年通りな」
 こう言い合い神社から消える。扉をそっと閉めるとそれで光がなくなった。暗くなった部屋で恭子とその春日という少女だけになったのだった。
 場を緊張が包み込む。少なくとも恭子の周りは。恭子はその重苦しい緊張の空気に耐えられず春日に声をかけるのだった。
「あの、先輩」
 怯えが入った顔で彼女に問う。
「これから何を」
「・・・・・・・・・」
 だが春日は答えない。ただじっと恭子を見ているだけだ。やはり一言も語らずやがて一歩前に出て来た。そうしてそのまま足を進め恭子の側に来たのだった。
「一体、これから」
「入れ替わりよ」
 恭子の耳元でそっと囁いてきた。それは恭子もよく知ってる春日の声に間違いなかった。だが何故かこのことを今まで忘れてしまっていたのだ。
「これから入れ替わるのよ」
「入れ替わりって」
「一年。一人が巫女を務めるのよ」
「一年・・・・・・?」
「知らないわね。それも当然ね」
 春日は微かに笑って恭子の耳元で囁き続ける。その囁きは何処か隠微で誘うものすらあった。恭子を何か違った世界の中に。
「だって。このことは誰も覚えられないし」
「覚えられない」
「覚えているのは私だけ」
 微笑みと共に囁きが続けられていく。
「私だけなのよ。これはね」
「私だけ・・・・・・」
「そして次は貴女」
 今度の囁きの言葉であった。
「貴女が。私の次なのよ」
「巫女になるんですか」
「そう。あの目隠し鬼で捕まった娘がなるのよ」
 そういうことであったのだった。何故あの時目隠し鬼が行われたのか。全てはそれが理由なのだった。今はじめてわかったことであった。
「一年の間ね」
「一年・・・・・・」
「さあ、代わりましょう」
 この言葉と共に恭子を床にそっと寝かせてきた。そのうえで彼女の上に覆い被さる。
「貴女と私が。これで」
「これで・・・・・・」
「痛くはないわ」
 微笑みに含まれていた隠微さがさらに深くなる。それと共に春日の顔が恭子の顔に近付き。後は部屋の中に布が擦れ合う音と小さいが激しい息遣いがあるだけだった。
 この時村長と神主は神社の外の階段のところにいた。階段のところに二人並んで座って話をしていた。
「今年の巫女は恭子ちゃんじゃったとはのう」
「意外じゃな」
 村長は神主の言葉に応えていた。
「まさかあの娘だったとは」
「うむ。しかしですじゃ」
 ここで神主は言う。
「これでまた一年。村は」
「安泰じゃな」
「そういうことですじゃ。山の神様に仕える巫女」
 不意にこの言葉が出た。
「それを一人出して神様の御力を得る」
「村にとっては必要なことじゃ」
「そうですな。それにです」
「うむ」
「一年です」
 神主は言った。
「一年務めてもらうだけですから」
「その一年が終わればどうということはない」
 村長も静かに語る。しかし後ろを振り向くことは決してなかった。
「何もかも忘れて元の生活に戻られるのじゃ」
「そういうことですな。しかも本人も自分も覚えてはいない」
「善き哉善き哉」
「それでどうです?」
 神主は村長に顔を向けて尋ねてきた。
「これから」
「一杯か」
「ええ、そうです」
 右手で杯をあおる仕草をしてみせて彼に問うていた。
「村越さんからお誘いがありましてね。それで」
「そうじゃな。それでは」
「牡丹鍋だそうですよ」
 所謂猪鍋だ。豚に似た味なのは当然であるがその豚よりも匂いがしておりしかも肉も固い。癖のある食べ物だと言っていい。
「どうでしょう、それで」
「では呼ばれようか」
「はい、それでは」
 二人は笑顔で頷き合い立ち上がった。その後ろから春日が一人出て来る。開けられた神社の中は暗がりで何も見えはしない。しかしそこに山の方から現われた美しい、しかし明らかに異形の女が入って行くのが見えた。だが二人はそれを決してみようとはしなかった。まるでそれが決して見てはならないものであることを知っているかのように。振り向かず笑顔を作って二人並んでその場を後にするのであった。


手のなる方へ   完


                2008・9・2
 
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