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塔の美女

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1部分:第一章


第一章

                     塔の美女
 パリの話だ。今この街を不気味な噂が支配していた。
「本当なのか?」
「ああ、そうらしい」
 人々は剣呑な顔であちこちで顔を見合わせればその話ばかりしていた。そのうえである塔を見上げるのだった。セーヌの左岸にあるその高い塔を。
「あそこに出るそうだ」
「亡霊がか」
「ああ、しかもだ」
 人々はその塔を見上げながらさらに話をする。石造りの灰色の高い塔を。その塔はどう見てもただの塔だ。しかしもうそれだけの塔ではなくなっていたのだ。
「夜になるとな。出るらしい」
「亡霊がか」
「気をつけろよ」
 誰かがその塔を見てまた囁く。
「その亡霊を見上げるだろ」
「ああ」
「するとな。そこに引き込まれてだ」
 剣呑な顔でさらに語る。
「生きて帰ることはないらしい」
「死ぬのか」
「入った者はいつもセーヌ河に浮かぶらしいぞ」
「セーヌにか」
 ここでそのセーヌ河を見る。パリの象徴とも言ってもいいこの河は今は静かに流れ青と銀の輝きを見せている。しかし今はその輝きが誰の目にも不吉なものに見えていた。
「そうだ。亡霊にとり殺されてな」
「恐ろしいことだな」
「だからだ。見上げるな」
 また言われるのだった。
「絶対にな。通るだけでも危ないぞ」
「うむ、そうだな」
「危うきには近寄らずだな」
「そうするべきだな」
 こうして誰も近寄ることがなくなった。何時しかパリは夜に誰も出歩くことがなくなった。しかしこれを怪訝に思う者もいたのである。
「それはまことか」
「はい」
 当時の国王はルイ十三世だ。彼は今王の間で宰相であるリシュリューと対していた。リシュリューはその鋭利な顔で王の前に片膝をついていた。
「陛下も御聞きになられている通りです」
「不思議な話だ」
 王はまずこう述べた。
「そしてそこに入って出て来た者はいないか」
「そういう話でありますな」
 リシュリューはこう答えた。
「話では」
「だが。死んだ者がいるのだな」
「おそらくは」
「おそらくでもだ」
 王はこのことを問題としていた。そうであれば事態は大変なことになるからだ。
 話を聞いた王は考える顔になった。そのうえで彼は考える顔になりそのうえでリシュリューに対して述べたのであった。決断した声で。
「余に考えがある」
「どうされますか」
「剣の使い手だが」
 まずはこう言った。
「今誰がいるか」
「まずロシュフォールはイギリスに行っています」
「彼は駄目か」
「残念ですが」
「ううむ」
 王は彼が使えないと聞いてまずは落胆した。
「左様か」
「使者の護衛に行っていますので」
「そうだったな。では彼はいい」
「はい」
「三銃士はどうか」
 次に出したのは彼等についてだった。
「あの者達はどうか」
「三人共出ています」
「戦争だったか」
「はい、スペインとの」
 今度はこれであった。
「出ておりますので。残念ながら」
「そうか。アトスもポルトスもアラミスもだな」
「申し訳ありませんが」
「では。彼しかいないか」
 王はここでまた言った。
「彼しかな」
「あの者ですか」
「うむ。どうだ」
 あらためてリシュリューに問う。
「あの者ならな」
「そうですな」
 リシュリューは王の問いに対してまずは一息置いてから答えたのだった。
「あの者しかおりますまい」
「やはりそう思うか」
「はい。ロシュフォールも三銃士がいない今あの者しかおりませぬ」
 今度はこう述べたのであった。
「ここは」
「実はだな」
 王はここで少し危惧する顔を見せてきた。
「あの者だけで行かせるのは少し危険かとも思うのだが」
「それは私も思います」
 これに関してはリシュリューも同じ考えであった。このことを隠しもしない。
「いささか血気にはやりますので」
「そうだ。まだ若い」
 王はそこを危惧していたのだった。どうやら二人が考えているその者はいささか軽率か若しくは血気盛んであるらしい。やり取りからそれがわかる。
「それがどうにもな」
「ですが。腕は立ちますので」
「伊達に三銃士と初対面で決闘を挑んだわけではないか」
「それも三人に一日一度にです」
 リシュリューはここで苦笑いになった。細長く鎌髭を持ち一歩間違えればかなり意地の悪そうな顔であるが何故か苦笑いも合う顔であった。
「普通はしません」
「幾ら知らなかったとはいえな。一度に三人に決闘を挑むなどと」
「ですが腕が立つのは事実」
「うむ」
「ですからここはあの者にしましょう」
「よし」
 リシュリューの言葉をここまで受けたうえで王は決断を下したのであった。
「あの者にしよう。それではな」
「はっ」
 こうして話が決まった。その夜パリの街に茶の大きな馬を駆って街を進む一人の若者がいた。夜の闇の中に馬の蹄の音が響き月明かりに青い上着と白いマントを着て茶色の髪を持つ端整な若者がその馬に乗っていた。彼は馬を引く従者に対して声をかけてきた。
「なあジャン」
「何ですか、御主人様」
「陛下は私にこの仕事を与えて下さった」
「はい」
「やはり名誉なことだな」
「名誉なのは名誉ですね」
 感動しているような若者に対して彼よりもまだ若いこの従者はかなり覚めた言葉を出して応えた。くすんだ金髪と黒い目を持つ賢そうな従者である。
「それは確かに」
「何か面白くなさそうだね」
「当たり前ですよ」 
 ジャンは不機嫌そのものの声で若者に言葉を返した。
「話は御存知ですよね」
「勿論だ」
 若者の言葉は相変わらず元気がよく爽やかではある。
 
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