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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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79話

 自己、《私》という存在について。
 《私》とはどこに在るのだろう。肉体の牢獄の内に縛り付けられている何者か、内なる人―――観念の親戚―――のことを《私》と呼ぶのだろうか。肉は単なる服属品であろうか。
 それともこの肉も《私》であろうか。身体を持った《私》。意味を生み出す身体。
 それとも《私》などというものは存在ではないのかもしれない。意味としての《私》、フェルトセンスとしての《私》。
 《私》の範囲はどこだろう? 皮膚の内側だろうか。では環境と接する外側の皮膚は《私》だろうか。それとも《私》とはより広く取り得るか。私の意識されるもの、自我が《私》であろうか。他者も《私》だろうか。他者と私にはやはり境界線があるだろうか。超えてきてはならぬ(ホライゾン)、不愉快な侵入者。他者は他者、私は私。
 じゅーじゅー、ぱちぱち。
 《私》がこんがり焼けていく。《私》が何なのかはよくわからないけど、蒼い焔に焼かれた《私》は所々焦げ目がついていていい匂い。
 じゅーじゅー、ぱちぱち。
 《私》がこんがり焼けていく。《私》が何なのかはよくわからないけど、蒼い焔に焼かれた《私》はお皿に盛られておいしそう。
 じゅーじゅー、ぱちぱち。
 《私》がこんがり焼けていく。《私》が何なのかはよくわからないけど、蒼い焔に焼かれた《私》、いただきまーす。
 すっかりお皿の《私》は食べられてしまいました。
 綺麗なお皿の上、《私》はすっかり無くなってしまったのでした。
                      ※
 格納庫の入り口から中に入ったクレイは、視覚野を刺激した光景に足が動かなくなった。
 胸の中を焦がす感情。早く己の為すべきを為さんという意思に対して、クレイの判断器官は眼前の光景を理解できなかった。
 毎日という程ではないけれど、それに近い数この格納庫には足繁く通っていた。目を瞑っていたって物にぶつからずに歩けるほど、クレイにとってその場所は親しみのある場所の筈だった。
 忙しなく行きかう整備兵。20mほどの巨大な第4世代MSがずらりと並ぶ壮観。その巨人を拘束するようなガントリー。鼻をつく油の臭い、鼓膜を無思慮に触れる喧騒。それら全てはクレイ・ハイデガーにとって馴染んだ現象だった。
 だがそれがわからない。まるでこの場に初めて訪れたような感覚、新しい学校に入り、周りの人間が誰もわからないあの奇妙な緊張と余所余所しい感覚、世界からのあぶれ者になった感覚。異邦に訪れたかのような未視感―――。
「何してるの?」
 不意に肩を叩いた音に奇妙なほどに驚きの感情を惹起させた。
 振り返れば、ジゼル・ローティが不思議そうな顔をしてクレイを覗き込んでいた。
 砂金を思わせるプラチナブロンドの髪に、サイドの一部を編み込んだその髪型。彼女の顔は、クレイにとって確かにジゼル・ローティその人だった。
「いえ……ちょっと」
 クレイはなんでもないように苦笑を浮かべて見せた。
「それよりジゼルさん大丈夫なんですか? 被弾したって……」
 クレイは、背後の《ガンダムMk-V》を意識した。
 メガ粒子砲の一撃を根本から食らったのだろう。腕と胴体の接続部分まで金属が融解により変形し、人間でいう所の肩の辺りは黒くくすんでいた。
 「まぁなんとか無事かな」言葉とは裏腹に、ジゼルの顔は無事であることの安堵を露ほども感じてはいないようだった。
「悪いね、本当はあたしとヴィルケイが行かなくちゃいけないのに」
 告解。己の一瞬の油断への悔いを滲ませたジゼルが唇を噛む。先任という立場にも関わらず、後任を前線に出すことの苦悩。クレイにその感情はわからなかったから、「大丈夫ですよ」といつも通りの声色を出した。
「隊長も言ってましたけどネオ・ジオンの目的がここの占有にないとしたらそう長く戦わないでしょうから……」
 ジゼルはしかし、眉間に皺を寄せたまま釈然としない顔をしていた。そうではない、あたしが言いたいことは―――言いかけ、ジゼルは止めた。代わりにいつもの表情に、年相応の無邪気と柔和な笑みを浮かべて、ジゼルはクレイの胸を軽く拳で叩いた。
「隊長に聞いたけどあの《ゲルググ》のパイロットだったんでしょ? さっきの感覚、忘れないでね。クレイのさっきの様子なら誰にも負けないから」
「見てたんですか?」
「遠くからね」
 言って、ジゼルは拳を解くと、ぽん、とクレイの胸を押した。理解し、敬礼したクレイは振り返りながら己の《ガンダムMk-V》の元へと向かった。
 壁面のエレベーターでキャットウォークの上へ。赤紫の《ガンダムMk-V》の目前に立ったクレイは、そのまま開放済みのコクピットハッチを潜った。
 微かな未視感の残余。それを無意識化に押し込めて、クレイは素早くシートに着座する。
「08、着座完了しました」
(01了解。全機、着座完了を確認した)
 ディスプレイに通信ウィンドウが3つ立ち上がる。
 フェニクスとエレア、そして……攸人。
 彼は大丈夫なのだろうか―――クレイの襤褸になった記憶のどこかで、……神裂攸人の泣き顔がちらついた。
 人を殺してしまうことが恐ろしい、と言っていた。……攸人と意識してその話題に触れることはあれから無かったが、今はどうなのだろう? 機内カメラの向こうに居る……攸人の顔はヘルメット越しではっきり見てはとれなかったが、生体データを見る限りは平常時を上回っているくらいだった。
 己の感じる罪悪を乗り越えたのだろうか。だとしたら、やっぱり……攸人は凄い奴なんだな、と思う。クレイは己の手に残る形容しがたい心地よさの滓と、目元に微かに残る液体が乾いた感覚に酷く―――クレイ自身が驚くほどに酷く不快を覚えて、慌てて検閲官はクレイに考えるのを止めさせた。
(本来外の戦闘は我々の管轄外だがそうも言っていられん。現状唯一実弾を装備する我々第666試験部隊も敵部隊の迎撃に当たる。良いな?)
 了解の応答をしながら、クレイはそのフェニクスの声に若干奇妙な感情を覚えた。彼女は感情の起伏を見せずに、いつも通りの素振りだった。だというのに自分は何を感じたのか―――。気のせいか、と思い直した。
(前衛は私と04が、前衛支援を02、部隊支援に08の陣形で行く。コロニー外への予定進路は戦域マップに表示するからそれに従え)
「了解」
 言いながら、クレイはディスプレイに投影された戦域マップに目を落とす。何のことは無い、コロニーの中央を突っ切る形でコロニーの端にある”港”まで進行後に、そこからコロニーの外へ出るというだけの話だ。
(666試験部隊、出るぞ!)
 フェニクスの声と共に鈍い音と振動が鼓膜を揺らした。キャットウォークがさらに上昇するとともに機体を固定していたケーブルが排除される。ディスプレイ上に発進可能の表示が立ち上がると、クレイは紫赤の《ガンダムMk-V》を前進させた。
 ぱっくりと開いた格納庫を潜れば、既にすっかり闇に沈んだ昏い外の光景が目に入る。
 カタパルト無し、スラスターだけの上昇するのも酷く推進剤を消費する行為だが、コロニー内であるだけマシだ。背後の格納庫のハッチが閉鎖したのを確認し、周囲に誰も人がいないことを確認して、スロットルを開けた。
 微かな振動がコクピットを揺らす。視界の端、隣の格納庫からは既に灰色と鮮やかな蒼の《ゼータプラス》と《リゼル》が閃光の尾を引いて飛翔していた。
 黒い《ゼータプラス》の頭部ユニットが微かに《ガンダムMk-V》を一瞥する。通信ウィンドウに映ったエレアの表情は、外見相応に無邪気で稺かった。
 この陣形、エレアを前衛支援のために中央に置く陣形の意図が分からないほどクレイは鈍くなかった。
 先ほどのエコーズの男―――名前は何だったか、まぁどうでもいいが、あの男も言っていたではないか。
 彼らの任務はエレアを守ることだったが、それが究極目的ではない。与り知らぬ諸権力の戦略の中でクレイが動いていたのなら、彼らもまた同じだろう。エレア・フランドールの喪失にデメリットを蒙る何がしかの権力と、エコーズを動かせる権力との間で友好条約が交わされ、その結果として実働部隊が乗り出している。その諸権力の実在が何なのかはクレイの知る由のないことであるし、またどうでもいいことだった。だが、その権力のゲームの結果として、エレアが戦闘に出なければならないという奇妙な矛盾が生じる。そのプロセスがわからないのがもどかしかった。
 フェニクスはよく理解しているのだろう。だから、取り得る最善の策を取る。
 己の為すべきこと―――わかっている。自分がエレアの背後を任された理由も―――もちろん機体特性的にという理由もあるが、理解している。
 黒の《ゼータプラス》も雪の降り続ける空に飛び上って行った。追従するようにフットペダルを踏み込むや、明らかにそれと分かるずっしりと感じる感覚、人為的に発生させられた重力がクレイの身体に圧し掛かった。
 みるみる地表を離れていく。直径6km、全長40km強。コロニーとしては比較的大型だが、やはりMSにとっては手狭な箱庭だった。
 黒雲の下、眼下を見渡せば街が広がっている。MS同士の戦闘の破壊の後か、所々明かりのついていた区画があった。
 その闇の中で咲く光―――マズルフラッシュの光。頭部を破壊された《リックディアス》、コクピットにサーベルを突き立てられ遺構と化した黒い機体―――《ジェスタ》。戦闘があった、のではない。戦闘はまだ続いている―――。
 不意に、ディスプレイに別枠でウィンドウが立ち上がった。チープな電子音と共に表示されたそれは、部隊内で共有される生体データだった。
 最初、そのウィンドウは黄色の枠で―――つまり緊急の事態が切迫しているわけでなく、単なる注意勧告を意味するウィンドウとして表示されていた。ゲシュペンスト02―――エレアの生体機能に微かな異常の兆候を知らせるそれを一瞥し、クレイの《ガンダムMk-V》の前を行く《ゼータプラス》に視線を移した瞬間だった。
 単なる注意喚起を意味していた安っぽい音とウィンドウが急に甲高い劈くような警報音を鳴らし、ディスプレイ上に赤く点滅する警告ウィンドウが立ち上がる。
 エレアの乗る黒い《ゼータプラス》は、まるで糸の切れた人形のように墜落していき―――。
「02―――エレア!」
(9時の方向、高熱源確認!)
(―――何!?)
 黒い《ゼータプラス》が堕ちていく様の視界の端、『河』と呼ばれる開放型コロニーの採光ミラーが一瞬で赤熱化し、オレンジ色の融解した超強化プラスチックが溶岩さながらにはじけ飛んでいく。
 コロニー内の大気が一気に放出されていくその風穴から、『それ』が矢のように飛来した。
 白と群青のカラーリングに扁平な外見は、一瞥でMSが可変しているのだと判別できた。その白亜の機影が可変する。背中に己の体躯ほどもある異形の大翼を背負い、ぎらと鋭利に灯る翡翠の瞳が《ガンダムMk-V》を睨めつける。
 その外観は明らかに連邦の機体―――Ζ計画系の機体だった。だが、クレイはそれを芥子粒ほどの不純物も無く敵と識別した。
 IFF不明。
 所属不明。
 目的不明。
 連邦の機体だから味方ではない、という理解もあった。だが、合理的理性的思考がそれを敵と判断するのと、己の直観がそれを敵と判断するのは同時だった。
 あれは敵だ。頭のどこか、身体のどこか、身体全体があの物体を意味づけする。あれは己にとってあってはならぬ敵。
 その白い機体が巨大なビームライフルを構える。ロックオンから秒ほどの時間も待たず迸った大出力のメガ粒子は、コロニー中での減衰など意にも介さずに《ガンダムMk-V》に殺到した。
 咄嗟にシールドを構えられたのは実力でもなんでもなく、ただの反射行動でしかなかった。あれを敵、と身体が感じていたからこそ、その一瞬で膨れ上がった描写し難い不定の感覚―――明確な棘となって殺到する敵意を敵意と理解し、左腕に装備した巨大なシールドをクレイ・ハイデガーの身体(しんたい)が掲げたのだ。
 大出力のメガ粒子はシールドの耐ビーム被膜加工を一撃の元に消耗させる。顔を苦くするのもつかの間、スラスターを全開に迸らせたその白いガンダムがサーベルを抜刀し、彼我距離を一瞬で消し飛ばす加速でもって肉迫する。被弾時の機体の挙動不安の制御に手を取られていたクレイは対処が遅れて、そうしてその白いガンダムがサーベルを薙ぎ払い―――。
(貴様、『アカデメイア』とか言う奴か!)
 間隙に滑り込むように割り込んだ灰色の《ゼータプラス》が光の刃を重ね合わせた。
(インテグラルの制御を奪取したのも貴様だな! システムにどうやって介入したかは知らんが、貴様たちは連邦の―――!)
(悪いが、貴官の質疑に応答する義務は私には無い)
(―――その声、中佐か!?)
 白のガンダムが巨大なシールドを持ち上げる。表面部に装備された黒いブロック片のようなものが前面に展開するに合わせ、灰色の《ゼータプラス》が左腕にビームサーベルを引き抜く。両者が咄嗟に引き抜いた装備が直撃するより早く、その白亜のガンダムは膝蹴りを《ゼータプラス》の胴体に炸裂させた。数トンを超える質量同士がぶつかる衝撃はそれなりの威力の爆弾にすら匹敵する。たまらず怯んだ《ゼータプラス》に、さらに足蹴りを叩き込んだ白いガンダムは、重力に伴い、スラスターの推力も合わせて一気にコロニーの地表に激突した。
 粉塵の中、幽鬼の如く佇立する白いガンダム。その背後に、黒い《ゼータプラス》がまるでただの物のように存在していた。
 白い『ガンダム』が身長ほどもあるビームライフルを指向する。誰を狙うでもなく向けられた銃口の先は―――。
(市街を―――!?)
 攸人の驚愕。
 押し込まれるトリガー。
 クレイ・ハイデガーはそのプロセスの直前にフットペダルを踏み込んだ。
 閃くスラスターの炎。立ち上がる光の柱と市街部との間に《ガンダムMk-V》を割り込ませた。
 シールドに吸い込まれた光軸が対ビームコーティングを完全に消耗させる。減衰しきれなかったビームはそのままシールドを貫き、スラスターユニットを兼ねるシールドは内部の推進剤に誘爆して膨れがあった焔の中に融けていった。
 防眩フィルターでも防ぎきれない閃光が視神経を焼き尽くす。爆風に吹き飛ばされながら、クレイはなんとか焦げた視神経を励起させ、その白亜のガンダムを捉えた。
 スラスターを噴射させたガンダムが“河”の穴へと向かう。黒い《ゼータプラス》はまるで奴隷のように白いガンダムの側に付き従い、宇宙と繋がる穴へと向かっていく。
 彼女の名前が頭の中で乱反射する。
 行ってしまう。このままでは彼女はどこか遠くへ行ってしまう。自分はまだ、何も誓いを果たせていないのに。
 行かないでくれ、独りにしないでくれ―――操縦桿から手を離して、強張る右手を伸ばした。
 小さな彼女の手。白い肌は雪のようで、だけでど触ってみたら(あった)かくて柔らかい手。伸ばせばその小さな手はいつも握り返してくれて―――。
 漆黒の《ゼータプラス》は、クレイに一瞥すらくれなかった。白いガンダムがビームライフルのトリガーを引く側を通り、そのぽっかりと開いた昏い穴から外へと飛び出していく―――。
 《ゼータプラス》と入れ替わるようにして、MS1機を優に上回る風穴からコロニーへと飛び込む機影。モスグリーンに染められ、十字架を想起させる顔に単眼を閃かせる愚鈍そうな機体はコロニーの中へ侵入するや、一目すら躊躇うことなくクレイの元へと突撃する。
 白いガンダムの緑色の光がクレイを見据えた。睥睨するような、哀れみを滲ませたような目をした白いガンダムが異形の翼を羽搏かせる。
(―――『白雪(スノー)(ホワイト)』は頂いていく)
 酷く抑揚のない声が耳朶を打つ。誰に向けられたでもない声、己だけに向けられた声。
 白亜のガンダムがスラスターを焚く。行きがけの駄賃とばかりにメガ粒子砲を撃ち込みながら反転したガンダムの背が網膜に焼き付く。
 あの白いガンダムの背は単なる物以上の存在でありながら、何事も語らず、語ろうともせず―――語ることが罪だと自覚するその背が、闇の中へと溶けていった。
(クレイ、来るぞ!)
 切迫したような攸人の声。奥歯が砕けるほどに歯を噛みしめたクレイは、左腕の3連装機関砲を構える《ドライセン》を正面に捉えた。
 自分の口に最もなじんだ名前、愛した名前。口から出かかった名前を呟くことすら許されず、クレイはバックパックからハルバードの柄を引き抜いた。 
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