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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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33話

 なんでこんなことになっているのだ―――?
 腕と脚の筋肉が悲鳴をあげる。
 身体を縮めてはドライブし、そうして手許に思い切りオールを引く。ブレードが海水を押しやると、微かにだがクレイの乗るボートが進む感触があった。微かにである。
「ほらほら頑張れ頑張れ~」
 ボートの真ん中で手を叩くエレア。途中までは笑みとともに応じていたが、もう疲労困憊でそれどころではなかった。
「お前もやれよな……」
 エレアを挟んでクレイの向かい側では、ひーこら喘ぎながらエルシーがオールを漕いでいた。必死な形相で汗だくになりながら漕いでいるところを見れば本気になっていることはわかるのだが―――何分手漕ぎ方がわかっていなかった。そもそも、エルシーはサナリィとの技術交流目的でアナハイムから派遣されているメカニックの卵だ。しかも軍属というわけでもないのだから、ボートの漕ぎ方など知らなくて当然である。
 必然、ボートが漕げるのは軍属のクレイとエレアということになる。そうして、今はローテーションの関係でエレアが休憩する時間だった。
「ダメだ……死ぬ……」
 力なくオールから手を離す。
 クレイも体調が万全というわけではなかった。というより、前日からの寝不足をコーヒーのカフェインでブーストしてなんとかしている状態―――畢竟、ヘロヘロだった。オールをなんとか握っているだけなのである。
「代わろうか?」
「いやいやいやいや次の休憩は私の番だろう!?」
「―――代わらなくてもいいからちょっとだけ休憩させてくれ。そうしたら頑張れるから」
 うーん、とクレイとエルシーを不思議そうに見比べる。うんうんと首をぶんぶん縦に振るってエルシーが同意を示したのもあって、しばし潮に流されるままにしておいた。
 それにしても酷い人選だ、クレイは思った。
 クレイとエレアを一緒にした理由はまぁ、良いだろう。だが何故エルシーが同じボートなのだろう。
 そもそも、このボートレースはアナハイム・エレクトロニクス社によって執り行われているものだった。MSの研究に乗り出したサナリィに対し、現在のアナハイム社は友好的に手を取り合っていこうという指針のようだ。エルシーらアナハイム専高から派遣されてきている人員は、技術交流の一環という一面も強いがどちらかと言えば友好の証のためだった。技術交流ならば既に現場に出ているメカマンが来て然るべきであるし、そうして実際サナリィが宇宙でMSの稼働試験を行っているニューエドワーズには数多くのアナハイム社の整備士が来ているのだ。
 第666特務戦技評価試験隊がサイド3に訪れてより1か月。その間機体の整備などに勤しんだアナハイム専高の学生の慰労も含め、様々な上の人間の配慮によって行われている―――と言えば、うんと頷くしかない。
「なんだよ」
 正面に座るエルシーが顔を険しくする。どうやら、知らず注視していたらしい。首を横に振って否定すると、エルシーも特に留意するでもなく虚脱して空に視線を放り投げてしまった。
 やはり、どう考えても人選が偏りすぎだった。エレアは見た目に反して軍属なだけあって割と肉体労働が出来る方だが―――。こんなことならしっかり寝ておけば良かった、と益のない後悔をした。そもそもクレイはこんなボートレースに出る予定は無かったのだから後悔もクソもないのだが―――詮無いこととはわかっても悔いてしまう人種なのである。
 とりとめも無く変化の乏しい海を眺めていると、その中でぽつねんと何か点のようなものが現れた。徐々に大きくなる黒点がボートだ、と気づいたのは、ゴムボートの中央に仁王立ちするジゼルの姿を見たからだった。水飛沫をまき散らしながら海上を驀進していく様はもはやモーターボートと大して変りなかった。
 確か副隊長が一緒だったな、クレイは思った。もう片方のサナリィの整備士も、中々逞しい筋肉達磨だったのは覚えている。それにしても限度があるだろとは思ったが―――クレイは静かに視線を逸らした。
 何も悪いことばかりじゃない筈である。改めて、ばれないようにエルシーに視線をやる。
 エレアとは正反対というのがクレイの評価だ。出るとこ出ているエレアに比べれば、エルシーは年と体格相応にスレンダーだった。そうして、その細い身体を包むエナメルブラックの地球連邦軍の競泳水着は、肩甲骨と肩をX字に結合されているだけと背中の露出こそ多いが前はほとんど黒一色だった。
 エナメル質の無機的な黒は、なるほど機能性を追求したプラグマティスティックな俊麗さがあった。
「なぁ、クレイ?」
「なんでしょう?」
 思わずガン見していたことを気取られないように平静を装いながら顔を上げると、エルシーはまだ空を見上げていた。
 上、と彼女が指さすのにつられ、3人揃ってプレーリードッグのように空を仰ぎ見た。
 ぽつりと冷たい水滴が頬を伝った。
「―――雨?」
 空はまだ明るかったが、いつの間にか薄く広がった灰白色の雲が空に沈殿していた。
 薄暗がりがゴムボートへと堕ちていく―――。
「今日は晴れじゃなかった?」
 顔を上へ向けたままエルシーが言う。
「いや、こういう熱帯雨林型のコロニーではなるべく地球の自然状態に近づけるために予定されている天気予報とは違うパターンでスコールが来ると聞いたことがあるけど―――」
 思わず2人と顔を見合わせた。
 熱帯雨林気候のスコールは知識上でしか知らない―――が、士官学校時代に映像で見たことはあった。豪雨を伴う急激な烈風に煽られれば、軍用でもないゴムボートなど一たまりもない。
 さわさわと冷たい風が前髪を無思慮に撫でつける。
 背後を振り返る。出発地はもう大分遠くに霞んでいた。
「あれ、あの島に行ったほうがいいんじゃない?」
 エレアが遠くを指さす。
 リゾンテはそもそもリゾートコロニーだ。海洋上にぽつぽつと存在する孤島は、なるほど避難するのに適している。さらに、確かこの海域はキャンプ目的として設営された孤島が点在する区域―――島に洞窟が点在しているハズだ。仮に豪雨に襲われても雨を凌げる。
 一見ぼんやりしているように見えて、流石はエースパイロットということか。
 エレアと顔を合わせる。事情を理解したエルシーも頷くと、ゴムボートの進路を近くの島へと向けた。
「公務員の方々は仕事熱心なことだ―――」
 皮肉たっぷりに呟いたクレイは、疲労に浸された肉体に鞭打った。

 バケツをひっくり返したような雨、という豪雨の比喩がある。なるほど急激な雨を表現するには適していることを、クレイは肌身で感じていた。雨が降っているとは思えない、雨が大地を打ち付ける音に身を竦ませる。コロニー育ちのクレイには、雷の音よりもこの異様な雨の音の方が堪えた。それでもなんとか海際に生えていた直生植物に覆われていたヤシの木にゴムボートから伸ばしたロープを括り付け、固定させるところまではなんとか身体を持たせたが、クレイの体力もそこで限界だった。へなへなと砂浜に腰を下ろした。
 恨めし気にゴムボートを眺める。
 当たり前だが、ジオン共和国軍は海やら熱帯雨林での戦闘を想定した装備など持っていない。持つ必要がそもそもないのだ。旧ジオン公国軍の装備もほとんどが地球に取り残され、そして地球連邦軍に接収されている。ゴムボート自体は軍が用意したものだが、ちゃちな様は民間用の、対して高くも無いものだ。当然ビーコンだと無線だとかそこらへんの機能も持っておらず、自分たちの位置を知らせる手段も無いというのが現状だった。
「仕事熱心なのも困りものだ!」
 自棄気味に声を張り上げる。
「なんか言った? 聞こえないんだけど!」
 同じようにエルシーが声を張り上げた。自棄を加速させたクレイは、ムスッとしながらエレアに目をやった。
 打ち寄せる黒白の波と痛い程の雨に晒されながら、むしろ楽しげに砂浜をひょこひょこ飛び跳ねていた。
 子どもは雨を喜ぶという。だがいくらなんでもこの雨を喜びに変換できるものなのだろうか―――? 子ども、という存在にとんと興味が湧かないクレイには上手く想像できないが、それが子どもというものなのだろう。17にもなれば子ども、という歳でもないが―――。
「なあ!」
「わぁ!?」
 不意に耳元で炸裂した甲高い声にぎょっと横を見れば、彼我距離20cmの位置にエルシーの顔があった。
「そろそろ! 雨宿りができるところにでもいかないか!」
 彼女のきんきん声が鼓膜を容赦なく突き刺す。聴覚野が鈍くなるのを感じながら、ぶんぶんと首を縦に振って肯定の意を示したクレイは、のろのろと立ち上がった。
「エレア! そろそろ行こう!」
 横隔膜を下げて肺一杯に空気を吸い込み、一息に声を搾りだす。こちらを振り向いたエレアは、しかし聞こえていなかったらしい。満面の笑みをしながら、手を大きく振って喜びを最大限に示していた。
 もう一度同じ一連の動作を繰り返したところで、わなわなと身を震わせたエルシーがずんずんとエレアのもとへ行く。
「あ」
 手を振り上げたエルシーがぱかん、とエレアの頭を叩く。そうして怯んだエレアをずるずると引き摺ったエルシーがクレイの傍に来る―――。
「さぁ行くぞ」
「はい……」
 じっとりした目つきでクレイを見上げたエルシーはエレアを離すと森の方へ向かっていく。酷く苛立っているらしい。露出した背中は、案外筋肉質だった。
「痛いよう…悪いことしてないのに…」
 頭を抑えたエレアが涙ぐんだ目でクレイを見上げる。びしょ濡れになったシースルーのパレオがべっとりと下半身に巻き付いていた。
「まぁ、大丈夫だよ」
 頭部の患部を撫でる。こくんと頷いたエレアは、頭に乗せられた手を握る。彼女の手を握り返しながら、エルシーの後に続いた。
 森の中に入れば、また雨の音は違った様態を現した。ただ殴りつけるだけの暴力的な音はやや鳴りを潜めた代わりに、木々や葉を打ち付ける真っ青な音が密閉空間を木霊し、薄暗がりも相まって不気味が頭を垂れているようだ。その暗い感情は、何も根拠のない不安感というだけではなかった。熱帯の密林は、多くの危険がある場所でもある。この豪雨、さらにレジャーコロニーにわざわざ危険生物を放し飼いにしているとは思えないが、こんな雨を降らせる『公務に忠実な方々』である。仕事熱心が相まって―――ということだって、有りうるわけだ。
 雨滴を避けるように手で顔を遮り、空を見上げる。スコールは不意に訪れ、不意に去っていくものというのが地球における熱帯密林型気候の通例だが、どうやらここは違うらしい。金属水素のような厚顔な雲が益々驕慢さを増していた。
「大丈夫?」
 隣を歩いていたエレアが不安げな顔でクレイを見上げる。頷きながら前を見れば、巨木に身を預けたエルシーが随分前からこちらを見ていた。
 静かに、音も無く舌を打つ。オールを握りっぱなしで感覚が鈍くなった右手で爪を立てながら髪をかき上げた。
 士官学校時代はもっと過酷な訓練だってやってのけた。4日間密林でのサバイバル訓練に明け暮れたことだってある。この程度は、大したことがないハズなのだ。
 疲れているのは気のせいなのだ
 鈍く握りこんだ握り拳で太腿を叩く。疲れているのは気のせいだ、と活を入れた。
「もうちょっとだけど休むか?」
 エルシーのところまで行けば、再びその問いに直面してしまった。
 「いや、もうちょっとなら行こう」そんなに顔色が悪いのだろうか、と不愉快な気分になりながらエルシーの肩越しに向こうを見ると、やや思案した後に彼女も小さく首を縦に振る。
「もうちょっとって、知ってるの?」
「ガキの頃にリゾンテには観光でちょくちょく来てたから。まぁこの島には来たことないけど、だいたいわかる」
 感心したようにエレアが相槌を打つ。クレイも内心感心しながら、水に塗れたエルシーの横顔を伺った。慣れた人間だからこそ、自然とわかる像的思考。直感という奴だろう。裸足で歩いているせいで石を踏んだ足が痛いことに気を取られていたクレイは、なんだか情けなくなった。
 それにしても、小柄だけれど結構大人っぽい顔だなと思った。切れ上がった目元に深海を想起させる、澄んだ蒼い瞳―――。
 不意に記憶野のどこかが白く閃いた。大分、昔のこと―――嫌な思い出だった。慌てて記憶どこかに押し込めた。
 軽い足取りでエルシーが数十mほど先に行くと、つと足を止める。
「あったよ!」
 振り返ったエルシーが嬉々とした黄色い声を張り上げる。
 本当に見つけたことに目を見開く。エレアと目を見合わせれば、心境は同じらしい。しばし同じ視線を絡ませ合った後、互いに顔を緩ませた。
 強くクレイの手を握ったエレアがひっぱるように駆けていく。
「急ぐと転ぶよ」
 よたよたとエレアの後を追いながらも、クレイも表情筋が弛緩するのを感じた。未だ止む気配のない雨脚からして最悪今日1日帰ることすらできない恐れがある。比較的素早く雨を凌げる場を得られたことは行幸だろう。
「ほらほら、はやくはやく!」
 手を離したエレアが跳ねるように先を行く。催促するようにくるりと銀の光の尾を引かせて振り返る。そうして何度目か振り返ろうとした拍子に、少女の影が小さな悲鳴を引き摺って背中から倒れ込んだ。
 急いで近寄り、足元に目を落とすと、どうやら隆起した樹の根に足を躓かせただけだったようだ。エレアも自分の足元を確認すると、気まり悪そうな笑みを見せた。
「足とか挫いた?」
「ううん、大丈夫」
 胸を撫で下ろしながら手を差し出すと、彼女の小さな手がクレイの手に触れる。触れたエレアの手は降りしきる雨ですっかり冷たくなっていたが、顔色はむしろ艶やかだ。不意に倒れたのには動顛したが、無用の心配だったというわけだ。
 安堵に気が緩むのを感じながら、細く艶めかしい白い(かいな)を引く。木炭のように軽い彼女の身体は、苦慮も無く起き上り―――。
 何かが、蠢動した。網膜に映り視神経を這いまわった刺激は脳の側頭葉を駆け抜け、後頭葉を励起させる。
 神の感覚器官が細長い青銅の蠕動を蛇、と判断するより早く、クレイは彼女の肩を押して身体を突き飛ばした。
 左足の内腿を起点とした鋭角の刺突が神経を暴れまわった。
 噛まれた。左足に灯った熱を疼痛と判断しかけたクレイは、上手く思考がまとまらなくなっていることにすら気が回らなかった。
 エレアの悲鳴が声を突き刺す。それが音声であることすら判断できないまま、クレイの意識は白濁の中にどろどろと溶けていった。 
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