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化け物寺

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1部分:第一章


第一章

                     化け物寺
 応仁の乱で今日の都が随分荒れて暫く経た頃のことである。戦乱は各地に飛び火しあちこちで戦の笛の音が聞こえるようになっていた。その荒れている諸国を行脚する僧侶達もいささかその身に危険を伴うようにはなっていた。だがそれで行脚する僧はおりこの行間という僧もそのうちの一人であった。
 彼が近江に入り北に少し行くとある村に見掛けがよく立派な寺があるのを見た。東には開けた野があり南には大きな池がある。西には藪があり北の方には山が連なっている。そうした中にその寺があった。
「ふうむ」
 行間はその寺の周りを見回したうえでまた寺自体をみやった。周囲とも合わさったその姿はやはりいいものだ。そこまで見たうえで村の者に話を聞くことにした。まずは村人の一人にその寺のことを聞くのであった。
「ああ、あのお寺ですか」
「左様です」
 丁寧な声でその村人に応える。見ればその村人は身なりが中々いい。近江の方でも戦はあるがそれでも最近は穏やかなものになっている。浅井家の主浅い亮政の統治が結構上手くいっているせいでもある。彼は中々の傑物であったのだ。そのせいでこの村も穏やかに暮らせているのであろう、行間は村人を見ながら心の中でそう思いつつ村人と話をするのだった。
「どの様な場所でしょうか」
「確かに立派なお寺です」
 村人は最初こう答えるのであった。
「立派は立派なのですが」
「何かあるのですか?」
「最初は住職様がおられました」
 村人は次にこう述べてきた。
「ですが今は」
「おられないのですね」
「はい、実は何度かお坊様が入られてもすぐに出て行かれるのです」
「ほう、それはまたどうして」
 ここまで話を聞いてそれに興味を向けないという流れにはならなかった。この時の行間もそれは同じだった。彼は実際に村人にその訳を聞くのであった。
「化け物が出るのです」
 村人は顔を顰めさせて行間に答えた。
「そのせいでどなたも一日入られて次の日には」
「出て行かれるのですか」
「そうです。それであの寺は長い間化け物のものになっているのでございます」
 村人はここまで話して大きく溜息を出すのであった。
「勿体ないことです。折角のお寺が」
「ふむ。では誰もおられるのですな、今そのお寺には」
「結果としてそうなります」
 村人はそのことを繰り返す形で述べた。
「少なくとも人はおりませぬ」
「わかり申した。それでは」
 彼は再度それを認めたうえでこう申し出たのであった。
「拙僧がその寺に入って宜しいでしょうか」
「えっ、お坊様がですか」
「そうです」
 彼はにこやかに笑って答えるのであった。
「誰もおられぬのなら。宜しいですね」
「ですがそれは」106
 村人は彼を気遣う顔を見せて止めてきた。
「あまりにも。危険では」
「何、化け物を恐れていては諸国を行脚することはできません」
 一笑してこう言ってみせてきた。
「そうではありませんか」
「お坊様がそう仰るのなら」
「宜しいですね」
「いえ、少しお待ち下さい」
 彼はこう告げて一旦行間を止めるのであった。
「その前に話し合ってみます」
「村でですか」
「そうです。確かにそれは有り難き申し出です」
 正直彼等にとってもその寺が空いたままであるというのは都合が悪いらしい。その証拠に今の村人の顔には不安だけでなく期待も浮かんでいた。その二色がそれぞれ混ざり合って一つの色になったというような、そうした複雑な顔を行間に見せているのである。
「ですが。それでも」
「化け物のことでですね」
「残念ですがその通りです」
 理由は他になかった。そもそも化け物がいなければ既に誰か入っている。それは行間ももうわかっていることではあったが。
「ですから。暫しお待ちを」
「わかりました。それでは」
 行間は村人の家に暫し泊めてもらい村人達はその間彼に寺に入ってもらうか話をしたのであった。彼が村に入ったその日の夜遅くのことだった。質素な村人の家の中で静かに寝入っていた彼を起こす声が聞こえてきたのである。
「もし」
「はい」
 行間はそれに応えて身を起こした。すると彼の枕元に数人の村人がいたのであった。彼等は起き上がった行間の顔を暗がりの中で見ていた。
「話が終わりました」
「左様で。それで」
「是非入って下さい」
 結論はまずは行間にとってはいいものであった。
「あのような寺ですが宜しければ」
「有り難き御言葉」
 村人達に対して礼を述べる。しかし話はそれで終わりではなかった。
「ただ。御願いがあるのですが」
「化け物のことですか」
「左様です」
 彼等は行間に対して答えた。
「その化け物さえどうにかして頂ければ」
「喜んで」
「何、お任せ下さい」
 行間は彼等の言葉を受けてもにこやかな笑みを浮かべていた。
「すぐに終わります、その様なことでしたら」
「化け物でもですか」
「鬼や天狗であっても」
 当時最も恐れられていたものだ。
「恐れることはありません。拙僧にとっては」
「そこまで仰るのですか」
「はい。あの寺に法灯を再び灯してみせましょう」
 こうまで言うのだった。
「ですから。お任せ下さい」
「そこまで仰るのでしたら」
「明日から。是非」
「ええ。それでは」
 こうしておおよその話は決まった。行間はその寺に入った。見れば中も奇麗に掃除されておりまるで既に誰かが住んでいるようである。廊下も庭も雪隠も何処も奇麗なものであり今すぐここで暮らせる程であった。とりわけ庭にある椿の木は見事なものであり行間も気に入った。
 境内に入ると仏像だけが放っておかれている。行間はそれを見て成程とおもうのであった。
「ふむ、やはり」
 顎に右手を当てて述べる。境内も奇麗に掃除されているが普賢菩薩の仏像だけが掃除されていない。埃と蜘蛛の巣で汚いものであった。
 とりあえずその仏像だけ掃除して後は自分に部屋に相応しい一室に入った。そこで持って来た乾米による簡素な夕食を採り部屋の中にあった奇麗な布団を敷いて寝た。その日はそれで終わりかと思われた。
 ところがだ。真夜中になって急に障子の向こうが眩しくなった。ふとその光で目が起こされると自然に身体も起こされた。起き上がって外を見るとそこには何もない。ところが部屋に戻るとまた眩しくなるのだった。実に奇怪なことであったが彼はここで合点がいったのであった。
「ふむ。これだな」
 化け物だと思った。すると外からこんな声がした。
「椿木を切るな」
 こう言っている。やけに奇麗な声であった。女の声に近い。
「誰であろうか」
「東野の野干だ」
 行間の問いにこう答える。だが彼はその声の主が誰なのかわかったのだった。
 
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