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《sword art online》 ~クリスタルソウル~

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暗雲

 




 一年前、僕はゲームの戦闘に関して何も知らない初心者プレイヤーだった。

 どのように剣を振るえば敵に触れられるか、どのタイミングでソードスキルを使えば効果的か。ボタンを押すだけのゲームとは違い、SAOの戦闘は複雑で、ある程度の経験と知識が不可欠だった。僕にはその全てが備わっていなかった。戦いに勝てる可能性は限りなく低い。つまり一年前のあの時、僕がコボルトと戦えると思っていた自信は、ただの無知と経験不足からくるものだったのだ。弱いという事は、時としてそんな無謀さを平然と発揮する。

 だが、今は違う

 数えきれないほどの戦闘や、何度も死にかけた経験が、勝つために必要な知識を僕に与えてくれた。そうして得た勝利が、技術として運動神経にインプットされていった。僕はいつしかゲームの初心者ではなく、攻略組に名前を連ねるほどのプレイヤーになっていた。

 だからこの瞬間、敵に生まれた僅かな隙も見逃さない。

「おっ、りゃあああ!」

 重要なのはイメージだ。腰を回転させ、腕にかかった遠心力を最大限に利用し、剣先で爆発させる。薙ぎ払った身の丈ほどもあるバスターソードが、ゴブリンを鎧ごと輪切りにした。

 吹き飛んだ上半身がポリゴンとなって爆散。全部を確認する暇はない。もう一体のゴブリンがこちらに攻撃を仕掛けてこようとする。身をひねって躱そうとするが、体制を崩していたため動きが鈍い。

 背中を斧がかすめる。氷をあてられたような、ひやっとした感覚。視界の端に表示されたHPバーが、全体の一割ほど減少した。

 舌打ちして、ゴブリンから距離をとる。

 緑色の亜人は、しわくちゃの顔で笑い、黄色い歯をむき出しにした。とてもゲームとは思えない、生理的に訴えてくる悍ましさだ。

「・・・・・・はぁっ」

 溜めていた息を吐き出す。敵はさらにもう一体、後ろに控えて様子を伺っていた。僕のバスターソードは、複数の敵と対峙することを得意としない。なにせ、凄まじい重量なのだ、威力は申し分ないが、腕力を強化している僕でさえコントロールしきれない。例え一撃で敵を屠っても、もう一体に隙を突かれるのは目に見えていた。さて、どうしたものか。

「スイッチ」

 戦場に不似合いな、澄んだ声が耳朶を打つ。考える前に体が動いた。僕が後退するのとすれ違いに、白い旋風が通り過ぎて、ゴブリンのどてっぱらに鋭い一撃を見舞った。

 悲鳴とも、罵声ともつかない声をあげて、ゴブリンが体を折る。一瞬の隙をついた見事な攻撃だ。

「ナイス」

 イヴは横顔で微かに頷き、ゴブリンへ追撃をかける。ダメージが抜けきっていないのか、ゴブリンはがむしゃらに斧をふった。そんな適当な攻撃がイヴに当たるはずがない。彼女は半身になって回避。そのまま胴に一太刀浴びせ、返す刀で首を飛ばす。あっというまに一体屠った。

 僕は、実力で未だイブに遠く及ばない。いくらレベルを上げて、戦闘の経験をつんでも、常にイヴはその先を行ってしまう。攻略組の中でも、彼女のプレイヤースキルは頭一つ分飛びぬけていた。しかし、だからこそ、必ず追いついてみせるのだ。

 僕はそうすることで、弱い自分を変えてくれた彼女に恩返しができるような気がしていた。イヴがいなければ、ここまで前向きになれなかったし、そもそも生きてすらいない。なのに、いつまでたっても彼女より弱いままだったら、それこそ失望されるし、格好悪いってもんじゃないか?

 僕は腰を落とし、バスターソードを上段に構えた。残ったもう一匹が、彼女に襲い掛かる気配を見せたからだ。

 規定モーションを拾ったシステムが、僕の体を自動的にアシストする。
 爆発的な加速、青いライトエフェクトを纏う刀身、正確無比な動きーーすなわち、ソードスキルを発動させた僕は、ゴブリンとの間合いを一瞬にして詰めた。

 奴が気づいたようだ。瞬時に防御しようとするが、その時には既にバスターソードの間合いに捉えている。右上から走る斬撃が、ゴブリンを切り飛ばし、背後の木に叩き付けた。単発のソードスキル「アバランシュ」を放った僕にも大きな隙が生まれる。急所を外してしまったせいで、敵はまだ倒れていない。このまま追撃に移れるか怪しいタイミングだが、今回に至ってはそんな心配は必要ない。頼もしい相棒がそばに控えているからだ。

 僕が敵を吹き飛ばしたのとほぼ同時にイヴがフォローに回る。閃いた剣尖がゴブリンを手際よく串刺しにし、HPを削り切った。

 絶叫。ポリゴン片が爆散し、輝きながら宙に舞う。戦闘終了を告げる効果音と、表示されるシステムウィンドウ。YOU ARE WIN! 僕たちの勝利だ。

 ほっと息をつく。入手した経験値とアイテムに軽く目を通し、バスターソードをしまった。戦いで極限まで高まった緊張感が、警戒レベルまでシフトダウンするのを感じる。

「おつかれ」

「ナオも」

 拳と拳をこつん、とぶつけ合う。彼女とペアを組んでから恒例の合図だ。しかし、恒例とは言っても次も同じようにできる保証はない。ちょっとした判断ミスで全てを失う。ここはそういう場所だった。だから二人とも生き残って、触れ合うことのできた時は、嬉しさを感じずにはいられないのだ。

 イヴの顔からも張り詰めた感じが多少抜けて、いつもの柔らかさが戻ってくる。

「ちょっと攻撃当たってたね。回復は大丈夫?」

「うん。この程度で一々ポーション使ってられないでしょ」

「そんなこと言って。何かあったらフォローするの私なんだから」

「ノルマはあとちょっとだし、一撃くらう前に全部片付けられるよ」

 僕は冗談めかして言ったが、半分は本気だった。油断でも過信でもなく、客観的に見てそれを可能にするだけの実力が僕にはある。ここにいるのは初心者プレイヤーなどではなく、経験を積んだ熟練プレイヤーなのだ。

 が、次の瞬間。僕の反応速度を上回る空手チョップが脳天に直撃した。HPが減らないギリギリの力加減だ。目の前を星が散り、怒ったイヴの顔を見え辛くする。

「調子に乗らない!」

「・・・・・・はい」

 でもやっぱり、彼女には適わないのだった。









 結論から言って、夕飯はいつものと同じように美味しかった。

 日がとっぷりと暮れ、鈴虫が鳴き始めた頃、僕たちは家に帰ってきた。すぐにベッドに入り込みたい衝動を抑え、イヴの指揮のもと、食事の準備に取り掛る。その甲斐あって、今では温かい料理がテーブルに並んでいた。

 自家製のライ麦パンに、丹念に煮こんだキャベツとベーコンのスープ。テーブルの中央に山を作っているポテトサラダはイヴの得意料理だ。若干ポテトが多すぎる気がしなくもないが、どれも文句なしに美味しい。

 ゲーム的に考えてしまえば、調理という行為は非効率的だ。現実より手間は簡略化されているとはいえ、アイテムをそのまま食べてしまった方が楽なことに変わりはない。だが、例え無駄に思えても、過程こそに意味のあるものだってある。それはイヴも僕も感じていることだった。

彼女と暮らし始めてから、なんとなく考えが似てきたと思うことがある。イヴとの同居生活が当たり前になって久しい。二人は結婚しているのか? と偶に聞かれることもあるが、あくまで僕は居候させてもらっている立場に過ぎない。始まりは、朝がきついと文句を言う僕に「起こしてあげるから、一緒に住んだら?」と返したイヴの冗談みたいに軽い一言だった。それがまさかここまで長居してしまうことになろうとは、あの時は思ってもみなかった。
 
 だが、何時かは出ていかねばなるまい。ペアを組んでいるからこそ、彼女だけに負担を強いるのはよくないのだ。

 そんな事を考えながら、何気なくイヴの方を見ると、彼女はカリカリのパンをちぎってスープに浸している最中だった。
 ぱくっ。小さな口で食べる。
 もぐもぐ。咀嚼する。
 こくり。白い喉が動く。
 目があった。

「なに?」

「いや、なんでも」

「へんなの」

 それだけ言って、彼女はまたパンをちぎる作業に戻る。妙に口数が少ない彼女に、僕はちょっと首を傾げた。いつもなら無駄に絡んでくるのに。

「ねぇ、何かあった?」

 さっきから薄々感じていた疑問をぶつけると、ぴたりと彼女の手が止まった。一口大にちぎられたパンが、ゆっくりと戻される。

「・・・・・・さっきコールがあったの。厄介事を頼まれちゃった」

 イヴは浮かない顔で皿を見つめている。そういえば僕がポテトを潰す作業をしている時、彼女は誰かと会話していたっけ。なんの連絡だろうか。確かに、そろそろ重要なクエストが発見されてもおかしくない時期ではある。当然僕たちにも召集がかかるだろう。しかし、それでは彼女がこんな深刻な顔をしている説明がつかない。危険なクエストの依頼など、攻略組にとってそれほど珍しい話ではないのだ。これは余程の大事か、あるいは・・・・・・

「ふーん。誰からの依頼?」

 僕はスプーンを動かしながら聞いた。冷静な風を装ったが、内心では非常に狼狽えていた。そして案の定、彼女は僕の期待を裏切らなかった。

「ヒースクリフ」

 危うく、口に含んだスープを全部吹き出しそうになる。
 その名前には大いに聞き覚えがあった。

「ヒースクリフって、まさかっ」

「そう、あのヒースクリフ」

「有名人じゃない! だってあの人は・・・・・・」

「『血盟騎士団』のギルドマスターで、SAO最強のプレイヤー、でしょ? まったく、ずいぶんと大それた肩書・・・・・・」

 珍しく皮肉めいた事を言う彼女に気づかないほど、僕は驚いていた。
 ゲーム内に数多く存在するプレイヤー集団、ギルド。中でも血盟騎士団は最強戦力との呼び声高い。デスゲームからの脱出が最優先とされる今、ゲーム攻略に貢献できるギルドは、それだけ大きな権限と影響力を持つ。トップギルドのボスともなれば、僕たちよりもヒエラルキーは上なわけだ。しかし、そんな肩書とは関係なしに、実力とカリスマ性において他の追従を許さないのがこのヒースクリフという男だった。

 ユニークスキル『神聖剣』の使い手。ボスの攻撃をたった一人で防ぎきった伝説。我の強い高レベルプレイヤーをまとめ上げ、血盟騎士団を結成させた手腕。

 数々の功績を持つ彼を、英雄と呼ぶプレイヤーも少なくない。ヒースクリフは、ゲーム内の最重要人物と言っても過言ではないのだ。

「・・・・・・どんな話をしたの?」

 恐る恐る尋ねながらも、僕は粗方覚悟を決めていた。そんな人物からのコールが、ただの世間話で終わるはずがない。

「『ラフィンコフィン』。知ってる?」

「いきなりなにさ・・・・・・そりゃ、知ってるけど」

 彼女が口にした名前。それは血盟騎士団とは別の意味で有名だった。

 プレイヤーを攻撃する、いわゆるプレイヤーキルを生業としたギルド。それがラフィンコフィンだ。従来のオンラインゲームではこの手の行為をPKと称し、遊戯として当たり前のように容認されてきたが、SAOにおいては全く違う意味を帯びる。HPがゼロになれば実際に人が死ぬ。つまりプレイヤーを攻撃するという事は、人殺しを行うのと同義なのである。しかも奴らはそれを充分知った上で、殺人を楽しんでいる。胸糞悪いという以前に、ぞっとする話だ。

 イヴも全くの同感であるらしく、その表情は険しい。

「奴らのアジトが分かったらしいの」

「なんだって!?」

 思わず僕は身を乗り出した。以前から調査されていたラフィンコフィンのアジト。それは余程巧妙に隠されているらしく、今の今まで手がかりすら掴めていない有様だった。奴らの暴挙を防げなかったのも、その居所が分からなかったという理由が大きい。

「近々、私たちはそこに襲撃をかける。ラフィンコフィンのメンバーを全員捕縛するためにね」

 僕は頷いた。厳しい戦いになるだろうが、得るものは大きい。ここで奴らを一網打尽にすればPKの被害を防ぐことができる。これはプレイヤーを直接守ることにも繋がるのだ。そういう意味では、攻略よりも重要な任務だと言えた。

「よし、そうと来れば準備しとかなきゃ。大掛かりな戦闘になるからね、きっと攻略組も総動員だろうし・・・・・・」

「いいえ」

 冷えたイヴの声に、僕の動きが止まる。いきなり戦場に放り込まれたかのような緊張感が、穏やかな食卓に舞い降りた。

 テーブル上に置いた拳をぎゅっと握りしめたイヴは、まるで絞り出すように真実を告げる。

「討伐隊は二六名・・・・・・『血盟騎士団』と『風林火山』の合同チーム」

 僕は唖然とした。それだけじゃレイドパーティーも組めやしない。

「そんな、少なすぎる・・・・・・なんで・・・・・・・」

「詳しいことは分からないけど、どうやら情報がラフィンコフィンにもれているらしいの。内通者のせいでね。犯人を炙り出そうにも、攻略組は規模がでかすぎて収拾がつかないし、ギルド同士でいがみ合うから余計話がややこしくなる。のんびりしている時間もない。・・・・・・だからこの作戦は、ヒースクリフの独断。信用できるギルドとプレイヤーだけで実行する、少数での奇襲」

「無茶だ! 相手は殺人ギルドだよ? 対人戦は僕たちよりずっと慣れてるし、人数だって四十人はいるはずだ!」

 いくら攻略組のレベルが高水準だからといって甘く見てはいけない。数という力は、時としてその優位を容易く覆す。ましてや相手は殺人ギルド。僕らの得意分野がボス戦だとしたら、奴らのそれは人殺しだ。危険がある以上、僕たちは最高の作戦を、最大戦力で実行しなければならなかった。こんなギリギリの作戦は容認できない。成功しても失敗しても、きっと誰かが死ぬ。

「正面からぶつかったら危険。それはヒースクリフも承知してる。だからこんな搦め手を使おうとしているんでしょうね」

「え?」

「囮よ」

 寒々とした空気の中、イヴは淡々と、冷静に言った。しかし、その表情は困ったように揺れている。僕は嫌な予感がした。

「私が囮になって敵をおびき出し、それを待ち伏せして叩く・・・・・・ほんと、あの人らしい作戦」




 
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