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機動戦士ガンダムMSV-エクリチュールの囁き-

作者:桃豚(21)
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18話

 思わず熱を持った息を漏らす。
 眼前に佇む巨躯は、黒に身をやつしたかつての姿とは明らかに趣を異にしていた。
 単純な姿なら変わらない。深い海の底に沈む黒さは黒曜石のように透明だ。血が脈打つような鮮烈な真紅のラインも変わらない。
 単なる気持ちの問題だろう。籠れるときはシミュレーターに籠りっぱなしというなんとも憂鬱になりそうな休暇を挟み、久々に見る実機を贔屓目に見るのもいつものこと、だ。
「他部隊で使ってる最新のOSの導入と、前に言ってたあれ、導入しておいたから。操作性結構違うと思うからいきなりぶん回しちゃだめだよ」
 キャットウォーク上、クレイと同じように《ガンダムMk-V》を見上げる紗夜が手元の資料に時折目を落としながら言う。小柄な体躯に着込んだノーマルスーツはいかにも背伸びした子供のように見えた。
 彼女が言ったことは朝のブリーフィングで渡された資料に載っていたことだ。知っている内容だが、こうして紗夜が告げてくれるということはそれだけ注意しなければならないということだろう。
「―――こちらデルタ了解。じゃあ頑張ってね」
「了解」
 ぱたぱたと駆けていく整備服の紗夜を見送ると、示し合わせたように無線のコールが鳴った。
(こちらコマンドポスト、02、08の両名は機体に搭乗せよ)
「08了解しました」
 クレイの応答の後、彼女の声が耳朶を打つ。
 コロニー生まれのクレイには雪解けの清水の流れというものを生で見たことはないが、きっとその清らかさは彼女の声の音のようなのだろう。自然、心臓の不随意筋が随意的に萎む。
 自嘲的な笑みが漏れた。いや、自嘲的ではないか。もっと素直な照れのような気がする。
「まるで子どもだな」
(何か言った?)
「あれ。いやなんでもないですよ―――外部点検、異常なし。搭乗します」
 無線を切っていないことに多少声が早まる。
 特に頓着した様子もなく、私語厳禁の言葉とともに了解の意が返ってくるのを聞くと、クレイはせり出したキャットウォークから身を乗り出し、《ガンダムMk-V》のコクピットへと身を入れた。
 黒いドームの中心にぽつんと佇む管制ユニットに座り、操縦桿に手のひらを重ねる。
 彼女の声。
 彼女の容。
 彼女の……。
 不意に視神経を叩いた電流に微かに身じろぎする。紗夜の時と同じ妙な熱っぽさアダっぽさ。でも今日は違う―――もっと静かにより圧迫してくるような。
(整備兵は各壁内へと退避せよ)
(こちらデルタ、機付き整備兵退避完了)
(整備兵の退避完了を確認。機体を起動せよ)
「了解。主機をアイドル出力に固定―――異常なし。背部ユニットのバーニアを点火、出力30%にて安定」
(背部ユニットの起動確認、出力30%にて安定)
「背部ユニットに異常なし。各部出力確認―――完了」
(背部ユニット異常なし。各出力確認を完了)
(……ガントリー解放せよ)
(エイジャックスより08、ガントリー解放後にカタパルトに機体を固定してください)
「08、了解」
 鈍い音―――それは内存在的な音の聞こえなのだろう。既に《ガンダムMk-V》の装甲を挟んだ向こう側に酸素は無い。ゆっくりとキャットウォークが解放されるや、ゆっくりとした歩みで漆黒の巨像が歩みを進める。オートパイロットでカタパルトに足を乗せるほんの少しの時間は、微かな余暇になる。
 胸のざわめき。
 そもそもざわめきなのか?
 ―――逡巡の暇はそれだけだった。
「―――《ガンダムMk-V》、カタパルト接続完了」
(カタパルト接続完了。進路クリア。発進せよ)
「了解」
 逡巡の間際の迷い。
 だが気負いはない。逸る気持ちも適度にある。体調が悪かったのは昨日まで。今日は頭痛の一つも無い。
 徐々に上がっていく主機出力。
 正面に捉えた黒の海。映える陽光(こうせい)の寄合。
 行ける―――。
「《ガンダムMk-V》、ブラスト・オフ!」
 一気にフットペダルを踏み込む。ほぼタイムラグ無くカタパルトが稼働する。
 電磁カタパルトが火花を散らし、瞬時に30m近い巨体が最高速度にのるや、パチンコ玉もかくやと言った様相で弾き出された。
 ※
 全方位から降りかかってくる負荷Gの圧―――違う、と気づくのに1分とかからなかった。
 機体の反応はリニアの一言に尽きる。
 ムーバブルフレームを搭載した18mの巨人は、その巨躯でありながら人間よりもより広範に稼働する。だがその可動性をフルスペックに発揮させることはどのようなパイロットであっても不可能。負荷G超過領域にあって、人間は精妙な挙動など取れるはずがない。故にMSの挙動には『遊び』を持たせることで、微細な動作まで過敏に搭乗者の挙動入力を要求せずとも自然な稼働を可能にさせる。
 この《ガンダムMk-V》も例に漏れない。一気に加速したうえで宙戦機動をした場合、オーバーG領域下ではクレイの意思と関係なく挙動を取る―――ことになっているのだが。
 思い通りに動く―――いつにない機体との一体感に、無尽蔵の昂揚感を覚える。鋭角ターンをクイックに行使してもふらつかない安定性、OSによる機体制御もクレイが思い通りに理想的に動く。
 なるほどブロックの更新だけでMSは化けるというのも頷ける。単なる知識が実を伴った瞬間を味わいながら、礫の漂う常夜の中をするりするりと漆黒の《ガンダムMk-V》を滑らせていく。
 新調された愛機の豹変に恐懼を伴う感嘆を覚える―――が、クレイはなによりも己にぴたりと張り付き、完璧なチェイスを見せつける黒塗りの《ゼータプラス》の姿に心臓が歓喜に震えるのを感じた。
 クレイが《ガンダムMk-V》の手綱を手荒に振るい、規定進路をまるで無視して機動させるのは己が駿馬の良なるを測るためであるが、チェイサーを務めるエレアの力量を確認するためでもあった。もちろん、彼女の強さは身をもって理解している。クレイを一方的に制圧したあのシミュレーションからまだ2週間と日はたっていないし、時折エレアの実機試験を目にしていればその威に異を唱えることがいかに凡愚の所作であるか知れるというものだ。
 だが、自らもMSの胎に抱かれた上で、エレアの機体操縦を間近で見るのはこれが初めてであった。
 クレイの機体挙動を完璧に模倣し、まるで過去の自分の素振りをそのまま写し見るかのような錯覚を与えさせる―――ニュータイプだからクレイの挙動を先読みできる、などという言葉はフィクションに身を浸した考えだ。高G下にあっては、一定の挙動を取らせること自体が困難である。仮に先読みで把握できたとしても、それをトレースして挙動を模倣することの困難さは変わるまい。
 巨岩のすれすれを舐めるように沿う黒狼の主は、自分が嫣然としていることに、そして身体を震わせていることに驚きもしなかった。
 フラッシュバックする光景。
 妙なる神威の御業。
 赤く灯る二つの熾火。
 重なるさくらんぼの赤。
 ―――クレイ・ハイデガーはもう何個目かのデブリを蹴り上げさせると、一息に長躯の四肢を振り回した。AMBAC機動と各部バーニアを焚くことによる急制動と急反転の連続操作。対G強化型のノーマルスーツを着ていてもなお指先一つミリほども動かせない、歯も砕けるほどの超高G下、黒の孤狼はなおもってよく調教されていた。クレイ・ハイデガーの理想とする挙動を見事にトレースし、思い描いた通りに《ガンダムMk-V》が己を律する。
 1秒とかからず真後ろに反転したクレイの眼前に飛び込んできたのは、ずっと向こうに静止する漆黒の痩躯だった。
 HUDに投影された型番はMSZ-006X2。変わらずチェイスしていたはずのMSは、わずかな《ガンダムMk-V》の予備動作だけでもって急反転に対応してみせた。
(エイジャックスより02、08。お遊びの時間だ。思う存分やれ)
 耳朶を打つ鐘のようなフェニクスの声。
 幽邃に包まれた常夜、溶けるような黒の《ゼータプラス》が光の剣を一振り引き抜く。
 砲撃戦と格闘戦のホライゾン―――《ガンダムMk-V》と《ゼータプラス》の彼我距離は砲撃戦を主軸にプランを練るには近すぎるが、格闘戦で一息に仕留めるには遠い。その迷いの中にあって、血色の双眸を閃かせる《ゼータプラス》は逡巡の後に―――逡巡もなく、その手にサーベルを携えた。
 『遊び』―――その通りだ、と思った。だが与えられたチャンスは最大限に活かす。意気込みとともに、クレイはシールドの裏から折りたたまれた槍の2本を引き抜いた。
シールドは捨てる。近接戦闘にもつれ込めば、砲台という名のシールドはデッドウェイト以外の何物でもない。
 展開すれば20mを超える《ガンダムMk-V》の巨躯と比べても謙遜のない長々といた槍を2本。
ムーバブルフレームによる人間以上の稼働を許されたMSという兵器であるからこそ成しえる双槍の構え。
 VIBSであるから、展開される赫い刃はCG補正の産物―――それでも血色の刃は、猛々しくも凛々しい牢乎の荒武者に相応しい武具であろう。
 ―――大砲と火器の誕生により旧世代の遺物と化した騎士や武者。
剣と槍を構える20mの巨人が相対峙し、ぴんと張ったピアノ線のような空気感を漂わせる様は、現代における古の兵の再現だった。
 先に動いたのは2槍の武者。
 呼応するように剣を構えた騎士がバーニアを迸らせる。
 光の尾を引いた2機の巨人が交錯し――――。
 ※
 MSが単機でやり合った場合、長く見積もっても5分で決着がつく。そのあまりにも味気ない数値が算出されたのは、一年戦争時のジオン公国においてであった。この数値はMSの性能や戦術が進展してなお、大きく変動していないという。
 戦闘指揮所の大型モニターに映る戦闘はその5分という壁を2分超えてなお終わりを見せない。
 エンジニアという職業柄、この映像がどれほど高度な戦闘かはわからない―――それでもモニカは、四方八方を塞ぐ灼熱の檻に怯むことなく剣戟を重ねる2機のMSの戦闘に感嘆を覚える。これがライブ映像ではなく記録映像であり、既に3度目であっても、セピア調のメガネをかける暇もない。そんな私的な感動もともかく、サイコフレーム搭載機の実戦形式稼働試験によるデータの収集には、色々な人が小躍りして喜んでいるに違いない―――流石に『ヴァルキュリア』の再現こそ観測できなかったが、戦乙女の力をクレイ一人で引き出させろというのも酷な話だ。
「遊びと言いながら徹底して単機での対ファンネル戦を行使するあたり、あいつも負けずぎらいだな」
 同じように、モニターの映像を眺めるフェニクスは色のない声で言った。
 グリプス戦役から7年、実戦で錬成されたフェニクスの戦術眼には、きっとモニカには見えていない高度なロジックがこの映像の中に犇めいているに違いない。
「フランドール中尉も結構本気ですよね。最初はサーベル1本だったのに最後の方なんていつも通り2本構えた上でファンネルまで使ってましたし」
「前は前で事情があったが、今回は本気だからな」
 どこか含みのある声色に、なんとなくフェニクスの顔を伺う。
 冥い部屋にぼうぼうと照るモニターの光を受けたフェニクスの顔は、いつにもまして鷹のように峻厳とした目つきをしていた。
「それにしても『槍』が使える人がいて良かったですよ」
 あまり先ほどの話題をしない方がいい、と思ったモニカは、とりあえず話題を変えることにした。ぎこちない笑みは、たぶん暗がりのお蔭で悟られていないと思う。
「今のご時世槍が使えるパイロットなんて酔狂ぐらいなものだからな」
「カルナップ大尉はご存知だったんですか?」
「ハイデガー中佐のご子息の上、本人がやたらと生真面目な男だから使えるだろうなとは思っていた。まぁ、双槍の使い手とは思わなかったが」
 峻烈さは身を潜め、苦笑いを浮かべたフェニクスに少し安堵の溜息を吐いた。
「それにしても、『おばさん』はなんで今更槍型の兵装の試験なんてやりたがるのやら」
 呆れたように言う―――もっともだ、とモニカは思う。
 MSの近接格闘戦闘兵装はほとんどサーベルが主流だ。理由を述べれば細々した話になるから敢えて省くが、宇宙世紀0094年においてわざわざ槍状兵器が使われることは極めて稀である。
 無論、利点はあるのだが―――その利点のために、とはいえ『あの機体』にわざわざ必要な物には思えない。
「―――気に入らんな」
 腕を組んだフェニクスが小さく嘯いた言葉が鼓膜に突き刺さる。
 ジオン共和国出身のフェニクスにとって、『例の計画』の存在には心穏やかじゃないものがあるはずだ。ジオン出身でありながら連邦の軍人であり、『財団』とサナリィのために滅私に終始する彼女の心情は―――。
 まさか。
 モニカは、ふと思い浮かんだ考えを払拭するためにも。モニターの映像に廻向専心に努めることにした。
「宇宙で黒は目立たないな。いっそ目立つ色にでもするか」
 あずかり知らぬフェニクスの暢気な声が、はっきりと耳朶に触れた。 
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