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敵討ちのこと

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1部分:第一章


第一章

                  敵討ちのこと
 江戸時代に入って少し経って。三代将軍の頃だった。
 浅野家の治める安芸の国に飯尾という武士がいた。彼は頭の切れる男でありまた武芸にも秀でていた。しかし多分に偏屈な男であったようでしょっちゅう同僚と悶着を起こしていた。その悶着を起こした相手の中に岡沢という男もいたのだった。
 この岡沢という男は臆病な男であり飯尾が武芸に秀でているのを知って中々手を出さずにいた。だが恨みは募る一方でありどうにかして切り捨てたいと考えていた。それで人を大勢雇うことにしたのだ。雇ったのは何処の世界にもいるあまり柄のよくない男達である。
 その者達を雇うと行動に移すことにした。夜に飯尾が出歩く時を見計らったのだ。飯尾は酒好きであり夜はしょっちゅう飲み歩いていた。岡沢にとっては好都合なことであった。
 それである日泥酔して夜道を歩いている飯尾を複数で取り囲んだ。飯尾はあえなく討たれその屍を晒すことになった。願いを果たした岡沢はそのまま追っ手を避ける為に出奔した。しかしこれで話が終わりというわけにはいかなかった。
 飯尾には妻がいた。丁度彼が討たれた時に子が中におりその子が父の死後に生まれたのだ。すくすくと育ったその子の名を鬼七郎という。母はこの鬼七郎に赤子の頃から常に言っていることがあった。それがまさに彼の使命になるのだった。
「御前のお父上は岡沢という男に討たれたんだよ」
「岡沢にですか」
「そうです」
 これを母だけでなく既に他の家に嫁いでいた彼の姉達も言うのだった。実は鬼七郎は飯尾が歳を経てからの子だったのだ。上には姉が何人もいたのだ。その姉達までもが母と口を揃えて彼に対して言うのだ。
「早く腕をあげなさい」
「そうしてお父上の敵を」
 常にこう言われてそれを考えない筈がない。彼は押さない頃より武芸に励みその腕前は藩の中でも屈指のものになっていた。そうして十四になり元服すると早速敵討ちに出ることになったのであった。
「岡沢の屋敷は大阪にある」
 浅井家の者で古くから鬼七郎の父と付き合いのあった者が彼に教えるのであった。
「そこに潜んでいる。名を変えてな」
「名をですか」
「今は沢木という」
 その名も教えるのだった。
「だが顔は変わっていない。だから見つけるのは楽だ」
「わかり申した」
 そこまで聞いて準備まで整えていた。今まさに敵討ちに大阪に向かおうとしていた。だがその矢先であった。
 どういうわけなのか西国に疫病が流行った。随分性質の悪い疫病で広く流行ったうえに多くの者が命を落とした。それはこの安芸の国でも例外ではなく多くの者が倒れ床に伏した。不運なことにその中には鬼七郎もいた。
 母も姉達も必死に看病したがその介もなく床に伏して九日後に亡くなってしまった。彼の亡骸を見て母や姉達の嘆く有様は酷いものであった。
 大切な息子、弟を亡くしたばかりでなく敵討ちの望みも消えたかと思われた。ところが彼女達は諦めきれなかった。必死に鬼七郎の亡骸にすがり付いて泣き叫ぶのであった。
 そうして言うのであった。
「いつも言っていたことを忘れないでおくれ」
 まずはこう告げる。返事をしなくなった鬼七郎の亡骸に対して。
「草の陰でも忘れることなく敵討ちをするんだよ・もしそうでなければ勘当じゃ」
「その通り」
「そうよ」
 姉達も彼にすがり付いて泣き叫んで言う。
「御前の太刀はお父上の形見。それをいつも持たせていたじゃない」
「その太刀を渡しておくから」
 鬼七郎の亡骸に本当に手渡す。
「必ずだよ」
「敵を討っておくれ」
 そう泣き叫ぶのだった。藩の者達はそうした彼女達の姿を見て深く同情せずにはいられなかった。それと共に彼女達が女でなければとも思うのだった。
 だが鬼七郎が蘇るだけではなく岡沢も何もなかった。その彼の大阪の屋敷の前に夜に中津藩の大崎という男が通り掛った時であった。
「もし」
 不意に後ろから声がかかってきた。
「何用か」
 声がした方を見る。するとそこに十四程の元服したばかりの少年がいた。彼はじっと大崎を見詰めていたのだった。
 
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