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黒魔術師松本沙耶香 客船篇

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36部分:第三十六章


第三十六章

「その立場からあの方々のお悩みを解消して差し上げたのです」
「まずあの奥さんの事故のことで悩んでいた人は」
「御当主様の次男様です」
 そうだというのである。
「次男様であります」
「次男ね」
「そうです。御兄弟では末っ子の方です」
「兄弟は四人ね」
「それもおわかりですね」
「最初は五人だった」
 沙耶香はこうも言ってみせた。
「けれど一人死んでしまったのね」
「その通りです」
「あの。悪夢にうなされていた奥さんが次女さんね」
「正式には三女になります」
「彼女はもう安心して旅立ったわよ」
 こう彼に対して語ってみせた。
「落ち着いてね」
「それにつきましても有り難うございます」
「中には役得もあったし」
 不意に沙耶香の顔に笑みが宿った。
「あの女医さん。長女さんね」
「左様です」
「彼女の悩みも消してあげたわ」
「あの方は御主人との夜のことで悩んでおられました」
 そうした悩みだったというのである。悩みは人に言えるものばかりでもなければ昼の世界のものだけでもないのだ。夜の世界にも存在するものなのだ。
「ですから。それも貴女にと」
「いい思いをさせてもらったわ」
 これがそのことに対する沙耶香の返答だった。
「実にね」
「それは何よりで」
「そして最後は」
 話は終わりに近付いてきていた。
「あの船長さんね」
「御長男様ですね」
「危ないところだったわね」
 ここでこんなことを言ったのだった。
「あのままだとね。彼は」
「悪鬼達に飲み込まれていましたか」
「心をね。それは他の三人も同じだけれど」
 彼は特にというのである。
「本当に危ないところだったわ」
「左様でしたか」
「けれど。もう大丈夫よ」
 言葉がすっとした笑みと共のものにもなった。
「これでね」
「あの方は奥様が若い頃に既に子供がおられまして」
「その先の御主人がいなくなってのことね」
「はい、あの方と再婚されました」
 この事情も話されるのだった。
「それによってです」
「わかったわ。けれどもうあの親子は大丈夫よ」
 沙耶香は笑って彼に話した。
「もうね。絆は確かなものになったわ」
「では全ては終わりましたね」
「ええ、全てが」
 今の問いにも答えた。
「終わったわ」
「それでは。御礼は振り込んでおきますので」
「御願いするわ。仕事はこれで終わりね」
 全て終わった。沙耶香はこのことも実感していた。そしてその実感の中でだ。落ち着いた言葉でこう述べたのであった。
「さて、後は」
「まだ船に残られますね」
「チェックインの数だけね」
 残るとというのであった。
「そうさせてもらうわ。それじゃあね」
「はい、それでは」
「また遊ばせてもらうわ」
 こう言うとであった。バーのカウンターに向かった。そうしてそこで端麗なタキシードに身を包んだ背が高くショートヘアですらりとした身体つきの美女に声をかけるのであった。
「ねえ。これからだけれど」
「はい、これから」
「まずは飲みましょう」
 最初に告げた言葉はこれだった。
「貴女の分は私が奢るわ」
「いえ、それは」
「遠慮することはないのよ。何故なら」
「何故なら?」
「私は貴女を見ている」
 その目を覗き込んでいる。そのうえでの言葉であった。
「そして貴女もまた」
「私もですか」
「私を見るようになるわ」
 沙耶香の目が琥珀色の輝きを見せた。その輝きの中での今の言葉だった。
「私をね」
「私をですか」
「だから。飲みましょう」
 また告げるのであった。
「二人でね」
「ですが私は」
「いいのよ」
 ここから先はあえて言わせなかった。沙耶香の方が上であった。
「だからね。飲みましょう」
「だからですか」
「夜はまだはじまったばかりよ」
 もう妖艶な笑みを見せていた。
「だからね。これからだから」
「それでは」
 沙耶香はそのまま彼女と飲み彼女の仕事の時間が終わると静かに自分の部屋に連れて行った。彼はそんな沙耶香を見て言うのであった。
「やれやれですね」
 苦笑いと呆れが入っている言葉であった。肩もすくめさせている。
「そちらについては相変わらずですか」
「では今からね」
「はい・・・・・・」
 バーテンの彼女は既に沙耶香に篭絡されていた。後はそのままベッドの中に。話を全て終わらせた沙耶香は彼女の楽しみを味わい続けるのだった。


黒魔術師松本沙耶香  客船篇   完


              2010・3・2
 
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