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黒魔術師松本沙耶香  薔薇篇

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38部分:第三十八章


第三十八章

「あの御前も寄せ付けないように周到にしたつもりだけれど。ぬかったわ」
「それでこれからどうするつもりかしら」
 沙耶香は依子に問うた。
「また私達とやりあうつもりなの?それとも」
「勿論そのつもりよ」
 依子の返事に迷いはない。
「けれど今は」
 立ち上がる。そしてその周りに青と紫の霧を出す。
「これでお邪魔させてもらうわ」
「逃げるつもりね」
「戦略的転進よ」
 笑ってそう述べる。
「ではまた」
 その霧の中に身体が覆われると姿が消えた。気配も遠ざかっていく。
「魔界の前で」
「去られましたか」
 速水は依子の気配が消えたのを察して言った。黒い炎は消え去り庭はもう元の薔薇の園になっていた。
「御自身が好きなことを思う存分されて。勝手なことです」
「女というのはそういうものよ」
 沙耶香は速水の方を振り返らず声だけを彼に送った。見せはしないその顔は楽しそうに笑っている。
「勝手気ままなのが信条よ」
「困ったものです」
「けれど。また会いたいというラブコールはあったわね」
「それもいらないのですが」
 速水はぶしつけな調子で述べた。
「私が欲しいのは」
「言いたいことはわかってるわ」
 それ以上は言わせない。そして何もなかったかのように話題を完全に変えてきた。
「とりあえず今回の事件は終わったわ」
「はい」
 話を変えられて不満に思ったがそれはもう口には出せなかった。勢いを消されてしまったからだ。
「乾杯といこうかしら」
「ワインでですね」
「いえ、今日は別のものを飲みたい気分よ」
「では何でしょうか」
「ナポレオンよ」
 沙耶香は言った。
「ブランデーでね。乾杯といかないかしら」
「この屋敷にありましたっけ」
「あるわよ、これだけの屋敷なら」
 この言葉は勘と嗅覚によるものだった。沙耶香はこの屋敷にもナポレオンがあるということをもう嗅ぎ付けていたのである。酒を愛する女の勘と嗅覚であった。
「それをね。頂きましょう」
「わかりました。では」
 速水はそれを聞いてすっと笑って述べた。
「お付き合いさせて頂きます」
「有り難いわ。一人より二人の方がね。こうした時は美味しいのよ」
「ですね」
「そして彼女だけれど」
「何か?」
 速水の声の色がここで微妙に変わった。沙耶香の声は普通の調子であったが。
「また。出て来るでしょうね」
「それはね」
 それはもう規定事項のようなものであった。二人にとっては。
「これで諦めるタイプではないでしょうね」
「そうね。また戦うことになるわ」
 沙耶香は述べた。
「今度こそといきたいところだけれど」
「それは向こうも同じですよ」
 速水はまたあのうっすらとした笑いと共にこう言った。不思議と影のない言葉であった。
「今度こそ私達を退けてこの世に魔界を創り出そうとするでしょうね」
「そこは血縁ということかしら」
「でしょうね、やはり」
「まあ彼女が出て来たらまた戦ってあげればいいわ」
 沙耶香は特に気にしないといった調子で述べた。
「じっくりとね」
「では今は」
「ええ、ナポレオンよ」
「チーズと一緒に」
「悪くないわね」
「もっと他にも欲しいのですが」
「それはないわね」
 沙耶香は速水の誘いをまたしてもかわした。そしてそのまま屋敷に戻るのであった。こうしてこの屋敷での薔薇の戦いは終わった。五人の犠牲を払いながらも何とか終えた戦いであった。それは速水のタロットの占いに添ったものであった。
 
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